第十七段     



2006.04.07

−メディカル枕−

その枕なんだけれども、ハワイから帰り今年になって初めての大きな買い物は枕だった。私の場合3千円以上は大きな買い物となる。

もともと枕なんてあってもなくてもたいした違いはないと思いつつ、どうせ買うなら外国映画に出てくるベッドの幅一杯の枕が寝返りを打ってもどっかにいっちゃうこともないし憧れてもいたので以前アメリカ旅行した時にスーパーで買って抱えて帰ってきたことがある。洋画にはよくベッドの上に座って、枕に背を預けて話したりするシーンがあるし、海外のホテルに泊まったとき枕がいやに大きいイメージがあったのだ。最近、それはひとつの枕が大きいのではなくて数が多いだけだったことに気づいた。真っ白の枕カバーに包まれた同じ大きさの枕がひとつのベッドに5つ6つと備えられており、それらを重ねたり並べたりして好きなように使えるしくみ。ぜいたくな気分だ。

その「ベッドの幅いっぱいの」枕がへたり、つまりぺしゃんこになって枕の上に頭を載せているのかいないのかわからないほどになった。時々枕を座布団みたいに折り畳んで使うこともあった。これでは意味がない。それでどうせ買うなら最近流行の「マイ枕」とか、「安眠枕」とか、健康に良いなどというものにしたいと思ったのだ。まず私は「オーダーメイド」にはあまり心惹かれなかった。だって寝付きも寝相も悪く一晩中ゴロゴロと暴れている私が同じ体勢で寝られるとは思わなかったから。いくら首の長さや頭の形を測っても横向きやうつぶせになったのではその人に合うとは思えない。現に課長はデパートであちこち測ってもらってマイ枕をオーダーしたが合わなかったとのこと。

外国のホテルのような「複数枕作戦」も捨てがたかったが複数買いたいと思うほどの良質の枕も見あたらなかった。次に、3年ほど前に初めて今の社会保険センターの英会話教室に参加した時、私と「眠りについて」話した年輩の男性は何と元ドクターで、「枕はそば殻に限る」と言っていたのを思い出した。確かに天然のものだし良いとは思ったがなぜかそば殻の枕は皆小さい。一般的なサイズの半分ほどなのだ。これでは寝ている間にどこかへ行ってしまう。そば屋でそば殻を買い自分で作ることも考えたがそば殻を大量に入れたところで大きければ片寄ってしまうだろうし、弾力性がないので一杯に詰めれば堅く、高くなってしまう。

何か他によい物はないかと良質の品を一点ずつ載せている通販誌「通販生活」を買ってみた。あった。しかも通販生活の商品の中で長年第一位を誇る商品だった。その枕は医者だか学者が開発しヨーロッパではあちこちの病院に採用されているとのこと。よくある愛用者のコメントの中には「今までと違ってすぐに眠れる」とか、「寝起きはマッサージを受けた気分だ」なんて言うのもあってあまりにも信じがたかった。だが私が気に入ったのは「へたらない」こと。これはわかりやすい。よく考えてみればどんなに良い枕でもすぐに形が変わってしまったのでは効果はないのだ。6〜7年に一度買い換えれば良いそうなのだ。ほほぉーっ。どのような姿勢で寝ても良いらしいと言うのも気に入った。だが1万円を超える枕は高いと思った。

会社の同僚も枕を探しているらしかったので予算を聞いてみると「2万円!」と言う答えが帰ってきた。そう言えばオーダーメイドはみなそのくらいの価格だ。10日間使って合わなければ返しても良いと言う説明書きに背中を押されついに購入。届いた枕は段ボールに入っており、しかも真空パックで圧縮されていた。2枚の白い枕カバーがついている。袋から出すと徐々に膨らんだ。思ったより大きかった。その日から10日間使ってみたが返却はしなかった。マッサージを受けた気分は味わえなかったが何の不満もなかった。つまり枕がどこかへいっちゃったり、曲がったりして「あーもう!」と言うストレスなく眠れたのだ。反対に大きくて安心感があった。なかなか寝付けない私にはよく眠れた方だ。

と言うわけで今ももちろん「メディカル枕」を使っている。先日唐津へ行ったときも車で持って行った。「これならぐっくり寝られる」と言う安心感が一番大切なのかも。

2006.04.11

−DVDレコーダー−

そのメディカル枕の次の大きな買い物はDVDレコーダーだった。
半年ほど前に、ビデオが壊れた。DVDプレーヤーは持っているものの韓国製の7千円くらいの安物で、もちろん録画は出来ない。ただ見るだけ。英会話番組を録画出来ず、ラジオ番組の方が充実していたのでラジオに切り替えたため、ますますテレビは見なくなった。不便だったのはNHKのニュースをビデオチューナーを通して副音声で聞いていたのに出来なくなったこと。そう言えばテレビを見るときにはそうやって必ずビデオの電源も入れて使っていたから過酷に使いすぎたのかもしれない。「ビデオなんて安いから買い換えたら」と言うアドバイスもあったが何年も前に買ったのと同じくらい、つまり今更1万円も出してビデオはないでしょう、と思っていた。今ならたいていパソコンにDVDが付いているのでテレビチューナー付きのパソコンも検討したけどまだまだ高く、質も安定していないようだ。だがしかし、春からの英会話番組も発表され、そろそろ何か買わなくちゃと思い始めた。

そして録画出来る、しかもハードディスク付きのDVDを買っちゃったのだ。
どうせ買うならCDみたいな空のDVDを買ってきていちいち録画するんじゃなくて、本体に録画して見たら消しちゃうって言うのが便利そうだった。何より心惹かれたのは「電子番組表」。新聞のテレビ版やテレビガイドを見ることなく、しかもその都度何日の、何時、何分から、何時、何分まで、と入力したり、Gコード(これすら知らなかったのだが)を入れて録画予約することもなく、テレビ画面に映された番組表から好きなものを選べば良いと言う夢のようなシステムだ。

何件か電気屋を回ってアタリをつけ、年度末の安売り時期に改装セールをやっていたデオデオでパイオニア製をゲット。予備のカセットテープ込みで3万5千円にしてもらった。すぐ近くのヤマダ電気では同じものが4万8千円で売っていた。それにしてもちょっと前までは10万円はしたのでずいぶん安くなったようだ。真っ白な本体はシンプルでボタンも少なく、160ギガのハードディスクが付いている。160ギガと言うのは製品の中では少ない方だったが最長340時間録画出来るとのことで、10時間も録画出来れば良いと思っていた私には充分だった。今から5年後に日本は地上デジタル放送に変わり、その地上デジタル放送対応のチューナー付きじゃないと見られなくなるとのことだったが5年先なんて何が起こるかわからないし、5年間使い倒せば良いと思ったので地デジ対応ではない。

買ってみてどうしてもわからなかった「電子番組表」のしくみがわかった。
電源を切ってそのまま放置している間に、1日数回自動的に番組表を取り込むのだ。だからDVDとテレビの電源を入れてリモコンの番組表のボタンを押すとテレビ画面に最新版の番組が表示される。新聞などのテレビ版は不要。それも番組ごと、時間ごと、ジャンルごとと思いのまま。「英会話」などと文字を入力すれば検索も出来る。さすがハードディスク。何より素晴らしいのはその表示された番組の中から好きなものを選ぶだけで録画予約は完了する。この「面倒くさくない」と言うことは人をやる気にさせてくれる。ビデオの時は余程見たいと思わなければ予約録画なんてしなかったけど、「時間のある時にでも見ようかな」なんて気軽にピッとボタンを押せる。テープを入れ替えたり、巻き戻したり、残量を気にする必要もなく、挙げ句録画した番組がわからなくならないようにメモを貼り付けたりする必要もなく、録画したものはテレビ画面の一覧の中から選ぶだけで見ることが出来る。

そうそう、録画した番組を見ている途中「進む」ボタンを1度押した。すると会話が倍速になってちゃんと見られるのだ。初心者向けの英会話番組などはゆっくり話しているから普通のスピードに聞こえる。しかも見る時間は半分で済む。

世の中は怖いくらい、確実に進歩している。あとテレビ放映の映画録画したものに字幕表示さえつけられれば完璧なんだけど・・・。

2006.04.15

−継続(continuation)−

DVDレコーダーは快適に作動している。ちょっと気になる番組や、「英語」とか「英会話」とキーワードを入れてあるのでそれらに関する番組を見つけたら予約ボタンを押すだけなので気軽に録画出来る。録画して気に入らなければ、また一度見てもう不要だったら、削除ボタンを押すだけである。テープの残量も気にせず、巻き戻しも要らない。もちろん間に録画した番組からでも見ることが出来る。空のDVDに記憶させるまでもなく、ハードディスクだけで充分なのだ。やっとテレビ番組が録画出来るようになったのでTUTAYAでレンタルDVDを借りる回数が減った。

さて春の新番組は4月3日からラジオでも始まっている。
英語学習番組については中学1年程度の「基礎英語T」、2年程度の「基礎英語U」はそのまま。その上のレベルの「英会話初級、中級、上級」は中級がなくなり、「レベルアップ英文法」「英会話初級」「英会話上級」となった。本屋で平積みされていたテキストで研究した結果、4月はとりあえず上から3講座を録音して聞いている。それに毎朝通勤時に「シニアのためのものしり英語塾」改め「ものしり英語塾」を聞く。テレビではイギリスで料理のレシピ本を出版して賞を取った栗原はるみさんが英会話にチャレンジする「3ヶ月トピック英会話」と「英語でしゃべらナイト」を録画。

そうそう、このテキスト。平積みというのは横に寝かせたまま積み上げてあると言うこと。本屋さんの棚に立てて背表紙が見えるように並べてあるのではないから(昔本屋でバイトしてたの。)、スペースを取るので本屋側としては売れる本でなくちゃ平積みはしない。その代わり売れる本なら1メートルでも積み上げることが出来るからかえって効率的なわけだ。1月、2月ともなるとこのNHKラジオ講座のテキストは発売日に本屋に行ってもそれぞれ1冊か2冊ずつしか入荷されておらず、もちろん棚に立ててある。上級のテキストなどは買う人が居ないらしく入手困難だったりする。それが3月末ともなると4月号すべての講座のテキストが平積み!私が感じた限りでは4月号だけは出版部数が100倍以上となる。全国の日本人は「そろそろ春になるし何か勉強しょう」と思い立ち、GW頃になると辞めてしまうのだろうか。本当に、平積みされるのは4月号だけで、GWが終わって発売される6月号は平積みされない。超不思議な現象なのだ。私がNHKだったら4月だけ特集とか何とか言って1冊330円〜350円のテキストを思い切り値上げするかも。そうすればあとの号を半額にしたって儲けは何倍にもなりそうだ。

それはともかく私もいろいろな試験を受けたり資格を持ったりしているけども、その資格を取りさえすればよいと言う例えば無線の資格などと比べて語学は難しい。何て言ったって続けなくちゃならないから。「これとこれを覚えさえすれば」とか「この1冊だけやれば」などと言うものはないし。一夜漬けも効かないし、徹夜も無意味。だから私には一番きつかった。なぜ過去形にするかと言うとまさかマスターしたなんて思っているわけじゃなくて何とか継続する癖がつき始めたみたいだから。だってコトバなんて「オームの法則」とか「フレミングの法則」なんて難しいことを覚えるわけじゃなくて、よちよち歩きの子供でも喋っているのだ。だから趣味や習慣のように継続するしかない。これが私にとっては最難関なのだ。毎日規則正しくやるのは苦手である。もう何度も聞き古された言葉だけど一度に10時間やるより一日30分20日間毎日した方が人間覚えるらしい。私は出来れば10時間を一度にやりたいタチなのだ。

確かに、スキーを1時間しか滑ったことがない人よりも10時間滑ったことのある人の方が絶対上手である。これは誰が何と言おうと、運動神経のあるなしや年齢に関係なくその後上達するかしないかは別にしても例外を見たことがない。だからみなさん、私と一緒に何か始めましょう。始めて、継続しましょう。継続する人がいかに少ないかは本屋のNHKテキストの並べ方だけではなく、市や町の英会話教室でも歴然。どの教室を見てもビギナークラスは満員なのに上級クラスが満員だって話は聞いたことがありません。鹿児島だけかなぁ。

2006.04.19

−運動(exercise)−

そうやって何とか継続している半年ごとの英会話教室に再び参加している。たぶん5期目か6期目(ってことは2年半?)で、殆どの人が私よりも前から続けているからどのくらい継続しているか忘れている。4レベル中一番上のクラスだからか(とは言っても私みたいな低レベルもいるわけだけど)メンバーは殆ど替わらない。2、3人が入れ替わるだけであとは同じ。従って平均年齢は高い。25名の定員もいっぱいになったことはなく、たいていは8〜12、3人の授業である。先生も変わらずオーストラリア人のブライアン。何より安い。値上げされたが半年で2万円を切る。24回だから1回(約2時間)800円ほど。継続にはコストも重要なファクターである。中には高い授業料を払えば覚えられそうだとか、テキストを買い込むことでマスターした気になる人も多いらしいけど、もちろんそんなことはない。仕事が終わってから3分で着替えて駐車場に走り、渋滞をすり抜けた挙げ句数少ない駐車スペースをゲットしなくちゃならないからちょっとハードで面倒だと思うこともあるけど行って後悔したことはない。結構楽しい。

もちろん週に2時間だけで向上するわけはなく、リーズナブルなラジオ講座とテレビ講座を録音、録画して聴き、見る。映画は吹き替え版は見ない。NHKのニュースも副音声の英語で聞く。そうやって貯め込んだエクセルを使ったオリジナル単語帳は2,273単語で、手書きの例文集は15冊目で3,391文に及ぶけど全部マスターしているわけでもないし劇的には向上しない。向上しているかどうかも不明なのでたまにTOEICを受ける。

英語の方はまだ何とか続いているけど運動の方はからきしである。そもそも料理も食べるのも好きだけど動くのは好きじゃないから尚更体重は増加する。糖尿病や脳溢血、心筋梗塞、癌とたいていの病気の要因はまったく同じで、「喫煙、高血圧、肥満」だと聞く。私はタバコは大嫌いで高血圧でもないから肥満にさえならなければ健康でいられそうである。内臓脂肪は少ないけど体脂肪がやばい。そこで運動となる。

ある天気の良い休日に友人が「池田湖一周しよう」と言い出した。運動のチャンスである。私は走るのは苦手だから折り畳み自転車を車に積み、ネッシーだかイッシーだかがいると言う、菜の花マラソンや日本一の大ウナギが見られることでも有名な池田湖に向かう。そもそも私たちは池田湖がどのくらい大きいのか知らなかった。土産物店の前はいかにも観光地と言った風情の整備された道路で、無料の駐車スペースに車を停める。イラストマップを見て池田湖の周囲が15キロだと知った。とりあえず走り出す。私は自転車なので余裕で先に行った友人のあとからトイレに立ち寄り、気分良く自転車を漕いだ。暖かく晴れている。なかなか友人に追いつかない。次の角の先に友人の影を見たと思ったとたん、上り坂だった。とにかくそれから先はずっと、サイクリングではなく自転車を押して歩く山登りとなった。上り坂で引き離され、下り坂で追いつくため友人とは殆ど会わなかった。とにかく一周しないと帰れない。途中は山奥のために湖さえ見えない道が続いた。進もうが引き返そうが車までたどり着くことが必要だった。人も見かけず、自動販売機すらなかった。

結局4時間かかって戻ってきた。距離は25キロくらいだろうか。その夜、余りの太股のだるさに眠れなかった。筋肉痛さえ起こらなかった。運動の継続にはまだまだ時間がかかりそうである。

2006.04.23

−買い物(shopping)−

鹿児島は週末になると天気が崩れる。これってマーフィーの法則?!天気が悪くて予定のない日は図書館に行くようにしているのだが私にもっと勉強しろってことでしょうか。(^_^;)

勤務先の会社が補修工事と外壁塗り直しのため足場と何だか蚊帳状の網で覆われているため外の天気すらわからず、時々ペンキやシンナーの臭い、挙げ句どこかを歯医者みたいに削られる音に悩まされているのに、何とアパートまで補修工事と外壁の塗り直しでまったく同じ状態となった。部屋の前の駐車スペースに車も停められなくなったが大家さんがすぐ近くに駐車場を借りてくれた。今ってそんなシーズンなの?

