日々のこと(2002年2月)
|
2002年2月28日木曜日(曇り ) |
|
今日で2月も終りですね。2月は逃げるって言いますが、今年の2月は長かったなあ。 明日からはいよいよ3月です。ようやく春がやってきますね。今年は引っ越して、ちゃんとした暖房器具を買わずに過したので、冬の間の仕事効率が大変悪く、本当に、しみじみと寒かった。布団の上にでっかい毛布を重ねて寝るのを忘れた日は、明け方ひつ次郎がもぐりこんできた時に出来る隙間から冷たい風が入り込んで、起こされた後寝ることも出来ませんでした。ひつ次郎だって寒いのでしょうね。夜中から明け方にかけて、必ず2階から降りてきて私の布団にもぐりこんでおりました。 さて、ガス湯沸し器を叩いてなんとか動くようにしたのもつかの間。インフルエンザで寝ていた間に水道工事があっておりまして、何度も何度も断水をいたしました。その影響だったのでしょうか、今度はトイレの水が流れない、タンクに水がたまらない状態になってしまいました。 これは、本当に困ります。それでも一昨日までは、ちょろちょろと少しずつでもたまっていき、肝心な時には一応流れてはいたのですが、昨日からは全くちろっとも水が出ない。 で、そんな時に限って、子どもはう○ちをしたがる。しかも次から次からトイレに駆け込む。私はひっきりなしに、お風呂場から水をバケツで運び、勢いをつけて流し込む。手動水洗トイレ。 原因は全くわからない。工事の影響だとは思うけど、工事は昨日で終わってしまった様子。 仕方がないので、水道局に電話をしてみました。ま、言ってみるだけ言っておかねばってな調子だったのです。だから、インフルエンザで寝ていた頃から、トイレの掃除ってのはやってない。「これから来ます 」ってな電話がかかってきたら、掃除でもしよーっと、そう思っていたところに、ピンポーン、ごめんくださーーい、水道局です。 早いったらありゃしない。 「うわーーっ、私、病気で寝込んでいたので、掃除をしてなくて… 」「いやあ、いいですよ、気になるようでしたら、蓋をして置いてください 」 さすがプロ。はっきりと以前のようにではなくても、ちゃんと水が流れ、水がたまるようにしていってくださいました。ああよかった。もしもどこかの会社に電話していたら、お金も取られたことでしょうし。 長男は、くつが壊れたと、今朝から何度もガムテープを持っていっては修理をしている。買ってくれといわないところが、なんだか泣かせる。今のくつの前のくつは、小さくなったもののかかとを踏んづけてずっとはいていたし。その次のくつは、しまってあった期間が長すぎて、とうとう入らなくなってしまっていた。 ところで、今日。用事があってひつ次郎をつれてバスに乗った。バスは結構混んでいた。彼が倒れないように、ちゃんとつかまる場所を確保して荷物をスミに置いて立っていたところ。 結構子どもがたくさん乗ってくる。乗ってくる早々、空いた席を探して混んだバスを走り回る子どもがいた。で、席が空いてないと分かると泣き出す。「座りたいよぉ、きついよぉ、立っているのってやだよぉ 」。連れているのはおばあさんであったり、お母さんであったりだろうが、必ず「がまんしなさい。空いてないんだから 」ってな言い方をなさる。子どもはなお泣き叫ぶ「座りたいよぉ、座りたいよぉ 」。見たところ、5〜 6歳と2〜 3歳だろうか。 この子たちは、いつもいつも「はい、ここに座りなさい 」って言われていたのに違いない。親は立っていても、子どもを座らせる場合って多いものだ。子どもが立っていると、何かの拍子に倒れて危なかったり、人にぶつかったりするので、座らせた方がいいとの考え方もあるだろう。しかし・・・ 。 いつもは、「あらあらかわいそうに。じゃここにすわんなさい 」って席をゆずってくれる人でもいたのだろうか。その子たちは、席が空くまで泣き続けた。そして、座った席はシルバーシートだった。立ったり座ったり、浅く腰掛けたり、じっとせずに目の前にお年よりが立っているのに座って遊んでいる。 また、ある子どもは、入ってくる早々、お母さんのことなどお構いなしに、空いている席に突進して自分だけが座った。座った席はやっぱりシルバーシートだった。他にも空席はあった。母親はそばに立っている。その子は幼稚園の帽子をかぶっていた。 