とはいえ、中にはしっかりと「ハロウィン」を感じされてくれる方々もいらっしゃいました。まず一人目は、学部秘書のサニー。黒いマントに、オレンジ色のカーリーへアーのカツラと「ツノ」をつけて、しっかりと「悪魔くん」しておりました。朝、オフィスを覗いて、本当にびっくり。ということで、覚えておいた決まり文句、「You
scared me!」でお応えしておきました。
あともう一人は、何とグレゴリー・ショーペン教授。この日は講義日だったので、さすがに悪魔のコスチュームを身に纏ってはいませんでしたが、ネクタイの柄がふるっていた。なんと、骸骨と死神が、満月の下で踊っているのです。けっこう洒落ているとは思うのですが、いったいどこで見つけるのでしょう、こんなネクタイ。そうそう、いつも私の隣に座っている学生も、「ハロウィンカラーだ」といって、黒と橙色で統一した服装をしてました。ついでに、怪物のお面も持参。講義終了後、先生にプレゼントしたそうですが、さすがのショーペン先生も、それは着用されなかったようです。
(Associate Prof. of Japanese Religion at Princeton Univ.)
題名からも分かるとおり、日本仏教における本覚思想の展開を中心に扱ったものです。基本的な問題意識は、従来の日本の研究者の「中世の天台本覚法門は、その教理ゆえに修行不能に陥った」という評価に対する反論が中心。さらにその視点から、鎌倉新仏教の位置づけを見直そうとしたもののようです。
私としては、最近の「批判仏教」を、鎌倉新仏教の発生形態とを極めて類似したものと捉えていることが、とても興味深かった。一見突飛な印象を受けますが、確かに、「本覚思想を批判した」という点では、同一平面上に位置しているといえます。おもしろい発想だと思います。
資料の使い方や書き方を含めて、とてもよくまとまった読みやすい本という印象でした。なお、この本は、500頁を越える大著だったため、内容を2分し、2週にまたがっての討論となりました。
Table of Contents
Part 1: Prespecrives
and Problems
Chapter 1: What is "Original
Enlightenment Thought"?
Chapter 2: Tendai Hongaku
Thouhght and the New Kamakura Buddhism: Rival Theories
Part 1 は、日本における本覚思想(本覚法門)の成立と展開についての歴史的確認作業といったもの。第1章では、「本覚思想」の形態や定義について、島地大等・田村芳朗・硲慈弘といった大御所の説に基づいて解説しています。如来蔵思想からの発展形態として捕えるのはもちろんですが、「本覚」の用語について、その基盤となるのは密教思想であり、実際に重視されるのは、安然以降であるとしています。
第2章は、中世天台本覚法門と、鎌倉新仏教の発生形態の分類。論旨を進めるために、3つの基本概念を設定しています。@天台を「(仏教運動の)母体」と定義する。新しい仏教改革運動の発生形態を、ARadical
Break(革命的発生)とBDialectical Emergence(弁証法的出現)とに分類しています。どうも、田村理論を中心に据えているようですが、上記の分類に、それぞれ宗派や宗祖を当てるのではなく、日蓮や道元、あるいは親鸞のなかに、それぞれ「革命的」要素と「弁証法的」要素を見ていくという考え方のようです。
Part 2: The
World of Medieval Tendai
Chapter 3: The Culture of Secret
Transmission
Chapter 4: Hermeneutics, Doctrine,
and "Mind-Contemplation"
Chapter 5: Tendai Hongaku
Thought and the New Kamakura Buddhism: A Reappraisal
Secret Transmissionとは、天台口伝法門のこと。祈祷仏教からの密教的展開などから、恵心・檀那の2流について考察しています。そして最後は、浅間神社との併設や千日回峰行の存在を指摘し、黒田理論に則った顕密体制的把握を支持しているようでした。それを受けて、四章では、口伝法門における教理解釈の特徴を論じています。結論では「観心」をかなり重視しているようです。
第五章は、鎌倉新仏教と本覚法門に関する再評価。基本は、「本覚法門は修行を軽視し、それに対する反発として鎌倉新仏教が成立した」という説に対する反論です。天台側の資料として、『修善寺決』・『真如観』・『三十四箇事書』を取り上げ、それぞれの内容に、修行に対する定義が存在することを指摘することにより、旧見を打破しようとしています。かなり細かい読み込みで、資料の使い方もしっかりしていて面白いのですが、なぜ『漢光類聚』を使わなかったのかが不思議。これにも、修行に対する定義があったはずですが・・・・。
ともあれ、「天台教学の中でも、修行の存在はしっかりと定義されていた」というのが筆者の主張。それゆえ、新仏教の教理的背景は、第2章に見た「母体としての天台」の上に語られていくようです。ということは、新仏教独立の縁由は、旧体制化におけるヒエラルヒーの打破、というところに絞られていくことになるのでしょう。
で、その具体的な様相について述べられるのが、Part 3 なのでしょうが・・・、それは次回のアップということで。
Part 3: Nichiren
and His Successors
Chapter 6: Nichiren and the New
Paradigm
Chapter 7: Hokke-Tendai Interactions
and the Emergence of a Nichiren Hongaku Discourse
Conclusion