母子家庭の掟 その4.これからは心の声が聞けるようになりたい
|
夜、2階に上がり布団に入って枕元の明かりをつけ本を読んでいると、何処からか鈴の音が聞こえてくる。りんりんではなく、しゃんしゃんと。ちゃんと聞こえるがうるさくはない、メゾピアノとピアニッシモの中間、4分の2拍子、規則正しいリズム。 目覚ましを手に取ると、午前2時。取ったついでに5時にセットしてある目覚ましを7時に合わせ直してておく。ひつ次郎がいたずらしたのだ。 読んでいた本が推理小説だった。だからだろうか、外の道を白いかたびらを身にまとった方々が集団で鈴を鳴らしながら歩いていらっしゃるような気がする。いつか見た黒澤映画の影響だろうか、鈴を鳴らしながら歩いて来る方は、狐の顔をしているようにも思える。 しかし、遠くから近づいてきて去って行くような音ではなく、身近で留まっている音である。 狐の顔をした白い集団は、何の目的があって、我が家の玄関先に留まっておられるのだろう。なにかの暗示か、たたりか、勧誘か、お告げなのか。 先日はこの時間、非常ベルがなった。この時はさすがに窓を開け、身を乗り出して様子を見ていた。前のマンションから2〜3人、男の方が出てこられて様子を伺っている。この時間なのにきちんと服を着ていらっしゃる。そう言えば、普段このマンションに出入りする男の方を見かけることは少ない。きっと早く仕事に出かけ、夜はお付き合いや仕事で遅く帰ってこられるのだろう。 「ああ、普通の家庭にはこんな男がいて、いつもは不在がちでもこのような非常時にはちゃんと家族を守る役目を果たしているんだな」 音源の辺りになんの問題もないことがわかると、ひとりひとり又部屋に戻って行かれた。 それを確かめて、私も窓を閉め、仕事に戻る。 今回は窓を開けて狐の顔を確かめる気にはならない。 1ヶ月ほど前、子ども部屋の押し入れを掃除したときに、たくさんのおもちゃをごみに出した。今のおもちゃには音源が組み込まれていて、揺らしたり動かすと音が出るものが多い。何処に電池があるのか全くわからないものもあり、そのままごみ袋に押し込んでいると、夜中に鳴っていることがある。「あ、あれはひつ次郎が赤ん坊の時のがらがらだ」「あの音はふた男が1時期夢中になっていたゲームだ」それぞれにまつわるものを思い出していると、捨てられるおもちゃが泣いているようにも聞こえてくる。 ごみ収集車が持って行った後も、あの車の中で音を出しているのだろうか。どこかの埋立地に捨てられたあとも泣いているのだろうか。埋立地の地中奥深くでは、このような音が鳴り続いているのかもしれない。 ひょっとしてこの鈴の音は、あのとき捨てたおもちゃの幽霊なのかしら、なんて考えてしまう。捨てずにどうにかして役立てれば良かったかな。 「もっとちゃんとしてよ」 今度は大きな声でそう聞こえる。ふた男の寝言だ。この子は時々はっきり聞き取れる寝言を言う。と同時にうーんと寝返りをうち、ひつ次郎がひっくり返る。 その時、鈴の音がぴたっと止んだ。 ひそやかだがしっかり、近くで規則正しく鳴る鈴の音、4分の2拍子はひつ次郎の寝息だった。 |
|
母親になり子どもの数が増えるにしたがって、聴覚が研ぎ澄まされてきた。ひとり目よりはふたり目の方が音に敏感になる。そして3人目になると目より先に音で確かめる習慣がついてくる。 最初はお風呂の水をあふれさせないように、とか、姑がたたくドアのノックの音とか、子どもがどの辺にいてどんな遊びをしているか、を確かめるぐらいだった。 それより前は夫の電話の様子で、仕事で出かけるのか、遊びで出かけるのかを探っていた。帰りが遅いときには、ビルの前に止まるタクシーの音を待ちわびていた。 やがて、ひつ次郎が車庫のシャッターから抜け出して表へ出て行った気配や、家の鍵を持ち出そうとしている音、子ども同志の喧嘩の様子や、こっそりとなにかをたくらんでいる音、さわってもらっては困る場所をいたずらしている事などがわかるようになってきた。 何をしていても音だけには神経が研ぎ澄まされてくる。茶碗を洗いながら、掃除機をかけながら気配に耳をそばだて、現在の音が、駆けつけなければならない状況か、放っておいてもいい状況なのかを瞬時に判断する。 今では1階で仕事や家事をしながらも、2階の子ども部屋でふた男がふてくされていすに座り、勉強などまるでしないでただ遊戯王カードに見入り、漫画を読み、それに飽きると妹や弟にちょっかいを出していじめることまでが、彼のいすを操る音や、鉛筆や他のものを落とす音でわかる。 話しかける声の様子で、子どもの心を探り対応を考えてきた。 しかし、寝言や寝息までは観察できないし、それで彼らの病気はわかっても心のストレスまではわからない。ましてや音として感じ取れない心の声を聞くことが増えてきている。 いよいよ大変なことになってきたのかもしれない。 |
|
この先は第6感を研ぎ澄まして行くほかに方法はなさそうである。 昔から勘が良く、トランプゲームをやるとその人の持っている最後のカードが不思議とわかった。物を探し当てるのもうまく、母親からは重宝されていた。夫の嘘も簡単に見ぬき、彼が階段を上がる足音のリズムの変化で虎の子のへそくりを探し当てていた。子どもの隠し事も必ずわかる。 しかし、それで安心して図に乗っているととんでもないしっぺ返しに合うこともまた多い。 子どもが大きくなっていき、問題が増えつづけ対応に難しくなってきたときには、母親は野生に戻り6カンすべてを働かせて子どもに対応しなくてはならないのかもしれない。 勉強をサボったり、兄弟喧嘩をしたり、こそこそ隠し事をしているのなんかはかまわない。 ただ、人を殺してみる経験をするべく子どもが準備をしている兆候や、包丁を持ってバスを乗っ取る気配や、そこまではいかなくてもなにかを訴えているSOSだけは感じ取りたいものだと思っている。 これからは人々の心の声が聞こえるようになりたい。 夜もにぎやかな我が家の寝室で、現在の幸せを感じつつ、そう思った。 |