日々のこと(2001年2月)
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2001年2月28日水曜日(曇り) |
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昨日、とっても良い天気でしたので、染井霊園に出かけてみました。たしか梅の名所だったよなあ、と。 一面の梅とその香りを期待して行ったのですが、あるのは、つぼみを膨らませかけた桜ばかり。あ、そうかあ。染井っていうくらいだもんなあ。そりゃ、桜だろうなあ。 いい機会だったので、お墓を見て歩きました。さすがに古いお墓がとても多いです。新しいものもありますが、ご先祖代々伝わってきたものを新しくしたという感じがしました。のびのびとした(変な表現ですが )お墓が多い印象もうけました。お墓というより、記念碑という感じ。歴史の重みがありました。これだけの歴史には打ち勝つことは出来ないなあとつくづくこの身のはかなさを感じたものです。でも、これからの歴史を創っていくのは私なのだし、その子ども達なんだから。 私は何を残せるのかなあ。 火事のあとでは、老夫婦とその子どもが、後片付けに負われていました。「おいおい、これはもう駄目だろうなあ 」「そうですね、もう使えないでしょう 」「そうだなあ、じゃこっちに置いておくか 」「あらあら見てくださいな、これって○○さんからいただいたセーター、こんなになっちゃいましたねえ 」手にはびしょびしょでしずくが落ちているセーターを持っていらっしゃいました。お天気が良かったので、道路一杯に荷物を広げて、使えるものは乾かしていらっしゃいました。 人ってたくましいなあ。でも、誰かそばにいるから、家族で夫婦で協力できるからたくましく出来るんだろうなあ。ひとりだったら、気落ちして病気にでもなってしまうかもしれないなあ。 阪神大震災後、ひとり暮らしのお年よりがずいぶん倒れたり亡くなったりしたというのもなんだかよく分かるような気がしました。 今日は辛いことが多く、気落ちしてなにもする気にもなれず、夕食にはピザでも取ろうかと思ったのですが、Lが1枚3400円のピザをとるぐらいならば、友達がやっているイタ飯の方がずっと美味いし安いと思って出かけました。が、満杯。しかたなく、近所のラーメン屋で、ふた男は焼肉定食とチャーハン、ひつ次郎はやきそば、おとめ子はチャーハン、私はビールと餃子を食べて帰って来ました。これで3800円。ピザよりも満足感は多い。この蔵王の定食は、ごはんが山盛り、納豆と卵もついていて、大人でもちょっと食べ応えのある量です。なのに、そのうえチャーハンまで食べてしまう5年生。男の子の食べ盛りってすごいと話には聞いていましたが、全くすごい。おとめ子もひつ次郎も大人ひとり用をペロリと食べてしまいます。 これだけ食べるからかなあ。最近あまり病気はしなくなりました。が、朝起きてくると「目が痛い、頭が痛い、おなかが痛い、ああだるい、きつい、かったるい 」どこかどうかあるらしい。 「年寄りのようなことを言うなー 」毎朝怒られています。 今日は関東地方、春一番もふきそうな感じだったそうですが、明日はまた雨で寒いらしい。三寒四温っていうのは、この時期に使うことばだったでしょうか。一雨ごとに暖かさを増し、日が長くなり、植物が芽をだしますね。 この季節が私は大好きです。 |
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2001年2月26日月曜日(快晴) |
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今日も焦げ臭い一日を過ごしました。 焼けたのです。家が。 もちろん私の家ではありません。ご近所です。朝、保育園に行こうと玄関を出ると、道路の向こうが真っ暗でした。風向きが反対だったためにうちには余り煙は来なかったのですが、念のために行ってみた風下は、すすとけむりとごみと人ごみで、まともには歩けず、通り抜けただけで気分が悪くなるような情況でした。ひつ次郎はただ私の手をぎゅっと握っていました。 大通りで商売をされている金物屋さんはシャッターを閉めておられました。 2年ほど前にも偶然火事を見ました。 最初は、風呂屋の煙突かな、と思えるような煙が、見る間に黒く大きくなっていくのです。