| (第七段) |
2002.05.02 |
−ゴミ出し− 日本に帰ってきた。 自分で書いた「徒然草第六段・留学への道」を読み返してみた。やはり、私の信じたとおり、毎週英会話教室に通ったり家で英会話のテレビを見たりするのとは格段の違いがあった。ペースが違った。このまま日本で勉強していたのでは10年経っても覚えられなかっただろう事が、たった3ヶ月で体験出来たと信じている。「起きている時は四六時中英語を勉強しなければならないハメ」にしたことは、自分で考えていた以上に有効だった。ためになる授業の他に、良い家にホームステイ出来たことも幸いした。これは個人の性格にも寄るのだろうが、とにかく「みんなと話したい、自分でやってみたい」と思っている私には有効だった。楽しかった。こんなに充実した3ヶ月を過ごしたのは初めてだ。新しいことを覚えられると言うことは、いつだって楽しい。 ハワイは気候も、何につけても過ごし易い所で、ほとんど不満はなかった。強いて言えば、車が右側通行で赤信号でも右折可のために道路を横断するときに注意しなければいけないこと、デザート類が甘すぎること、誰も彼もが電子レンジを多用しすぎることくらいだろうか。ボリュームの多い食事も頼み方に慣れ、持ち帰って食べられることを考えれば、かえってお得である。ホストマザーと2人きりの、3ヶ月の生活も快適だった。違ったのは果物の梨までも皮ごと食べることに違和感があったことくらいだろうか。だからどうしても「日本に帰ったらこれが食べたい」とか「これをしたい」とも思わず、国際電話さえかけなかった。刺身もショウユも煎餅も簡単に手に入った。ホストマザーは納豆以外なら、私は何でも、食べることが出来たので食事はかえって楽しかった。自然とか、海とか、空とか、ハワイでの方が便利だったり、良かったり、楽しいことは数え切れない。 反対に、日本に帰ってカルチャーショックを受けている。最たる物は「ゴミ出し」である。 私が東京から鹿児島に引っ越してきた時、未だ鹿児島ではゴミの分別が行われておらず、「これで良いのか、遅れているなぁ」と思った。ようやく「燃える物」と「燃えない物」の区別が始まってからまだそんなに経っていない。だがしかし、私の留守中に鹿児島市は奮起したようである。今年の3月からゴミ出しが何と10種類にも分けられていたのだ。県内でも市によっては24分別の所も出来たらしい。Oh, my gad! ハワイに「ゴミの分別」はない。生ゴミは家庭のシンクについているディスポーザーで粉砕し、「ゴミの日」にはすべてのゴミを自宅の前に置いておくだけで良い。ホストマザーは熱心なクリスチャンなので「ビンと缶」だけは別に保管しておき、教会どこかに持って行っていた。一般には「ゴミの分別」は不要なのだ。 世界の未来を考えれば、ゴミの分別は必要な物なのだろう。だがしかし、ここまでする必要があるのか、本当にこの、家庭の分別の努力は効率的に活かされているのか、疑問である。一人暮らしでこの分別を全うしようとすると、一本の空いたお酢のビンやトマトソースの缶を水を使ってきれいに洗い、その1本だけのためにスーパーで買ってきた「透明ビニール袋」に入れて捨てなければならない。本当に「資源節約」になっているのか、甚だ疑問である。 すぐにでもハワイに戻りたい私としては、日本は結構住み難い。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.05.06 |
−日米紙事情− そう言えば紙である。 ハワイで知り合いになった友達に、「日本にはティッシュペーパーはないのか」と言われた。当然そんなことはない。私は日本で常々、「私の周りの人達はティッシュペーパーを使いすぎる。もったいない。」と思っていたのだ。あちらではそんな生やさしいものじゃなかった。 まず、どこのトイレに行っても手を拭くためのペーパータオルが用意されている。それはホテル等という高級な場所でなくても、ハワイ大学構内のトイレであろうが、アラモアナショッピングセンターのトイレであろうが、カピオラニ公園のビーチにある公衆トイレであろうが、変わらない。留学中に気づいたのだが、あちらの人はハンカチと言う物をあまり持ち歩かない。中にはお土産のハンカチをあげたら「鼻をかむのか」と言った女性も居た。日本人女性は決められたように、必ず手にはハンカチを持って歩いている。だがあまり出番はない。乾燥しているのであまり汗もかかない。 ファーストフード店でハンバーガーをひとつ買う。「to go」、つまり持ち帰りにすると紙袋の中にはこれでもかと言うほどの、再生紙のペーパータオルが入れられる。家庭の台所にも必ずペーパータオルが用意されていて「ふきん」はあまり見かけない。布は手を拭くためのキッチンタオルくらいで、「台ふきん」も「食器拭き」もない。確かに「食器拭き」は、食器洗い機が洗って乾かしてくれるので不要なのだろうが、なぜか私は食器洗い機の中の乾いた食器を棚にしまう時でも、ふきんを手に取りたくなる。「台ふきん」の代わりにはペーパータオルが使われる。ペーパータオルにもロール状のものと、1枚ずつのペーパーナプキンの2種類あって、毎食、食事の度にひとりひとりのランチョンマットの上には1枚ずつ、きれいなペーパーナプキンが置かれるのだ。貧乏性の私としてはそれだけで贅沢な気分だ。良くお土産でもらう、あのきれいな柄のペーパーナプキンを、私はもったいないのでどこかにしまい込んでいたはずである。 と言うわけで、アメリカでは日本人のおばあちゃんが聞いたら「あぁ、もったいない」と卒倒しそうなほどの紙を消費している。「ふきんやハンカチを洗う手間や、洗剤や、水、それにその布に残るであろう細菌を考えれば紙の方がずっと合理的なのだ。」と言うアメリカ人の声が聞こえてきそうである。どちらが良いのかはわからない。生粋の日本人である私としては、紙を消費する方がもったいないのではないかと思う。だが、トイレ。確かに塗れた手でバッグの中をかき回してハンカチを探すより、ペーパータオルの方が圧倒的に便利だ。しかも濡れたハンカチをもう一度バッグにしまうのはどうも気に入らないと常々思っていた。 日本に来るための、アメリカ人向けのガイドブックには、「日本のトイレにはペーパータオルが設置されていません。ご注意下さい。」と書かれているのだろうか。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.05.08 |
−2002 釜山ASIA 競技大會開催記念Yacht Race− GW、福岡のヨットで韓国釜山のヨットレースに参加した。韓国ー日本間のレースではなくて釜山湾内のレースだ。日本からの参加は福岡の3艇。私が誘っていただいたのはベネトーの40.7フィート「METAXA5」と言う、お酒の飲めないオーナーの、お酒の神様の名前のヨットだ。あとの2艇はもっと大型のヨットだった。 ヨット乗りの方ならご承知の通り、ヨットレースにはハンディキャップシステムがある。簡単に言うと、よーいドンで一斉にスタートし、早くゴールした艇が勝つことになるのだが、大きなヨットはハンディキャップが高いので1着でゴールしても1位になるとは限らない。後からゴールした小型艇が修正タイムで優勝するなんてことはよくある。ちょっとゴルフに似ている。それが日本艇では最小艇の我が艇が1着でゴールしたのだ。参加艇は全部で20艇ほど。2着3着はもっと大型の日本艇が占めたので文句なしの完全優勝だった。 レース結果もゴキゲンならあちらの大会本部の対応はもっとゴキゲンだった。 毎日マリーナとホテルの間を自分たちの車で送り迎えしてくれ、開会式のパーティーも表彰式のパーティーもきめの細かい配慮がなされていた。もちろん料理は文句無く美味しかった。表彰式では丸ごと1匹の豚が調理された。挙げ句、私は開会式のくじ引きで1等の自転車が当たった。10何段変速かの凄いスポーツタイプの自転車だ。私はオーナーの了解を得、ヨットの後部、トランサムにくくりつけて帰って来た。釜山ー福岡は105マイルしかない。200キロ弱だ。あまり海外へ行くと言う感覚ではなくて海外旅行が楽しめる。だがしかし、ヨットは速度が遅いので15時間ほどかかる。帰りは少し波があり、しぶきを浴びたので自転車は所々少しサビが浮かび始めていた。水洗いの後、車に積んで自宅に持ち帰る。グリースは無かったし、天ぷら油やオリーブオイルよりはハンドクリームが良いだろうと言われたので綿棒と手を使ってニベアを丁寧に塗った。自分の顔や手だってこんなに丁寧にはしない。 釜山はPUSANと書く、と思っていたが表示はBUSANだった。送り迎えをしてくれた理事の方に聞いたところ「大統領が決めた。変更に大金がかかった。」とのことだった。読み方を大統領が決めるとは知らなかった。そう言えばどこかの国の総理大臣は2,000円札を作ることにこだわったが余り使われていないようだ。 韓国は物価が安い。私達は全く日本語表示のないホテルや店に入ったので更に安かった。ホテルはオンドルと呼ばれる、床に直に布団を敷くタイプの、床暖房の部屋で3〜4名ずつ4部屋に別れた。GWで割り増しとのことだったがそれでも1部屋8万ウォン(約8,000円)。ひとり2,000円程度だ。釜山に着いた早々プルコギと呼ばれる焼き肉とビール、冷麺や石焼きビビンバをみんなで食べに行ったがこちらは1人1,000円。鶏丸ごと1匹に朝鮮人参や栗、ナツメ、餅米などを詰めて煮込んだサムゲタンに至ってはふたりにひとつで充分な量で各種キムチ食べ放題、ひとり350円だった。消費税が無いと言うのも久しぶりに味わった快感だ。友達は国際市場で石焼きビビンバの石の器を下に敷く皿とセットで900円、私はスーパーでサムゲタン用のナツメや朝鮮人参、餅米などの詰め物真空パックセットを500円ほどで購入した。帰路がレースだと荷物を極力減らして軽くしなければならないが往復はレースではないので買い物も楽しめた。ちなみにスーパーマーケットはマリーナ(国際ヨット競技場)から徒歩3分ほどのところに大きなダイエーのような品揃えの巨大スーパーがある。ただしどこも日本語はおろか英語さえも通じない。看板のハングル文字に至っては雰囲気を想像することすら出来ない。だけど「こんにちは兼さようなら」の「アニョハセヨ」と、「ありがとう」の「カマスミダ」を覚えておけば何とかなる。 大会理事は「来年もまた来て下さい」と言った。もちろん、行く。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.05.13 |
