母子家庭生活のエスプリ


忙しいゆえに、生活自体に流されてしまうのが嫌いだ。状況がどうであれ、やはり日々の暮らしは楽しいものであって欲しい。

しかし、毎日の事となるとちょっと無理だ。時に、気が向いたときにちょっと楽しみのエスプリを効かせる。幸せな気分に浸れるものは、どこにでもある。


浸ること

幸せな自分に浸りきる時間が好き。ちいさな幸せはその辺にたくさんある。

天気のよい1日。洗濯物を干し、布団も干して、掃除を念入りにし、その日の気分で服を選び、その日の気分でどこかに出かける。

例えば、ふりふりピンクハウスを着て、ちょっと大きな本屋さんに出かけることがある。新刊を見て、雑誌をチェックして、文庫の棚を端から端まで見て歩く。子ども連れだとすぐに子どもの本のところに連れて行かれ、やれあれが欲しいのこっちが欲しいとぐずられるので、このように隅々まで見て歩けるのはとても幸せ。

また、奥さま風のスタイルで、ちゃんとイヤリングまでしてデパートに出かける。屋上にも、子ども用品売り場にも行かずに、家庭用品とか食器などの細細とした陳列台を眺めて歩く。いつもは地下鉄で行くところ、JRで地上を見ながら行くこともある。ビルの中では多くの人々が仕事や生活をしているんだろうな、と想像しながら、または各駅の看板、新しく建ったマンションや学校がえりの高校生など、新鮮な文化をちょっと吸収しながら。地下食料品売り場でも、普段あわただしく通りすぎる佃煮やお茶やのり、和菓子やチョコレートのショーケースまでのぞきこむ。眺めて飽きないのがスパイスや外国製品。以前テレビで見た料理に使われていたものはこれだったんだ、とか、本で読んだレシピのハーブはここにある、なんて気がつくのも楽しい。

デパートの婦人服売り場の片隅にある喫茶店では、お茶をしている高級オートクチュールご用達御夫人たちからもれ聞こえてくる話に耳をダンボにして聞き入る。結構あの場所ではいろいろな家庭内ドラマの話を拾い聞くことができ、いろいろあるのは自分だけではないんだと、ちょっと社会勉強になる。

ノートパソコン抱えて公園に行くこともある。この場合、普段着のまま、サンダル履きで。結局パソコンは使うことなく、ただボーッと過ごして帰ってくる。帰り道、肉屋でコロッケを買ったり、花屋で今の時期だとフリージアやマーガレットを買ったりしながら。

今度行ってみたいのは、海と、東京タワーだ。そこではどんな格好が似合うんだろう。そしていつになったら実現することやら。


ついでの発見

仕事であちこち行ったときに、ちょっとその辺を歩いてみる。1本入った通りにちょっと面白い雑貨屋さんがあったり、この前HANAKOで見たお店を発見する。おしゃれな珈琲ハウスを見つけて、次回に寄ろうと思っていたのに、次に探したときには見当たらなくて悔しい思いをすることもある。スーパーで安売りのイチゴやりんごを見つけたときには、少しの時間悩む。これをもって帰れるだろうか、帰りついたときにイチゴはストロベリージュースになり、りんごの重みで明日腕があがらなくなるのではなかろうか、と。しかし花の苗が安かったときには迷わず買ってしまう。ここらでひとつ250円の花の苗が80円であったりすると、どんなに腕がちぎれかけても10鉢ぐらいは持って帰る。

普段はとりたてて買いに出たりしない子ども用の古着のTシャツや、台所用品、ファブリックや、アクセサリーなどを探し当てると、ちょっとうれしい。

郊外の駅前では、産地直送野菜の大安売りをよく見かける。ああ、こんなところに住んだら、毎日新鮮な野菜がこんなに安く買えるのね、と引越しを考えることもある。買っていこうかな、とも思うがこれから仕事に向かうことを考えるとちょっとためらうし、帰りに見てもたいてい終わっていて、やっぱり悔しい思いをする。

しかし、どこに行っても、何を見ても、結局は子どもの好きなものを探し、手に取っている。いい景色を見ると、今度連れてこようと思い、面白いものを見つけると、早く話してやりたいと考えている。こういうのが家庭で、こう思わせるのが家族なのかも知れない。

また、仕事で見ているHPから思いもかけない情報を手に入れることも多い。素敵なものばかり扱っているフリマや、送り手の気持ちまでが伝わってきそうな占い、シナリオ作家のオフィシャルサイトや、探していたコンサートチケットなどを見つけたときには、1日中いい思いが持続している、いや、それだけで1週間は楽しめる。