皆が気がつき不振がり騒ぎ出し、やがて消防車と救急車の音が聞こえるまではずいぶん永く感じますが、本当はどのくらいな時間なんでしょう。音がだんだん大きくなり、近づき、増え、ようやく消防車が到着してからも、本当に消火活動を始めるまでにはやや時間がかかることもその時に知りました。野次馬がずいぶんと邪魔になることも知りました。消し始めると意外と早く鎮火することも知りました。 その時の火事の場所は、我が家とは大きな道路を隔ててずいぶん離れていたけれど、風向きの関係で、見物から帰って見てみたら洗濯物がたいそうよごれていました。木を焼いたにおいがしばらくは町に染み付いていました。 今朝私が見たけむりは、火が出ていることに周囲が気がついたばかりの頃なのでしょう。ご近所の方が自宅の消火器を出し合い、なんとか消火しようと頑張ってもおられました。が、古い木造住宅だったため、間に合いません。どんどん炎を出して燃え広がっていきました。そばに駆け寄った時には、2階からひとりの男性が慌てふためいてはだしで飛び降りようとしていました。 開け放されたその人の部屋が見えました。本もそのまま、ラジカセもそのまま、明かりもテレビもついています。「この人ってなにも持って出なくていいのかな? でも一体なにを持って出ればいいんだろ。あ、これが私だったら一体何を持ち出せばいいんだろう? 」すっとそんなことを考えていました。鎮火して落ち着いた頃前を通りかかったら、天井が抜け落ちすべてがびしょびしょの様子が見えました。夕方通りかかった時には、窓の柵にどすぐろくなったジャンバーらしきものが3枚かけて干してありました。 消防車は音が聞こえてもなかなかすぐにはやってこないものです。どちらかと言うと報道関係なのでしょう、上空で飛び回るヘリコプターの方が早かったりもします。 今日は、大通りと我が家のまん前の通りとに分けて、何台もの消防車が来ていました。もっと遠くにも止まっていましたから、5〜 6台いえ、もっとかもしれません。場所は火事の通報時にちゃんとわかるようになっているのでしょう、3手にも4手にも分かれて消火活動がはじまります。出版社の車庫からもホースが入れられようとしていました。もしも水でぬれたらそこに積まれている本はすべて使い物にならなくなってしまうのですが、そんなことも言ってられないのでしょう。 消防車を止めた場所から現場近くまでは、スクーターのような手押し車のようなものでホースを運ぶことも今日知りました。そして、ちょうど我が家のまん前が消火栓の場所だったことも知りました。悲しいことですが、そんな緊急事態の時には、我が家のプランターガーデンはとっても邪魔になることも知りました。 消防士さん達の活動はまさに命がけですし、てきぱきとやっておられるのは見ていて頭が下がるほどです。が、到着して荷物を下ろしていろいろしてあれこれをして、ようやく水がびしびしっとホースを通っていき、建物がしぶきで包まれ、煙の色が黒から白へ変わるまではなんとももどかしいものです。その情況の中でも中に人がいないかどうか、延焼をどうやって食い止めるか、ガスは出ていないかなど様々なことが確認され計算され実行されているのでしょう。 夕方真っ黒な骨だけになった現場をひつ次郎と確かめに行ったのですが、すぐ隣の家と、反対側のアパートにすすのひとつもついてないことにただ驚きました。軒続きの4軒は焼けてしまったのですが、30センチも離れていないお隣、5メートルと離れていないマンション、庭続きのようなアパートでは、普通に明かりが付き、夕餉の香りがしていました。炎や煙の性質を知りぬき、最短時間での消火を行ったのでしょう。 現場は空家だったらしく、原因はまだ不明。不審火だということです。そう言えば現場検証が午後もずっと続いてました。 隣のおじさんと「怖いねえ、お互い留守の時でもちゃんと気をつけていて、何かがあったらすぐに知らせようね 」という話にもなりました。「本当に気をつけましょうね 」とも。 小学生はもう学校に出かけた後だったので、この騒ぎをしりません。ひつ次郎には「ね、怖いでしょ? 」とずいぶん言い聞かせておきました。「そうだね、マッチ1本火事の元だねえ、火遊びはダメだねえ 」どうやら実感したようです。 幸いけが人は全くなかったようですが、この寒い2月、しかも焼けた4軒のうちの3軒はご商売をされている方々。ただでさえ「にっぱち 」は商売人にとっては辛いのに、一体どうしておられることでしょう。どんなに火災保険がおりても、取り戻すことの出来ない思い出の品や、大切な品もあったことでしょう。火事って本当に一瞬にしてすべてを失います。 子どもの頭が悪い、言うことを聞かない、仕事がうまくいかない、思うようにはならない。ぶつぶつ不満ばかりで生活していますが、火事にも合わず、事故にも事件にも合わず、こうやって無事になんとか暮らしていられるって、本当はとっても幸せなことなのかもしれないなあ。これこそが何よりのものなんだなあ。今日はつくづくそう感じました。 |
