徒然草(第一段)


2000.04.08

−桜−

「徒然なるままに、日ぐらし、硯に向かいて」と書いたのはご存じ兼好法師。
日がな一日、机に向かってぼぉーっと考える。現代人にそんな時間はない。
だけど昔から1日は24時間だったはずで、1年は365日あった、と思う。
洗濯機が発明され、車が普及し、新幹線が出来て、どんどんぼぉーっとする時間が増えそうなものなのに、これがまた一向に増えない。更に減っていくような気がする。

今日は久しぶりに晴れて暖かい。鹿児島市の紫原(ムラサキバル)を車で走った。
道の両脇には桜、桜、桜。花びらがフロントガラスに舞い降りる。
どうせお花見に行っても花なんか見てはいなかったし、いつごろだったろう、青空をバックにこんなにたくさんの桜を見たのは-。
ふと 気づくと、中央分離帯にも一面の花。

たまには心に浮かぶいろいろなことを書くのも、いいかな。


2000.04.13

−桜 U−

ソメイヨシノという有名な桜の名前がどうも舌を噛みそうになる。
「あれっ、ソメヨイシノだったっけ?」ということになりかねない。
つい最近それが染井吉野だと知った。カタカナはどうもだめだけど漢字になれば納得できる。
最初から漢字で書いてくれれば有り難い。みんなで漢字を書こう運動をしよう。

どうせ桜なんて京都の名前でしょ、と思っていたのは大間違いだった。
なんと染井と言うのは東京の地名。しかも駒込とか巣鴨の近く、大都会。
そこの職人が江戸時代交配させて作ったとのこと。
桜は挿し木で増やせるそうだ。
そういえば子供の頃読んだ伝記ではワシントンに桜を持って行って増やしたんだっけ。
で、吉野は京都ではなく奈良だった。そうだよね。「吉野の里に・・・」ってあれ。
奈良の染井桜かぁ、どうしてこう桜はこう想像力をかき立ててくれるのだろう。

だけどやっぱり桜餅の方がいいかな。塩漬けの葉っぱ、良い香りなんだよね。

2000.04.17

−ヨットレース−

きのう、久しぶりにヨットレースに参加した。
午前9時スタート。メンバーは6人。
鹿児島の錦江湾は快晴。穏やかで気持ちが良い。
ちょっと動くと暑いほどでTシャツ1枚となる。
スタートラインを横切り、第一マークを目指す。
風と真向かいに進むことは出来ないのでジグザグに進む。
方向を変えるたびに帆を入れ替えなければならないので思い切りロープを引く。
風上へ向かう帆、追い風の帆を交換するために帆を運び出す。
狭いデッキの上を走り回る。フイニッシュは12時40分。
結果は3位だったが楽しいレースだった。

帰りがけ、銭湯に寄る。
鹿児島の銭湯はすべて温泉ながら300円。
青空の下で露天風呂に入る。
ヨットはこうでなくっちゃ、ちょっと日焼けしたかな、などと思いつつ、家に帰る。
ところが車から降りたとたん、うっ、足が痛い。???
ひどい筋肉痛が翌日の今でも続いている。歩き方がぎこちない。

これは夏のレースシーズン前にどうにかせねばならない。
まぁ、当日から痛み出したことがせめてもの救いなんだけど−。

2000.04.21

−読書−

終わらないように、通勤途中だけケチケチ読んでいた文庫本を読み終えてしまった。
一週間もたせるのがやっとだった。
「殺戮」(さつりく、講談社)という、ちょっと恐ろしげな題だけど、元FBI捜査官のポール・リンゼイ氏は第3作目にしてどんどん腕を上げている。アメリカではあまりにFBIの手の内を開かしすぎているという指摘を受けたほどだそうだ。
次作はアメリカで5月発行。和訳されるのはまだまだ先。

シリーズの次作が出るのが待ち遠しい本は他にもたくさんある。
イギリスの艦長・ボライソーシリーズ、エイラシリーズ、P・コーンウェルの検死官シリーズなどなど。
なぜかいつも海外の本なので翻訳時間が歯がゆい。
かと言って辞書を引きながら読んでいたのでは翻訳本が発売されてしまう。(^_^;)
どうやって新しく面白いシリーズを見つけるか、がいつも悩みの種。
面白い本と美味しいお茶があれば何にもなくても、シ・ア・ワ・セ。  

2000.04.25

−迷子−

その子は事務所近くの交差点の片隅で泣いていた。
シミズアカネちゃん。4歳。
お母さんとスーパーへ牛乳を買いに来たらしい。
買い物する前にはぐれたのか、し終わって迷子になったのか、そこのところがどうもはっきりしない。
まぁ、お昼を買いに行くところだし、アカネちゃんの手を引いてスーパーを1周する。
「お母さん、居ないねぇ。」ついでに自分のお昼も買う。
さて−。
車でもなく、自転車でもなく、家から歩いてきたと言う言葉を信じてアカネちゃんの言う「家のある方向」に向かって歩く。その頃にはとっくに泣きやんで楽しそうでさえある。
角を曲がったところでグレーのトレーナーを着た女性が青い顔で携帯電話を持って走ってきた。
ご対面。親子は泣き出し、言葉もなく熱い抱擁。
良かった、良かった。

世の中、そんなに悪いことばかりじゃないんだよ。

2000.04.29

−ケガ−

車や家、ケガなど保険の仕事をしている。
4月に入ってケガが跡を絶たない。私が忙しいというばかりでなく(^^;)、何よりケガし た本人は痛いし連休を目前にして楽しくないだろうなぁ。

*46歳女性・・・缶コーヒーを暖め、開けたところ顔面にかかってやけど
*18歳男性・・・原付で走行中バランスを失って転倒し膝を4針縫う
*39歳男性・・・運動公園で運動中、アキレス腱を切る
*15歳女性・・・自転車走行中段差に車輪を取られ転倒、顔面と手足の裂傷、打撲
*45歳男性・・・バレーボールの試合中、アタックの着地で他人の足に乗ってしまい 靱帯損傷
*42歳男性・・・自宅で食器棚の扉が開いているのに気づかず立ち上がり、頭部裂傷
*27歳男性・・・鯉のぼりを立てているとき、鉄パイプが落下して肋骨骨折