−貝掘り− ハワイボケがほんの少し癒えた頭で、テレビのローカルニュースをつけた。鹿児島では「貝掘り」と言われる、「潮干狩り」のニュースらしい。何か砂浜の穴に家庭で使う塩をパラパラと入れ、にゅーっと出てきた貝を手でつかむと言う、見たことのない潮干狩りのシーンが映し出されていた。その時採っていたのは小さな子供だった。マテ貝と言う貝で、高尾野町と言う地名だけ、聞き取れた。面白そうだ。 そもそも潮干狩りではアサリしか採ったことがない。そう言えばアサリもこの時期だった。私は潮干狩りに行くことにした。高尾野町役場に電話した。鹿児島と言っても鶴の飛来する出水の近くで北西側。結構遠かったが鹿児島市内から2時間もあれば良さそうだ。次の日曜日の最干潮が午後2時だと言うことはすぐに調べられた。 場所はすぐにわかった。結構たくさんの人が防波堤の上で、ぶらぶらと何かを待っていた。想像していたのは広い砂浜で、アサリのように潮干狩りをする場面だったが様子が違う。車を停めて防波堤に上がる。何とテトラポットの下は海だった。潮が引いていない。近くにいた、長靴を履いたプロっぽいおじさんに聞いてみる。やはり潮待ちだそうだ。と言うことは短時間の勝負なのだろうか。そのおじさんは「まず砂を鍬などで切って、空いた穴に塩を入れる。マテ貝が入っていればすぐに反応するからわかるよ。」とのこと。もちろん鍬などはなく、おじさんのすすめに従って近くの工務センターへ入手しに行く。鍬は高いのでとりあえず園芸用と見られるシャベルを買う。これなら96円だ。 海に戻った。まだ潮は引ききっておらず、プロっぽい出で立ちの人々は余裕で煙草などふかしながら岸壁に腰掛けていたが、家族連れは何とか少し潮の引いた砂地に入っていった。それからはどんどん潮が引き、引いて出来た砂浜は多くの人達によって掘り返されていく。 一緒に行った友達も、もちろん私も、「マテ貝掘り」が初めてだと言うばかりか、食べたことすらない。スーパーで売っているのは見かけたが結構高く、食べ方も知らなかった。夢中になってマテ貝を採っている人達はどうやらそれを採って家で食べることを楽しみにしているらしい。聞いてみたところ「ただ茹でてつまみに食べる」、「みそ汁に入れる」、「焼く」、「バター炒めが一番さ」などと様々。だんだん楽しみになってくる。周りの人の様子をお手本に、シャベルで砂をすくう。空いた穴にパラパラと塩を入れる。丸い穴は蟹か何かで、マテ貝ではないのだそうだ。マテ貝が入っているとすぐに何かが反応する。じっと見ていると、そぉーっとマテ貝が穴の入り口まで顔を出す。たけどここで慌てちゃいけない。一度引っ込んだマテ貝が次ににゅーっと出てくる瞬間を待つのだ。 出てきたマテ貝を初めてつかんだ。思ったより力が強く、取り逃がしそうである。強くつかむとちぎれてしまうと言うか、細長い貝ごと割れてしまいそうだ。慌てず、あまり力を入れず、そおっと引き抜く。取れた。やっとひとつ。 ベテランの年輩ご夫婦は、ご主人が鍬で砂をかき、その後に付いた奥さんが割り箸につけた塩を穴に手際よく入れ、出てきたマテ貝を次から次へと腰につけたカゴに放り込んでいた。そんな訳にはいかない。友達は、「思っていた以上ににゅーっと」出てきたそうで、自分で塩を入れておきながら出てきたマテ貝に驚き、「ギャーッ」と叫び声を挙げる始末。何とか10本ほどのマテ貝を採った。 持ち帰ったマテ貝はもちろん食べる。数が少ないのでバター炒めと言うわけには行かなかったが網でそのまま焼いた。味はアサリなどに比べてくどさはなく、美味しい。どちらかというとさっぱりとたくさん食べられそうだ。海水で砂抜きし、水で洗っただけの天然の味を楽しんだ。是非もう一度チャレンジしたい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.05.16 |
−英会話番組− 何事も、「楽しくなければ続かない」と思っている。 「四六時中英語を勉強しなければならないハメ」にしたハワイ留学から戻り、英会話を何とか継続したいと思っている。持ち帰った20本のビデオも段々と底をつき、今月のTOEIC試験にも申込んだ。私の聞いたこともないような、もらいもののテレビはもちろん衛星放送も見られず、ケーブルテレビとも契約していない。音声多重放送でもない。友達から「字幕スーパー付きのビデオを借りてきて字幕を見ないようにビニールテープを貼れ」とか、「嫌、ティッシュペーパーだって静電気で張り付くから隠せるよ」とか、「やっぱりテレビを買い換えれば?」とか、「この時代はDVDでしょ」、「テレビとビデオデッキの間にクローズドキャプションデコーダを噛ませれば安く済む」などの智恵を頂いた。 どうしたものか。 とりあえず久々の本屋に行く。今見られる放送だってあるのだ。教育テレビの英会話は新聞のテレビ欄を見ても「英会話」としか載っておらず、詳しい内容が解らない。そこで調べた結果を一覧にしておく。こちらでは「スタンダード40」と言うのが基礎になるらしい。「クローズドカフェ」と「トーク&トーク」はその派生系と言うことだ。個人的には、ちょっと難しいけれどあちらのドラマをそのまま見られるような「クローズドカフェ」が気に入っている。「3ヶ月英会話」は2年前のものの焼き直しだそうだ。そうそう、昼これらの放送を見るならその後に5分間の「とっさの一言」と言うおまけ?の番組も見られる。
で、ラジオ、NHK第二。こちらはまだ基礎英語の1〜3が健在で、レベルがわかりやすい。1が基礎で15分ごとにレベルが上がる。更に月水金の内容をそのまま火木土に再放送する。
以前は「基礎」とか「1」しか見なかった。それくらいしか理解できないと思ったのだ。だが、ヨットで初心者にだってベテランと同じ嵐が吹くように、あちらへ行ったら「あら、これは基礎英語3の文型だからやめましょう」とは誰も言ってくれないことに気づいた。仕事に活かしたいなどと言うおこがましい考えは毛頭ない。私はただフツーに「話したい」だけなのだが、道のりは遠そうである。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.05.20 |
―絵てがみ― そんなわけで久しぶりに大好きな本屋へ行った。 もちろん「NHKのテキストコーナー」の他にもウロウロと歩き回り、結局2,000円以上の買い物をしてしまった。コンビニは高いので買い物しないし、スーパーでだって2,000円も買うなんてことは滅多にないのだが、どうも本屋には弱い。そこで、マンガのようにほんの1、2時間で読み終わってしまうことがわかっていながらつい、喜多島隆著の新刊「再会のシンガポール・スリング」を買い、他にも面白そうな本を見つけた。 「絵てがみブック」(杉浦さやか著)という文庫本だ。 今流行の「絵手紙」、つまり和紙か何かに、例えば柿の絵などを描いて横に「秋の味覚」と毛筆書きするような手の物ではない。私はどうもあの「純和風」の絵手紙が苦手なのだ。手紙と言うのは何も「日本人だから和風で」とは思わない。本人ともらい手がよければどんな手紙だって自分宛の手紙をもらえば嬉しいはずだ。わざわざ毛筆を準備するのが面倒で書かないよりも、サインペンでだって出した方が楽しい。もらう方はもっと楽しい。かく言う私も相当マニアックに手紙を書いてきた。書く方だって日記よりも相手が居た方が楽しいに決まっている、と私は思っている。そして数年前、「洋風でも何でもアリの絵手紙」を発見し、透明水彩絵の具と言う物を入手したおかげで何より苦手だった「絵」が楽しくなった。 文庫本は「手紙はこんな形でも楽しめます」と言う本だった。ちゃんと大学の美術学科を卒業したプロのイラストレーターの著者が、カラフルなイラストを散りばめながら「ハガキを子供の時書いた絵日記風にしてみたらどうでしょうか」とか、「借りた物を返す時、こんなカードをつけると楽しいですよ」、「やりたいことを書いて壁に貼ると余計にやりたい気持ちが沸いてきます」、「絵を描くかわりに雑誌や布の切れ端を貼ってみるのも楽しいです」などと言う、楽しい内容のものだった。 私が一番心惹かれたのは「自分の好きな物を描いてみる」と言うページだ。「好きな物を描くだけで楽しくなれる」と言うフレーズが気に入った。彼女の好きな物は「古い洋館、アジサイ、干したてのふとん、ババロア、白いブラウス、日傘、オープンカフェで飲むビール、コーヒーの粉の香り、バンビの置物、冬の白い月、名画座」などだった。さっそく私も白いコピー用紙に描いてみた。「ハワイの光と風、友達、ヨットレース、文明堂のクッキー、灯台と海の見える景色、カゴのバック、船の丸い窓、チョコレート、チューリップ、ビーチサンダル、貝殻、短パン、イカ刺し、文庫本」・・・透明水彩で色をつけた。確かに楽しい気分を味わえた。 その後、ハワイでお世話になったフラの先生、まだ頑張ってハワイ大学で授業を受けている友達、お世話になった人達に、デジカメで撮った写真を焼き込んで私オリジナルの絵はがきを作ってみる。I hope they like it.きれいな記念切手を貼って送ろう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.05.24 |
