本音の話


 最近、最悪の気分の毎日が続いています。

 昨日、仕事から帰ってきてみるとランドセルは置きっぱなし、洗濯物は夕暮れの中ではためいているし、ランドセルの中身は散乱し足の踏み場もない状態。おまけに家捜しをしたようで、引き出しは開けっぱなし、出しっぱなし。テーブルの上にはおやつを食べた皿や牛乳がそのままにしてある。パンのカスは点々と落ち、コップの下には牛乳の白い輪染みがこびりついている。

 「私が帰るまでに片付けとくのよ」と言い置いてひつ次郎の保育園へ自転車を走らせる。帰ってきても大きいものはなくなっているが、ハンカチや家の鍵や食べたカスや鉛筆やプリントはそのまんま。

 夕食を作り、食べさせながら、暑かったこともあってついビールに手が伸びてしまいました。これが間違いの始まりで、最近飲むと酒乱になるのです、私。

 あとは説教説教またまた説教、挙句の果てには「あまりにも情けない」と泣き出す始末。疲れもあって、アルコールがすいすい入っちゃって、しかもよく効いたのでしょう。

 「お父さんのところに送り返す」「もうおまえたちのようなヤツの面倒は見たくない」「出て行け」「私は一体何の為に仕事をしてるんだ」「片付けろ、捨てろ」「もう私じゃあ無理だ、おまえたちの面倒は見きれない」「九州に帰ってお父さんに面倒見てもらいなさい」…。

 育児書を紐解くと、決して言ってはいけません、と必ず書かれているすべてのことをまくし立てていました。

 それでも風呂の支度をし、ひつ次郎と入り、布団を敷いて彼を寝かし、自分はおんおん泣きながらいつのまにか寝てしまったようです。

 今朝はなにをどうしたのか、ぎっくり背中で、息も出来ない痛さ。振り帰って後ろを見ることが出来ない。体はむくんでいるし、情けないし、1日中もんもんとしていました。

 「母親失格」というよりはもう「人間失格」の状態で、このまま子どもの面倒なんて見ちゃいけないんだ、私にはそんな資格はない、と本気で考えました。こうなると不思議なもので過去の様々な「穴があったら入って出てきたくない」出来事が次々と思い出され、道を通って行くすべてのひとは幸せそうでごく普通で当たり前なのに、どうして自分だけ、とまた自己嫌悪。

 しかし子どもたちは汗をいっぱいかき、体操服やらナプキンやらの荷物をたくさんぶら下げて「ただいま」と帰ってきます。何事もなかったようにまたランドセルをその辺に置き、鍵を放りだし、ばたばたと2階へ駆け上がって行きます。

 昔、まだふた男が保育園の頃は、保育士に「お母さん、昨日何かあったの? ずっと『お母さんが怒った』『お母さんが出て行きなさいって言った』って気にして、しょんぼりしてたよ」と言われ慌てたりしたものですが、もう慣れたのでしょう。


 墓穴を掘ってるな〜とは思うものの、ちょっと今回は抜け出せそうにありません。一体WHOの言うところの、身体的にも、精神的にも、社会的にも健康な状態って、どうやったらそうなれるのでしょう。明るくとか、くよくよするなとか、そんなことが全く出来ないときって他の人にはないのでしょうか。

 どうして私だけがこんな思いをしなければならないのだろう。子どもの父親は好きなだけ仕事が出来て、好きなときに好きなところに行けて、好きなことを思いっきり出来るのに、なんで私だけ?子どもだって本来ならもっとゆとりをもってのんびり育つことが出来たのに、全部悪いのはあいつなのに、どうして私たちだけがこんな目にあうの?

 日頃はわかりきったような口をきき、原因はどちらにもあるんだしこうなったのはすべて自分で選んで納得したこと、今が1番幸せなのと普段言っているし実際そう思っていても一皮むけば、ただの愚痴マシーンなんだ。

 塾に持って行くのは買い弁で良いんだよ、と息子は言うのに、無理して作ろうとするのは世間の目を気にしているから。そしてそれが「人は一生懸命弁当作ってやってるのに、なんでアンタは一生懸命勉強しないのよ」という小言に化ける。仕事をするのは自分のためなのに「私はこんなに頑張っているのに」と愚痴ってしまう。「アンタの人生なんだからね、お母さんには関係ない」なんて言っていながら、そのアンタの人生が私の理想と大きくずれてしまったときに母親として苦しみたくない、良い子の母の方が楽だから言っているだけ。「私立だろうが区立だろうが自分で決めなさい」なんてもの分かりのいい親を演じながらも心の何処かで「コツコツ勉強する賢い子ども像」を圧しつけている。

 「こんな母親を持つと子どもは行き詰まる」とか「こんな母親が子どもを萎縮させる」なんて本ならどれだけでも書けそうなぐらい。

 しかし、わかっちゃいるけどやめられない。こんな時一体どうしたら良いの? 誰か本音を教えて欲しい。

 悩みはまだまだ続きそうです。


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