他には相変わらずバイクの事故や、犬の散歩で転んだなんていうのもありました。確か缶コーヒーには「暖める時はやけどに注意しましょう」って書いてなかったっ け?!それとも缶ごと暖めてはいけないんだっけ?!運動するときは準備運動を忘れずに、着地するときは足下にも気を付けましょう。みんなで充分注意しようね。

2000.05.08

−唐津−

いつかどこかで聞いた「舞鶴城」は佐賀県の唐津にあった。本名?は唐津城だった。お城を中心として、左右に羽を広げたように松林があったことから名付けられている。この松林も、いつかどこかで聞いたことのある「虹の松原」だった。頂き物で何度か食べたことのある「松露饅頭」という和菓子もこれまた唐津のものだった。この松の根本に出来る「松露」というキノコに似た形から名付けられたそうだ。この松露の、椎茸やマッシュルームと違ったシャキシャキとした歯ごたえに驚いた。地元の人でもめったにお目にかかることの出来ない、珍しいキノコだそうだ。雨上がりに見つけるらしい。

佐賀県は東京出身の私にはどうも馴染みがない。情けないが境目がはっきりしない。福岡県や長崎県に押され気味でマイナーなイメージがあるのだろうか。陶器の唐津焼きはもちろん、有田も伊万里も佐賀県だとは知らなかった。

国内のことでさえこんな調子なのだから、外国の人が日本人が皆キモノを着ていると思っていても仕方がない。
まだまだ知らないことが多いけれどひとつひとつわずかな知識がつながっていくのは楽しい。

珍しく快晴続きの連休、唐津の空は真っ青だった海も山もキラキラしていた

2000.05.12

−唐津U−

くだんの舞鶴城、つまり唐津城では藤の花が満開だった。そこでまた、生まれて初めてのことに出会う。こんなに香りの強い花だとは知らなかった。
あの、あちこちで見かける、藤棚にブドウのようにぶら下がっているあの紫の藤だ。
ジンチョウゲやキンモクセイなど香りが強いとされる花より強烈な香りがするのには驚いた。
今までどうして気づかなかったのかと思ったら、藤棚の真下へ行かなければ香らないからのようだ。
どうやら香りの成分が重く、風に乗って広がったりしないらしい。
初めて藤の花を見た時から何年たっただろうか。初めてかぐ香り

驚く無かれこの藤の花は紫ばかりとは限らず、隣の藤棚の藤は白かった。
しかも香りも全く違う。

藤棚の下でゆっくりと息を吸い込む。香りを独り占めしてみる。長生きできるという話が信じられた。
人にはこういうことが大切なのだ。

春は、あけぼのでなくても素晴らしい。

2000.05.16

−吾輩は犬である−

吾輩は犬である。
名はケンタロウと言う。
あるじは他に8匹もの犬を飼っているが、家の中で飼われているのは吾輩だけなので体は一番小さいが自分が一番偉いと思っている。

シェーンというヤツが気に入らない。
ラブラドールというバカデカイ種類で、大きさも重さも吾輩の10倍はある。どうも吾輩に敬意を払わない。 吾輩がどんなに吠えても知らん顔だ。
先日、それでも吠え続けてやるとなんとヤツは吾輩の尻尾に噛みついたのだ。まったくもって許し難い。
おまけに、あるじがクラウンで出かける時は私を連れて行ってくれるのに、軽トラックで出かける時はシェーンは荷台に陣取り我が物顔である。こともあろうかあるじはそのまま吾輩を置いてきぼりにする。最近はこのシェーンのせいで新聞配達にも連れて行ってもらえない。何とも気に入らない。
そんなときは腹立ち紛れに家の中であちこちにオシッコしてやることにしている。あるじが吾輩を置いて遊びに行ったときもむろん同様である。吾輩をないがしろにした罰なのだ。

あるじに似て、吾輩は来客が大好きである。
客は皆、吾輩をかわいがり、抱き上げてくれたり、さすったりしてくれる。なんとも気持ちが良い。客がみんな吾輩の仲間のような気がする。そんなときはあるじに吠えかかり、時には噛みついたりして日頃のウップンを晴らすのである。当然これらは安全な、優しい客の膝の上に乗っているときに限る。

客が帰ろうとしている。悲しい。仕方なくあるじの膝の上に戻る。
客が帰ってしまうとあるじと一緒にシュンとしてしまう。あるじと同じように元気が出ない。
そればかりではなく、今回来た客はなんとあるじと吾輩の、後頭部の後ろ姿まで似ていると言いだし、以降、吾輩の後ろ姿を見る度に涙を流して笑い転げている。気に入らないが話題の中心になれるのは嬉しい。

風呂も気に入らない。あるじだってこの前などはパンツを替えずに裏返しにはいたくせに、吾輩にはクサイなどと言って風呂で湯をかける。シャンプーが目にしみて痛い。
逃げ回り、濡れたままで部屋の中を駆け回ってやった。

次の来客はいつだろうか、待ち遠しい。

*注:あるじと犬たちはこのままの状態で実在する。

2000.05.20

−誕生日に−

ちょうど10年前の走り書きを見つけてしまった。
10年たってもまだ同じものを見ている自分に驚いて、ちょっと自分が好きになった。

            **********************
1990.05

ヨットを始めてたった1年。90日間海に通い、22レース参加した。船舶免許も取った。

今まで自分がふだん何をしていたのか、忘れた。テニスだ、スキーだ、ダイビングだとみんなのために企画実行していた傍らで、ひとりでも壁打ちをし続けるほどの気合いに欠けていた。私の性格だと思っていた。思い切り打ち込む何かが足りない。まわりの目を気遣い、企画運営するのが私の役割だと信じていた。

偶然始めたアマチュア無線で話しているうちに念願のヨットに乗れることになった。これがそもそもの幕開けとなる。もともとやりたいことは諦めないタチで、すべてのチャンスを逃さなかった。

私は海が好きだったのだ。

カラカラに乾いた私がガバガバと水を吸い始めた。吸っても吸ってもまだ足りない。周りのものは一気に色あせてしまった。今まで人一倍つきあいの良かった私が、ヨットを優先させた。すごい。最後のひとりが居なくなるまでそこに残るであろうと思っていた自分が、である。ひとり壁打ちをし続けるほどのものが私にもあったのだ。

企画計画の私は、これからの人生設計を立てなければならないはずだったが、計画してもその通りにならないから面白いのだとヨット乗りに一笑されて海の藻屑となった。

今まで私の計画通りに回っていた周りの世界が、いきなり高速で回転し始めた。「変化に富む」なんてものじゃない。つまらないとか、何か楽しいこと無い?なんて言っている人に分けてあげたい。いつも計画を立てて引っ張ってきたはずの私が引きずられている。予定表が埋まっていないと気が済まなかった私の手帳は全部埋まり、すべてのチャンスに加わる時間がなかった。

「夢のまた夢」には更に上があったのだ。望む以上のことが次々に訪れた。友達のハワイでのレースを観戦しに行こうとしたら、出発日4日前の日本最大と思われるレースに誘われた。これだけで充分パニックなのに今度はハワイから日本へ運ぶヨットになんと1ヶ月乗らないかと言う。身も心も頭も、何も準備出来ない。一体、し、しごとはどうなるの?!

