徒然草   (第四段・ハワイ編)                                        



2001.02.21
−ハワイ−

頭の中がハワイに占領されている。

7月のアサヒスーパーカップヨットレースに出ることになった。いや、出ようと思ったのは去年の同じレースでの最中だった。朝ゆっくりとホテルで目覚めて、その辺のカフェで朝食を摂る。ブラブラと歩いてマリーナへ行く。なんとなくみんな集まってきてヨットを出す。ちょっと緊張のレーススタートとワイキキビーチ沖からの眺め。ブルーの海。飛び跳ねるイルカ。あっという間のレースが終わってからオープンテラスで飲むビール。シャワーを浴びてワイキキ散策。椰子の向こうに沈む夕陽。フローズンダイキリを飲みながら眺める夜景。バーベキューパーティー。どのシーンでも「来年も来るぞ」と誓った。

まずヨットをチャーターする。ハワイとは時差で昼夜が逆転しているため、現地から午前4時に来るメールに出勤前に返事を出す。希望が他のチームとぶつかる。責任重大なので結構ドキドキ、ハラハラ。二転三転し、なかなか決まらない。最初集まるだろうかと懸念したメンバーは10人でうち切った。東京、岡山、名古屋、鹿児島と楽しいヨット仲間が集まった。メンバー全員に毎日のように状況を連絡する。安い航空券やホテルを探し回る。インターネット、旅行社、何とか安くならないかと探し回る。マリーナの近くに見つけたホテルに泊まった事がある人から話を聞く。格安航空券と雑魚寝状態のコンドミニアムが良いか、パッケージツアーが得か、検討する。

ハワイの様子も調べる。パソコンを買って3年になるが、インターネットがこんなに便利なものだとは思わなかった。去年工事中だったワイキキの免税店が、今月改装オープンしたそうだ。つい何日か前だ。巨大な水槽が設置され、水族館みたいだ。

ハワイの本を読む。普通のガイドブックでは、もちろんない。市販のガイドブックは買い物や高級ホテル、高級レストラン、それにお金のかかるツアーしか載っていないのだ。現在読んでいるのはワイキキが舞台の、10巻まである文庫本。ローカルの食堂、カフェ、ビーチ、ハワイの花や食べ物が登場する。付箋をつけて一覧表にしてみた。せいぜい一週間か10日の旅行なら事前にも楽しみたい。当然、行ってからも役に立つ。

そんなこんなで頭の中はハワイでいっぱいになっている。あと5ヶ月、十二分に楽しめそうだ。

2001.02.25

−ハワイ・朝食の話−

そんなこんなで頭の中と部屋の中がハワイの資料に侵されている。パソコンのデスクトップもヒドイことになっている。

ヨットレースはワイキキの中では西の端、アラモアナショッピングセンター近くのマリーナで行われる。
買い物好きにはこのショッピングセンターだけで3日間はつぶれてしまうだろうと言う所である。いや足りないかもしれない。なんと60万坪もあるのだ。その広さは巨大なデパートが3つ4つ、丸ごとこのなかに店舗として入っていると言う事実から想像していただくしかない。デパートそのものの他、一流のブランドショップ、ジーンズショップ、靴屋、本屋、化粧品、もちろんレストランやカフェ、スーパーまで何でもある。

去年のレースでは、そこへ毎朝通った。買い物ではなく、朝食だ。
1階の中央に「Makai Market Food Court」がある。マカイマーケットとかフードコートとか呼ばれている。
たくさんの椅子やテーブルを囲んで、壁際にぐるりと食べ物屋が並んでいる。現在23店舗ある。客はその23店舗をぐるりと見渡し、気に入った物を買い求め、真ん中の空いている席に座って食べる。もちろんグループで行って、それぞれ違った店で買ってもみんなで一緒に食べられる。共通しているのは安くてボリュームが多いこと。

私は、このサイト、「ハワイの写真」にあるとおりもっぱら「パニーニ」。イタリアのホットサンドで、なんとローストビーフやターキーが3センチくらい挟んである。これをひとつ買って誰かと分ける。とてもひとりでは食べきれない。半分もらった人は、「悪いわね。じゃ、どこかの店でサラダでも買ってくるわ」と言うことになり、サラダが付け合わせではなく立派な一品料理だということを思い知る。しかものっているクルトンひとつが2センチ角くらいある。こびとになった気分だ。

同じところばかりではなんだと、地元の人たちに人気があるパンケーキ屋さん「エッグス・イン・シングス」まで歩いてみた。並んででも食べるのは日本人だけだと思っていたら裏切られた。長蛇の列で諦めた。だが、しかし、ここのパンケーキは並ぶ価値があり、ただのパンケーキと侮ってはいけないおいしさなのだと言うことを最近知った。チーズ、ほうれん草、ベーコンが入っているオムレツや、あっさりした生クリームが山ほど乗っているワッフルなどもウリらしい。確か夜中から昼までやっている。リピーターはここのパンケーキの粉を購入して帰ると言う。

今年は絶対、食べに行く。

2001.03.01

−ハワイ・昼食と夕食(サパー)の話−

その、アラモアナショッピングセンター「フードコート」23店舗の中に、ダントツ人気の「ヤミーコリアンBBQ」と言う店がある。ビーフやチキン、骨付きカルビなどのメインから2種類と付け合わせを4種類選び、アイスクリームディッパーのようなものでパカッとご飯を盛ってもらう。プレートランチと言う。人気があるとはいえ、とても朝からは食べられず、まだ試したことはない。それがどこを見てもこの店がいかに美味しいかが書かれている。ドライブをする前に買い込んで、においにたまらず車の中で食べたとか、高級ホテルに泊まっても夕食にテイクアウトしたとか、付け合わせは何が美味しいか、こんな美味しい肉を食べたことがない、ナドナド。滞在中毎日通ったと言う強者も居る。量は多く、当然値段は安い。半分量のハーフプレートと言うものもあるそうだ。

今年の昼食、もしくは夕食(決してディナーではなくサパーなのだが)はこれにしよう。ブランチを摂ってすぐのヨットレースでは昼食を食べる暇がなく、結局レース後のビールとポップコーンでごまかし、ワイキキの街を歩き回ることになる。ブランドショップ大好き人間も、買い物なんて大っ嫌いという人も、こんなに一度に楽しめる街は珍しい。結局、歩き回っている途中、良くてバーガーキングに立ち寄る程度だった。テイクアウトしてホテルの部屋やビーチで食事なんて言うのも楽しいだろう。

この「バーガーキング」も侮れない。日本のどこかのハンバーガーのようにケチじゃない。ちゃんとした肉と、厚みが増すほどの野菜が挟んである。決して、中身がヒラヒラとどこに入っているか探すようなシロモノではない。飲み物は日本のMがSサイズくらい。何でも大きい。更にそれが今度はひとりでは食べきれないくらいボリュームのある、しかも美味しいバーガーショップが出来、人気だそうだ。午前中11時に売り切れていなければラッキーとのこと。ここにも心惹かれる。

正装して高級レストランでの食事もいいけど、やっぱり仲間と食べるのが最高。

鹿児島では厚手のジャケットを着ている人を見かけなくなった。最高気温は18度まで上がっている。
大好きな薄いピンクのチューリップを花瓶に活けた。曲がっていた茎がまっすぐになって清々しい。
だがどうもまだ、Tシャツ、短パンにビーチサンダルで歩き回ることを想像するのは難しい。

2001.03.11

−HAWAII その4「お金の話」−

そんなわけで7月に開催される「アサヒスーパーカップ2001」に出場する。
二転三転したチャーター艇も飛行機パイロットのボブさん所有「Farr38」(Farrと言う艇種の38フィート艇)にほぼ決まり、契約金の半額とエントリー費を海外送金した。「お金が先に届いたチーム優先」と言うのはいかにもアメリカらしく、至ってわかりやすい。初体験の海外送金だった。このところの円安が響いたが背に腹は代えられない。3500ドルの送金は1ドル120円ほどで、手数料は6000円だった。
レース申し込みの状況は毎年出足が早くなっているようで、現在のエントリー状況は日本艇9艇。あと5チームがまだ艇を探しているそうだ。

ヨットが決まれば次は宿と航空券である。
レーススポンサーの全日空が、ひとり1350ドルほどで往復航空券とホテルのパックを提供してくれるようだが貧乏チームとしてはできればもっと安く、しかもワイキキの街中ではなくマリーナに近い所に泊まりたいと言う欲がある。我参加メンバー9名からは航空券代を除いて12万円ずつ振り込んでもらった。メンバーは東京、名古屋、岡山、鹿児島と出発地がバラバラなので航空券だけは各自取ってもらうことにした。チャーター費や参加費、パーティー費を支払うと残りはほとんどない。一人一泊税込みで2000円くらいで探さなければならない。当然、日本の旅行会社に頼んでいては見つからない。雑魚寝状態の、日本のガイドブックに載っていないような現地コンドミニアムに直接メールを出す。またもやネックは英語となる。

