「戦う少女」
というモチーフが、大好きです。
その代表は、このハニーだと思うのです。やっぱ、永井豪って天才だなぁ。
最近の子供にとっては、戦う少女と言ったら「セーラームーン」なんでしょうか? 実は意外だと言われるかも知れませんが、僕はあの有名なセーラームーンという作品を1回も見たことがありません。あの作品が嫌いって訳ではないのに、自分でも不思議です。縁が無いんでしょうかね。だから、僕にとって「戦う少女」というのは、いまだにこの「キューティーハニー」なんです。
「戦う少女」というモチーフは、一体何が原形なんでしょう? ジャンヌ・ダルクあたりかな?
ちなみに、この疑問に対して、最近一冊の本が世に出ました。斎藤環氏の著作『戦闘美少女の精神分析』(太田出版、2000年)という本が出版されています。
これによると、「戦う少女」というモチーフは、日本独特で発達した文化だというのです。海外(西洋社会)には、滅多に見られないモチーフなのだそうです。海外ではアマゾネスなど「戦う女」という存在はあれど、「少女」ではない。日本のそれは、「少女」であるが故に「戦う」という、特殊な例なのだそうです。
日本文化に色濃い、シャーマニズム(巫女崇拝)の伝統故かも知れません。でも、シャーマニズムは日本以外にも見られる文化だし...ううん、ハッキリとしません。(ただ、「戦う少女」が「シャーマン(巫女)」の役割を担っているという点は明らか)。
シャーマニズムは、いわゆる「地母神」というイメージに密接につながるモノですが、僕は「戦う少女」については「地母神」的要素との関係は少ないと感じます。それよりも、「少女」という存在そのものが持つ「短命性」の方がイメージとして大きい要素であると思います。
「少年」から「男」への境界は曖昧ですが、「少女」と「女」の境界は明瞭です。
故に、「永遠の少女」というものは「永遠の命」と同義であり、人々が追い求めて止まないものであり、永遠であるが故に彼女達は戦わなくてはならない。戦いを止めるとき、それは、「少女」を終えるとき、と言えるのです。
...永遠に「少女」で在り続けることが、幸せなことだとは、僕には思えないのですけどね。 |