―さだまさし― 去年の11月末で仕事を辞めて、1月から3月いっぱい留学した。 帰ってきたのでハローワークへ手続きに行く。失業保険をもらう為だ。どうも「これがやりたい」と言う物が見つからず、贅沢を言っている。従って仕事は決まっていない。鹿児島では現在、約12,700人の失業者が居て、求人は約6,000件余りしかないそうで、何も贅沢を言わなくても2人に1人しか職は見つからない。東京の会社を辞めて、鹿児島に来て初めてハローワークに行った時より、心なしか年輩者が多いようだ。 失業保険と言うのは一度もらったら3年間もらえないのだそうだ。と言うことは、前回もらってから3年間経っているのだろう。知らなかったのでラッキーである。4月17日に初めて行き、次は5月10日の説明会とやらで、5月15日が初めての認定日だった。会社がつぶれたわけではなく、クビになったわけでもなく、自分から好きで辞めたので、失業保険をもらうためにはこれから3ヶ月間の待機期間がある。従って5月15日の次は8月7日まで行かなくて良いらしい。どうやら待機期間の3ヶ月はバイトをしても良いとのこと。損害保険でも生命保険でも保険なら仕事は見つかりそうではある。だけど何と言ったらよいか、避けている。 さて、どうするか。 その日もまた雨だった。帰りに、本屋に併設されているCDコーナーを見た。フラとハワイアンのCDをハワイで買ったことを除けば、もう何年も買っていないことに気づいたのだ。 敢えて古い言い方をすれば、シンガーソングライター"さだまさし"の、大昔からのファンである。彼のファンは俗に「隠れファン」と言われ、なぜか胸を張って「ファンです」と言う人は少ない。控えめに、恥ずかしそうに、「認める」だけ。だがしかし、言葉で言わない分、熱烈なファンが多い。彼は先日、3,000回目のコンサートを達成したそうだ。学生の頃は徹夜で並んでコンサートのチケットを取り、LPを買い集めた。楽譜を見なくてもギターが弾けた。だがここ何年もCDを買っていない。昔の歌なら空で歌えるけど今の歌は知らない。 CDのコーナーを覗いたのがいけなかった。さだまさしの他に、何と売り上げ2週連続第一位だという小田和正、これも何位かに入っていた中島みゆきまで買ってしまった。プロジェクト−Xの主題歌が入っているヤツだ。「今時の歌手」ではないこの人達がベスト10に入っていたのも何かの縁のような気がして、ギターを弾いていた頃が甦ってしまったのだ。 昔のままのさだまさしがCDのライナーノートで言っていた。 「だって、持ち時間なんてそんなにないのだ。照れている暇があったら次へ動きたい。 右手に「元気」、左手に「勇気」。使えば使うだけ増えるエネルギーは「元気」と「勇気」だけなのである。逆に使わなければ使わない分、減ってしまう。 自分が自分を応援しなくて誰がするんだ。自分を甘やかすことは恥ずかしいことだろうが、自分を信じないことはもっと恥ずかしい。」 まったくだ。まだまだ使っているとは思えない私の「勇気」は、どうも減っているらしい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.05.27 |
―Tigger― 私がハワイへ行っている間に、仲間が中古ヨットを買った。雪の桜島を眺めながら福岡から回航したそうだ。 艇名を、ディズニーの「Tigger」としたので、ハワイのディズニーショップでお揃いのTシャツを頼まれた。やはり、日本のディズニーショップよりも海外の方が品揃えが良いらしい。ご存じの通り「Tigger」とは「Tiger」、つまりトラになりきれない子供のトラのキャラクターである。仲間の一人がトラ年で、メールアドレスなどにも使っているのだ。TシャツはワイキキビーチをバックにTiggerの顔のアップがプリントされているもので、今年の年号が入っているものを7枚ほど買って来た。 ヨットは横山の30フィート。日本はどこもかしこもクルー不足なので、ある程度遠くへ行くことが出来て尚かつ少人数で繰船するには最適の大きさだ。このヨットはとにかく毎週末出航することを目標としている。ヨットは車と同じで始終稼働している方が調子が良い。動いていればバッテリーも上がらないし、船底に海草や貝も付きにくい。とかく湿りがちなキャビンの中にも風を通すことが出来る。始終乗ってさえいれば不具合もすぐに気づく。 で、何とか晴れた日曜日、のんびり桜島までクルージングに行った。「初Tigger」だった。1時間半ほどでフェリーの桟橋に着け、鯛のお刺身と塩焼きにみそ汁と言う豪華なメニューをヨットの中で作って昼餉をごちそうになる。桟橋の脇には温泉もある。クルージングはとかく飽きてしまうので基本的には苦手なのだが、鹿児島ならではの楽しみが味わえた。そうそう、鹿児島の銭湯はすべて温泉である。今となっては「当然」と言う感覚で、温泉でない銭湯が想像できない。慣れとは恐ろしい。必ず付いているサウナも東京などのように別料金ではない。珍しく温泉上がりに酎ハイなんか飲んで、昼寝までしてしまった。 Tiggerはとても19年前のヨットとは思えないほどきれいだった。テーブルの蓋がガバッと上に開くチャートテーブル上には物を挟むための、よく事務机に貼ってあるような透明ビニールが貼ってあった。ヨットの中ではすぐに湿ったり濡れたりしてしまうし、走行中のヒール(傾き)で机の上の物はすぐに滑り落ちてしまうので、チャート(海図)などの紙類を挟んでおくのは都合がよい。しかもそのビニールはテーブルの蓋より、わずかに数ミリ大きかった。このわずか数ミリで、水を被った時にもテーブルの中が濡れずに済む。そんなささいなことが大切だったりするのだ。キャビンの中も使いやすいように工夫したようだ。 珍しく翌週も晴れたので、錦江湾ヨットクラブのクラブレースに出た。デビュー戦である。 その日乗員は男女2名ずつの4人。風はいつも通り弱めで、大きなセイルを持ち合わせていないTiggerにはちょっと苦しい。だが結果は優勝だった。私としてはハワイから戻って韓国のレースと2度続けての優勝で更にゴキゲンだった。 仲間は「いつでも勝手に乗ってくれ」と言った。 良いのか、私にそんなこと言って。ハワイまで行っちゃうぞ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.05.31 |
―プロジェクト 1― ハワイにいた時、ホストマザーは「自分の服を整理する」と言うプロジェクトを組んだ。「服くらいでプロジェクトとは何て大げさな」とは思ったがそうでもなかった。彼女の、6畳間にも入りきらないかというほどの服で小さいサイズのものは私の部屋に運ばれ、端から試着をし、合えば私のものとなった。あとは自宅のガレージで文字通り「ガレージセール」を開き、雑貨と共に売った。物干し竿状のものにハンガーで吊された服は飛ぶように売れた。だって皆3ドルとか5ドルなのだ。売れる度に一抱えずつ物干し竿に補充した。しかもガレージセールを3回も開いたのだからずいぶんと片づいたに違いない。 実は今、私もプロジェクトを実行中なのだ。もっと大規模なプロジェクトである。 ホストマザーの所から大量の服を持ち帰っている。同様に大量のテキストや辞書がある。ただでさえ狭い日本のアパートに入りきれるはずがない。もともと服や本などを捨てられない性分の私は常々「スリム化」したいと思っていた。そんな人がたくさん居るらしく、「捨てる技術」何て言う本がペストセラーになったほどだ。友達のひとりは「いつでもスーツケースひとつで」をモットーとしているとかで、彼女の部屋には心配になるほど少ない荷物しかない。 私の部屋で溢れた荷物は直に畳の上に積まれるハメになっている。床に積むとホコリがつくばかりか何かの邪魔になる。床のものをどけないと本来衣服を入れている引き出しが開かないので、なんとなく積んである服しか着ないようになる。掃除をするのも面倒になって、積んであるものを避けて掃除機をかける。欲しい物がなかなか見つからず、何かしたり出掛けたりするのに時間がかかる。どうもいけない。私はハワイで英語の他にいろいろなことを勉強した。そのひとつに「スペース」がある。日本家屋は確かに狭いが、それだけではない。広い家に更に壁面1面の鏡をつけて奥行きを見せたりしている。私が借りた部屋も、友達が借りたコンドミニアムも、押入のドアが2枚とも鏡張りだった。最初は抵抗があったがこの鏡は重宝した。服を着たとき全体が一度に見られると言うのは良い。何となく余裕ができる。あちらの人は何事にも快適、comfortableを重んじているようだ。ちなみに鏡はフラダンスの練習にも役に立った。ダイエットに一番役立つのも、何を隠そうこの鏡なのだそうだ。私のアパートには何とか上半身が見られるほどの鏡しかない。 「物が増えて片づかないので家をもう一軒建てたい」と言った知り合いが居た。もし、万が一、私が大金持ちで大きなアパートに引っ越したり大きな家を買えたとしても、片づかないのは同じだろうと思えた。一人の人間に一度に出来ることは限られている。ものを覚えておけることにも限りがある。服を一度に2着着るわけにもいかない。片づけ始めると案の定、「あー、こんな服もあったんだわ」とか、「これ、こんなところにあったんだ」と言うことになる。片づかないと言うのはスペースの無駄遣いをしているばかりか、すでにあるものが有効利用出来ていないことに他ならない。 プロジェクトは「快適に過ごすための、部屋を何とかしようプロジェクト」と言う。Aim at a comfortable room ! 床に積んである物を撤去するには新しいタンスや引き出しを買うのではなく、不要なものを捨ててそれを入れるスペースを確保すると言う、ごく当たり前のことに気づいたのだ。片づいて壁面が空いたら、大きな鏡をひとつ買おう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.06.03 |
