日々のこと(2005年1月)

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2005年1月31日 月曜日(晴れ )

 あ、家賃を払ってなかった、あ、払い込みが結構あった、、、と、郵便局や銀行を回ってみたら。。 銀行はものすごい人で。。 ATMの機械にたどり着くまで、ディズニーランドのアトラクション待ちのように、ぐるぐる回って並ばなくてはなりませんでした。踊る大捜査線ってのはあったけど、回る大順番待ちとは。

 1件目の銀行では、あ、こりゃだめだ、やーーめた、明日の朝にしよう、とすぐに出てきたのですが、明日朝から私が銀行に行くはずもなく。

ま、最近運動不足だし、少し歩くのも良かろうと、そこから1駅の郵便局に歩くことに。郵便局ではうまい具合に並ぶことなく用事を済ますことができました。だったらあっちの銀行では並ばなくてもいいかもしれん、と、それからバスの停留所で2つ分ぐらいを歩き、銀行を探す。確かこのあたりにあったはず。で、探し当てて入ってみると、なんのことはない、最初の銀行よりも列が長い。あーーーあ、ついてないなあ、帰ろうかなあ、と思いつつ、ま、一応ということで列の一番後ろを探したところ、そこで目が合った男性の方が唐澤さん似のいい男。そこが一番後ろですか? はい、そうですよ、目と目で話しをする。うーーん、私はあんなアーモンドの形をした目に弱いのね。するするっと吸い寄せられるように後ろに並んでしまいました。

しばらくはおとなしく並んで、さてさて、唐沢さん、どんな人かなあ、楽しみだなあ、そろそろ観察するかって思っていたのもつかの間、よく見る間もなく、その方は時計を見ると列をあきらめて出て行ってしまいました。チエッ。

他の方ならば、ここで帰りに財布でも落として「ちょっと、ちょっと、財布を落とされましたよ 」って駆け寄ることで、恋の始まりなんてことにでもなるのでしょうが、私の場合、裸のお札を落としたところで「ちょっとーーーー、落としたわよぉぉ 」とおばちゃんが駆け寄ってくる。

なぜいきなり財布かと申しますと、私の知り合いで、財布を落としたことが縁となり、財布だけに縁あって再婚したってカップルが2組もいるからです。じゃここは別の縁を目指して円い皿でも落とそうかと思うけど、皿だと割れてしまって駆け寄るどころの話ではなくなるだろう。こいつ、このかけらを持って何をするかわからん、ということで、警戒され、通報され、やっかいもの扱いされ、追い出されてしまうかもしれない。では、妖艶の艶ではどうか、いや演技の演だ、しかし私に何よりぴったりなのは宴会の宴だろう、など、いらんことには頭が回る。頭は回るけど、どうにもならんところを見るとどうも縁はないらしい。

あと1件、ってところで手持ちのお金がなくなってしまったので、この1件様は申し訳ないけど、翌月のお支払いで、、、ってなことでそそくさと帰宅。ここのところ、仕事が減り、クライアントも減り、収入が少なくなった上に支出が増え、ちょっと危ない。ここ数ヶ月、非常に危ない崖っぷちをふらふらしながら過ごしています。いつ崖っぷちから落ちることやら。。あっぶない、あっぶない。今年が家賃の更新の年だったら、アウトでしたねえ。今年じゃなくてよかったよかった。

帰り際に、両替をしたかったので両替機のありかを尋ねると、ロビーの係りの方が、キャッシュカードは持ってるか、一体いくらをいくらに両替するのか、それは新札でなくてはならんのか、1日に1度までとなっているがそれでいいかと、うるさいぐらいに聞きながらお世話をしてくださる。ついてまわられてお世話をされるなんてこと、最近はとんとない。

銀行を出て坂を上り、超のつく高級住宅街を歩いて帰宅する。角に、新しい、壁がすべて黄色の家がたっていたのは、風水の関係なのだろうか。

道路という道路はほじくりかえされ、ガタガタで、道は狭く、車は多い。水道、ガス、などの工事に加えて、文化財も多いその地区では、ファーブルの記念館が建つらしいし、どこかのお屋敷の修復工事もあっている様子。