嫌なときもなにか楽しみを見つけるようにしている。ランチもそのひとつだし、街行く人の格好や会話からなにかネタになりそうなものを探すのもそう。そうやって得たものは100倍うれしいし、なにもなくったって、気はまぎれる。有り余るくらいなんでも満たされていたとき、不満だらけだった。しかし、何もないところで何かを探している今、最高の幸せを感じている。


スーパー

日ごろ買い物に行けないので生協の宅配を利用している。というか、利用暦は専業主婦時代もいれて10年だ。

卵は新鮮だし、ハムやベーコンは添加物なしだし、お米やトイレットペーパーなどの重たくかさばるものも玄関まで持ってきてくれるので大変助かる。

が、種類が限られてくるのがちょっと難点。うちの献立はメニューを決めて買い物に行って…ではなく、あるものでなんとかごまかして立てることになっている。注文するものはほぼ毎週決まっているので、メニューに幅を持たせるのに、そりゃ苦労する。とはいえ、子どもが中心の献立なので、酒の肴や何品も作る必要はない。毎回同じようなものを注文し、とどいた同じ物で暮らしている。

だからこそ、買い物がすきなのかもしれない。生協という日常にちょっと浮気心を加えたスパイスのような買い物。

主婦の時代、子どもを連れて毎日散歩するところといえば、スーパーかデパートか公園。どんなに大きなスーパーが近所にあっても、じき飽きてきて、車で遠くのスーパーまで出かけたりしていた。

現在のお気に入りは青山の紀伊国屋だ。というと、なんて贅沢な、と言われるかもしれないが、たま〜に買い物をするのに、あんなに楽しい場所はない。

毎回決まって買うのが、葱と、色のついたピーマンと、お漬物とパン。それにお惣菜。お菓子はよく失敗する。外国製のものでどうしても口に合わないものがあるからだ。パッケージがかわいくて選んだシリアルもいくつも試食程度で残っている。

私は九州出身のため、葱は青くないといやなたちだ。しかし東京のスーパーで青い葱を置いてあるところはなかなかない。紀伊国屋にはみずみずしく先っぽまでピンととんがっている青い葱がおいてある。赤やオレンジや黄色のピーマンは、普通買うととても高く、なかなか売れないのかしなびていることもある。これまた紀伊国屋のピーマンは赤とオレンジと黄色のぴちぴちしたピーマンが仲良く3個入って280円前後。栄養も緑よりあるらしいし、これなら子どもも喜んでよく食べる。なによりカラフルな料理をしていると、こっちの気分も弾んでくる。

高くなくて新鮮で珍しいものが大抵手に入るのもうれしい。また外国製品も多く、外国の方々の買い物客も多い。見ているだけで日常脱出ができる。人が浮気に走る気持ちは、こんなものかもしれない。

ビニール袋ではなく、紙袋に入れてくれるので、そのまま電車に乗って帰っても全くおかしくないところも気に入っている。

デパートの地下食料品売り場も大好きだ。西武の肉や魚は安くていいものがおいてある。眺めて歩くのも楽しいものだ。

こうやって日々の鬱憤やストレスを、新鮮な野菜や細細した食料の買出しで発散させているのかもしれない。大きな買い物でなくったって、これで十分なのである。大きな買い物をしたくなるとき、浮気が本気に変わってしまうのだろうか。


凝る

私は凝り性だ。肩もこるがいろんな物にはまってしまう。

今はビデオの映画だが、少し前は「美味しんぼ」に夢中だった。その前は赤川次郎だ。いまさら、と思われるかもしれないが、学生時代に読んだのとまた一味も二味も違ったものの発見や感動があった。面白さは言うまでもなく、参考になることこの上ない。近所の古本屋の赤川次郎は、ほぼすべてが我が家に移動してきているはずだ。

その前は、ガーデニング、そしてロングバケーション。一見なんの脈略もつながりもないものにある日スポッとはまり、ある日スルッと飽きる。はまっている間、寝食を忘れている。

このHPを作成するときもちょっとはまりに陥っていた。プロバイダーとの時間契約を少ないままにして、ずっとインターネットに接続していたので、莫大な請求が来ることになっている。

しかし、なんの脈略もなさそうで、実はその時々の生活で必要なことや迷っていることの答え、悩みの解決や進むべき道筋は、すべてそれらから与えられたような気がしている。

求めていれば道は開け、答えは自分で出せる。寝食忘れて凝り固まることは、決して無駄な時間ではない、と私は信じている。

人生のエスプリは、求めれば求めたものがどこにでもある。ものに恵まれ、人に恵まれ、時間にもお金にも恵まれていたとき、私にはそれがわからなかった。幸せは自分の中にあることに気がついたこと、これが今の私にとっての1番の幸せなのかもしれない。


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