▼浸硫処理▼

硫化鉄被膜、あるいは硫化鉄を含んだ層を形成する処理は鉄基の機械部品の摩擦特性改善に使われる。歴史的には、硫黄系極圧添加剤が示す耐焼き付き性をより確実にするために導入されたようである。硫化鉄が介在した摩擦面は高荷重、あるいは高温下でも平滑状態を維持し焼き付かないといったことが1950年頃までに明らかにされている。
硫化鉄は、摩擦環境で用いられる場合、グラファイトや二硫化モリブデンなどとともに無機系の固体潤滑剤として分類される。しかし、硫化鉄(被膜)は、潤滑油の代替としてよりも、潤滑油(剤)との併用が多い。二硫化モリブデンなどの固体潤滑剤と硫化鉄を併用し両者の利点を相乗的に利用する方法もある。乾燥状態での用途では、低摩擦化よりも、焼き付き防止と同時に摩擦力の保持、あるいは分配が目的の場合が多いようである。
硫化鉄層を形成する処理は、浸硫処理と呼ばれる事が多い。また、鉄の中に硫黄を拡散(浸透)させる処理であるといった表現も用いられる。しかし、処理温度域(通常570℃以下)では鉄に対する硫黄の個溶限が小さいので、処理後に検出される硫黄のほとんどは硫化鉄を形成しており、個溶(浸透)状態の物は少ないと考えられる。他方、処理方法は千差万別で"硫化"処理といった言葉も不適当な場合もある。このような状況下で「浸硫処理」は硫化鉄を含む被膜(層)を形成する処理の総称として慣習的に使われているようである。

●硫化鉄の性質

形成される硫化鉄は酸性水溶液では分解するが、機械設備が使われるような環境では安定な融点1118℃、ビッカース硬度(Hv)70前後の化合物である。摩擦面では反応により相手材に硫化被膜を形成することが多い。硫化鉄は、摩擦面が高温(実験によっては850℃)になってもその効果が維持されるため、ある温度以下で溶着の抑制剤として働き、それ以上の温度では軟化あるいは融解して、潤滑剤として働くというようにも考えられている。硫化鉄はFeとSの比が1対1に近い組成であるが、処理方法により、結晶質の場合と非結晶質の場合があると考えられている。しかし、構造差による摩擦特性の差は確認されていない。酸化(物)や水分の影響もほとんど受けない。

●処理の種類・分類方法

硫化鉄は常温から900℃程度の温度範囲で比較的簡単に形成できる。そのため、多くの処理技術が提案されているが、再現性などの問題があり、実際に工業化されている技術は比較的少ない。それらのほとんどは表面硬化処理としての窒化、あるいは浸炭焼入れを伴っている。前者は浸硫窒化処理と呼ばれ、硫化と窒化が同じ工程で570℃前後の温度域で行われる。後者では焼戻し後に電解を利用して200℃以下で処理する。それらは電解の方法や処理温度域、あるいは処理液の違いなどから以下の表のように分類できる。

 
処理温度
主な硬化法
処理環境
寸法変化
金属表面移動
被膜生成
浸硫窒化
〜570℃
窒化(軟窒化)
塩浴・ガス・プラズマ
+
-
"浸硫"
陽極電解1
190℃
浸炭焼入れ
塩浴
-
-
硫化
陽極電解2
〜常温
浸炭焼入れ
水溶液
(+〜) -
-
硫化
陰極電解
〜常温
浸炭焼入れ
水溶液
+
0
"電着・堆積"
寸法変化 : +は増加を表す。金属表面移動 : -は後退、寸法減を表す。

●浸硫窒化処理

浸硫窒化処理では、窒化鉄層の外層に、軟質の硫化鉄層あるいは硫化鉄をふくんだポーラス状の窒化鉄層が形成される。塩浴・大気圧雰囲気ガス・プラズマを使った方法が工業化されている。層厚さは処理時間や鋼種・用途などに依存するが、硬質層も含め、5〜25[μm]の範囲が一般的である。処理による寸法変化は層厚さよりも少ない。X線回折では、Fe_(1-x)S、Fe_3N(ε)に加え、Fe_4N(ν')、Fe_3O_4m、FeOなどが表面層から検出される。表面状態・硫化鉄の含有量・硬質層と軟質層の比率などは処理方法、あるいは条件に依存し、同時に摩擦摩耗特性も変化する。それらの詳細については不明な部分が多い。用途ごとの処理条件は、総被膜厚さや軟質層の比率などから経験的に選択し、実機テストを行い決定されることが多い。
浸硫窒化処理と同じような状態を作り出すために、通常の軟窒化と陽極電解処理を組み合わせることもある。