帰ってくるとさすがに疲れる。このような疲れがなくなるように、インターネットですべてできる銀行に乗り換えたいが、そこまですると、ますます外出が減り、座敷豚が座敷トドになるような気がしてそれはやらないことにしている。

家では、現在、ひつ次郎が闘病中。

流行り物が大好きな彼は今大流行中の高熱の出る風邪をちゃんともらってきました。38度6分、38度9分、と熱を測ってはため息をついている。

あーあ、今日は跳び箱8段だったのに。

あーあ、明日は面積のテストだったのに。

実は彼はこの前まで「俺学校休みたい、休んでもいい? 」って毎日聞いていた。どっちが本心なのかはわからない。

 

人生というのは、始めて乗る、お化け屋敷の中を通るジェットコースターのようなものだなって思います。ジェットコースターって、ああなってこうなってそうなってここでそうなって、で、こうなる、って大体の予想が付く。で、乗ってしまったら、当然、ああなるところが最初に来て、その後こうなることが来て、そうなることへと続き、ここでそうなることにもなる。しかし、それがお化け屋敷の中を通っている間は、どこでどんなお化けが出るかがちとわからない。実際に体験するとあらあらびっくりってことになる。

見える山に向かって登りそして下る。ただ平らな道を走る場合にも、どこから何が出てくるかはわからない。わからないけど、出てくることはわかっている。そこでまた山になることもわかっている。怖いのだってわかっている。わかっているけど、そこに向かうしかない。

そろそろ梅の花が咲き始めています。毎年この時期になると梅の花が咲く。

明日からまた寒くなるそうですが、実に、春が待たれます。

 

2005年1月30日 日曜日(晴れ )

             巨大胃袋妖怪一家の1日

          

                朝ごはん

              

  これは残りもの。これを卵でくるんだ、オムライスもどきをたべてーーーー

 

                 

              

鳥団子春雨スープ。余っていた白身魚も入れちゃいましたものもたべてーーーー

 

        中学生たちは部活。昼ごはんは弁当もたべてーーーー

 

                

              

      ほうれん草とベーコンとマカロニのグラタンもたべてーーーー

             

              

           アジの塩焼きもたべてーーーーー

          鳥団子春雨スープの残りもたべてーーーー

 

                

              

          チョコチップクッキーもたべてーーー

 

              

ラム酒につけたドライフルーツとナッツたっぷりのパウンドケーキもたべてーー

 

 毎日完食、なんでも!!

 

2005年1月25日 月曜日(晴れ )

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!

 

 

と、叫びたい日もあるさ。

 

2005年1月23日 日曜日(晴れのち雨 )

ミュージカルのサウンド・オブ・ミュージックを観てまいりました。

最近、誰かしらが行けなくて、チケットが1枚無駄になることが続いております。おととしのスマップのコンサートに始まり、宝塚、ハウル、裸の王様、そして今回もしかり。先週の試合が雨で延びたため、おとめ子は朝から弁当持ちで試合です。

ふた男とひつ次郎という、最悪の組み合わせを引き連れて、東京厚生年金会館へ。

行く前からなんやらごちゃごちゃ騒ぐ、駅では階段を駆け下りる競争をする(そんなことをするから、ふた男は前に駅の階段で捻挫をし、救急車のお世話になるようなことになったのです )電車の中で倒しあいをし、けりあい、道路でもつっつきあい、追いかけ、自転車に飛び込みそうになり、信号ではぐれる。

引率者は、到着するまでに疲れ果て。。。

席でも、やれ触った、やれここは俺の領地だ、ああだ、こうだ、そうだ、どうだ、のどがかわいた、腹が減った。。。

 

 

ミュージカルは素晴らしかったです。

前の列はどこかの大使館か何かのご招待だったのでしょうか、外国の方々がずらっと座っておられました。斜め前に、お父さんとお母さん、そして娘さん2人の家族がいました。娘さんたちは、ミュージカル観賞というハレの席にふさわしいように、ベルベットにレースの縁取りが付き、腰をサテンのリボンで結ぶデザインの、小豆色や群青色のワンピースをエレガントに着こなしていました。それぞれ飾りの付いたピンで髪を留め、ネックレスをし、精一杯おすましした様子は小さな貴婦人のようです。お母さんもパンツスタイルでしたが、真珠のネックレスをし、ダイアとルビーの指輪が光っていました。子どもたちは自分たちがおしゃれをしそこにいることがうれしいのでしょうか、ちょっとあごを上に向け、サテンのリボンで結んだお下げを揺らし、スカートをつまみ、胸を張って歩いていました。