−プロジェクト 2− プロジェクト実行のBGMはもちろん、中島みゆきの「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」である。NHK、「プロジェクトX」の主題歌だ。心なしかこの音楽を聴くとやる気が出る。 私は、ただ磨くとか拭くと言うのではない、整理整頓系の片づけが苦手だ。つい、凝りすぎてしまう。だけどこの時期暑くも寒くもないのでありがたい。窓を開け、換気扇をつけ、ホコリよけのマスクをする。とにかく捨てなくちゃならない。実は何を隠そう、この捨てると言う行為が一番苦手なのだ。私はおばあちゃんみたいに、包装紙やきれいなリボンなどをついとっておきたくなるタチなのである。しかもやれ陶芸の道具だとか、テニスラケットにテニスウェアだとか、アクセサリーを作る道具、ビーズ各種、布、大量の便せんや封筒、カード類、切手類、これまた大量の資料や本、パソコン関係のもの、透明水彩絵の具や水彩色鉛筆、雑貨、写真・・・とモノが多い。目標は「今ある引き出しや棚に入らないモノを捨てる。」とにかく3日坊主にならないよう、毎日少しずつ片づけることにする。 幸い、珍しく晴天が続いた。散らかった服を洗濯し直し、畳んで並べ、仕分けした。とにかく1日3回でも4回でも、干す場所がある限り洗濯機を回した。タオルや衣類、シーツや枕カバーの他、カーテンもカーペットも洗って干した。これからの日本は湿気も恐ろしい。その間に要らない服でゴミのビニール袋をいっぱいにし、着られないTシャツを切ってガスレンジを拭く布を作る。汚れているとか破れているとか「着られない服」はまだ良い。問題はきれいで、汚れても破れてもいない「着られるけど着ない服」なのだ。捨てるには忍びない。日本では新聞広告を出すだけで客が押し寄せてくるガレージセールは望めないので、とりあえず「売る、あげる、寄付する」ための袋を、「衣類」「本」「雑貨」に分けて作った。この袋行きのものには貰い物が多いことがわかった。衣類の引き出しもひとつずつ整理し、やっとひとつ開けた引き出しに英語のテキストを入れた。ある日はガラス磨きに徹し、ある日は小さな玄関に積んである靴箱を整理した。ワインの木箱にキャスターと取っ手をつけて重ねた「自家製食料貯蔵箱」も整理した。もちろんゴミの日が待ち遠しく、積んであるビニール袋が消えていくのは気持ちが良い。 不思議なもので、6畳間の床を覆っていたモノが消えるとなぜか掃除機がかけたくなる。何となく広いスペースが誕生すると、今日は○○類の整理、とひとつずつ広げての整理がしやすくなった。だいたい、期限切れの薬とか使わない化粧品をとって置いて良いことは何もない。衣類は、思い切って普段着の引き出しとか、外出用の引き出しにしたので開けるのも楽しくなった。ミシンもかけた。捨てようと思っていたベッドの幅いっぱいの大きな枕にカバーをつけてクッションにし、ボロボロになっていた車の座布団を捨て、新しいのを作った。こんな時普段から買い集めて置いた布や糸が本領を発揮するのだ。 プロジェクトは、どうにかこうにか進んでいる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.06.06 |
−プロジェクト 3− そんな時、「スーツケースひとつで」をモットーとした友人の部屋を訪ねる機会に恵まれた。心配になるほど少ないものしか持たないと言う若い女性である。彼女は和室二間と板の間キッチンのある古いアパートに住んでいた。一人暮らしだ。 部屋を訪ねるのは初めてだった。す、すごい。本当に何もなかった。 エアコンも、タンスも、ビデオも、本棚も、もちろんぬいぐるみも何一つない。壁はどこも真っ白でポスターもカレンダーも貼っていない。コンセプトは「いつでもみんなが訪ねて来られる部屋」だそうだ。だから場所を取るベッドもない。冬はレースのカーテンの代わりにウールのカーテンをかけて二重にし、夏はこたつ布団を畳んで大きな布でくるみソファの代わりにする。キッチンには日常使うだけの食器が、ガラス戸のないカラーボックスに入っていた。写真は一年に一度一冊に整理する。イベントの都度、気に入った写真を数枚ずつ選んであとは捨てると言う徹底振り。だけど殺風景と言うわけではなく、ちゃんとセンスは活かされていて、くつろぐ部屋には壁に一枚の布が貼ってあり、洗面台と兼用と言う流しにはカラフルなタイルで縁取られた鏡が置いてある。何カ所かある電気のスイッチカバーには絵が描かれ、キッチンのランプシェードはガラス玉があしらわれたもので、寝室になっている部屋は間接照明になっていた。ドアは取り払い、1枚だけ残っているドアには雲のポストカードが留めてあった。 いくら片づけが苦手な私でも、引っ越しでも掃除でも簡単に請け負えそうだった。大勢が押し掛けた時のテーブルは1枚の板を渡してテーブルにするそうだ。服は押入の上段とキャスター付きのポールのみ。雑誌は読んだら捨て、普通の本は図書館から借りて読むのだそうだ。ここまで徹底するには余程の根性が必要だろうと思えた。案の定、何を買うにも本当に必要かどうか考え、服は1枚買ったら1枚捨てるのだと言う。 さすがに、「新しい何かを始める時には、荷物が増えることを考えてしまい躊躇する」と言う意見には賛成出来ないけど、確かにモノは本当に必要かどうか考えてから買うべきだし、服だってそんなにたくさん着られるものじゃない。こう考えれば無駄遣いを防ぐことにもなるだろう。彼女はものにはこだわらないタチなんだそうだ。だが、しかし・・・ とりあえず家に帰って、要らないモノをあと2、3袋処分しよう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.06.09 |
−プロジェクト 4− 世の中はワールドカップサッカー一色に盛り上がっている。どこが勝ったかくらいは知らないとマズイと思い、慌ててNHKのニュースをつけたが「日本チームの健闘を讃え」とか、「昨夜の興奮醒めやらぬ街では」なんて言って、ちっとも結果を放送してくれなかった。当然知っているべきことらしい。この、「日本チーム健闘」のおかげで、スーパーも安売りをしていた。 そんな中、プロジェクトは進行している。 「天気の良いうちに」と思って洗濯した大物もほぼ片が付き、布団なども干し続け、それでもGW以来晴れている。6月に入って少し暑くなってきたがジメジメしないのは嬉しい。文房具屋で、テレビ番組で文具王となった人の開発したと言う収納BOXを調達し、調子の悪くなったステレオをメーカーに持ち込み、布団の襟カバーを替え、洗剤を置く度にひっくり返ってしまう、シンクのスポンジ置きを替えた。結構快適である。 そしてついに禁断の「押し入れ」に手をつけてしまった。私の部屋の押し入れはふすまを開けたままにしてあり、下段にはポケット付きのキャンバス地を貼って中には冬服の入った箱を並べ、上段にはテレビやビデオが置いてある。もちろんそのままの状態で見られる。で、テレビの後ろや周りにはカラーボックスに並べたビデオテープの他、バッグ、包装紙、紙袋、小型ミシン、小型アイロン、裁縫箱がてんこ盛りになっている。開かれていない方の押し入れはもっとひどい。各種パンフレットや資料、雑貨がこれまた山盛りなのだ。まずマスクをかけ、ほこりを払いながらすべてを押し入れから出す。押し入れの中に掃除機をかけ、要る物だけをもとに戻す。ついでなので皮のバッグはすべて干し、オイルで磨いた。 すでにゴミのビニール袋5、6個は軽く捨てている。そこへ更に同じ量くらいの廃棄物が出た。書籍などはゴミの日までアパートのドアの外に積み上げているので、訪ねてきた知り合いに「引っ越しか?」と聞かれたほどだ。ほこりっぽいので部屋にもう一度掃除機をかける。残されたのは大量の資料。ヨット関係の切り抜きや料理のレシピ、旅行ガイドブックやパンフレット、私の愛読書である機内誌の切り抜きなど。 重い物を持ち上げた記憶もないまま、両手の甲から腕にかけて痛い。余りに痛くて起きてしまった。何か悪いビョーキかとも思ったのだが、どうやら昨日、フレンチトーストを作る際に開かなかったハチミツのビンの蓋を無理に開けたことが原因らしい。今日はおとなしく資料整理に勤しもう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.06.12 |
−プロジェクト 5− 1年振り位で車にワックスをかけた。翌日、台風が来た。 「車を洗うと翌日は雨になる」と言うマーフィーの法則のようなジンクスはあったが、梅雨さえも来ない晴天続きのこの時期に台風4号がやって来たのだ。すみません、台風が来たのは私のせいです。しかもこの台風、一番して欲しくない、梅雨前線を刺激すると言う罪を犯し、台風の到来と共に九州全土がいつもより半月ほど遅れて梅雨に入ってしまった。だがしかし、艶さえもなくワックスを吸い込んだ私のベンツ(車種ではなく、ただのニックネームだ)は、新車のように雨がコロコロと粒になってきれいだった。晴れている内に磨けたのは良かったとしよう。走行距離12万キロを軽く超えているが、抜けてしまったクーラーガスはOリングも替えて補充したし、まだまだ大丈夫だ。 雨なので、珍しく三日坊主ではなく続いているプロジェクトは資料整理に追われた。暑い。暑さというのは、特に私の場合、陽射しではなく湿度だと言うことを思い知らされた。去年堪らなくなって購入したクーラーのフィルターを洗い、流行の空気をきれいにするフィルターを貼って、今年初めて稼働させた。スクラップブックに貼ろうとして切り抜いてあった記事は雑誌のままの資料よりやっかいだった。飛行機の機内誌の切り抜きをスクラップブックに張り付け、ヨットのメンテナンスやレースの資料をバインダーに綴じ、何とか地区別になっていた各地旅行の資料や地図、パンフレットは国内と海外に分け、ボックスに納めた。それに題名をつけたシールを貼って空いた押入に並べる。いつでも見ることの出来ない整理されていない資料は、ゴミと同じなのだと痛感する。日本の、狭く高い土地にゴミを居座らせておくのは、甚だもったいない。 私がこの世で一番嫌いなのはゴキブリだ。そして2番目がホコリ。ホコリが嫌いだからと言ってきれい好きとは限らない。極力、ホコリが立たないようにそおっーと生活する。ちなみにゴキブリが出たら逃げる。結構、negativeなのだ。日焼け止めも塗らずにヨットで海へ出ても赤くもならない私の皮膚は、なぜかホコリに弱い。ある日突然ジンマシンが出た時の検査結果は、食べ物ではなく空気中のダストだった。従って麻雀屋など(一度行って懲りたので以後行っていないが)煙草の煙の充満した所へ行くと、翌日には必ず扁桃腺が腫れて高い熱が出る。ちなみに、ご想像通り、3番目に嫌いなのは煙草となる。 その、この世で2番目に嫌いなホコリと格闘している。 炭から作ったと言われるフィルターを挟んだマスクをし、手元に濡らして絞った雑巾とホコリ取りのハンディーモップ「ウェーブ」を用意して作業に当たる。そして気づく。冬の寒い日に、風邪などひいていなくてもマスクをすると暖かい。つまり、マスクをすると異様に暑いのだ。肉体労働ではなく、ただの資料整理に汗が出る。そう言えば以前、母が「スポーツクラブへ通うくらいなら家で雑巾掛けでもしなさい。」と言っていたっけ。プロジェクトは一石五丁くらいになりそうだ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.06.15 |