先日乗っていた電車には、70歳ぐらいのおばあちゃんと、小学生の孫が一緒に電車に乗ってきた。孫はさっさと席に座り、おばあちゃんはその前に立っていた。孫はポケットからゲーム機を取り出して顔をあげもせずに、ゲームに夢中になっていた。 おっかしな世の中になっていくぞ。ちょっと心配だぞと、いつも思う。子どもなんて、ちゃんとした料金も払ってない大人の付属品のようなものなのだ。それなのに、仕事で疲れて足は棒のようになっている、しかも、ちゃんとした料金を払っている大人を差し置いて、子どもが席に座るなんざ、絶対におかしいと私は思う。 お年寄りが立っていて、子どもが席に座る。これももしも自分の子だったら許せない光景だと思う。うちでは、空いた席にはさっさと私が座り、子ども達はどこぞにつかまり立っている。空席があれば座ってよろしいと言っているが、大人が立っている間はまず座らせない。 バス停にいると、どこぞのとっても名の通った制服を着たお子さんと一緒になることもある。彼らは乗りなれているので、こっちが並んでいるところの先頭に、さっと入り込むのもまた上手い。 並んでいる両側から兄弟で入ってきて、一番に乗り込み席をとっていた兄弟もいた。 混んでいるバスのシルバーシートに堂々と座っている、越境して名のある学校に通っている小学生もよく見かける。 この前は、80歳ぐらいの方と70歳ぐらいの方がお互いに席を譲り合っておられた。 なんだかなあ。おかしいよなあ。へんだよなあ。どうしてこんなに変なのかなあ。 |
|
2002年2月24日日曜日(晴れ ) |
|
先週、まず長男が高熱を出して倒れ、その彼を病院に連れて行ったついでに、なんだか熱っぽいので薬をもらい、帰ったらもうだめ、全く立ち上がることもできずに寝込んでしまいました。インフルエンザというものです。病院では37度5分だった熱が、帰って測ったら39度。関節は痛いし、寒気はするし。 それでも火曜日は仕事があるので、朝からふらふらする頭と体でなんとか仕事をこなしましたが、夜中に帰るなり倒れこみ、その後は木曜日の夜まで起きることもなく寝ておりました。 子ども達は弁当やサンドイッチを買って食べ、朝からは起きて学校へ行き、どうにか暮していたらしいです。 金曜日にはこれまた仕事があるため、一日起きて過しましたが、熱が下がった分、ふらふらはするものの、火曜日よりはずいぶん楽です。 そして、最小限の家事をしながら、土日もぐだぐだ寝て過しました。 インフルエンザで倒れたのって、実に10年ぶりです。いやあ、辛かった。 結膜炎でもあることだし、長女は今朝から2段ベッドの上から落ちて足を痛めているし。明日もずっと病院に通う一日になりそうです。 なんかのたたりかしらん。 |
|
2002年2月17日日曜日(曇りのち雨 ) |
|
なんだか腹が立ちましたねえ。あのオリンピック。 競技名も選手名も覚えちゃおりませんが、ちゃんと見ていました。反則なんて、素人目にはしてないように見える。先日のフギィアの八百長の件もあって、なんだか胡散臭い。 そう言えば同じようなことが、柔道でもありましたよね。 うーん。なーんかイヤだ。そんなことばっかり起こっていたら、正義は必ず勝つってことを、子ども達に伝えられないじゃないか。 いや、ちょっと振り返って考えてみたら、世の中そんなことだらけなのかもしれません。なんちゅうか、おかしい。 で、子ども達は、そんな世の中の不条理にほとほと疲れ果てたのか、昨日から全員調子が悪い。長男に至っては、今日から39度の熱を出して寝込んでいます。あの大飯ぐらいが、一日2食しか食べずに、しかも「俺、少しでいい 」だなんて。次男は昨夜とんでもない辛い目に合ったらしく「かあちゃん、ぼく、心臓が痛いの。とてもいたいの 」と、夕食も食べずに寝てしまいました。 お天気が良かったので、動物園を散歩して、楽しい時間を過してきたのに。 今日は大掃除の日と決めておりましたが、そんなこんなで、全員ぐったりとして過しておりました。で、先ほど、今日も終わろうかという時になって、ようやく掃除機をかけ終えました。これからトイレ掃除です。 でもね、今日、おとめ子の総合学習の課題で、インターネットでここらのことをいろいろ調べながら、ああ、なんだかとってもステキな場所に引っ越してきたんだなってことを、しみじみと感じました。住まいもここならば、現在の仕事場も隣の駅です。 