そうか、貴婦人になる教育ってこうやってやるんだなあ、と、どこに行くにも同じ服装の我が家を反省。やっぱりおしゃれ着ってのは必要なんですね。制服だけじゃいかん。

私たちは字幕を追っているのですが、前にいるお父さんやお母さんはもちろんセリフがわかるわけで。エッセンスだけを要約した字幕よりもずっと多いセリフに、感動して寄り添い何かをささやきあっておられました。

ふと寄り添いささやきあう姿に、お互いへの信頼や愛情や積み上げてきた生活や子どもへの愛情がびっしりと詰まっているのがわかるのです。

遠く異国の地でしっかりと差さえあって暮らしておられるのでしょう。違う文化、違う歴史、少しそんなものを嗅ぎ取らせていただきました。

帰り道、腹が減ったと騒ぐ2匹を引きつれて目の前のファミレスへ。ファミレスというぐらいだから一般的に家族向けだと思われていますが、それはちと違う。うちのように巨大胃袋妖怪を何匹も飼う家族には全く向かないのです。ふた男はそれをよく知っているので、下の牛丼屋がいいと言うのですが、暖房が効きすぎていたためからからになったのどを潤したかった。

なぜ、巨大胃袋妖怪にファミレスが向かないかと言うと。まず、1品ごとのカロリーが高い。彼らにとっては量が少ない、値段が高い。やつらが腹を満たすまで食べると、ひとり3品以上の注文となってしまいます。居酒屋や定職屋や中華やイタリアンのほうが絶対に条件には合っています。ファミレスを利用するのって、子どもが小さい頃まででしょうね。だからお子様メニューは充実している。

おとめ子にはいまだに子ども用の取り皿とお子様メニューが出てきます。「小学生以下のお子様にサービスでアイスが付きますが、おもちゃがつきますが 」なんて時には必ず「お2つお持ちしましょうか 」となる。

そうそう、我が家の場合、普通のすし屋、焼肉屋は、恐怖ゾーンと申しまして、お化け屋敷と同様近づかないことになっております。

ひつ次郎はハンバーグエビフライのセットドリンク付、ふた男はビーフシチューハンバーグをセットにしてご飯大盛ドリンク付。ふたりとも、ぺろりん、と平らげます。皿まで嘗め回しかねない勢い。

巨大胃袋の隙間に炭酸入りのドリンクを何度もおかわりして、おお、食った、食った。もう腹いっぱいだ、って言っているくせに、帰宅後おとめ子のために作ったお好み焼きが出来上がると、それぞれ皿と箸を持って集まってくる。

おい、おたふくソースを残せよ、そんなに全部使うな。

お兄ちゃん、それ、余ったのは半分ずつだよ、全部ひとりで食うなよ。

早いもの勝ちって動物のおきてをしらんのか、お前。半分もらおうなんて100万年早い、欲しければあれをどうしてこうしてああしろ。

もう、うるさいわねえ。私は今日1回戦ファイナルで負けて落ち込んでいるのよ。そんなにがたがた騒がないでよ。ああ、ミュージカル行きたかった。あーーーあ、ついてない。

おい、そのマヨネーズふたをしろよ、ふた。お前、最後は立てておかないと、今度でないだろうが。

あんたたち、あんだけ食べてどうしてまた食べるのよ。

いやあ、ここまで帰ってきたら腹が減った。

そう、腹が減った。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

あの貴婦人たちの家族は、帰りにきっとレストランに寄って、ミュージカルのことでもお話しながら楽しく食事をし、帰宅してお勉強でもしているのだろうなあ。

貴婦人と妖怪。それでも、同じ人間、、なの、、、、、、だろう、、、か。

 

2005年1月22日 土曜日(晴れ )

