ホノルル便り ーマヒマヒ日記ー 前編   マヒマヒです      


あまりにもふがいない英会話力に辟易して、ハワイ大学に短期留学してやろうと企み、留学ビザを取りました。
これは「夢」なんて大それたものじゃなくて、ただの「過程」で、解らないより解った方がが楽しいじゃないって言うくらいの
趣味の世界なのですが、
やっぱり思ったことが現実に出来るってことは楽しいものです。
「sea−la」はもともと魚の「シイラ」から来た名前で、ここハワイでは高級魚「マヒマヒ」の名前で知られています。
どうせ行くのならその名前をつけて日記を書け、とクエストを頂いたのでそのまま名付けました。
まぁパソコンの調子が続けば、ですが、
ご一緒に七転八倒して下さるか、さもなくば大笑いして頂くか、「嫌、違うぞ、こうしろ」なんてアドバイスして頂けると
私は更に嬉しく思います。
                                   2001.01.06 Honoluluにて


2002.01.06

−到着−

何と、本当にひとりでホノルル空港に着いてしまった。
息がつまるほど緊張したのは年始に友達の家から帰ってきて出発の前日までのほんの数日。大昔、卒業式で答辞を読むために舞台の袖で待っていた気分を思い出した。あれほど心臓が飛び出しそうだったのに、舞台へ上がってライトを浴びたとたん、不思議に落ち着いたのだ。以来、人前で話すのはどうってことない。到着まではそんなものだった。日曜日出発だったために鹿児島空港まで友人が送ってくれ、羽田から成田までも別の友人のお世話になった。

JALのフライトは何と5時間40分。いくら成田の方が福岡より東にあるからって、ひょっこりひょうたん島のように近づいたわけではあるまい。確か以前は7時間とか7時間半だったはずである。しかも空いていた。空いているのも限度問題で、横1列10席の座席は、窓際3席を独り占めした私の他には誰もいない。しかも私の前は2列ほど前に人影があり、後ろは5列ほど誰もいなかった。飲み物や食べ物はワゴンで運ばれるのではなく、スチュワーデスがメモを持ってオーダーを取りに来た。従って機内誌を読んでいる暇もなく、食べて、飲んで、ちょっと寝たら、着いた。1人で暇を持て余したら英語の勉強でも、と思ったが到着55分前に起こされて、ジュースを飲みながら出入国カードを書くのがやっとだった。

出入国カードはいつもの緑色ではなく、ビザを持っている人用の白い物でビザ取得日を書く以外は質問事項も少ない。いつもと違うので少しだけ心配していた出国手続きも入管も何一つトラブルなく、手荷物ひとつ開けられることはなかった。靴底にプラスティック爆弾を仕掛けたというテロが居たと言うことだったが、靴を脱がされもしなかった。だが飛行機に乗る直前、普段そんなところにはないはずの通路にテーブルが置かれ、中東から来たと思われるヒゲの人が確かに靴を脱がされていた。この時期ヒゲはいけない。到着後、皆がターンテーブルから持ち上げることも出来ないような巨大なスーツケースをオロオロと引っ張っているのを後目に、私はボストンバック1つをカートに乗せて税関を出た。帰りにどんなに荷物が増えてもこの人達くらいだろうと思うと妙に気が楽だった。

最初の試練は空港だ。出発前日、「隣人が貸し部屋を持っている」と言う例のヨットレースでの知り合いHankから、「隣人と連絡が付いた。あなたに部屋を貸したいと言っている。空港まで30分もかからず迎えに行くから空港に着いたら電話をくれ。」と言うメールが届いたのだ。だから何度も言うように、メールかFAXならまだしも電話はまずい。しかも機内で予習できなかったし・・・。

「Is this Mr.Hank?」「May I speak to Mr.Hank?」。う〜ん、他にどんな場面がありえるのだろう。まぁ、いいや、とにかく「I arrive at the airport just now.」だ。で、どこに居るって言えばいいんだろう、なんて考えていたのだが実際かけてみたら「This is Hank.」と言われた。しかも「国際空港だよね」に「Yes」と言っただけで私のセリフは終わり、「20分で行くからね」と言われたような気がする。この際待つだけなら20分でも2時間でも構わない。ホノルル空港の天候は晴れ、摂氏26度とのことだった。雨上がりで雲が早く流れており、早々にジャケットを仕舞った私は待つのに何の問題もなかった。Tシャツ1枚でちょうど良い、と言うくらいだろうか。

ぴったり20分後、きれいな生花のレイを持ったHankが、細くて感じの良い長身の奥さんと一緒に、しかもいつものピックアップトラックではなくピカピカの新車のジャガーに乗って現れた。
本当の、笑っちゃうほどの試練はこれからだった。

2002.01.08

−滞在先−

迎えに来てくれたHankの奥様は、「こんにちは 初めまして」と日本語で挨拶してくれた。だがそれまでで、彼女曰く「Airplane Japanese」なのだと言う。他にわかるのは「飲み物はいかがですか」と「ビールを下さい」だけなのだそうだ。良い香りのレイをつけたまま、新車の後部座席に座る。革張りの座席があまりに新しすぎてお尻がすべるほどだ。ハンドルに金色のトラの顔が付いていた。、カセットテープを入れるところにJAGUERと書いてあり、やっと車種が判明した。すでに英語の授業が始まったかのように奥様の、「ここがパンチボールで、あっちがダウンタウン」と案内を受けながら彼らの家に向かう。ダイヤモンドヘッドを右手に見ながらハイウェイ1を左にそれ、丘に登る。

白いペンキを塗った木の家が可愛い。家の横の車庫ににJAGUARを突っ込む。いつもの見慣れた白いピックアップトラックともう一台のこれも白いセダンが無造作に家の前の路上に停められている。フローリングの家に土足で上がり、玄関ではなく何となく靴が並べてある片隅に靴を脱ぐ。あとは裸足。部屋は吹き抜けのような作りで異様に天井が高く、部屋の仕切がないまま、キッチンからリビングのスペースになっていてその向こうがラナイ、つまりベランダだった。ラナイには籐とクッションのソファが置かれていて他に何も遮る物なくダイヤモンドヘッドが見渡せる。丘に建っているため一段低くなっているベッドルームも、ランドリールームも、階段を上がった仕事部屋も、ドアが閉められて居らず開放的だ。ガラス窓が大きく、ベッドから寝たままでダイアモンドヘッドが見えるんだよ、とHankはちょっと自慢気だった。

「Dianneは今教会に行っているので昼まで戻らない」と言われた。どうやらその人がメールで知らせてくれた隣人で、部屋を持っている人らしい。一体その人はどんな人で部屋はどこにあるのか、どんな部屋で家賃はいくらなのか、聞きたいことは山ほどあったがそんな込み入った話は出来ない。家を案内してもらい、お茶を飲むと話せることも尽きてきたのでドライブに連れて行ってもらうことになった。風光明媚なハナウマ湾を抜け、シーライフパークの前を通り、いくつかの駐車場に車を停めて海を眺めた。この時期波が高い日が多いのだそうだが今日はFlatだとのこと。ボティボードで有名なサンディビーチやヨットレースで通ったココヘッドへも行った。高級住宅地、カハラのショッピングセンター「カハラモール」と「カハラマンダリンホテル」をまわって家に帰った。私も好きだったモールにもあるデパート「リバティ・ハウス」は「メイシーズ」に変わってしまったそうだ。カハラはゴルフのソニーオープンで盛り上がっていた。

さて、戻ってくるとHankの奥様が隣の家を覗いている。「まだ帰っていないわ。」と言うことは、隣人のDianneと言う人は本当に隣の人だったようだ。ご夫婦は思い思いのことを始めたので新聞の日曜版、カラーのコミックだけのページを広げたが何だかわからず笑えない。ついていたテレビはゴルフだったのでCMなら理解できた。こんなことで良いのだろうか。奥様が紹介してくれると言う日本人に電話をかけ、替わってくれた。その日まともに話す最初で最後の日本語だった。ハワイ大学に勤めていたとHankから聞いたハキハキとしたその女性は実はなんと博士課程を卒業し、ハワイ大学では客員講師で、パイナップルなどの研究をしていると言う凄い人だった。日本でも小型ヨットのデインギーに乗って居たと言い、「最近は忙しくて乗っていないけど一度会いましょう。今週末のFriday night raceはどう?」「いえ、授業が何時に終わるかわからないのでレース後だったら行かれると思います。」「じゃ、その時に。何かあったときの為に携帯と研究室の電話番号を言っておくわ。」とのことだった。

Dianneが登場した。ピンクのスーツを来た可愛い人だった。それっ、とばかりに「部屋」なるものを見に行く。見て、話を聞いて、検討して、決めるのではなく、いきなりHankに私の荷物を全部担がれてしまった。4人で隣の家へ行く。アパートなのか、コンドミニアムなのか、寮のようなものなのかすらわかっていなかったのだが、どうやらここは実際にこのDianneが住んでいるようである。家の作りは隣のHank家と同じ様だが雰囲気が違った。教会に行くと言うだけあってオルガンが置かれ、ロウソクが飾られていた。階段を上がって2階へ行く。「ここがあなたの部屋よ」「?」。Hankは「Oh、nice room!」と言った。確かに居心地の良さそうな部屋だった。ベットメイクされたベッドには花柄のベットカバー、東芝製のテレビ、ビクターのCDラジカセが置かれていた。Dianneはいきなり台所の使い方を説明し始めた。「Are you OK?」「Y,Yes」。
Hank夫妻は「See you next Friday!」と言って帰って行ってしまった。
恐れていた滞在先はわずか3分で決まった。

2002.01.10

−滞在先 2−

まさか自分がホームステイすることになるとは思わなかった。その方が英語の勉強になるとか安上がりだと言うが、そもそもこれはホームステイと言うものかどうかも未だにわからないのだ。
ホームステイは難しく、「ベジタリアンだったらどうするのよ」とか、「気が合わない場合だってあるじゃない」と言うのが定説だった。だけどまぁとりあえず予算内に安全なところに住めれば良しとしなければならない。こうなってはベジタリアンかどうかはたいした問題ではないように思えた。

Hank達が帰った後、「一体コレはどういうしくみになっているんだろうか。この、Dianneと言う人はここに暮らしているのか、だとしたら他に家族は居ないのか。そもそも家賃はいくらなんだろう。」と言うナゾが沸々と沸いた。ナゾを解き明かすには目の前の、金髪でブルーの目の当人に尋ねるしかないのだ。またこれがHank夫妻よりずっと早口で、いくらゆっくり話してと言っても「ごめんなさい。次からはゆっくり話す様、約束するわ」と言った直後、すぐにまた早口になってしまうのだ。「Do you have any question?」(大ありだよ、大あり(^_^;))そしてメモと電子辞書を使って何とか1ヶ月の家賃が$675と言う私の予算内であること、家賃には基本的な食料、パンやレタスやトマト、その他食料品が含まれることなどを聞いた。どうやら「夕食は時間があれば一緒に食べておしゃべりしましょうね。その方が英語が上達するのよ。」と言っているらしかった。私としてはもう予算内であると言うことがわかっただけで満足だ。

その後彼女は、「私、とってもお腹が空いているの。あなたは?」と言う。すでに午後2時をまわっている。お昼になってもHank達はお腹が空かないのか一向に昼食になる気配がなかったのだ。で、彼女の作ってくれるサラダをご相伴することになる。刻んだアボガド、レタス、トマトに茹でたチキンの入ったごく普通のサラダに「好きなドレッシングをかけてね」とのこと。美味しかった。アメリカ人は見るだけでうんざりするほどの量を食べるものかと思っていたのだが私と同じくらいで良いらしい。飲み物もアイスティーで私の好みに合っていた。何もしゃべらないのは苦しいので、何とか日本ではアボガドにワサビと醤油をつけて食べることもあると話した。その話が通じた証拠に、夕飯に出された半分のアボガドと一緒に粉ワサビの缶が出てきた。粉ではまずいので持参の練りワサビに醤油を溶いたら彼女は大変気に入ったらしかった。

昼食後はバスルームの使い方などを説明されたが、「ハワイはantが多い」の「ant」がわからず悪戦苦闘した。蟻のことだった。「あなたも毎日洗濯するの?」「いえ、そんなにたくさん衣類もないし。」「そう、良かったわ。日本人は毎日洗濯するのかと思った。」と話したような気がする。その後、何とか言う近くの語学学校の日本人留学生を何度も受け入れていること、この家には1人で住んでいること、年末年始に故郷であるメインランド(アメリカ本土)に6週間行っていたこと、ユナイテッドエアラインに33年間勤務し、早期退職したことなどを聞いた。聞いたと言っても理解出来たのは彼女の話した1/5くらいだろうか。

彼女とは別のバスルームでシャワーを浴び、彼女の作ってくれた「醤油チキン」とサラダ、パラパラのお米で一緒に夕食を取った。テレビではショーンコネリーの映画をやっていた。当然、字幕スーパーもないのでわからない。「ショーンコネリーと彼女、どっちがthiefだと思う?」「thief?」すぐに辞書を持って来いと言われ、調べる。泥棒のことだった。そんな英語、習った覚えはない。「両方とも泥棒なのよ」と言う解説でやっと彼らが何をしているのかわかった。ちょっとだけ、面白かった。とりあえず食べる量とテレビ番組の好みも合いそうだ。10時に寝た。ハワイに着いてからの、長い長い1日だった。


2002.01.12

−二日目−

翌朝は7時に友達を空港に送らなくちゃいけない、とDianneは言っていたようだった。朝早く、部屋の電話の子機がけたたましく鳴った。窓からは隣のHankの家の車が見えた。ひとりで起きてトーストを焼いてバターをつけ、インスタントらしきカフェオレを飲む。そう言えばやかんがないのだ。昨夜お茶を飲もうとしたら、「お湯が欲しいの?沸かすのと電子レンジとどっちが良い?」と聞かれたのだ。お茶をチンしたんじゃ雰囲気が出ないでしょと思って「Boil」と言ったら鍋が出てきた。一体ここでは紅茶を飲むときはどうしているんだろう、と思ったら何とコーヒーメーカーを使っているらしい。びっくりした。どうも時差ボケか疲れか調子が悪い。もう一度寝る。彼女は帰ってきたようだったが10時に学校まで連れていってくれると言っていたし、まだ時間はあるので休んでおこう。とにかくここはハワイ大学までの交通の便が悪い。ひょっとするとバスを2度乗り換えなければならないので1度だけは車で連れていってくれると言うのだ。嬉しい。