通常の食品や日用品以外、今年になって購入したのはそのメディカル枕とハードディスク付きDVDレコーダーの次に「讃岐うどん」だった。去年国内線に乗って大阪まで行ったときに機内誌で見つけた物で、うどんのためだけにその地方が開発した「讃岐の夢2000」と言う小麦粉が使われている。私は乾麺はあまり好きじゃなくて下手なうどんならば冷凍の方が美味しいと思っていたのだけれども乾麺ではなくて半生麺だったし、その記事に惹かれて伊丹空港で買って帰った。その記事には空港では伊丹と高知しか販売されていないらしいとのことだった。さっそく食べてみたところもちもちとした歯ごたえとコシが最高に美味しかった。あっという間に食べ終わった。

そのうどんをインターネットのサイトから取り寄せたのだ。会社で麺が好きだと言う同僚と600円の送料を折半し、9人前のセットを2つ購入。9人前と言っても、3人前×3パックなのだが3人前の量が少なくて余裕で2人で食べられてしまう。つまり6人前?!それに濃縮したつゆが9個ついて1,050円だ。同僚は3人前×10セットのお徳用を購入。記載された通りにたっぷりのお湯で差し水をせずに茹でること10分あまり。またまた久しぶりに美味しいうどんを味わった。ちなみにもちもち感がより味わえるザルうどんがお勧め。個人的には茹でたうどんを生卵と混ぜ、醤油なんぞ垂らすのもGOOD。たっぷりのネギを添えましょう。賞味期間3ヶ月の間充分楽しめる。

先週は友達の「お誕生日20%割引ハガキ」にあやかってスポーツ用品店へ行き、汗をかいてもべたつかない素材のTシャツをゲット。登山用品モンベルの商品で2,000円が1,600円。シンプルなベージュだけど、これでヨット用のいかにもアンダーウェアのまま散歩やサイクリングをしなくて済む。一度この手のものを使うと手放せなくなるのだ。スポーツには汗や水分を外に出してくれる素材が便利。べたつかず汗が引いても冷えない。

そして次の買い物が今日届く。amazon.comで予約注文した「ハリーポッターと炎のゴブレット特別版」DVD。市販よりだいぶ安くて送料もかからないのが嬉しい。ここのところ手持ちの「天使にラブソングを」、「ハウルの動く城」、「キューティー・ブロンド」、「チャーリーとチョコレート工場」のDVDを見返して凌いでいたのだ。今晩は何か美味しいものを食べながら、もちろん字幕で映画を楽しもう。

2006.04.27

−diary of exercise−

日曜日は何とか雨が上がっていた。それで急遽おにぎりを作って、レンジでチンした大量のキャベツに豚肉と生姜のそぼろ風を作って乗せ、お弁当を作る。いつものマグにお茶を煎れる。またまた車に自転車を積んで出発。今日は鹿児島の西側、吹上浜へ。鹿児島県の真ん中は鹿児島湾、つまり錦江湾なんだけど鹿児島市のある薩摩半島の西側はもう日本海側で、対岸の大隅半島の東側は太平洋なのだ。吹上浜はGWには砂の彫刻が並ぶ砂の祭典が行われる広い砂浜がある。自転車のチューブを点検してもらった自転車屋さんによるとサイクリングコースもあるようだ。急に晴れて青空となる。

家から車で30分ほどだった。海の近くの物産館で野菜などの即売をやっていたので覗いてみる。「はんだま」と言う、見たことも聞いたこともない野菜をゲット。沖縄など南でしか作られない幻の野菜だそうでほうれん草よりスリムな葉の裏側は何と紫色。ほうれん草の15倍のカルシウムを含み、天ぷらやお浸し、サラダなど何にでも使えるとのこと。ほうれん草のような普通の一束で120円ほど。1本65円の大根と共に購入。

海に出た。すでにお昼なので昼食。何やらまわりではみんな潮干狩りをしている。鹿児島では貝(け)掘りと言う。黙っては居られず私たちも手近な大きめの貝殻で砂を掘り始めた。アサリは思い切り小さかったけど結構夢中になり、空になったお弁当箱に入れる。売っているアサリより貝殻がカラフルできれいだ。中腰のまま懸命に砂を掘るため私には結構運動になった。腕がだるい。まぁみそ汁くらいなら何とか作れるだろうと言うくらいお弁当箱半分ほど採ってから車に戻り、駐車場を移動。サイクリングコースを走ることになった。

友人はジョギング、私は自転車で快適な自転車専用レーンを走った。土産物屋で折り返し。川では何人かが橋の上から網を投げボラの子を採っていた。イカのエサになるので釣具店に売るのだそうだ。途中林の中や白鷺のたくさん居る田んぼを通る。カエルも鳴いていた。何より車が通らないのが快適。池田湖の時と違ってちゃんとしたサイクリングコースなので降りて自転車を押さなければならないほどの坂はなかったがかわりに何とか漕がねばならず、良い運動になった。往復で15キロ弱。

帰りに近くの温泉に立ち寄ることに即決。島津家御用達の秘湯「もみじの湯」に入ってみた。280円。ひなびた湯船だけの温泉だったが鹿児島では珍しい硫黄の香りが立ちこめ、湯ノ花が舞っていた。洗い場さえ充分にはなかったがよい湯だった。しかも清潔で良い感じである。温泉の入り口に茶色い取っ手付きの紙袋に入れてトマトが売っていた。一袋500円。よく見ると真っ赤に熟れたトマトが10個以上入っていたので市内より割安だとこれも購入。さっそく近くの水道で洗ってかぶりついてみたところこれが最高に美味しかった。近頃まれに見るトマトの味がした。きっとその日の朝採ったものに違いない。

翌日はアサリを茹で、ひとつひとつ中身を取り出し、ゆで汁と共にあさりご飯を作った。アサリはかわいそうなほど小さく、殻から出すのがやっかいだったが砂もなく風味豊かで美味しかった。正直、どれがご飯粒でどれがアサリかと言う程度だったがぜひまた採りに行きたい。

アパートからたったの30分でこんなに自然や温泉を満喫出来るなんて東京だったら到底無理。鹿児島ならではの自然を楽しみたい。

2006.05.01

−潮干狩り(shellfish gathering または鹿児島弁で「貝(け)掘り」)−

世間がGWに突入したその日、私と友人は懲りずに潮干狩りに行こうと決めた。今回はちゃんとバケツやシャベルなどの道具を用意する。潮汐表を見たところ幸いにも午後2時過ぎにここ数日で一番の干潮の時刻を迎えることがわかった。−16センチ。朝起きてからご飯を炊き、例によっておにぎりを作る。今日はおやつも持っていこう。朝は雲が立ちこめていたが先週と違って風もなく、薄日が差して暖かだ。30分ほどで吹上浜に到着。結構な人出だった。続々と家族連れなどが到着する。テトラポットの上でお昼を食べながら作戦を立てる。どのあたりが採れていそうか。不思議なことに潮の引いたギリギリの海岸線と、先週掘ったよりずっと岸側に人が集中している。その間には人がいないのだ。お弁当箱を車に置き、代わりにバケツとシャベルを持って私は濡れても良いように短パンにビーチサンダル、友人は長靴に履き替えた。

どんどん潮の引いている波打ち際にはプロっぽい道具を持ったおじさんが多かった。何というかほうきの柄のような棒に、幅1、2センチのリボン状の金属をD字形に曲げた物がつけてある。D字の縦の直線部分中央に棒がついているのだ。そのD字を砂の中に入れて引きずる。カチッと音がしたところでかがんで貝を拾うしくみ。皆同じようにウエストからもその棒を支えるヒモがつけてあった。う〜ん、あんな30センチくらいのD字形で本当にアサリに当たるのか、先週採ったアサリだったら余裕で間をすり抜けて気づかないはずなのである。しかもかれらは丁寧に、畑を耕すみたいにD字形で少しずつずらして砂の上を移動していた。そのD字形の道具を使っていたおじさんの腰につけてある網を見て驚いた。な、なんと先週採った極小アサリどころか、スーパーのアサリや蛤の何倍もの大きさの貝が入っていた。明らかにアサリじゃない。それはバカ貝、つまりアオヤギだった。水深が深いところ、潮が大きく引かなければ私たちが行かれないようなところにはアオヤギが、反対に潮が満ちていても砂浜になっている岸にはアサリがいるのだ。だからその間には人がいなかったわけである。

私たちにはその不思議なD字形道具がなかったのでシャベルと草取りの鎌で相当探したけれどもたった1つしか見つけることが出来ず、しかもすごい重労働にめげて岸よりのアサリ採りに専念することにした。なぜか先週よりも大きいアサリが採れた。アオヤギを採っていた年輩のご夫婦が「コリコリしていて美味しいけれど私たちには堅くて食べられない」と、ツメタ貝をいくつかくれた。子供の頃伊豆の海でカタツムリのようなツメタ貝の貝殻を見つけては喜んでいた。生きてるのを見るのも始めてだったがそれが食べられるなんて始めて知った。調理法も教えてもらった。大きく潮が引いているせいかアサリを探しているといろいろな形のヤドカリや、丸々太った蟹が飛び出してきてびっくりした。アサリが砂の中では縦になっていることを、都会の人たちは知っているだろうか。まぁよく考えれば自分で砂に潜るわけだから横のままでは潜りにくいわけだけど、砂の上に置いて置いたアサリが砂に潜るシーンや、蟹やヤドカリが砂の中に隠れようとするシーンを都会の子供達に見せてあげたいと思った。

結局4時間ほどかかって、私たちは4つの大きなアオヤギと、前回よりも大粒のアサリと、ツメタ貝をいくつか収穫した。駐車場のトイレで手足の砂を落として帰る。鹿児島はこんなに手軽に遊べるところがたくさんあるせいか、GWも予約が必要な大がかりな旅行をする人が少ないように思う。のんびり構えているものだから、すでに年末からGWの予定を立てて予約している都会の人に結局先を越されてしまうのだ。計画を立てず、もちろん予約も苦手で、朝起きてから気分で決めるのは遊ぶ気がないか怠惰だと思っていたのだけれど一番ぜいたくな遊び方なのかもしれない。

マラソンもサイクリングもしていないのに、翌日になっても太股とお尻の筋肉と腹筋までもが痛んだ。一石二鳥と言うべきか。

2006.05.06

World Heritage Site(世界遺産)屋久島 1−

紆余曲折があったものの、結局私は福岡から友人が回航(広辞苑:船をある港へ航行させること。または諸方をまわる航海。)してきたヨットに乗せてもらって屋久島クルージングへ行くことになった。決まったのは当日の午前1時。5時間後に起きて車で指宿(いぶすき:砂蒸し温泉で有名な鹿児島の温泉地)港へ向かう。朝食後8時過ぎに出港。総勢10名。ヨットは38フィート(長さ30.48cm×38=11.58m)。風はアビーム(横風)、6〜7ノット(時速約12km)で快適にセイリングし、途中イルカの群れやトビウオも見て午後3時過ぎに宮之浦港入港。ヨットとしては早い方だ。屋久島に住む同じ部署で働いていた友人一家がお出迎えしてくれた。片付けや整備をしながら翌日の予定を決める。私たちはガイドブックのレンタカー会社に片端から電話してみてこの時期がいかに混んでいるか思い知らされた。ヨットは天候や風に左右されて予定が立たないし、ヨットの中に泊まるので何も予約はしていない。観光タクシーも出払い、観光バスはびっくりするほど高く、定期バスは便数が少なかった。友人が近くにいた漁師さんに聞いてレンタカー会社で直談判し、ようやく10人乗りのバンを翌日1日借りることが出来た。こうなったら昼食場所も考えて置いた方がよかろう。近くの「シーサイドホテル」でお風呂に入り(タオル、バスタオル付¥1.050)、近所で買い物をしてご飯を炊き、豚汁を作り、誰かが魚屋で見つけてきた新鮮な鰺の刺身とあら炊きなどで夕食。みんなでワイワイ食べる食事は楽しい。11時消灯。

翌朝、目覚めた人からそっとヨットを抜け出し、岸壁で散歩。隣に泊めてある漁船の漁師さんが取れたての大きな鯖をくれた。鯖をバカにしてはいけない。屋久島の名物「首折れ鯖」は普通の鯖とは全く別物で最高に美味しいのだ。もちろん首が折れていた鯖ではなくて、釣ってすぐ鮮度を保つために首を折るのだ。夕方散歩した時に見たレストランでは予約制でしかも1匹2,500円だった。1万円分頂いたことになる。朝の7時に、昨日鰺を捌いた友人とは別の友人がすぐさま岸壁に包丁とまな板を用意し、捌き始めた。たいていヨット乗りは食いしん坊なのだ。それがもう、プリプリと身が締まっていて包丁を入れるとぴくぴくとヒレを広げた。夕飯まで待てず、朝食前に岸壁で試食する。脂がのっている高級白身魚の刺身のようだ。残りは皿に載せ、厳重にラップとビニール袋で覆い、クーラーボックスの氷に埋めた。

