▼真空熱処理(焼なまし・焼入れ焼き戻し)▼

鉄鋼材料の熱処理用加熱媒体としては、塩浴(ソルト)・常圧または減圧(真空)の雰囲気が用いられている。その中でも真空は、鋼種に関係なく容易に光輝状態が得られるため、金型を始め多くの部品や製品の熱処理に採用されている。特にクロム(Cr)含有量の多いダイス鋼やステンレス鋼などは他の加熱媒体では光輝熱処理を施すのは困難である。
真空とは、通常の大気圧より低い圧力の気体で満たされた空間全てである。ただし、真空の程度を表現するため便宜上圧力の領域によって以下のように区別されている。

低真空
中真空
高真空
超高真空
極高真空
10^2<[Pa]
10^2〜10^(-1)[Pa]
10^(-1)〜10^(-5)[Pa]
10^(-5)〜10^(-10)[Pa]
10^(-10)>[Pa]

実際に真空熱処理に利用されている範囲は高真空の領域までであり、一般の鉄鋼材料の焼なましや焼入れ焼戻しの場合には低真空または中真空程度で十分である。焼入れ温度が1000℃以上のダイス鋼や高速度工具鋼の場合には、高真空領域での加熱はむしろ弊害のほうが多い。このように、鉄鋼材料への真空熱処理の採用は多くの利点をもたらす反面、使い方を誤ると問題を生じてしまう。

●真空熱処理炉の仕様と構造

真空炉における加熱方式には高周波誘導式、外熱式および内熱式がある。
■高周波誘導式
真空容器の外側から高周波コイルで加熱する方式と、内側に高周波コイルを配置して加熱する方式がある。2000℃以上の高温が容易に得られるため、金属の真空溶解や真空焼結に用いられている。
■外熱式
耐熱鋼やセラミック容器の外側からヒーターで加熱する方式で、低温の焼なましや焼戻しには有効である。しかし、高温加熱と急速冷却が必須の焼入れには不向きである。
■内熱式
金属性の真空容器内に発熱体を配置して加熱する方式で、現状における真空熱処理炉の主流である。熱効率が大きいため昇温速度が速く、1300℃くらいまでの高温が容易に得られる。しかも急速冷却も可能なため鉄鋼材料の焼入れなど全ての熱処理が可能である。急速ガス冷却が可能な真空熱処理炉の標準的な仕様を以下に挙げる。ただし、用途に応じた特殊仕様の物として、本仕様よりも高真空の物や高圧冷却が可能な物もある。

用途
焼なまし・焼入れ・焼戻し・固溶化・焼結・ろう付
到達真空度
低・中真空仕様
10^(-1)[Pa]
高真空仕様
10^(-3)[Pa]
加熱系
発熱体
カーボンヒーター
最高使用温度
1300〜1350℃
温度精度
1000℃にて±5℃以内
温度制御系
測温体
R熱電対
制御方式
プログラム温度調節(PID制御)
冷却系
仕様ガス
窒素(N_2)・アルゴン(Ar)
冷却圧力
減圧冷却仕様
90[kPa]
加圧冷却仕様
190[kPa]

内熱式には加熱と冷却を同室で行う1室式・加熱室と冷却室を縦または横に並べた2室式があるが、作業効率や冷却性能の点では後者のほうが有利である。最近は冷却効率を高めた加圧ガス冷却の採用により、1室式の物も高合金鋼の焼入れに良く用いられている。この1室式は他の方式に比べて設置面積が小さいこと・装置価格が安価であることなどの特徴を持っている。また、横型真空炉に限られるが、作業性や生産性を考慮した3室式も用いられている。この場合3室の組み合わせは用途によって異なり、準備室(予備排気室)→加熱室→冷却室(ガス冷却または油冷却)の順に並べた物が一般的であるが、加熱室の両側に冷却方式の異なる冷却室をそれぞれ配置した物もある。

●真空加熱に伴う脱元素

真空加熱に伴う現象として、脱ガス・酸化物の解離・油脂類の分解などが生じる。これらは真空加熱の効果として処理前には有利に作用し、被処理物は加熱前よりもむしろ清浄化される。ところが、金属は真空中の加熱によって気化して蒸発する性質をもっており、このことは真空熱処理した物は脱元素を生じやすいことを示している。
ただし、以下に挙げるように各温度における蒸発開始圧力(蒸気圧)は元素によって異なっている。