寒くないよねーー。そりゃ寒いのは寒いけど、前みたいに5枚も6枚も着込むってことがなくなったよねー。今なんて、ほら、このシャツのしたははだかだもんねー。

シャツをはいでお腹を見せると、おとめ子が、すごいねえ、でもさあ、それって昔よりも脂肪が多くなったってことじゃないの? なんかで知ったけど、脂肪数ミリでシャツ何枚ってのがあるらしいよ。

そうか、そうだったのかあ。

小さい頃九州に住んでいました。なのにここより寒かった。校庭の隅や体育館の裏では昼過ぎまで霜柱が立っていたし、水溜りにはうっすらと氷が張っていたものです。道端の氷をはしっこから踏んでいき、どこでひびが入るか、どこで割れるか、試して遊びました。氷を持ち上げると、泥や草も一緒に固まっていてあまりきれいなものではありませんでした。あの頃はきれいな透き通った氷にあこがれたものです。

きれいな氷を見たのは北海道でした。軒先から垂れ下がるというか、軒先にいきなり鍾乳洞ができたかのような小樽の町並み。つららはきらきらととってもきれいでした。

北海道のき―んと突き刺すような冷たさとはまた違った、しみじみと染み入るように寒い九州の冬。

そんな寒さを最近あまり感じなかったのは、地球温暖化のせいではなくて、厚くまとった脂肪のせいだというのね。

大学生の頃までは冬眠体質で、冬には6キロほど太り、コタツを抱えて亀になり冬眠していました。就職し、結婚し、子どもが生まれ、冬眠できなくなると、ついた脂肪もなかなか落とせなくなり。。。

ま、いいわけですが。。

 

ふとつけたテレビで、ドラマH2の番宣をやっておりました。続きが気になったのでドラマの2話も続けて見て、結果、漫画を全巻一気買いしました。タッチとみゆきは読んだことあって、タッチは全巻持っていますが、H2は読んだことがありませんでした。

ドラマを見て以来、単純アメーバー脳細胞の息子ふた男は、毎日チュッパチャプスをなめ続けています。そんなのって息子だけかと思いきや、友達も同じらしい。中3の男がそろって棒つきの飴をなめる。ああ、気持ち悪い。

ちょっと前まではセカチュウの世界にいたのに。

その後は、、なんか地球が滅びるのがなんだかかんだかの漫画だったなあ。

本当にさあ。男ってのは、どうしようもないねえ。男って、はっきり言って馬鹿だよねえ。

隣で、超現実的なおとめ子がぷっちょの大袋を抱えて言う。

「タッチといい、ヒロといい、この作者の描くまんがの主人公の性格は俺によく似ている 」

とふた男はひとり勘違いをしております。

次男ひつ次郎は、クリスマスにサンタさんにもらったムーラン2の歌をずっと歌い続けています。岩をーーーハッツハッツハッツみなーーらーーーいーーーハッツハッツハッツ。。。

そして相変わらず食う。

最近ついに米が週5キロでは足りなくなってきておりまして。

朝ピザトースト、昼はうどんで乗り切っております。

他、スパム玉子焼き入り海苔巻き、鳥をカンボジア風にやわらかく煮たもの、がめ煮、白菜と豚を重ねて炊いてポン酢をかけたもの。

おやつは、いつものプリンと、ココアババロア、市販の青りんごゼリーの元を溶いてパイナップルと一緒に固めたもの。

他に部活で弁当持参のおとめ子のために、玉子焼き、ウインナー、おにぎり、たくあん、などなど。

ヨーグルト、カルピスにアクエリアス、ヤクルト、そしてみかん。

 

食べて、寝て、歌って、食べて、寝て、、、ま、いいか。

 

2005年1月19日 水曜日(晴れ )

ずっと当然だと思っていた。そんな取り立てて気にも留めないようなこと。自分の置かれている状況だったり、毎日通る道の風景だったり。そんなものを失ってみて後に振り返ってみると、改めてその輝きを知り心を打たれることって多いものです。

子育てだってそう。

子どもたちがふわふわだった頃。一体私は何を大変がっていたというのでしょう。何をあせっていたというのでしょう。あのふわふわは写真の中にしか残ってないけど、写真とともに思い出すたくさんの思い出だけでも、今なお十分に幸せになれる、そんな時期だったのに。