−Hawaiian Home Sick− サッカーワールドカップは日本チームが決勝リーグへ勝ち進んだそうで、世の中は大いに盛り上がっている。1試合も見ていないし、特に思い入れはないけど、みんなが盛り上がっているのは嬉しい。「昼休み抜きで仕事をすれば2時に帰宅しても良い」とどこかの社長は言ったそうだが、そんな日が1日くらいあっても良いではないか。ただそれだけのことでその社長の株は上がったに違いない。私としてはいつの日か、ヨットのアメリカズカップで日本が決勝戦に進出したので会社や学校は休みになると言う、オーストラリアやニュージーランドのようなニュースが流れないかと期待している。 お掃除プロジェクトは未だ順調に進行している。メーカーで修理が済んだCDプレーヤーには、1枚ずつホコリを取って50枚のCDを入れ直し、エクセルで一覧表まで作った。至極便利だ。磁石が取れてしまった冷蔵庫貼り付け用のペンと、中敷きが取れかかったミュールを接着剤で修理する。必要な物を探し出すことなくすぐに使えると言う快感を久しぶりに味わう。料理のレシピも整理し直したので、これでいつでも今年のラッキョウが漬けられる。整理したヨットの資料を、毎日少しずつ読み直すなんてことだって出来ちゃう。ただ、私がこの世で二番目に嫌いなホコリが、あんなに嫌いだったゴキブリを抜いて一位になりそうな気配ではある。嫌悪している。本当のアレルギーを通り越して、このところホコリを見ただけで具合が悪くなる。ゴキブリはたまにしかお目にかからないがホコリは始終いつでもどこにでも、掃除をしてもなくならないと言うのが気に入らない。 少し片づいて気分が良いので、ハワイアンのBGMを聞きながらハワイで入手したミックスで「バナナナッツマフィン」を作ってみた。いや、作ったと言うほどの手間はかからなかった。初めにオーブンのスイッチを入れ、その粉1袋に卵1個と1/3カップのミルクを入れて混ぜるだけ。マフィン型なんてないのでプリン型に入れて焼いてみた。作り始めてからお腹に納まるまで20分しかかからなかった。しかも美味しい。見栄えも良い。ちゃんとバナナとナッツが入っていてくどい甘さもない。この前作った日本メーカーのケーキの素とは大違いで、泡立て器も使わないのにふっくら仕上がる。日本のものは自分で小麦粉から作った方がマシだとさえ思えた程だった。ちなみに正式名称は「Betty Crocker」の「Banana Nut Muffin Mix」と言う。横15センチ、縦20センチくらいの赤い紙の袋に入っており、確かスーパーで2ドルいくらかだったと思う。そう言えばあちらではホストマザーが何の苦もなく、しょっちゅうミックスを使ってケーキを焼き、手みやげにしていた。この程度ならいつでも気負わずに出来る。なぁんだ、こんなに美味しいのならもっと買ってくれば良かった。 ハワイ大学の先生が、「1日1文だけカードに英語を書いて覚える」と言ったミュージアムの館長の勉強法を勧めてくれたので、テレビの英会話番組を見て「これは覚えたいな」と思った文章を小さなカード式のノートに書いている。そのノートはハワイ大学のブックストアで買った物なのだがもう数ページしか残っていない。そう言えば大学構内のコーヒーワゴンのスタンプが10個たまったのでタダでコーヒーが飲めるんだった。マウイオニオンのドレッシングも底をつき、コーヒーに浮かべクレープに挟んだ生クリームもあとわずか。6月に公開されると言ってたディズニーの映画はもう封切りになったのだろうか。確かムームーを来たハワイアンの女の子が主人公だったはずだ。そう言えばあちらで入手して来た映画もほとんど見尽くしてしまった。たいして覚えたわけでもない英語を忘れてしまいそうで恐ろしい。教育テレビでフラ(フラダンス)をやっているのを見て、急にフラの先生に会いたくなった。ビショップミュージアムのフラももう一度見たい。ホストマザーのDianneは元気にしているのだろうか。ハワイに残っている友達からメールが来たんだよ。・・・と友達に喋っていたら「それってホームシックなんじゃない?!」と言われてしまった。 今まで、生まれてこのかた、そんなものにはなったことがない私が本当にホームシックだとすると、事は思いの外、重大らしい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.06.20 |
−歯磨き− 二週間振りの「燃えないゴミの日」がやっと来て、玄関に積んであった大量のゴミがなくなり、だいぶすっきりした。燃えず、リサイクル出来るビンや缶、ペットボトル、衣服、スーパーのトレー・・・などの他はすべて「燃えないゴミ」なのである。壊れた傘やファイル、ボロボロになったバッグ、使用期限切れの化粧品や薬など、ただいま大掃除プロジェクトが佳境に入っている私としては皆「燃えないゴミ」で、せめて一週間に一度にして欲しいと願うばかりなのだ。 さて洗面台を片づけ、念願の突っ張り棒式棚を取り付けて、ハワイで買ってきた「INTERPLAK」と言う器具を置いた。「DENTAL WATER JET」とも書いてある。以前、知り合いの歯医者で勧められ体験した、いわば電動水ブラシとでも言おうか。コップ1、2杯の水と、お好みで殺菌作用のある濃縮マウスウォッシュを1、2滴入れる。そこから伸びた電動歯ブラシ状のもの(ブラシはなく、ただ真ん中に小さな穴があるノズルが付いているだけだ)を口の中に入れ、スイッチを押すと水が吹き出て、口の中を洗うと言うシロモノだ。水圧はつまみで調整できる。結構強い。これはホストマザーも長年使っているとのことで勧められた機種だった。日本の歯医者から勧められたときのカタログには確か15,800円と書いてあったが、ほぼ同様のものが30ドル程度だった。これがすこぶる良い。オススメである。 歯ブラシでは歯茎を傷つけることもあるが、これは水なので傷つけないらしい。今や日本人の3人にひとりが歯茎の病気らしく、ひどくなると心臓疾患にまで及ぶそうなのだ。だが毎日3分の歯磨きは結構しんどい。磨き方にもコツが必要なのだそうだ。確か昔、「歯は縦に磨くように」と言われた記憶があるが、今は横に磨けと言うことだ。難しい。歯医者さんオススメのフロスも、どうも私は歯茎を傷つけてしまう。これは何より水なので手軽で、痛くもかゆくもない。何か、楽しい。 ハワイで長いこと滞在していた友達は、「日本では高かったり、売っていなかったりするので隠れたお土産なんだよ。」と言っていた。確かに30ドルで買えるのなら試してみようと言う気にもなる。あちこちのドラッグストアやディスカウントストアには電動歯ブラシを初め、この手の製品が各種売られていた。アメリカ人は健康器具関係が好きな様である。当然、歯そのものだけではなく歯茎も気遣う。ホストマザーは毎日シャワーを浴び、電動歯ブラシとこれを両方使って歯を磨き、食事に気を配り、必要に応じてビタミン剤やプロテインを飲んでいた。確かに、ブランド品を身につけるのにお金をかけるくらいなら、こっちの方が良さそうだ。 comfortableな生活は、誰にだって楽しい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.06.24 |
−コトバ− 5月26日に受けた英語の試験、TOEICの結果が6月22日に届いた。大昔、会社で受けた時とは格段の差があった。軽く100点以上は上がっているだろう。もともとこれ以上下がらないほどの成績だったが、これでやっと、たった3ヶ月だけどハワイへ留学に行った甲斐があると言うか、気分だけでなく行って良かったことが証明された気がしてちょっとホッとした。ハワイへ行ったことが良かった証拠に、LISTENINGは良かったが、READINGは散々だった。(^_^;)私の希望はフツーの会話だったので、ほとんど長文は読んでいない。結局LISTENINGが向上したのでその分成績が上がったというわけだ。メデタシメデタシ。この先、「TOEIC試験の為の勉強」をすれば点数は上がりそうだが、やっぱり私の目指すのは「フツーの会話」なので、普通の英会話の勉強をしていつか点数が上がればいいなぁと思っている。 問題なのは英語ではなくて日本語だった。 NHKの7時のニュースで、「けんもほろろ」とか、「言わずもがな」と言った、慣用句離れが進んでいると放送していた。な、な、なんと、20歳代の約半分が使ったことがないばかりか、聞いたこともないと言う。私の尊敬する国文学者、金田一さんが聞いたら嘆きそうな話である。街を歩いている茶髪の20歳くらいの女の子に、「”けんもほろろ”って、何だと思いますか?」と街頭インタビューしたら大変なことになりそうだ。 これらの慣用句は、40歳代になるとほぼ9割の人が認知する言葉となるそうだ。だとすると、「見上げたもんだよ、屋根屋のフンドシ」なんてことも「きゃーははは、何?それ?」って言われちゃうんだろうなぁ。「春の七草」とか「いろは歌」なんて言うのも忘れられちゃうんだろうなぁ。 日本語大好きな私としては、日本人が、日本語を覚える前に英語が上手になっちゃうのは何か気に入らない。ただのヒガミだろうか。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.06.28 |