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2001年2月25日日曜日(快晴) |
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昨日とは打って変わった良い天気。ただ風は冷たく寒かったですね。 久しぶりに池袋のデパートに行ってきました。目的は、ひつ次郎の入学用のランドセルと机の購入です。ひとり目だと12月にはすべてそろっていましたし、2人目でも1月には買っていたのですが、3人目ともなると、なんでもかんでも駆け込みになってしまうんですね。 しかし、ランドセル売り場には多くの子ども連れを見かけましたし、これから買われる方もまだまだいらっしゃるのでしょう。 今年のランドセルの流行は、渋めの色、つや消し、手縫いの本皮、そして本を入れる部分はずいぶん広くなっています。これならば、かわいい1年生を過ぎ、憎たらしい3年生も終わり、ふた男のようなぐうたらな5年生になり、時間割なんてまったくせずにすべての教科書やノートを入れっぱなしにする時期がきても、十分対応できるのかもしれません。彼の場合、1学期にもって帰ったランドセルはそのまま開けられることもなく夏休みを過ぎ、また同じ状態で2学期も学校に通っていましたもの。 ついでに、上靴入れとサブのバッグと「ああ、いいなあいいなあ、私もこんなんがよかったなあ 」としつこく食い下がるおとめ子のリュックも購入。こっちはねえ、どうも最近の不況を反映してか、値段が下がっているような気がしました。ふた男の時や、おとめ子の時がもっと高かったような気がします。 机を見て回っていると「俺のはこんなものじゃあなかった 」「これは高すぎる」「私のはこんなに棚がなくって置く場所に困っている」「これは贅沢だ」「僕はお兄ちゃんやお姉ちゃんのように汚くしないし、シールも貼らないし、落書きもしない」「いや、俺の机にいつも乗って散らかすのはお前じゃあないか」「違うよ、お兄ちゃんが」「いや、お前が」で、ケンケンガクガク・・・・ とまた喧嘩が始まり、おまけに館内は一体熱帯地方なのかしらと思わせるような暖房の効き方で、これもまた頭をぼーっとさせいらいらにいっそうの効果を示すらしく「お前そこをどけよ」「嫌よ、あんたがあっちに行きなさいよ」「ああ、誰も私の味方がないわ、いいわよもうどうなってもいいんでしょ、わーーーーん」 「ああ、お母さんおねえちゃんがどこかに行ってしまったよぉ」「お前のせいだろ」「違うよ、お兄ちゃんのせいだよ」「おねえちゃーーーーーん」 そして、母、爆発。暑さに加えて怒りで顔は真っ赤か。 買ったのは、もうどーでもいいから、なんかよさそうなもの・・・ 。それでも11万。ランドセルは5万。相当な出費。せっかく買っても、配達は、それを置くための場所をどうにか確保できる余裕を持たせて、2週間後。頑張って片付けて掃除をせねば。 で、めでたく屋上へ遊びに出たわけです。こちらの目的は先日テレビで紹介された手打ちのうどん屋さん。かけ、もり、たぬき、きつねなどは300円。るん。おとめ子注文のわかめうどんは400円。 ひつ次郎とふた男がゲームに興じている間、おとめ子と2人でロフトを楽しみ、皆でアイスクリームを食べて帰ってまいりました。 おそるべし、2月。この新入学児の出費のほかに、ひつ次郎の学資保険の年払と、家賃の更新と、ふた男の塾の春休み特訓の費用が必要です。 2年おきにちゃんと来る家賃の更新ってやつ、どうにかならないものなんでしょうかねえ。今年こそはねずみの通るあなをなんとか修理してくれるよう、不動産屋さんに言ってみようかな、と思います。今までは修理に来られる時間がもったいなくて、なかなか言い出せなかったんですが。 帰りに池袋の駅で並んで買ってきました。2億円。どうか当たりますように、どうぞ当たりますように。なんとしてでも当たって欲しいなあ。絶対に当たる。当たらなきゃ困るんだよぉぉぉぉぉ。 |