さて、10時。知らないうちにその友達のだという新車が1台増えており、Dianneの趣味だという思いっきりクラシックカーの、これまたジャガーが出せないので新車に乗る。「今日は何がしたいの?」「大学の手続きと、出来れば銀行口座の開設とバスの定期を買いたい」と昨夜と同じことを言った。言ったといってももちろん文章になどなっておらず、通じたかどうかもわからない。「それだけ?」「Yes」(それだけできればたくさんだ)
車で行けば15分の距離、彼女は何か用事がありそうだったので1時間後にここで良いかと聞く。「手続きは10分で済むと言っていたけど良いの?」「OK、OK、No ploblem」(別にこちらが待つだけなら一向に構わない)案の定、手続きは10分では済まなかった。

やっと探し出した建物でパスポートと旅行傷害保険の証券を提示し、発音が勉強したいのか、vocabularyか、文法か、と言うような希望調査をされる。加えて「あなたははしかの予防接種を一度しか受けていないので二度目を受けるように」(アメリカの法律では2度受けなければならない)と言われ、構内の診療所の建物を示された。途中二度も行き方を尋ねた診療所ですったもんだした挙げ句、血液検査をして陰性だったらそれでよいと言うことになり血を採られた。こういったことが言葉が通じないと苦しい。

再びDianneの車に乗り、買い物に立ち寄った。「fresh tomato」を買いたいのだそうだ。卵は日本のように10個パックではなく12個パックなのだと初めて知る。まぁもともと初めて知ることばかりなのでいちいち驚いていたのでは身が持たない。Dianneはレジで知り合いに会ったらしくどこかのおばさんと抱き合っている。生姜の鮮度を話しているらしい。と言っても生姜を手に話しているからそう想像しただけなのだが。

次は家の近くの銀行に到着した。彼女は自分で何やら銀行に用事があるらしく、「ここに名前を書いて、呼ばれたら行くのよ」みたいなことを言って別の窓口へ去った。名前を呼ばれる。First Hwaiian銀行の女性は皆とっても優しかった。大きな木の机に座っている、長い黒髪の若くてきれいな担当の女性は、何とカタコトの日本語が話せた。その日初めて聞く自分の声ではない日本語だ。私のカタコトの英語と合わせて、何とか歩み寄りを測る。普通口座開設に、母方の旧姓を聞かれるとは思わなかった。担当の女性は日本に行ってみたいとしきりに言っていた。最後に入金と出金の用紙を出してそれぞれ記入の仕方を教えてくれて手続きは終わった。キャッシュカードは2、3日で郵送されるとのことだった。

最後にバスの定期を買わなければならない。ワイキキまで行かなければ買えないと言うことだったが近くのカハラモールにバスの時刻表をもらいに行ったらスターマーケットで買えた。1回乗る毎に1ドル50セントのバスだが、路線を問わず1ヶ月乗り放題で27ドル。ただし、5日に買っても10日に買ってもその月いっぱいと言うのがアメリカらしい。月ごとに定期のデザインが変わるのだそうだ。学生定期は高校生までとのことだったが27ドルでも充分安い。

「モールでショッピングして行く?それとも私と一緒に帰る?」もちろん帰る。もうヘトヘトだ。

2002.01.14

−授業開始まで−

バスの定期を手に入れたのでバスに乗る練習をしなければならない。こちらのバスはバス停に名前がなく、つまりバスの時刻表を見ても大ざっぱにしか載っておらず、知りたいところが何という停留所だかわからないので何時に来るかもわからない。バス停に名前がないのだから当然、「次はナントカ前です。」なんてアナウンスもない。乗った人は居眠りなど出来ず、自分の降りるバス停の前まで来たら「stop requested」のひもをひっぱらなければならないのだ。Dianneの家を出て冒険に出かける。毎日が冒険なのだ。朝、「今日はどこに冒険に行くの?」と言う質問に答えることひとつにも気力と体力が必要となる。お手製のリュックを背負って坂を下りる。この坂を上ったり降りたりするバスは1日に4便しかないらしい。さすがに暑く、下り坂なのに汗をかく。バス停まで15分くらいだろうか。バスパスを見せてバスに乗る。とりあえずハワイ大学まで行って見よう。途中乗り換える。乗り換えないとまた15分くらい歩くハメになるのだ。学校までかれこれ1時間。東京に比べれば何てことはない。そこから再びバスに乗ってワイキキまで出るアラモアナS.Cまで来てやっとハワイへ来た気がした。フードコートでお昼を食べているとようやく飛び交っている日本語が聞こえた。ヨットレースでお世話になったアラワイマリンへ挨拶に行く。「玉錦」と言うお米が美味しいと勧められた。やはりお勧めの、ダイエーに寄って買い物。キューピーマヨネーズ1本がワインクーラー4本より高い。

案の定、帰りの坂に苦労した。いくらダイエットに良いと言っても日本ではこういう坂を「心臓破りの坂」と言うのだ、と言ってやりたかったが何と言えば良いかわからない。「どうしてもこの坂のバスのルートと時間が必要なんです。」と訴えて、ようやく午後5時27分最終の、坂の下からのバス停を聞き出した。少しは学習能力があったので翌日の帰りには乗ることが出来た。午後4時20分に終わる授業からの帰り、このバスに乗れないととんでもないことになる。昨日、心臓破りの坂を登った為、筋肉痛だ。

2日間歩き回ってオアフ島全島の詳細なバスルートマップを探したが見つからなかった。日本のガイドブックにはダイエーか日本製品を扱う白木屋、または日本書籍を売っている文文堂に「徹底ガイド」があるとのことだったがどこにもない。料金が改正になったためだろうか。やむなく少しは載っている英語版のバスガイドと、市役所の支所のような所へ行って無料で置いてある路線毎の時刻表をもらって来た。

ゴルフのソニーオープンを見るために、Dianneの友達Glegと言う人が遊びに来た。もうひとつのゲストルームに泊まると言う。これがまた陽気な人で私に話しかけ続けるのでたまったもんじゃない。「あなたがまだ生まれていない頃」ハワイ大学を卒業したと言う。(そ、そんな。)朝ご飯のピーチマフィンとコーヒーをごちそうになっている間、夕食を一緒にどうかと誘われた。こんな機会はまたとないと思いOKした。こちらではどんなことにも「行きたいか」「行きたくないか」なので「どちらでも良い」とか「お任せします」は通用しない。Dianneは60歳くらいのはずなのだが日本人のオバサンのように高価なものはほとんど身につけておらず、それでいていつもオシャレだ。前日は無地のブルーのニットアンサンブルに白地にブルーのハイビスカス柄のパンツ、ブルーのゴムで髪をくくっていた。この日のディナーもジーンズのスカートに白いユニオンジャック柄のTシャツ、ジーンズのジャケットだった。ユニオンジャックの小さなブローチとお揃いのピアスをつけていた。いつもキッチリ、マニュキュアをしている。

二人の友人だと言う、ユナイテッドエアラインのチーフパーサーご夫妻と一緒にステーキを食べた。チーフパーサーは思い切り古い日本語をカタコト話せたがほとんどが英語だった。本物のEnglish showerだ。10%もわかっただろうか。たまに「今、私達の友達が病気だと言う話をしているんだよ」と隣のglegが教えてくれたり、私向けにゆっくり話してくれているときだけ少しわかる程度だ。食後、レバーをチェンジすると言うので何だろうと思ったら、どうやら肝臓移植の話だったらしい。各自、自分のランチョンマットに絵を描けるようになっている店でテーブルにはクレヨンが置いてある。これが結構幸いして盛り上がった。3種類の砂糖があって、ダイエットシュガーと普通の砂糖ともうひとつは何?と聞いたら、日本語で「ナマ」だと答えられた。精製してないってことだろうか。ダイエットシュガーは「サッカリン」だそうだ。今時サッカリンなんて日本人の方が知らないのではないか。明日仕事で成田まで飛ぶと言う彼は17フィートのボートをカネオヘの家に持っており、200ポンドものマグロやカツオが釣れるという。
17フィートのボートでそんなに大きな魚が釣れるはずはないと言うと、「彼女が信じてくれない。本当だよね。」と奥さんに訴えていた。あまり小さいのはかえって美味しくないので刻んでポキにするのだ、と言っていた。

4人とも各自のステーキとみんなで頼んだサラダだけでさほど驚くほどは食べず、誰もタバコを吸わず、しかもGlegのおごりで、初めての外食は無事に楽しく終わった。

2002.0116

−授業開始前日−

ハワイに到着した日を含め、授業が始まる日まで5日間あった。もし、同じようにする人があったら出来れば最低このくらいの余裕を持つことをお勧めする。特に初めて行く場所や知らないところに滞在するのだったら尚更だ。身体もだいぶ慣れてくる。英語にはなかなか慣れないが緊張ばかりもしていられなくなる。Dianneが話すこと全部はわかりっこないし理解しようとするとヘトヘトになっちゃうので、ある程度は独り言かもしれないと思うようになる。確かに日本語は本当にどこにもないけれど、自分の頭の中では常に日本語が流れているのでまだ日本語を話したいと思ったことはない。

と言うわけで、4日間でバスパスの元を取ったような気がする。乗り換えるので1日5、6回は乗った。まず朝起きて適当にご飯を食べる。誘われればそれを頂き、そうでないときはパンをトーストしたりして食べる。食器は食器洗い機に放り込んで置き、たまったら稼働させるのだそうだ。通りで寮みたいに同じコップや食器がたくさんあると思った。箸や丼までたくさんある。ちなみに箸だけは食器洗い機のザル状の目から落ちてしまうので手で洗う。

そうそう、ゴミ出しがまた画期的なのである。日本ではゴミの集積所に、決まった日に決まったゴミを出しておくと集積車が来てバラバラと数人がかりでゴミを車に放り込む。ゴミの袋まで毎回買って来なきゃならない。だがしかし、こちらでは運転手ひとりなのだ。しかも車から降りない。思わず作業を窓から覗いてしまった。各家の前に巨大なゴミ箱を蓋を道路の方に向くように出しておく。日本の蓋付きバケツ型よりもっと大きく、四角い。黄色い車のドライバーはその横に車を止め、なんと器用にも車に付いているクレーン状のものを使って真横にあるそのゴミ箱をつかみ上に持ち上げるのだ。持ち上げられたゴミ箱は逆さまにされ、片方がちょうつがいになっている為蓋が開き、ゴミが下に、つまり車の中に落ちるしくみとなっている。空のゴミ箱はそのまま元あったところに降ろされる。そして車は隣のHankの家に去って行った。つまり各家の前に出してあるゴミだけ集めるのだ。何て合理的。驚いたことに分別ゴミはリサイクルの缶など以外ないらしい。どちらにしろ生ゴミは流しへどんどん捨て、ディスポーザーで粉砕する。超カンタン!

いよいよ明日から授業なので初めて洗濯をした。これがまた驚いてしまうのである。洗濯槽に洗濯物を入れ、通常の蓋を閉める前に炊飯器の中蓋のような皿状の蓋が二つもある。片方に洗剤を均等にまき散らし、その上の蓋には柔軟剤を入れる。年代物らしく凄い音がする。「乾燥機で乾かしたい?それとも干す?」乾燥機は恐ろしいのでハンガーで干すと答えた。だがしかし、バスルームの浴槽の上。まぁ、風があるからなんとかなるものの、こんな天気の良い日に日光に当てればすぐに乾く物をもったいないとは思わないのだろうか。

さて、リュックにクーラー対策の上着、バスガイドブックと時刻表など数冊、去年の夏購入した英語版のオアフ島マップ、電子辞書、メモ帳とボールペン、それに水などを放り込み(結構重い)、ポケットのいっぱいある短パンの蓋付きポケットにサイフとハンカチ、鍵を入れ、Tシャツかアロハシャツを着、首からバスパスをぶら下げて家を出る。私はいくら履いても疲れないのでビーチサンダルを愛用している。

ハワイは確かに暖かい。だが朝晩とか、バスに長く乗っている時やクーラーの効いたショッピングモールに居ると冷える。そこで履いてきた物1枚しかないジーンズの補充をしよう、と言うのが明日からの授業を控えたこの日、私が決めた冒険だった。先日車に乗せてもらった時Dianneが、通っている教会の隣にある古着屋を勧めてくれた。どうやらここの古着は知能障害者などを雇って洗濯をさせているとのこと。質が良くきれいなのだそうだ。「ジーンズだったらココが良いわよ」と言われたのだ。徒歩で坂を下り、バスに5分ほど乗って「WAIARAE」と言う地区へ着く。教えてもらわなければ絶対に、そこが古着屋でしかもジーンズが置いてあるなんて思わないだろう。だがあった。結構たくさん客も居た。安い。ジーンズもスカートもブラウスも、4ドル99セントだった。アメリカらしく、30種類ものサイズがまったく区分されていないので一回りし、試着する。ちょっと大きいけど新品同様の「TOMY HILFIGER」のジーンズとデニムのスカート、それにアロハシャツのコーナーで「WAIKIKI YACHT CLUB」のアロハを見つけたので購入する。全部で20ドルそこそこ。夜、1日だけGlegのソニーオープンにつき合っていったDianneにも「デザイナージーンズじゃないの。探したでしょう」と大いに評判が良かった。大満足で帰りのバスに乗った。カハラモールで昼食に、食べられる時に日本食をと言う守りの姿勢から「小僧寿司」を食べた。アラモアナS.Cのものと違って日本のようなお米だ。美味しい。注文する時、ローマ字のメニューを完璧に(当たり前だ)発音して妙な気がした。まさかアメリカ人のような調子で「MORIAWASE」などとは言えない。結構アメリカ人も食べていた。何と注文するのだろうと聞いていたら「トロ」とか、わからない人はそこの3ドルの、何て言ってる。おかしい。

