離婚とネズミの関係
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この夏、我家にねずみが出た。
ねずみの正体にはまだお目にかかっていない。彼らは私が寝た後で行動する。どんなに遅く寝ても、翌朝には必ず彼らの行動した痕跡が残っていた。ごまの袋がかみ切られ中身が台所中に散乱していたり、食パンの厚みが半分になっていたり、袋の中のナスすべてに少しずつ噛み付いたり、挙げ句の果てには石鹸まで。丹精込めていた観葉植物も。液体スープの袋をやられた時には、中身があちこちに浸透し夏の暑さで匂いを発し、ちょっと掃除に苦労した。本当は相当苦労した。
そして家中に落ちている彼らのふん。ここの所、私には今話題の黒ごまでさえねずみのふんに見える。なしを剥きながらその種にドキットする。憎らしい事にそのふんは日増しに大きくなっていっているような気もする。一体ねずみって何を食べるの?この分では私の働く会社の独身の男の子達より、栄養的にはバランスが取れていそうである。
ねずみとの戦いはもうおよそ3,4ヶ月は続いているだろう。まず、ねずみが近寄らないという匂いの素を買ってきてあちこちにおいてみた。はっかのようなその匂いが家中に蔓延し、暫くは人間様の方がイヤーな気持ちになったものだ。
それは全く効果がなかった。その匂いの素が置かれているとなりに、子どもたちの下着とパジャマをしまう藤製のチェストを置いていたのだが、そのすべての段にふんをする事で、彼らは自分達がそんなものにはびくともしない存在だという事をアピールしてくれた。ふんが付いた下着やパジャマの洗濯は、洗濯機がやってくれたが、干してたたんでしまったのは私だ。私は穏やかな性格だし、ねずみを相手にけんかなどしたくはない。穏便に事を進めようと思っていたのに、これでねずみへの憎悪の気持は頂点に達した。やってくれるね、ねずみくん。
そこで、ゴキブリホイホイならぬねずみホイホイを買ってきて、家中に置いた。板の表面がべたべたしているもの。
しかし、これにはちと困った事があったのだ。もしもこれにねずみが掛かったら、一体どうすればいいのだろう。だってゴキブリとは違って、ねずみなのだ。ねずみが足をべたべたにくっつけてばたばたしているところを想像して欲しい。あなたはそれをどうする?
しかし、あまり考えない事が取り柄の私は、とりあえず置いてみた。
まず、洗濯機のコードが掛かった。あのべたべたは強力で、なかなか取れない。いまだに洗濯をするたびに、私のねずみへの憎悪が呼び戻される。
ねずみは賢いのかもしれない。
例の子どものチェストにも置いてみたが、置いていない段にだけふんがあった。ねずみがかからず、むなしくおいてあるねずみホイホイは、次第にごみ箱行きとなってきた。
ずいぶん涼しくなってきて、そろそろねずみとの戦いもおしまいかな、と消極的解決方法に気持を持っていこうとしていた9月、なんとねずみホイホイにねずみがかかってしまったのだ。ひくひくしているのだ。まだ、生きているのだ。小さいのだ。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
子どもに何とかさせるのには教育上悪いかな、生きているまま生ゴミというのもちょっと、死ぬのを待つというのも後味悪い。ああ、神様私が悪うございました。以後2度とこのような事はいたしません。だから、だから…。
これって、離婚に似ていません?
けんかして、離婚だ、別れるなんてすぐに口に出してしまうなんてよくあることだ。目先の嫌な事に振り回され、結果は出たとこ勝負よ、なんて深く考えずに思い付く限りの事をし、いざ相手が「分かった、そんなに言うのならば別れよう」と出ていったりして始めて事の重大さに慌てふためく。そんな事よくあるじゃあないですか。「出たとこ勝負あとの祭りタイプ」とでも言うのか。私なんかまさしくそのタイプです。
離婚はねずみだ、とは言わないが、人生って案外そんなものだったりするね。
ところで「じゃあ一体どうしたらいいの」と悩んでいた私に、小学校1年生の娘が言ったその言葉がまた私にはびっくり。
「どうせねずみに食べられちゃうんだから、ねずみにえさとして毎日あげたらいいじゃあない。そしたらあとは悪い事しなくなるかも知れないよ」
親ばかかもしれませんが、すごいでしょ。小さい頃からこんな発想をしていれば、離婚はしないな、と感心した。
ねずみとの共存、今後この事を考えていきたいと思っている。今後の問題は「ねずみのトイレ」をどうしつけるかだ。
ち ょうど子どもたちが「シンデレラ」のビデオを見はじめた。シンデレラが、ねずみをねずみ取りから出すところだ。そしてその後シンデレラはそのねずみ達に助けられる。
ねっ、子どもって素晴らしいでしょ。何でも教えてくれる。言葉ではなく。この次に彼らが見るビデオがもう私には分かっている。「ダンボ」だ。