2005年1月17日 阪神大震災から10年   晴香堂針灸院  SEIKA

 1995年1月17日。西宮と神戸で育った私は、多くの知人と思い出の場所を失った。
ここ神戸での突き上げるような地震は、地震であるとは認識できないほど、これまで経験したことのない強大なものであった。自宅の損壊は免れ安心するのも束の間、電気・水道・ガス・電話は全てストップ。まもなく自宅周辺にガスの臭いが立ち込め、引火、爆発の不安におののく。隣区である長田区からは火の手が上がり、煙は風に乗りここまでどんどんやってくる。火事?一体ここはどうなってしまったのか?

 生活が一変してしまった。学業・仕事はふっとび、最小限生きるための必要物資を求めないといけない。「○○散髪屋で水が出る」などライフラインのミニ情報の数々。「H墓地で水が出る」と聞きポリタンク片手に出動。お墓だから人も少なく、容易に水を確保できるだろうとの期待はあっさり裏切られ、給水のために果てしなく続く長蛇の列を見ると気が遠くなった。寒く煙たい中、水の確保に丸一日を費やす。水や食料もある程度確保された頃、父の事務所移転を手伝いにストーブを抱えて電車に乗る。地元神戸電鉄は寸断されたため通常なら50分ほどで行ける大阪へ三田経由で倍以上の時間をかけて出た。電車はマスクをしリュックサックを背負った人で超満員。あまりの人の多さに改札は切符運賃のチェックも無く開放状態。大阪に到着すると、何事もなかったように全て通常通り機能しており、人々の言動にもギャップを感じる。我々は取り残されてしまったのか?

 絶望感と虚無感、そして不安が増大すると共に、被災地での人々のストレスもどんどん膨らんでいった。巷では言い争いや喧嘩、トラブルが発生しているのを頻繁に見かけるようになった。物質が奪われただけでなく、人々の平常心も奪われていったのだろうか・・・。
 そんな中、私自身にも心境の変化があった。春から大手特許事務所と大手不動産会社に就職が希望通り内定していたというのに、明治東洋医学院、鍼灸学科へ2次募集の出願をするという行動に出たのだ。卒業証明書など書類不備、震災で郵送事情が悪くなったため書類は締め切り日を過ぎて到着したらしかったが、事前連絡していたため受領された。面接試験の際、当然周りはスーツ姿。しかし私はジーパン・運動靴・リュックという被災地ルックで臨んだ。当時、鍼灸学校は全国で10数校しかなく2次募集というと倍率が高かったようだが、運良く合格し、東洋医学の道へ転向することになった。このことは震災に遭わなければ生じていない出来事、震災が無ければ鍼灸師としての私は無かったということでもある。

 近年は日本中だけでなく、世界各地で天災が起こっている。ある程度は万一に備えるものの、残念ながら天災自体は未然に防ぐことができない。文明は発達し続けたが、阪神大震災を体験することによって、人は天災に対し無力であることを痛切に思い知らされた。たった一瞬の出来事で多くの物質と日常生活が奪われ、6400人を超える命が失われてしまったのである。犠牲者は無念であったろうし、残された我々も無念さをいっそう感じている。知人を含む犠牲者のためにも我々は普段から身体を大切にし、丁寧に生きなければならない。天災は防げないが、病気は防ぐことが可能である。予防医学として最たる東洋医学・・鍼灸。私はこの震災に遭ったことで、人々の健康管理に携わる鍼灸師として生きていく決意をし今日に至ったのだ。

 阪神大震災のように、今後、いつ・何が・どこで起こるか全くわからない。そんな中、震災での多くの犠牲者の分まで我々は一日一日を大切にし、一生懸命に生きることが義務となったのではないだろうか。私自身、より多くの人に「健康で生きていることのありがたさ、素晴らしさ」を再認識させ、健康に対する意識の向上、歴史ある素晴らしい東洋医学、鍼灸を正しく伝えていくと共に、人々の疾病予防や、快適な人生を送る一助になることが、針灸師としての私の使命であることを、震災10年を迎えた2005年1月17日、信念を新たにここに表明しておく。

祈 ●人々の心身の健康・快適な人生 ●世界に誇れる日本鍼灸の更なる普及・発展 
                
     
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