8月に仕事場を移転し、それまで3年間通った道を通ることがなくなってしまっておりました。そこを半年ぶりに通りかかったら。

なんて情緒のある素敵な通りだったのだろう、あの頃、もっとあちこち散策していればよかった、ってちょっぴり残念な気持ちになりました。

引越しをする前の家を見ても、いつもそう思います。

一体私はあの場所で何をしていたのだろう、、と。

その頃はそれで精一杯だったのだけど。その頃はそれなりに、桜の花や紅葉や人やものやちゃんと見ていたのだろうけど。

 

お天気のよさにさそわれて、ふらふらと散歩がてら上野に出かけておりました。谷中を通って上野桜木を通って上野の森に行くと、唐招提寺展があっておるのを知り東京国立博物館へ。ちょうど先日長男が、俺唐招提寺展に行きたいなあ、って言っていたのを思い出し、ちょいと先に行って自慢してやろうと思ったのです。

お年を召してご夫婦お二人で来られている方も多いし、いつものようにお友達同士誘って来られているご婦人も多い。でも、今回気が付いたのは、まだまだお仕事をなさっておられるぐらいのお年の男性が多いのです。唐招提寺は現在金堂の再建中で、建物や仏像の移動や解体とともに、時代や建築その他さまざまな研究がなされていると聞いています。それらの関係での方々が多いのかな、なんていつものように展示物よりも人を見てきてしまいました。

が。

盧舎那仏のお姿はちょっと疲れた私の心を十分にほぐしてくれましたし、鑑真和尚のお姿も、正面から見ても、横から見ても、心に染み入る何かを伝えてくれました。

それに、障子に描かれた絵画の素晴らしさ。

中学の頃、修学旅行でこの唐招提寺を訪れたことがあります。あの頃、金閣寺や清水寺のように派手ではなく、弥勒菩薩のように魂を奪われるようでもなく、阿修羅のように心さわぐわけでもない、どちらかというと地味な寺に?と頭の中が?で満たされたような記憶があります。鑑真和上像も、教科書など知識で知っていることが先にあり、ふーん、としか思わなかったような。

でも、今回、博物館の中で見た像にして、なんとも言葉にならない感動がありました。この像を前に「若葉して御目の雫拭はばや」と詠んだ松尾芭蕉。感動をそんな言葉で表現できるって本当に素晴らしいことだと思います。

若葉して御目の雫拭はばや

たった17文字なのに。

息子にはぜひ2010年以降、かの地に足を運び、あの空間でこれらのものを見て欲しいと思いそう告げました。芭蕉だって、あの寺のあの空間で自然と調和する建物や像や思いを感じてその句を詠んだのでしょうから。

人がいて、思いがあり、ものができる。

ものがあり、人が集い、思いができる。

そんな世の中で私に何ができるのでしょう。

一期一会。山桜は山にあってこそ山桜、なんて、ひとり深く感動していたら、

「でもさあ、俺中学生だから、入場はただだよ。来年からは高校生になるからお金がかかるんだよねーー。2010年のことはまた考えればいいんじゃん?
 」

へ? そうか、そうか、

行きなさい、行きなさい。100万回行きなさい。

えっ、4月からは高校生でお金がいる?

今のうちよ。今のうちに、どこでもぜーーーんぶ行きなさい。

 

それにしても、

京都に行きたし。

 

2005年1月18日 火曜日(晴れ )

小春日和とでも言うのでしょうか。暖かな気持ちの良い一日。午後からはとっても寒かったけど。。

最近の悲劇

1)歯を磨こうと思って歯磨きをつけたら、ねりわさびだった。

2)スカートというスカート、ワンピースというワンピースの、すそがほつれている。

 

長男が朝からずっと、なんか具合が悪い、どっかおかしい、すごくおかしい、ああ、学校には行けない、倒れるかもしれない、休みたい、とぐだぐだぐだぐだとうるさい。

学校を休んではだめ? 

だめ

なんで?