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2001年2月24日土曜日(雨) |
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朝、火事のようなもくもくの煙と焦げ臭いにおいで起こされる。 こんな時、普通の母親だったら「まあ、この家かご近所が家事かしら? 子どもは? 非難は? 貴重品は? 」なーんて考えるのかもしれませんが、私は普通の母親ではない。 「こらーーーーーーーーーっ。またフライパンを焦がしたんでしょ? なんで? ようやく普通に戻して普通に使えるようになっていたのにっ!! 何度言ったら分かるのよ――ッ! 」 そう言いながら階段にある小窓をちょいと開け、実に不機嫌に降りていくんですね。時間はもう9時を回っている。 「あら、ごめんなさいね、ちょっと寝坊しちゃった。まあ、ひとりで目玉焼きを作って食べてたの? 偉いわねえ。えっ? 焦げた? いいのよ、いいのよ、その作ろうという姿勢がいいのよ。何度でも作っていれば絶対に上達するから 」 もしかしたらこう言わなければならないのでしょうか。でもなあ、言えません、そんなこと。もうこれで3度目ですし。 昼過ぎてもパジャマで過ごし、なにもせずにぐうたらぐうたらし、妹や弟をいじめてばかりいるふた男に対し 「あんたねえ、絶対に離婚されるよ。休日にパジャマでごろごろして、目玉焼きひとつ作れなくて、何もせずに文句ばっかり言って人に当たってばっかりいて、離婚の条件をすべて備えているよねえ 」 賢い母親はそう説教するのです。 敵はさるもの「いいもん、俺結婚なんてしないもん 」と言い放つ。間違っちゃいけない。しない、のと、できない、のでは大きな違いがあるんだなあ。へへへ、私なんて2回もしちゃったし。 雨のためエネルギーをもてあまして部屋でぎゃンぎゃン騒ぎ、喧嘩して泣かされたおとめ子はトイレに駆け込み 「ぎゃーーーーーーーーっ、もう嫌だこんな家、どうしてひとりっこじゃあなかったんだろう。どうして女がひとりしかいないのよぉぉぉぉぉぉ。誰か私にも味方が欲しいわ。もう嫌だこんなところ。うおーーーーーーーん、うおんうおんうおん・・・・・・ 」と嘆き悲しむ。 そこにふた男とひつ次郎がやってきて 「でろーーーーーっ、そこを出ろーーーーーーーーっ、もうもれるぅぅぅ 」 とドアを蹴破らんばかりにどんどんたたくわ、蹴るわ。 そして、そのようなことは一日中続くのです。 おまけに、一日中部屋で遊んでいるくせに、食うわ、食うわ。 朝からまぜごはんのおにぎりをたくさんと、たこ焼きを山ほど、口直しにキャラメルムースチョコレートかけをボールに一杯。昼には、スパゲッティ、ナポリタンとたらこのり大人5人分。その後もうなにも食べないだろうと思っていたら、ひつ次郎が「僕、マクドナルド食べたいなあ、ポテトが食べたいなあ 」と耳元でずっとささやく。ネットのクーポンを印刷したものを持って3人で出かけてきて、ハッピーセットのおもちゃまでゲットしている。 夜になったら、ふた男が塾の春季特訓のお知らせを持ってきた。 「算数の応用と国語の長文読解を集中して行います 」と書かれている。 5日間なのに、高―――――い。 「算数の計算もまともに出来ないあんたにどうして応用が必要なんだ? ん? 漢字もろくに読めずに本の1冊も最後まで読めないあんたに、どうして長文読解が必要なんだ? 」と言うと、「そんなこと言うんだったら申し込まなきゃいいだろう 」とふてくされる。「うん、そうしよう 」と紙を捨てようとすると、「ええーーーーっ 」。「あんたね、言い方があるでしょう、ほら、肩でももんで 」そう動じないで言い渡す。すなおに肩をもみながら「お願いです、行かせてください 」。全く素直じゃあない。でもなあ、全く勉強しないのに、どうして塾には行きたがるのか。 それをいいことに、やれ買い物だ、用事だ、なんだ、かんだと頼んでいたら「俺は奴隷じゃあない 」とさっさとどこかに行ってしまった。ずるいやつ。 おまけに「ねえ、ねえ、お母さん、私今ね、悩んでいるの 」と近づいてきたおとめ子からは、私の香水のにおいがぷんぷんしてくる。