8時すぎ、レンタカーを借りて来て水汲み。あとはどこか美味しそうな湧き水を汲んで来ようと空のポリタンクを車に積んだ。おやつやジュースも積んで出発!時計回りに海岸線を一周する。屋久島空港を過ぎ、安房港あたりで島の真ん中方面に向かう。目指したのは「屋久杉ランド」だった。観光タクシーの後ろをついて走っていると細い山道の途中でタクシーが停まった。仕方なく後に車を停めると何と道ばたにサルが居た。屋久ザルである。車内は一気に盛り上がり、携帯やデジカメで写真を撮り、サルを観察し、それからはタクシーの動向に気をつけて走る。きっとタクシーが車を停めなければ気づかなかったに違いない場所で屋久鹿も見学できた。本当にバンビと呼べそうな愛らしい子鹿で身体にいくつかの白い斑点があった。

レンタカーの所要時間マップでは1時間30分となっていた「屋久杉ランド」に1時間ちょっとで到着。ランドって言うくらいだからもっと遊園地みたいな、チョロいところかと思いきや、嬉しいことにただ山の中を囲ってちょっと整備してあるくらいの自然のままの姿だった。何せ屋久島は世界遺産である。途中何組か海外からの登山客も見かけた。「屋久杉ランド」のハイキングコースは30分、50分、80分、150分とあり、せめて50分のコースを回ろうと言うことになった。

2006.05.12

World Heritage Site(世界遺産)屋久島 2−

総勢10名の私たちは皆デッキシューズのまま、300円の森林環境整備推進協力金を払ってヤクスギランドに入る。もちろん、禁煙♪ 50分までの2コースは板で階段が作られていたり、石の坂道が造ってあったりと整備されていた。宮崎駿監督の映画に出てきそうな苔むした深い森だ。とびきり澄んだ川の流れる音や、滅多に聞かない鳥の声を聴き、くぐり杉をくぐり、コロボックルが出てきそうな切り株や1000年以上もの時を過ごした屋久杉を堪能した。仏陀杉がなかなか趣深かった。中に精霊とかフクロウか何かが住んでいる雰囲気だ。50分コースを少しそれて、吊り橋を渡ってみたりもした。ヤクスギランドを出てから、そのすぐ先の紀元杉も見に行く。道路沿いのため車で行かれるとあって人気が高い。ここの湧き水、延命水をヨットから持ってきたポリタンクに詰めた。夕飯にこの水で炊いたご飯は心なしか前日より美味しかった。

またまた途中でヤクシカやヤクザルを見つけながら山を下りる。展示館などに立ち寄り、昼食。10人で一度に食べられるところは少ないだろうとヤクスギランドから降りてきたあたりで探して前日予約しておいた薬膳ならぬ屋久膳料理だ。店の名前は「ひらの」と言う。すべて屋久島で採れたものを使った料理とのこと。少しずつ、たくさんの味を堪能した。友人は20数種まで数えたらしいがその後食べるのに夢中になって忘れてしまったそうだ。蕗の佃煮、大根や人参の煮物、はんだまと言う野菜のお浸し、ゴーヤの卵炒め、しめさばとなます、白和え、ポテトサラダ、おきゅうとのようなところてん、山菜、何度聞いても覚えられない植物など少量ずつ楽しんだ後、ヒレを広げたまま揚げたトビウオが登場した。結構大きい。南蛮漬けのようなタレがかけてあり、揚げた春菊のような葉とトマトが添えられている。そして麦ご飯にカメの手のみそ汁。デザートはタンカンゼリーだった。全部で30品はあっただろうか。見た目も美しくきれいで身体にも良さそうだし、とても美味しかった。一気に食べた。

お腹が一杯になったところでそのまま車で島一周のドライブを楽しむ。右上の宮之浦港を出て南下し島中央のヤクスギランドに行ったのでそのまま時計回り。後学のため安房港の姿を写真に納める。海は穏やか、ひと月で35日雨の降ると言われた屋久島も気持ちよく晴れている。海に注ぐトローキの滝を見、土産物屋でタンカンジュース(150円)と屋久島名物屋久島とろろ(大きい芋が入った一袋300円は安い)を購入。ヨットレースではないのでお土産の嵩や重さを気にしないのが嬉しい。尾之間温泉にも立ち寄る。200円。温泉の前には無料の足湯あり。湯船は鄙びたと言う言葉がぴったりで、お年寄りが囲んで身体を洗っていた。熱めで肌がすべすべする良い湯だった。

そして海中温泉のある平内を通り過ぎて大川の滝へ。圧巻である。私が見たことのある滝で一番となった。ゴツゴツした岩を超えて滝に近づく。もの凄い量の水が高い山の上から一気に落ちてくる。水しぶきが気持ちよい。夏場だったら深い緑色の滝壺で泳げそうだ。記念写真のスポットには事欠かなかった。そのまま北上して屋久島灯台を見学。何を隠そう、私は灯台好きなのだ。明治時代に建てられた古い灯台だとのことだったが白くピカピカに塗られていてきれいだった。丸く、コロンとした形も気に入った。一周すると当然の事ながら海に突き出ているために下は断崖絶壁。吸い込まれそうな海だ。この灯台は地図上で屋久島の左、西側にあたる。

最後に海亀の産卵地で有名な永田浜を抜け真上、つまり北側の一湊(いっそう)港に寄る。ちょっと天候の悪い時でもヨットが停泊するにはよさそうな港だ。係留していたヨットの人と話した。こうやってヨット乗り同士情報交換をしたり、知り合うのも楽しい。そろそろ港に戻る時間である。車にガソリンを入れ、約束通り6時前にレンタカーを返した。レンタカー代2万円も10人で割るので2,000円。昼食やガソリン代、夕飯の買い出しを入れてもひとり1日5,000円の観光は充実したものとなった。そう言えばヨットで行ってちゃんと観光したのも珍しい。そうそう、屋久島は観光バスが高いためレンタカーがお勧め。もちろん往復にはフェリーや高速船が出ている。ぜひまた行って、今度は山登りにチャレンジしよう。

翌朝、サンドウィッチとおにぎりを作ってから出航。これまたマーフィーの法則を裏切り、追い風の気持ち良いセイリングとなった。みなさん、ありがとうございました。

2006.05.18

−そう言えば今日はお誕生日(^O^)♪−

奄美地方はすでに梅雨入りしたせいか、鹿児島も毎日ジメジメした嫌な天気が続いている。暑さより、寒さより、湿気が大の苦手。早くもハワイに逃げたい気分。しかもこんな時期にもう台風が近づいている。(^_^;)台風1号。

屋久島から帰って来て次の日曜は、会社の人が鹿児島市内のとある防波堤で1日4、50匹のキスが釣れると言うので行こうとしたけどまたまた雨。掃除をして図書館へ。最近また図書館を愛用?している。今週発売されるハリーポッター日本語版もすでに借りる予約を入れてから、一作前の上下巻も借りてもう一度一気に読んだばかり。久しぶりの寝不足。ホグワーツ魔法学校で学ぶのも羨ましいし、もちろん杖や箒も欲しいし、ダイアゴン横町で買い物したりフクロウ便で手紙も出したいけど、ダンブルドア校長やスネイプ先生の使っている「憂いの篩い」を使ってみたい。憂慮すべき事はとりあえず皆ここに入れておけば細かいことを気にせず、ぐっすり眠れそうだ。J.Kローリングスの発想は素晴らしい。気は持ちようなので一度試してみたい。図書館の学習室はなぜか満員だったので面白そうな本を見て回ってから友達とお茶した。

そうそう、一昨日出勤した時会社の前に救急車が止まった。女性ドライバーが運転する白い軽自動車が左折で原付を巻き込んだ模様。小雨だ。若い女性が途方に暮れて立っている中、原付に乗っていた人を乗せて救急車が走り去った。ほんと、気をつけましょうね。乗用車で左折する際はバイクが左側のスペースに入れないほど路肩に寄せるのが良いかも、と言うのが昼休みの話題。この日、会社に久しぶりの献血車が来ていて献血を受けた。2年ぶりに比重をクリアして献血出来たので歯磨き粉をもらう。すぐ横で警察車両が現場検証していた。

ところでトヨタのシエンタと言う車を正面から見て、どう見てもトトロに似ていると気づいた。あの、「となりのトトロ」だ。一度気づくともうトトロにしか見えない。目と言うか、大きな丸いヘッドライトがトトロにそっくり。私はカーディラーに勤めているのにもかかわらずまったく車の名前には疎いんだけど、ぜひ見てみてください。ボンネットの真ん中にトヨタのマークではなく、シエンタのSと言う文字が入ったヤツです。後から調べたんだけどこの小さく見えるシエンタは実は7人乗りで結構便利そう。あっ、宣伝しているわけじゃないです、別に。まぁ私は新車には縁がなく走れば良いと思っているのですでに4台目の中古車のうち15万円を超えた車はないと言うほどの強者なので。ハハハ ちなみにシエンタは私の車の11倍くらいの価格だった。やはり新車を買うくらいならその分で何か別のことがしたい。

只今私の勤める保険課では欠員ひとり分の補充が埋まらず(課長と私ともうひとりなんだけど)、経験者優遇のパートの応募も殆どなかったので、社員募集している。すでに20名の面接をこなした課長はヘトヘト。損害保険業務と言うのはどうもメジャーでないらしく、経験者がいないのだ。こんなに多くの人がどうしても採用して欲しくて面接に詰めかけていると言うのに社員待遇を断った私はちょっと気が引ける。そりゃあボーナスは魅力的だけどやりたいことがある人は社員にはなりにくい。特に鹿児島の企業は土曜日休みじゃないし、特にディーラーはイベントなど土日が稼ぎどきなわけ。パートでも社員でもない、たった二人きりの隣の課の同僚と話した。「やっぱり人間、好きなことをやらなきゃねぇ」。

2006.05.22

−宿題(homework)−

良いお誕生日でした。同僚からはモロゾフのチョコを頂き、ポストにはジグゾーパズルを組み立てなきゃ読めないバースデーカードとか、A4サイズに引き伸ばしてラミネートされた写真が届いており、別の友人と一緒に手巻き寿司と不二家のケーキを頂きました。みなさま、ありがとうございます。m(_ _)m

台風は熱帯低気圧に変わって逸れたけれども凄い風で、洗濯物が吹っ飛び、布団干しに吊したものまで布団干しごと3度ひっくり返った。ふー。アパートの外壁塗り替え作業はやっと足場がなくなってすっきりしたけど、まだ物干し竿を支える部分や雨樋を塗るらしい。

TSUTAYAの半額レンタルメールが届いていたので、やっと旧作料金になった「ホワイトハウス2ndシリーズ」と、これまた2ndシリーズの「CSIマイアミ」のDVDを借りにブックスMisumiへ行く。そうそうついでに来月号のNHKテキストを買おうと書籍コーナーを覗いたらやっぱり、4月号は山のように積まれていたにもかかわらず、6月号はそれぞれほんの2、3冊ずつしか入荷されていなくて、もちろん平積みじゃなかった。本当に9割方の人が2ヶ月で諦めちゃうんでしょうか。ナゾ。ラジオ講座のレベル3(レベルアップ英文法)、4(英会話初級)、5(英会話上級)と、4〜5レベルの「レッツスピークイングリッシュ」、朝の通勤時間に聞く「ものしり英語塾」の計5冊を購入。テレビ講座はDVDに録画出来るから、わからなければ止めて見るから割愛。一冊330円と350円で合計1,730円。結構な金額だと思ったけど、これと半年で約2万円の社会保険センターの英会話教室受講料を足しても英会話にかかっているのは月5,000円って言うのは結構リーズナブルかも。有名英会話教室に通ったらン十万だし、金額ではないと自分に言い聞かせる。TOEIC試験の結果も20点くらいしか上がっていなくて自分では少しも上達した気分が味わえないのだけれども、そう言えば英会話教室の先生、ブライアンが「以前だったら違う言い方をしてたよね」と少しは上達を認めてくれた。

その社会保険センターの教室で「単位」を練習した。身長や体重を使って長さのフィートや重さのポンドを日本の単位から換算する。「じゃ、1マイルって何メーターか知ってる?」とブライアン。「1852m!」「?」しまった。きっとブライアンが聞いたのは陸上マイルの「1609m」のことで、ノーティカルマイル、つまり海里じゃない。結局、「じゃ一体どうして同じ単位なのに陸上と海上の長さが違うの?そもそもどうしてその長さになったの?」と聞かれて詰まった。日本語ですら説明が難しいのに、英語でなんて出来ない。結局私だけの来週までの宿題になってしまった。

さて、海里はいたって科学的根拠に基づいており、赤道の長さを円一周の360度で割って、その下の単位が分で1度は60分だから更に60で割ると1852mなのである。つまり地球一周は約4万kmとなる。1海里は緯度1分の長さだ。だけどこれを英語で説明するのは至難の業。(^_^;)更に陸上マイルを調べたところこれまた反対にもともとは結構いい加減なものだと判明。昔ラテン語でマイレとか言う言葉があって、意味は千を表した。一方、人ひとりの歩幅、右足と左足で2歩分をラテン語でパサスと言い、この1パサス(約5フィート)を1,000倍したものがマイルとなったそうだ。確かに計算してみるとほぼ1600mになる。私はこれを一体どうやって英語で説明できるのだろうか。再びナゾ。

2006.05.26

−ホタル(fire fly)−

ついにホタルを見てきた。鹿児島県鶴田町。市町村合併でさつま町となった地区だ。奥薩摩と呼ばれるくらい、熊本県寄りの、鹿児島でも田舎である。ついに、と書いたのは数年前、東京から来た課長が「一見の価値がある」と課で企画してくれレンタカーまで借りてみんなでワイワイ行ったのだけれども雨で川が増水して見ることが出来なかった。その後何回かトライしたのだけれど、どうも東京者の私が考えるとホタル=夏で、つい予約の時期を逃してしまっていた。今年は卓上カレンダーの4月に「ホタル予約」と書いて置いた。ホタルを見ることが出来るのは5月、しかもわずか2週間なのだ。予約初日の予約開始時に電話し、予約番号3番を確保した。

ホタルごときを見るのになぜ予約が必要か、その地域に行けば見られるのではないか、とお思いの方が多いと思う。実はそのホタルは舟から見るのだ。つまり乗船予約が必要なわけ。船ではなく舟と書いたように、公園の手漕ぎボートをもう少し長くしたくらいの何でもない舟にぎゅう詰めで20人が座る。長い棒を持った船頭さんが前後にひとりずつついてくれる。町は10艇の舟を持っているから一日の定員は200名となる。