航空券は、東京のメンバーが、羽田発で往復6万円台のものを見つけたそうだ。すると合計でひとり20万円で済む。この金額でハワイのレースが楽しめれば言うことはない。反対に今頃希望者が増え、お断りするのが目下最大の悩みの種となっている。お断りした人だけで別の一艇を優にチャーターできそうなのだが・・・。

そんなこんなで七転八倒、あたふたするのもまた楽し、とハワイ流に考えることにしよう。

2001.03.19

−ハワイ その5「ロコモコ」−

ご存じ、ハワイはアメリカの州だ。だからと言って食べ物が「ハンバーガーくらいしか無いんじゃないの?」と思うのは間違っている。数々の人種が混ざって築き上げてきたハワイアンフードがあるらしい。

最近私は「ポキ」(POKE)に凝っている。「タコポキ」とか、「アヒポキ」、「アクポキ」など。タコはあのタコ刺しのタコで、アヒはマグロ、アクはカツオのことだ。ぶつ切りにした刺身にネギ、海草などと一緒に醤油で和えてできあがり。これにラー油かゴマ油ををたらす。冷蔵庫で冷やし、味をなじませると美味しい。ただ単に刺身として食べるよりも多く食べられる。カツオをたたきにした端っこの切れ端で充分だ。国籍を問わないので不思議に何にでも合う。ご飯でもお酒でもビールでもお茶でもOK。

今度行ったら食べたいと思っている物に「サイミン」がある。エビだしのラーメン。なんとあの「マクドナルド」には日本にないメニューのサイミンがあるのだ。ナルトやネギ、缶詰のハムで有名なスパムなどがのっているらしい。

他にもご飯代わりにタロイモで作った「ポイ」(POI)、「ラウラウ」(lau lau)と言う調理法でタロイモの葉で包み蒸し焼きにした物、「ロミロミサーモン」の「ロミロミ」(lomi lomi)はもみほぐすと言う意味で、塩漬けのサーモンとトマトに、さらしてみじん切りにした長ネギとタマネギを和えてあるもの、有名な「カルア・ピッグ」(Kalua Pig)と言う豚の蒸し焼きなどなどがある。

「弁当」と言う日本語も現地語化しているようだが、ハワイには独特の「プレートランチ」と言うものもある。違いはできあがっている「弁当」に対してその場で好みの物を詰める、暖かいものを指すのだそうだ。ドライブインでは日本では考えられないような、マヒマヒ(シイラ)のフライに焼き肉にチキンカツとご飯と言う、いかにもカロリーが高く、身体に悪そうなものが人気があるそうだ。せめて揚げ物を一つ減らして野菜か何かにしたら良いのに、と思ってしまうのは私だけだろうか。同じく「ロコモコ」と言う、地元の人に人気ナンバーワンの食べ物は、丼状のご飯の上にハンバーグと半熟の目玉焼き、それにグルービーソース(のようなもの、たぶん)がかけてあり、なんとそれをグチャグチャかき回して食べるのだそうだ。こちらも野菜はないらしい。

まぁとりあえず、ひとつ食べてみよう。

2001.04.01

−ハワイ 6−
毎年7月にハワイで開催される「アサヒ・スーパーカップ」に出場を考えている方へ

1.前年年末から年始にかけてなるべく早い時期に参加を表明し、アラワイマリンにチャーター艇を探してもらう。(開催後すぐに来年のチャーター話が出るくらいなので春になってからでは見つからない)

2.どこのチームも必ずと言って良いほど、艇が決まり暖かくなってくる頃、我も我もと参加希望者が増える傾向にあるので参加メンバーは早めに確定してしまうか、増えた場合でも乗艇できるような大型艇にする。

3.チャーター艇であってもチーム名を考えておく

4.艇が決まったらチャーター料の半額とチーム参加費をすぐに支払う。海外送金するかクレジットカードの支払いとなるが、カードの場合は3%の手数料が必要。着金した順番にチャーターが確定する。

5.アラワイマリンから送られてくる契約書にサインをし、チーム名、メンバーの人数などを記入し返送する。

6.チャーター艇が決まったら、ハワイまで行く航空券や宿の手配をする。
スポンサーのひとつである全日空が$1,350−で往復の航空運賃とホテル(朝食付き)のセットを発売しているが人数に制限有り。また、このツアーのホテルはワイキキの真ん中で買い物や行楽の便は良いが、艇が係留されているマリーナまでは20分ほど歩く。金に糸目をつけない方は、立地条件としては何と言ってもプリンスホテルまたはイリカイホテル。
ツアー以外の格安航空券運賃は、4月から9月までの分が3月後半に発表され、早い物勝ちとなるのでまめにリサーチするか、懇意の旅行会社にお願いしておく。今年の場合、羽田発着のチャイナエアの直通便で往復7万円ほど。地方発着は国内線運賃の方が高くなるので国内線と提携している航空会社の方が良く、またはJALやANAなどであれば+1万円で国内移動が出来るものもある。我が貧乏チームは格安航空券+マリーナに近いだけが取り柄のキッチン付き格安コンドミニアム。みんなでワイワイ楽しみます。)

・・・とまぁ、ここまでを3月末くらいまでに完了し、6月までにチャーター料の残額を払い込む、と言う段取りです。
今年の場合、チームの参加費(人数に関わらず)は$600−で、これには乗艇人数分の参加Tシャツと、レース前日のウェルカムパーティー代(ワイキキヨットクラブ内)、レース3日目のバーベキューパーティー代(ハワイヨットクラブ内)が含まれています。(とっても安いけど飲み物代は別途。ただしスポンサーはアサヒビールなのでアサヒビールは飲み放題。乾杯の唱和も「アサァヒィ」です。(^。^))表彰式は最終日の翌日夕刻にプリンスホテルで開かれますがこの料金は別途1名につき$50−です。チャーター費は艇の大きさによりますが、30フィートで$5,000−。他に保険料が必要です。どの艇も保険契約上、オーナーまたはオーナー側の人が乗艇します。その方が安心ですね。

後は何とか休みを確保し、余裕があればお揃いのユニフォームなどを作り、順位を気にされる方は練習に励みましょう。
みなさんとお会い出来るのを楽しみにしています。

2001.04.11

−ハワイ 7 「マイレージ」−

去年レースに行ったとき、スチュワーデスさんに勧められてJALの「マイレージ会員」になった。
なった、と言ってもただその時乗っていた飛行距離(マイル)から加算されるというので、機内での暇に任せて申込書を書いて渡しただけだ。特に手数料が必要な訳ではなく、クレジットカードの機能がついているわけでもないのでどうってことはない。帰国してずいぶん経ってからプラスティックのカードが届き、その時乗っていた航空券の半券を送れと言うのでバタバタ探した記憶がある。半券を送ってから更に忘れた頃、マイレージが加算されたという手紙が届いた。

そう言えば以前、アメリカの東海岸と西海岸へ行った時に、「ノースウエスト」のマイレージ会員になったのだが、それからノースに乗る機会もなく数年が経過し、マイレージは消滅してしまった。どうせそんなものだろうと思ったが今回は「JAL」。少しはポイントを貯める機会があるかもしれない。

友達の中にはクレジットカードにもその機能が付いているものを使用し、コンビニで500円の買い物をするときにも店員に嫌な顔をされつつも地道にポイントを稼ぎ、それを使って旅行に行っている人が居るらしい。調べてみたのだがマイレージポイントの貯まるクレジットカードはカード自体毎年の手数料が高く、私向きではないような気がしたのでそのままにしておいた。

それがハワイからの帰国後、たまたまJALを使って鹿児島−東京を往復した。サイフに入れてあったカードをチェックインカウンターで機械に入れると、マイレージポイントが加算された。その後、使っているドコモの携帯電話の2000ポイントを何かに引き替えて下さいと言う手紙をもらい、別の機種の電話に変更するにはポイントが足りなかったのでLALのマイレージに移行してもらった。気が付くと、もう「鹿児島−東京がタダになるかもしれない」と言う気がしてきた。

そこへJALから、「今、”マイレージ機能付きクレジットカード”を作ると初年度会費が無料の上、テレホンカードをプレゼントします」と言うダイレクトメールが届いた。保険の申込書より文字の細かい、わかりにくい申込書を書いて投函。やはり忘れた頃職場に確認の電話までかかってきたが、先日、1ヶ月ほどで無事マイレージ機能付きクレジットカード(JALカード)とテレホンカードが送られてきた。今年もハワイに行くので、試しに「2000円払えばカードご利用額の倍額のマイルが貯まる」と言うシステムにも加入してみた。初年度会費だと思えばいい。海外ではクレジットカードがなければガソリンスタンドにも行かれないのだ。今年はこのカードを使おう。