だって、もう弁当を作ったもの。

弁当はちゃんと昼に食うから

ふざけるな。あんたが休むんだったら、この弁当は私が食べる

 なんで休んじゃいかんの? あーーあ、具合が悪いのに、俺はあんたが弁当を作ったからという、ただそれだけの一方的かつ勝手な言い分のために無理をして学校に行かねばならんのか、あーーあ、虐待だ、あーーーあ、きついなあ、あーーあ、死ぬかもしれん

 と、うるさい、うるさい。

 お兄ちゃん、どうしたの? とおとめ子が離れたところから口パクで聞いてくる。

 ありゃね、きっと、宿題やってないか、課題の提出が今日までなのか、今日ややこしい試験があるのかよ。だから行きたくないの。

 そういえばおにいちゃん、昨日、おい、作文用紙はないかって聞いてきた。

 やっぱりねえ。課題よ、課題。

 

 君子危うきに近寄らず。

 皆、離れたところで自分のことを淡々とやっていると、やがてドアが開き、ドアがしまってやつは出て行く。

 出て行った後のことは、知らぬ存ぜぬ。。。。。

 

 しかし。

 母親に、休ませてくれって頼むとは。。。あたしゃ、小学校の頃から、自主的に自己判断で学校なんてサボっていたのに。まだまだかわいいやつだ。私はなあ、学校さぼって裏山で本を読んでいたり、映画に行ったり、山に登ったり、いろいろやっておりました。時々そうやってドロップアウトしなければ日常生活ができない子どもだったのだと思います。それでも学校から連絡が入ったことなんてなかった。親は全く知らなかったらしい。良い時代でした。

 ただなあ。

 さぼっても、山に行ったり海に行ったりして欲しいなあ、私としては。ゲームセンターやパチンコ屋やカラオケにはあまり行って欲しくない。若者が悩む場所としては、やっぱ、自然が似合う。。

 それにしても。

 がけっぷちをふらふらしながら送る人生がお好きなようね、ああ、ふた男、お前もか!! ってな気分です。課題なんてなんとか必死でやればいいのに。

 どうにもこうにも落ち込むことも多かった昨今。なんかなあ、どうかなああ、なんて悩むこともあったのですが。

 先日オフ会でお会いした方2人が、万里の長城は良かった、あの場所に立つと考えが変わる、っておっしゃっていました。その前に会った方は、メキシコのサボテンの中にいると、人生観が変わりますよ、っておっしゃっていました。

 何かを変えたいのだけど、そうそう万里の長城やらメキシコのサボテンの朝もやの中に立つこともできず。私も若者だから悩むには自然が似合うのだろうけど、なかなか、こんなところに住んでいたら自然の中に立つにもお金がかかる。

 アマゾンで本を買い込み3冊ほど一気に読んだら、なんか新しいことも見えてきて、少しだけ楽になったような気がします。

 人と会う、人と話す、本を読む、旅をする。

 そうやって、なんかなんとか気持ちをだましだまし、ぼちぼち生きているような毎日です。

 

2005年1月16日 日曜日(雨 )

冷たい雨の中、このHPのオフ会でたくさんの素敵な女性たちと会ってまいりました。結構遠くから足を運んでくださった方もいらっしゃいました。

いやあ、今回も美人ぞろいで、びっくり。

すぐに打ち解けてとても楽しい時間をすごすことができました。

 

阪神淡路大震災から今年でちょうど10年。復興のひとつの節目だとかで、震災の様子がテレビなどで取り上げられることが多くなりました。

ひつ次郎は今年10歳になります。彼らの学年の子どもたちが生まれた年が震災の年なので、そんな話を学校でいろいろされるそうです。

「阪神淡路大震災の時、俺って赤ちゃんだった? 」

とひつ次郎が聞いてきます。

「あなたは3月生まれだからね、震災の時にはまだ生まれてはいなかった 」

「ふーん。○○君はね、震災の時抱っこされて逃げたって言うんだよ。赤ん坊だったんだって 」

「4月生まれの子だったら、震災の時には9ヶ月になっているからね。もうハイハイしてやがて歩く頃だもんね。大変だっただろうね 」

「俺さあ、もうすぐやっと10歳になるのにさあ、△△や××はすぐに11歳になるんだよーー 」

 

