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母親であり続けること その1 「母親であり続けるのは、自分の弱点克服のため 」 |
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デパートの3階で迷子になると、5階で発見されるような子どもではありました。 スーパーで迷子になると「○○ゆりこさまぁ、○○ゆりこさまぁ、お連れ様がお待ちでございます。2階スタッフルームまでお越しください 」とアナウンスをさせて、私を呼び出す子どもではありました。 「迷子になるんだったら、三井グリーンランドが一番 」と、各地でのスタッフの対応を比べ、おとめ子に教えるような子どもでもありました。 以前日記にも書いたように、父親に連れられて後楽園遊園地に行けば「お兄ちゃんがずっと見つからなくて、どこに行ったんだ、もうしらないぞ、ってお父さんが怒っちゃって、もう帰る、って言っている どうしよう 」とおとめ子から電話があるような子どもでもありました。「もう一度呼び出してもらいなさい 」という説得で案内所に行くと「そろそろ腹が減ったんで、とおちゃんたちを呼び出してもらおう 」と親を呼び出すためにちょうど同じ場所にいたふた男と遭遇する、なんてこともありました。 そうです、この迷惑息子、ふた男。 またまた、とんでもないことをしでかしてくれました。 どこにも出かけていない冬休み。お年玉もたくさんもらったことだし、博品館にでも連れて行って、食事でもして、銀座1丁目のわしたショップで沖縄そばでも買い込んで、空っぽに近くなった冷蔵庫を満たすために、肉のはなまさにも寄って帰ろう、荷物持ちはたくさんいるし、という計画を立てていました。 ところが、電車の中で自分だけが座れない(我が家では、小学生は座るな、と言ってある。が、ちょうど空いたのでおとめ子は座らせていた )ことで、ぶーぶーがーがー言い続ける彼を少々叱り飛ばしたところ、ぷいっと怒って他の車両に移ってしまったのです。 行き先は告げてあったし、切符を買ったのは彼だし、降りる駅ぐらい当然わかるものだと思って放って置いたのですが、内幸町で降りて改札口で振り返ったら、当然付いてきていると思い込んでいた彼が、いない。 ホーム中を探しまわり、1台、2台と、気がついて乗り換えて戻ってくるかもしれない電車をやり過ごすうちにだんだん腹が立ってきて、もういいや、置いていこう、お金も持っているし、テレフォンカードだって持っているし、どうしようもなかったら家に帰っているだろう、と腹をくくり、私とおとめ子とひつ次郎は博品館に向かいました。 買い物をしながらおとめ子やひつ次郎は幾度となく「お兄ちゃん、どうしたんだろう 」と聞いてくる。楽しいはずのお買い物なのに。 私だって、やはりどうしても落ち着かない。地下にいたときか、聞こえなかったのか、携帯も1回は鳴ったらしく記録には残っている。困り果てているのかな、泣いているのかな、駅員さんに相談して保護されたかな、家に帰ってもカギを持っていないから入れないな、どうしても考えてしまいます。 が、一方で、これは良い機会だから、私が負けてはならない。電車に乗れば必ず切符を無くす、出かける前には必ずぶーぶー言う。自分の思い通りにならないとぷいと怒ってしまう。弟や妹とすぐに張り合う。はしゃぎすぎて必ずなにか問題を起す。そんなことはしょっちゅうだし、ちょっと分からせるためにも、ここは泣いて後悔して反省して、寒い中玄関の前で立っていればいいんだ、とも思うのです。 博品館の近くでハンバーグとエビフライの昼食をとり、おなかが空いているであろうふた男のために弁当を作ってもらおうかな、と一瞬思ったものの、ちょうど昼下がり、休憩の時間らしくくつろいでおられる店員さんになかなか言い出せず、仕方なくお金を払い外に出る。せっかくの食事も、どこに入ったやら、どんな味がしたやら。 その後はわしたショップを目指し1丁目まで歩くつもりだったのに、途中で私の靴も買うつもりだったのに、もっと気が向けばデパートやGAPにも寄りたかったのに、カギをもっていない彼のために早く帰らなくちゃと心のどこかがあせってしまい、結局肉のはなまさで肉やお菓子や魚や野菜を買い込んで内幸町の駅を目指す。 風が強くなり寒さは増してきて、もしかしたら玄関で泣いているかも、なんて思うと腹は立つし心配だし。 で、家に帰り着くと、彼はいない。 ひょっとしたら、駅で保護されているのかしら、いったいどこにいったのやら、事故なんてことがなければ良いけど、夜になっても帰ってこなかったら捜索願かしら、頭の中はいろいろと忙しい。