金属
800℃
1000℃
1200℃
1400℃
Mn
1.2*10^(-2)[Pa]
1.3*10^0[Pa]
5.3*10^1[Pa]
6.6*10^2[Pa]
Cr
4.0*10^(-6)[Pa]
4.0*10^(-3)[Pa]
4.0*10^(-1)[Pa]
1.0*10^1[Pa]
Fe
1.3*10^(-7)[Pa]
1.3*10^(-4)[Pa]
1.3*10^(-2)[Pa]
1.0*10^0[Pa]
Ni
1.3*10^(-8)[Pa]
2.6*10^(-5)[Pa]
6.6*10^(-3)[Pa]
4.0*10^(-1)[Pa]
Co
1.0*10^(-9)[Pa]
1.3*10^(-6)[Pa]
5.3*10^(-4)[Pa]
2.6*10^(-2)[Pa]
V
4.0*10^(-13)[Pa]
1.3*10^(-9)[Pa]
1.3*10^(-6)[Pa]
4.0*10^(-4)[Pa]

鉄鋼材料に含有する合金元素の中では、比較的蒸気圧の高いMnとCrの蒸発が良く問題になる。SUS420J2を真空焼入れすると、表面に蒸気圧の高い元素が集中している結晶粒界が明確に観察され、しかも溝状にえぐられている。この現象は蒸気圧の高い元素の蒸発によって生じるものであり、加熱温度が高いほど、また加熱時圧力が低いほど顕著である。

●光輝性と表面粗さ

真空熱処理の最大の特徴は、処理品の光輝性が優れていることである。しかし、被処理物の材質や熱処理の種類によって、加熱雰囲気の状況が大きく左右する。例えば、Tiの真空熱処理の場合、雰囲気に窒素ガスを用いると高温で容易に窒化物を形成するため、たとえ高真空であっても光輝性は得られない。この場合にはアルゴンなど不活性ガスを使用しなければならない。ただし、この場合も不純物としての酸素・水・窒素などの反応性ガスの残留を極力減らす必要がある。
鉄鋼材料に関しては、酸素との親和力が強いCrを多量に含有するダイス鋼やステンレス鋼の焼きなましにおける着色・1000℃以上の高温から焼入れするダイス鋼や高速度工具鋼の肌荒れが良く問題になる。

■高Cr鋼の焼きなましにおける着色
真空中では高温加熱によって酸化物の解離(還元傾向)を生じるため、高温から急速に冷却されるような焼入れの場合には着色しにくい。しかし、酸化傾向の強い低温域(500〜700℃)で加熱されたり、冷却過程でこの低温域をゆっくり通過するような焼きなましの場合には、微量の酸化性ガスの混在でも着色しやすいため十分な注意が必要である。
とくにCrを含有する場合はその傾向が強いため、ダイス鋼やステンレス鋼を真空焼きなましする場合には、原則的には低真空よりは高真空のほうが優れた光輝性が得られる。この場合、たとえ高真空であっても、高純度のガスを使用したほうが有利なことは当然であるが、加熱前に十分にガス置換を行い残留空気を低減しなければならない。すなわち、焼なまし時の着色の原因は残留空気によるものであるから、ガス置換が不十分な高真空よりも、むしろ十分にガス置換された低真空のほうが良好な光輝性が得られる場合も多い。
■ダイス鋼および高速度工具鋼の焼入れにおける肌荒れ
1000℃以上の高温から焼入れするダイス鋼や高速度工具鋼の焼入れの場合、着色よりも合金元素の蒸発に伴う光輝性の低下の方がよく問題になる。すなわち、同一加熱温度であっても加熱時の圧力が低いほど合金元素の蒸発を生じるため、表面粗さが大きくなる。とくに1200℃以上の高温で加熱される高速度工具鋼の場合には、加熱時の圧力を極力高めたほうが有利である。

●真空ガス焼入れに伴うCr蒸着

真空熱処理を実施する場合、炉内における処理物の保持にはステンレス鋼や耐熱鋼製のトレイやバスケットが用いられている。ところが、高速度工具鋼の焼入れの際にこれらを使用すると、処理後の表面Cr濃度に大きな影響を及ぼす。
前述のように、トレイやバスケットとして用いられているステンレス鋼などは、高速度工具鋼の焼入れ温度である1200℃くらいで真空加熱されると加熱圧力が低いほどCrが活発に蒸発する。この蒸発したCrは処理物の表面に蒸着してしまう。そのため、処理物の表面Cr濃度が本来の含有量以上に高くなってしまい、種々の問題が生じる。


・このページのデータは機械設計(2000年3月号)を元に作成してあります。
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