この一連のポイント制マイレージシステムは、価格も比較せずJALに乗れるお金持ちか、面倒くさがらないマメな性格の持ち主に向いている。もちろんお金持ちではない私は、性格が貧乏を緩和してくれるかもしれない。

2001.04.19

−ハワイ 8 「インターネットとの不思議な関係」−

去年、7月のハワイのヨットレースから帰ってきて、本屋で物色中に偶然「天使のリール」と言う本を見つけた
著者は「喜多島隆」と言う人で、今まで読んだこともなく、なんとなく「短編小説の多い軽い読み物を書く作家」くらいに思っていた。私の中では「片岡義男」と同列で、長編や、何度も読み返すようなものが好きな私の趣味とは違う、と言う認識だった。だが、その小説はとても良かった。短編で無かったのが読む気を起こさせた。

「面白い小説を常時持ち歩くこと」は結構難しい。面白いと思っているシリーズの次号なら「はずれ」はないが、ともすると「何も読む物がなくなってしまう」と言う「魔の空白」が出来てしまう。これは結構耐え難いことなのだ。新しく面白い本を1冊見つけたところでどんなに引き延ばしても1週間は保たない。だから、「面白いものを書く作家」にめぐり合ったときの感激はひとしおとなる。何も迷わず、当分、その作家が書いたものだけを読めばいい。

巻末の解説にその時頭を占めていた「ハワイに詳しい」とあったからかもしれない。舞台が海で共感を覚えたからかもしれない。とにかく喜多島氏の書いた本を片っ端から読んだ。だが、それも長くは続かなかった。読みやすい上に、本屋や図書館には数が少ない。どうしたものかと思った末、インターネット検索と言う手を思い出した。

あるわ、あるわ、インターネット検索で、こうも簡単に目的のサイトを探し出せるのも珍しい。なんと本人のサイトから、本人のページより作品に詳しい、ファンのサイトまですぐにたどり着くことが出来た。読むと、何と喜多島氏の本は絶版になったものも多く、ファンの方は古本屋めぐりをして入手していることが判明。しかも、本を探しているが見つけられない人のための掲示板もあって、複数持っている人や古本屋に詳しい方が丁寧に教えてくれている。

そこの掲示板に、とにかく投稿した。いろいろな方が、私の住んでいる界隈の古本屋の位置まで交えてアドバイスしてくれた。こんな時、パソコンを買って良かったなぁとつくづく思ってしまう。期待通り、喜多島氏の小説は海辺が多く、私の馴染んだ湘南やハワイの情報がちりばめられていた。もともとガイドブックの情報に飽き飽きしていた私は面白い上に生きた情報も得ることが出来る、喜多島氏の小説を入手出来る限り読破した。何度も読んで一覧表も作った。

掲示板で教えて下さった中の一人に教えていただいているうち、メールをやりとりするようになった。この同世代の女性はもちろん喜多島氏のファンであり、尚かつ15年間毎年ハワイに行っていると言うハワイの熱烈ファンでもある。結局喜多島氏の本のことばかりでなく、ハワイの、「どこの店が美味しいか」とか、「どこで買えば安いか」などのご教授も頂いている。近況もやりとりしたりして、すっかり長年の友人のようだ。ハワイのテレビ番組が放映されたとか、雑誌に特集記事が載ったとか話題は尽きない。ファンクラブ員である彼女から、私の名前と喜多島氏のサインが入った本やハワイの特集記事が載った雑誌を送ってもらった。現状、私にとって一番の、ガイドブックを超える先生だ。

ハワイ関連のサイトも盛り上がっている。面識のない人同士が意気投合し、実際に会ったり、リアルタイムで「今、ワイキキに居るのですが」等という質問が飛び交っている。地図や観光名所はもちろん、現在の気温や交通渋滞までわかってしまうのだ。サイトを訪れた人が投票するレストランの順位表も楽しい。あげく、今年のハワイでのレースを取材したいと言う話まで頂戴した。

通り一遍のガイドブックは値段が高い上に、情報が画一的で新鮮ではない。
「パソコンで何が出来るか」がやっともうひとつわかった。

2001.04.28

−アロハシャツ−

仲間同士でヨットレースに参加する際、「チームウェアはどうしようか」と言う話に、必ずなる。
いつもそのヨットそのメンバーで練習を積み、始終レースに出ているチームならいつも同じもので良いと言うことになるがそうはうまくいかない。大きなレースに参加する度にこの話となり、私は今までたぶん20回ほどは「お揃いのウェア作り」をした。作ると言っても私が実際に切ったり縫ったりするわけではないのだが、どこに頼めば安く作れ、どういったデザインや色にすれば安価に、誰からも不評が出ず、どんなサイズをどれだけ頼めば過不足ないか、しかも追加注文がすぐに出来るか、は結構難しい。更に見栄えが加わる。去年も1枚600円を切るTシャツをひとり2枚ずつと千いくらかの刺繍入りの帽子をオーダーした。希望者にはTシャツと同じデザインのポロシャツも作った。

通常のヨットレースでは、レース中とレースが終わったパーティーどちらにも着られるポロシャツが多い。予算があるチームだったり寒い時期だとウィンドブレーカーになり、とりあえず安く作りたい場合はTシャツとなる。最近はそれじゃあつまらないとラガーシャツなども増えてきた。お祭りに着るようなハッピも楽しい。

今回7月のハワイでのヨットレースを控え、同じ様な話になった。やはりハワイと言えばアロハシャツだろう。ハワイでの正装は男性はネクタイをしなくても襟さえあれば良く、アロハシャツは正装となる。日本では種類も少なく値段も高いのでレースが始まる前に現地で買おう、と言うことになった。

正式には「アロハ・シャツ」ではなく、「ハワイアン・シャツ」と言うらしい。種類も、ボタンダウンだったり前開きではなく被って着るデザインだったりといろいろある。素材は高級なのはシルクで、レーヨン、綿と続くらしい。私は綿の着心地が好きだが、レーヨンに人気があるそうだ。あの、シルクに似たテロッと感が良いと言う。

現地に到着し次第、アロハシャツ探しに行く。アラモアナショッピングセンター内にあの、裏地アロハ発祥の老舗「レインズ」があり、「ヒロ・ハッティ」がある。その近くのワードセンターに「ブルージンジャー」がある。知り合いはバスに乗り、「ヒロ・ハッティ」の本店に行くことを勧めてくれた。種類やサイズが豊富なのだそうだ。果たして現地で9名の意見が合うか、ちょっと不安ではある。だいたい、私に合うサイズは大人用では見つからない。

今のところのみんなの意見は「レインズ」のディズニーバージョンか「派手で目立つもの」位の意見しか出ていない。異存はない。私としてはせめて現地で流行しているという東洋柄だけは避けたい。黒地にトラとか龍の柄とか、緑の竹や赤い鯉、松などではどう見てもヤクザだ。真っ黒に日焼けし、ビーチサンダルをつっかけ、サングラスをかけた9名のヤクザ。考えるだけでぞっとする。

2001.05.09

−航空運賃のナゾ−

ヨットレースで夏にハワイへ行くため、格安の航空券を探している。
同じ飛行機の便で、同じエコノミーの席だったら、誰だって安いほうが良いに決まってる。料金の他には何も変わらないのだ。今回一緒に参加するメンバーは東京、名古屋、鹿児島などとあちこちに散らばっているので、やはり直行便のない鹿児島が一番不利だろうと思ったら、そうでもないらしい。

中華航空など都会からしか出ておらず、しかも日本の航空会社と提携していない航空会社を利用する場合は圧倒的に東京が有利だ。鹿児島からその便に乗ろうと思ったら国内線の方が高くついてしまう。鹿児島−東京の国内線往復航空券は66,000円。東京−ホノルルとほぼ同額、東京−ロサンジェルスの格安航空券よりずっと高い。そう言えば東京からロスへ向かう途中にハワイがあるのに、ハワイ行きの方が高いのもナゾのひとつである。

そこで面白い現象が起きた。
まず、全日空名古屋発ホノルル行き直行便のチケットを予約したメンバーのひとりは往復108,000円だと言った。次に、鹿児島からホノルルに向かう場合は福岡経由が一般的だが、鹿児島の旅行会社は「万一予約できなかった場合に備えて名古屋経由も抑えておきましょう」と言い、これが友人の予約した全日空の同じ便で、しかも88,000円だと言うのだ。もちろんこの料金には鹿児島−名古屋往復の航空運賃も含まれている。同じ名古屋−ホノルルの、同じ日の同じ便に乗って、しかも国内線込みでこの値段。
日本の航空会社を利用して海外へ行く場合、乗り継ぎ便の国内線が異常に安く、国際線の料金+8,000円とか、+10,000円で往復できると言うのは知っている。だが、しかし、得したと言うよりキツネにつままれた気分だ。

