へその緒
3年前、いつの頃からか、おとめ子を保育園に送って行った後、ほっぺにキスをするのが朝の儀式となった。
キスマークは日がたつに連れて、方頬から両頬へ、それから鼻の頭とおでこも合わせて4つになっていった。顔中口紅だらけの真っ赤かで、満足そうににこにこ微笑み、手を振る彼女に支えられて仕事場へ向かう。
彼女はそのキスマークを決して拭こうとしない。
ひな祭りの人間雛で彼女がお姫様の役をすることになったとき、先生が「お母さん、今日のチュウは口紅なしね」とこっそり私にささやいた。
当時2年生だったふた男が学校をサボった。土曜日だったが仕事があったので彼を置いて出かける。
「あのね、あのおれが学校をサボった日にね、地震があったんだよ。おれね、お母さんの服を抱いて机の下にもぐったよ。おれ、学校サボった罰が当たったかと思った」
その日は何もなかったかのように「お帰り、おれ退屈した。腹減った」と私を出迎えた彼が、数日後にふともらした。
その後、本当の風邪で学校を休んだ彼は、朝脱ぎ捨てて行った私の服をしっかり抱いてひとり寝ていた。
現在、年中のひつ次郎を保育園に送り届けた後、ほっぺにキスをすることが新たな習慣になっている。
「じゃあね」と行こうとすると、訴えかけるようにじっと見つめている。「ごめん、わすれものだね」こちらが気付くまで何も言わないのは、周囲に対する彼のプライドで、チュウをするときに顔をそむけ、すぐに顔をごしごしこするのは、周りへの照れ隠しだ。
3月生まれの彼は、4月生まれの子と1年の違いがある。赤ちゃんだった彼も、今では他の子と同じようにその後闘いごっこに興じている。
「お母さん、おとめ子ちゃんに対して愛情不足じゃないでしょうか」
昨年4月、転任で来られた、初めて会った学童の先生にそう言われた。「小さなお子さんがいて大変なのはわかりますが、もうちょっとかまってあげたら」。
言いやすいのか、頭にくるのか、立場上なのか、本当に心配してくれているからなのか、人はいろいろなことを言ってくる。「かわいそうね」「さみしいんじゃあない」と。
「わかっちゃいるけど、これ以上は無理です」飲み込むこの一言。
お金も時間も手間もかけられなくなった。自分でわかっているだけに、指摘は辛い。問題を解決する方法も時間も、代わりの人もいないことは良くわかっている。
しかし、私は信じたい。
毎朝の真っ赤っかのキスマークが、脱ぎ捨てて行った空蝉のごとき母の洋服が、まだ母が恋しい彼らと私とをつないでいる、へその緒であることを。