夕食はGlegがオーストラリアから冷凍で持ってきたラムを食べようと誘われる。「ラムは食べられる?」「もちろん。」つくづく好き嫌いがないのが有り難い。

2002.01.18

―学校初日―

初日の朝、10:15集合とのことだったが8時ごろ家を出て早めに行く。練習では1時間かかった通学路だが、バスの接続が良く40分ほどで着いた。余裕で構内を探検する。出ていたワゴンで75セントのコーヒーを買うと何やらカードにスタンプを押してくれた。集めると何か良いことがあるらしい。木陰のベンチと傘の付いたテーブルで飲んでいるとかわいい小鳥が飛んできた。

血液検査の結果は午後にならないとわからないと言われた。ミーティングが始まった。生徒はほとんどが日本人の女の子。20代中頃から後半が多いようだ。そこで初めて私の境遇が(通学の坂道を除いて)他の人よりずっと恵まれていることに気づいた。初めだからわからないので仕方がないとすべてを高額なパックで旅行社に頼んだ人、その業者を見送りに外へ出、鍵の開け方がわからず3時間もドアの前で過ごし誰も助けてくれないのでもう帰りたいと嘆く人、あとはアパートやコンドミニアムに1人で滞在しているか親戚の家に居る、またはホームステイであってもホストファミリーが日本語を話せるため英語を使っていない人など。中にはやることがなくてつまらないなんて言う人まで居た。まぁ、本人達の気の持ちようと言うか努力不足と言う感じもあり、何も設定がわからないままパソコンを日本から持って来て使えず毎日インターネットカフェに通っているとか、バスパスって何?、なんていくら何でも観光ガイドブックの知識も仕入れていない人まで様々。中には私のように滞在先を決めずにこちらへ来て2日間ホテルに滞在しながら、しかも自力であちこち電話を掛けて、結局コンドミニアムに各国からの学生8人と共同生活をしているなんて強者も居た。女性強し!

生徒数はいつもより少ないらしく、テロ事件と円安が原因か今回の新入生は全員で25人。他に継続の人も居るのだそうだ。担当の先生が5人ほど紹介された。先生の言っていることは思ったより結構聞き取れた。貝殻のレイを首に掛け、ムームーのような服を着ている先生も居る。クラス分けのためのテストが行われた。大昔受けたTOIECを思い出した。ヘッドフォンから流れる英語を聞いて5つの答えからひとつを選びマークシートを塗りつぶす。簡単な物は「He is a  teacher」のisを、amやareなどから選ぶと言うような類だ。当然だんだん難しくなる。100問もあってヘトヘトになった。集中力が続かない。次は3つの四角の中から英文で言っている正解を選ぶ問題。花の名前が書かれている物はどれかとか、小さい円が大きい円の上に描かれているものはどれか、と言ったようなテストだ。

その後個人面接となる。面接とか口頭試問と言うと恐ろしいが、英語ではインタビューと言うので何か取材をうけるような気分だ。面接の待ち時間を利用して「キャンパスツアー」と言うものが行われる。何事かと思うが「構内案内」のことで、学生が案内してくれる。ブックストアやカフェテリア、図書館に郵便局と何でもあり、それだけをまわるだけで30分もかかった。一緒に回った日本人生徒と昼食を取ることになる。ひとりはアパート暮らしでおにぎりを持って来ており、もうひとりはテレビもなく冷蔵庫も共同の為使えないと言う寮からなので構内は得意と見えジュースとパンを頬張っており、二人は日本の彼氏の話で盛り上がっている。私はふだん、しかも旅行ではめったに食べられないはずだったのだが、カフェテリアに並んでハンバーグステーキプレートを持参の水と共に平らげた。ライスとポテトどちらか2スクープと言うところ1スクープずつにしてもらい、サラダとコーンもついている。値段は5ドル程度。思ったよりご飯が日本の物に近く、美味しい。更にもうひとりは「先生の言っていることがまったくわからない」と、見るからに緊張した様子で何も食べられそうもないとジュースを飲んでいる。こちらに住む妹の家に滞在しているそうだ。

「出来ないから勉強しに来たのだ」と言う開き直りからか、Dianneとの会話で少しは慣れたのか、インタビューは少しも恐くなかった。面接官は例の貝殻レイの先生で、「お名前は?」「いつこちらにきましたか?」「初めてですか?」「前に来たときは何をしましたか?」「どこに滞在していますか?」「そこはどんな所か話して下さい。」「来てから毎日何をしていますか?」「日本で何か仕事をしていますか?」「どんな仕事ですか?」などと言うようなものだった。文章になっていたとは思えないが何とか答えた。

10分ほどで終わり、ブックストアを覗いて帰る。

2002.01.20

―Friday Night Yacht Race―

ハワイへ来て5日目、実は学校初日の夜と言うより夕方に、「Friday Night Race」と言うヨットレースがワイキキのハワイヨットクラブで行われる。日本では考えられないことにそれは毎週金曜日の夕方開催されるのだ。私の友達にも垂涎のレースなのだが、平日は授業のため念頭になかった。それでレース後に会いましょうと約束していたのだ。それが初日はミーティングとあって早く始まり、従って早く終わるので参加出来そうなのである。隣の家のHankにメールを出して伝えたところ(^_^;)、「そりゃあ良い。楽しみに待ってる。」と言う返事が返って来た。学校から直接バスでワイキキへ向かう。会員制のクラブなのだが勝手に入る。今日配布されたプリントを眺めているうちにHank登場。何やら仲間や奥さんと、持っていく氷とビールの銘柄について大騒ぎしている。こりゃあハードなレースではないらしい。

40フィートほど、カタリナと言う種類のクルージングタイプの新しいヨットに乗った。何となく隣にいた人と皆握手などして出航する。誰も定員や艤装を心配してイライラしたり、あの人は誰?なんて気にしている人は居ない。どうやら繰船もしたい人がするようであとはゲストらしい。皆、いきなりビールだ。スタートは5:30頃だというので時計を合わせる。頃と言うのがどうにも怪しい。ハワイヨットクラブの鐘が吊された柱と水路の向こう側の椰子の木の間がスタートラインだと、去年聞いていなければわからなかった。平日の夕方、しかもまだ5時過ぎだというのに30艇以上は居ただろうか。しかも皆ゲストが鈴なり。もちろんビール片手に、だ。一体この人達は何時に仕事を切り上げたのだろう。

狭い水路内を怒鳴り合うこともなく、鐘が鳴ってスタートした。ハワイの海とは思えないほど穏やかだった。夕方は風が落ちるのだそうだ。海に出て何か思い切りホッとした。楽しかった。太陽がワイキキ中のビルに反射して、本当に金色に光っている。ジェネカーを揚げる。「風がないぞ」と言っているのはどこもヘルムスマンだけで、そう言う彼だって片手にはビールなのだ。陽が沈みそうになった。見たこともなく美しい夕陽にレースそっちのけで全員が見入った。太陽が海に沈んだ瞬間、あちこちの艇から歓声が上がった。その後空いっぱいに点在する薄い雲はオレンジ色になり、ピンクになり、やがてあちこちにネオンが輝いた。海から見るワイキキの夜景も美しかった。

どこがマークかもわからないくらいのうちにマークにたどり着き、ジャイブして帰って来た。出航する時最後に乗り込んできたHank夫妻の友人、パイナップルを研究している博士が、「滞在の注意点」とか「英語を勉強するためには」等と固い話ではなく、いきなり「日本人にはわかりにくいヨット英語」なんて言うのを教えてくれた。誰もシリアスにはならないらしい。外見では彼女が日本人だと言うことに気づかず、英語で挨拶してしまったのだ。彼女も英語で返事をしてから、「あ〜良かった。お会いできたわね。」と言ってくれた。日本人と英語で話すのは変な感じだ。話しかけられた全員と話すのはちょっと大変だったけど楽しいレースだった。

レースが終わるとお決まりのパーティーだ。ハワイヨットクラブに集まり、皆、つまみもないのにアルコールだけを片手にあちこちで挨拶したり歓談している。紹介されまくったが誰が何と言う名前だか覚えられない。ヨットクラブにはバーがあって各自飲みたいものをそれぞれ勝手に買う。しかも安い。何でも1ドルから2ドルで買え本当に便利なのだ。日本も早くこうなれば良いなぁ、なんて思ってしまう。パイナップル博士とHankの奥さんが何やら私の方を見ながら話している。「そうね、それがいいわ。」と言うのが聞こえた。実は来週、「Women's Yacht Race」と言うのがあるらしくそれに私を誘おうと言う話だった。ラムコークが効いたのも手伝って土曜日は学校が休みだし、どうせ来週の「Friday Night Race」は出られないし、もちろんOKする。
ハワイも、楽しくなりそうな予感がした。

2002.01.22

―The first weekend―

初めての土曜日は、学校から渡された「Student Handbook」を読むのに費やされた。私は生まれてこの方、こんな、一冊で27ページもある英語を全部読んだことがあっただろうか。しかもこのハンドブックを読めと言う証に、宿題と称して一枚のプリントが渡されている。そこに書かれていることが正しいか、間違っているかをマークし、必要な、例えば緊急時の電話番号などを記入しなければならないしくみになっている。宿題が、と言うより読むことに5時間かかった。時間割の仕組みを読んで自分なりに時間割表を作り、卒業?に必要な欠席日数の数え方を読み飛ばした。私はその「知らなければならない」ことの他に、「知って置いた方が良いこと」まで知りたいのだから欲が深い。どうやらIDカードと言う物を申請すれば作ってくれるそうでこれは何かと便利らしい。そんなに便利ならみんなに作ってくれれば良さそうなものだがそこもまたアメリカらしい。結局一歩も外に出なかったが別にストレスも貯まらなかった。

そんなわけで日曜日は外出することにした。少し食料も買っておきたい。ただ問題なのはカハラモールから坂を上がってくるバスがないこと。この数の少ない貴重なバスは平日(月〜金をWeekdayと言う)のみなのだ。帰りに歩いて登るとなると結構覚悟が要る。だけど出かけた。いつもと同じように水を入れたリュックを背負って、ワイキキの方に出てみる。びっくりするほどバスの本数が少ない。アラワイマリンに寄ったのだが土日は休みだということを行ってから気づいた。どうも動きが取りにくい。

遠出は止めて、アラモアナショッピングセンターから少し先のワードウェアハウスへ行く。「チャウダーハウス」でお昼に、夏に食べた「パンボール入りクラムチャウダー」を食べる。以前行ったときと違って、店員が日本語のメニューを持ってこないので気分が良かった。まだ来たばかりなのでお土産も必要なく、一回りして裏側のマーケットに行ってみる。「マルカイ」と言って会費制の店で、年間40ドルも払わなくてはいけないらしいがどうも日本人観光客には優遇制度があって「パスポートか免許証を提示すれば」臨時カードを作ってくれるらしい。幸い財布に日本の免許証が入っていたので見せて入る。
とまぁ、びっくりした。まるで日本のスーパーなのだ。お菓子も、乾物も、カレールーもすべて日本製。私はひとつの店にこんなに種類の多い納豆を見るのは初めてだ。果たして日本に「麦トロ納豆」なんてものがあっただろうか、などと思いながら店を回る。心なしか野菜が貧弱で高い。これもまた日本の都会のスーパーのようだ。大根なんて他の野菜と間違えるほど細くて短い。それに椎茸が5ドルとは驚きである。700円近くも出して買う人が居るのだろうか。私が一週間かかっても食べきれないほどの牛肉もたいして変わらない値段なのだ。

探していた、タラコと明太子の、茹でたスパゲッティに混ぜるだけのソースと、アラワイマリンのMICHIKOさんお勧めのお米「玉錦」があったので重いのを覚悟で買う。おばあちゃんか誰かに見られたら「戦時中の買い出し」だと言われるだろう。5ポンド(2.27キロ)と言う、半端ながら小さいサイズがあったのだ。しかも椎茸より安い!リュックに入れて背負う。重い。リュックが壊れそうだ、もう帰ろう。

バスを乗り継いで滞在先のカハラまで戻ってきた。最後にカハラモール内のスターマーケットを覗く。リュックが肩に食い込んでいる。と、その時私の名前を呼ぶ天の声が聞こえた。ウソのような話である。Dianneが買い物に来ていたのだ。ラッキー!ダイアンのクラシックカーに乗せてもらうのは初めてだ。JAGUARのCOUGARとか言って1967年の車なのだそうだ。だからヘッドレストもなければオートロックでもなく、その上シートベルトさえ付いていない。(いいのか)何だか親しみが持てる車だった。

そんなこんなで無事、週末の冒険は終了した。

2002.01.24

―Text Book―

ところが、2.27キロの米の買い出しの方がまだましだったのだ。

月曜日はテストの結果でクラス分けがあり、授業が始まった。25人の新入生がレベルに応じたクラスに振り分けられ、継続している人達が結構居ることがわかった。継続している人は年齢も性別も様々で、タイ、韓国などからの人も居た。構内日本語厳禁のおふれが出ていたが彼らとは正真正銘、英語でしか話せない。

私はバスの時間も不安だったし、早くハワイ大学の構内を覚えて置きたいので、起きて身支度をし、簡単な朝食を取り、パンにレタスとターキーハム、チーズを挟んでキューピーマヨネーズと冷蔵庫の巨大なマスタードをつけたサンドウィッチを持ち、毎朝8:30には家を出ている。現にある日、バスは途中で急に飛び出してきた車を避けるため急停車し、席へ歩きかけたおばあさんが転んで立てなくなる、と言うハプニングがあった。ドライバーは救急車を呼び、全員降りて別のバスを待つ。私達が次のバスに乗る前に救急車が到着した。結構迅速だった。特に転んだおばあさんも大丈夫そうで大事に至らなかった。始業の4時間も前に家を出ているから良いとしても、私としてはこのために遅刻した場合、言い訳出来る自信がない。