JAS(日本エアシステム)は今月5月がお誕生日なのだそうで、図らずも5月18日に誕生日を迎える私はJASの恩恵に預かり、「どこへでも1万円」と言うお誕生日チケットを使って来週末東京へ行くことになった。定価66,000円のところ、往復2万円である。飛行距離を考えても、機内サービスを考えても、このくらいの値段が適正のような気がするのは私だけだろうか。

誰かがどこかで異常に儲けている気がする。

2001.05.13

−ヨットレース2ヶ月前−

そんなわけで、私がJASのお誕生日チケットをゲットしたため、来週東京でミーティングをすることになった。
どこまで打ち合わせができるのか、怪しい。私としてはレースのポジションとか、ユニフォームをどうするかとか、格安コンドミニアムの部屋割りとか、現地の集合などを打ち合わせたいところではある。だが、ただの宴会になってしまいそうな気配だ。何だか羽田に着いたとたん、岡山から到着したメンバーと東京のメンバーが待ち受けているらしい。そのまま拉致され、飲み放題付きのディナーと夜のクルージングが待ち受けているのだそうだ。

ゴールデンウィークはどこにも出かけずおとなしくしていたにもかかわらず、ここのところ何かと慌ただしい。啓蟄はとっくに過ぎたというのに何だかみんなが動き始めたようだ。でも、楽しくて忙しいのは大歓迎である。
両親が海外旅行へ行くと言うので海外旅行傷害保険の手配をし、図書館の片っ端から借りてきているハワイ関係の資料を読み、まとめ、体力を鍛え直し、東京行きの準備をする。そう言えばお土産も用意しなくちゃ。天気が良いのでカーテンを洗濯し、おっと、インターネットで注文した本も届いた。お金も払い込まなきゃいけない。最近メールも急に大賑わいで全部読むだけで時間がかかる。1週間に一度はヨットレース参加メンバーに進捗状況とハワイの情報のメールも配信している。つい長くなり、時間を食う。ユニフォームにするアロハシャツはこちらから予約していかなくてもサイズが揃うのだろうか、とかレストランの下調べもしたい。どうやらレンタカーは日本からの予約の方が安く、便利らしい。

そこへ今日ひとりでバタバタしているところへ郵便屋さん。何やら筒状のエアメールが届く。中にはヨットレース、アサヒスーパーカップのポスターが入っていた。「Asahi Super Cup Hawaii International Sail Race Challenge 2001」と言うもの。しかも参加人数分。味なこと、してくれるじゃないの。東京へのお土産ができた。ポスターは去年のレース海面の写真。6艇が遠くのワイキキを背にヒールしている。去年の風の感触まで思い出せる。掌ですくっても蒼いかと思うほどの海だ。

嫌でも気分は盛り上がる。

2001.05.26

−ハワイ・スーパーカップヨットレース 東京ミーティング−

そう言うわけでJASの30周年にあやかり、ヨットレースのポスターを抱えて久しぶりに東京へ帰省した。

空港から「クリスタルヨットクラブ」と言う、今回のミーティングにふさわしい名のレストランへ直行する。何と東京のメンバー他、岡山や名古屋からも駆けつけてくれ、9名の参加メンバーのうち7名が集まった。もったいないほど夜景がきれいだった。乾杯もそこそこに、日程を説明する。ユニフォームの候補となっているアロハシャツの老舗「Reyn’s」の雑誌掲載写真を回す。

今回参加メンバー9名のうち、3名がヨットレースに慣れていない。モーターボートなら専門のS氏と、同じくマリンスポーツ万能のダイナ。この二人は船舶免許を持っている。それに、ヨット乗りのご主人と一緒に数回乗っただけのE子だ。まぁ今回は「参加者全員が同じように楽しめるレース」と言うコンセプトなので少し大きめのクルージングタイプのヨットをチャーターしている。慣れていない人にはヒール要員、つまり重りになってもらえば良い。

それが、一番ヨットレースに慣れていないE子のテンションが高かった。
「私、表彰台に上がりたい。」と言うのだ。一瞬、みんなのフォークが宙で止まった。
「ええっ?表彰台!?」
「どうすればいいの?私、頑張る!」
ヨットレースに詳しいM氏は頭を抱えた。
「何位までが表彰されるの?」とM氏。
「たぶん、各クラス3位まで」と私。

それまで静かだったレース派メンバー達が色めきだった。勝敗が決まるのであれば誰だって順位は上の方が良いに決まっている。特に日頃レースをしているメンバーにとっては尚更だ。だけど「まぁ今回はビール片手に楽しむか」と何となく諦めていたのだ。それが一番経験の無いE子からこんな発言が出れば黙ってはいられない。映りの悪い去年のパンフレットを広げ、チャーター艇の艤装を確かめるべく光にかざし、専門用語が飛び交い始めた。
「艇にランナーが付いているならもう一人メンバー増やした方がいいぞ」
「同じクラスに何艇居るんだ」

こんなミーティングは予想していなかった。「どこのレストランで夕食をとるか」「レースが終わったら何をするか」、せいぜいユニフォームの色や柄の話題だと思っていた。もちろん参加する以上、みんなでこれほど盛り上がれば言うことはない。日頃レースをやっている人達だけが操船し、他の人達はただ乗っているだけで知らぬまにレースが終わっていた、なんて状況だけは避けたかった。E子を含む東京チームは秘密練習をすることになったらしい。

以前、小学生と一緒に、夜通し走るヨットレースに出たことがある。その時学んだのは、頼りになるのは陸で待っているヨットの専門家ではなく、そこに居る小学生だと言うこと。彼は人数分の一以上の働きをしてくれた。私が彼から学んだことも多い。大事なのはヨットの技術ばかりじゃないのだ。乗っているメンバー全員でできる限り最大のことをやる。だからヨットは辞められない。
今回の参加メンバーが全員、人数分の一の働きと、人数分の一の楽しさを同じように味わってくれたら嬉しい。

ポスターを配ったとき、E子は言った。
「うわぁ、私もこの写真の中のひとりになれるのね。」
楽しいレースになりそうだ。

2001.06.02

−ヨットレースモード−

早いもので、いよいよヨットレースは来月と迫った。
その、初心者E子の、「私、表彰台に上りたい」と言う一言から、メンバーは一気にレースモードになっている。
皆、住んでいるところがバラバラの上、ヨットレベルもバラバラ。
メールでの「バーチャル練習」を開始した。

「ヨットレースと言うのはスタートラインを横切った後、まず風上にあるマークへ向かいます。行きたい方角から風が吹いてくることになりますね。ご承知の通り、ヨットは真正面から風が吹いてくる方向には進めませんので30〜40度の角度を取りながらジグザグに進むことになります。風が強ければ強いほどヒールする(傾く)と言うより、風上に行こうとすればするほどヒールするのです。だから風上の方向へ向かうことを「上る」と言い、風下の方向へ向かうことを「落とす」なんて言います。風の吹いてくる方向に対して角度が浅ければ浅いほどヒールする、と言うことだけは理解して下さい。風の吹いてくる方向に対し、35度で進めるのに40度で走ったのでは多くタック(方向転換)をしなければならないので負けてしまいますよね。少しでも効率よく風上へ向かうには、少しでもヒールを起こすことが大切なのです。傾きすぎると横倒しの状態となり、舵も効かず効率的ではありません。つまり、スタートしたら最初の風上マークを廻るまでのレグ(コース)は思い切りヒールするのでハイクアウト(人間がおもりとなりヨットの傾きを押さえること)が重要な訳です。」

と、自分で書いていても「今頃こんな話をしていて本当に大丈夫なのだろうか」と言う思いがよぎるが、ヨットレースなんて、特にヨット人口の少ない日本では、全員がベテランなんてことはまずない。一人や二人「ゲスト」と呼ばれるおもり担当の人が居るものなのだ。その人だって大切な役割を担っているのだから少しでも周りの状況を理解した方が楽しいに決まっている。こんな、初心者向けの解説から、「アフターガイはどのタイミングで誰が引くか」とか、「チャーター艇のデッキレイアウトによってはフォアガイを引く人をマストステップに配置しなければならない」とか、「スピンアップの手順」などとちょっとだけ専門的な話までしていたら、ゴールはおろか風上マークまでの解説だけでメールは膨大な量になってしまった。

その「おもり」担当の一人は英語が堪能である。現在、現地での時間節約のため、ユニフォームにするアロハシャツの「お取り置き」を交渉してくれている。何とかコンドミニアムをお決まりの文例集で押さえたものの、サイズや在庫などを確認しつつ店に取り置きをお願いするほどの英語力は、残念ながら私にはない。どこを探しても文例も見あたらない。それを在庫切れのサイズまでお取り置きさせようと言うのだから凄い。