「ヨット乗りはそうやって窓際に追いやられ、そのうち窓から蹴落とされてしまうのだ」と、楽しそうに教えられた。

2000.05.24

−波−

そうやって10年がたった。
とりあえずOLだったので、ハワイから日本まで1ヶ月の回航だけは参加できなかった。
未だにそれを悔やんでいる。

波に乗るのは何もサーファーだけではないのだ。波というものはありとあらゆるところに存在する。バレーボールなどの試合を見ていても、今まで負けていたチームが何かひとつのきっかけで波に乗り、そのまま勝ち進んでしまう。この波に乗るということが大切なのだ。

えいっ、と思い切って波に乗るのはなかなか難しい。しかもその波は予告なく、いきなりやってくる。その時波に乗る準備が出来ていなければならないのだ。

いつ来るかわからない、その時のために準備をする。

有名な棋士が、将棋は努力していたのではだめだと言った。上手くならないそうだ。
人間、好きなことをしている時は努力とは言わないらしい。それは遊びと言うのだそうだ。好きで好きで仕方がないとしたら、本人は食べる時間も寝る時間も惜しんでもやるだろう。そういう人が上手くなるのだそうだ。

もっともだ。好きこそ物の上手なれ、という言葉が急に好きになった。センスとか才能には自信がないが、好きということだけなら自信がある。10年たった今も、ヨットに乗るのは楽しくて仕方がない。

次の波には乗れるだろうか。

2000.05.28

−船酔い−

普通、正常な人は船酔いする。
そりゃあ日頃、動かない地面に立って生活しているのだから動けば三半規管が「おかしいぞ」と言うのは当たり前である。だが中にはまったく酔わない人が居るらしい。まったくうらやましい限りだがそんな人はどこかおかしいのだ。アメリカだかの潜水艦乗組員を募集する際、3ヶ月間乗船させて、ずっと船酔いしていた人と一度も船酔いしなかった人は不合格にするという話を聞いたことがある。船酔いし続けていた人は使い物にならず、適応能力がない。反対に、船酔いしなかった人はそれだけ鈍いということであり、わずかな艦内の異状に気づかないというのだ。正常な人は船酔いをしても数日間で慣れるのだという。しかし自分は正常なのだと言い聞かせても辛いものは辛い。

確かに慣れはある。バスでもタクシーでも乗用車でも、3分もたたないうちに必ず乗り物酔いをしていた私がヨットのデイセイリング(1日のうちに帰港する)なら酔わなくなった。しかしまったく船酔いしなくなったという訳ではない。特に乗り物酔いの中でも船酔いはきつい。嫌だからといって途中で降りるわけにはいかない。初心者だからと言ってその海面だけ穏やかだなんていうハンディがあれば良いがそうもいかない。

ではどうすれば良いか。ただ乗っているだけなら、手元を見ずに遠くを見る、風に当たる、または乗り物酔いの薬を飲む、などが一般的である。しかし操船するとなるとそうはいかない。細かい海図を見る、料理をする、または破れた帆を縫ったり、エンジンルームに潜り込まなければならない事態も起こる。酔い止めの薬は飲まない。平衡感覚が鈍くなると危険だからである。

とっておきの方法を伝授しよう。現在、私が一番有効だと思われる方法は、単なる「腹筋」。長いレースの前数ヶ月、毎晩20回くらいの腹筋をするだけでまったく違う。以前は揺れている中でかがむことすら苦痛だったキャビンの中も楽になる。腹筋ならば一石三鳥だ。

さて、始めるとしようか。

2000.06.01

−最期の晩餐−

TV番組で、司会者が著名人に「これで最期と言うときの食事には何が良いか」と尋ねるコーナーがある。ゲストの答えは「ごはんとみそ汁」だとか「ざるそば」などといたって質素である。

ある時、頼まれて能登半島から愛媛までヨットを運んだ。10月末の夜で雪が舞っていた。
途中、「いっぱいに」入っているはずのガスボンベが無くなってしまった。この「はず」というのはいつでもあてにならない。お湯も沸かせないのでカップラーメンも食べられない。苦し紛れに最期の晩餐という話題になった。

不思議なもので食べられないとなると頭の中は食べ物で一杯になる。あれも食べたい、これも食べたいと考えるうちに一食分では足りなくなった。まず、朝食からだ。

朝は中華。シンプルに中華粥ね。ザーサイなどいろいろ具を揃えて。点心も少し。それにジャスミンティー。
お昼はテラスで、海を見ながら洋食にしましょう。もちろんワインと外側がパリッとしたフランスパン。ロブスターを食べたらシャーベットで口直しをして上質のヒレ肉。デザートにミルフィーユ。
そして夜。伊勢エビを炭火で焼いて、新鮮な烏賊刺しと美味しい日本酒。で、いよいよこれでおしまいって言うときに鉄火巻きと日本茶。

う〜ん、ゼイタク。だけど本当の最期だったら、「おにぎりと豆腐のみそ汁」かなぁ。

夜中に港に着いて最初に口にした物は、悲しいことにやっぱりカップラーメンだった。

2000.06.04

−101匹の鰺−

スーパーで豆アジが1パック、79円だった。豆も豆、5センチから7、8センチそこそこの大きさだったが、家に帰ってみるとなんと101匹もあった。誓って何匹あるか数えてから買ったわけではなく、中華鍋に放り込んだとき判明したのだ。家の鍋には一度に20匹程度しか入らず、5回ほど揚げるハメになったからだ。今時、どんなに小さくても101匹もあって79円じゃあ、人件費どころかパック代も出ないのではないか