家から2時間近く車で走って「あび〜る館」と言う温泉とプールと売店とレストランとが合体したような施設に着く。そこで受付を済ませ、ライフジャケットを受け取り、番号順にバスに乗る。10分間バスに乗っている間にホタルは平家蛍より源氏蛍が小さいこと、何年も幼虫時代を過ごし成虫になると露を飲む以外何も食べないこと、ホタルは15度から30度の気温で活動し30度を超えると体力が保たないことなどを教えてもらう。バスで説明してくれたおじさんを始めどこに居る「STAFF」ジャンバーを着ている人もプロっぽく慣れてはおらず、手際がよいとも言えなかったが暖かみのある手作りのイベントって感じだ。ホタルはオスももメスもほぼ同じように光るらしい。

川縁でバスを降りた。午後8時前くらいであたりはだいぶ暗くなっていた。ホタルが飛び交っている。これだけ見られればわざわざ舟に乗る必要があるのかと思うほどである。もの凄くたくさんの数だったがあまりにもはかなげな光で、どうあがいても写真撮影は出来そうもなかった。さすが日本人と言うくらい皆行儀良く順番に並んだ。舟に座り、船頭さんの紹介があった。ディズニーランドと違って、前の舟が見えなくなり声も聞こえなくなるくらい充分な間隔を空けてから出発した。出発と言っても船頭さんが棒で岸を押すだけで後は流れに任せてゆったりと漂うのだ。

声を出すのがはばかられるくらい、静かだった。そしてすぐに「うわっ」と息を飲んだ。それはホタル見物と言うより、何かの芸術作品のようだった。川の両岸の、たぶん木か草の上にびっしりとホタルが居て端からゆっくりと光のウェーブが繰り広げられていた。係りの人が言ってた「今日はウェーブが出てる」の意味がわかった。ウェーブしているのは紛れもなくホタルなのだ。数も半端じゃなかった。クリスマスツリーのイルミネーション用豆電球がまばらに感じられるほどと言えばおわかり頂けるだろうか。それがゆるゆると下っている舟の両岸にずっと続いている。どのくらいの数のホタルか、には誰も答えられないようだった。何万匹、いや何百万匹、それ以上の数だと思う。一匹のホタルが飛んできて前の人の背中に留まって点滅し始めた。おかげで充分に観察出来た。ふわふわと飛ぶホタルは決して何か他の虫のように攻撃的には飛ばず、舞うと言う表現がぴったりだ。舞っているホタルの下に手をさしのべてみたけれど、触れるほど手を近づけても逃げもしなかった。

約2キロの幻想的な旅が終わった。何より印象的だったのは町の人の声だ。この期間、川岸の住民は私たちがホタルをよく見ることが出来るようにと家中の電気をつけず生活しているそうだ。しかもそれに文句を言うばかりか「こんばんは。今日はよく見えますか?また来てくださいね。」と散歩をしながら声をかけてくれた。暖かい声だった。だから私もアンケートにちゃんと感想を書いて渡して来た。ホタルの保存はきれいな水だけでなく、空気だけでなく、環境にまでも配慮しなくちゃならないけど、本当にいつまでも続くと良い。

2006.05.30

−大掃除−

まだ5月だというのに、南九州はすでに梅雨入りしてしまった。五月晴れはどこに行ったのだ。humid(湿気の多い、湿っぽい)も、muggy(蒸し暑い、うっとうしい)も大嫌いだ。どんなに暑くても良いから湿度だけ下げたい。再びハワイ行きたい病、発病。と言うわけで何とか晴れ間の覗いた週末に大掃除をする。私は個人的には年末の大掃除は合理的ではないと思うので賛成出来ない。年賀状も書かなくちゃいけないし、何もかも慌ただしい、しかもあの寒い時期に楽しくない掃除をするなんて不適切だと思うのだ。大掃除はこの時期、梅雨入り前が一番!

まず普段の洗濯をしていつものように掃除機をかける。掃除は嫌いなので無理しない。この日は風があって洗濯物が良く乾きそうなので干場所を確保してカーテンも洗う。少なくとも年に一度はカーテンも洗うのがオススメ。もちろん洗濯機にかけられるもの。カーテンがきれいになったのでついでに少しガラスも磨こう。それから買い物に行って補充の洗剤やガス台の五徳下に敷く銀紙、脱臭剤などを購入。

別の日に気になっていた流しの下。ものを全部出して敷物を捨てる。掃除機をかけて隅に殺虫剤をかける。しばらく風を通し、買って来た虫除け効果のあるマットを敷き詰める。ついでに鍋なども洗う。ガス台の下には使い捨ての牛乳パックを敷く。いつでも捨てられて便利。ついでに流しも少し磨くか。

またまた別の日には冷蔵庫の整理。一段ずつ出して段やポケットも取り外して洗い、きれいに拭く。ついでに食品も整理する。放置されていた脱臭剤を捨てて新しい物と交換。ドアや取っ手もお忘れなく。

そしてさらに別の日、食器棚にしまっておいた大好きな調味料類を整理。賞味期限が切れているものを捨てて、冷蔵庫に新しく出来たスペースに並べた♪これからのシーズンは劣化を防ぐためにも冷蔵庫が良さそうだ。今度ハワイに行ったら新しい調味料も調達しなくちゃ。ちなみに常備しているのはナツメグ、キャラウェイシード、クミンシード、ローズマリー、スィートバジル、ハーブソルト、クローブ、ピクルスミックス、レモンペッパー、そしてサフランなどなど。最近知り合いがフランスへ旅行して来てプロバンス風のハーブを買ってきてくれた。それがまたいろいろなドライハーブがミックスされていて「一振りでプロバンス風」になる。ピザにトマトを敷き詰めて焼いてその上に振りかけたり、オリーブオイルと黒酢でドレッシングを作って新タマネギのマリネを作ったらこれまた最高。おっと、掃除、掃除。

まぁ、きれい好きな人なら普段からそんな掃除をしているのだろうけれど久しぶりに気持ちがよい。これからのシーズンは食べ物も傷みやすいし、食中毒の心配もあるのでまな板も交換。白いプラスティック?製のもので安売り店で500円で買える。この際潔く交換する。

今年の目標は"more active, more progressive"で、年始にハワイから帰って以来、以前から見に行こうと思っていた菜の花マラソンや鶴を見に行き、久しぶりにTOEICの試験を受け、枕を新調し、ハードディスク付きDVDも購入、念願の川下りホタル見物で感動した。予定になかった屋久島も堪能した。来月のカレンダーには「ラッキョウ漬け」と書いてある。さて、空き瓶を整理して八百屋をリサーチするとしよう。

2006.06.04

−フライドポテトとポテトチップス−

土曜日は晴れたので大掃除の続きに布団を全部干し、シーツや枕カバーを洗い、ベッドを移動して掃除機をかけ、布団に掃除機までかけた。ちょっとすっきり。

朝、ゴミを捨てようとしたらアパートの前に軽自動車が寝ていた。完全に横倒し。どうやら角を曲がる際に前方不注意でトラックに追突したらしい。横倒しで下側になっている左側はガラスが割れて車内に散乱。誰かが中に入って起こせるかどうか点検していた。幸い会社へ行く頃にはレッカー車へ乗せていた。大事には至らなかったらしい。そう言えば先日の免許更新の講習で、この鹿児島でさえも年間12,000件、月1,000件以上もの人身事故が起きているとのこと。オー!みなさん、お気を付けくださいませ。

会社に通称ラクダちゃんと言う子がいる。制服は5号(標準のMサイズは9号)という細さで、車のパンフレットの束を楽々3つも肩に乗せて運んでいる。彼女がなぜラクダちゃんかと言えば「砂漠に行ってラクダに乗ること」が夢なのだ。世界の砂漠にそりゃあ詳しい。一番行きたいのはアラビア半島だとかで、そのため英語の他アラビア語も学びたいと私と同じ英会話教室に通い始め、NHKのアラビア語講座を見ている。趣味は絵描きで、ご飯よりポテトチップが好きだという変わった子なのだ。「パンが買えなければお菓子を食べればよいのに」と言ったマリーアントワネットの風情。お弁当を食べているときにポテトチップスを見せると少女漫画みたいに目がキラキラする。彼女が貧血のためか昼休みに立ちくらみを起こした。みんなはレバーを食べることを勧めたがラクダちゃんは好き嫌いが多く、食べられないと答えた。

その夜の英会話教室で「ダイエットと運動」がテーマになった。ファーストフードとジャンクフードの話で、ラクダちゃんを思い出した。フライドポテトとポテトチップスの話になる。面白いことに日本ではフライドポテトとポテトチップスと呼び、アメリカではそれがフレンチフライとチップスとなり、何とイギリスではチップスとクリスプ、オーストラリアでは両方ともチップスと言うのだそうだ。オーストラリア人のブライアンはフライドポテトをポテトチップスと区別するために「ホットチップス」とも言うと付け加えた。まぁもとは同じジャガイモなんだけどずいぶんと違うんだけどなぁ。イギリスのチップスに至っては間違えそうだ。だから「フィッシュアンドチップス」にはポテトチップスじゃなくてフライドポテトが付いているのかと妙に納得。

ラクダちゃんは朝ご飯は食べる時間がなく原付で飛ばして出勤しギリギリに到着しているけど、ヨット乗りは朝に強いしとにかく私には7:45から15分のラジオ番組を通勤の車の中で聞くと言うきまりがあるので始業3、40分は早く会社に着く。朝ご飯はサンドウィッチ。コーヒーと野菜ジュースとか最近はグレープフルーツなども食べている。お昼はラクダちゃんと一緒にお弁当を食べる。彼女はお母さんが作ってくれたもの、私は朝玄米と粉寒天を混ぜたご飯を炊いて弁当箱をなるべく野菜で埋め、デザートにカスピ海ヨーグルトを持っていく。夕飯にも必ず野菜や酢を食べるようにしているし、薄味を心がける。結構健康的な食生活をしていると思うんだけど少しも痩せない。夕飯の後のチョコレートなどのデザートと、摂取カロリーを消費するための運動が足りないせいだろう。(^_^;)

ポテトチップスの話で盛り上がった後、英会話教室でパートナーと理想的なメニュー作りをした。
野菜の煮物(boiled vegitables)、玄米(brawn rice)、豆腐とネギのみそ汁(miso soup with greenonion&tofu)、刺身(sashimi)、キュウリとワカメの酢の物(vinegered food with cucumber&seaweed)、そして緑茶(green tea)。これに鉄分の多い一皿を加えてラクダちゃんにも勧めてみよう。

2006.06.08

−減量(diet)−

今月はラッキョウ漬けの他にやることがあったのだ。
減量である。1年ぶりの身体検査が迫っている。ここ何年か確実に私の体重は1キロくらいずつ上昇している。このままいけば今年もその記録を更新することになる。相当マズイ。愛用の体重計には体脂肪計と内臓脂肪計が付いており内臓脂肪は「5」で全く問題のない数字。多いのは体脂肪なのだ。これを何とか燃やして体重を下げなければならない。

食事は問題ないと思う。朝食は食パン1枚に野菜やチーズを挟み、コーヒーと野菜ジュースかグレープフルーツ半分。お昼はお弁当を持っていく。発芽玄米と粉寒天を入れて朝炊いた少量のご飯に黒ごまを振り、なるべく野菜多めのおかずを詰める。デザートにカスピ海ヨーグルトも持っていく。夕飯もお弁当を作った残りのご飯少量におかず。料理のテーマはお酢と野菜と薄味。蒸した野菜に手作りポン酢とかサラダに手作りドレッシング、おかずが物足りなかったら納豆や豆腐を加える。もちろん肉や魚も食べるが脂っこくないものを少量。そして飲み物は極力お茶。会社にもハワイで買ったマグにジャスミンティーを入れて持っていく。自分で言うのも何だが、糖尿病のS氏にも匹敵するかと言うバランスのはず。

食事に問題がないとしたらやっぱり運動しかない。運動は苦手である。あの、モルモットみたいにベルトコンベアーの上を走るとか止まったままの自転車を漕ぐスポーツクラブなんて言うのがどうしても解せないのだ。やる気になれない。と言うわけで掃除を片づけた日曜日の夕方、友人がモルモットしに行くというので一緒に行き、私は併設のプールで泳いだ。30分くらい、これ以上ゆっくり泳げないほどの速さで400メートルほど泳ぐ。泳いだ後は水着のまま入れる温泉に浸かる。心地よいが毎日のようには通えない。やっぱり継続するにはもっと簡単な、ウォーキング程度が良いだろうか。

次の日曜日は私が勤める車のディーラーで展示会があった。歩いて覗きに行ってみるか。通勤には車で30分程度かかる。距離は確か12キロくらい。それを歩いたらどれほどかかるのだろう。お茶とタオルを持って、嫌になったらJRで帰ってこようと言うくらいの勢いで出掛けた。幹線道路まで出ると道路に沿って緑豊かな遊歩道が続いている。この日は風もあったし緑の中は気持ちよい。南国特有のデイゴの花が咲き、珍しい鳥が鳴いていた。荷物はウエストポーチのみ。なるべく腕を振って歩く。途中スーパーと大型電気店を覗いたものの何とか会社にたどり着いた。歩いていた時間は2時間くらい。普段歩かない鹿児島の人たちには驚かれたが普通に歩いただけだし、ヘトヘトってわけでもない。一通り展示会を見てお昼に近所のファミレスでサラダとトーストを食べ帰りはJR。駅からアパートまでもう3,000歩歩いて結局この日は20,666歩歩いた。1日1万歩必要だと良く聞くけど普通に歩いた場合、1時間では1万歩にはならない。何回かに分けても合計1時間10分以上は歩く必要がありそうだ。1日1時間以上歩くのも結構キツイ。

ウォーキングも楽じゃないと言いつつ、その後2日間脚の筋肉が抵抗している。筋肉痛とまではいかなくても筋肉が突っ張った感じ。ラジオの英会話番組でも英語の筋肉を鍛えなくちゃいけないと言うが身体はもっと鍛えなくちゃいけないらしい。(^_^;)何かもっと手軽で楽しい方法、ありませんかねぇ。

2006.06.13

−週末(weekend)−

鹿児島地方は5月から梅雨入りしたものの、あれ以来まとまった雨は降らない。おかげで「降らないうちに」とやった洗濯や掃除がはかどった。今のところ気温も30度を超えず、まずまず。当てがはずれたのはプランターの水やり。ブーゲンビリアの鉢も、ベンジャミンの大きな鉢も、野菜不足のお助けワケギまでもがカラカラ。そして桜島の噴火活動が活発になっている。51年ぶりとかの新たな火口が見つかったとのこと。昔は市内にもパラパラと灰が降り、昼間でも薄暗い時があったそうだ。最近はめっきり減っているとのことだが対岸の鹿児島市内には降らないで欲しい。活動が活発になるならいっそハワイ島の火山みたいに溶岩流が見られれば良いのに・・・?!

