母子家庭の掟 その1.したたかな母を目指せ


できた!できてしまった、また。

円形脱毛のことです。

まだうら若き大学3年の時、心理学実験U、半年でたった0.5単位というおよそばかげた講義で、半年間実験の為に研究室に入り浸り、朝早くから夜は遅くまで1日何人もの被験者と向き合い、帰っても何も食べるものがなく近所でカップラーメンを買ってすすり、担当の教授とはうまく行かず、他の仲間と1日中顔を着き合わせていなければならないストレスから、初めて頭髪が抜けた。

この時の専攻は「記憶」。記憶のメカニズムのなかの、短期記憶が長期記憶に移行する原因を探るやつ。いろいろ言うではないですか。反復とか、何かを聞きながら、とか、連想するとよく覚えられるなんて。受験勉強の時に、誰もが経験しているやつを、論理的、統計的に探り出そうというわけ。寝ないで頑張った割には、なんの発見もなかったのだが。進歩とはそういうものではなかろうか。

他の5人はなんともなかったのに、ひとりだけストレスの身体表現をした私は、見かけ通り繊細でガラスのような神経の持ち主だったのだ。

初めてのときには髪のないつるんとしたところが、気になって気になって仕方がなかった。この円形脱毛と言うやつ、気にすると大きくなる。頭にぽっかりお月様の私に、青春の輝かしさは背を向けた。おまけにこの頃、いもかりんとうを食べていたら前のさし歯までとれてしまい、しかし研究の締め切りが迫っているために歯医者にも行けず、輝かしい青春、輝かしい恋愛、輝かしい未来のすべてを捨ててしまっていた。


人は1度経験したことに対し、免疫ができる。

結婚2回、離婚も2回、妊娠出産に及んでは3回をこなしている私は、もう、円形脱毛なんかに驚きもしない。

美容院に行くたびに、担当のキムタク兄ちゃん(櫻子がこう呼ぶ)に対し「ねえ、(円形脱毛が)できてない?」と聞けるほど精神は強化され、薄い膜のようだったガラスは少しずつ厚みを増してきているのだ。

しかし、ちょっと厚くなったとて、ガラスであることにかわりはない。私が繊細であることになんらかわりもない。厚くなったのは、面の皮のほうだったのかもしれない。

これを利用しない手はないではないか。

早速3人の子どもを呼び寄せ、髪を掻き分け、円形脱毛を見せる。

「お母さん、ついにストレスでこうなっちゃった。ふた男が全く勉強しないし、お稽古ごともサボってばっかりだし、すぐに妹と弟をいじめてるし、おとめ子はご飯食べるのがのろいし、ひつ次郎と喧嘩して泣いてばっかりいるし、部屋は散らかして、物は壊して、なんでもかんでもなくしてしまうし…、かあちゃんはあなた達に使い古されてボロボロになってもうすぐ死んでしまうかも知れない」。

日ごろ「おまえ達がそんなに散らかしたり、物をなくしたり、壊してそのままにしているってことは、お母さんに片付けろ、探せ、直せと言ってるわけ?もっと掃除しろ、もっと働け、働けって人を殺すつもり?」と怒っている彼らに対し、この目の前に付きつけられたかあちゃんの身体的変化は、ちょっとショックだったらしい。

例えば、昔のウルトラマンで、怪獣が何かを吐き出し、それを飲みこんだ人の体に赤い斑点ができ、それが体中に広がってやがてもがき苦しんで死んでしまう、なんてストーリーがありました。彼らにとってこのはげは赤い斑点に思えたのかもしれない。


珍しくふた男は勉強を始め、おとめ子はお片付けをする。ひつ次郎は、赤い斑点ならぬ円形脱毛が珍しいようで、何度も、のみ取りをする猿のように私の髪を探りに来る。修平だけではない。あとの2人も何度も訪れる。ああ、気にしてくれているのね。誰かに愛されている実感を感じるのは、こんなときだ。

母子家庭の母は、円形脱毛でさえ、無駄にしてはならないのだ。

なんだか、うれしくなった。これでこのはげは大きくなることもなく、いつものように自然消滅するに違いない。

次回は是非ダイエットに成功し、「あなた達がこうだから、ああだから、かあちゃんはストレスと疲労でこんなにやせてやつれちゃったじゃあないか」と言ってみたい。

映画「めぐり逢えたら」では母親を喪った子どもが、沈み込んでいる父親に新しい奥さんを見つけて、とラジオに相談することから、トム・ハンクスとメグ・ライアンが運命的な出会いをするではないか。私の希望はそこだ。私にも、東京タワーのてっぺんでミラクルマジックが待っているようなことを願いたい。母親のストレスの身体表現に驚いた彼らのこれからの行動を期待しよう。少なくとも学校カウンセラーや父親に連絡しないことを祈って。全国放送、あ、みのもんたの番組なんかどうだろう?「こんなに大変なお母さんに、新しい人を探して」と。

あの青春が背を向けたときと同じ状況を、今度は幸せに変えるのだ。