メンバー全員の力を総動員する。みんなでひとつのものを見るのはいつだって楽しいのだ。

2001.06.07

−海外旅行−

東京でデパートをウロウロしている時、ふっと何だか懐かしい香りがしたようで立ち止まった。
私にはあまり縁のない化粧品売場だった。
「そうだ、海外の免税店の香りだ」と、気づいた。
どこでも良いから急に、無性に海外旅行に行きたくなった。別に化粧品や香水を買いたいわけじゃない。
なんだかワクワクする。免税店の香りは、私にとって海外旅行の始まりの香りなのだ。

とりあえず、あとひと月ちょっとでヨットレースの為にハワイへ行く。
短パン、Tシャツにビーチサンダル。・・・
3ヶ月間、身体は鍛えたが英会話は今一歩。
第一、「ビーサン」ってなんて言うんだろう、ってなレベルである。
まさか「ゴムゾウリ」ではあるまい。「ビーチサンダル」も英語としては何だか怪しげだ。
調べた結果、「ラバースリッパ」と言うらしい。う〜む、なるほど。
まさにゴムゾウリではないか。どうやら「ビーチサンダル」はどこかの日本人が考えたようだ。
しかし、スリッパというのはどうも玄関の、あのスリッパを思い浮かべてしまい、イメージが悪い。

学生時代の一夜漬けの如く、今からでも一日一語。
やらないよりは幾分マシだろうか。

2001.06.11

−海外旅行傷害保険−

その、東京でのミーティングの時に、海外旅行傷害保険の見積りをついでに作って持って行った。
これだけは私の専門である。しかし、一様に「安いねぇ」と驚かれた。私の方が驚いた。
皆、あまりに知識が足りないのではないか。
補償される額(=保険金額と言う)は見ずに、自分が支払う金額(=保険料と言う)だけ見ている。
補償される金額が低ければ保険料が安いのは当たり前なのだ。
補償される範囲が狭ければ、これまた保険料が安いのは当たり前なのだ。
これは自動車保険でも、火災保険でも、生命保険でも同じことだ。どこの保険会社だから安いと言うことはあまりない。

各保険にはそりゃあ、決まりがある。だけどあんまり「保険」=「面倒」=「難しい」と考え過ぎだ。
私がわかったくらいだからそんなに難しくなどない。

海外旅行傷害保険(ギョーカイ用語では”カイリョ”)と言う、漢字ばかりの名前を見て圧倒されちゃいけない。
入る方は「客」なのだから、どのトマトがおいしそうかしら、と手に取ったりして眺めなくてはならない。大きくて質のよい、糖度の高いトマトは高い。反対に酸っぱいトマトは安い。もちろんトマト煮を作るのなら安いトマトの方が良いことは言うまでもない。個々のニーズというものがあるのだ。

まず、海旅(カイリョ)の最低保険料は1000円である。1000円出せば、補償額はともかく、安くかけたいのならとりあえず加入はできる。これはひとり1000円ではなく、一枚の証券単位での最低金額だから、例えばご夫婦一緒にとか、グループ5人で同じ場所に同じ期間行き、尚かつ「別紙明細の通り」とずらずらと名前が掲載されている形式でよければ全員で1000円で済む。

ただ、入ってもらう側の保険会社だって営利企業なのだから少しでも儲けたい。洋服屋さんが洋服の色がきれいに見える照明を当てたり、八百屋さんがリンゴを5個買えば1個おまけしてくれたりするように、工夫している。
これが「セット契約」となる。よく、空港で自動販売機による旅行傷害保険の販売が行われている。あのパターンだ。客はいつからいつまで行くか日にちを数え、Aセットとか、Bセットとかせいぜい5、6パターンの中から選んでお金を入れる。簡単でわかりやすい。ただ、簡単に、わかりやすくするために、「どのようなお客様でも満足していただける」ことを考え、フルセットとなる。「私はたいしたものを持っていかないから携行品は要らないわ」と言うわけにはいかない。「死亡時の補償は50万円でいいわ」何て言うものもない。保険会社に置かれているパンフレットだって同じ事だ。全部を記載したのでは文字が小さくなり、ページも増え、わかりにくい。

日頃から代理店とつき合っておく。車が好きな人がしょっちゅう馴染みの整備工場に顔を出すように、家の近くに主治医を持つように、自動車保険も、火災保険も、自分の希望を話してみんなお任せしてしまえば良い。ただ、保険は種類が多いので「保険もやっていますよ」と言う自動車屋さんやお米屋さんだと苦手な種目がある。

そうそう海旅だ。「旅行傷害保険」と言うくらいだから、「傷害」つまりケガを補償する保険が中心になっている。これに病気や持ち物携行品賠償責任保険などの補償を加える。その他にもうんざりするほどの特約がある。まず、ケガの補償が中心となっているわけだからケガで死んでしまったり後遺症が残った場合の補償は必須である。後は「1週間のハワイじゃ病気の補償は要らない」とか、「賠償責任保険は手持ちのクレジットカードについているから省こう」「死亡の補償は生命保険があるから安くて良いわ」などと言うことになる。

私が作った見積りは以下の通り。安いでしょうか?それとも補償額が低すぎますか?
(ご注意)東京海上火災(株)平成13年6月現在  空港の自動販売機では加入できません。

    −8日間の補償− 
              
死亡・後遺障害・・・・・500万円
ケガでの治療・・・・・・100万円
病気での治療・・・・・・100万円
病気での死亡・・・・・・500万円
携行品損害・・・・・・・・・10万円
1名あたりの保険料
             1、530円

2001.07.17

−ハワイ目前−

「あと二ヶ月もあるのか」と思ったのもつかの間、出発の時刻が迫っている。
9人のメンバーはやれ会社合併の責任者だとか、出張だとか、出発2時間前まで会議だとか、おじいちゃんが亡くなっただとか、風邪で40度の熱が出ただとか忙しいらしく、今まで連絡がなかったメンバーから急に出発までの個人の超過密スケジュールメールや、「絶体絶命」なんて一言だけのメールが届いている。こういうときに限ってマーフィーの法則だか何だか、起こらなくて良いことまでもが立て続けに起こる。かくいう私も柄にもなくめまいを起こし、仕方なくクーラーを買いに走り、取り付けの為に大掃除を強いられヘトヘトになった。めまいなんて細身で病弱な、美しい物語のヒロインが起こすものだとばかり思っていた。「あっ、お嬢さん、大丈夫ですか。」「いえ、ちょっとめまいが。」なんて・・・。現実はそんなにカッコ良いものじゃない。気分は船酔い、大時化のキャビンの中のようだ。そう言えばヒロインのめまいは貧血だったっけ。
とにかく、日本のサラリーマンは夏に1、2週間の休暇を取るのも大変だということを思い知る。

第一日本は暑い。暑いのは鹿児島ばかりかと思いきや、関東では39.6度の猛暑だとかで病院へ運ばれた人が続出したらしい。39.6度!こんな熱が出たら立ち上がることもできない。人間ばかりではなく、鹿児島では熱射病で何十万羽もの鶏が死んだそうだ。鶏も死んでしまう気温。なんて恐ろしい。

ハワイの気温は28度だそうだ。常夏のハワイが心なしか涼しそうでさえある。この際、、避暑と決め込もう。
とにかく行く。
子供のように素直に楽しみに出来ない私は、やれ持っていくパソコンがちゃんとインターネットに接続出来るだろうかとか、ちゃんとホノルル空港で待ち合わせが出来るだろうかとか、レースで誰かケガなどしないだろうかとか、円安が続いたらどうしようなどと心配ばかりしている。

そこを何とか捨てて、ただ、ただ、楽しみたい。
行けば何とかなる。

2001.07.21

−ハワイだより 初日−

キャッホー、みなさん、ハワイです!
確かに、「行けば何とかなる」。ハワイの初夜は無事に暮れました。

車を預けて鹿児島空港を発ったのは14時。福岡空港には40分後。国際線ターミナルまでの連絡バスに乗り、国際線ターミナルに着くともうする事がない。福岡空港は出発の2時間前にならないとチエックイン出来ないのだ。ここの2時間をどうにかして欲しいと思いつつ、携帯の留守番電話を不在案内に変えたり、円からドルへの換算レート「128円は高いよなぁ」などとつぶやいたりして時間をつぶす。

JALの機内食は以前よりもずっと美味しく、ワインを頂いたりしてゴキゲンな夕餉の後、どうにか2、3時間の睡眠を取る。
で、問題の入管手続き。去年はこれに3時間以上も並ぶハメになったのだが予想に反してだれも並んでいない。私達のメンバーだけで東京からチャイナエア、関空からノースウエスト、名古屋から全日空、そして福岡からJALが30分以内に到着しているはずなのだ。ところが本当に誰もいない。チェックインの方法や、到着後飛行機を降りてからすぐにパスポートを提示するなどして改善が測られたらしい。嬉しい誤算だった。