ところで、アパートの隣の部屋のお兄ちゃんは毎日洗濯している。それでもって洗濯機は二層式。これがまた凄まじい音を立てていた。使うたびに崩壊しそうな音。絶対に壊れていた。そこいら中水があふれているのだ。しかも二層式なものだから(みなさん、二層式洗濯機の使い方、知ってますかぁ?)、つい水を出しっぱなしにする。何度かそおーっと行って止めてあげた。1階のお隣り同士なのでわずかベニヤ一枚の仕切があるだけなのだ。車も買い換えているし、毎日同じ時間に規則正しく会社に行っているし、休日も洗濯してその後はコンビニかほか弁で弁当を買ってくる。あまり遊びに行かない。たまに私と同じレンタルビデオ屋のレンタル袋を持って帰る程度。何せ私の部屋の前に私の車とお兄ちゃんの車が止まっているので始終顔を合わせるのだ。買い換えるお金はあるはず。19,800円とかの安売り全自動洗濯機が載っている電気屋のチラシでも洗濯機の上に置いといてあげようかと思っていた矢先、お兄ちゃんは自分のRV車に洗濯機を積んで帰ってきた。ついに買い換えかと思ったら誰かからのお下がりらしい。結構倹約家かも。持ち主らしき人と一緒に取り付けていた。これでしばらくは騒音にも悩まされず、地球環境のために水を止めてあげる心配もない。メデタシ、メデタシ。

ちょっと天気のぐずついた週末に貯まった英単語の入力をした。マイ単語帳は2,000語を超えもうすぐ2,500語。その辺の市販の辞書と同じ量になりそうな勢い。ただし私の覚えたい単語限定。エクセルで入力し、ソートをかけてABC順に並べ替え、見直して印刷する。アルファベット順にインデックスを付け、透明のクリアファイルをB5サイズに切った表紙と一緒にクリップ留めして完成。これをもう何度繰り返したことか。覚えておきたい単語が出現した都度どんどん手書きで書き加えておく。手書きが貯まってきたらまた同じ作業を繰り返すのだ。何度も調べてしまった単語は太文字にするとか、それでも覚えられなければ赤文字にするとか印をつけている。その単語と間違えそうな単語も注意書きとして記入しておく。何せ「マイ単語帳」なので自由自在。同じ単語を何回もひくなんて、自慢じゃないけどザラである。入力して印刷する前に復習を兼ねて始めから見直す。たいていいくつか、同じ単語が入力されている。削除。ふーっ。

土曜から日曜にかけて手書き12ページ分を思いの外早く入力出来たので自分へのご褒美に半年ぶりでマッサージを受けることにした。でもただ受けるだけじゃつまらない。お茶とタオルをウエストバックに入れ、万歩計をつけて駅まで歩き、JRで行ってみよう。駐車場の時間を心配をすることもなく、しかも運動になる。マッサージを堪能し、久しぶりのウィンドショッピングをする。ここのところスーパーでしか買い物しないから無印良品でさえ高く感じた。帰りも駅からもちろん徒歩。この日歩いた歩数、8,956歩。ゲットしたもの、お気に入りのハーブティーと真っ白な大きめカフェオレボール兼スープカップ。

2006.06.18

−健康診断(medical exam)−

雨の多い、本格的な梅雨だ。鹿児島はまだしも沖縄はずっと雨雲に覆われ、土砂崩れが続いている。

健康診断の日がやって来た。前日は金曜日なので、英会話教室から帰って慌てて雑炊を作って掻き込み、何とか9時までに食べ終えた。ここで5分過ぎたら血液検査の結果はどう変わるのだろうか。

最近は人気の病院の、しかも希望の日の検査はなかなか予約できず、去年日にちが決まらず懲りているから会社から連絡が来る前に自分で予約しておいた。半年待ちなどザラで、すでにもう今年中の予約は出来ないそうだ。健康診断も侮れない。朝から昼まで半日かかるので土曜日にゆっくり受けたい。

病院の名前は「相良クリニック」と言う。鹿児島では結構有名な病院で、特に乳ガンの権威らしい。私の気に入ったのは雰囲気。実を言うと「相良クリニック」は「相良病院」とは別で人間ドッグなどの検査専門ビルがある。だから風邪で咳をしている人も居なければ病院独特の消毒集もなく、かわいそうなほどいかにも具合の悪そうな人や、そう言えばお年寄りも見かけない。受付を済ませた後ロッカーの鍵をもらい、スポーツクラブよりもきれいな部屋で検査着に着替える。持ち帰りできる専用スリッパも付いている。ビル内は1階のカフェを除きすべて検査室なのでカルテの束を持ってあちこち移動するが腕には名札を付け、検査の度にフルネームの確認がなされる。安心感がある。どこの待合室もきれいで静か。テレビとソファに雑誌が置いてあり応接室のようだ。一面のガラス窓から外も見渡せる。検査後にお医者様からそれまでに作成されたレントゲンやエコー検査の写真を見ながら総合的な診断が下され、10日かそこら過ぎた後にファイルされたカラーコピーの検査結果が送られてくる。私は3年前からこの病院で健康診断を受けているので前年との比較も載っている。

この費用が会社持ちなのだから有り難い。昔は仕事中に会社近くの病院に行っていた。小学生の身体検査並の内容だったからほんの20分ほどだったし、「問題ありませんね」と言うだけの医者にはどうも不信感があった。相良クリニックに変えた当初は基本検診に自費で婦人課検診をプラスしていたがいつの間にかそれも含まれるようになった。去年と比べて含まれていない検査があれば自費で加えてもらうことにしている。病院に何度も足を運ぶのはやっかいだし、この時でなければたぶん具合が悪くない限り病院には足を運ばないからだ。

視力は裸眼が0.1、矯正視力0.5と0.6。少し落ちたけど仕方ない。聴力はすこぶる良いそうで地獄耳かも。懸念していた体重も去年よりは1キロくらい減っていて褒められた。ここ1、2週間の摂生が効いたらしい。血圧も71−105で完璧。去年?マークの付いた甲状腺の腫れも消え、2ミリずれていた?心電図も戻ったとのこと。よくわからないが正常値なら良い。ただ新しく別の問題も発覚したようだ。検査を受けていなければわからなかったわけだし、まぁどうしようもない。結果が送られてきて深刻な問題がなければ今年もOKってことにしよう。

健康診断を受けていないみなさま。たまには受けましょう。どうしても嫌な場合はせめて献血へ。血圧も測ってくれるしある程度の数値もわかって一石二鳥です。(^_^;)

2006.06.22

−Lunch at the "Maman Dining Maki"−

そうそう、その健康診断なのだけれど体重と身長から割り出すBMIと言う数値がある。まず身長(m)×身長(m)×22で標準体重が出る。反対にBMIを求めるには体重÷身長(m)÷身長(m)となる。標準体重の計算式からわかるとおり22が標準だ。ちなみに18.5以下なら痩せすぎ。25を超えると肥満となる。私はぴったり22で、BMIからすると完璧な標準体重なのだがどうも解せない。これには老若男女の区別もない。どうひいき目に見ても私が標準とは思いにくい。だって身長1.53mの私だと56キロまで太ってもギリギリ標準値なんてこと、ある?44キロ〜56キロなんて幅有りすぎ。う〜ん、標準値は嬉しいけどフクザツな気分。問題は体脂肪なのだ。

健康診断が終わってランチ。待ち合わせた友人とせっかくだからどこか新しい店に行きたい気分だった。そこで以前同僚に聞いた自然食の店を思い出した。掲題の店だ。鹿児島にはこういう類の店は少ない。せっかく体重も減っていることだし、今更増やす手もない。メールをするとすぐに返事が返って来た。そこは近くだけれども行ったことのない商店街で、私の好きな「ナリザワ」(鹿児島では珍しく輸入食材なども置いている食料品店)の店のひとつがあった。その前のビルの、教わらなければわからないような2階の小さな店だった。実際、ガラス張りの店を覗いてもカウンターでコーヒーを飲んでいる客がひとり居るだけでランチを出しているかどうかも疑わしいほど。

3つしかない重厚な木のテーブルのひとつに座ると香りの高い、今時珍しい番茶が粉引の茶碗で出された。
ランチはオリジナルとヘルシーの2種類。それに野菜カレーがある。オリジナルランチにメインディッシュがついたものがヘルシーランチだそうで私たちはそれをひとつずつ注文した。オリジナルランチは400キロカロリーに押さえてあるそうだ。肉や動物性脂肪は一切使っておらず、遺伝子組み換え食品も使用していないとのこと。野菜は有機栽培と言う徹底ぶり。店の隅には乾燥ワカメや玄米などの自然食も販売されていた。

私たちが着いたのは正午より数分前だったのでそれから何組かの客が現れてすぐに満員になった。外国人の若者がひとりカウンターに座る。どうやら常連らしい。そう言えばハワイに居た時、ベジタリアンが多くて驚いたことがある。もともと野菜ばかり食べていた日本人にベジタリアンが少ないのは不思議と言えば不思議だ。

屋久杉の箸と箸置きが置かれた。玄米のご飯に黒ごまをかけたもの、お椀に入った野菜スープ、4品が盛られている長細い皿、これがオリジナルランチで、これにもうひと皿付いたのがヘルシーランチだ。4品とは細いタケノコをスライスしてキンピラ風にしたもの、小松菜のお浸しにゴマソースがかかったもの、切り干し大根のような大根、そしてごま油の香りがついた美味しいワカメ。玄米は香りと歯ごたえが良く、スープはトマトやズッキーニも入っていて充分な一食だった。ヘルシーランチのもうひと皿には水菜の上にオリーブオイルでソテーしたと言うキュウリに赤タマネギとフレッシュトマトで作ったサルサソースがたっぷりかけられ、この店の名物らしい何やら大豆蛋白質の揚げ物、そして小皿には厚揚げと人参の煮物が載っていた。キュウリのソテーなんて見たことも聞いたこともなかった。ボリュームもたっぷりでしかもヘルシー、更にどの料理もすこぶる美味しい。これが630円と1,050円ではあまり儲かってはいないだろう。しかも食後に有機栽培のコーヒー付きだ。

食べながら作り方などを教わり、ランチに使ったという肉厚で美味しい乾燥ワカメを買った。こんな店で野菜料理のヒントを頂くのも悪くない。普段のメニューに加えて、とりあえず体脂肪減少と行きたい。

2006.06.26

−Supersize Me 1−

この健康問題が騒がれている中、英会話教室で掲題の映画を観た。レンタルショップでDVDのパッケージを見たときには何か、コメディか何かだろうと思って見ていなかった。それがドキュメンタリーだったのだ。

健康問題はアメリカではより深刻らしく、著しい肥満化が進んでいるそうだ。州によっては人口の半分以上の人が体重オーバーらしい。確かに日本人から見ると「どうしてここまで太れるの?」と言うくらいびっくりするような人がたくさん居る。日本人だと「そんなにたくさん食べた人が悪い」となりそうなものだが、あちらではファーストフードの店そのものがやり玉に挙げられるのだ。ある14才と16才の少女がそこでマクドナルドを訴えた。身長140センチかそこいらの少女の体重は、少女達によるとマックを食べ過ぎたおかげで100キロを超えたらしい。結局「太ったのはマクドナルドだけのせいである」と言う立証は出来なかったが多くの学者や専門家はマクドナルドを責めた。

そこである男が立ち上がった。「スーパーサイズミー」の主人公である。彼は本当にマクドナルドが体に悪いのか試すために自らの身体を賭けて1ヶ月、マックだけで生活すると宣言した。始めにあらゆる検査を受け、彼がいかに健康であるかが証明された。身長188センチ、体重81キロ。体脂肪も血圧も血糖値も視力もレントゲンも血液検査も何もかも珍しいほど正常値だった。様々な医者がサポートについた。一緒に住むベジタリアンの彼女は彼のために見るからに美味しそうな野菜のキッシュやサラダを作って挑戦前日に励ました。

掟は簡単。毎日毎食マクドナルドで食事をする。とにかく薬もビタミン剤も何もかもマックで売っていない物は口に出来ない。知らなかったがマックにはミネラルウォーターも売っているらしい。そしてメニューすべてに一度はチャレンジする。平均的アメリカ人の生活にならい、1日5,000歩以上歩いてはいけない。店舗は思ったより多く、ニューヨークのあの狭いマンハッタン島内に何と80店以上あるそうだ。空港、ショッピングセンター、何と病院の中にまであったマックを映画は皮肉った。

映画の題名「スーパーサイズミー」とは、マクドナルドで注文した時に「スーパーサイズはいかがですか」と聞かれることに由来する。彼は聞かれたら素直に「お願いします」と言うことに決めた。そして1ヶ月間で9回勧められ、食べた。1Lは入っていそうなバケツのような清涼飲料水のカップと、箱かと思うほどのフライドポテトだ。

まず挑戦を始めて3日目で気分が悪くなった。それから本当に絵に描いたように坂道を転がり落ちるように体調は悪化し、定期的に受ける健康診断でも医者が「これほどまでになるとは」と驚くほど数値も悪化した。やらせではなさそうだった。心なしか髪の毛が薄く、老けて見えた。血圧も血糖値もそして体重も鰻登り。主人公は胃の痛みや頭痛、だるさを訴えた。何事にもやる気が起きないらしい。糖尿病の症状だ。半月ほど過ぎた頃、あらゆる医者達は生命の危険だと中止を勧めた。ベジタリアンの彼女は夜の生活が出来ないと証言した。

2006.06.30

−Supersize Me 2−

その映画は彼の「マクドナルドだけで生活する」挑戦の合間合間に専門家や学者のインタビューが挟まれていた。マックは他で類を見ないほど広告宣伝にお金をかけているそうだ。大手チョコレートメーカーやその他有名企業をダントツで抜き、その額何と年間400億ドル。そのCMが子供達の脳に擦り込まれ、店舗には遊び場や誕生パーティーが出来るイベントも企画され、ハッピーセットには子供達の欲しがるおもちゃをつける。一度子供の脳に擦り込まれた記憶は大人になってからも残り、マックに行くかマックの商品を手にすると子供の頃の暖かな安心感が感じられるのだそうだ。

また映画は子供達の食生活にも言及していた。小学校のカフェテリアでは昼食にコーラとフライドポテトしか食べないような子供がたくさん居た。調理師は見ぬ振りだ。ある小学校では清涼飲料水の自動販売機を撤去してみたところ子供達の集中力が増し、問題児が減ったと言う。別の小学校では昼食に、野菜たっぷりの揚げずに焼く調理法を用いて手作りしたところ子供達の健康状態が著しく改善されたそうだ。経費は変わらず、手間の問題だった。映画のスタッフが「どうして身体に良くないファーストフード店を構内に設置するのか」たずねたところある学校の責任者は圧力にはかなわないと本音を漏らした。