「使ったでしょ? 」「ううん、使ってない 」「神様は見ているよ 」「えっ、なんのことかな? 」「くさいんだよ 」「どうしてかなあ 」「さあ、最後のチャンスだよ、神様はちゃんと見ているからねえ 」「・・・・ (顔に書いてある )・・・・しました、ごめんなさい・・・ 」。 とどめは、先ごろコンビニでとめていた自転車をとられたために、ずっと自転車なしで生活しているふた男は、私のままちゃりを愛用している。彼がそのままちゃりでどこかに出かけようとするのを、「見たい、見たいよぉぉ 」と風呂から出た裸のままで追いかけて行こうとするひつ次郎。 休みの日には雨を降らせないで欲しいなあ。雨の日に子どものエネルギーを発散させるには一体どうしたらいいのかなあ。疲れたなあ。 |
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2001年2月23日金曜日(晴れ) |
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怒りは突然収まる。ただし、相手が子どもの場合のみ。相手が夫だったり姑だったりの場合はこう言うわけにはいかないでしょう。 神妙にしていた子ども達は、私の怒りが収まったと同時にまたいつものごとくのさばりだす。寒さのなかで固まっていたゆきだるまが春の日差しで解けてしまうように、かちかちに冷凍していたマグロをついうっかり水のなかにつけすぎてしまった時のように。 一旦神妙にしていた子どもが再び我に帰った時って、もう使い物にならないんだなあ。悪知恵だけがついた、逃れることだけを学習した、パワーアップしたなんとかレンジャーの悪役怪獣のようなんだなあ。巨大化されて暴れに暴れる。 応戦する正義の味方、ウルトラマンやなんとかレンジャーロボットって、我が家にはやってこないのです。せめてペプシマンでもいいんだけど。 ここ2日、とても暖かい春がやってきましたね。また明日からは雨のようですし寒くなるそうですが、これからは日一日と、一雨ごとに、春がやってくるのでしょう。 我が家のプランターガーデンでは、チューリップをはじめ、たくさんの花々の芽がちゃんと季節を忘れずに顔を出しています。きっと4月頃には、200本余りの、見事な花を見ることが出来ると思います。 ひつ次郎の保育園の送り迎えも残すところあと1ヶ月になりました。4月からは、3人そろって「行って来ます 」と玄関を出て行くのです。なんてうれしいことでしょう。 季節は巡り、子どもは育ち、そして私は老いていく。それが自然の摂理というものなのでしょうか。年はとるものの雑用は減っていくわけではない。子どもが育つ限り、用事は増え続ける。 でも、春の訪れとともに、またまたいろんなことにチャレンジしていきたいものだと思っています。ひつ次郎が学校に慣れ、ひとりでちゃんとお留守番が出来るようになるまでは、しばらくお預けなんですけど。 |
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2001年2月21日水曜日(晴れ) |
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怒りは続く。怒りは体調さえも壊すエネルギーをもつ。どうも昨日から体調が優れない。 しかし不思議なことに、時間が経つにつれ怒りだけが残り、どうしてここまで自分が怒っているのかはわからなくなってしまうのだ。原因のない怒りは続く。ま、気持ちの納めどころがない、ということなんでしょうか。納めてしまうのがもったいないってこともありますね。子ども達はせっかく神妙にしているし、うるさくもないし、専制母はのさばっていればいいのだし。なんでも言うこと聞くし。 こんなことってありません? 怒りは体調にも現れて、なんと食欲が失せ、体重が減り始め、鎖骨なんてものも見えるようになる。すると、そのことがうれしく、この怒りを静めてなるものかと怒りの原因などはどうでもよくなっていてもなお怒り続けるのです。 結婚していた頃、よくありました。そんなことって。とにかく怒っていれば家事をサボれるし、ごはんは食べなくてもよいし、彼は出て行くし、いいこと尽くめだったんですねえ。長い目で考えると、それで彼は家庭が嫌になって出て行ったまま帰ってこなくなったんですから、決して良いことではなかったのですが。 