−アルバム整理− 「大掃除プロジェクト」は、ほぼこれで最後となるはずの「写真の整理」に突入した。すでに4日を費やしている。 それが「数年間でアルバム1冊。ひとつのイベントに2〜3枚しか残さない。」と言う、モノのない友達と違って、ひとつのイベントで1冊のアルバムが出来てしまう。しかもポケットアルバムではなく、ビリビリとめくり、ベタベタの台紙に貼り付けると言うフツーのアルバムなのだ。文房具のバインダー形式で、台紙を簡単に増やせ、しかも軽いので気に入っている。ナカバヤシと言うメーカーの、「フエルライトアルバム」と言うものだ。1989年に、初めてヨットに乗ったときからこのアルバムを使っており、現在26冊目。こういうことだけ几帳面な私としては1冊ずつに題名まで付けてある。「初めてヨットに乗る」「ヨット乗りのアメリカ旅行」「スペインに飛ぶ」「憧れの小笠原に渡る」「初の海外レースに挑戦する」「奄美の三兄弟初めて雪を見る」、「唐津三昧」なんて言うのもある。友達の撮ってくれた写真や、パノラマサイズもあるので大きさもバラバラ。しかも入場チケットやパンフレットの切り抜きまで貼り付けてあるので、後で結構役立つ資料となる。 だがしかし、ここ数年間はまったく怠っていた。写真を撮ってくれた友達がなかなか送ってくれなかったとか、整理しようとした時にアルバムの台紙が足りず、もともと東京で買ったものなので鹿児島で見つからなかったとか、気に入って貼り付けようと思ったパンフレットが見あたらなかったとか、そんな理由で、無料の小さなアルバムや送られてきた封筒などが箱の中にゴチャマンと詰め込まれていた。それをやっときれいに片づいた部屋に、もう一度掃除機をかけて、年代順に並べる。これが一番やっかいだった。私のカメラは日付が出るようになっている。だが、撮ってもらった物には無い場合も多い。すべてを広げて服装などをチェックしながら、分類する。幸い部屋は押入まで片づけたのでパンフレット類などの整理は国内外別、地域別に終わっている。後から「あ〜、こんな所に頂いた写真があったわ。」なんてことにもならずに済む。「アルバム整理は大掃除が済んでから」がオススメである。アルバムと台紙は、近所のスーパーに置いてあることがわかり、2度買い足しに行った。だいたい半年に1冊のペースだ。海外旅行などに行くとそれだけで1冊になってしまう。 だがここの所、別の形の写真が増えた。デジカメだ。自分で撮ったデジカメの写真はパソコンの中にあふれており、友達からはCDで送られてくる。それをいちいち印刷するのもやっかいなのでCDのまま保存することになる。私は持っていないが、家庭用ビデオのようなものだろう。撮ったは良いが編集するのもやっかいで、よしんば編集してきちんとラベルを貼って保存してもめったに見ることはない。 私のアルバムはいつも手元にあり、どこか海外旅行に行くとか、ヨットレースに行くとか言うときにいつでもさっと取り出してその部分だけ確認できる。当然、感想なども書き加えてある。パソコンの電源を入れて立ち上げ、CDを挿入し、大量の写真の中から1枚ずつ探して見るなんてことはどう考えてもやりそうにない。しかもデジカメの写真には1枚ずつ名前をつけない限り、いちいち開けてみなければ何の写真かわからない。名前を付けてしまうとその名前の題名によってアルファベット順に並べ替えられてしまう。不便である。私は安いデジタルの腕時計が流行しても、なぜかアナログの時計から離れられないタチなのだ。時計の文字盤がないと、「あと20分」と言う感覚がどうしても沸かない。 どうやらこのアナログのアルバム整理は26冊で終わりのようだ。さて、デジタルの写真をこれからどうやって整理していくのか、何か便利なソフトがあるのか、思案のしどころである。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.07.03 |
−Kの話− 写真の整理は、3ヶ月のハワイ留学のデジカメ写真を1枚の用紙に15枚ずつ、6枚ほど印刷し、友達にもらった写真と併せて26冊目のアルバムに貼って終了した。やっぱりワープロソフトを立ち上げて15枚もの写真を張り付け、印刷するのは面倒だった。やはり何かデジカメ写真を保存するためのソフトが必要である。大掃除プロジェクトが一段落したのでラッキョウを漬けることにした。6月末前後が旬で、従って一番値段も安い。泥付きのラッキョウ1Kgはたったの300円だった。簡単な漬け方をしているので、漬ける作業は何でもないが泥付きラッキョウをひとつひとつ外して洗い、薄皮やヒゲを落とすのがやっかいなのだ。洗って乾かしたラッキョウに、沸かして熱いままの漬け汁を注ぐだけである。一昨年漬けたラッキョウはもう残り少ない。去年も漬ければ良かったなぁ。 さて、久しぶりにびっくりした。 ゴミの削減法なのだ。Kはヨット仲間で独身男性の1人暮らし。システムエンジニアだ。もともと几帳面で、旅行やヨットに行くときもバックの中は細かくビニール袋で分類されている。しかも毎朝部屋の掃除をしてから出勤するのだそうだ。彼に言わせると朝は、朝日が差し込むため夜には気づかなかった床のホコリが気になるのだという。そうは見えないけど毎日2回、朝晩にシャワーを浴びるそうだ。いつだったかヨットレースがあり、飛行機に乗るために午前4時に家を出ることになった時、彼は3時に起き、トーストとサラダと目玉焼きにコーヒーと言う完璧な朝食を取り、食器を洗って家を出たそうだ。その話を聞いた友達はビックリした。私も、他の誰しもが「午前4時に家を出なければならないのなら、少しでも多く、ぎりぎりまで寝ていたいと思わないのか。」「だいたい午前3時にお腹が空くのか。」「空港に行くまでか、空港の売店でパンでも買えば良いのでは?」などと口々に言った。彼に言わせるとそれはお腹が空くとか空かないではなく、習慣なのだそうだ。だけど午前3時の朝食まで習慣にしたくない。ちなみにレタスは1個買ってくると葉を全部外して洗い、水気を切ってタッパーに入れ、冷蔵庫で保存するそうだ。その位のヤツなのである。 だがしかし、今回はもっと驚いた。 彼はスーパーでモノを買ったら、レジを通した後、自分で袋に詰める時に、その場で極力ゴミを捨ててくるのだそうだ。まぁ、ゴミ箱の入った巨大な箱とか、大きな雑貨のパッケージくらいならまだわかる。それが彼はお刺身だろうが、薄く切った肉だろうが、その下に敷かれたトレーまでも一切持ち帰らず、ビニール袋に移し替えてくるのだという。感覚としては食品をそこまでするのは何かぐちゃぐちゃになりそうだと言うか、形が崩れてしまいそうで気に入らない。だが、彼が言うには、前に住んでいた長野では結構多くの主婦がそれをしているとのこと。今彼は長崎に住んでいるそうで長崎ではあまり見かけないらしい。 う〜ん、なるほど。そこまでしている人が居るのだ。彼は「トレーの変わりに余分なビニール袋を使うのは地球環境問題からすれば良くないことなのだが、これは自分からスーパーマーケットへの過剰包装を辞めて欲しいと言うメッセージなのだ。」と言った。ゴミ問題も奥が深い。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.07.15 |
−台風7号− 今年はなかなか梅雨入りしなかったので、なんとなく気候の良い時期に大掃除を思い立って良かった。やっと片が付いて7月に入ったとたん、何もする気が起こらないほど、とにかく暑いのだ。気温は、平熱の低い私の体温を超えている。去年クーラーを買っておいたのは更に良かった。日本の暑さは気温もさることながら湿度なのだ。クーラーは除湿機能を使いすぎると壊れやすい、と聞いたことがあるがそんなことは言っていられない。部屋を27度の除湿にセットしたまま洗濯物とふとんを干すために何分か外へ出た。それだけで汗びっしょりになり、シャワーを浴びなければならないほどだ。 そして追い打ちをかけるように次々に台風が来ている。 鹿児島は台風の通り道とは言われるが、今年はいつになく多いような気がする。ヨット仲間達は、ヨットが強風によってロープが切れて走り出したりしないよう舫いロープを増したり、錨を増やしたり、畳んである帆のわずかな隙間に風が入って飛ばされたりしないようはずして閉まったりするために、そのたびにヨットへ向かった。係留しているたくさんの船の中の一艇のロープが切れて暴れ出したら大変なことになるのだ。もちろんその船が壊れるだけでなく、当然周りの船も巻き込むことになる。錦江湾は東京湾と同じくらいの大きさで、ぐるりと陸地に囲まれているため、昨日日曜のヨットレースは体験乗船の市民を乗せて無事終了した。いつものこの季節は風がなく、漂うに任せなければならない島津義弘公カップヨットレースは、風があったのですぐに終わった。急いで港に戻り、翌日来るという台風対策のためにあちこちの方向からロープを取って固定した。 台風6号までは何とか、鹿児島県の離島を除くここ、薩摩大隅地方をすり抜けて行った。その代わり本州地方に大きな被害があったようだ。だが7号は免れられないらしい。今日、すぐ近くの屋久島で最大瞬間風速が47メートルを超えたと言う。陸上で85ノットの風、恐ろしい。離島では3万世帯もの停電が出たそうだ。この時期冷蔵庫も、クーラーも、もちろん灯りさえもない生活は現代人には辛い。近所でもあちこちで久しぶりに雨戸を閉めたり、家の周りを片づけたりしているようだ。夕方になって市内でも東の風が強くなって来た。もちろん、飛行機も船も、錦江湾内だけの桜島フェリーでさえも全便欠航している。 台風7号は今晩、鹿児島を通過する。幸い、私のアパートは高台にあるので浸水の心配は少ない。午後11時7分の満潮時の高潮でヨットに被害がないよう祈るばかりだ。鹿児島では台風が通過することが多く、そのたびにどこかの川が氾濫したり、崖崩れが起こったりすることが多いので、「人が亡くならないと梅雨が明けない」と言う、恐ろしげな言い伝えがあるらしい。そんな言い伝えは早々に返上したい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.07.20 |