結局1ヶ月間、彼はマック三昧をやり遂げた。見終わって気分が悪くなった。覚えた単語はTOXIC。「毒物に起因する、中毒(性)の、有毒な」と言う意味である。彼の身体は崩壊寸前、体重は何と1ヶ月で11キロも増えてた。面白いことに挑戦を始めて徐々に上がり、一時は減少する。身体が吸収についていけないのか機能が低下したのだ。そしてその後確実に上昇した。恐ろしいことにあんなに健康的に若かった彼は一気に年を取ったように見えた。髪の毛が薄くなったように見えるのは身体が不調でやつれて見えるためか、脂肪分のせいで抜け落ちたかは不明。

クラスメートと話してみたところ、アメリカ人の街頭アンケートとは異なり、皆ファーストフード店に行くのは年に1,2回程度だとのこと。私も前回食べたのは確かハワイでだ。まぁマクドナルドにだってサラダはあるし、ハンバーガーとサラダにコーヒーか紅茶でも食べていれば良いのではないかとも思ったがサラダにはドレッシングに多くの油が含まれている。マクドナルド側はすべての商品の成分表を公開しているというのでスタッフが調べたところ、インターネットサイトの他はどの店も置いていないか、地下の倉庫や何か積み上げられているような壁の後に1枚貼ってあるきりと言うのが現状だった。映画では毎食食べて気分が悪くなっているにもかかわらず、飽きるどころかまた食べたくなるのだと説明していた。癖になると言うのは手強い。そうそう、彼が1ヶ月の間にマクドナルドで摂取した糖分は13キログラム。その後、マクドナルド側は映画に関係ないとコメントしているそうだがこの映画が公開された後スーパーサイズの発売は中止された。

私が恐ろしいと思ったことのひとつに最後の字幕で彼の体重を元に戻すために要した期間がある。11キロ増えた体重は専門の栄養士やドクターの元で改善されただろうにもかかわらず、最初の9キロに5ヶ月、残りのたった2キロに更に9ヶ月かかった。増やすのは1ヶ月で減らすのは1年がかり。きっとこの最後の2キロは彼が挑戦を始めて最初に増えた体重に違いない。その後一時的に落ち、再び上昇したのだ。再び増えた分は比較的簡単に落とせたけれども最初に増えた分はすでに身体に定着してしまっている。あー恐ろしい。私も何とかもっと減らさなくちゃ。

2006.07.04

−Diet(ダイエット) 1−

と言うわけで、誰がどう考えても体重を減らさなくてはならない。ファーストフードは食べないけど「スーパーサイズミー」のようにはなりたくない。目標は、すでに2キロくらい落ちたからう〜ん、あと4キロくらい。そりゃあ5キロ痩せられたら文句ないけど。とにかく、ここ10年〜20年で先進国の内平均体重が増えていないのは日本人女性だけなのだそうだ。日本人女性は結構自分に厳しいのかも。そこのあなた、お腹の肉をつまんでみてくださいませ。何なら入浴前に全身を鏡に映すなんてどうですか?体重は平均値でも私のように体脂肪が多いってことはありませんか?体脂肪が男性25%、女性30%以上は肥満、ヒマン、ひまんです。fatness,corpulence,obesity,overweight,,,

そうそう会社でもダイエットが流行っている。専務が知り合いの医者から聞いてきたと言う方法なので何となく信憑性があるわけだ。心臓外科医が太りすぎの患者に手術前の1週間で5キロ〜8キロの体重を落とすと言うダイエットメニューだ。そりゃあ脂肪だらけの患者の手術は私が考えてもやっかいそうである。基本は今流行の「脂肪燃焼スープ」。キャベツ1/2個、タマネギ3個、ピーマン1個、セロリ1/2束に水をひたひたに加え、ホールトマトの缶詰1缶と固形スープ1個で作る。塩や胡椒、カレー粉などは入れても良い。このスープはいくら食べても良く、飲み物も砂糖の入っていないお茶やコーヒー、水、スキムミルクなどは無制限。アルコールは不可。スープに加え初日はバナナを除く果物(フレッシュジュース含む)、2日目は野菜(ベイクドポテトも可)、3日目は果物と野菜を食べたいだけ食べる。そうするとここまでで2、3キロは減少するらしい。そして4日目はスープとバナナとスキムミルクでカリウムや炭水化物、タンパク質、カリウムを補給する。バナナもまたいくら食べても構わない。ここまで来たらしめたもので、5日目はスープと赤身の牛肉や鶏肉、魚も食べて良い。トマトも最大3個、ただし水を多く飲む。そして6日目が牛肉と野菜。ステーキも可。最終日は初めて穀類が登場し、玄米に野菜、フレッシュフルーツジュースとスープ。2日、間を置けば何回も繰り返して良いダイエット法だそうである。と言うことは私が今まで考えていた通りに、手術前でもないし一度に8キロも落とさなくて良い人は、やっぱり砂糖と穀類とを減らして野菜を増やせば良いわけだ。

何人かがコピーを取り、さっそくウエスト105センチの部長が挑戦。初日の昼休みに徒歩3分のスーパーにカットフルーツを車で買いに行ってみんなに非難された。ダイエットがどういう物かまるでわかっていない。だけど1日目に1キロ、2日目にもう1キロ減ったそうだ。私は似たようなスープを始終食べているが、トマトの代わりににんにくとごまを加え、中華味にして野菜を多めにして食べてみた。確かに満腹。だけどこればっかりじゃあねぇ。翌日はトマトを入れて細いパスタを少量加えて煮た。味が変わった方が食べやすい。

誰にだって「うっ」と痛い部分はあるわけで、ある人は深夜にご飯を食べていたため「8時以降は食べない」掟を作ったところすぐに5キロ痩せたそうである。だがしかしまだ15キロオーバーとのこと。毎日1、2本飲んでいた缶コーヒーをやめただけで痩せた人もいる。こう言った顕著な例のある方、オススメ。すぐに結果が得られます。まぁ太るってことはカロリーの採りすぎか、採ったカロリーを消費していないかのどちらかだってことはわかり切っているのだが、なかなか思うようにならないのが人間なのだ。

結構多くの人が誤解しているのだがdiet(ダイエット)と言う英単語は「減量する」と言う意味ばかりではない。規定食と言うか、治療のため、もちろん減量のための食事の他に「(栄養面からみた日常の)飲食物」もダイエットと言うそうだ。だったら私の食事は結構ダイエットである。特にどんな料理でも野菜をたっぷり使うように心がけ、塩分控えめ、油控えめ、最近はご飯も控えめにしている。そのご飯には白米に発芽玄米をブレンドし、粉寒天を入れて炊く。お弁当には黒ごまを振る。肉はなるべく油の部分を避け、油を落としながらカリカリに焼いたり、根菜類と煮たり、蒸したりする。キノコ、海草、酢も進んで食べる。厚生労働省が勧める1日ひとり350グラム以上の野菜を採るには一度にキャベツ1個丸ごとなどと言う食べ方をしない限り、根菜類を含めなければ達成出来ない。

私の「うっ」と痛い部分は夕食後のおやつ。つい英語のテープを聴きながら、DVDの映画を見ながらチョコレートやおせんべを食べてしまうのだ。何を隠そう私はチョコレートがなければ生きて行けない。(^_^;)何とかその悪癖を是正し、食後はお茶か果物程度で押さえて2キロ落としたのである。これからは別のことを始めない限り落ちない。

友人がわずか1ヶ月半で4キロほど落とした。彼は敢えて痛い部分には触れずに別の方法を取った。彼の痛い部分はビール。いつものようにビールを飲んでいながらにして4キロ減。彼は消費する方を選んだのだ。私の苦手な「運動」である。市の安いスポーツクラブに週に一度通ってウエイトリフティングやランニング、筋トレをしている。そして夕飯はビールを飲むためお米はなし。コーヒーはミルクと砂糖を入れてしまうのでなるべくお茶。たまに散歩もする。理論的には運動部の学生みたいに丼ご飯を何杯も食べたところでその分消費してしまえば太らないはずなのだ。

2006.07.08

−Diet(ダイエット) 2−

実はその友人に誘われて、ひょっとすると20年ぶりか(>_<)と言うくらいのテニスをした。東京と違って鹿児島は安価で簡単にテニスが出来る。もちろん私も採ったカロリーを消費したかったのでOKした。何を隠そう遠い昔、東京の短大でテニス部を創設したのだ。だから基本的な理論だけは覚えている。ラケットを引っ張り出し、今更スコートをはくわけにも行かず(たぶん入らないだろうし)Tシャツと短パンで、東京でだったらぜいたくな屋内コートでテニスらしきことをした。彼は生まれて初めてのテニスだったそうで、ディスカウントストアで5,000円ほどのラケットを購入し、持ち方は私が教えた。だがしかし、ラリーの後ゲーム形式で打ち合い、負けた。

足が着いていかないのは昔のままだが心拍数が上がり、ゼイゼイと喘いだ。足が鉛のように重く、続けられなかった。体力不足だ。汗をめったにかかない私のTシャツは絞れそうなほどぐしょぐしょ。2時間後、這うように何とかシャワーを浴びてからきっかり48時間、筋肉痛に悩まされた。翌日から痛くならなかったのが幸い。

翌週再びテニスをした時は少しは余裕が出て前の週よりは筋肉痛にならなかった。スポーツジムの運動は苦手だが楽しめそうなものを少しずつやることにしよう。きれいなインドアテニスコートで、しかも清潔なシャワールームが使えて1時間750円。しかも今のところ前の週に電話しても空いている。ここまで自宅から車で10分、駐車場もタダ。東京だったら望むべくもない。

会社の同僚が寒天ダイエットを始めたそうだ。自然食のランチ店も教えてくれた彼女は私のようにご飯に少量入れて炊くのではなくて、100%ジュースなどを使ってゼリーを作り、朝食やデザートに食べる。大いに食べる。確かに私の使い方では1日ほんの1、2グラムで食物繊維の足しにしかならないし、ゼリーならチョコレートやおせんべの代わりになるだろうと私もちょっと奮発して100%果汁の津軽りんごジュースを買ってきた。彼女によるとオレンジジュースなどは安物でも良いがリンゴだけは安いジュースで作ると美味しくないのだそうだ。デザートは寒天にしよう。本屋で立ち読みしたところ出汁の味や生姜味などの寒天を作ればおかずにもなりそうだ。私は彼女に、以前から実行している朝晩毎日体重を量って表につけるだけの「測るだけダイエット」を勧め、昼休みにNHKのサイトから一緒にダイエット表をダウンロードしてカラー印刷した。

別の友人からメールが来た。彼は東京に住んでいるヨット仲間で太ってはおらず、私の記憶ではほっそりしていたはずだったが体脂肪が24%と肥満一歩手前なのに驚き、いかがわしい店に行くお金をスポーツクラブの入会金に充てたとのこと。彼のお薦めは「水」だった。実は運動の次に私の苦手なものは「水」だ。喫茶店やレストランの水に手をつけたことはほとんどない。注文したお茶やコーヒーでたくさん。昔、お医者様から「何でも良いから水分を採るように」と指摘を受けたこともある。最近はジャスミンティーやハーブティー、麦茶などをお気に入りのマグに入れて持ち歩き、だいぶ飲めるようになったがそれでも味のしない水はなかなか飲めない。そう言えばハワイ大学の授業でも「お茶でもコーヒーでもなく、水を1日2リットル飲むように」と言ってたっけ。老廃物を流すためにも何でもどうしても水らしい。次の課題は水かなぁ。どなたか、簡単に飲める方法、知りませんか。

故にdietは、健康とか勉強と同じようにここだけとか今だけって訳にもいかず、出来そうな物から積極的に取り入れて楽しく、美味しく続けるしかない。無理なく1ヶ月に1キロくらい秋くらいまで続けられれば、理想の体重になるはずなのだが・・・。

2006.07.12

−そうめんカボチャ−

あー、ハワイが切れてきた。つまりハワイの効用が、って言う意味。お盆は高いし、年末は去年みたいに航空運賃の高くなる前から行くにはどうもカレンダーがねぇ。そのカレンダーによると年始は連休にしやすいのだけれども10日未満の旅行はせわしくて今一歩乗り気になれない。(^_^;)日本の、この湿気だけどうにかならないものか。

ウエスト105センチだった部長がその一週間の脂肪燃焼スープダイエットを何とか無事に終え、4キロ減ったそうだ。「ほら、見て」とガバガバになったズボンを見せる。確かに拳は2つ3つ入りそうだけど元が太っているからねぇ。もう一度やってあと5キロ痩せるのだと部長は言ったが、ダイエット経験者たちは目配せした。最初に4キロしか減っていないのにもう一度同じ事をして5キロ減るとは思えない。最初の数キロは簡単なのだ。それにお昼を買いに徒歩3分のスーパーマーケットに車で行っていたのでは痩せられない。映画「スーパーサイズミー」の主人公も11キロ増えた体重を元に戻すのに9キロで5ヶ月、残りの2キロに更に9ヶ月かかっている。最近、女性はウエスト90センチ、男性は85センチ以上あるとナントカ症候群とか言ってほぼ成人病なのだそうだ。部長のウエストは20センチは縮んでいない。

私はと言うと4月から毎月ほぼ1キロずつ減っており、良い感じ♪もちろん自然に減っているわけじゃなくて夕食後のお菓子をやめ、週一のテニスか、気が向いたら夜の散歩か、それも出来なかったら寝る前に腹筋をする。何だか最近汗をかく。食事は殆ど減らしていない。夕飯の時のご飯の量くらいかなぁ。この暑いのに食事を減らしたら倒れてしまう。とにかくお菓子を減らして野菜をたくさん採る。テニスは4回目。翌日はまだやっぱり筋肉痛で、お尻から太腿にかけて「ここに筋肉があるよ」って主張している。体重よりも体脂肪を減らすことが最重要課題なので、1日100キロも飛べるミツバチのように脂肪をエネルギーに変えると言う「ヴァーム」を飲んでテニスをしているけどなかなか。まぁ体重の減少と共に体脂肪も徐々に減ってはいるが、体重が標準値でも体脂肪がオーバーと言う未だ悲しい現実。会社の人が「体重が2、3キロと言うとたいしたことがないように感じられるけど肉の2キロ分が減ったって言うのはそりゃあすごい量だよ」と元気づけてくれた。