最近はこのような続く怒りってのはありませんでした。子どもに腹はたってもその場限りのものだったし。一体どうしたんでしょう。なんだか、ああ懐かしい感情だわ、なんて現在はこの気分に浸っていますが。子どもにとってはいい迷惑でしょう。 母親なんてやめてやる。勝手にしなさい。 そう言ってほったらかそうと思ったのですが、母親としての仕事がいかに多いものなのかに呆然としています。食事を作り食べさせ食器ほか後片付けをするだけでも一仕事。休みの日にはそれを3食、プラスおやつ。 栄養を考えたり1週間ぶんの生協の注文書を出すとか、きたものを冷蔵庫にしまうとか、ちょっと足りないものを覚えておいて、仕事の合間にちょちょっと買い足すとか。掃除だって、掃除機を持ち出して窓を開けてやる普通の掃除のほかにも、落ちているゴミをちょこちょこ拾うとか、汚れをささっとふき取るとか。学校関係の様々なことも、洗濯も、アイロンがけも、衣替えも、クリーニングに出したりとって来たりとか、靴のサイズが合うように買ってきたりとか、足りないと申告のあった文房具を買ってきたりとか。ゴミだしだって、前の日までに分別して袋に入れて、朝かならず出さなきゃならない。連休などでは、ゴミだしがあるのかないのか確認までしなくてはならない。 それに加えて、彼らの心の状態まで考えながら話を聞いたり、いさめたり、褒めたり、注意したり。励ましたり、叱ったり、なだめたり。 五感だけでなく、第六感まで酷使して、常にアンテナを張り巡らしている。もの音で状態を探り、今なにをやっているのかを察しながら用事をすませる。誰かが近くを通りかかるときには、そのにおいで、風呂に入っても洗ってないだろうとか、そろそろ靴を洗わなきゃなんてことを感じ取り、2階にあがって行ったときの彼らの様子や部屋の様子から、今なにをやっていたかを探りあてる。言動が伴ってないときには、3日前ぐらい、もしくはもっと前からの様子から推理して、現在の心境や不満や困っていることを感じ取る。 母親ってあまり考えもせずに、これだけのことをこなしているんですよね。 これは、ちょっとものすごいものがあるなあ、なんて感じてしまいました。 これをすべてやめるということは、全く不可能なんですねえ。これが生活というものなんでしょうねえ。でも、いつの間にこれだけのことが出来るようになっていくのでしょう。 赤ん坊はすべてを面倒みてもらい、泣けば察してもらい、ぐずればあやしてもらえる。次第に子どもになっていくと、自分ですることは増えていくものの、人の気持ちや情況まで思いやって行動するなんてことは出来ないはず。大人だって、なかなか他人のことまで気が回らない人が多いのだし。 子どもとともに、母親も成長させてもらっているのでしょうか。母子はお互い様? だとしたらいつまでも怒っていてはいけませんねえ。 反省するところは、お互いにたくさんあると思うのです。 |
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2001年2月20日火曜日(晴れ) |
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「弟のところに子どもが生まれたんだ 」 元夫がそう電話をしてきたことに対して腹を立てていましたが、もしかしたら、あの電話はこの日がご自分の誕生日であることを、子ども達に祝福して欲しかったからなのかもしれません。「子どもは? 」「もう遅いから 」「そ・か 」。今思えば気の毒なことをしてしまいました。 何をぉ? 弟の子どもにばかり、誕生祝だ、七五三だ、なんだかんだとお祝いばかりして、自分の子どものことは入学だろうが誕生日だろうがすっかりさっぱり忘れているくせに。そんなこと私に報告するな! と怒っていたのですが、別れて暮らしていたら案外そんなものかもしれません。 怒りは伝染するのです。自分の脳の中で、ですが。怒りのシナプスが脳内を駆け巡る。 ひとつのことに怒っていると、その他次々と起こる出来事に対してもついつい怒ってしまう。全く関係のないことに対しても怒ってしまう。自分を悲劇のヒロインにしたいのでしょうか。 