−船底掃除− そろそろ働けと言う神様のお告げか、人材派遣会社から電話があった。9時から5時の仕事でどこだったか自動車のディーラー、つまりトヨタとか日産とかホンダなどと言うところで自動車保険の仕事をしないかとのことだった。やっと三ヶ月の待機期間が過ぎて、来月初めには第一回目の失業保険がもらえると思うと、不謹慎なことに何か気が進まない。 さて、レースや競争と名のつく物は誰だって3位よりは2位が嬉しいわけで、ヨットレースとて例外ではない。「少しでも早く走る」ためには様々な努力が必要なのだ。その、「様々な努力」のひとつに「船底掃除」がある。通常船の船底、つまり海水に接している部分には船底塗料という、ペンキ状の薬品が塗ってあり、貝や海草が着きにくくしてある。だがしかし、一週間海に浮かべておくだけで信じられないくらい多くの、貝の赤ちゃんやヌメヌメとした海草が着いてしまうものなのだ。主に塗料の擦れて剥げかかっている部分や、エンジンのプロペラなどに多い。しかもこの貝の赤ちゃん、赤ちゃんといえどもスポンジでこすったくらいでは取れない、強力な力を持っている。これを落としてスベスベにし、スピードを上げようと言うのが船底掃除のねらいである。私は物理に強い方ではないが、例えばアワビひとつ船底にくっついているだけで相当のスピードが落ちるらしい。 その「船底掃除」をやろうと言い出したのは泳げないK子だった。船底掃除をお金をかけずに自分達でやるためには、船を浮かべたまま、自分たちが潜るしかないのだ。それを知っていてK子は提案した。K子に船底掃除をやらせれば殺人罪に問われるかもしれない、と仲間は冗談を言ったほど彼女は泳げない。先に海に入ったのだ。もちろん泳げないのでヨットの舳先から後ろに流したロープや、車のバンパーのような役割の、空気を入れたフェンダーに掴まってはいる。「船底掃除をやろう」と提案はしても、仲間が潜る準備を手伝ったり、お茶を用意したりするのかと思っていた。ヨットは底にキールと言う、長い錘がついているので、少なくともヨットが浮かんでいるからには3メートル以上の深さがあり、従ってもちろん足は立たない。私も水着で飛び込んだ。彼女はロープに掴まり、手の届く水面あたりをこすっていた。こすらねばならない面積は思いの外広いのだ。もっと下を磨くには潜らなければならない。泳ぎに自信のある仲間は3メートルほど潜って、キールやキールの下を磨いた。雑巾では貝の赤ちゃんは取れないのでナイフを持って潜った。船底掃除は無事終了し、翌日のレースは2位だった。仲間が一生懸命やろうとしているのを見るのはいつだって良い気分だ。その艇のメンバー全員が自分の出来ることを目一杯すれば、相乗効果で人数分以上のことが出来るのだ。行かねばなるまい。私がヨットに着いたとき、すでに彼女はデッキをゴシゴシ洗っていた。そして私より早く着替え、な、な、なんと先に海に入ったのだ。もちろん泳げないのでヨットの舳先から後ろに流したロープや、車のバンパーのような役割の、空気を入れたフェンダーに掴まってはいる。「船底掃除をやろう」と提案はしても、仲間が潜る準備を手伝ったり、お茶を用意したりするのかと思っていた。ヨットは底にキールと言う、長い錘がついているので、少なくともヨットが浮かんでいるからには3メートル以上の深さがあり、従ってもちろん足は立たない。私も水着で飛び込んだ。彼女はロープに掴まり、手の届く水面あたりをこすっていた。こすらねばならない面積は思いの外広いのだ。もっと下を磨くには潜らなければならない。泳ぎに自信のある仲間は3メートルほど潜って、キールやキールの下を磨いた。雑巾では貝の赤ちゃんは取れないのでナイフを持って潜った。船底掃除は無事終了し、翌日のレースは2位だった。仲間が一生懸命やろうとしているのを見るのはいつだって良い気分だ。その艇のメンバー全員が自分の出来ることを目一杯すれば、相乗効果で人数分以上のことが出来るのだ。 今年はハワイに3ヶ月行っていたし、GWには釜山のヨットレースにも行った。だが考えてみれば水着になったのはほんの一二度だった。結果、いつも日焼け止めを塗らない私はTシャツ短パンでは隠れている背中や肩の部分が珍しく赤くなるほどの日焼けをした。久しぶりに顔も焼け、鼻の頭の皮がボロボロと剥けて大変なことになっている。こういう状態でいつだったか、レストランのレジ係に「どうされたんですか」と聞かれたこともあった。今、外に出たら通行人にどんな顔をされるか、たまったものではない。 取りあえず仕事は、このボロボロが納まってからにしよう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.07.25 |
−ヨットレース− 東京に居た頃、乗っていたヨットのオーナーに「君はヨットに乗らないと機嫌が悪いからさっさと船を出そう」と言われたことがある。本人はまったくそんなことは意識していなかった。機嫌が悪いときは悪いなりの、それなりの理由があって悪いのだと自分では思っていた。だがしかし、海へ出るともうそんなことはどうでもよくなって上機嫌になったことは確かだった。 毎年夏、梅雨明けする頃に鹿児島で開催される「火山めぐりヨットレース」が、今年も開催された。梅雨明け直後で風がない。レースで風がないのは我慢大会と同じで、ただただ頑張るしかないのだ。しかも暑い。暑いなんて生やさしい物ではなく、都会と違って太陽の陽射しが直に、遮る物なく皮膚に当たっている状態で、海面のわずかな風を探してのたうち回る。もちろんクーラーも冷蔵庫もない。クーラーボックの中の冷えた水を頭からかぶり、首にタオルを巻いて耐える。ちょっと部品に触れるとやけどを負う。しかもこのレース、4日間で3レースもある。3レース目は夜通し走ることになる。 無風灼熱の上、仲間の地元艇はまったく盛り上がりに欠けていたため、参加を辞退した。だがその後、ひょんなことで知り合った大阪からのヨットから第3レースが人手不足とのことで連絡があり、その艇で出場することになった。一昨年の優勝艇だった。レベルの高い人と乗るのは楽しかった。結局3レース全部乗った。今年は総合4位だった。 「参加できることに意義がある」のではなく、クルー全員が「優勝しよう」と言う意気込みで参加するレースは楽しい。技術はさておきコンセプト、つまりみんなの「気持ちのレベル」が同じだとストレスがない。盛り上がりさえあればどんなに風がなくても何とか頑張ろうと言う気にもなるし、なぜか集中力も持続する。クルー全員が勝つために出来る限りのことをすれば、結果、人数分以上の成果が得られる。やっぱりヨットは「人で」帆走るのだ。 久しぶりにレースを堪能した。身体はヘロヘロで、ボロボロだった肌はボロボロが隠れるほど更に日焼けした。得た物、友達、経験、技術、信用など多数。失った物は何もない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.07.29 |
−ヨット乗り− 英語ではsailorと言う。 私は人に後ろ指を差される位マニアックに、ディープに、ヨットに乗っていると思っている。ヨットを始めたのはちょうど13年前で、始めて何年かは年間150日ほどマリーナに居たし、年間90レースくらいヨットレースに出ていた。びっくりする人も多いけど、土日祭日と年末年始やGW、年次休暇を全てつぎ込めば普通のサラリーマンでも可能な日数なのだ。私は運動音痴だし、覚えが悪いので、その調子で通っても部品の名前や装備を何が何だかわかるまで3年以上かかった。ズルズルと引き込まれ、どっぷりと浸かった。鹿児島へ引っ越してからは、ヨットに乗るために引っ越してきたことが余程珍しいらしく、新聞社が取材に来たほどで、本当は何か違う理由で引っ越してきたのではないかとウワサされるほどだった。東京に居た頃は課長に何度も会議室に呼ばれながら上海ー大阪の10日間のヨットレースの為の休暇や、ヨットで小笠原へ行くための休みを取った。断って置くがこれだって全部有給休暇の範囲内だった。頭痛や腹痛で急にしょっちゅう休むより迷惑はかけていないはずなのだが、東京の大手企業の課長は他の部署に「目立つ」ことを嫌っていた。一昨年は5日間に渡る火山めぐりヨットレースの翌朝、ハワイのレースへ飛んだりした。だからちょっと、ほんのちょっとだけ後ろめたい気持ちがあった。 だが人間、夢中にならなきゃ楽しくない、一生懸命やらなきゃ習得出来ない、と言うことを再認識した。これで良いのだと安心した。 ちゃんと?会社に務め、フツーに家族のある、しかもヨットの腕は文句なく一流の、人に合ったのだ。 その人は大阪から鹿児島までヨットを乗って運んで来、火山めぐりヨットレースに全3レース出、ちゃんと表彰式にも出て、その足で東京の自宅に戻ることなく車で大阪へ戻り、鳥羽レースに向かった。鳥羽レースは伊勢の鳥羽から静岡の熱海までのレースだ。もちろん夜通し走ることになる。挙げ句、金曜昼スタートの鳥羽レースに土曜日中にフィニッシュ出来たら、日曜日の初島周りのレースに三崎のヨットで出ると言う。しかもその翌週は伊豆七島の大島でTOKYO’S CUP、その後は徳島レース、阿波踊りレース、JAPAN CUPと続くそうだ。 俄然、やる気が出た。ちょっとだけ、後ろめたい気持ちが消えた。 嬉しいことに人間、上には上が居るのだ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.08.01 |
−失業保険詳細− 気に病んだり、怒ったりすると長生き出来ないのだそうだが、ニュースを見る度に腹立たしいことばかりだ。子供達に夢を与えるはずのテーマパークは2年も前に賞味期限が切れた食材を用い、更に殺菌していない工業用水を飲み水に使い、挙げ句アトラクションに規定以上の火薬を使っていたそうだ。どうして営業停止にならないか不思議に思う。ひどいニュースばかりなのにもかかわらず、日本人の平均寿命はまたもや世界一だそうだ。男性78歳、女性は15年連続世界一で、なんと85歳に手が届くと言う。私は小さい頃「絶対100歳まで生きるんだ」と言ってはいたが、どうも今考えてみると平均寿命の85歳まで生きられるとは思えない。 毎日天気予報では「今年一番の暑さ」を更新している。どこかでは今日、38度だったそうだ。37度の体温があっても具合が悪いのに、これじゃ何の温度だかわからない。去年購入した部屋のクーラーは大活躍で、「27度のドライ」を稼働し続けている。それでもちょっと動くと暑い。だがしかし、車のエアコンが効かなくなった。地獄である。「鹿児島でエアコンの効かない車なんて車じゃない」と言われるほど辛いのだ。6月頃、抜けてしまっていたクーラーガスを補充してもらったのだがひと月ほどで抜けてしまった。修理が必要なのだそうだ。修理屋さんに預ける時間がなく、火山めぐりヨットレースで県外から来たメンバーを乗せた。当然窓全開なのだが、風がないとひどいことになるので、まるで風を探して走り回るヨットに乗っているようだった。首にタオルを巻き、凍らせた缶ジュースを額に当てて運転した。当然レース後、修理屋に泣きついた。私は鹿児島など南の地よりも都会の方が暑いのだそうだ。そんなに暑いのに、アスファルトの道をストッキングにパンプスを履き、スーツを着て都内を通勤するのは思い出すだけでクラクラする。暑い。とにかく暑いのだ。 どうもグチっぽい。仕事も決まってしまった。