当然一匹ずつハラワタを出したわけではなく、ビニール袋に片栗粉を入れ、その中にアジを入れて振っただけ。これを油で揚げる。そのままおつまみでも、スライスタマネギ、唐辛子と酢醤油に浸けて南蛮漬けでも美味しい。3日間楽しめた。この手の食べ方は大きなアジでは骨が邪魔で食べられない。小さなものに限る。骨ごと食べるとカルシウムもタップリと、お魚を食べよう振興会ではないが工夫次第で美味しいものが安く食べられるのだ。

鹿児島ではらっきょうの最盛期を迎えたそうだ。自分で浸けるらっきょう漬けは美味しい。今年は値段も安いそうだ。だがひとつひとつ洗ったり剥いたりするのが面倒で若い人はなかなか買わないと新聞に出ていた。冷蔵庫に自作のらっきょう漬けやピクルスの瓶を並べてひとり喜んでいる私は「若くない」と言うことだろうか。
う〜ん、食いしん坊か、ただのケチか・・・。自分では美食家の倹約家ということにしておこう。

2000.06.08

−ジャンベ−

アフリカのギニアに「ジャンベ」という太鼓があるのをご存じだろうか。
数年前、ジャンベ奏者の第一人者であるママディ・ケイタさんが奄美大島や離島に訪れてから鹿児島の一部では静かなブームとなっている。

まず、県内のヨット乗り達にジャンベの知名度は高い。
毎年8月に三島村の硫黄島で行われる「三島カップヨットレース」の野外パーティーにママディさんが参加し、参加者や島の人々と断崖絶壁を背にする石舞台の上で、下で、歌い、踊り、大いに盛り上がるからだ。独特のリズムは野生のクジャク舞う、南の島の雰囲気に見事にマッチしている。

知り合いも何人か、ジャンベを手に入れた。ジャンベは昔、アフリカでは通信手段だったそうだ。
ノートパソコンを購入したいと考えていた友人のひとりは考えた末、ジャンベを選んだ。最新の通信手段は半年もすればただの中古機になるが、ジャンベはそうはならない。そしてジャンベには言葉の壁すらもないというのがその理由だった。

台風さえ来なければ今年のパーティーは例年になく盛り上がるに違いない。

2000.06.13

−鹿児島名物ー

現在、鹿児島県経済農協連では一斉に県内黒牛肉の大感謝セールを行っている。肉もメニューも全品半額というのはわかりやすい。初めての試みで、景気低迷による高級肉の消費落ち込みに産地から歯止めをかけようというものらしいが大人気のようだ。

鹿児島には結構名物がある。出身地東京の名物は何かと聞かれると「うっ」と詰まるが鹿児島のものなら答えられる。お菓子のカルカンや黒牛の他に、何と言っても最近ブランド商標で話題となった黒豚がある。これも名物のサツマイモ(カライモ)を食べさせるというが何と言っても美味しい。東京で豚肉が美味しいと思ったことはないが鹿児島ではどんな豚肉を食べても美味しく感じる。しかも、しゃぶしゃぶは豚に限ると思う。東京から来た友人に一度食べさせたら連日豚のしゃぶしゃぶに付き合わされた。さっぱりしている。灰汁が少ない。

東京では口に出来ないキビナゴなどと言う魚も居る。取れたて、プリプリのキビナゴは刺身でも良し、揚げても良し、そのまま網で焼いても美味しい。

忘れちゃいけないのは「白熊」。鹿児島へ来たばかりの頃、「何かおやつでも買ってきましょうか?」と言ったところ「白熊」と言われ目が点になった。「シロクマ?あの、動物園に居る?マサカ、じゃ一体・・・」としばらく考えたがわからなかった。聞き間違いかとも思ったがそうではなかった。県内の人は全国どこにでもあると思っている。かき氷のことだった。各種フルーツなどが山ほど乗せられ、そのトッピングが熊らしき顔になっていたりする。更に上から白い練乳。かき氷とは言っても超豪華版だ。当然店でも食べられるがカップも売っていて鹿児島ではポピュラーな夏のおやつなのだ。

そろそろ今年も鹿児島は「白熊」の季節となる。さて、誰か県外者をだまして食べに行こう。

2000.06.18

−バレッタとカチューシャ−

金魚姫という、これまた変わったニックネームの、とびきり美人の友人がヨットの中でバレッタをなくしたらしい。「あったら取って置いてね。」というごく普通の会話が交わされたまでは良かった。が、しかし、オーナーもクルーも一体バレッタが何であるかわからない。もちろんみんなわからなくても彼女のためなら探してあげたいと思っている。私が「カチューシャならわかるでしょ」と言ったのがマズかった。オーナーは「知ってるよ」と言い、何と昔の、リンゴがどうとか言う歌を歌い始めたのだ。

ずっと昔、高校生の頃、確か遠足か何かでズボンをはいてくるように言われた時、「じゃ、キュロットスカートなら良いですか」と友人が聞いてそれから何分か説明が中断されたのを思い出した。きっとバレッタを髪留めだと言えばヘアピンだと思われ、カチューシャの形状を説明すれば鉢巻だと思われることは必至である。何とか説明したがその日とうとうバレッタは発見出来なかった。

数日後、オーナーから見つかったというメールが届いた。が、カチューシャを見つけたというのだ。なくしたのはバレッタ。カチューシャが見つかるはずはない。その後両者の違いをもう一度説明すると言っていた金魚姫の試みは成功し、無事手元に返ったのだろうか。

でもバレッタとカチューシャを間違えるなんて結構オシャレかも。

2000.06.22

−モンシロチョウ−

小さい頃、網を持って、バラ線をくぐってキャベツ畑の中を追いかけたモンシロチョウを最近見かけなくなった。卵や幼虫をキャベツごとむしり取って育てたものだ。東京では姿を消してしまった。鹿児島ではまだ時々見かけることができるが、キャベツ畑のキャベツより多いほどの数はいない。これが農薬のせいだったら結構恐ろしい。