そうかあ、もう10年かあ。

この子を産んだ時、上の子は5歳と3歳でした。そして妊娠中から夫は女性に夢中で家には全く帰ってきませんでした。だから3人、本当にひとりで育てたなあ。

我が家の母子家庭暦もやがて10年。

上京してまる8年になろうとしています。

それにしても。

10年前、10年後の私が、ここにいて、こんな暮らしをしているなんてこと、考えることもできませんでした。あの頃、この先もずっと、あの場所であの状況であの暮らしの延長が続いていくものだと信じていた。何がきっかけだったかなんて忘れたけど、わけもわからず、まず1歩、そして2歩と、手探りで歩いていたら、今ここにいる。この10年、不安も辛いこともいろいろあったけど、でも、一応私や子どもたちはここにこうやって、笑って明るく楽しく暮らしている。

明日のことはわからないけど、でも今日まではなんとか生きてきている。

ひとつひとつのことは、苦しかったりもうだめだと思うこともあるけど、そんな毎日を繰り返すと10年という月日になる。苦しいことや悲しいこと、悩んだことや泣いたことはひとつの点にすぎない。なんのこともない普通の暮らしも点にすぎない。点がたくさん集まると線になる。そうやってできた、生きてきた道のりとしての線では、苦しみや悲しいことの点は埋もれてしまって見つからなくなってしまう。振り返ると、笑いや思い出や喜びで出来上がった家族の線は、最初重なっていたものが、だんだんと離れ始め、やがてそれぞれに進んでいくのだろう。あの赤ん坊は4年生のやんちゃ坊主になり、あの頃5歳と3歳でも私を支えてくれた子どもたちは、15歳と13歳の優しい青年になりつつある。

ほーんとに、人生ってのは、なーーんとかなるものさねえ。

そして、決して悪いようにはならないものだね。

小学校の頃からそういい続けていたら、本当にそうなった。なーんとかなり、絶対に悪いようにはならない。きっとこれからもそうなのに違いない。

10年後、一体私はどこにいて何をしているのだろう。

10年前の私が今の私を知ったらたぶん驚くだろう。でも、10年後の私を今の私が知ったら、もっともっと驚くような、そんな10年を積み重ねていきたい。

復興の10年は線で、今見る神戸のあの町並みは今も今後も伸び続けるだろう線の最先端。その線は点で出来ている。その中には、人々のたくさんの涙や苦労や行き所のない感情の点がある。そんな点の上に幸せは成り立つ。ビルや橋や道路や整然とした町並みを見て復興と思ってしまいがちだけど、本当の復興ってのは、点が作ったんだよね。線ができると点が見えなくなる。でも、点があるから線がある。

復興は決してひとりではできない。

ひとりの力は小さいけれど、人が集まるとそこに何かが生まれる。

離婚に悩む多くの人も同じなのかもしれません。

ひとりじゃなんにもできないけど、数人集まると心が癒されます。文字だと伝わらないことも、顔を見るとわかることも多いです。

パソコンの画面の向こうに仲間がいる。

それってなんかいいですね。

 

2005年1月13日 木曜日(晴れ )

ここんとこずっと調子をくずしておりました。

が、悲しいかな自営業、どうであったって仕事には行かねばならん。

昨日もおとといも、腫れ上がった目に目薬をさし、痛む肩にバンテリンをぬりたくり、葛根湯をドリンクと一緒に流し込んで、這うようにして仕事場に行きました。山のような仕事を片付け人に会い、また山のような仕事を片付け、8時頃、重たいごみを持って寒い吹きさらしの中、背筋をぞくぞくさせながら帰宅しても、玄関の靴はばらばら、玄関にかばんは投げ出され、ちゃぶ台の、食べた茶碗はそのまんま、どこそこに脱いだものもそのまんま、洗濯物もそのまんま、ご飯は炊いてなく、流しには茶碗が山積み。

 で、長男は制服のまま居間でテレビを見ている。

 おまけに、たかが漫画本1冊、、、のことで、2階へ遠征して喧嘩までおっぱじめる。いつまでもやめない。ああ、しつこい。だらしない。思いやりもない。何もない。なんなんだ、あいつら!!

 

 

 

 

 

 ぶちきれました。

 が。

 ぶちきれるにもそんな元気もなく。

 「なんで私だけがこんな思いをして3人も育てなきゃならないのだろう 」

と嘆くと

 「あんたが離婚なんてしたからだろう? 」

 !!!!!

