弁護士事務所のお仕事
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■■弁護士事務所で働くまで■■ 離婚して子どもを手放しひとりになった私は、仕事を探すことにしました。仕事というものは、本気で探している人のところに向こうからやってくるもの、かもしれません。しかもタイムリーに、時事問題解決の為に。 探し始めて2日後、新聞広告である弁護士事務所が事務員を探していることを知り電話をすると履歴書を持ってきてくださいとのこと。 次の日スーツに着替え写真館で写真を撮り、履歴書を持って出かけました。就職の為の面接は学生の時のアルバイト以来、実に7年ぶりです。再びどこかに就職することがあるなんて、2ヶ月前には考えもしていなかったのに。本当に…人生、先のことはわからないものです。 2月の中頃だったでしょうか、枝が切りそろえられたイチョウ並木の中を、事務所を探して歩きました。そこは繁華街の中心部で、今まで経験のない場所や職種で働く事への期待と不安などで頭の中が交錯していました。 事務所を捜し当て「ふーん、自社ビルか、すごいな」なんて思いながらドアをたたきましたが、誰もいません。ちょうどその日は土曜日で、私が訪れたのは昼下がり、すでに皆帰った後だったのです。「仕方ないな、出直そうかな」と帰りかけたとき、皮ジャンにGパンの男が3段飛びで階段を駆け上がってきました。颯爽と現れた彼は俳優の阿部寛そっくり。 「ああ、履歴書?」彼は言いながら鍵を開け、「さあ、どうぞ」と私を中に入れてくれました。長い足で床をまたぐように歩き、窓から2番目の机に向かった阿部寛は、そのいすに皮ジャンをかけると「僕、ここの弁護士の○○○○です」とさわやかにおっしゃるではありませんか。 それまで弁護士に対して、髪は七三、服は溝鼠色のスーツ(それもシングル、歳がいって腹回りが出てきたらダークブルーのダブル)、眼鏡をかけて大きなかばんを小脇に抱えて猫背で歩くイメージしか持っていなかった私にとって、その阿部寛は「見かけで判断されて困ってきた」私が、やっぱり人を外見で判断していた、ということを知るいいきっかけとなってくれました。 その事務所には3人の弁護士がいました。 事務所の主、つまり私の雇い主である弁護士は、地元の著名人で、数々の事件をこなし、法廷では決して負けないと言われた方でした。お歳を召して、大変温厚になられたということでしたが、それまでは気に入らないと事件のファイルは飛び、罵詈雑言は飛び、ついでに従業員の首も飛んでいたそうです。 阿部寛は、正義鷹派、熱血青年弁護士。そして私と1番年が近かった県内最年少弁護士は、穏やかな風貌の温厚フレンドリィ社会派弁護士でした。私が事務所を去った後、2人とも独立し、現在も地元で頑張っておられるようです。 |
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■■2人の女事務員■■ その事務所には私の他に2人の事務員がいました。2人とも女です。 面接の日、初めて彼女たちを見た時「人を見かけで判断してはいけない」事があらためて私の中にインプットされたのです。幼い頃から「らしさ」や「らしく」ということにいかに縛られていたことかを再認識しました。 そのひとりはまるでシャープなフランス人形のようでしたし、もうひとりは生きている蝋人形のようでした。弁護士事務所の女事務員とは、スーツを着たとんがった眼鏡をかけている女性を想像していたのと大違い。 シャープなフランス人形も息をするろう人形も、何よりも自分の人生を考え悩み楽しみたいと思っている、どこを切っても赤い血がほとばしるに違いない、若い女の子だったのです。 この2人は、私より2歳と3歳年下でしたが、その2人によって教えられたことは、私のその後の人生にとって大変意義ある大きなものとなっています。フランス人形はこの道3年のベテラン、ろう人形は2年目でした。 主な仕事は、コピー取りと資料作りと裁判所行きと接客と電話の応対です。仕事は9時半から5時。昼休みが12時から1時。お給料は決して悪くはなかったと記憶しています。しかし、街中に事務所があったために、昼休みはランチの後、毎日ショッピング。食べ物と服やバッグや靴やアクセサリーでお給料はきれいに消えてなくなっていました。主婦で子育てをしていた私にとって、彼女たちが連れて行ってくれるお店すべてが興味深いもので、使ったお金は、先生の世界や、奥様の世界とは全く異なる社会を知るための授業料だったのでしょう。 彼女たちそれぞれが、それぞれの人生を抱え、事務所には訪れる人々の多くの事件があり、弁護士にも弁護士の生活があり、そこを訪れる人々の恨みや憎しみや怒りや諦めや、そして事件が解決したときの多くの涙と感謝がありました。人っていいな、生きるって素敵だなということを心から感じることができたのです。 |
