転校・転園・そして入園 激動を生き抜いた子どもたち Part.1
■■引越しまで■■
両親の離婚、そして突然の転校、転園。しかも行き先は東京。
「どうして東京に行くの?」と聞かれても、私だってどうしてか良くわからないんだから答えようがない。「子どもは黙って親についてついてくればいいの!」と、いかにも自信たっぷりに言われるだけで、どこに住むのかどこの小学校に行くのかもわからない。
その頃ふた男が小学校1年生、おとめ子は保育園年中組、ひつ次郎は1歳半でした。詳しく説明されても、東京がどこにあって、どんなところかなんてわからなかったに違いありません。1996年8月にふとしたことから上京を決意。11月にはまだオムツをしていたひつ次郎だけを連れてまず上京。このとき探した家は世田谷区下北沢でした。
翌1997年1月、今度は3人引き連れて家捜しのために上京を予定していた前日、ひつ次郎が40度の発熱。旅行会社に3万円のキャンセル料を払い、泣く泣く2月に延期。
行く先に立ちこめる暗雲のようなものを感じ、一瞬「やっぱり無理かな、止めようかな」と思っちゃいました。
そして再度上京した時、最初に入った不動産で最初に見せられた家が、現在の住まいです。ここは1戸建てにしては家賃も安く、2階建で結構広く、親子4人で住むには申し分のないところなのですが、なんとこの家が空いたのは私たちが上京した日の3日前。つまりひつ次郎が熱を出さなかったらこんなところには住めなかった、というわけなのです。3万円のことも、縁起が悪いと思ったことなど頭からすっかり吹っ飛んで、差し込んでくる明るい光を感じたものです。
すぐに契約。結局見たのは1回だけ。しかも夕方だったので、暗くてはっきり見えない。
この家だ!という勘と、公園が隣にあることだけで決めたようなものでした。その後、ひつ次郎の1年生修了式の日を待って引越し。翌日にはたくさんの見送りの中空港を飛び立ちました。
引越し業者の人が番地を聞くのに「さて、何でしたっけ?」と答えたり、引越し当日、池袋のホテルからタクシーに乗っても「ここへ行ってください」と地図を渡すだけだったり、私たちはまったくのおのぼりさんでした。
それでも子どもたちはいつものペースで、飛行機だ、モノレールだ、電車だと大喜び。
池袋で東口と西口を間違え「どうして東口に西武デパートがあって西口に東武デパートがあるわけ?」なんてぶうぶう言いながら駅中連れまわされても文句ひとつ言わない。
ようやく着いた、その日泊まることになっていたメトロポリタンホテルでチェックインをしていると、
「かあちゃん、落ちたぁ!」。
振り向くとそこには噴水で水遊びをしているひつ次郎の姿が…。引越し後始めての買い物はひつ次郎の靴でした。
引越し当日はなんと大雨。3人は5トンコンテナ2個分の荷物がはみ出しそうな狭い家の1階の、これまた狭い押入れで1日中過ごし、疲れてそろってお昼寝をしていました。
それからは、シビックセンターに転入の手続きに行ったり、学校に挨拶に行ったり。まったく地図だけが頼りでした。保育園の面接に行ったときには迷子になり、電話をしてお迎えに来ていただいたほどでした。
■■ことばの問題■■
さて、4月から保育園が始まります。2歳になったばかりのひつ次郎は未満児のクラスに入園でしたが、しばらくは大泣きでした。でもそれはあまり心配しなくてもいいこと。3人目ともなれば、泣いて当たり前と平気な顔もしていられます。
心配したのはおとめ子のほうでした。もともとあまり人懐っこい性格ではなく、自分から集団に入っていくことが苦手。それまで通っていた保育園に入れたときには、1年間泣き通したくらいです。それでも面接に行った保育園で、同じクラスの子どもたちに「おとめ子ちゃん、待ってたんだよ、いっしょに遊ぼう」と手を引かれ、それまでの彼女の緊張がするすると解けた表情を見て、親としてはほっとしました。
ようやく自分が通うことになる学校がわかり、挨拶にも行ったふた男は、学校生活を1年間経験しているゆとりがありました。教科書も今までとまったく同じ。制服もなく制帽があるだけということであまり準備するものもありません。始業式までの幾日かを、近所にできた友達と遊んだり、地図を持って公園に行ったりしてすごしていました。もともとこの子は誰とでもすぐに友達になり、面倒見の良い親分肌の子どもです。わりと賢く、学業面でもあまり心配はしていませんでした。
しかし、問題は「ことば」でした。
学校の始業はとても早いものです。始業式の日、30分前ぐらいに来てください、と言われたので、仕方なく保育園児もいっしょに連れていきました。保育園の始業は遅いのです。校長室に通され、他に3人いた転校生と共に話しを聞き、校庭での始業式が終わると、もう保育園に送って行くぎりぎりの時間です。休ませることも考えましたが、慣らし保育の今休むと、子どもは混乱し、ますます保育園に慣れるまでの時間がかかってしまいます。
ちょっとは心配でしたが、ふた男を学校において保育園児を送り家で待っていると、なんとか帰ってきました。
しかし後日彼がぽつっと、その日からことばのことでいじめられていたことを話しました。
その日、学校では始業式のあと、1年生を迎える会があって、2年生は壇上で器楽演奏をすることになっていたのです。始めての学校、始めてのクラス、始めての先生なのに、いきなり演奏とは。先生も今年転任してこられた方で緊張していて、転校生どころではなかった様子。おまけに、この新2年生は1年生の時、いじめでひとり転校している、うるさくて授業にはならない、誹謗中傷がとびかう、とても大変なクラスだったのです。後にわかったのですが、大変なクラスだから、転任してきたばかりの実力のある先生が担任になり、最初からビシッと指導をしておられたようです。
ふた男は他のお友達にいろいろなことを聞きたいのですが、その聞き方が「ねえ、なんばしよっと?」「おれ、なんばすればいいと?」誰に聞いても笑われるだけで、なにも教えてもらえず、誰を頼ればいいのかもわからず、そこへもって始めての合奏で大太鼓を担当し、彼の頭の中はパニックではなかったのでしょうか。
しかし、帰ってきた彼は、そのことについてなにも言いませんでした。
ことばでいじめられているとわかったのは、その数日後、入室の申し込みに行った学童での子どもたちのやり取りを聞いたときでした。
おとめ子は、周りの仲間と同じように話せないことが、恥ずかしくてたまらなかったようです。彼女は人と違うことをとても気にする性格なのです。これまで友達にからかわれたという理由で着なくなった服がどれだけあることか。
仲良く遊んではいても、話しをせずにうなずいたり、目で話したり。とうとうこちらは1ヶ月間まったく口を開きませんでした。おかげで男2人にはさまれて育ったためにいささか乱暴で気が強い彼女が、なんともおしとやかで物静かな女の子として、そのあとクラス1のモテモテ女になってしまったのですが。
結局、ことばの問題は1ヶ月できれいさっぱりとなくなります。もちろんその後はきれいな東京弁を話しますし、いじめられることもなくなりました。それどころか、ふた男はクラスのボスになり統率していくことになるのです。