メンバーにもすぐに会うことが出来、そのまま「お揃いのユニフォーム」を買う為、タクシーに乗り合って工場が併設している「ヒロ・ハッティ本店」へ行く。着いたのはまだ午前9時。店が開店しているか心配したほどだった。ワイガヤガヤパーティー用のユニフォームを選び、無料送迎バスでコンドミニアムへ向かう。チェツクインにはまだまだ早かったけど3部屋のうちの1部屋に入ることが出来た。1泊税込み80ドルと言う値段なのでちょっぴり不安だったけど部屋は広々しているし、とりあえずベランダも海側と山側にある。クーラーはないが窓からは寒いほどの乾いた風が気持ち良い。

すぐ前のアラワイマリンへ挨拶に行く。チャーター艇のオーナーを紹介してもらい、船を見せてもらって確認。出場艇全艇名の入ったスポンサー「キャプテンサンタ」のTシャツをゲット。アラモアナショッピングセンターで昼食を取り、買い物したりしてホテルへ。なななんと私の部屋は最上階で海もマリーナも眺められる良い部屋だったのでペントハウスと呼ぶことにした。705だと言うから7階だとと思いこんでいたんだけれどこの建物は17階建てだったんだ。はっはっは

夕食はハーバーの夜景を眺めながら海風の吹くレストランでチチを飲み、ハワイ料理を頬張る。
翌日は練習日となった。

2001.07.24

−ハワイだより 2 練習日−

ハワイの海は相変わらず、掌ですくっても蒼いかと思うほどの海だった。

レースの練習はお昼に集合とのことで、ゆっくり睡眠を取る者、いきなり早朝マラソンをする者、思い思いに堪能する。やはり1日前に集合したのは良かった。パンケーキと卵、ベーコンの朝食を取り、アラワイマリンに係留してあるヨット「KURREWA」に向かう。

実はこのメンバーでレースに出るのは初めてなのだ。当然、ヒール(重り)担当の3人はレース経験もほとんどない。残る6名とオーナーでの繰船練習が始まった。ヒールチームはヨットが方向を変える度、体重移動の練習となる。風は去年と同じく30ノット程度にまであがったが波はさほど高くなかった。タックの練習をした後、スピンを揚げてトラブルが起こりフォアステイに巻き付いてしまう。ひとりがマストに登りなんとか解消する。帽子を飛ばしたり、膝を打ったり、すりむいたり、結構大変な練習となる。やはりハワイの海は厳しい。

練習の後、オーナーがヨットでププパーティーを開いてくれる。「ププ」と言うのはハワイの言葉でおつまみと言うことらしい。オーナー、ボブの奥さんがお手製のポキ(刺身とネギなどをごま油と醤油で和えたもの)とチーズディップ、冷えたシャンペンを持ってきてくれた。きれいな海と乾いた風、周りの風景、陽の光がキラキラしてみんなの笑顔と重なって最高に美味しかった。不思議なことに英語が得意でない私でも何とか意志の疎通がはかれたような気がした。

艇長会議は簡単に終わった。ワイキキヨットクラブで、ビールなど片手に持ちながら行われた。親切にも簡単に日本語の通訳もあった。
そのままワイキキヨットクラブでウェルカムパーティーが行われる。去年も感じたのだがこのレースのパーティーは始まりが不明なのだ。お偉いさんの挨拶など何もなく、時間になるとゾロゾロ集まってきて入り口でチケットを渡し、思い思いの席に座る。スポンサーがアサヒビールなので冷えたビールがふんだんに振る舞われた。あちこちで勝手に乾杯が始まる。

いよいよ明日はレースだ。怪我やトラブルさえ無ければ、と思ったのだが・・・。

2001.07.27

−ハワイだより 3 レース初日−

まず、レース初日の朝、ヨットが出航出来ないと言うトラブルに見舞われた。

ホームポートのカネオヘからワイキキのアラワイマリンに回航してきた「KURREWA」の喫水は約2メートル。つまりそれ以上の深さがなければならないところ、潮が引いてもっと浅くなっているらしい。キールが底の泥に引っかかっているようだ。桟橋からバックしても全く動かない。何とか前方にロープで引っ張り、勢いをつけてエンジンをかけたり、ギリギリ人間を右や左に寄せて傾けたりしたが動かない。無理にしても壊れるだけなのでオーナーはこれから潮が満ちてくるはずだから15分だけ待とうと決断した。15分後何回目かの脱出を試みるが失敗。アラワイマリンの人が心配して見に来てくれてもどうにも出来ない。取材艇や観覧艇が次々出航していくのをただただ見送るしかない。

これ以上抜け出せなければもうスタートに間に合わないと言う時間になり、最後のチャレンジを試みる。全員がヨットを降りて押す。オーナーひとりがヨットでエンジンをバックにかける。「うっ」。なんとか脱出。皆飛び乗ってレース海面に走る。

この日、なんと第一レースはファーストフォームで1位、第二レースは2着で修正3位となる。他艇もトラブル続出のようで、まるでディンギーのように転覆し、しばらく起きあがれなかったヨットや、メインハリヤードが切れたヨットもあったようだ。

世の中、何が災いするか、幸いするかわからない。自分たちも驚いたことにこの日のレース終了後、我々はクラス1位になっていた。

2001.07.28

−ハワイだより 4 レース二日目−

「表彰台に上りたい」。そもそもレース経験のないE子の言葉で始まった。
一回きりの東京でのミーティングにスーパーカップレースのポスターを持って行った時だった。
「この写真の中のひとりに、私もなれるのね。」と名言を吐いた後のセリフだった。

2日目の第3レースはココヘッドのブイを回ってくる、少し距離の長いレースだった。レースのポイントも2倍になる。ヒール、つまり重りとして左右に体重移動するE子ともうひとりの女性クルーは初日の2レースだけで足にびっくりするほど大量のアザを作っていた。昨日なんとかサポーターを探し回って見つけたようだ。足にグルグル巻き付けている。全員出来る限りのことをしている。

レーススタートからココヘッドまでは上りのレグなので船齢が古い私達には苦しい。当然タックの回数も多い。ジリッ、ジリッと追い上げられる。ココヘッド沖のマークを周り、スピンを揚げる。周りではスピンが制御出来ずにあちこちでブローチングをしている。そこを小さめのスピンをコントロールして何とか頑張る。何艇か追い抜いた。波に乗せてサーフィングする。8ノットオーバーのスピードだ。
フィニッシュ。

結果は1着。レーティングつまりハンディキャップ修正で2位。第一レースからの総合で、またもや1位タイの出来過ぎた成績だった。あと1日。かえってプレッシャーがかかり緊張する。表彰台に、本当に上れるのだろうか。
まさかねぇ・・・夢みたいな話でどうにも現実味がない。

何とか無事に最終日のレースを過ごしたいと思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった

2001.07.30

−ハワイだより 5 レース最終日−

「5、4、3、2、1、スタート!」。レース最終日、第四レーススタートの直後だった。
「ボンッ!」鈍く嫌な音が船体に響いたかと思ったらセイル(帆)がバタバタとシバーした。ヘルムスマンがラット(舵)をくるくる回し、「舵が効かない。」と言った。舵とラダーを繋ぐワイヤーが切れたようだ。車で言うハンドルが効かなければ方向が変えられず、当然レースは出来ない。しかし、経験を積んだコックピットの仲間達は冷静だった。オーナーにエマージェンシー(緊急用)のティラー(舵棒)を持ってきてくれるように頼み、とりあえずジブセイルを下ろしてコースから外れる。後で蒲鉾板と名付けられた長さ30センチばかりの、材木の切れ端のようなエマージェンシーティラーを取り付ける。大きな舵輪に変わってこの棒で舵を取るのだ。

初め、「申し訳ない。ダメだ。」と言っていたオーナーを説得し、とりあえずヨットをレースコースに戻してみる。ここで棄権しマリーナに戻ったところで最後のレースに間に合うよう修理出来る可能性は薄い。「このまま走れる?」「何とか。」一度下ろしたジブセイルを揚げ、負荷を減らす為にメインセイルをワンポイントリーフして面積を減らす。梃子の原理で棒の長さが短いほど大きな力が必要なのだ。ヘルムスマンが頑張っているのを見て、オーナーが加勢に入った。舵の左右から二人掛かりの操舵だった。

「最後まで走る。棄権はしない。」一度落ち込んだ空気が消え、みんなにそんな空気が流れた。かえって緊張が取れたようだった。第四レースは当然ビリだった。だけどそんなに差もなく最後まで走りきった。最終の第五レースもそのまま行くと決めた。

