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『それでも男ですかっ!軟弱ものっ!』

―セイラ・マス―(機動戦士ガンダム)


(すいません、今回もガシャポンじゃ無いっす。)

「機動戦士ガンダム」は、僕にとってもメモリアルな作品です。

 ガンダムブームに日本が沸いた当時、僕は中学生でした。少ないお小遣いを駆使して、ガンダム関連商品を買い漁ったものです。その中には、朝日ソノラマ文庫から出ていた、富野 善 幸 著の「機動戦士ガンダム」の小説版もありました。

 その小説は、実はほとんど読んでいないのです。中学1年生の僕には、富野さんのメッセージ、特にエロスの部分が殆ど理解できなかったので、「つまらないなぁ」と投げ出してしまったのです。今でこそ、その点まで読み込める様になりましたが、小説版は、アニメ版に比べて富野さんの主張が生々しすぎましたね。

 ところで、その小説版で覚えている点で、セイラさんが「金髪さん」と呼ばれ、アムロの恋人、物語のヒロインと描かれていることに、僕は随分驚きました。
 いや、勿論セイラさんはストーリー上でVIP(ジオン・ズム・ダイクンの娘)という設定でしたから、ホワイトベースの女性陣の中でも最も「ヒロイン」役に相応しいキャラではあったわけですが......。

 僕はなんだか、「ガンダム」という舞台で「ヒーロー」「ヒロイン」という「役回りを担ったキャラ」の存在が、妙に落ち着かなかったのです。身体に合わない服を無理矢理着させられたような感じ。

 しかし、「ガンダム」という作品が、「キャラクター性が薄い」という事は、決してありません。
 いや、全くその逆で、「ガンダム」はストーリーではなく、キャラクター達の魅力によって織りなされた作品であると断言します。
 だって、
「シャア」なんて有名どころだけでなく、「シムス中尉」とか「デニム&ジーン」「カムラン・ブルーム」「トクワン」なんてチョイ役の名前まで克明に覚えているなんて、僕が暗記力が良い年齢だったからだけではないでしょう。

「ヒーロー」「ヒロイン」という「役回り」を必要としない「キャラクター」、そして、そういった物語の作り方、それらを学んだのは、この作品からでした。
 だからこそ、多くの人と同様、僕にとっても「ガンダム」はメモリアルな作品であり、そして「作品」そのものがメモリアルなのです。

(著作権:サンライズ)

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