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■事務員のお仕事で得たものとは■ 弁護士事務所事務員の最大の仕事は、裁判所行きです。大きな事務所でしたので、事件もたくさん抱えていて、毎日なにかの用事で裁判所に行かなければなりませんでした。たまに家庭裁判所のこともあり、地方にある出張所のこともあり、高等裁判所のこともあり、もちろん最高裁判所にも必要があれば行くでしょうし、刑事事件のときには検察庁にも行きます。 裁判所での最大のお仕事は、謄写です。裁判の記録は書記官が文章にして、公判後綴じられています。訴状や答弁書は被告や原告(委任状が提出されて弁護士がついてからは弁護士の所に)送られてきますが、口頭弁論の記録は裁判所に出向いてコピーしてこなければなりません。裁判記録はもちろん事務所でも必要だからです。このコピーのことを謄写といっていました。お役所言葉なのでしょうか。たしか当時で1枚10円だったと思います。謄写室があり、コピー機が3〜4台並んでいます。謄写カードのようなものを購入し、それを挿しこんで使うようになっていました。文書はホッチキスで綴じられているものもあり、それを取っていると、よく手を挿して痛い思いをします。 大抵1回の証拠申請や口頭弁論調書は、2〜3枚なのですが、例えば医療過誤裁判のための証拠となるカルテを仮処分申請したものになると、ペラで厚さ7〜8センチの資料をすべてコピーすることになります。それも様々な治療や検査の用紙など、細かいものも無数にくっついていますので、1日がかりでコピーしても1週間以上が必要でした。 コピーしたものは、袋とじにしてファイルにはさみます。例えば大きい地図や、写真集が添付されていた場合にも、すべてを原本通りにファイルするのです。これは次の公判の為に担当弁護士が使いやすくわかりやすいように、ひいてはその事件を依頼してきた原告や被告のために、とことん満足できる裁判をするために。 たかがコピーひとつにも、コツがあり、見やすさがある。 たかがお茶くみひとつにもやり方があり、得るものがある。 人の為に工夫することがその頃単純にうれしかった。働くとは、傍を楽にすること、この言葉をそのころ初めて実感していました。 それにもまして、コピーの中にある様々な人生を垣間見ることができます。お茶の向こうにいるごく普通の人には、様々な葛藤がありました。 人が死に行く記録、夫婦が別れて行く記録、仲のよかった兄弟が親の遺産を巡って対立する記録、何十年も同じ土地に住みながら、犬が噛み付いたことでそれまで培ってきたものすべてが失われる記録、土地の境界線、親子鑑定、ローン返済滞納、破産。 そこで動くのはお金ですが、人の気持ちはお金では決して解決できないことを知りました。果たして人の感情の中に相手を「許す」とか「許さない」というものが存在するのでしょうか?「許す」「許さない」とは、自分のなかでしか解決できない問題ではないのでしょうか? 国を相手取った公害病の裁判…ここに「許す」「許さない」というものなど存在するのでしょうか。 生きるって不条理だ。 |
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■人の素晴らしさ■ 裁判の基本は憲法であり法律です。しかしその根底にあるのは人間としての感情でした。感情があるから人間で、人間だから社会ができ、社会があるから事件が起こる。 裁判官も弁護士も原告も被告も、人間です。法律を作ったのも人間です。 本当の裁きは、創造主(これが神かどうか、どの神なのかはわかりませんが)にしかできないのかもしれない。創造主は自分の中に宿る。だから宗教が生まれたんだな、と思いました。 失敗があっても、後退しても、いつでもやり直しはできる。命ある限り。 弁護士事務所との出会いを今でも感謝しています。 |