人の運命なんて、本当に先が分からないもの。 彼らだって、どうにかこうにか、この先を見つけて進んでいくに違いありません。 勘だけに頼って土壇場でいつも行動していますが、そうそう悪い結果になったことはない。この先も、きっと運が見方になって、こうやって暮していればいつか正義は勝つ、ってことを、子ども達にも身を持って知らすことができるのかもしれません。 昨日行った動物園では、ゴリラの誰かちゃんが、ずっと1枚の布切れを大事に大事に頭からかぶったり、肩からたらしたり、ずり落ちたものをまた手で持って体にかけたりしていました。 ぞうさんは、水場に3頭いたのが、そのうちの1頭が私たちのところに挨拶に来てくれまいた。 トラだって、いつも寝ている姿しか見たことがなかったのに、何度も何度もやってきては、いろんな姿を見せてくれました。 きりんさんだって、囲いの中を、ずっと行き来していました。 きっといいことがあるに違いない。 しかし。 動物園では、人間の観察もまた楽しいものです。 あのアベックというもの。いつも、電車の中では見ているのですが、なんで子どもがたくさんいる動物園の中でまで、抱きついて、重なっているのでしょう。不思議だ。犬や猫ってのは、発情期が来るとところかまわず重なり合っているものですが。人間も犬や猫と、所詮は同じなのかな。子どもを3人も産み、離婚を2回も経験しているおばさんに言わせれば、なんだかね、空しいものを感じちゃうのです。 恥とか外聞とか、そんなものを大事にしなさい、ってことは、結局、自分自身を大事にしなさいってことに通じると思うのです。 オリンピックの、わけのわからん結果にしても、政冶の世界の胡散臭い事件にしても、子供達の身近な問題にしても。あんたら、それで自分の尊厳ってものが守れるんですか? そう聞きたいですよね。 東京都では、道徳授業をもっと強化しようということで、今週あたり道徳の授業と、その授業参観が義務付けられているそうです。私は仕事の都合で行けません。 長女のクラスで、家族の無償の愛ってのをテーマにすることでの、家庭への作文の依頼がきていました。子どもには絶対にないしょってそのプリントは、厳重に封がされておりました。 「いつも家族の健康を考えて、食事の栄養には気を配っています 」「子どもが病気になった時には、とっても心配をして、寝ずに看病をします 」「家族のことを考えて、いつも暮しやすいように、家事を考えています 」なんていう、親の子どもに対する無償の愛の事例について、何か書いてくれってことでした。 なーんか違う。どうしても違う、そう思ってしまったのは、私だけでしょうか。 親が子どもの生活の面倒を見るのは、当たり前のことではないのでしょうか。子どもの食事に気を配り、病気をしたら寝ずに看病をし、衣食住が整いその子がすくすく育つように心をくだくのは、そりゃ無償の愛ではなく、義務と責任でしょう。で、それは親がやりたいから、親の自己満足のためにやっているのかもしれないし。 それに、親ってのは、子どもに対し、条件をつける。あなたが○○だったら、私はあなたを認める。頑張っているあなたには△△のご褒美を与える。でも、あなたがもしも××だったら。そりゃちょっと困る、という具合に。 でも、子どもってのは、どんな親であったとしても、無条件で親を認め、無条件で頼り、無条件で愛してくれます。疲れて八つ当たりをする親でも、ついつい条件を突きつけてしまう親にも、ストレスで飲んだくれてぼろぼろになっている親にも。彼らは、私が親だというだけで、ただ与えるだけの愛を惜しみなく注いでくれます。 そんな子どもに学ぶべきなのは、親の方だ。 そう感じ、そのような趣旨の作文を提出しました。 親が食事の支度をしてくれるから、掃除をしてくれるから、病気の時の看病をしてくれるから、だから親ってのがありがたい。それで、あなた達はちゃんと子どもらしく親の期待にそむかないように生きていかなきゃならない。もしもそう教えるのであれば、それは調教であり、管理に過ぎないと思うのです。道徳ってのは、管理や調教であってはならないと思うんですよね。 できれば、子どもは親の後姿だけを見て育って欲しい。できれば、親なんて、反面教師にされるだけでもいい。そして、なお、できることならば、世の中の大人全体が、子ども達が様々なことを考える手本となって欲しい。 動物の世界では、それが当たり前だと思うのだけど。人間の世界ではできないことなのかな。じゃ、社会では、人間は動物にも劣る子育てしかできないってことなのかな。 なーーんだか、この頃、そんなことを考えていました。 |