月曜日、ある集まりに子ども3人を連れて行ったのですが、どうしたことか全く言うことも聞かず、その場の雰囲気も感じ取ることが出来ず、大人の世界をぶち壊しそうになった子どもに対して怒りを感じ、ついたばかりでまだ挨拶もそこそこだったのに、3人にコートを投げつけてその場を追い出し、帰りの電車賃だけを渡して置き去りにしてきました。 置き去りたかったのですが、敵もさるもの。必死で付いて来ます。 家路を急ぐサラリーマンで混雑している神保町の駅で 「もう分かったでしょ? 付いて来ないでよ! 」 と子どもに怒鳴っていた鬼母のことがもしもどこそこのご家庭や会社で話題になっていたとしたら、それは私のことです。 しかし、ちゃんとひつ次郎だけは連れて帰りましたし、神保町から我が家までは電車で5駅。置いて帰っても大丈夫な場所でもあります。 夜の会合や仕事やそのほかの集まりには、何があっても、子ども3人を連れて行かなければならないのは、我が家の事情です。子ども達には、勉強が出来る出来ないなんてことよりも先に、大人には大人の世界があり、子どもには子どもの世界がある。おたがいそこを尊重し合い侵さない態度をとっていかなければならないと教えてきました。場所やその雰囲気を感じ取り、そこにふさわしい態度をとらなければならない、でないと私たちの居場所はすぐになくなってしまう。ですからこれは我が家のもっとも大きな掟でもあります。 「もしも、私があなたたちの授業参観に行って、同じような態度をとったとしたら、あなたたちはどう感じる? 」 それだけを言い聞かせ、その後は口もきいていません。 分かっているのか、いないのか、子ども達は神妙にはしています。 子どもが自分たちのことを「お子ども様 」だと思い込み、周りの大人は当然のように自分たちに気を使ってくれるもので、大人よりも自分たちが優先されて当たり前なんだ、なんて考えを、この馬鹿な3人が持っていたとしたら、それは全く許されない考えだと私は思っています。電車でも大人が立ち子どもが当然のようにその前の席に座る、こんな光景をよく目にしますが、うちでは絶対に許しません。大人にため口で話したり、大人が自分たちの面倒を見ることが当たり前のような行為だけはして欲しくない。 「公園でね、ホームレスの人がなんだかイヤなことを言った 」 おとめ子がとっても不満そうに言います。 「こんなに天気の良い日に、公園で気持ちよく寝ているのに、あとからうるさい子どもが来て騒いだら、誰だってイヤな気持ちになるでしょ? 公園はみんなのものなので、子どもだからなによりも優先して遊んで良いということにはならないのでは? 」 そう言い聞かせましたが。彼女には分かっているのでしょうか。彼女の気持ちのどこかに、ホームレスの方を馬鹿にした考え方があることに。特別視していることに。文句を言われたことだけに傷ついていて、自分のしたことに対しては反省もなにもしていないことに。自分がどこかしら相手を傷つけたかもしれないことに。 この世の中、お子ども様第一の考え方があちこちに蔓延し、子ども達まで自分たちをお子ども様だと思い込んでいる。これってとっても危険でとっても間違った考え方だと私は思っているのです。 子どもは確かに今後の社会を担っていく素晴らしい存在です。宝でもあります。でも、だからと言って子どもの育て方だとか、子どものあり方、子どもの権利ばかりが取り上げられ、親の事情とか親としての存在価値、親の居場所や親の自由なんてものが忘れ去られているような気がする。あげく、親がノイローゼになったり、子育ての自信を失ったり、周りと見比べてしまい、早期教育に走ってしまったら、そのためにお金を使い時間を使いすべてを使い果たしたとしたら。 それはなんだかおかしいなあ。そう感じている今日この頃でもあります。 ですから、お友達からのふぐの御誘いも断ってしまいました。そりゃふぐは食べたい。でもね、子どもにまでお一人様10000円のふぐを食べさせるのはね、私は許せないんです。そんなのって100年早い。どうせ味もなにも分からないだろうし。分かったとしてもそれがなにものでもないし。 子どもには、早く大人になって自分でお金を稼ぎ、その金でお母さんに世界で一番美味しいふぐを奢れるようになりなさい。私はそう教えたいのです。 こう言うと、いまどき古いとか、おかしいとか、それはあなたの事情でしょ、なんて言われてしまうのですが。やっぱ、私っておかしいのかなあ。 |
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2001年2月18日日曜日(晴れ) |