●陽極電解処理

陽極電解は通常、浸炭焼入れやショットピーニングなどの後工程として、常温水溶液中・あるいは190℃塩浴中で行われる。酸化膜・切削痕などは固々界面に残らず、処理品に密着した被膜が得られる。膜厚は2〜8[μm]とするのが一般的である。陽極処理によると、処理浴や処理品材質などに依存するが、被膜形成に伴い鉄が溶出し、寸法変化が負になる場合が多い。金属表面(固々界面)は被膜厚さと同じ程度、あるいはそれ以上"後退"する。
陽極処理では硫化鉄を構成する硫黄はアルカリ金属塩(NaSCN、Na_2S_2O_3など)のチオシアン酸イオン(SCN^-)やチオ硫酸イオン(S_2O_3^2-)などから、そして鉄は処理品から供給される。水溶液を用いる場合はこれらの溶液が、そして塩浴処理では混合塩(NaSCN + KSCN)が用いられる。上述の鉄の溶出と被膜形成には、チオ硫酸塩を硫化剤とした場合、次のような反応の組み合わせが利用できる。

1) Fe {処理品} → Fe^(2+) {処理浴} + 2e^- {処理品}
2) 5Fe {処理品} + 4S_2O_3^(2-) → 5FeS {被膜} + 3SO_4^(2-) {処理浴} + 2e^- {処理品}

(1)は処理の溶出反応、(2)とは初期の硫化反応を示す。硫化鉄被膜が形成された後の固液界面の反応は、次のように、処理品のFeを硫化鉄被膜のFeに置き換えて考える。

1)' Fe {FeS} → Fe^(2+) {処理浴} + 2e^- {処理品}

チオシアン酸塩が硫化剤の場合は次のように記述できる。

7Fe + 6SCN^- → 6FeS + Fe(CN)_6^(4-) + 2e^-

これらを使った解析によると、陽極電解処理では、通電された電気量のほとんどが処理部品の溶出に、そしてごく一部が硫黄の供給(硫化)に使われることが示される。しかし、電気量が硫化のみに使われる、つまり処理品の寸法が大きくなる、とするモデルも多い。実際には寸法が減少するので留意したい。

●陰極電解処理

鉄の錯イオンなどを含む処理浴中で、処理品を陰極として通電し、硫黄と鉄の両方を処理浴から供給し、硫化鉄被膜を部品表面に形成する処理である。そのため、固々界面の状態は維持される。この処理では、鉄鋼以外の金属でも被覆処理でき、寸法変化と被膜厚さが等しいといった特徴がある。

●摩擦特性

摩擦特性の評価例として乾燥状態でのファビリー(ファレックス)試験がある。この試験はφ6[mm]の試験ピンを2つのVブロックの間に挟んで増加荷重下で回転させ、焼付き性や摩擦係数などを評価する試験である。処理されたピンとブロックの摩擦面は、赤熱する高荷重域でも焼付きを起こさず、平滑状態を保っている。これらの試験では、相手材も含めた反応の繰り返しなどにより、被膜厚さ以上に摩耗が進んだ場合でも、処理効果の持続が観察される。この試験は油中での摩擦で、油切れが起きた場合などもシミュレーションしていると考えられている。

●適用例

家電・電気機器、あるいは輸送・油圧機器などの初期なじみ、摩擦面の平滑化・焼付き・保油・ローラーピッチング強度・潤滑油温域・荷重分配・荷重の保持と解放、原音などで効果が確認されている。処理品としては、クランクシャフト・ベーン・ネジ・シュー・ブッシュ・吸気バルブ・ワッシャ・ロッカーアーム・ピニオンシャフト・シリンダブロック・ヘッド・ギヤ・プランジャ・リミッタ・シフトホーク・ボール・ケージ・ピン・リングなどがある。ただし、これらには浸炭窒化のみが適用されている部品も含まれている。



・このページのデータは機械設計(2000年3月号)を元に作成してあります。
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