今朝電車に乗ったら、なんと一匹のモンシロチョウが車内を飛んでいた。迷い込んでしまったのだろう。と、しばらくすると私の目の前の回転している扇風機にぶつかって床に落ちた。小さな音がしたようだ。かわいそうにもうだめかな、と床に落ちた蝶を何となく見つめた。前に座っているおじさんとチラッと目があった。おじさんも蝶から目を離さない。蝶は床の上で風に飛ばされて倒れてはまた起きあがっている。

しばらくするとその蝶は飛んだ。飛んで窓に止まった。折しも谷山駅に停車しドアが開く。緑が多い。「そうだ。」私は立ち上がりそっと窓の蝶をつまんだ。蝶を捕まえるのは得意だったし、何せ相手は弱っている。そっと開いたドアから放った。蝶は勢いよく飛んでいった。隣の席に座っていた女の子がわずかにほほえんだ。

なんだかちょっぴり良い気分だった。

2000.06.27

−万歩計−

誕生日に万歩計をもらった。

自宅から駅まで歩くと25分、3000歩。フムフム。だが、つい車に乗ってしまう。
家を出て駅に向かい、電車に乗って降りる。事務所まで徒歩5分。狭い事務所の中ではほとんど歩かない。昼食を買いに近所のスーパーを往復する。夕方、同じ道のりをたどって家に着く。駅までの往復、せめて片道だけ歩いて、それでもやっと7000歩。つまり片道も歩かなければ4000歩ということだ。これではいけない。1日1万歩が必要なのだそうだ。

体力をつけるのにも、健康のためにも、またダイエットにも、歩くことが一番良いとされる。器具が要らない、お金もかからない、いつでも出来る、からだそうだが、この「いつでも出来る」というのは結構怪しい。いつでも出来るからこそ、つい後回しになる。それでも季節の良いうちは花や木を愛でながら歩くと言う楽しみもあった。だがすでに6月も後半。雨が降ればまたつい車に乗る。しかも暑い。駅の近くに停めた自分の車を横目に見つつ、わざとそのまま置いて歩いて帰る。これで嫌でも明日は駅まで徒歩で出勤しなければならないという算段なのだ。そのままスーパーに寄る。牛乳や大根を入れたビニール袋が手に食い込む。でも帰りはまだ良い。

翌朝、後悔しながら駅まで歩く。25分、3000歩。帰りと違って朝は暑い、汗が背中を伝う。しかもすぐにシャワーを浴びられる訳ではない。

どうも鹿児島の夏は歩くのに適しているとは思えない。東京都民が全国で一番歩くというのは頷ける。東京では駅で電車を乗り換えるだけで何度も階段の上り下りをし、10分以上も歩くことはザラなのだ。しかもラッシュアワーの電車は当然座ることはおろか、まっすぐに立っていられれば良い方だ。ましてや車に乗っていたのでは目的地にたどり着かない。歩いた方が早いほど渋滞する。これなら歩かざるを得ない。

東京にいるときには知らずに運動していたようだ。どうも運動不足になっている。
鹿児島に適した体力増強の方法は無いものだろうか。

2000.07.01

−石焼きビビンバ−

石焼きビビンバにはまっている。
これはゼッタイ「石焼き」でなければならない。
初めて焼き肉屋で普通のビビンバを食べたとき、「だまされた」と思った。
が、「石焼きビビンバ」を食べて感動した。あの、香ばしさが何とも言えない。

去年、韓国へヨットレースに行って驚いたことのひとつに、「みんな異様にスマートだ」というのがある。
銭湯に行っても俗に言う「中年太りのおばさん」は見当たらない。ジーンズ屋さんには一体誰がはくのだうと言う細身のジーンズしか売っていない。日本人では見かけないほどの細さだ。韓国は世界で一番野菜の消費量が多い国だそうだ。それがスマートな理由だろうか。どこで何を食べても白菜や大根のキムチ、塩味のキュウリなどが山のように出てくる。しかもすべて無料。食べ放題なのだ。メインディッシュを頼まずにご飯だけ頼んでも充分なくらいの質と量だ。ここで「石焼きビビンバ」を頼んだとする。肉は入っておらず、更に大量の野菜を採ることになる。更に散歩しながら「チヂミ」を食べる。これまたニラやネギが大量に入ったクレープだった。

「唐辛子の辛さで脂肪を燃焼している」とも言われているが、実は私は辛いものが苦手なのだ。しかし韓国の料理はただ辛いだけではなくちゃんと味に深みがあって美味しい。

何とかこの「石焼きビビンバ」を家で味わおうと試みた。結果、安易なのは「ビビンバの素」なる、少量の調理した野菜とあまり辛くないコチジャンがセットになっているものを使い、野菜を増量すると言う方法だった。はずしてならないのは豆モヤシ。日本の食卓には単なるモヤシの登場回数が多いがこれは豆モヤシでなければならない。値段も普通のモヤシ1袋に対し3倍の100円だったが栄養価が高いので良しとする。茹でてゴマ油と塩を振る。あとは大根の千切りに塩をかけて水気を絞ったものや、ほうれん草を茹でたものなどお好み。これに挽肉をニンニクとしょうゆでから煎りしたものなどを加えればもうごちそうである。

忘れちゃならないのは「石焼き」。専用の石鍋など無い、土鍋で充分だ、と思っていたらテレビでスマップも土鍋を使った石焼きビビンバを作っていた。更に自信を深める。炊いたご飯をごま油を塗った土鍋に入れる。そこに先ほどの素と付属の水気を切った具を和えたもの、お好みの野菜、挽肉などを乗せ、蓋をして極弱火で火にかける。ごはんがパチパチと音を立てて香ばしい香りがしたら出来上がり。簡単である。スープ代わりにこんにゃく質の冷麺をすすりながら石焼きビビンバにキムチを乗せて食べる。

これでやせれば文句はない。

2000.07.06

−パソコン−

実家の父がパソコンを買うと言い出した。
しかもインターネットを始めると言うのだ。
父は再就職をした会社を今年の春に辞めたばかり。70歳とはいえ酒もたばこもやらず、過ぎるくらいの勉強家であることは娘の私が保証する。
だが、しかし・・・。

購入の最初の理由がふるっている。
「百科事典が要らないんだろ」と言うのである。これは奥が深い。

どんなこともインターネットで調べられると言うことであれば、家の電話回線をISDNにするのかしないのか、ダイヤルアップ接続の設定、プロバイダーの契約、アドレスの取得から始まってよしんばすべての設定が終わっても検索と言う大仕事が残っている。慣れないとなかなか調べたいことにたどり着けない。友人が「ヨット」と検索した。何万件もヒットするだけでなく、中には「ちょっとエッチ」なんて言うサイトもある。確かに「ヨット」ではある。私は「イルカ」と検索してみた。あるわあるわ「ネイルカラー」「タイルカラー」・・・