|
2002年2月12日火曜日(晴れ ) |
|
お湯っていうのは、あたたかい。決して冷たくない。 こんな当たり前のようなこと、案外考えたりしないものですよね。 お湯を沸かすには、ガスが必要です。ガスが来てたって、道具がなければお湯にはなりません。もちろん、元の水だって必要です。すべてがそろって初めてお湯が出る。ま、電気ですべてをまかなうところもあるでしょうけど。 ここに引っ越してきてしばらくは、ガスが出ませんでした。水風呂に入り、カセットコンロで食事を作り、水で食器を洗っていました。それは夏のことでしたから、そうそう苦にはならなくて済みました。 今回はガス湯沸し器が壊れ初めています。ただ、食器を洗うことだけに必要で、しかも、お湯を使って食器を洗うのは、冬の間だけなので、期間限定使用目的限定の品なのですが、これがないととっても辛いのです。 冬のお水はとっても冷たい。おまけに、冷たいお水だと、油汚れは洗剤を使ってもなかなか落ちません。楽しいはずの家事がとっても苦痛になってしまい、そのいやな気持ちは他のことにまで影響します。 洗うことなんて何も考えずに、子ども達は次から次へと食器を使いコップを使い、流しに放りこむ。油ものだって、コップだって一緒にしてしまう。そうすると、なんだか腹が立つ。使うな、何もするなって怒鳴ってしまう。でも、食事はしなければならない。なんとか流しを片付けて、フライパンで油いためなんてしてしまったら、そのフライパンの油が流し中にこびりつき、食器にもくっつき、スポンジにもついてしまい、なかなか落ちない。ご馳走様の食器はまた流しに運ばれ、手は凍えるように冷たくなっている。 イライラしている時間は、他のことをする時間までも奪ってしまい、なんだかあちこちが汚れっぱなし、綿ゴミも出てきて、洗濯物は積まれたまんま。家から明るさまでもが失われてしまうんですよね。 でも、昔はガス湯沸し器のなかった時代だってあったはず。井戸で水を汲み、米のとぎ汁やぬかを使って、もちろん冷たい水で洗ったのでしょう。 お湯って本当にありがたいものだったんだなあ。湯沸し器って、なんてことないようだけど、素晴らしいものだったんだなあ、そう感じます。 便利な器具や道具ってのは、幸せや快適さを求めて研究され開発されてきたのでしょう。でも、それらは使い方や感じ取り方を誤ると、時に人を不幸にするものです。快適さに包まれて、それを当たり前だと受け取ることだけに夢中になると、ひとつ平衡が壊れた時に、すべてを失うことにすらなりかねません。 家族とか、生活とか、幸せっていうのも、そんなものなのかもしれないなって思います。こうあって当たり前、ずっとこうだった、こうあるべきだ、って思い込みや慣れは、いざどこかが少しでも崩れ出した時に、とってももろいものではないでしょうか。 また、昔は水で洗っていたのだから、水を使えばいいんだ、ってな考え方はどうでしょう。過去があって今がある。過去のことを懐かしがっても、元に戻ろうとしても、それだけで良いわけはないのです。 ガス湯沸し器が壊れたところで、大きな鍋にお湯を沸かせば、なんとかなります。が、湯沸し器はあった方が断然いい。 つまんないこと、やっきになっていること、意固地なこと、すべては「私は湯沸し器よ。私がないと大変でしょう、私の大事さを思い知ったか 」って言っているようなことにすぎないんじゃないかなあ。そう思います。でも本当は違うんだ。湯沸し器は湯沸し器としての機能をまっとうして初めて、その価値があるのであって、壊れて不自由さを味あわせて自分の存在をアピールしようとしたって、とてもとても、食器洗い機にはかなわないわけですから。食器洗い機は、お手伝いさんにはかなわないでしょうし。 最初からお手伝いさんしか知らない人は・・・ 。うーん、そりゃ難しいなあ。 なーんかね、この世知辛い世の中。人と人との関わりでも、子どもとの関係でも「ほーーらみてみ? ○○しないと困るでしょう? 」ってのが多いような気がするのです。でもね、じっくり考えてみると、そうじゃないことの方が多い。 