大学に着く。構内でも行くところによって降りるバス停が違うくらい広いのでリサーチし甲斐がある。生協のようなブックストアで文房具や教科書を探し、郵便局の場所を確認したり、カフェテラスを覗いたりして、図書館へ行く。構内では毎日新聞が発行されているのであちこちの箱に入れてある新聞を眺めながら、ベンチでワゴン販売のコーヒーを飲んだりもする。授業までまったく時間は余らない。で、どこかその辺のベンチでサンドウィッチを食べる。あちこちのベンチには同じ様な学生がたくさん居る。日本と違ってひとりずつのことが多い。気楽である。

授業は3つある。3教科ということだ。基礎会話を学ぶ「ACCURACY」、なめらかに話すための「FLUENCY」、それにレベルアップのための「SKILL」クラスだ。「基礎」は1A、1B・・・とあって私は3A。「なめらか」は、「High Bacic」と言うクラスだった。レベルアップ課目はある程度選択で、私は「発音」を希望したのだけれど人数が集まらなかったそうで「語彙」、つまりボキャブラリーと言うクラスになった。最初の2つは毎日あって、「語彙」は火曜と木曜の2回。つまり始まる時間(12:30)と終わる時間(16:20)は毎日一緒だからその2日間は「基礎」と「なめらか」の授業がちょっと短い。結局、どの授業でも同じ様なことをやるのでどの教科の話だったのか、解らなくなってしまう。

「なめらか」の先生が担任?らしく、例の貝殻レイにムームーの先生で名前をBethと言った。Bethはまじめで宿題が多いらしい。(^_^;)彼女は「いつ相談に来ても良い」と10名ほどの生徒全員にTeacher's Roomの部屋番号、電話番号、それにEメールアドレスを書いた名刺を配り、もう一度教室周りの構内を案内してくれた。

とにかく3教科で5冊、全部で100ドルほどのテキスト類を早々にブックストアで購入したまでは良かった。これがまた重いのだ。すでに最初の日に「宿題などを綴じるように」と言われて厚さ5センチはある大学名入りの厳ついバインダーも渡されている。これに何より大切な電子辞書と筆記用具、例の地図に水とサンドウィッチを入れ肩に担ぐ。それ自体の軽さだけが自慢の私の手作りリュックは毎日悲鳴を上げている。友達のカゴ型バックは買って一週間で「broken」だそうだ。どうりでお揃いが嫌いなはずのアメリカ人学生が、まるで決められているかのように同じリュックを背負っているはずだ。中にはキャスター付きのリュックを使っている人も居た。どこに売っているんだろう。この重いリュックを担いだまま坂道を登りたくないので今のところ何とか5:27、カハラ発、丘の上行き最終バスを死守している。

2002.01.26

―University of Hawaii−

クラス分けがあり、最初の顔合わせの授業があり、授業内容やテキスト購入期限などが説明される。振り分けられたクラスが気に入らなければ決められた日までに申し出、もう一度テストや面接を受けてクラスを替えてもらうことが出来るので皆落ち着かない。特に前期から継続しているのにクラスのランクアップを先生から認められなかった人は傍目にもわかるほどイラ立っている。あとは試験を受け直すしかない。(そうそう、さすが皆留学ビザを取って来ているだけあって、3ヶ月10週間の授業を延長する人が多い。最初からそのつもりで来ている人も居る。10週間のちょうど真ん中の週に継続したい人は申し出るだけで良いらしい。)新入生の私達も、「本当にこのクラスで良いのだろうか」「ついていけないのではないか」「簡単過ぎやしないか」などとザワザワしているが、自分の受けたテストで振り分けられた事以外、ウワサしか情報がない。友達に聞いても皆、寝られなかったり体調を崩したりするほどドキドキしているようだ。今更ドキドキしたって始まらないのはよくわかっているが落ち着かない。結局私は自分の成績で振り分けられた訳だし、異議は唱えないことにした。

さて、構内には教科書や文房具が売っているブックストアがある。結構広い。税金がかからないので結構混んでいる。友達から「ハワイ大学のブックストアに売っているノートがカッコイイ」と言うメールをもらったので見に行く。入り口で荷物を預けるので身軽である。確かに螺旋状のリング付きのノートには表紙に大学のマークが金とか銀で印刷されていた。しかも内ポケット付きで結構厚い。セール中で1ドル50セントだ。だがしかし、紙の質が悪い。これがレポート用紙だろうが何だろうがどれも悪い。粗悪と言って良い。透けて向こうが見えるくらいだ。しかもザラザラしている。日本の100円コーナーのノートだってこんな悪い紙は使っていない。3つ穴のバインダーに綴じるとすぐに穴から破れてしまうので補強の丸いシールを貼る。まぁ、薄い分かさばらなくて良いかもしれないが、それでもたまたま私が持っていた、日本のどこかの会社の粗品のノートの紙がやたらよく見る。教科書や一般書籍の他にもTシャツやトレーナー、パソコン、ソフト、お菓子まで売っていて結構楽しい。

ブックストアの他に特筆すべきなのは構内に人気のファーストフード店があるということだ。まず、タコスで有名な「タコベル」、ピザの「ピザハット」、アイスクリームの「ハーゲンダッツ」や「スターバックスコーヒー」だってある。ただしあまりに広いのですぐには見つけられないかもしれない。観光に立ち寄られる方は11時過ぎから1時くらいは学生でごった返すので出来ればその前が良い。夕方は早くに、たぶん3時頃には閉まってしまう。郵便局も同様だ。郵便局ばかりではなく、どうやら床屋や歯医者まであるらしい。ブックストアは午後6時頃まで開いているが、こちらも昼と午後5時くらいになるとレジは長蛇の列となる。ワイキキからは4番、アラモアナからは6番のバス。私のように1番バスを利用する場合は、キングStとUNIVERSITY Aveの交差点で降り、4番か6番に乗り換えるのをお忘れなく。その交差点からは歩いても15分です。

2002.01.28

―Leisure Programs―

もうひとつのドキドキの原因は課外活動である。選択の余地があるってことはそれだけ自分で決めなければならないことが多いと言うことで、我ながら本当にどうでも良いことにドキドキすると言う、スリリングな毎日を送っている。ちなみに題名は「レジャー」とは発音せずに「リージャー」に近い。日本の英語なんてウソばっかりだ。最初から「コーヒー」ではなく「カフィ」と発音してくれればこんなに困ることはなかったのだ。

課外活動と言う言い方が正しいかどうかはわからない。クラブ活動とか、カルチャースクールの方が正しいかもしれない。正規授業時間内の「SKILL」クラスも一応は選択の授業である。だが、そこまでは必須なのだ。他に、まず「児童書を読む学習」などいくつかの、別料金を支払って受講する本来の「選択授業」がある。でもこれは私達外国人語学学習者向けのクラスで授業だ。私がここで言っているのはそれではなくて、ハワイ大学の膨大な地元学生と一緒に何かをしよう、と言うものなのだ。

私が早々に学生のIDを取得したのもこの為だった。学生課だか何だか、とあるコーナー前のボードに思い切りたくさんの案内が貼ってある。そりゃあもう膨大な数で、ハワイらしくフラダンスやウクレレに始まってスキューバダイビング、ハイキング、ディンギー、ウインドサーフィン、サーフィン、ボディーボーディング、陶芸、ギター、カヤック、旅行、タヒチアンダンスなんて言うのまである。100種類くらいあるだろうか。それぞれ1回きりだったり、数日間だったり、毎週何曜日でいつからいつまでと言う期間が決まっていたりして、今はspring期間なので5月の初めくらいまでの日程でチラシが作られている。その中から自分の滞在期間内に開催されて、興味のある物を探して参加しようと言うわけだ。

担任の貝殻レイのBethに、私に参加する余裕があるかと尋ねてみたところ、「課外活動は宿題もないし、充分に時間はあります。たいていの生徒は余暇をビーチに行ったりワイキキに出て日本語を話しながら買い物したりして使っているけど、3ヶ月は短いし、活動は英語なので会話の勉強には絶好のチャンスです。」と言う答えが返ってきた。それで「早く申し込まないといっぱいになっちゃいますよ。申し込むなら早い方が、今日が良いです。」と言われて、思わずひとつ申し込んでしまった。

とりあえず、「SailingT」である。毎週金曜夕方のレースには間に合わないのだから、せめてヨットに乗る予定を入れて置かなきゃ、と思ったのだ。ディンギーと呼ばれるクラスとは別の、一応日本ではクルーザー(つまりキャビンがあるってことなんだけど)と呼んでいる20フィートのキール(おもり)付きヨットを使う練習で、2月の土曜日4回のクラスだ。「スーパーカップに出たのならTじゃ簡単すぎない?」と申込みの時、係のおじさんに言われたが「いえ、良いんです。」と答えた。まず乗る前の説明が聞き取れないかもしれないのだ。

担任のBethはSailingに大賛成だった。「あなたの他にはたぶん、日本人参加者は居ないでしょう。」と言う理由だった。私も日本人参加者は居ないと思っている。それほどSailingは日本においてだけ、マイナーなものなのだ。色白で細身、いつも長いムームードレスに貝や木の実のレイを付けているBethはなんと、「私、Sailing大好きなの。ディンギーに乗るのよ。」とのことだった。「ハワイの海は風が強すぎるのではないですか?」と聞いてみたところ、「ハワイでしか乗っていないからわからないわ。」と言う凄い答えが返ってきた。

2002.01.30

―Next Friday―

ハワイに来て、二度目の金曜日。朝から雲行きが怪しい。青空のままいきなり土砂降りの雨が降るのだ。こちらの人は「シャワー」と呼んでいるスコールだろうか。それにしても半端な雨じゃない。それにものすごい風である。傘なんてまったく役に立たず、肌寒いくらいだ。午後4:20に終わる予定の授業は、毎週金曜日の「Teacher's Meeting」のため少し早く終わると言う。昨日、何と先週乗せてもらったヨットのオーナー、ピーターから電話が来た。パイナップル博士が電話番号を教えたらしい。彼女からの電話なら日本語で済むものを、私は何とか「明日は授業があるので間に合わない」と答えた。だが、しかし・・・と言う思いがよぎる。畳みかけるように担任のBethは、「ほら、見てご覧なさい。タダでさえ金曜日は渋滞するのに今日は雨なので余計です。授業が終わったらすぐに帰った方が良いわよ。」と言う。構内を横切るDole Stの車はまったく動いていない。「こりゃ、だめだ。こんな天気じゃレースも大変だし、明日Women's Raceがあるから良いか」と思い、すぐに帰る。いつもより早かったにもかかわらず、やはり先生の言ったとおり5:27のバスにギリギリだった。

丘を登る21番バスは始発なので、発車するまでの数分間停車している。ドライバーはバスを降りてタバコを吸ったり、コーラを買ってきたり、中にはペーパーバックを読みふけっている女性ドライバーまで居る。今日のドライバーは楽しそうな黒人のお兄さんだった。私が乗ろうとバスの後ろから近づくと、何とバス後部の何やら給油口のような蓋が開いたままになっている。坂の途中で降ろされるのはごめんなので「後ろの小さな蓋、開いているけどいいの?」と何とか聞いてみた。「えっ?あーそうか」とお兄さん、ボタンを押して、「もう閉まったかな」と私にいたずらっぽく聞く。当然閉まったかどうかなんてバスを降りて後ろに回らなきゃわからない。「はっはっは」と笑って自分で見に行った。そのお礼かどうかわからないけどバス停で私が降りようとすると、「ここでいいの?もう少し上?」と聞いてくれた。気の利いた返事を即答出来ないのが悲しい。

雨と風は一向に納まらず、「ゲール(嵐)が来ているので明日のレースも中止だ」と言う電話が来た。残念。ホストマザーのDianneも残念がってくれた。さて、月曜日はノーベル平和賞を受賞した「Martin Luther King Jr.」の誕生日で国民の休日、つまり明日の土曜日から3連休なのだ。

2002.02.01

―Shopping―

レースが中止になったし、特に日曜日はバスが極端に少ないと先週思い知ったので土曜日に出かけることにした。実は去年の夏にハワイでオーダーしたアロハシャツが未だ日本に送られて来ず、今回来てからすぐに電話しておいたのだ。ファブリックマートと言う大きな生地専門店の隣の「Aiko's Fashion」は日本語ペラペラ、韓国国籍の愛子さんひとりでやっている店で、お孫さんが結婚するという年の方のため病気がちのようだ。やはりご病気だったようでもうだいぶ良いらしいが先日電話をしたときは通院されていた。出来上がったと電話をもらったので取りに行く。1番のバスをフードランドで降りて徒歩。やはり風が強く、時折雨が降る。

「韓国人は気が短いからすぐに怒るのだけど日本人は本当に皆優しいねぇ」と言っていた。日本人は優しいのではなく、気が弱いだけのような気がする。今は体の調子が戻ったので気になって朝早くから家でも仕事をしている、とのこと。溜まっていたオーダーも何とか減ってきているらしい。今は急がない人のオーダーだけ受け付けているそうだ。人を雇ったのだが技術が無く、続かなかったとのことだった。オーダーしたシャツの他にハワイ柄の手提げをもらい、送料を返してもらう。

そのまま徒歩でお気に入りのサーフショップ「Da Hui」を覗く。ダイエーに寄って試食販売(これがまた面白い。私が替わってあげたいくらいだ。)をしていた日本メーカーのマーボー豆腐の素、雑炊の素、カレールー、みそ汁「ゆうげ」を買う。日本ではインスタント食品や何かの素は買ったことはないがDianneの家ではそんな料理は出来そうもないので仕方がない。これだけで10ドルとは高い。日本のコンビニ以上だ。