もしかしたら、ふらふらとどこかの繁華街をさ迷い歩いているのかもしれない。渋谷辺りで悪い道にひきずりこまれているかも。ああ、もう、せっかく出かけたのに。沖縄そばも買えなかったし、私の靴も買ってない。荷物もちが少ないので、食料だって、最小限しか買ってない。ああ、腹の立つ。でも心配。ああ、面倒くさい。 そんな中、外から聞きなれたセキとともに、聞きなれた足音が響き、ひょっこり「ただいまあ 」と帰ってくる。 見ると、手には博品館の袋が。へっ? なんで? 「ごめんなさい 」と口ではいうものの、口調は普通、態度も普通。泣いた様子もない。 自分ひとりで引き返し、博品館まで買い物に行き、思う存分館内すべてを楽しみ、道に迷いながらも一人で帰ってきたとか。 「ごめんなさい 」と言うからには、彼は自分のしたことがよく分かっているはずなのだ。その上で自分の行動に責任をもち、私には決して文句を言わず、自分でなんとかやり過ごした。 なのに、私は「もうあんたなんかと絶対にどこにも行くもんか 」なんて言っている。 |
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そういえば、タバコを買いに行ってくると言って出て行き、8時間ぐらい帰ってこないヤツもいたなあ。昔その人と一緒に暮らしていたような気がするなあ。その人はひろの父親だったような気もするなあ。その父親の父親も、似たようなものだったと元姑から聞いたこともあるなあ。でもその当の元姑も、同じようなものだったような気もするなあ。ずっと振り回されてきて、イヤでイヤでたまらなかったのに、また同じ様な人間が目の前に現れたなんて! でも、これって本当に相手に振り回されていたのだろうか。 育て方なんて人は言うけど、ふた男の場合はちょっと違う気がする。だって、はいはいをしている頃からずっとこの調子だったのだから。持って生まれたものって確かにあるような気がする。遺伝子の力もあるような気がする。でも、どうして彼は私に似ずに、父親に似て生まれてきたのだろうか。 人はその一生の課題というものを持って生まれてきて、そしてその課題を克服するために、神様は何度も何度も形や時期や人を変えて、試練を与えるのだ、ということを昔ある占い師から聞いた事がある。 私の課題とは、このことに関係のあることなのかもしれません。30代も後半になり、ようやく自分に与えられたものが見えてきたような気すらしている。21世紀は死ぬまでそれや自分を見つめ、考え、行動し、反省しなければならないのかもしれないなあ。 課題とは、おそらく「自分の思い込みだけで行動することなく、相手の個性や立場や考え方も尊重しなさい 」ということなのでしょう。偉そうに分かったふりをしていても、私って結構自己中心的。地球は私を中心に回っていると思っている。ここをなんとかせねばならないのでしょう。 「そんなことして、困るのはあなたなんだからね 」 なんて言ってはいるものの、本当に困るのは私の方なのだ。 「あなたのせいで、こうなったじゃあないの 」 なんて言うけど、本当は私が自分でやってきたことなのだ。 人のせいにしていて、自分でまいた種を刈り取りもせず、人に刈り取らせてしかも収穫だけは自分のものにしようとする。 そんなことを続けてきたのかもしれない。 昔、どうしても不信感があり、信じられない心が、夫を他の女性の元へと追いやってしまった。悪いことを考え続け、言い続けると実際そうなってしまう。 今、子どもに対し、あまりよい言葉をかけてはいない。口を開けば不満や愚痴や叱る言葉が出てきてしまう。否定し、拒否し、欠点をこれでもかこれでもか、と言い続けることが続いている。これでは子どももまた夫と同じく悪い方へと追いやってしまう。 他人に対してもまた同じなのかもしれない。今年の占いでも「対人関係に要注意、あなたの思い込みが破滅をよぶ 」なんて意味のことが書かれていたし。 「夫がどうのこうの、よりもね、子どもが悪くなった時の方がもっともっともっと大変で辛いんだから 」とはよく聞かされて来たこと。私は性懲りもなくまた同じ失敗をしようとしていたのかもしれません。しかも、夫からは逃げられるけど、子どもからは逃げられない。課題はもっともっと大きくなっている。 今世紀の課題がちょっと分かったような気がしています。 ただ、方法がわからず悩みは続くのです。 結婚する前は、結婚なんて私にそんなことができるのかしら、と思っていた。でも、離婚する時には、結婚なんて簡単よ、離婚に比べれば、と思ってしまった。 子どもを生み、母親になることは簡単だ。でも、母親を続けることがこんなにも大変だったなんて。 |