そうそう「そうめんカボチャ」なるものを手に入れた。ご存じの方、居ますか?そうめんにカボチャを載せて食べるのでもなければ、カボチャを練り込んだそうめんでもありません。れっきとした野菜。楕円形、フットボール型の薄黄緑色のウリのようなものなのだ。じゃ、何でそうめんなのかと言えば加熱すると実がそうめんのようにバラバラにほぐれるらしい。ほほぉ。今まで聞いたことも見たこともなかった。鹿児島あたりにしかないのかも。一節には両端を落とし、中の種を抜いて茹で、水にさらして本当にそうめんのつゆにつけて食べるとのこと。あちこち聞き回った挙げ句、普通のカボチャのように煮て食べたと言う人が何人か居た。で、とりあえず無難な方を作ってみた。そうめんカボチャの煮物。うまくいかなかったところでただの野菜の煮物である。外見は華奢な色合いなのにカボチャと言うだけあって手強かった。堅いのだ。カボチャより薄い黄色で、普通の実。半分は冷蔵庫にしまい、残りの半分の種を掻き出す。実がほぐれやすいように皮も剥いたがリンゴのようなわけにはいかなかった。

愛用の小振りの土鍋に出汁を張り、醤油をたらしていくつかに割った実を入れる。煮ている途中、半透明になった実は箸でひっくり返すと繊維に沿ってバラバラに分かれた。面白い。しかも縦の繊維ではなく横。カボチャのようなほっくりした感じはなくやはり、うり。味もこれと言って主張せず、確かにこの食感が面白い。中華スープに少量入れてもったいぶって出したら、きっと誰かはフカヒレと間違えるはず。ふふふ。残りの半分はそうめんの食べ方にチャレンジしてみたい。

今日は皮を除いたチキンとセロリを酢と醤油で煮てお弁当を作ってみた。食べるものを減らすのではなくて、とにかく野菜メニューを増やして体脂肪を下げよう。

2006.07.17

−珍しく、映画鑑賞−

暑い。梅雨は明けたのか明けないのか、ここのところ35度を上回る天気に辟易。どうやら全国で晴れているのは鹿児島だけらしいが、こんなに暑いのも考えもの。クーラーをドライの26度に設定しているにもかかわらず、お湯を沸かしてコーヒーを入れても、1回分の洗濯物を干しても、干してあった布団を取り込むだけでも何をしても汗が噴き出てTシャツを着替えるハメに。5回目のテニスは珍しく合計1リットルもの水分を補給した。早くシャワーを浴びたくても着ているものが汗で身体に張り付いてなかなか脱げない。おかげで体重は下降したまま増えていない。

発売前から図書館に予約していた「ハリー・ポッターと謎のプリンス」(ハリーポッターシリーズ第6話上下巻)は33人待ちで、それでも思ったより早く順番が回ってきた。今回は「ハリーポッターと炎のゴブレット」(第4話)を映画で見たことだし、待ちきれず一気に日本語版を読んだ。う〜ん。何というか、マニアックに言えば「ロード・オブ・ザ・リング」の前編を見た後の感じ。つまり今一歩最後の場面が気に入らないと言うか、残念だと言うか、ヒドイ。「ロード・オブ・ザ・リング」のガンダルフと同じだと良いなぁ。それにしてもあの人がプリンス?!一体善人なのか、悪人なのか・・・。

そして待ちに待った「パイレーツ・オブ・カリビアン、デッドマンズチェスト」の先行上映へ。初日の朝一番、9:30からの上映10分前に行っても余裕で座れるなんてさすが鹿児島。だけどこれで良いのか。席を決めた後、マイマグを持ってお決まりのスタバでカフェモカをゲット。ジョニーディップ様は相変わらず格好良かったし、大いに楽しめたけれど、こちらもやはり最後の場面が気に入らない。そんなぁテレビドラマじゃあるまいし、次回へ続くって感じで終わっちゃうなんて。そう言えば今回は2作同時に作ったそうだ。次回も楽しみに待とう。

私はテレビは全くと言って良いほど見ないから俳優の名前も歌手も、流行の歌も、化石のようにわからないのだけれど、この「パイレーツ・オブ・カリビアン」の主人公、つまり海賊がジョニーディップだと言うことは知っている。役柄の名前は「キャプテン、ジャック・スパロー」。この人でなきゃ出来ないようなピッタリした役だ。彼は他にも昔のものだったら「シザー・ハンズ」とか、私の好きな「チョコレート」、最近の映画だと「チョコレート工場」にも出演している。たぶん怪しげな雰囲気とキャプテン(船長)気質が気に入ったのだろう。ところがこの映画にはもうひとり、オーランド・ブルームと言う人が出演している。「ウィル・ターナー」と言う海賊の血を引く剣と剣作りの名手。会社の同僚にはこちらのファンの方が多く、ジョニー・ディップの良さが理解できないそうだ。私から言えばただフツーに格好良いだけで味も素っ気もない。ついでに言えばそう言った理由から私はレオナルド・デカプリオなどの映画は見たいと思わず、ハリソン・フォードとかショーン・コネリーのDVDに手が伸びる。古すぎ、か。

まぁ確かに「ロード・オブ・ザ・リング」ではストレートの銀髪をなびかせ矢を射る役柄に憧れていて、あれがオーランド・ブルームだと知ったときは結構ショックだったけど、パイレーツ・オブ・カリビアンならジョニーディップでしょ、やっぱり。終わってからよーく考えたんだけど、実際船の船長に必要なのは「慌てない。騒がない。怒鳴らない。」こと。あのどんな危機にもムキにならない飄々とした姿にほれぼれする。

今月末には去年ハワイでロードショーを見た「ナルニア国物語」のDVDが発売される。ちょっと楽しみ♪

2006.07.22

−Cookingのススメ−

日本人は食べ過ぎだ!と言うのがここ最近の私の感想。昨日、ウエスト105センチだった部長とたまたまお昼ご飯を食べるときに一緒だった。彼は一週間の「脂肪燃焼スープダイエット」で5キロ減らし、その後も減り続けていると言う。今は宴会でビールも飲むし普通に食事をしているそうだが朝晩にそのスープだけは飲んでいるとのこと。その部長のお昼のメニューはみんなと一緒に注文したホカ弁の「鰻丼」550円。土用の丑の日セールなのだそうだ。他の社員が、女性までもぺろりと平らげたなか、部長は「ご飯は全部食べきれない」と言って残した。胃が小さくなったのだろうが、結局その分量で良いと言うことなのだ。子供の食べ残しをつい食べて太ったと言う母親や、昔流行った「その一口がブタになる」と言う標語どおり、適正量を超えて食べ続ければ胃も大きくなり、太っていく。

結構以前から市販の弁当のご飯の量に辟易していた。どうしても市販のものを買わなくちゃならないときは麺類とか、おにぎりとおかずにしていた。やはりあの弁当のご飯はただ多いのだと確信した。しかも味付けも濃く、揚げ物も多い。学生でなければあの量は必要ない。太るはずである。多すぎることはあってもそのご飯の量を半分にしたところで栄養不足にはなるまい。生活習慣病とはよく言ったものだ。先進国では世界的に肥満化が進んでいる。

最近、別の、太った支店の男性社員が健康診断で糖尿病を指摘されてダイエットをしたそうだ。それがまた過激で、彼は1日1,250キロカロリーで充分だと言う結論に達し、夜はキャベツの千切りとビールだけと言う生活をしている。ビールを諦めればもっといろいろ食べられるだろうに。キャベツを一度に半分、千切りにして冷蔵庫で冷やしてパリッとさせ、食べる。そしてなんと40キロ痩せた。

私は美味しい物好きで、そんなに過激には出来ないから余計なものを減らしている。あと3キロも減らせば満足だし。これもダイエットの一種だろう。一週間の脂肪燃焼スープや、玄米と水だけを食べ続けるダイエットもあると聞いたがそれじゃ長続きしないと思う。

ご飯の量を減らした結果、少し困ったことになっている。1合ずつ炊いていたご飯が少しずつ余り続け、最近は雑炊も暑いしもてあましている。それで5合炊きの炊飯器で0.8合炊くと言うやっかいなことになる。目盛りはない。ただ勘に頼るだけ。しかも0.8合の何割かは発芽玄米にし、挙げ句粉寒天を加えると言う細かいワザを使っている。炊いたご飯を冷凍すれば良いのだろうがこの時期、お弁当が心配なので毎朝炊いたご飯でお弁当を持っていく。腹八分目とはよく言ったもので、ほんの少しずつ減らせばストレスもなく満足でき、自然に胃は小さくなる。

幸い、料理は趣味なので苦にならない。近頃お弁当用に作ったものはきんちゃく。熱湯をかけて油ぬきしたいなり寿司用の油揚げに、カロリーのないしらたき、エリンギやシメジより安かった舞茸、冷蔵庫にあった小松菜、水煮の大豆、そして安売りコーナーにあった1パック50円のウズラの卵を割って落とし楊枝で口を留めて鰹出汁と醤油で煮た。カロリーは高くないはず。これと少量の玄米&寒天入りご飯、野菜。そしてデザートは最近100%の美味しいジュースで作っている寒天ゼリー入りのカスピ海ヨーグルト。

最近夕飯でヒットだったのは野菜カレー。なぜか美味しく出来た。熱した中華鍋に少量のサラダオイルを敷き、スライスしたにんにくを炒め、クミンシードやナツメグを振り、サルサの残りのトマトの水煮をひとつ、ザクザク切って10分ほど放置したタマネギ(放置すると血液さらさら成分が増加する)、洗って皮ごと乱切りにした人参、味を出すために皮を除いた少量の鶏肉、漬物にした残りのナス、冷蔵庫で元気のなくなったセロリ、そしてジャガイモの代わりに巾着で余った大豆の水煮を加えて炒め、水を加えて煮る。市販のカレールーをひとかけだけ入れてよく混ぜ、弱火にして慌ててシャワーを浴び、残りのカレールーを加えて焦がさないように混ぜた。市販のルーなのに妙に美味しい。珍しく野菜の甘みで辛くなかったのでご飯を食べ過ぎることなくたっぷりのカレーをかけて頂いた。翌日のお弁当もカレー。毎朝毎晩測っている体重も増えるどころかかえって減った。オススメ。

2006.07.29

−たまには図書館で、本を。−

やっと、梅雨が明けた。私は湿気の多い、それでいて異様に暑い日本の特に鹿児島の夏は苦手なのだけれども、こうあちこち水害では堪らない。鹿児島では北部で大変な浸水に見舞われ、支店では全員つなぎを着てお客様の復旧をお手伝いしている。水を配ったりもしているそうだ。私の部署にも自動車保険の被害の電話が来る。車の浸水が何とハンドルの高さまであり、挙げ句、自宅の電話も不通とのこと。これも地球温暖化の影響なのだろうか。恐ろしい。ちなみに水害で水浸しになってしまった車は自動車保険の車両保険に加入していれば補償される。安いエコノミー(車と車との事故を補償するもので、単独で塀にぶつかったりは不可。)の車両保険であろうと、オールリスクの一般車両保険であろうとOKです。

一週間の「脂肪燃焼スープダイエット」には及ばないが、夕飯の一品としてレシピ通りそのスープを作ってみた。結構美味しい。たくさん作ってもいたんでしまうと思ったので量は少な目。タマネギ1個にセロリ1本、ピーマン1個、大量のざく切りキャベツの上からトマトの水煮缶半分を押し込んだ時には鍋の蓋が浮いた。そこに軽く塩胡椒とコンソメスープの素少し。これを火にかけるだけ。簡単である。

この日のメニューはそのスープと頂いたカボチャの蒸しもの。小さくて飾りたくなるくらいの小型のカボチャの上の部分を切り落として蓋を作り、種を出して生姜と鶏の胸挽肉を出汁で煮て片栗粉でとろみをつけた餡を詰めて蒸す。美味しかった。余った鶏餡は冷蔵庫に入れて置いて翌日豆腐と一緒に煮た。どちらもオススメ。

寒天で作る100%果汁ゼリーは5回目。つまり5L。青森産リンゴが2回、色鮮やかなブドウ、輸入物のマンゴー入りオレンジ、そして今回グレープフルーツ。心なしか酸が強い分、グレープフルーツはふわっとしたゼリーになるようだ。リンゴやオレンジに比べてちょっと酸っぱい。このジュースを一気に鍋に空け、粉寒天1袋4グラムを3袋投入して煮溶かす。1、2分沸騰させた方がよく固まるみたい。500mLのジップロック容器に入れて固まったら冷蔵庫へ。ランチに会社に持っていくヨーグルトに加え、夕飯後に甘い物が食べたくなったときなどに食べている。このおかげかどうか、現在毎月1キロ、4キロ減まで成功中。

暑いので休みの日に図書館へ行って大好きな料理のコーナーで本を借りてきた。もちろん、タダ。これを利用しない手はない。
料理と言っても「料理の基本」とか、「365日の献立集」なんてありきたりなのはつまらないからマニアックと言うか変わり種となる。一冊目は「パトリシア・コーンウェルの食卓」(講談社)。有名なケイ・スカーペッタと言う女性検死局長の連続小説で、パトリシア・コーンウェルはその著者。主人公の趣味兼ストレス解消法は料理。イタリア料理が得意でパスタやピザを麺や生地から作る。小説の一節も楽しみながら料理のレシピが書かれている。

あとはハワイ。ハワイの食事を何とか日本でも作れるようにアレンジしたレシピが掲載されている「ホノルル食堂」(マリン企画)。まだ試していないハワイアンスィートブレッドに心惹かれ、燻製香をつけると言うリキッドや塩などの現地で買えることが出来る調味料も紹介されていた。ノースショアのフリフリチキンが再現出来そうだったので鶏もも肉にレシピ通りのパプリカとコリアンダーシード、塩胡椒を擦り込み、思い出してヨーグルトも加えて作ってみた。う〜ん、オイシイ。次回はすり下ろしたにんにくも加えてみよう。

「おうちでハワイ」(クワニー社)もいろいろなレシピが載っており、写真がきれい。「ハッピーグルメ・ハワイ」(双葉社)が気に入った。ここのところ普通の旅行ガイドブックは免税店やブランドショップ、または高級ホテルの情報しか載って居らず、ほとんど買っていない。私の知らなかった情報が載っており、有効。ポピュラーなところでアラモアナSCのホノルル・コーヒー・カンパニー。いつも素通りだったけど一度くらいは寄って見ようか。マウイ・シュガーも試したことがなく、ポキの材料となる海草の王様はリムコフという名前だった。ベジタリアンの飲茶、カネオヘの総コア・ウッド張りの「コア・パンケーキ・ハウス」、ジャンパ・ジュースのビタミン剤の種類なども試してみたい。