今日の用事はアロハシャツの受取りの他に服と、2足しかないソックスの補充をしようと思っていた。ここ数日、何となく「薄ら寒い」のだ。日本から着てきたユニクロの薄手フリースとヨット用ウィンドブレーカーの他に長袖がない。「薄ら寒い」だけなら半袖でも良いのだがあの、これでもかと言うほどのクーラーには勝てない。寝るときも短パンにTシャツなのだがもう少し、スゥェットパンツとまでいかなくても何か部屋着でも、と思っていた。そこでダイエーのすぐ近くの有名なアウトレットショップ「ROSS DRESS FOR LESS」へ行く。どうしてどこもまぁこんなにクーラーがきついのか、驚くほどだ。

私は日本ではMサイズ(9号)、それだってメーカーによってはきつくてLサイズ(11号)となることだってある。だから決して痩せちゃあいない。だがしかし、ハワイではどうやら6号と言うサイズらしく、これはこの店にある表示されているサイズでは一番小さな物だった。日本では多くても3つしかないサイズバリエーションが、ここでは上はなんと30号なんて言うのもある。ハワイへ来る度、「私、痩せたのかしら(^O^)」なんてつい思ってしまうのだ。しかもここはハワイなので何でもアバウト。自分に合うサイズは私が隠れてしまうほどのハンガー掛けをひとつひとつ回って、この膨大なほとんど一点ものの服を見て回らなければならない。宝探しのようだった。

2時間ほど回って試着をした。カルバンクラインのソックス3足組が7ドル99セント、白い7分袖のカーディガンが12ドルほど、エクササイズのスポーツメーカーの7分ストレッチパンツ9ドル99セント、そして超お気に入りのハワイ柄のワンピースは誂えたようにぴったりで(もう太れないけど)何と2ドル99セント、最後まで迷ったラルフローレンのデニムのジャケットは24ドル99セントで、1箱2ドルばかりのアールグレイの紅茶と共に全部で60ドルほどの買い物をした。こんなに買ったのはこちらへ来て初めてなので気分が良かった。

お昼を食べにアラモアナショッピングセンターへ行く。フードコートで初めてタイ料理店の生春巻きを試した。ちょっと甘い味噌をつけて食べる。美味しかった。ハワイへ来て時差ボケなどで疲れ、あの膨大な量の食事を見ただけでうんざりするほど食欲の無い方にお勧めである。2本入りで税込み5ドルでおつりが来た。

アラモアナS.Cはバーゲンで盛り上がっていた。3連休だからだろうか。店頭で「少々難あり99セント」のTシャツをパジャマ代わりに1枚買って、今度はダイヤモンドヘッド周りの58番でカハラへ帰る。一番かさばるデニムのジャケットの値札を取って羽織り、少し雨宿りをした後徒歩で丘を登る。最後が確かにきついけど、炎天下じゃなければなんとかなるかもしれないと思った。帰るとDianneは私が羽織っていたジャケットをめざとく見つけた。「このドレス、いいわねぇ。しかも2ドル99セント!?今度はJc Pennyの小さいサイズコーナーへ行くといいわ。」
女性が買い物好きなのは万国共通なのだ。

2002.02.03

―To Study English―

授業はたいていどのクラスも10人前後のようだ。「とにかく、辞書を使っても、ゼスチャーでも、最後は紙に絵を描いても良いから長く話しなさい。」と言うのが全員ミーティングの趣旨だった。確かに、「Hello、nice to meet you.」「Nice to meet you,too.」だけで終わっていたのでは続かない。だけどそんな心配はなかった。2人ずつ会話をしなさいと言われた相手には聞きたいことがいくらでもあった。「どこに滞在しているの?」「そこ、1ヶ月いくら?」「独りで住んでいるの?」「食事はどうしてる?」「バスは何番を使うの?」「いつ来たの?」「趣味は何?」「海には行った?」「日本ではどこに住んでいるの?」「いつも買い物はどこでしている?」などなど・・・。宿題もたいてい毎日ある。特に休みの前は多い。だけど土日に出かけられないほどじゃない。

それより、私にとっては滞在先の方がエキサイティングでスリリングだ。クラスは試験で振り分けられたのだから私のレベルに合った内容になっているが、ホストマザー、Dianneとの会話は決して私のレベルに合っているとは思えない。途中で誰かが助け船を出してもくれない。数字ひとつ取ってみても日本語で言われればすぐ頭に入るものを英語だとなかなかピンと来ない。シャッターの開け方ひとつでも「初めはチェーンを引いて角度をフラットにし、それからひもを引く」と言われてもどちらが先だったか、何をすべきか、すぐにわからなくなってしまう。私の頭の回転が、彼女の話す速度より遙かに下回っているのだ。わからなければシャッターすら閉められない、情けない状態となる。

「今日は私、夕飯にエキストラフィッシュがあるの。」とDianne。「えっ?何て言う種類の魚だって言ったの?」と私が聞くやいなや彼女は笑い転げた。「エキストラよ、extra。魚の種類じゃなくて教会で余った魚料理を持ち帰ったの。本当にあなたって面白いわねぇ。」ってことになる。

一緒にテレビを見ながら夕飯を食べる時は電子辞書が欠かせない。その単語がわからないとどうにも意志の疎通が図れない時に、私が電子辞書を開くとDianneがスペルを言ってくれる。わかりそうもないと判断すると先にスペルを言われることもある。どうにもまだるっこいがそれでも電子辞書サマサマで、軽くて手軽なだけでなく、授業時間内は普通の辞書だとまったく引く時間がない。和英でも英和でも引いた内容の、文中の単語をボタンひとつで更に検索できるから紙の辞書では追いつかない。診療所とか郵便局の窓口でどうにも困ったときにもその場で使える。現に、診療所の待合室で「血液、検査、結果」などと言う単語を慌てて調べ、メモに走り書きし、窓口へ突撃した。あまりに使ったのでめったに減らないと言う電池が無くなり、予備に持ってきた物と入れ替えた。実は大方の日本人生徒だけでなく、韓国から来た人もハングルと英語の電子辞書を持っていた。タイから来た友人に「欲しいのだけどどこに売っているのか」と聞かれた。タイ語の電子辞書はまだ見たことがない。

2002.02.05

―Cooking T―

ホストマザーのDianneは塩辛い物が好きなので冷蔵庫に梅干しはあったが納豆は憎んでいるらしい。クサヤなんて持ってきたら更に憎まれること請け合いである。

「豆腐を買ってきたんだけど、好き?」と聞くと、「もちろんよ」と言う答えが帰ってきた。普段どうやって食べるかと聞くと蒸した魚と一緒に醤油をかけて食べるのだそうだ。冷たい豆腐と蒸した魚にただ醤油をかけたものを想像してみたが、どうも美味しそうではない。それで、「やっぱりまず豆腐は冷や奴でしょ」と思って、刻んだネギ(ドライだけど)と鰹節、ちぎった海苔を乗せ、その上から醤油をかけたものを勧めてみた。鰹節が気に入ったようで美味しいと言う。「名前は何と言うの?」「冷や奴。’冷や’は冷たいってことで’奴’は豆腐。暖かい物は湯豆腐って言うの。’湯’はお湯のこと。」さて、次の質問は容易に想像が付く。どうして同じ豆腐なのに冷や奴は’奴’で湯豆腐は’豆腐’なのか、ご存じの方が居たら教えて下さい。m(__)m

豆腐が好きだというので「マーボー豆腐」を作ることにする。「挽肉と豆腐だけ買って来れば良い。」の「挽肉」がこの日覚えた単語だった。「ground meet」、校庭などのグラウンドと同じスペルだが「grind」、ヨット乗りなら誰でも知っているあの「グラインダー」だ。「臼でひく、細かく砕く」などの意味があり、その過去分詞、つまり「細かく砕かれた」肉と言うのだと初めて知った。ダイエーで買ってきたマーボー豆腐の素を使うので超簡単。ワケギの親戚のようなグリーンオニオンがあったので刻んで入れることにしたがこれまた包丁が切れない。Dianneはふだん料理するときは食卓で食べるときに使うナイフくらいしか使っていないのだ。ニンニクが大好きとのことだったのでハチミツの瓶のように巨大な刻んだニンニク瓶から一匙すくう。豆腐は絹ごしはプリンのようで食べにくいと言うので木綿豆腐にした。豆腐はこちらでもポピュラーなので日本と同じだ。値段もあまり変わらない。マーボー豆腐は大好評だった。この他今のところ冷凍シュウマイも好評である。電子レンジでチンするだけと言うのも気に入ったらしい。飲茶のように酢(ビネガー)と醤油、辛子(マスタード)で勧めてみたが大丈夫だったようだ。

「パパイヤを食べてみたいんだけど、どんなのを買ってくれば良いの?」「緑色でほんの少しだけ黄色い物。数日家に置いておくと良いのよ。」と言うことで2個買ってきた。熟れて来た頃、Dianneが果物カゴから冷蔵庫に移してくれた。もちろん二人で食べましょうよと誘って、半分に切る。タネはさかさま、つまり木になっている状態の上からではなくて下から上に向かって掻き出すのだと言うことを初めて知った。美味しかった。友達に聞いたところハワイ産パパイヤは鹿児島で1個800円もするそうだ。確か2個で1ドルちょっとだったと思う。

「サーモンを買ってきたけど焼いてみる?」と聞かれた。見ると鮭の切り身ではなく、厚さ5センチはあろうかという輪切り?のステーキである。「フォイル焼きで良い?」と聞いてフォイルに包む。何かキノコを入れたいところだったが無かったのでバターとタマネギを入れ、塩胡椒を振った。いくら大きいとはいえ二人分のサーモンだけを焼くのも気が引けたが巨大なオーブンに入れる。「何度で焼くの?」「200度くらいかなぁ。」「えっ、それじゃあ焼けないわよ。350度か400度よ。」「それじゃあ焦げちゃう。」結局350度で焼いた。丸焦げにはならなかった。どうやら気温だけではなく、オーブンも華氏だと言うことに気づいたのはずっと後になってからだった。

Dianneはダイエットをしているとかでパンやご飯、パスタの類をあまり食べない。重ねた洋皿にサラダを盛り、食べ終わってから下の皿に料理を盛る。私としてはご飯と一緒に食べたいので重ねず並べることにした。ランチョンマットを敷き、フォークや箸を並べ、困難は伴うにしてもテレビの話などしながら、しかもいろいろ教えてもらいながら食べる料理は美味しい。ひとりで高いアパートやコンドミニアムなどに滞在せず本当に良かったと思う。クラスメートの中には、1ヶ月滞在の後、何らかの事情で引越しなければならないとバタバタしている人達が多い。不動産屋の折衝から電話の手続きまで、やはり短い間に何度も移動するのは大変だ。交通は多少不便でも私はこのまま滞在させてもらおうと思っている。

2002.02.07

―Cooking U―

困ったのは料理方法の英語だった。
こちらでは天ぷらやトンカツなど「揚げる」ことを「フライ」と言い、炒めることも「フライ」と言うらしい。大違いだ。これを何とか区別したい。そこで学校で使っているテキストと辞書をいろいろひっくり返して、「揚げる」ことを「deep fry」、「炒める」ことを「stir fry」と区別できることを突き止め、Dianneも「そうねぇ」なんて言い、やっと意志の疎通が図れた。

とにかくDianneは電子レンジが好きである。私が持っていないと言うと本当に驚いていた。日本人は皆持っていないと思われては困るので「私はあまり使わない。」と言っておく。彼女は電子レンジが何よりも便利だと信じているからお米も電子レンジで炊く。ただでさえパサパサのお米を電子レンジ専用の容器に入れて炊くとどうなるか。そこで私はアラワイマリンのMICHIKOさんお勧めの「玉錦」を鍋で炊いてみることにする。個人的には炊飯器よりも鍋の方が、ちょっとお焦げが出来たりして美味しいと思っている。「そんなに強い火にしたら焦げるわよ。」「ほら、焦げたじゃない。」(だからこのくらいの方が美味しいんだってば、と思ったところで伝わらない。)「今度電子レンジでの炊き方を教えて上げるわ。」(だからこれで良いんだって。)私はお米を研ぐためにだけマニュキュアを塗っていない。彼女はネイルサロンに通っているほど完璧なのだ。きっとお米は研がずに水と一緒に電子レンジに入れるだけに違いない。

ちなみにこの「パサパサご飯」は茶碗に入れ、多いなと思うくらいの水を振り、ラップして電子レンジに入れると結構食べられる。こちらの電子レンジは「解凍、暖め、酒の燗」なんてボタンはない。「ベジタブル、ポップコーン、ベイクドポテト」となっていた。そんなに頻繁にポップコーンを食べるのか、電子レンジでベイクドポテトが出来るのか、ナゾだらけだ。

DianneのボーイフレンドGlegが遊びに来た時、「Poormen's stewを作るけど一緒に食べる?」と聞かれた。ネーミングも気に入ったので作っているところから見せてもらうことにする。「おっ、Poormen's stewか、いいね」とGlegが言ったところを見るとどうやら認知された名前らしい。作り方は極簡単である。まず、ジャガイモと人参を皮をむいたらまな板を使わずに空中で適当に切り、下の鍋に落とす。そのまま電子レンジでチンする。別の鍋に缶詰のコンビーフ1缶、トマトソース小2缶、その空き缶2〜3個分の水、電子レンジにかけたジャガイモと人参を加えて火に掛けるだけだ。オプションで、鍋を火にかける時あり合わせの野菜を入れても良い。この日はタマネギとサヤインゲン、余っていた缶詰のコーンを入れた。これが思ったより?ずっと美味しく、お代わりするほど。炒めていないので脂っこくない。「日本名で何というか」と尋ねられ、「貧乏人のシチュー」だと答えた。「スペルは?」と聞かれる。日本語のスペルを聞かれたのは初めてだったがローマ字に直して答える。二人とも「ビンボー」の音が気に入ったようだった。