当然第五レースも苦戦した。舵に負担がかかりすぎるのでセイルの面積はこれ以上大きく出来ない。それでも最後に一艇抜いた。風か味方してくれたようだった。前日までに艇が壊れて出場していないチームがあったので6着と5着だった。いつも賑やかな仲間が、さすがに帰港するときは元気がなく、静かになってしまった。「やっぱり表彰台は夢だった。」と誰もが思った。

この日の夕方はヨットクラブでのバーベキューパーティーだった。部屋でシャワーを浴びた後、パーティーまでの時間に、とりあえず張り出されている成績を見に行く。「?」。私は成績表を3回見直した。「1、2、3」と数えてみる。「えっ?」
なんと3位に入っていた。しかも2位同率での3位だった。

すぐにはちょっと信じられないほど最高の気分だった。女性クルー二人にはBBQパーティーの乾杯まで内緒にした。「I have a big news. We are third place!」
まるで優勝したような騒ぎだった。一度は諦めていた入賞だった。ヨットのオーナーと私はみんなに胴上げされた。どっちが上だかわからなくなった。

パーティーが終わっても興奮は醒めなかった。ハーバーパプへ飲みに行く。通りかかったヨット雑誌「舵」の編集長とカメラマンも引きずり込む。皆ウェイトレスに気前よくチップをはずんだ。オープンテラスの風が気持ちよかった。

2001.08.01

−ハワイだより 6 表彰式−

「人間の欲望には限りがない」と思っていた。
だけどそんなことはないと知った。私達には3位で充分だった。表彰台に上ることが望みだった。不思議なことに「1位だったらなぁ」とはまるで思わなかった。時化の海を航海した話ひとつで「あの時はこうだったね」と苦労を共にした仲間と何年も盛り上がれるヨット乗りにとっては充分すぎる体験だった。

まだ夢かもしれないと思っていた翌日、プリンスホテルでの表彰式はメンバーお揃いのアロシャツを着て予想通り盛り上がった。ステーキを食べながら会場に大映しされた昨日までのレースビデオを見た。表彰台に上り、レイをかけてもらった。何台ものカメラでフラッシュがたかれ、記念撮影された。

ヨットのオーナー、ボブ夫妻ともすっかり仲良くなり、二日後みんなで一緒にヨットをホームポートのカネオヘヨットクラブまで回航する約束をした。それまでに舵も直るという。メンバーの何人かはレース後別の島などに立ち寄る予定を立てていたがキャンセルし、オーナーの誘いに乗ることになった。ヨット乗りには行ったことのない港やきれいな海が見られるのはいつだって大歓迎なのだ。

パーティー翌日は1名が帰途に就いたものの他のメンバーは思い思いに過ごし、ハワイを堪能した。
レンタカーでオアフ島の北、「ノースショア」を回る。あまりに海がきれいで言葉もない。味のあるサーフショップを見て回り、MATSUMOTOストアではお約束のかき氷「シェイブアイス」を食べ、クアアイナでは名物アボガドバーガーを頬張る。このハンバーガーにはなんと縦二つ割りにしたアボガドと1センチもありそうなタマネギが挟んであり全部で10センチはあろうか、とても口に入る厚さではなかった。ハレイワの街には通称「エビ屋台」と言うボロボロのバンが停まっており、炒めたエビとご飯を乗せたプレートランチを売っているというのでそれにもトライする。カフク産の、大きめ殻付きのエビは効きすぎくらいのガーリック味だったがご飯に良く合って美味しかった。

スーパーで翌日のクルージング用ランチの材料を買い込む。白パン、黒パン、それにパストラミビーフを半ポンド、ペッパーターキーとチーズも半ポンドずつ、パックに入った野菜と瓶入りのマヨネーズ、マスタード、ビール・・・これでコンビニ出来合いのサンドウィッチよりは豪華に洋上ランチが楽しめると言うものだ。チーズや肉の安いことには改めて驚かされた。

夕飯はアラモアナショッピングセンターのフードコートで買い込み、部屋で宴会となる。みんなでお気に入りとなったハワイの刺身料理ポキとコリアンバーベキューをつつく。アロハシャツの中を風が通り抜ける。何もかも楽しかった。

2001.08.04

−ハワイだより 7 クルージング−

クルージングの朝は快晴だった。
とは言ってもここではいつも快晴で心地よい風が吹き、天気の心配もない。天気の心配がないと言うことだけで夢のようだ。風はいつもと同じ方向から吹いていた。出航、午前9時半。HAWAII YACHT CLUB を出たとたん、海亀に出会った。空気を吸ってまた潜って行った。レースで通ったダイアモンドヘッドを交わし、ココヘッドを目指す。そのまま北上し、岬を回り込むと風上に向かって大きく傾いていたヨットがフラットになり、帆走が楽になった。

そこは他の人に教えるのが憚られるほど天国のような場所
夢の砂州 sand bar
だった。
浅い砂州の上に喫水の浅いカタマランが一艇停泊していた。絵のようだった。ヨットのオーナー、ボブは「船体が砂にぶつかったところで錨を下ろすように」と言った。聞き間違いだと思った。普通、「ぶつかる前に」錨は下ろすものだ。
そうこうしているうちにカタマランの若者が私達のヨットの方にバシャバシャ歩いてきたのだ。ヨットはキールと言う錘が付いているので2メートルほどの深さがある。そこを歩いてくるというのはとても奇妙な光景だった。若者は手をさしのべ、錨を受け取った。当たり前のことのように錨を持ったまま歩き出し、そのチェーンのついた錨を適当な位置の砂州の上に置いた。投錨はあっけなく完了した。

大きな真っ白い砂州は海の真ん中にあった。大きな広場くらいの感じだ。そのテーブル状になった広場の部分だけがヒザくらいの深さだった。だからテーブルのフチにヨットを着ければヨットを降りてテーブル状の広場を歩くことが出来る。広場から外れれば当然水深は深い。何とも表現のしようがない。その広場の上は洋式のお風呂のように足を投げ出して座ることが出来た。「sand bar」と言う名前を後から知った。暖かく真っ白い砂の上には魚が泳いでいた。砂州の周りを泳いでみた。ヒラメのような魚、かますのような魚、珊瑚の中にはイソギンチャクやエンゼルフィシュ、黒に白いマークのついた熱帯魚が泳いでいた。誰かが「亀が泳いでいるよ」と言った。追いかけなかった。時間がゆっくり、本当にゆっくり流れていた。

マリーナに戻り、芝生の上でボブの奥さんが調達してきてくれた本物のピザを頬張り、シャワーを浴びる。
ボブは「来年もまた同じチームで来るように」と言った。私の聞き間違いだっただろうか。

2001.08.09

−ハワイだより 8 スプレー事件−

帰国の準備はABCストアにダンボールをもらいに行くことから始まった。
ABCのお兄ちゃんは快くマカデミアンナッツチョコが入っていたダンボールをくれた。しかも都合良く畳んで居らず箱のままだ。蓋はそのままにしてJALのカウンターで止めてもらえばガムテープも要らない。結局今年もDFS、つまり免税店に足を踏み入れなかった。替わりにスーパーめぐりをしたので、食料品や雑貨が多かった。一番高価な買い物は頼まれもののヨットの装備品「ビルジボンプ」と50ドルばかりのデッキシューズだった。当然箱はぎゅう詰めになった。

帰国の朝はまず、15ドル上乗せして空港返しにしたレンタカー返却という大事業が待っていた。日本人観光客はお金持ちなのでハーツ、エイビス、バジェットなどメジャーなレンタカー会社を使う。その人達はわかりやすかった。ホノルル空港近くなると「レンタカーリターン」の表示が出ており、そのまま進めば良かった。だが、しかし、「アラモ」なんてマイナーなレンタカー会社はどこにもない。結局2周しても見つからないのでバジエットの黒人のお姉さんに恐る恐る尋ねた。「そこを右に曲がれ」と言う。結局「そこ」ではなくずいぶん先の高架下を右折だった。確かに右折だったが、危うくどこか遠くに行ってしまうところだった。だが予想外に返却は簡単だった。ラインに沿って車を停め、荷物を下ろしている間に黒人のお兄さんが歩きながらレシートを切ってくれておしまいだった。

レンタカー会社のバンに乗って空港に着く。カートは2ドル入れて引っ張り出せば使えるが、出国検査の入り口に置き去りになっているものを持ってくれば節約出来る。しかもそのカートは出国検査の場所に置かず、そのまま使いたいと言うそぶりを見せれば飛行機に乗る所まで使用可だった。ちなみに空港の中にはポストもある。余った時間で絵はがきを書いて出せばエアメールになる。ただ切手は空港内の土産物屋とビジネスセンター(午前8時30分から営業)に売っているが高いので事前に用意した方が良い。