「しまった」と言うと悪いことのようだが、仕事内容などに関することにはまったく不満はなく、失業保険に関する私の知識が足りなかっただけなのだ。これから転職しようとする皆様の為と、今後のためにここに書いておく。 まず退職する。つまり失業するわけだ。この日は何の意味も持たない。退職して職安、つまりハローワークに仕事を探したいと言いに行く。この日から7日間は待機期間で、失業保険をもらう為には働いてはいけない。だから失業したらすぐ、一目散に職安に行こう。そうすれば失業保険をもらえる日もその分早く来るのだ。初めて職安に行ったのが私の場合4月17日(水)で、7日後の4月23日が待機満了日。その後更に、自己都合で退職した場合は3ヶ月間の待機期間があるので4月24日から7月23日までは給付を受けられない期間となる。だがこの間はアルバイトなどで収入を受けても構わない。支給が減らされるなんてこともない。初めて職安に行った後、最低限出向かなければならないのは一番早くに開催される「雇用保険説明会」(私の場合5/10)、と初回認定日、これは4週間毎の「4型ー水曜」(初めて行った日が基準となる)などと言うカレンダーに基づいているので、私の場合5月15日(水)だった。その次は8月7日。つまり私は仕事が見つかっていなければ7月24日から給付を受けられるので8月7日に行って手続きをすれば14日間分の失業保険がもらえる。更にその次の「4型ー水」に基づいて9月4日に28日分、次も28日分、最後は残り20日分、と合計90日分の支給が受けられるしくみとなっている。1ヶ月は28日と数えられる、と言うことはほとんど土日の分ももらえることになる。早めに仕事が決まれば、「再雇用手当」と言ってごほうび金がもらえるが、元の勤務先と同じまたは同系列ではだめだとか、1年以上の雇用に限るとかいろいろきまりがある。私の場合、同じ派遣会社の紹介だったため該当しない。 今は土日でも失業保険をもらえる期間なので、少しもったいない気もしたのだが働く方が少しは(^_^;)収入も多そうだし、部屋の大掃除も済んだし、良い職場のようだったし、車通勤でも良いと言うことなので働くことにした。だがしかし、いったん決めてしまうといろいろ細かい事が気になる。どうも私は長生き出来そうにない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.08.05 |
−フラのある生活− フラと言うのはフラダンスの、あのフラである。本当はフラと言い、フラダンスとは言わない。 題名にあるのは今年小学館から出版されたばかりの本の題名で、日本人の女性がハワイで「せっかくだから」とフラを習い始め、そのままハマってしまったと言う本である。この本を読み始めたのには訳がある。 この著書のハラウ、つまり同じフラのスクールに友達が居るのだ。ハラウと言うのは日本のスクールと言うほど気軽なものではなく、その絆は固い。その友達は日本でフラを習っていたそうだが、メリーモナークと言うフラ最大の大会のビデオでこのハラウを知り、どうしても入りたいとハワイへ来た、と私は留学したハワイ大学の教室で聞いた。ハワイで出会った友達だ。名前をマイコと言う。マイコは私と同じように英語を勉強しながら念願のハラウに入り、曲をちゃんと理解して踊るためにハワイ語も学んでいた。私と同じ1月の初めに入学し、私は1ターム、3ヶ月で帰国したが彼女はそのまま学び続けている。 私も、「せっかくハワイに来たのだから」と別の友人2人とハワイ大学構内でフラを習った。週2回、10回きりの授業だったが楽しかった。帰国前、先生の事務所に行ってもう一度教わった。今でもフラの基本ステップ「カホロ」だけは忘れていない。日本で帰国を出迎えてくれた友達は私のカホロを見て、「あなたがそんな風に踊れるようになるとは思わなかった」とまで言った。私はそれほど鈍くさい。鈍くさい私でも好きになれた。フラで踊るハワイアンの歌は英語ではなくハワイ語だ。この本にもあったがフラの授業は当然英語となる。踊るべき曲はハワイ語なので、先生はハワイ語を英語で解説しながら教える。日本語ならともかく、踊りも覚えなければならない傍ら、同時に、説明される英文を理解するために更に頭の中で日本語に置き換えるのは困難を極めるのだ。説明を聞き取ろうとするとつい踊りがおろそかになってしまう。踊っている言葉の意味が理解できなければフラは踊れない。それでも充分に楽しかった。 初めてフラを習い始めた3人にマイコは親切にアドバイスしてくれた。振り付けを覚えるには書き留めるのだ、とレポート用紙に私達の踊るフラを図解入りで順番に書いてくれた。わずかな休み時間の教室で「どうもわからない」と言うと、マイコはささっとサンダルを脱ぎ捨て、裸足になって踊ってみせてくれた。ほんの一瞬の動きに魅せられた。私達とは何かが違う。手の動きひとつが優雅だった。そのマイコがハラウでは、たったひとつの動きが優雅でないと言われて何時間も同じ動きを繰り返したと聞き、驚いた。 実はこの「初心者3人組」のひとりが「もっと英語をモノにするために」マイコと同じように継続してハワイ大学の授業を受けている。そして何とマイコと同じハラウでフラの勉強を始めたのだと言う。マイコはフラの先生の家にホームステイすることになったようだ。そして二人ともウクレレも始めたらしい。 「何かにハマった」人の話を聞くのは楽しい。マイコは「何年かかってもメリーモナークに出たい」と言った。私は「その時は必ず見に行く」と約束している。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002.08.14 |
−長崎オープンヨットレース− ヨットレースに参加するため、土曜日に鹿児島から長崎まで車で向かった。ヨットはGWにも釜山のヨットレースに参加した福岡、小戸の「メタクサ」(FST40.7)である。金曜日に福岡を出、夜通しかかって長崎まで走っているはずのヨットから朝方電話があった。風が強すぎて走れないと言うのだ。40ノットの、しかも真上り(真向かい)の風だという。ちなみに時速1マイルを1ノットと言う。1時間に1,852mだ。取りあえず起きて支度をする。朝ごはんを食べてから同じ海況の、ハウステンボスマリーナに居る友達に電話をかけてみた。「確かに朝は風が強かったが今は落ちてきていて、午後には天気も回復するらしい」とのこと。ハウステンボス近くのマリーナで休んでいるメタクサに連絡する。メタクサの居るマリーナから、レースが行われる「長崎サンセットマリーナ」までの回航は4、5時間と言ったところだろう。鹿児島から高速を使って車で向かうのと同じくらいだ。昼前に友達と鹿児島を出発した。確かに風は落ちてきているとのことで、やはり行くことになった。 「サンセットマリーナ」はJR長崎駅の近くにある、新しくきれいなマリーナだ。九州は南北に長く、鹿児島からだと福岡の方が遠いように思われるが、実際は福岡や佐賀より長崎の方が遠いのだ。到着はヨットの方が早かった。到着早々「艇長会議」が行われた。たいていのヨットレースで行われるこのミーティングでは、「帆走指示書」に基づいてレースの詳細やきまり、注意事項などが説明される。参加艇は25艇。スタートは翌日の朝10時とのことだった。会議の後は前夜祭。そしてヨット内や近くの宿などでチームごと思い思いに宿泊する。 翌朝、レース当日は曇りだった。あちこちに真っ黒な雲があり、不穏な動きをしている。準備をしている最中にもスコールのような激しい雨が降り、作業を中断しなければならなかった。風は強そうだ。スタート1時間前にマリーナを離れた。ヨットレースではなるべく早めにレース海面へ出て、潮流や風向き、周りの状況などを把握しなければならない。風は210〜230度、15〜17ノット。我がメタクサはNO.1ヘビージェノアを揚げた。ヨットの前方に張るジブセイルはNO.2、NO.3と面積が小さくなる。セイルが小さければ風を受ける面積も小さくなり、従ってスピードも出ない。反対に強い風に大きすぎるセイルを揚げれば横倒しの状態となり、繰船出来なくなる。コースは風上の「平瀬」を周り、サイドマークの別の「平瀬」を周り、そしてスタート地点へ戻って来ると言う三角形を走り、その後三角形の真ん中に位置するマークを回ってもう一度スタート地点へ戻ると言うものだった。しかも普段は反時計回りの多いレース、今回はすべてのマークを時計回りで回らなければならない。ポジションの確認をした後、オーナーは「みんな、表彰台に立っていることをイメージしよう」と言った。良い雰囲気だ。 いったん止んでいた雨がまた降り出した。視界が悪い。少しキャビンへ避難したが諦めた。どうせ濡れるのだ。カッパを着れば蒸れて暑いのでそのまま濡れるに任せた。ユニフォームの半袖ラガーシャツは濡れると重く、絞りながら繰船した。5分前の旗が上がり、エンジンを止め、カウントダウンする。スタートはまあまあだった。近くの舟影から抜け出し、1番を走った。他のヨットについて行く訳ではないのでマークを探さなければならない。間違えそうになって慌ててタックを返した。追い風用のスピンを揚げる。全くの追い風ではないのでちょっときつい。マークが島や瀬の場合、浅瀬にも気をつけなければならないからギリギリ近くを回るわけにもいかない。全員が慣れていないコースだったので少しずつ追い上げられる。だがしかし、逃げ切った。取りあえずファーストホーム、1着だ。2位とは7分くらいの差だったので、レーティング、つまりゴルフのようなハンディキャップを計算してみないと優勝できるかどうかはわからない。メタクサよりレーティングの高いヨットは5艇くらいしか居らず、その他の小型艇が上位になることは充分考えられた。風が弱まったのでNO.1ライトジェノアにジブチェンジする。 だがしかし、優勝した。「表彰台」をイメージしたのが良かったからか、1着1位の完全優勝だ。副賞はまたもや自転車だった。メタクサはよほど自転車についていると見え、ここ1年で3台目となる。GWに私が頂戴した韓国産のマウンテンバイクは足が着かず危ないので今回の小型折り畳み自転車と交換してもらうことになった。これでお使いもばっちり。何よりレースで燃焼できたのでビショビショでも超ゴキゲンなのだ。 |
| 徒然草第六段(留学への道)← | ホノルルだよりマヒマヒ日記 前編・後編← |