「お母さんがお弁当を作らなかったら、あなた困るでしょう? (だからお母さんが弁当を作りたくなるようなあなたでいてね ) 」 「そんなことをすると、何にもしてあげないからね (だからちゃんとしなさい ) 」 「そうしていると、将来困るわよ (だから頑張りなさい ) 」 頭から湯気を噴いている湯沸し器になっていることが多いこと。 蓋をとった時に、その気持ちが伝わり大感激するような弁当を持たせること。飢えた子持ちのトラにわが身を差し出した仏のように、すべてを与えてそれで自分が満足すること。 相手を信じること、信じ抜くこと、信頼すること、絶対に自分の役割をまっとうすること。 どうしても、どうしたって、文句は言っても、愚痴はこぼしても、何を言われても、どんな横槍が入ろうとも、私はそうやって期間限定使用目的限定の湯沸し器の役目をまっとうしたいし、子供達にもそう伝えていきたい。そう思っています。 |
|
2002年2月9日土曜日(晴れ ) |
|
どこそこの軒先の梅が満開です。梅ってのは香りが素晴らしい。どうしたって鼻先を近づけてその香りを楽しみたくなります。 やがて、沈丁花の香りも漂うようになるのでしょう。 春の訪れが待たれます。 今週。長男の中学の入試やらで忙しくしておりました。ようやく行く中学も決まり、この連休中には制服やらなんやらの準備をしなくてはなりません。 制服かあ。中学のときにはセーラー服。高校ではブレザーにネクタイの制服を着ておりました。男子はどっちも詰襟でした。男子がくつろいでいる時の、詰襟のボタンをいくつかはずし、中から白いシャツが見えている格好が好きだったなあ。中は絶対に白じゃなきゃだめだなあ。それも、ワイシャツじゃなくて、綿シャツがすきだったなあ。上着を脱いでシャツにズボンだけの格好で窓辺にいる男の子の、細い腰、広い背中にドキッとしたこともありました。髪の毛はさらさらがスキでした。はらりとかかる髪をちょっと払う手は、すらりとしていて欲しかったなあ。 詰襟ってのは、元々は軍服だったのでしょう。どうしてあのような形になったのかは分からないけど、あれって結構体の難を隠して、格好良く見せるつくりになっていますよね。第一、腹が出ていてもあまり目立たない。やせ細っていても目立たない。ただし、胴長短足はちょっと目立つかなあ。 昔は、ジャンバースカートのひだをつけるために、毎晩寝押しをしたものです。新聞紙をひいて、その上にひだがずれないように気をつけてスカートを置き、それがまたずれないように、そろーり、そろーりと布団を敷く。アイロンをかけてピカピカになるのがイヤで、どんなに眠たくても自分で寝押しをして寝ておりました。 雨が降ると、スカートのひだはすべて取れてなくなって、ごわごわ状態になっていましたねえ。ぬれたままのスカートで授業を受け、イスに座るとなんとも気持ちの悪い思いをしたものです。そんな日は、教室中に、ウールが乾く時の独特のにおいがしました。 中学の時には、男女席が隣同士だったのですが、昼休みなど、男子が校庭でサッカーをし、汗をふきふき教室に帰ってきた時のにおいってのも、独特のものでした。5時間目、けだるい眠たい雰囲気の教室は、その汗の匂いと、カーテンを揺らす風が運んでくる外の匂いが入り混じっていたような気がします。 もうとっくの昔に終わってしまったはずの、あの青臭い時代に、まさか自分の息子が突入していくなんて。 中学校というものには、3種類の思い出ができます。自分が通っていた頃と、教えていた頃、そして自分の子どもが通う学校に、保護者として関わるこれからと。 あーーーーーあ。ついに、ついに、中学生の母かあ。なーーーんだかとってもおばさんになったような気分だ。 自分が小学校の頃の思い出ってのは、あまりはっきりくっきりしたものではありませんが、中学校の思い出からは、色彩やにおいも伴って明確に覚えています。理科室のにおい、音楽室から流れていた音、水のみ場の色、売店の雰囲気。いろんなことを考え、いろんなものとの出会いがあり、やっぱり成長していったんだろうなあ。 で、肝心な長男は、この1年の運動不足および不規則な生活で、すっかり太ってしまいました。で、今はそのでかい体を維持するために、また、食べて、また、太る。先日など、きっと自分の体重を支えられなくなったのでしょう、捻挫なんてして帰ってきましたもの。筋肉だってなくなってしまっているに違いない。