インターネットを使わずとも百科事典のソフトをインストールするというテもある。しかし、膨大な量の市販ソフトから果たして父が求める物が探し出されるとも思えない。しかも結構高価である。

まず購入したパソコンをどうするか。父は他の電化製品と同じく、コンセントをつなげば使えると思っていた。そうは問屋がおろさない。なまじ、ワープロが出来るという自負がいけない。そこで私はとりあえず持っていたセットアップビデオと「サルでもわかるパソコン入門」と言う雑誌の切り抜きを郵送した。

次に父は「どこの製品が壊れにくいか」と聞いてきた。IBMか、NECか、富士通か・・・
この際外側のケースはどうでも良い。中身は皆同じマイクロソフトなのだ。父が言っているのはたぶん外側が割れるとか衝撃に強いとか言うことではなく中身の問題だろう。絶対フリーズしないパソコンがあったら私も買いたい。

今時テレビを買ってわざわざ取り扱い説明書を見る人は少ない。そのテレビが見ている間に止まったり、電源が落ちたりすればユーザーは激怒するだろう。パソコンも早くテレビ並の電化製品になってくれることを願う。

あとは、一度購入してセットアップを済ませてから送ってくれるという弟に、期待したい。

2000.07.10

−波 その後−

梅雨明けもしていないというのに、暑い。異様に暑い。
またもや体力をつける前に夏が来てしまった気がする。毎日仕事に行くだけでヘトヘトだ。
しかも、もらいもののクーラーが3回に2回は作動しない。梅雨明けしていないので温室のようだ。こうゆう時に限って何度目かの「波」が訪れる。

今週から火山めぐりヨットレース。金曜日の前夜祭から始まって、一晩中帆走する硫黄島周りを含め3レース、連続4日の翌日のパーティーで終了する。今週、市内の仮設桟橋には続々と80艇ものヨットが集まってくる。例年であれば太陽がギラギラしているはずで、せめて曇って欲しいなどと贅沢なことを考えるのだがどうも天候も不安定だ。しかも今年は台風の当たり年だと言う。県外からヨットが集まったところに台風が来ればひとたまりもない。そうすべてはうまくいかない。

レースの翌日からハワイに行くことになった。アサヒスーパーカップ、またヨットレースだ。確かに楽しみではある。日程が重ならなかったのが幸いしたというか、もう少し間が空いていてくれれば良かったのに、などと考えても始まらない。去年は火山レースだけでも途中ビタミン剤のお世話になったことが頭をよぎる。帰ってきたら帰ってきたで三島カップ。こんな日程を一般には「無理な日程」と言うのだろうか。まったく近頃の子供だってそんなに遊ばない。だけど重ならないのだからまぁ良いではないか。努力しているわけではなく、遊びなのだ。

昔、本屋でアルバイトをしていた時もなぜかお客様は突然どっとやってきて、来ない時はまったく来ない。どうして平均的に来てくださらないのかといつも思っていた。だがそういうものなのだ。

風が吹かなければ吹かないと嘆き、低気圧でも来ようものなら吹き過ぎだと嘆くそうこちらの思い通りにはならない。だから面白いのかもしれない。

2000.07.20

−鹿児島の一番暑い日−

とにかく暑かった。レース中、知らないうちに梅雨明けした鹿児島市内の気温は35.1度。ちなみにこの日、常夏のハワイの気温より更に4度高い。確かにずっと晴れてはいたが、天気が良いと言うにも限度がある。この気温は暑いこの南の地でも昨年1年間と今年まで含めても最高の気温だ、と言うことを「火山めぐりヨットレース」が終わってから知って良かった。さもなければ途中で嫌になってしまったかもしれない。この一番暑い日に、遮る物もないデッキの上で我々は一晩中ヨットを走らせていたのだ。関東など県外からレースの為に来て下さった方達にはさぞや鹿児島の夏を堪能して頂いたに違いない。今年の火山レースはここ数年に比べても風が無かった。

よくヨットをやらない方に「レース中エンジンをかけないのなら風が無かったらどうするのですか」と聞かれる。「我慢です」と答えることにしている。最初のうちは「風のある場所を探して帆走るんです」などと答えていたのだが無い時はと゜う探しても無い。第一レースは追い風用のスピネーカーと言う帆を18回(たぶん)も揚げ下げした。横より後ろからの風に使用するこの薄い生地の帆は、揚げられるのなら1秒でも揚げた方が早いとされているからだ。第二レースはたった10マイル(1852m×10)のコースに5時間もかかった。第三レースは錦江湾を出ての島周り。朝8時スタートでフィニッシュしたのは翌日の夕方。実はこの日が鹿児島の一番暑い日だった。

レースをやっている時はもう暑くて、身体の芯から絞り出るような汗でずっと乾かないTシャツを着て、「来年は絶対に出るものか」などと考えているのだがヨット乗りはどうも学習能力と言うものがないらしく、今日のパーティーでは「来年もまたお会いしましょう」などと言っている。風がまったく無い中、レース中のヨットを見た人はきっと「何をやっているんだろう」と思うに違いない。じっと釣り糸を垂れている釣り人の方がずっと生産性が高い。炎天下の中ただ、ただ、あーでもない、こーでもないとのたうち回り、わずかな風を拾って帆走する。ここで「何が楽しいのか」と聞かれれば「何も楽しくない」と答えてしまう。第一レース後から炎天下に慣れているはずの多くのヨット乗り達は日焼け止めを塗りたくったにもかかわらず湯船につかれないという有様だった。

ぬるくなった水を飲みながら皮膚をジリジリ焦がしても、やっぱりヨットは楽しい。風が吹いているときの爽快感しかり、エンジンを止めて風だけで帆走する音またしかり。景色や朝日も素晴らしい。それにも増してチームが一つになって同じものに向かう、例えその場で怒鳴っても怒鳴られても、終わった後の乾杯で健闘をたたえ合う、そんなヨットレースから抜けられない私も学習能力がないようだ。ただ、この数日間のヨットレースだけでたくさんの人と知り合え、今まで落ちなかった体重が3.5キロも落ちたというのが救いだろうか。