そうそう、コラードと言う野菜をDianneが買ってきた。一見新キャベツの外側の葉のような感じの、形は高菜か何かのような葉っぱである。チンゲンサイのように炒めれば美味しそうだなと思われる葉を、彼女は丁寧に真ん中の茎を取って捨て、ベーコンの切れ端と共に水を入れて煮込み始めた。しかも「今日はまだ食べられない」と1時間以上も煮込んでいる。グチャグチャにはならないのだろうか、と心配になったほどだ。翌日食べた。Dianneの実家、ニュージャージーの味だと言うことで煮込んだ豆も共に食卓に乗った。固いかなと思われるくらいの、野沢菜漬けくらいの食感で美味しかった。
食べ物では当分楽しめそうだ。

2002.0209

―The contents of Class―

「とっても無理」なら諦めもつくが、「何とか頑張れる」と思うと人間そう簡単には投げ出せない。さすがテストで振り分けられただけあって授業中に先生が説明していることはほぼ理解出来るようになっており、毎日投げ出すほどではない宿題が出る。授業を「受ける」のは久々で楽しい。

「ACCURACY」(正確に話す)と「FLUENCY」(なめらかに話す)の授業は毎日ある。「正確」は普通の、日本で一般的に言われる授業とLab(コンピュータラボ)を使ってテープを聞き取る授業がたまにある。ちゃんと出席し、まじめに宿題さえやってあればいろいろなことがわかって楽しい。その宿題も「ここはどういう意味ですか」の問いに対し、昔私が学生だった頃のように、その部分の本文を見つけて丸ごと書き写ししていたのではまずい。必ず、「上手なREADINGですが顔を上げて私に話して下さい。」と言われてしまう。確か長年の学生生活では宿題はやってありさえすれば済んだような記憶がある。確かにそんな勉強では英語を話せるようにはならない。「宿題ではありませんが、やればあなたの為になります。」と言うもっともな殺し文句にも弱い。

「なめらか」の授業はちょっと変わっている。これもまた何となく飽きないように出来ていて私達のクラスは日本で言うところの普通の授業がほんのちょっとしかない。じゃ何をするかというと「INTER CHANGE」と呼ばれるものだ。これは実際のハワイ大学の学生が何名か教室へ来て、その日ごとに先生に振り分けられて会話をする、と言うものである。だいたい1名の学生に対し、1〜2名の生徒が充てられる。「じゃあなたは今日、MIKIと一緒にTOMのところへ行って」と言われると3人で教室を出て木陰のベンチなど思い思いの場所へ行き、時間内にひたすら会話をする。「どこから来たの?」「趣味は何?」「休みの日は何をして過ごすの?」「どこのビーチが好き?」。もちろん日本語さえ話さなければ「安くて美味しい店」なんかも聞いて構わない。終わったら「今日は誰と何を話したか」についてのレポートを書くことが宿題となる。

「INTER CHANGE」が無い日は他の場所へ行ってあくまで「本番の英会話」をする。「Leisure program」のオフィスで一通り説明を聞いてから「フラダンスのクラスに参加する場合は何を着れば良いですか?」「ウクレレの教室は初心者でも参加出来ますか?」などの質問をした。事前に質問を考えて来なければならない。「Clinic」へ行った時は病院内を案内してもらってから、みんなでH.I.Vの感染についてと言う説明を聞き、その後「風邪を防ぐためには?」「ダイエットに効果的な方法は?」などの質問をした。日本の旅行傷害保険は事故または病気の時しか補償されないことを説明するのがやっかいだった。

「本番の英会話」がない日はゲームまでする。英会話が堪能な人から見ればまるで幼稚園児のようだ。だが侮れない。配られたカードには肉や野菜、パック入りのジュースなど食べ物の写真が貼ってあり、同じ写真を4枚集めるために、持っていそうな人へもちろん英語で「あなたはバナナを一房お持ちですか?」などと質問する。当然その物の英単語も知らなければならないが、問題は「単位」なのだ。日本では普通「バナナ」はあくまで「バナナ」であり、あえて「一房」とは言わない。日本の単位でもタンス一竿とかウサギ一羽なんて難しい物があるが、さて「一房のぶどう」「1個のキャベツ」「1本のトウモロコシ」と即座に言えるでしょうか。(上のポストからご回答下さい(^O^))

週2回の「SKILL」クラス、私は「VOCABLARY」なので教える方は「覚えてくるように」と言えば済むが、当然覚える方はやっかいだ。「覚えた単語はノートに書き留める」とメモ帳までプレゼントされ、至れり尽くせりである。先生は授業中にそのメモ帳をパラパラとめくって見て歩いたと思ったら私にアメリカ国旗の、ハガキ大のステッカーをくれた。どうやら「今週の一位」だそうだ。(^_^;)

2002.02.11

―The 3rd weekend―

ホストマザーのDianneは何やらプロジェクトを組んだらしい。「Project、わかる?」「Y,Yes」「辞書を引いてみて」(はぁ、やはり大規模な企画・計画なんだけど)「それでそのプロジェクトは私の衣類を整理しようというものなの。」「はぁ?」

と言うわけで、彼女は自分が着られなくなった服を次から次に私の部屋へ持ってきた。中には新品で値札のついているものもあって「これは着られるんじゃないの?」と言い返し、二人で片っ端から着てみると言う大ファッションショーが始まった。だが私の部屋へ運んできたもので彼女の部屋に戻った物はなく、サイズが10号の彼女にはきついとのこと。さらに私が着られない、もしくは好みではないものは教会に寄付するのだと言う。私が、「友達は大きいのでアメリカに旅行したときたくさん服を買うのよ。私だってもう少し太ったら着られる物がなくなっちゃう。」と言うと、Dianneは「えっ、あなたが?それは日本のサイズが間違っているのよ。」「?」私は今まで自分の身体を服に合わせることばかり考えていたのでこの「間違っている」と言う考え方に目から鱗が落ち、大いに気に入った。アメリカのサイズはめったにない4号くらいから始まって30号まである。

結局、黒のジーンズ、白でデニムの花柄のスカート、値札が付いたままのショッキングピンクのカットソー、紫色のシルクの部屋着と、それにこちらも値札がついたままのワンピース(こちらではドレスと言う)とカーディガンのセットを頂くことになった。黒のジーンズは当然長く、その場でハサミで切ってアイロンを借り、裁縫セットで縫う。彼女はあまりsewingはやらないらしく驚いていた。使わないと思っていた裁縫セットだが、折り畳みカサの修理からリュックの繕いまで結構役に立っている。「ドレスも自分で丈を詰める?」の問いに「綿でないものはミシンがないと自信がない。」と言うと、「私も直してもらう物があるから一緒に店に行きましょう」と言ってくれた。

彼女は私に安いジーンズショップを教えてくれ、「携帯電話は必要ないわ。高いし、家の電話を使えば良いじゃない。」とか、私がお気に入りで一度買ってきたワインクーラーも(日本では1本250円もするから充分安いんだけど)「普段は4本で3ドル99セントだけど日曜日には更に1ドル安くなるのよ」とか、「コスコでセールをやっていて1個1ドル25セントするヨーグルトを1ダース7ドルで買ってきたんだけどシェアする?」などと言ってくれるので本当に有り難い。で、ドレスの丈を見てくれる時も「ハワイなら長い方が良いと思うけど、日本へ帰ってから着るのならもっと短い方が良いかしら。」などと言ってくれるのだ。そのドレスは袖も襟もない薄いブルーの小花柄のもので、ブルーで半袖のカーディガンと対になっている。アメリカ本土で買った物らしいタグがついており、誰かからのもらいものだとのことだった。もったいないので長めの丈に合わせて切ってもらうようにピンで留めてもらった。

この「もったいない」という言葉は、「いただきます、ごちそうさま、行って来ます、行ってらっしゃい、ただいま、お帰りなさい、よろしくお願いします」に加えて、どうしてもピッタリ該当するものが見つからない単語なのだ。辞書を引くと「無駄な」か「神などを敬わない」と言う、ちょっとニュアンスの異なる単語になってしまう。さもなければ「waste」が近いのだろうがどうも「浪費する」とは違う気がする。出来ればこれら7つの便利な日本語だけは適切な英語が知りたいので、ご存じの方が居たら是非教えて下さい。

で、三度目の週末はDianneと服のリフォームをする近くの店に連れていってもらった。中国人の一家がやっている、ダイアモンドヘッド近くのその店はとても繁盛していてズボンやジャケットを持った人が並んでいた。やはり手先が起用なのはアジア系の人のようだ。ドレスの丈詰めは10ドルとのこと。日曜日はアラモアナへ出て、悲鳴を上げている手作りリュックの替わりを買う。昨夏、ヨットレースで何度も朝食に立ち寄った「ワイアナコーヒーハウス」で、今回初めてのパンケーキを食べる。パンケーキで有名な「エッグスインシングス」の前も通ったのだが、なんと火事の為CLOSEしていた。


2002.02.13

―HULA CLASS―

leisure plogram、つまり課外活動でセイリングのクラスを受講することにしたが、セイリングは土曜日たったの4回だけだ。もっと何かをやってみたいと思い、せっかくハワイに来たのだからと友達とHULAのクラスも受けることにした。こちらは火曜と木曜日の週二回。授業が終わってからの1時間である。別に服装は何でも良いらしく気楽だった。ただ心配なのはただでさえギリギリの「カハラ発丘を登る最終バス5:27」に完全に乗れなくなることである。まっ、どうせ土日もバスがないことだし、これしきのことで諦めるのは悔しいので帰り道のことはその場になってから考えよう。

日本で言う「フラダンス」は、こちら本場のハワイではただ「フラ」と言う。アクセントは思いっきり「フ」。ちなみになかなか聞き取りにくい「ピーカンナッツ」は「ピーカン」とナッツをつけず、Dianneの説明だと「ピーナッツ」の様にナッツを含めて一語となっているもの以外は「ピスタチオ」の様にナッツをつけないのだそうだ。最初「ピーカンナッツはナッツじゃない」と言われてびっくりした。そうそう、「HULA」だ。実はハワイの言葉は実に日本人に馴染みがよく、母音が「アエイオウ」の5つ、つまり日本語と同じなのである。だからアメリカ本土の人に発音できない日本の固有名詞もハワイの人なら難なく発音出来る。しかも日本人に苦手なLとRの区別がない。私達はすぐ「Lだったかしら、Rだったかも」と考えなければならないが、ハワイ本来の言葉には「R」が無いのだそうだ。HULAもそうだし、ショッピングセンターで有名なアラモアナ「ALAMOANA」にも、カハラ「KAHALA」にも、カパフル「KAPAHULU」にも、モイリリ「MOILILI」にも「R」はない。困ったときは皆「L」なのだ。

その、HURAの授業である。私達はちょっぴり雰囲気を出すために、腰にパレオを巻くことにした。生徒は男性2名を含む8名ほどで思ったより少ない。日本人も私達だけであちこちからの交換留学生が居るようだ。ニューヨークから来た中国系アメリカ人VIVIAN、日系人、聞いたこと無い国の人も居た。

先生は「これぞハワイアン」と言う感じのボリュームのある女性だった。まずオレンジ一個分足を開いて立つ。そのまま腰を落とす。あくまでそのままで前屈みになってはいけない。力を抜いてリラックスする。そして初め腰は左。これが先生の言うところの「フラポジション」だった。一歩ずつ左右に振る腰の動きも含めて右へ4拍、左へ4拍を繰り返し、それに手の動きをつける。初めてピアノを習った時に右手と左手が別々の動きが出来ないように、ゴルフのフォームで肩や腕に気を取られると腰の動きがおろそかになるように、なかなかうまくいかない。先生は一生懸命でとても親切だった。少し説明や練習をするたびに必ず「comfotableか」と聞く。「わかりましたか」ではなく、「快適ですか、気持ちよく出来ていますか」と尋ねるのだ。何という素敵な聞き方だろうか。こっちは手と足の動きがバラバラになってとても快適どころではないのだが、快適に出来るようになるまで、教えてくれる。確かに考えなくても動けるようになると快適で楽しい。生徒も皆楽しんでいて「そこの足の動きが出来ない」とか、「その時手の動きはどうだっけ」などと気軽に参加している。みんなの前で質問するなんて、などと言う雰囲気の静かな日本のレッスンとは大違いだ。

帰り、雨も降っていなかったので坂を登って帰った。ほぼ25分歩いたので8時近かった。暑くないので思ったより快適だった。ホストマザーのDianneからは、「ここは安全な地域なので心配はないけど雨が降ったりしたら電話をすれば迎えに行く」と言われていた。彼女は私が帰るとサラダを作って、ラムを焼いてくれた。一時間の授業はあっと言う間で、特にハードなことは何もしていないはずなのだが、なぜか翌日腰が痛かった。

2002.02.15

―T.V.PROGRAMS 1―

Dianneと私は涙を流しながら笑い転げた。口をきこうとする度に呼吸困難となる状態が15分は続いただろうか。それはある日の夕食後、パパイヤを食べようとした時、私がビデオデッキの使い方について3回目に質問した時だった。

Dianneは機械が苦手なのだ。そもそもある晩、嵐のような風が吹き、雨が降って夜中に停電したようだ。翌日から私の部屋のテレビの調子がおかしくなった。チャンネルが回せない。東芝製のテレビの取扱説明書は期待に反して英語だった。機械が苦手なDianneと英語が苦手の私はテレビと取扱説明書を前に格闘した。どうやら設定がリセットされてしまったようだ。Dianneは翌日サービスを呼ぶと言っていたけどリモコンの電池を入れ替えていろいろ試しているうちに直ってしまった。

その時良い機会だと思い、どうしても日頃わからないテレビのことをいろいろ尋ねた。とにかくチャンネルが多いのだ。その数約60。いつ何を放映していてどれが面白そうなのかさっぱりわからない。しかも題名だけなのでそれがコメディーなのか歌番組なのか、スポーツ番組なのかすら不明である。日本ではどうだっただろう。そう言えば確かに○×チャンネル月曜夜8時「水戸黄門」とあった場合、普通の日本人であればそれが水戸光圀をモデルにした時代劇だと「知っている」だけでどんな番組なのかはどこにも書いては居ない。同じなのだ。私には日本でも放映されている「ER」が救急救命現場の物語だと言うことくらいしかわからないのである。当然番組欄には「ER」としか書かれていない。CNNのニュースだってふたつチャンネルがあったし、どうやらディズニーばかり放映している番組もあるようだ。一体、日本で言うところの「NHK7時のニュース」はどれにあたり、天気予報はどこでやっているのか。日本のように天気予報の「天」のマークすらない。