来たときは2週間の滞在にしては荷物が少な過ぎると止められた出入国手続きに、ダンボールとセイルバック゛を押してヨロヨロと向かった。そこで事件が起きた。カメラでダンボールの中を覗いていたお姉さんが係りの人と話し始めた。その点JALは気楽だ。係りの人は日本人だった。どうやらダンボールに入っている「スプレー」が問題らしかった。「別に怪しいものじゃなく、ただの食品なんだけど」と言っても日本人の女性はきまじめなので通じない。スプレーは機内で爆発の恐れがあるのですべて没収だと言う。そ、そんな・・・。スプレーは本当に食品だった。日本ではお目にかかったことのない、シューッと一吹きすれば生クリームが出てくるもの、同様にチーズ、バターのスプレーだ。

「こちらで処分させて頂いてよろしいですか」の言葉にすぐには応じられず、グズグズしていた。別の係官は「どうして日本人はスプレーばかり持ち帰りたがるのか」と聞く。日本には無いと答えるとびっくりしていた。反対に「どうしてこんなに便利なものが無いのか」と聞かれた。その内、マネージャーの男性がやってきた。バターのスプレー以外、難を逃れた。どうやら本当にだめな物は圧縮してあるとか、アルコールなどが使われているものらしかった。

一件落着し、11番ゲート前のスターバックスでコーヒーを楽しむ。ビジネスセンターで絵はがきを出してもらう。

だから今こうして、鹿児島の自宅でハワイアンのテープなんぞを聞きながら生クリーム入りのコーヒーを楽しめるのだ。

2001.08.12

−ハワイだより 9 アロハシャツその後−

出発前、「アロハシャツを着ることは風を着ることだ」と、ある本に書いてあった。キザだと思った。
まず、日本人は木綿を好む。汗を吸い、扱いやすい。
それがアロハシャツの素材で適しているのは1番がシルクで、2番目はレーヨンなのだと言う。
シルクは良いとしても「どうしてレーヨンなの?」と言う疑問が残る。理由があるはずなのだが、どうしてもわからなかった。「天然の木綿の方がずっと良いのに。」レーヨンはテロテロしていて畳みにくいし、しわになりやすく扱いにくい。

行ってみて解った。実感した。
ハワイは常夏の島だと言われているのに涼しい。海に囲まれているのに乾いている。シルクやレーヨンのように軽くて薄い素材だと本当に、素肌に着たアロハの中を風が通る。右の袖から左の袖へ、風が通り抜けるのがわかるのだ。まるで何も着ていないかのようだった。汗を吸う必要はなかったのだ。木綿だとそうはいかない。生地がしっかりしているのでレーヨンのように肌をなでてはくれない。

現地でチームユニフォームに、セオリーに従ってレーヨンのアロハを揃えた。クリーム色の地に椰子の木や海、カヌーや花が描かれている古典的な風景画だった。それで初めて風を着ると言う意味がわかったのだ。「良いね、どこで買ったの?」と、アメリカ人に受けた。日本艇でアロハシャツを揃えているチームはやはり木綿が多かったようだ。

福岡空港に着陸した。ドアをくぐり抜けようとしただけで飛行機に接続された通路の隙間から暑さと湿気が忍び込んできた。アロハは肌にべったりとくっついた。外に出た。まるで茹でたこんにゃくを身体に貼り付けられたような感じだった。ハワイでは、汗っかきの友達もまったく汗をかかず快適だと感激していたのだが日本に着いたとたん、あせもが再発したと言う。出発前は梅雨明けさえしていなかったのだが、今年は例年にない猛暑だそうだ。すぐにでもハワイに逃げ戻りたかった。

会社にアロハを着ていった。人に見られるのは通勤時だけだ。木綿のアロハの時は誰も気づかなかったのだが、レーヨンのものを着ていくと何人もの人に声をかけられた。「南国気分だねぇ」「どうしたの?トロピカルじゃない!」。素材による発色の違いで、どうやら木綿の方が地味に見えるらしい。

やはり日本では木綿が優勢のようだ。

2001.08.16

−ハワイだより 10 ヨットレースその後−

BGMにハワイアンのCDをかけた。
手紙を書いて友達に土産を送った。
素肌に5ドルのアロハシャツを着て買い物に行った。
ハワイ料理「ポキ」を作って食べた。
お気に入りの手提げカゴを持って、亀の形のピアスをして出かけた。
黒胡椒の胡椒挽きに、珍しい赤胡椒と白胡椒を足してミックスした。
ハワイアンコナのアイスコーヒーを煎れて、スプレーの生クリームを絞った。
冷凍庫から残り少ないベーグルパンを出してパイナップルジャムを乗せた。
ホノルルアドバタイザー紙の日曜版をバッグから出して眺めた。
何をやってもつい笑顔になってしまう。

あちこちから写真が届く。デジタルの写真はメンバーの一人がCDに焼き付けている。
どれを見ても、誰を見ても、一度も見せたことがないような、子供のような笑顔だ。
何度見ても飽きない。ある仲間はデスクの上に写真を飾り、気分が暗くなりそうな時に見ると言い、
他の仲間からは「人間、一生懸命やれば何とかなることがわかった。」「夢の夢を見ているようだ。」と写真にメモが添えられていた。
ハワイから「I hope you can come back next year」とメールが届いた。

大きなレースの後はいつだって、レース中はどんなに辛くたって、「こんなに楽しい思いはしたことがない」と思って来た。それが毎年更新されている。毎年、今回こそ最上級だと思っている。
それがいつにも増して楽しい。楽しいを通り越して幸せな気分だ。

どこかのお金持ちとか、著名なヨットのオーナーとか、プロのヨット乗りとか、そんな人はひとりも居なかった。自分たちだけで、お金を出し合って出場した。しかも、チーム名は私の名前だった。以前、「大勢乗っているヨットで優勝するよりも二人きりのダブルハンドヨットレースで完走したい」と思った。私が乗っていてもいなくてもどうせ結果は同じだと言う気持ちが嫌だった。人任せに出来る状態にはしたくなかった。その気持ちが甦った。全員にその気持ちを、人数分の1の活躍と、人数分の1の楽しさを味わって欲しかった。安いコンドミニアムに雑魚寝した。初日のレースはキールが海底にひっかかりギリギリスタート40分前に桟橋を離れ、2レースを残した最終日のレースはスタート直後に舵を接続するワイヤーが切れた。9人のメンバーのうち、3人はヨットレースに慣れて居らず、2人は泳げなかった。だけどお腹にライフラインの跡を残し、足中くまなくアザだらけにして、ハイクアウトした。全員、何をしても明るく、楽しかった。何ひとつもめごともなかった。

やっぱり、信じていた通り、ヨットは「人で帆走る」と痛感した。
目の前にチーム名の入った盾がある。
当分はこの幸せな気分に浸れそうだ。
ありがとう、ありがとう。

2001.08.20

− ハワイの風

2回続けて参加して、初めて面白さがわかった。いや、わかって来始めたのかもしれない。
アサヒスーパーカップヨットレースは観光地ハワイで開催されるから面白いのではなく、レース後にワイキキで買い物出来るから面白いのでもない。

まず、「風」が良いのだ。
風は常に吹いている。これはハワイでは当たり前のことらしい。
だけど日本ではこううまくは行かない。まったく風のない海面を、ひたすらガマン大会の如く漂ったかと思えば、風がなくてうねりだけなんてこともある。
穏やかな夏の鹿児島、錦江湾や、日本海などではほとんど風が吹かない。風がなければヨットは走らず、潮に流され、繰船を覚えるどころではない。
それが、強風に不慣れな日本のクラブレースではレースが中止になろうかと言うほどの風がいつも一定に吹いていた。
貿易風のおかげで東から吹いていた風がいきなり南に変わることもない。
その、ちゃんと風のある海面で本格的なレースが楽しめるのだ。
加えてレース後もこの風のおかげでクーラーも要らず、なぜか蚊も居らず、ジメジメさえもしていない。

そして、こだわっている。こだわっている企画は楽しい。
レースエントリー後にはエアメールで参加人数分のポスターが送られて来た。
レース会場に販売されているTシャツには参加全艇の艇名が入っていた。
表彰式には前日までのレースが編集され、スクリーンに映し出された。
その表彰式のパーティーはヨットレースのパーティーとしては珍しく着席だった。次々に運ばれてくる料理をゆっくり楽しむことが出来た。
ワイキキヨットクラブ、ハワイヨットクラブ、そして表彰式はプリンスホテルでのパーティーが開催された。
パーティーにお決まりの長い挨拶もなかった。
皆、風が吹き抜けるヨットクラブのバーで、マストの向こうに落ちる夕陽を眺め、レースについて語り合った。

自ら楽しんで企画していなければ、こんなに行き届いた楽しいレースはあり得ない。
主催者は「今年も赤字なんですよ」と笑っていた。
笑顔がステキだった。



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