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1泊2日で、湘南や鎌倉に行ってまいりました。 今日は大安だったのでしょうか。鎌倉ではあちこちで結婚式をみることが出来ました。 鶴岡八幡宮の参道近くでは、道を隔てて教会と結婚式場があり、あちらではライスシャワーを浴びながら階段をおりて行くウエディング姿が、こちらでは、白無垢に綿帽子で人力車に引かれていく白塗りの顔を同時に見ることができました。今から800年ほど前、実朝が公暁に暗殺された階段では、降りてくる花嫁と登っていく花嫁とがすれ違う場面もありました。脇には、歴史のすべてを見てきたであろう大きなイチョウの木が、21世紀の今もなおそびえ立ち、根は地に枝を空に広げていました。 おとめ子に「どっちがいい? 」と聞いたところ、ドレスの方がよいそうです。何年後に見ることが出来ることやら。こんな家庭環境に暮らしながらも、まだまだ結婚式にほのかな憧れは持っている様子。ほっと安心すると同時に、その後の苦労を考えると、親としては複雑なものがありますねえ。 もうしばらくすると、参道の桜も満開になり、桜のトンネルを通って行く花嫁もあるのかもしれません。 湘南の海岸では2月だというのに、たくさんのサーファーが漂い波を待っていました。江ノ電の窓の外は、手が届くところに生活のかおりがしていました。海が見える高台は高級住宅地になっているようで、とっても素敵な大きな家が立ち並んでいます。すこし離れるとお寺があり墓地があります。 海とともに生活がある、そんな感じがしました。 朝、窓の外には海が広がり、その向こうには雪をかぶった大きなきれいな富士山が見えました。海に突き出した堤防では、たくさんの人々が朝も早くから釣りを楽しんでいました。遠くには船が見えます。夜はずっと浜辺で明かりをともし、なにかを捕っている様子が見られました。 海があり、生活があり、豊かな自然がある。ああ、文化や文学が生まれるはずだなあ、「田子のうらに うちいでてみれば しろたえの 富士の高嶺に ゆきはふりつつ 」と詠むはずだなあ、こんなところにいなくっちゃ(湘南で詠んだものではないでしょうが )、そんな歌はよまないよなあ、つくづく感じたものでした。 行きは新宿から小田急ニューロマンスカーで藤沢まで行き、それから江ノ電で江ノ島までだったのですが、帰りは、鎌倉からJRで新橋まで直通です。藤沢でようやく座れた子ども達は口をあけていびきまでかいてぐっすり眠りこんでいました。 ふた男は、新橋から三田線に乗り換えて、そのまま塾に。ちょっと遅れそうだったので言い訳のためでかいリュックをかついだまま、ちょうど来た電車に階段を駆け下りてそのまま飛び乗っていきました。 「お兄ちゃん大変だね 」「きついだろうね 」 弟や妹も兄を思いやります。 塾では先生に「鎌倉に行くのはたいへんよいことだったね 」と褒められたそうです。が、ひろは「いい国つくろう鎌倉幕府 」なんて言葉は知っているのですが、一体だれがどうしてそこに幕府を作ったのか、そして、一体幕府とはなんなのか、実朝はどうして公暁に殺されたのか、なーんてことは全くしらないようです。大仏だって一体なんのことやら全くわからない様子。そう言えば、奈良の大仏様は右手のひらを皆に向けて広げ、左手はひざの上に上向きに乗せて開いておられますが、鎌倉の大仏様は両手をひざの上で上向きにして置き、親指と人差し指でマルを作っておられます。この手の形にも違いがあるそうなんですねえ。 夏に日光に行った時にも、なーんにも知らなかったなあ。 でも、実際にその場所に立って、実物を見ることによって、日本の歴史や文化を肌で感じ取ることもあるでしょう。いずれ知識を得たときに、ああ、あれかあ、と思い出すこともあるでしょう。ま、それでいいかな、とも思っています。 「次は鎌倉〜 鎌倉〜 終点です 」ひつ次郎の電車遊びにも、また新しい地名と新しい電車名が加わりました。 稲村ジェーンを借りてきて、サザンを聞いて、ぜひ復習もしたいものだと思っております。 あ、そうそう。食べ物は、江ノ島名物のまんじゅう、鎌倉名物の知る人ぞ知る、力餅がとってもおいしゅうございました。たくさん買ったはずだったのに、もうありません。鳩サブレが鎌倉のものだったということも、初めて知りました。でっかいお店がありました。 |