あまりに番組が多いので「番組表」自体が放映されている。12チャンネルにすると、今から2時間後くらいまでの番組表がBGM付きで流れている。それも初めから終わりまでチャンネルをチェックすると結構な時間がかかる。しかもわかるのは2時間分だけ。スポーツが赤字で映画が緑字だと言うことがやっとわかった程度でまだまだナゾだらけだ。

そこでご存じ「週間テレビガイド」を買ってきた。日本とまったく同じ形態の雑誌である。もともと私は、この世にテレビが無くなっても一向に構わない、と言うほどあまりテレビに魅力を感じていないので日本の番組が見られないことに不満はない。だがしかし、めったに見られないほどの名作と呼ばれる映画が毎日放映されているのだ。私は、英語の映画を見ることは楽しみながら英語の勉強ができるのではないかとも考えた。ハワイに着いた日、題名もわからず見たこともないショーンコネリーの映画を見た。コマーシャルの時間にDianneが説明してくれたし(もちろん英語で)演技がうまいので何をしているかは理解出来た。

「テレビガイド」はスポーツが白抜きの字、映画には網掛けがされており少しはわかりやすい。しかも巻末に映画の一覧表があった。どうやら一週間に約300本もの映画が放映されているようだ。おー!とりあえず映画から攻めよう。そこで唯一英語の題名がわかっている同じくショーンコネリーの「The Rock」を探してみたところそれが何とあったのだ。この映画だけは初めて自分で選んで見ることに成功したが、やはり他はどうもうまくいかない。英語の題名がわからないのだ。「天使にラブソング」と言う日本名のついた映画を何とかDianneに説明してみた。「黒人の女性が出てきて、修道院で歌を歌うの。知ってる?」どうやら「Sister Act」と言うらしい。ふーっ。

それで次に当然の成り行きとして「ビデオに撮りたい」と言うことになる。夕食を取っている居間のテレビにはAIWA製のビデオデッキが接続されていた。「テレビガイド」から「Sister Act」を含め、見たい映画をいくつか書き写しDianneに見せた。だがしかし、そうはうまくいかなかった。

2002.02.17

―T.V.PROGRAMS 2―

Dianne曰く、「まずアメリカはケーブルテレビが主流で大きなビジネスとなっているの。視聴者はいくつかの組み合わせの中からケーブルテレビと契約するわけ。だから契約のパターンによっては映らない番組もあるのよ。最新の映画ばかり放映している番組がセットされているものは高いの。」と言うような意味の説明をしてくれたと思う。理解できた。だったら次に「じゃあどの番組だったら見られるの?」と言う当然の疑問がわく。何しろ60チャンネル、映画は週300本だ。いくつかの番組だけでたくさんだ。だがDianneは、「説明出来ない」と言ったのだ。一回目、私のノックアウト負け。ただ「見られる番組はどれか」と聞いただけなのに、どこがおかしいのだろうか。

第二回目、どうやら番組表の数字と、実際のテレビのチャンネルの数字が違っていることを突き止めた。これはやっかいだ。日本でNHKを1番で見る地域と、他の番組で見る地域に分かれているようなものである。「NHKは1番」と思っていた私は鹿児島に移って未だにどの番組がどのチャンネルで放映されるか把握出来ていないのと同じである。「じゃ、Dianneがわかりやすい方で良いからどれが見られるのか教えてくれない?」と聞いてみた。答えは「わからない。」(もう、どうしてわからないのよ!)どうやら「テレビがあまりに旧式なため、契約していて見ることの出来るチャンネルすべてを全部は設定し切れていない。」らしい。おまけに「旧式なテレビと接続したビデオとテレビのチャンネルが違うことがある。」とのこと。(だったらあなたは日頃どうやって録画しているのよ?)う〜ん・・・。

そして何日かして三回目、私がもう一度同じ質問を繰り返したとき、ついにDianneは笑い転げたのだ。笑いはうつるのでつい私も笑い始めた。そして二人とも止まらなくなった。

「だから」と私。紙と鉛筆を持ってきて「これがすべてのチャンネルだとするでしょ。で、この部分が見ることの出来るチャンネルね。その中のこの部分がテレビで映るチャンネル、で更にこの部分がビデオで録画出来るところ。私の知りたいのがこの部分が何番かってことなの。それがテレビ番組表ではどの部分なの?」「OK、OK、じゃあ初めからやってみましょう。まずテレビのチャンネルを3にして、ビデオの電源を入れるのね。で、ビデオ側のチャンネルを変える。」こうやってひとつひとつ番組をチェックし、私はやっと18個ものチャンネルが録画可能であることを突き止めた。

だがしかし、録画方法を教えてもらったのは「今これから放映される」番組で、「予約」ではない。しかも彼女は録画を止めるのは手動でスイッチを切っているようなのだ。

そんなわけで私が録画出来た映画は未だにDianneお勧めの1本だけ。かわりに彼女は「ビデオを安く買える店」に私を連れていってくれた。そこで私はセール中の棚からまたもやショーンコネリーの、「FINDING FORRESTER」と言うたぶんまだ見たことのないビデオを6ドル99セントの更に25%引きで買ってきた。600円と言ったところだろうか。もちろん新品である。

2002.02.19

―The fourth weekend 1―

ヨットに乗るということがこんなにも手軽なものとは思わなかった。
ハワイ大学のleisure program、sailing classの初日である。久しぶりに日本の携帯に目覚ましをかけて早起きし、坂を下りる。1番のバスを乗り換えて8時前に大学に着いた。この時の写真が「Hwaiian Photo2」の構内の写真だ。30分も早いのだから当然誰も居らずボーッと待つ。年輩の男性2名、フラのクラスで一緒だった、交換留学生で中国系アメリカ人のvivian、中国から交換留学生として来ている女性、それに私。一行はどう見てもこの中では最年少と思われる少女のような金髪の学生の運転するマイクロバスに乗る。どうやらこの少女がコーチらしい。(大丈夫か?)15分ほどで、なんと私が来たかったサンドアイランドに着いた。ここはマリンショップのウェストマリンがあるのだが他に何もないのでバスの便が悪いのだ。ウェストマリンの前を通り過ぎ、ほとんど突き当たり。「Marine Training & Education」と言う柵の中に入った。

屋根はあるが壁はないという場所に据え付けられたホワイトボードの前に座ると、どこからかスケートボードに乗って、これも少年のような学生が現れ、説明を始めた。これは「英語」か「ヨット」か、どちらかを知らないと苦しい。だけど彼が説明したいことが何かは容易に想像が着いたので何とかなった。困るのは「これは何ですか」と質問された時。何を聞いているのかを理解するのが大変なのだ。これまた二人とも若いので聞いたこともないほど早口だった。ヨットの絵を描いて、「これがマスト、これがブーム、これがメインセイルで、これがジブセイル、舵はティラーです。」(そ、それで終わりか?)次に風の向きを書き(貿易風はいつも同じ方向から吹いている)、ヨットをやっている人なら一度は見たことのある図を書き始めた。風にギリギリ向かうクローズホールドから始まって一周する図である。どうやら日本人の多用する「アビーム」と言う言葉は使わないらしい。何でも「リーチング」なのだ。で、いきなり「タック」の説明。「タックで一番大切なことはコミュニケーションです。」と言うのが気に入った。(二回目の講義でジャイブの時も一番大切なのはコミュニケーションだった。(^_-))最後にロープを持ってきて一通り結び方をレクチャーする。仕方がないので隣のおじさんに教えてあげる。皆、どんどん質問し、妙に明るく楽しげである。彼らは私が1年はかかって覚えたことを30分で理解してしまったようだ。

ヨットに乗る時「泳げますか」と聞かれたのも初めてだった。「じゃ、ここで泳いでみて下さい。」「?」私は水着も着替えもないと言ってなんとか逃れたのだが、皆その場で潔く飛び込んだ。飛び込んだは良いが上がることの出来ないような桟橋なのだ。そして、セイルを持って目の前のヨットに乗る。後から来た女性を含め、生徒6人にコーチが2人。3人ずつ別々のヨットに乗る。ヨットは同型艇が何艇か係留されており、カタリナの20フィートと言う種類のヨットだった。

艤装し、出航する。喋らないでも聞けなくても準備するだけなら簡単だ、と思って黙々と(聞こえは良いけど)艤装をしていたら「誰から舵を取る?私はあなたからが良いと思うの。」と言われてしまった。あとはたっぷり2時間以上、目の前の海面を、8の字を描いてタックしまくる。ハワイとは思えないほど静かな、波のない海面を、舵とメインとジブの担当を交代するだけで終了時間が来るまでそのまま休憩などなしに練習する。ちなみに講義の一回目が「タック」、二回目が「ジャイブ」、三回目が「三角形のマーク回航」四回目が「風上風下の回航」で4回のクラスが終了するのだ。

集まったハワイ大学にマイクロバスが戻ってきたのは、時間通り12:30。私はこの日、ハワイに来て始めてと言うほど恐ろしく忙しい日だった。

2002.02.21

―The fourth weekend 2―

ホストマザーのDianneが、sailingクラスが終わった頃大学まで迎えに来てくれると言うのだ。その先がどうもわからない。「プナホカーニバル」があるとか、中国の新年のお祭りがあってダウンタウンが賑やかだとか、友達の子供が出演するだとか、店がたくさん出るので歩いて見て回るとか、あなたの分もチケットを買って置いたのとか、バラバラに言われても何のチケットでどこに行くのかわからない。挙げ句、ミスチャイナとミスサクラになった友達と会うのだと言った。

大学構内の待ち合わせ場所でDianneの車に乗る。彼女は日頃持っていない携帯を使って誰かと話している。友達のところへ向かうらしい。登場したのは確かにきれいな、中国人と言うより日本人のような女性とそのご主人。Dianneは自分の車をそのマンションの駐車場に入れ、私を促して登場したご夫妻の車に乗る。私の淡い期待は消え、日本人かと思われるほどの外見のご夫婦は完璧な英語だった。

何か待ち合わせの時間を決めているようだ。どうやら私達は降りるらしい。結局女性3人が降りた。ご主人はたぶん駐車場が無いとのことで送ってくれたようだ。そこは「プナホ」と言う、幼稚園から始まる巨大な私立校で、何と構内にジェットコースターがあった。チケットを買い、そのチケットを使って飲み食いしながら見学するしくみのようだ。まぁ、街をあげての大きな文化祭かな。私達は今流行のイチゴのスムージーを飲み、マラサダと言う揚げドーナッツをかじり、タコスサラダを食べた。途中Dianneが知り合いに会ったらしく、たくさんのレイを首にかけている楽しげな女性と抱き合って久しぶりの再会を喜び合った後紹介してくれたが名前は聞き取れなかった。そうこうしているうちに何かが始まるらしく、裏手の体育館のようなところへ行く。これが6ドルの入場券だったのだ。ここで私は「文化祭」と言う観念が覆される。これが「出演しなければ卒業できない」と言われるほどのものらしく、到底高校生とは思えない。舞台脇のオーケストラも、ダンスも、歌も、タップダンスやムーンウォークまで、技術と言い、構成と言い、衣装と言い、プロの演技を見るようだった。思い切り感動した後、せかされるように会場を出た。どうやら待ち合わせの時間を過ぎているらしい。余ったチケットを全部合わせてロコ御用達の「ポッチギーソーセージビーンズスープ」と交換する。チリビーンズにちょっと辛いポルトガルソーセージが入った物で翌日食べたがとても美味しかった。

再びご主人の車に乗り、そのご夫妻の住むマンションにお邪魔する。高くて見晴らしが良い。こういうのを絶景と言うのだろう。どうやらここでは少し時間があるらしく、ふたりはおしゃべりを始めた。そうそう、そのおしゃべりの中で私は大変なことを聞いたのだ。ホストマザーのDianneが、80歳になる従姉妹の誕生日を祝うため、一週間メインランドへ旅行するというのだ。「あら、言ってなかったかしら。大丈夫よ。」(そ、そんな。あんな大きな家にひとり?(^_^;))そしてまたもや服の話となり、私はここでも元ミスチャイナの「きつくなった」服をもらうことになる。

で、再び出掛ける。また戻ってくるので荷物は置いて行くようにとのこと。面倒なので行き先は聞かなかった。仕事に出かけたご主人の変わりに、今度はミスチャイナが運転する。途中、更に友人と称する日本人の血も入ったドイツ系アメリカ人女性が増え、一行は4人になる。何人になっても会話が英語であることに変わりはない。しかも授業と違ってこんな、車の騒音にかき消され、後ろ向きに話している人の話は更に理解しがたい。(あ〜、会話を私に振らないで欲しい。)アロハタワーの近くの駐車場(安いらしい)に車を停め、チャイナタウンを歩く。これがまた、正月の初詣みたいな凄い人なのだ。ふだん夜は危険と言われるこの界隈もこの時期だけは大丈夫らしい。

中国は旧暦で2月が新年なのでいろいろなイベントが行われていた。路上には途切れることなく屋台が並び、日本で言う獅子舞のような踊りが繰り広げられ、仮設舞台では今年の「ミス」の紹介や様々な芸が紹介されていた。私達はここで人波に揉まれながら春巻きを買ったり、焼きそばをつついたりしながらあちこちを見て回った。途中、自分がどこにいるのかわからない錯覚に陥ったほど日本に似ていて違和感はなかった。

