東京に引越したわけ
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■■1本の電話■■ |
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離婚をした私はとても自由だった。仕事をしているわけではなく、持ち家に住んでいたわけではなく、親の面倒を見なければならないわけでもない。私を縛り付けていたすべてのものから解き放たれていた。 そんな時にかかってきた1本の電話。それは東京でエステを経営するちょっと変わった友達からのものだった。 「子どもも大きくなったでしょう、そろそろ遊びにこない?気分転換に」 大きくなったといっても7歳5歳1歳だが、6歳4歳0歳の頃よりは確かに大きい。手もかからなくなっている。私はほとんどひとりで子育てをしてきたので、子どもがいることが行動の妨げになることはない。人は、あなたにとっては妨げになっていないけど、周りの人にとってはいい迷惑になっているかもよ、なんて言うが、そんなことはまったく気にしない。しかし、ひつ次郎が3ヶ月の時に旅行して以来、ちょっと遠出はご無沙汰だ。夫婦間のガタガタが佳境に入っていたせいでもある。ガタガタの最中はどこかに出かけて憂さ晴らしをするよりも、できれば世界中の誰とも会わずに穴に閉じこもって冬眠していたい気分なのだ。 「そうね、そろそろ気分転換に出かけてみようかな」 「それならいっそ引っ越してこない?」 「そうね、それもいいかもしれないね」 私の東京への引越しは、こうやって決まったのだ。物事にはすべてタイミングがあると思う。この時、友達はなんの気もなく言ったに決まっている。しかしまさにタイミングがぴったり合ってしまったのだ。こういうのを「人生の転機」というのかも知れないが、私にとっては、そう、なんと言うか… 「何か面白いことへのホンの1歩」 まさにそんな感じだったのである。 |
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■■説明、説得はいっさいしない■■ 例えば大学に通うのならばその近くに家を探すだろうし、仕事が決まっていれば通勤に便利なところに住むだろう。東京に行って住むんだ、と決めたものの、私は自分が一体どこに住むことになるのかすらわからなかった。大体地元では、浦和だろうが横浜だろうが、熊谷であっても「東京に住んでいた」というのだ。 それまでに私が東京に来たのは4回。最初は高校生の時だし、その後はすべて知り合いが車で連れまわしてくれた。ひとりで地下鉄に乗ったことすらなかった。 そんな事情を知ってか知らずか、すべての人が反対した。親兄弟はもちろん友達や保育園の先生、占い師にご近所まで。よく言われたのが「子どもがかわいそう」。そして「一体なにをしに行くの?」「どうして東京でなきゃいけないの?」だった。 私の移住に理由はなかったのだ。ただ、東京に住んでみたいな、というだけ。もしも電話をかけてきたのがハワイに住む友達だったら、今ごろ私たちはハワイに住んでいたに違いない。ただし、ニューヨークに住む友達だったら、きっと実現してはいないと思う。物事には段階や順序というものもある。そんなことは結局理解されることがなかった。「理由なき行動」なんて世間では通用しないのだ。 理解されないということは、邪魔や妨害はたくさんあるものの、協力はまったく得られないということなのだ。結局私は引越しにまつわるすべての作業をひとりでやった。私にとって、初めて人に頼らずに成し遂げた偉業だった。たいした事ではないかもしれないが、子ども関係のことや、お役所関係のこと、引越し関係のことをひとつひとつ片付けていくことが、私に少しの自信をもたらした。 引越しにはお金もかかる。私の離婚では慰謝料としての金額を毎月少しずつ振り込んでもらう取り決めだった。だから引越しその他のお金はすべて結婚していたときのへそくりでまかなわなくてはならない。毎晩毎晩、お金の段取りで悩む日々が続く。ちょっとでも足りないと、計画を断念しなくてはならない。この時のようにお金の計算をしたのは、初めてのことだった。 家を決めるための上京費用、それまでのローンの精算、新しい家の敷金礼金、引越し費用、最後の上京費用。すべてのことが終わったときに、私の貯金がなくなった。まさにぎりぎりだった。やはり運がある、私はついている、となんだかうれしかった。 ただし、元夫は「そのへそくりはおれが稼いだものだから、俺がすべてしてやったようなものだ」と言い張る。こんなおかしい理屈を言うようなやつだったんだよなあ〜。 |