 思わず手にした鏡餅を投げつけてやりました。すると、こともあろうに、

 「何すんだよ。自分の仕事やらがうまくいかないのをどうしてそう八つ当たりするんだよ。自分の問題だろ? 自分の能力のなさじゃないか 」

  !!!

 そこにあったコマを投げつけてやりました。

 

 

 ああ、母はむなしいものです。

 いっそ海の泡と消えたい。

 

 

 

 

 少し元気になった今日、少しは反省中の息子にいろいろ教えることにしました。食事の支度がしてないと文句を言うよりも、食事の支度のやり方を教えましょう。

 帰宅した彼を呼び、たまねぎを切らせ、肉も切らせ、フライパンに油を入れてそれらを炒めさせ、酒、みりん、しょうゆ、こしょうで味つけ、卵でとじる。ご飯の上にかけて、牛丼の出来上がり。

 すじがいいようで、目分量でも割と的確な量を入れておりまして、美味しいものが出来上がっておりました。

 しかし。

 ちょっと油断をすると、台所がぐちゃぐちゃなので。

 最後までやり遂げるよう伝え置いて寝たところ、翌朝は、食器は食器洗い機できれいに洗われ、鍋は磨かれ、ご飯は炊かれておりました。

 

 でもなあ。

 私は久しぶりに布団に入ってほろほろほろほろ泣きましたわ。

 なんで私だけこんな思いをしなくてはならないのでしょう。私がいなくても、子どもってのは絶対にちゃんと生きていけるに違いないのです。彼らには父親だってじいさんだってばあさんだってたくさんいるじゃないか。なのに、子どもを3人も抱えて遠い地でひたすらこんな思いをしているのは、いわば、私だけの都合、私の勝手、私の自己満足なわけで。

 本当に母親といるのが子どもの幸せなのか?

 本当にこれでいいのか。

私がいるからこの子たちはしっかりしないし、私がいるから私が面倒見ることになるんだ。私がいなくなればいいのにな、なんて考えた夜でした。

それまでは、私が病気にでもなったらこの子たちは一体どうなる? なんてことしか考えられませんでしたから、大きな違いです。

 女は子育てのみにて生きるにあらず

でもさ。

最後の子どもが育つ頃には、なーーんにも残んないね、きっと。財布も若さもすっからかん。残るのは脂肪と病気と借金と愚痴だけ。そんなのって絶対にいやだねえ。でもねえ、どうすればいいものやら。。

簡単さね、答えは。

もっと仕事して稼げば、なんの問題もないんだよね。

 

 

 

 

それが難しいから悩むんだーーーーーー。あああああああああああああああああ。

 

で、解決策を探しに占いのサイトを見に行ったら

完璧を期そうと頑張らないで下さい。それよりも、あなたの人生のある部分があるがままの状態でも完璧である理由を見つけて下さい

なるほど。

 

 

そんなのってあるかいな!!!

 

2005年1月9日 日曜日(晴れ )

新宿に用事があったので、ひつ次郎を引き連れて出かけ、小田急の地下で再び買い物三昧を楽しんでまいりました。

デパ地下ってのは、グラム5000円を越すような松坂牛の霜降り塊がどんと置かれているかと思いきや、そのちょっと先にはグラム100円ぐらいの、オーストラリア育ちの牛さんの切り身が500グラム単位で売られていたりするものです。

もちろん我が家が選択するのは、そのオーストラリア牧場育ちの赤いほうで。しかもそんな機会には2パック、3パックのキロ買いでございます。デパ地下では断然キロ買い。だから帰りが重たい重たい。。。3キロ5キロを担いで帰ってくるようなものですから。。

お隣のコーナーには、豚肩ローズ塊がごろごろと。。これも2つ、3つ、とキロで買ってまいりまして。

というのも、今日のお昼に、先日スーパーで購入した、赤身と脂肪の混じり具合がまことに美しかった豚の塊を煮豚にして、ゆで卵も一緒に煮たものを出しましたところ、一緒に食べるレタスの準備をしている間にもうなくなってしまった、、母の分がいつものようになかった、、、ってな悲しい経験があったからです。

         これは弁当用に取り分けておいたもの

            

         で、これは再び作り始めているもの