*このページを見て下さり、声をかけて下さった皆様、お会い出来てとても感激しています。また海の上でお会い出来る日を楽しみにしています。楽しいお便りもお待ちしています。ありがとうございました。

2000.07.31

−夢の続き−

日本エアシステム福岡発857便鹿児島行きは、福岡上空の悪天候のため機材到着遅れとなり定刻のほぼ50分遅れで離陸した。

気が付くと雨は上がり、澄んだ空気の眼下にはきれいな町並みや山々がはっきり見えた。飛行機の頭上は真っ青な空。飛行機と一緒にいろんな形の雲が浮かんでいる。どうやら雲と雲の間を縫って飛んでいるらしい。小さいの、大きいの、細長いの、もくもくしているの、真っ白な雲が出来たりちぎれたりするにはどのくらいの時間がかかるのだろう。

と、なんとすぐ目の前の雲に虹が映っている。虹というものは見上げるものだとばかり思っていた。見下ろしたのは初めてだ。

雲に映った虹は小さくて綺麗な円形だった。しかもその円の中に自分の乗っている飛行機のシルエットが写っている。それはまるで飛行機と同じ速度で動いているようでいつまでも私の横にあった。ただただボォーッと眺めていた。

着陸間際、虹が揺れて一瞬、雲から雲へのいつもの半円形に戻った。
何時間か前まで居た、ハワイでの夢の続きのようだった。

2000.08.09

−ハワイ物価事情−

ハワイは何と言っても観光地である。観光地の物価は高いというのが日本のきまりだ。だが、しかし・・・。1ドル360円なんて言う時代はさておき、現在は110円程度。日本より高いと思われる品物は見当たらなかった。

ショッピングセンターの紙コップのコーヒーは59セント。65円程だ。日本のファーストフード店だと180円はする。なんと約1/3。しかも量が多い。市バスは1ドル、110円。空港からワイキキビーチ他どこまで乗っても料金は変わらない。違う路線に乗り換えるときは「トランスファー、プリーズ」の一言で無料のチケットが渡される。レストランでの食事はボリュームが多くお得感がある。たいていの所は二人で一人前を頼んでも嫌な顔をせず、笑顔で取り皿を持ってきてくれる。フルーツやジュースももちろん安い。コンビニには半分に切ってラップをかけ、スプーンを添えたメロンや冷えたカットフルーツが並び、これにコーヒーだけで立派な朝食になりそうだ。同じくコンビニに並ぶ100%の小型缶ジュースも60セント程度だった。かの有名な、ドール本社のお膝元ならではだからだろうか。当然肉も安いのでコンドミニアムで豪華にステーキを楽しんでも1食1000円はかからない。

反対に観光地だからこそ飲食代を安くしているのだろうかと思い、普通のスーパーに行ってみた。牛乳もジュースもガロン単位の見たこともない巨大な容器で、やはり安い。なんと蟹缶は200円程度だった。買ってきて食べてみたがなかなかいける。日清のカップラーメンの英語バージョンまでもが日本より安かった。コーヒー、ココア、紅茶、香辛料、チーズ、シャンプーどれをとっても安い。

ヨット部品などは日本から見れば輸入になるため、安いのは当たり前だと思ってはいたが、それでもほぼ半額には驚いた。日本は物そのものの値段はともかく、工場や事務所の場所代や人件費がかさむのだろうか。海外へ行くたび、1ヶ月あまりのバカンスを楽しんでいる外国人に会うたび、平日の夕方にゴルフやヨットレースを楽しんでいる人を見るたび、日本が裕福ではないことを痛感してしまうのは私だけだろうか。

2000.08.14

−iモード−

iモードの携帯電話加入台数が1000万台を突破したそうだ。普通の携帯電話の契約台数は6000万台。日本人の人口はどのくらいだったかしら、などと考える。ずいぶん昔の記憶で1億2000万人だったとして、2人に一人が携帯電話を使っていることになる。お年寄り、赤ちゃん、幼児、病気の人など考えるとほとんどの大人が使っているらしい。便利になったものだ。

私ももう何年も携帯を利用しているが、どうもiモードというのがわからない。昔ポケベルが流行ったときのように文字を入力するのだったら面倒極まりない。「コ・ン・ニ・チ・ワ」などと入力している間に嫌になりそうだ。パソコンの画面に慣れた私としてはあの小さな画面に表示される文字をスクロールしながら読むのも考えたくない。でも携帯を持っている6人に一人はiモード。私としてはパソコンのモバイル機がもっと安く簡単になってくれた方が嬉しい。反対に携帯電話がほんの少し、電卓くらいに大きくなってくれてもいい。いちいち携帯とモバイル機をつなぐケーブルなど準備ししなくてもインターネットに接続出来、携帯より大きめの画面でメールを読む。・・・

だが6人に一人はiモード。「iモードなんてパソコンやらないやつが使うものだ。」なんて言っているとカラオケが流行った時バカにしていたみたいに取り残されてしまうんだろうなぁ。

2000.08.17

−南からの湿った空気−

8月17日。鹿児島はきのうの夜から嵐のようだ。雷が光り続け、豪雨が続く。
昨夜寝たとたんにピカピカゴロゴロやりだした。丸一日たった今でも弱まるどころか強くなっている。これが明日も続くと言うのだ。東京に居た頃、こんなに長く雷が鳴り続けたことなどない。たいてい数十分から1、2時間で終わっていた。

今朝出勤しようとしたらJRが止まっていた。「やっぱり」と思い、車で出かけた。夕方、所長から「天気がおかしいので早く帰った方が良いよ」と言われ5時前に帰途についた。確かに凄い。ワイパーを最速にしても前が見えない。暗い空は次の信号機までの間に何度も光る。そのたびについ目を閉じて力が入る。あんまり雨と雷の音が大きいのでカーラジオの天気予報が聞こえない。どんなにゆっくり走らせてもタイヤが半分浸かっている路上にはしぶきのアーチが出来る。路肩は水が深くて近寄れず、どの車もセンターラインぎりぎり。対向車が通るとそのアーチを浴びて何も見えない。あちこちの路上から水が噴き出している。

