手伝いなんかじゃあない、お仕事だ。

 雑誌の特集で、とある著名な、ジェンダーフリーをテーマにお仕事をしておられる方にインタビューした時のこと。

 女性は、例え結婚・妊娠・出産があったとしても、仕事を辞めずに働きつづけるべきだ、とか、離婚で被害をこうむるのは女性のほうだから、もっと考えて結婚しなければならない、などの、ごく当たり前の話しの途中で、

「これからは、男女に関係なく、もっと男の子にも手伝いをさせよう」

といった趣旨の話が出たことがありました。

 その時、持ち前の生意気さからか、つい、

「あら、お手伝いなんですか?うちじゃあ手伝いではなく、仕事だって言い聞かせていますけど」

と言ってしまったことがあります。

 幸いにもその方は大変良い方で「あら、考えてみればそうよねぇ」なんておっしゃって下さいました。

 家のお手伝いと、家の仕事とでは大きな違いがあります。

 学校のなにかの授業で「家のお手伝いをしよう」というものがあって、お手伝い項目を自分で決めて実行し、それを感想などを含めて用紙にまとめるものがありました。

 帰って来たうちの子は、もともと丸い目をくりくりさせて、

「お母さん、○○ちゃんちでは、食べたお茶碗を流しに持って行くのは、お手伝いなんだって」「△△ちゃんちでは、上靴を洗うのがお手伝いなんだって」「それに××君ちでは、ごみを出すのがお手伝いなんだって」

と報告します。

「お茶碗を持って行ったり、自分の上靴を洗ったり、ごみを出すぐらいはお手伝いとは言わないよね」

「じゃあ、なんて言うの?」

「それは、当たり前って言うんだよ」

 どうして子どもにお手伝いという言葉を使うのでしょう。家事はお母さんのお仕事だから、それを手伝うことからでしょうか。昔から不思議に思っていました。確かに家事をするのはお母さんです。でも、それがお母さんだけのものとは限らない。

 うちでは、自分でやれることは原則として自分でやることにしています。上靴を洗ったり、洗濯物をたんすにしまったり、自分の部屋の掃除をしたり、食べたものを運んだり、布団を敷くのは当たり前のことです。他に、風呂掃除はふた男とおとめ子で1日交代、洗濯物は気がついた人が取り込む、お米は電話で頼まれた人が研ぐ、買い物も、ごみ出しも、気がついた人や言われた人がやるようにしています。彼らもそれを手伝いだとは思ってもみないようで、たまに彼らに代わって私がしておくと「お母さん、ありがとう」と必ず言います。自分たちで気がつかずほったらかしにしてあったときには、叱られて当然だと思っているようです。

 結婚した当初、姑に「夫を台所に入れるなんて」とか「ごみ出しをさせるなんて」と相当の剣幕で言われたことがありました。彼が働くんだから、あなたが家のことはすべてやりなさい、という彼女の言い分もわかります。

 でも、私は、自分のことを自分でやれて始めて大人、だとやっぱり思うのです。

 小さいときからやっていれば自然に体が動くようになるもの。おっくうに感じたり、負担に感じたりはしないもの。

 これからはお手伝いではなく、あなたもこの家の一員ならばやって当然のお仕事なのよ、と言おうではありませんか。

 いろんな仕事をやって行けば、それがちょっとは大変なこともわかるものです。なにより、自分の為にやってくれている誰かに対して「ありがとう」と素直に思えるようになって欲しいと思います。

 だって、駅の構内で、がーっぺっ!!と盛大にやっているお父さん達、彼らは掃除をしたことがないから、あんなことが出来ると、そう感じませんか?タバコの吸殻を人の家の玄関先に捨てて行く若者達、彼らも自分でいろんなことをやっていないから平気でやってのけるのでは、と思ってしまうのです。

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