小さい頃はかけっこも一番で、運動神経抜群だったのになあ。 中学に入ったら弁当になるので、これまでのように給食を5回お代わりするなんてことはできません。ちょっと遠くになるので、歩く量も増えるでしょう。気合を入れてダイエットもして欲しいとは思うのですが。 でもなあ。私の子だもんなあ。ダイエットできるのかなあ。 ダイエットといえば、こちらは運動神経抜群のひつ次郎は、体操教室で上のクラスに上がりました。おとめ子と同じクラスです。おとめ子はどうも選手クラスに上がれそうにはありません。このままのクラスで彼女の体操人生は終わりそうです。 ひつ次郎には大きさでも体操でも抜かれそうになり、今までの兄の立場に自分が置かれそろそろ勉強をしなくてはならなくなったおとめ子こそ、今、ちょっと辛い災難な日々を過しています。 子どもって成長するもんですねえ。ああ、親のしわが目立つはずだなあ。たるみも出るわけだ。肩も凝って腕も首も回らなくなるはずだ。はーーーーーーーっ。 |
|
2002年2月3日日曜日(冷たい雨) |
|
鼻の穴が2個あるのはなぜか。ここのところ、その理由をひしひしと感じています。 現在、機能しているのが常に片方の鼻の穴だけのため、酸素不足で死にそうな状態。酸素が不足しているためか、どうやら脳みそも、半分しか機能していないような気がします。 昨夜はついに、両方の鼻の穴がふさがって、一体私はこの先どうして呼吸をしたら良いのか、少々迷いました。疲れて眠りかけていたのですけど、がばっと起き上がって風呂に飛び込むと・・・ 。こんな風呂、子ども達はどうやって入ったのだろうと不思議に思うようなぬるいお湯。水に3滴ばかしのお湯を入れましたってな感じです。温度設定を一番熱くして熱湯をじゃんじゃん加えてつかっていたら、次第によくなっていきました。が、夜中に時々呼吸困難で飛び起きています。 花粉というものは、突然飛び始めるようです。確か今年は1月の中ごろだったでしょうか。急に鼻がつまりくしゃみが出始め、それが次第にパワーアップしてきているようです。最近では、ついに目にもやってきたらしく、まぶたがはれ上がり、かゆくてかゆくてたまらない日々を過すことになるのかと思うと、とっても気が重い。 この冷たい雨の中、食料品の買出しに夕方から出かけ、鍋一杯の豚汁を作り、北北西を向いて太巻きをかじり、豆をまいて歳の数の数倍のまめを食べました。 私が夜中に焼いていたするめの匂いがたまらんと、夜に窓を開けっ放しでねた長男は、ちょっと風邪を引きかけたのか、先日は大事をとって学校を休ませたのですが、一日窓のそばに陣取り、庭に来る鳥を眺めて過しておりました。修平の食べ残しの御飯を撒いていたこともあって、実にたくさんの鳥たちがやってきます。 「ねえ、あんたさ、あのすずめの舌を抜いてきてよ 」 「イヤだ、俺 」 「あんたがそうしたらさ、私が行って手当てをして、すずめのお宿に招待されて小さいつづらに大判小判がざっくざくってのをもらってくるからさ 」 「あ、あの大きな鳥って意地悪だねえ。自分の分はちゃんとたくさんあるのに、どうしてもすずめを追い払うんだよ。あ、あの大きな鳥があんたで、小さくなって逃げ回っているのがひつ次郎やおとめ子だ 」 「かあちゃん、うぐいすだねえ。うぐいす色ってのは、本当にうぐいすの色なんだねえ うぐいすは御飯を食べないねえ。木の中にはどんな虫がいるのかなあ 」 「我と来て遊べや親のないすずめ、だったけ? これは誰でしょう? 」 「松尾芭蕉? 」 「アホ!! 」 そんなどうでもよいような話をしながら、ずっと庭を眺めておりました。のどかなもんです。 さて、もう立春。春もすぐそこまできているのでしょう。庭庭には、梅の花が紅白の花を咲かせていますし、花屋では、桃の花が売られるようになってきました。チューリップの芽もちょっとずつ伸び始めております。庭にやってくるうぐいすが、ホーホケキョと鳴くのが楽しみです。 子どもも日に日に成長しています。長男のひげもずいぶんと目立つようになって参りました。 呼吸困難になろうとも、くしゃみが出続けようとも、目がどんなに真っ赤になったとて、やっぱり春の訪れってのはうれしいものです。 しかしなあ。この私には、もう春はやってこないのかしらん? なんだかもう一花ぐらい咲いてもいいような気がするんだけどなあ。 |