この雨や雷は台風でも何でもなく、ただの「南からの湿った空気」だとのこと。鹿児島は普段の雨でも「しとしと」とか「じとじと」と言うことはない。いきなり土砂降りの雨はバックから折り畳み傘を出していたのでは間に合わない。持っていた傘はいつの間にかワンタッチ傘に変わった。同じ日本でも天候が激しい。自然の力を思い知る。

「南からの湿った空気」のため県内は大雨洪水警報。駐車場に屋根の付いているスーパーはどこだったかしらと考える。乗り降りだけでもずぶぬれだ。あっ、また雷が落ちた、この雷のエネルギーを何か別の物に使ったら凄いだろうなぁと余計なことを考える。そう言えば先日、山の上の市内のホテルでは3億円余りかけて風力発電用の巨大風車を一機建てた。ホテル内はもとよりゴルフ場までこれひとつでまかなえるそうだ。余剰電力は電力会社に売る予定らしい。

やっとアパートの近くまで来た。線路が水に浸かっている。これさえ越えれば高台なので心配無くなる。明日事務所に行かれるかなぁ。

2000.08.20

−文庫本−

常に読みかけの本がバッグに入っていないと何か落ち着かない。この「常に読みかけの本」を探すのは結構やっかいである。まず、面白くなければならない。そして持ち運びと経済的理由から出来れば文庫本が望ましい。もちろん日本語に限る。

いくつかの面白いと思われるシリーズを追ってはいる。だけどそれだけではすぐに追いついてしまい、手持ちがなくなる。待っているシリーズほどなかなか次篇が発行されない。ここで待ちきれず原語版の入手などすると痛い目に遭う。辞書と一緒に携帯するハメになり、しかも何ページも読まないうちに次篇が発売となる。ここはぐっとガマンして他の本を探すことにする。

夏休みになると大手の書店では必ずフェアが開催される。「○○文庫の100冊」と言うやつだ。グリコのおまけ目当てにキャラメルを買ったように(我ながら古いね)携帯ストラップに惹かれてここの本の中から探すことにする。それにしても、だ。そうそう毎年「雪国」ばかり読んではいられない。どうして去年とほとんど同じラインナップなのだろう。毎年、山ほどの書籍が発行されているはずである。去年の100冊と今年の100冊をまったく別の書籍に出来ない物だろうか、などと考えつつ、黄色い帯の付いた文庫からまだ読んで居らず、かつ面白そうな本を物色する。

この「面白い」というのも人によってまったく違うので他人の言うことを鵜呑みにするわけにも行かず、やっかいである。あまり面白いと中断するのが嫌になり、何もせず夜中まで読んで、せっかく探した本をみすみす一晩で読み終わらせてしまうというもったいないことも起こるのだ。だがやっぱり面白いに越したことはない。

2000.08.23

−文庫本U−

実生活にろくな事が起こらないとき、とかく悲観的な私は物事を悪い方に考えるという悪い癖がある。そんな時も本を読むに限る。本は図書館で借りるのが望ましいが、あいにく図書館には文庫本が少ない。新刊本は持ち歩くのにやっかいだし、読んだ本を期日までに返すというのは更にやっかいである。あいにく図書館へは車を運転しなければ行かれない。

文庫本は安い、と以前は思っていたがどうもあまり安くはない。最近では900円なんていう文庫本もざらにある。900円も出せば、まぁある程度長時間楽しめるから我慢することにしよう。

その「携帯ストラップ」に釣られて「海峡の光」(辻 仁成著)と言う薄い本を読んだ。だが、暗い。確かに海を舞台にした話ではあったが、結局家では開かず電車の中だけで読んだ。

次は軽めのものにしようと思い、私にしては珍しく短編集「びんぼう草」(群 ようこ著)にする。確かに軽く読めたがあっという間に終わってしまった。とりあえず2冊読んだのでストラップは入手出来る。だがどうも満足できない。

そんな時、別の出版社で「天使のリール」(喜多島 隆著)を見つけた。。嫌みが無く、さわやかで後味が良い。この「後味」というのも大切な要素のひとつだと思う。女子大生の釣り船の船長の物語だ。女子大生と言っても軽いノリではなく、彼女は縁側に座り、釣ってきた魚を七輪であぶってビールを飲む。釣りや海、船が好きな人はたまらないリアルなシーンが山ほど出てくる。久しぶりに一気に読んだ。相変わらず、夜中に読み終わって、もう終わってしまったのか、とがっかりした。どうも人間は魚と違って贅沢に出来ているらしい。

2000.08.27

−マリンレジャー−

南日本新聞に海に関するふたつの記事が出ていた。

第10管区海上保安本部では携帯電話による潮の満ち引きや日没時間の情報を提供しているそうだ。
鹿児島港、名瀬港、宮崎県油津港、熊本県三角港の4箇所。アクセス数は7月だけで333件と言うから相当な利用者数だ。反対に考えると、もしこれだけの問い合わせが電話でかかってきたら対応だけでも大変だろう。ただ、この情報を得る為には例の、私には未開の地であるiモードを使ってアクセスしなければならない。鹿児島でもiモード携帯電話を使っている人が増えているということなのだろう。他の管区でもやっているのだろうか。

もうひとつの記事は、なんと私が前々から何とかして欲しいと思っていた救命胴衣についてだった。しかもそれが改善されるという。船舶で着用するあのオレンジ色のダサイとも言えるライフジャケットの管轄は運輸省だった。モーターボートから落ちた子供を助けようとして飛び込んだ両親共に死亡した事故がきっかけらしい。死亡事故が起こらなければ改善しないというのは何とも情けない話だがそのジャケットの色、形、機能を改善して着用者を増やしたいという。すでに専門家の検討会が設置され、来年5月には具体策が出るそうだ。そんなにかかるはずはないと思うがまぁ良しとしよう。

ヨットに乗っている私の知り合いは誰もライフジャケットを着用しない。とにかく動きにくいのだ。ジャケットは発泡スチロール様のもので出来ている。そんなものを着てロープの散乱する狭いデッキ上で作業は出来ない。しかもまったく着ないとわかっていても法定備品として検査を受けるために人数分搭載している。現状これを活用しているのを見かけるのは枕としてだけだ。本当に必要な場合は法定備品として認可を受けられない海外製のものを購入するのが当たり前になっている。狭いキャビン内にひとり2枚のジャケットは要らない。
大いに期待したい。


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