友達の家に寄って、結局帰ってきたのは10時くらい。長い長い、またもや英語三昧の一日だった。翌日の日曜日はのんびり宿題をした、と日記には書いておこう。

2002.02.23

―Culture Day―

何も祭日の「文化の日」のことではない。10週間の授業の中で1日だけ通常の授業はなく、何かActivityを選んで参加するというものだ。当然必須で授業の一環である。楽しそうだ。今回は4つのイベントが用意されていた。ダイヤモンドヘッド登山、ワイキキ歴史散歩、ブレスレット作り、ハクレイ作りだ。当然前のふたつは屋外で、後のふたつは室内。ブレスレット作りはワイキキの「Lucoral Museum」で行われ、レイ作りはハワイ大学構内で行われる。ハクレイと言うのは通常の首にかけるレイではなく、口径が小さくもっと手の込んだ、頭に載せるレイを指す。編み込むので結構時間がかかるらしい。それぞれに集合時間と集合場所が異なり、どこかの担任が担当する。無料、もしくは2ドル程度の費用で参加出来るようになっている。

私は天気も心配だったし、他に思惑もあったのでブレスレット作りに参加することにした。思惑というのはこの、culture dayの行われるのは金曜日なので、あわよくばワイキキで行われるFriday night raceに参加できるのではないかと言う魂胆だ。

culture day直前の「FLUENCY」、つまり「なめらかに話す」授業はActivityごとに別れて事前学習をすることになった。ブレスレット作り活動のキーワードは「gem」。パンに塗るジャム「jam」じゃない。宝石のことだ。様々な物が土の中で圧力をかけられ低温や高温に耐え、火山活動などが起こったりして何百年、何千年もかかって石になると言う話。私の誕生石エメラルドは緑色でブラジルが原産だ、などと言うことも学ぶ。断って置くがこれはすべて英語の授業なのだ。当然、レポート提出が待っている。

当日の朝、悪い予感が当たってなんと雨だった。それもいつも降る青空の短時間シャワーでなく、珍しくどんよりとした空にザーザーと雨が降り注ぐひどい天気だ。「Lucoral Museum」はワイキキにありながら決して観光客が来そうもないところにあった。中国人の係の人にいろいろな石を見せてもらいながら説明を受ける。中国茶とキャンディーまで頂いて快適だ。何と「peridot」はハワイでは「グリーンダイヤモンド」と呼ばれているらしい。ちなみに日本のように「ペリドット」と発音したのでは通じない。「ペリド」で止める。tは発音しないのだそうだ。しかもこの「ペリド」、ダイヤモンドヘッドにあったため、溶けて流れて風光明媚なハナウマ湾で緑色の砂が見られるのだそうだ。俄然興味がわく。その後珊瑚や真珠、琥珀なども実物を見ながら説明を受ける。そうそう「ivory」とは色のアイボリーばかりでなく、象牙のことも言うのだそうだ。

その後ビデオを見てから館内を案内してもらう。お母さんがMuseumを建てたと言う女性館長の案内だ。彼女も英語が話せず、一日一文ずつノートに書いて覚えたのだという。「1日、one sentenceで良いんです。簡単でしょう。一ヶ月はあっという間に過ぎるし、一年もすぐ経ってしまいます。」耳が痛い。担当の先生がニヤリと笑った。

ここはアロハシャツや土産物などを売っている「ヒロハッティ」などにもアクセサリーを卸しているそうで、何人かの女性が石やビーズを組み合わせていろいろなアクセサリーを作っていた。いよいよブレスレット作りである。館長が起用に釣り糸と金具をつなげて私達が好みの石を通すだけで作れるようにしてくれた。インディアンジュエリーで有名なターコイズやグリーンダイヤモンドのペリドなどたくさんの種類の石が用意されていた。私は淡水パールとピンクのローズクォーツを組み合わせて作った。こういうときはあまり欲張って凝ってはいけないのだ。友達は何度も作り直し、それでも「お寺で使う数珠のようだ」と嘆いている。時間があったのでもうひとつ作ることにした。ホストマザーDianneの誕生日が確か3月の初めだったはずだ。自分のブレスレットのローズクォーツをブラックオニキスに変えて作ってみた。なかなか良い。満足。これでひとつ2ドルなんていくら授業でもちょっと気が引けた。担当の先生はこの上ネックレスを作ると言うので先生を残して授業は終了した。

だが雨は止んでいない。Dianneも旅行で不在中だし、Friday night raceを諦め、仕方なくバスに乗って帰る。こんな天気だと言うのに、翌日はセイリングクラスなのだ。

2002.02.25

―The fifth weekend ―

あまりの風に夜中に目が覚めた。ひとりきりなので大きな古い一軒家というのはどこかで何かきしんだり音がするものなのだ、と言い聞かせて寝た。翌日、雨は上がっていたが凄い風だった。こんな状態でセイリングするのだろうか。とりあえず起きちゃったし、家を出る。人も吹っ飛びそうな風だ。授業が始まる頃には少しは納まったもののこんな中でジャイブの練習をするのは気が進まない。しかも「前回泳いでいないのは誰?今日は泳ぐよね。」と言われ、私と同じくテストを受けていない女性がちょっと肩をすくめただけでTシャツに短パンのまま先に飛び込んでしまったのだ。仕方なく後ろから飛び込む。晴れてはいたし、水は冷たくなかった。今回は少女ではなく少年の方のコーチだった(23歳だそうだ)が、また私から舵を取るハメになった。何とか授業は終了した。少しだけ早めに終わった。どちらにしても小型艇だし、そう言えば電子機器などの装備も何もないし、だから濡れてもどうという事はなく(さっき泳いだし)、波もなく、桟橋もすぐなので考えてみれば気楽だった。

そこで帰りに前回目を付けていた店に行きたいと思い、「そこのWest Marineで降ろしてくれない?」と頼んでみた。「帰りはどうするの?」「歩く。」「えっ?」「近くにバス停があるから大丈夫。」と言う問答をしていたら車で来ていた人が送ってくれると引き受けてくれた。「時間がかからないなら待っていてあげようか」と言う誘いを断り、丁重にお礼を言って店に入る。昨夏より更にヨット用品などの品数が減っているような気がしたが、久しぶりのマリンショップは見ているだけで楽しかった。プラスティックの食器を物色し、極細の、クラフトなどにも使えそうなロープを一巻きとバーゲンの棚からヨットが描かれたグリーティングカードを二箱買う。そうそう、表にセイリングをしているヨットが描かれたCDも一枚購入した。75%offの棚に一枚だけあったもので「Tradewinds High」と言うタイトルのCDだ。確か3ドルちょっとだったと思う。Sarah Dashewと言う女性が歌っているもので裏側には「Trade Winds High」、「The Old Man From The Sea」、「Sail Away With You」などヨットにちなんだ曲名ばかりだ。帰って部屋のCDプレーヤーから教科書に付いていた英語のCDを抜き、聞いてみたら、ちょっとウェスタン調の曲でなかなか良かった。さすがに歌詞カードは付いていない。

マリンショップで1時間ほど物色していたらお腹が空いた。店の並びに、朝、コーチが立ち寄ってベーグルパンを買っていた店があったのを思い出し寄ってみる。「LOX OF BAGEL」と言う店だ。オススメである。中に入る。ショーケースに何やら見慣れぬものがあった。外見は中国の揚げ菓子で回りにゴマがまぶしてある饅頭、あれを大きくした感じだった。「これは何?」「中に小豆餡が入っています。」「回りはベーグル?」「そうです。」「じゃ、それとコーヒーを下さい。」すこぶる美味しい。白ゴマと餡、ベーグルの生地も良く合う。女性店員とおかみさんらしき人が私の横でお昼ご飯を食べ始めた。挟むと言うより大盛りに乗せたツナのベーグルだった。「この近くのバス停はどこですか?」「目の前にあるけどあまりバスは見ないわねぇ。大通りまで行った方が良いと思うわ。どこから来たの?」と言う会話?が始まった。もちろん英語である。「美味しい?そう良かった。アンパンみたい?」思い切って「LOX」の意味を聞いてみる。辞書には該当するものがなかったのだ。「スモークサーモンのことなの。ベーグルと合うでしょう?」「スモークサーモンのことを皆LOXと言うんですか?」「そうねぇ、半々かしら。」挙げ句彼女は売り物のアイスクリームを持って来て食べ始め、私にも勧めてくれる。「ストロベリーショートケーキ」と言う名のカラフルな棒状のアイスだった。別の客が来る。どうやら客はこの店オリジナルの「ベーグルチップス」を買い占めに来たらしい。おかみは奥からダンボールごと持って来、客は物色を始めた。いろいろな味のベーグルパンをスライスして油で揚げてある。美味しそうだった。粉々になりそうなので買えなかったが次回はぜひ試してみたい。

店の前の「キリゴス」もついでに覗き、大通りまで出る。たいした距離はなかった。来たバスに乗る。ワードウェアハウスまで行こうと思ったが途中チャイナタウンを抜けた当たりに大きなアウトレットショップ「ロスドレス」が見えたので途中下車する。その後再びバスに乗りワード地区へ。さすがに「クアアイナ」の人気アボガドバーガーは品切れだったが変わりに「Kiddy Burger」を食べる。もともと巨大なので私には子供サイズがちょうど良い。

今夜もひとりなので夕飯にアラモアナS.Cの「ヤミーコリアンバーベキュー」を買って帰ることにした。だがご注意。あれは決してバスで持ち帰っては行けない。あまりの良い香りに、回りまで巻き添えにしてお腹が空いてしまうこと請け合いである。

日曜日はおとなしく宿題をしているとメインランド旅行中のDianneが電話をくれた。なぜか彼女の話だけは聞き取ることが出来た。夕方、ワイキキに引っ越した友達が手巻き寿司パーティーをするというので出掛ける。来ていたアメリカ人の若者に「あなたの発音が一番きれいだ」と言われ、3人居た日本人の中ではたぶん私の成績が一番悪いだろうと思われるので、ちょっと嬉しかった。

2002.02.27

―Valentine's Day―

本人はあまり感じていないのだが、相変わらず忙しい。毎日の授業と宿題の他に、Hulaのクラスに出ている。週2回と言うのは結構頻繁に来るものなのだ。覚えたと思うと次の曲になり、頭も身体もconfuseしている。だが少人数で和気藹々のムードが気に入っている。いつも「comfortableか」と聞いてくれる先生もとても親切だ。その場で出来ても家に帰ると踊れない。あんまり待たせるのでバス停で練習していたらどこかのおばさんに話しかけられてしまった。駅のホームで傘を振り回しているゴルフおじさんと変わらない。彼女が良いアパートを探していると言う話まで聞かされた。で、土曜日の午前中がSailing。こっちは新しく覚えることはあまりないけど朝も早いし、土日は「丘を登るバス」が無いのでHulaの帰りと同じく当然往復徒歩になる。

挙げ句、友達と「日本語の授業を聴講したい」などと大それた考えを起こし、構内を1時間以上冒険した。「たらい回し」と言うヤツだ。ある部屋へ行き要望を説明する。すると「じゃ○△へ行ってみたら」と言われ、地図を見てその建物を目指し、部屋を探し当ててまた同じ説明をするという繰り返しだ。部屋に入る前に辞書を引いたりしてから突撃するのだ。「FLUENCY」の担任に見せてあげたい。やっと「好きなときに聴講して良い」と言う先生を見つけだした。その代わり「必要な時は呼ぶから来てね」とのこと。これがまた結構楽しいのだ。聴講してみて初めて「日本語って結構難しいんだ」などと思ってしまった。まず、「行った」と「居た」の音が似ているので区別がついていない。参加した授業は先生などに話すのではなく、もっと気楽に普通に、友達と話さなければいけないと言うSituationなので何か変である。「そこで○○さんに会ったんですね。そうしたら本当にびっくりしました。夕食を食べたんですね。」う〜ん、やっぱりおかしい。ペアの相手をすることもある。日頃教室では英語しか喋ってはいけないと言われているのに、しかも相手が通じない日本語を何とか話しているのに、こちらが日本語なのはなんだか申し訳ない。

そうそう、こちらのバレンタインは国をあげてお祝いする。バレンタインカード売場にはおじいちゃん宛、おばあちゃん宛、子供宛、奥さん宛など様々な種類のカードがあって日本のように絵柄だけでは選べず、難しい。しかも幼稚園でも小学校でもキャンディーを交換するらしく、そのキャンディーひとつひとつに何と書かれているかというのが授業でも話題になった。バラの花束など街にはバレンタイングッズが溢れ、当日はお昼前にN.I.C.Eプログラムオフィスのある建物の中庭でポットラックパーティーがあった。「ポットラック」と言うのは各自食べ物持ち寄りの手軽なパーティーである。

何を持っていけば良いかホストマザーに相談しようと思っていたら、何と帰ってくるはずのDianneから朝から空港で空席待ちをしたにもかかわらずチケットが取れなかったので友達の家に泊まると電話があった。挙げ句、バレンタインの朝、寝ぼけながらゴミを出そうと外に出たら風でドアが閉まってしまった。おぉ!ホテルで鍵を部屋に置いたまま外に出たのと同じである。とりあえず冷静に家の回りを一周してみる。入れそうにない。う〜ん、困った。隣の家のHankに助けを求める。朝7:50。Hankは事情を聞いて大笑いしている。今度は一緒に一周してみた。な、なるほど・・・。「あとは自分で出来ます。」結局お巡りさんが見たら職務質問を受けそうな状態で何とか家に入った。別に何も壊さなかったし、翌日Dianneに説明したら驚かれもしなかった。ずいぶん前、同じ様な目にあった高校生が2階に登ろうとして大変なことになったらしい。2階に登るのは大変そうだ。とりあえず今のところこれが最大の事件である。

そんなこんなで結局、ポットラックには何とか歩いて行かれる「ジッピーズ」のテイクアウト用マカロニサラダを買っていくことにした。4〜5人前と書かれたパックは5ドルでおつりが来た。芝生の中庭には風船などの飾り付けがしてあり、先生達もチリビーンズやサラダ、ジュースなどを用意してくれており、何より天気が良くて気持ちが良かった。先生のボーイフレンドまで紹介されるとは、いかにもアメリカらしい。


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