湿気を忘れてハワイに浸るべく、今朝の朝食はアボガドサンドウィッチ。またそろそろハワイに帰らないと。

2006.08.04

−蝉(cicada)−

もう8月ですよ、8月!
朝からわんさか蝉が鳴いている。暑さが強調されているようだ。アパートのドアから3メートル以内に2匹は居るはず。先日、蝉の抜け殻も見つけた。そう言えば東京の実家の近くにもわんさか居た蝉が減っていた。いなくなればなったで寂しいかも。蝉が地面から出て来てほの青く光りながら殻から出てくる姿も美しいし、もう少し夏も過ぎて夕暮れにひぐらしなど鳴くも、いとおかし。

遠い昔、短大の国文科で私の大好きな松尾芭蕉の「奥の細道」を学んだ。有名な句「〜岩にしみいる蝉の声」の蝉は果たしてどんな種類の蝉で、何匹だったか、論じられていると聞いた。私はどうしてもアブラゼミが、一歩譲っても他の種類の蝉が、たくさん鳴いていると言う状況を思い浮かべてしまうのだが、結局一匹の蝉で「ミーン、ミン、ミン」と鳴く熊蝉か何かの説が有力なのだそうだ。静かな山奥で静寂なほど、たくさんの蝉が鳴いていてそれが何かの拍子に止んだときの対比が面白いと思ったんだけどなぁ。

で、懲りもせずNHKのラジオ英会話番組を聞いている。テレビは再放送ばかりなので「英語でしゃべらないと」と言うバラエティ番組を録画するくらい。朝、出社する時間を少し早めて「ものしり英語塾」を車の中で聞き、後は録音。「レベルアップ英文法」、「英会話入門」と「英会話上級」。月水金=火木土と同じ番組なので週3回の録音だ。テキストを買いに行ったら8月は復習月間らしく、「レベルアップ英文法」以下の3講座には330円のテキストに「夏休みパワーアップ問題集」と言う付録が付き、放送も4月からのまとめだとわかった。と言うわけで今月だけ中学2年生向け「基礎英語2」の復習もすることにした。ちょっと異色の「徹底トレーニング英会話」と言う番組は毎日放送内容が変わり、しかも放送時間が他の物と一連ではなく、ステレオの録音設定が1日1回しか出来ないために日曜日に3回分をまとめて録音。ふーっ。だけど少しも上達した気にはなれないんだよねぇ。まぁこれらのテキスト代と半年毎の社会保険センターの英会話教室代を月で割っても費用は月に5千円にもならないからあんまり投資はしていないけど。

なかなか上達しないからいっそマイナーなスワヒリ語とかギリシャ語にしようかと友達と冗談を言っていたらなんと、ギリシャ語"Greek"には「ちんぷんかんぷん」と言う意味があった。ご存じでしたか?お手元の辞書でお確かめ下さい。ナントカ is (all) Greek to me.で、「ナントカは私には(まるで)ちんぷんかんぷんだ」ってことになる。ほほーっ。ちょっと面白いでしょ。

それからもうひとつ。「(人・頭が)禿げた」、もしくは動詞で「禿げる」はbald(ボールド)ですよね。bold(ボウルド)だと「大胆な、勇気のある」ってことになるのでお間違いなく。このbaldの方なんだけど誰かがパンクした車のタイヤを交換しようとした時に叫ぶわけ。Your back tires are bald.「後輪は両方ともツルツルだ」って。頭が禿げるのもタイヤの溝がなくなってツルツルになるのも同じ単語だった。確かに日本語でも禿げた頭をツルツルと表現するけど、ちょっと面白い。ちなみにbaldは「(動物や鳥に)毛や羽のない」とか、「(山・平野などが)草木のない」って意味もある。S氏、ゴメン。

2006.08.12

−スベスベお肌−

ちょっとごぶさたです。お盆休みに突入しました。
だけど今までお盆休みを経験したのは数えるほどしかなく、旅行するには高くて混んでいてこんなに向かない期間はやっぱりないと思うんだよね。

ここのところ肌がスベスベ。なぜだかわからないけど。月1キロくらいずつ、体重が4キロほど落ちた先月ごろから。体重が落ちたことが良いのか、そのためにしたことが良いのか、不明。夕飯後のチョコやお菓子をやめ、デザートが欲しいときは100%果汁のジュースで作った寒天ゼリーを食べ、ご飯には発芽玄米を混ぜ、油とご飯を減らしてその分多く野菜を取っている。つまりダイエットと言うほどでもなく、普通の食事だ。出来るだけ効率よく体重を減らしたいので週一くらいテニスなどの運動をする。ひょっとして運動をしてシャワーを浴びる機会が増えたことが良いなんてことも考えられる。この暑いのに運動をして今まであまりかかなかった汗の量が増え、新陳代謝が良くなったからかもしれない。もともと化粧はしないし、乳液や化粧水すら持っていないし、日焼け止めもつけないんだけど、顔と言わず手足と言わず全部スベスベ。

そうそう、久しぶりの課の宴会は焼きナスと冷や奴、焼き鳥1本と付け合わせのキャベツを食べてウーロン茶を飲んで乗り切った。もちろんフライドポテトにもソーセージにも手を出さず、焼きおにぎりすら食べなかった。以前はこの時とばかりガツガツ食べていたのだけれど、宴会やパーティーは話すことが楽しいので充分満足した。ご褒美に翌朝の体重はほんのわずかに減少。

お盆休み初日。たっぷり寝て、ベーグルにチーズとレタスを挟んでカフェオレとゆで卵まで食べて、会社で頂いたスポーツクラブのチケットを持って久々にエアロビクスに行く。夏休みイベントだとかで「ストレッチアップエアロ」を1時間、姿勢やバランスを矯正する「トータルボディメーク」を30分受けた後、ゆっくりお風呂に浸かった。

平日なので日頃行かれない銀行でお金をおろし、以前紹介した自然食カフェ「ママン・ダイニング」に電話する。あれから結構はまっており、土曜日に外出して食事をする時にはよく利用している。あいにく日曜は休みなのだ。肉や牛乳、卵を一切使わず、添加物も極力使わない素材で作った食事は何だか食べると身体がすっきりする。その店で買って帰った乾燥ワカメが美味しくて入荷されているかどうか聞いた。そのままお昼を食べに寄る。玄米ご飯とみそ汁に3種類のおかずが少しずつついたヘルシーランチは食後のコーヒー付きで630円。カロリーは400K以下。この程度のお弁当やカフェがもっとあれば利用するのに。だいたい健康に気を配るはずのスポーツクラブの併設カフェからして質が良くない。

この日のおかずはクウシン菜(中国野菜の一種)のお浸しとゴボウやレンコンのキンピラ、アラメと言う細切り昆布のようなものとピーマンの炒め煮。もちろん味付けもやさしい。みそ汁はカボチャと厚揚げ。玄米を良く噛んで食べると甘みが広がった。ここへ来ると何かしら料理のヒントも得られる。ママンの主は料理教室も開いているのだ。お浸しには酢と醤油と、何とオリーブオイルが垂らしてあった。お浸しは醤油と鰹節かポン酢だとばかり決めつけていた。う〜ん、なるほど。そして先ほどまでそこにいた、私よりもっとちゃんと食生活を改善した女性客は体重を6キロ減らした結果、肌がスベスベになったばかりではなく髪の毛までツヤツヤになったそうだ。しかも長い髪の毛先ではなく、生え際から10センチほどだけが輝いていたと言う。つまりここの何ヶ月か良い生活を続けた証らしい。スベスベお肌はやはり食生活のようだ。だけどそんなに顕著に現れるなんて恐ろしくもある。

輸入品なども揃えているスーパーと八百屋に寄って100%果汁のジュース(これがなかなか売っていない)とニガウリ1本100円、高いキュウリは何とか2本で120円、1本150円の大根を見つけて買い、家に帰って洗濯機を回しながら寒天ゼリーを作る。夜は週に一度の英会話教室。

この日の夕飯。韓国冷麺。具は大量のモヤシ、ゆで卵半分、残っていた鶏の胸肉少々、キュウリ、白菜キムチ。タレに自家製ポン酢と黒酢を加える。

2006.08.22

−健康(Health)−

ふたたび九州に台風上陸。だけど危ぶまれていた週末の花火大会とか、長崎ハウステンボスのヨットレースは開催されるらしい。自然には逆らえないよね。
実家の父も病気には逆らえないらしく、入院した。マイレージも貯まっているし、せめて顔を出しに行こうかと思って飛行機を調べたら20日まではお盆のためマイレージは使えず、週末は定価を払っても満席だった。やっと一席空いていた22日夕方の便を確保。ふーっ。

と言うことでとりあえず土日一泊のハウステンボスカップ。毎年行っているハウステンボスは経営が破綻して持ち主が変わり、少し趣向が変わっていた。ここ数年、園内の店も閉店が多く、屋外で行われるイベントも減ってちょっと寂しい。だけどハーバーやパーティーには久しぶりに懐かしいヨット乗り達の顔があり、そこここで盛り上がった。宿泊はたいていヨットの中か、暑ければ園内のベンチ、良くて誰かが借りたホテルのツインルームに内緒で押し掛けて雑魚寝なんて言うパターンだったけれども今年は園内のホテルに泊まった。ホテルニッコーハウステンボス。実はJALのマイレージがあったのだ。期限切れになりそうな1万マイルをICカードに入れておけば翌年いっぱい15,000円分として使える。ただ使える場所が限られているのが難点。何ヶ月も前じゃないと満室で予約出来ないとされていたホテルはガラガラ。前日でもインターネットで予約出来た。パーティーが終わってからぐっすり寝、翌朝はレースの前に大浴場で気持ちの良い朝風呂を楽しんだ後、広々と園が見渡せる明るいレストランでたっぷりバイキングの朝食。病みつきになりそうだ。天気は快晴。台風の影響を少しは期待したのだが、快晴過ぎて風がなかった。だけど明るい太陽の下でワイワイとみんなでレースするのは気持ちがよい。久しぶりに日焼け。鹿児島からは車で4時間半と言ったところ。ガソリン代の値上げが痛かった。

春から月1キロくらいずつ減っていた体重がここのところ停滞している。上昇しているわけじゃないんだから良さそうなものなのに人間の欲望は限りない。お菓子や揚げ物など減らせる物は減らしているから食事はこれで良しとする。夏バテするわけにはいかないし。苦手だけどやっぱり運動かなぁ。と言うわけで会社の法人チケットをもらって再びスポーツクラブへ。スポーツクラブはきれいでホコリっぽくないから好き。入念な準備体操やストレッチの後、ベルトコンベアーの上を走ったりマシンでの運動は退屈で苦手なのでエアロビクスを1時間。毎回プロの先生方にはホント感心する。ただかがむ、曲げるにしてもほんのちょっとの足の向きとか開き加減で使う筋肉が違うのだ。ビデオに撮っておきたいくらい。で、今回は2度目のストレッチエアロと言うプログラムに参加。先生によると身体が堅い人でも練習すれば必ず柔らかくなるのだそうだ。これは年齢性別には関係ないそうで嬉しい話である。私は身体は柔らかい方だけど、ほぐしておくに越したことはない。ぎっくり腰とか転んで骨折なんて嫌だし、背中が痛いのは最近、筋肉がないせいではないかと思っている。

ストレッチを取り入れたエアロビクスの後、マットの上で身体を伸ばした。「イナバウア」のポーズが効いた。異様に背中に来る。片足立ちは左脚で立つと不安定になる。終わってから先生に聞くと「あなたの場合、見ただけでも右の骨盤が上がっているのがわかる」とのこと。恐ろしい。背中が痛いのは骨盤のゆがみか。「クラグラ不安定になっても良いから続けること」だそうだ。汗をびっしょりかいたのでゆっくりサウナとジャグジーに入る。聞かなければならないラジオ録音の英語のテープは貯まっているのだけれど、しばらく定期的に通いたい。

2006.08.26

−in Tokyo−

暑い鹿児島から、これまた暑い東京へ行って来た。飛行機の出発が遅れ、羽田でも混雑のため着陸出来なかったので父の面会時間に間に合わなそうだったけど、病院近くに住む10年は確実に会っていない高校時代の友人が最寄りの駅に自転車で待っていてくれた。持つべき物は友達だ。面会時間は確かに終了時間間際だったのだけれど、こう言ったことを説明して切り抜けるのは最も私の得意とすることなので、病室近くのナースセンター脇のソファで看護婦さんが連れてきてくれた父に会えた。

母はこの日病院に来ていなかった。ドラマみたいなもっと辛い試練が待ち受けていたのだ。
85才と言う高齢の、一人暮らしの遠い親戚が都内に住んでいて20年ほど前に緊急連絡先として私の両親の家が登録されていた。他に都内には親類が居なかったようだ。そこの公団住宅の自治会長だかと言う人から電話があり、2日分の新聞がそのままになっていることに近所の人が気づいたという。母は「自由に空けて見てください」とお願いしたのだがどうしても親戚が立ち会わなければ鍵を壊せないのだそうだ。マンションと違ってなぜか合い鍵がないらしい。そこで母は父の病院に見舞いに行くことを諦めてバスに乗ってそのアパートに向かった。アパートには警察官や鍵屋さん、近所の人などが集まっており、母の前で鍵が壊された。誰もが最悪の事態を考えただろう。中に入った警察官が「おばあちゃん、おばあちゃん」と叫ぶ。するとそのおばあちゃん、ピクリと動いたそうだ。慌てて母も入り、名前を呼び、生まれて初めて救急車に同乗して病院へ行った。脱水症状を起こしていたらしい。私も一二度しか会ったことのないその親戚の顔を、母もまたわからなかったと言った。

得意な人なんて居ないと思うけど、母はこう言ったことが誰より向いておらず、救急車の中で車酔いを起こして救急隊員に介抱されたらしい。とにかく母は到着した救急病院から神奈川に住む、病院に行っていて留守だった自分の兄に連絡を取って何とか切り抜けた。その後二人でアパートに戻り健康保険証を探したが見つからず、見つかった印鑑を使って区役所で再発行手続きをしたそうだ。一人暮らしのみなさん、いつ何時何が起こるかわかりません。合い鍵を友人か親戚か誰か信頼出来る人に預け、健康保険証は携帯するかわかるようにしておきましょう。

父とふたりで考えたのだけれども、具合が悪かったのならなぜもっと早く誰かに、119番でも良いから電話をしなかったのだろうか。4日ほど前にはちゃんと着替えて夕飯を食べに外出したらしい人が、水道の蛇口をひねることも出来なかったのだろうか。ナゾである。私が最もナゾなのは、どうしてエレベーターも何もないアパートの4階に一人で住んでいたのだろうかと言うこと。60才の時でも70才の時でも、80才になってからでも良いから「私は足が痛くて階段の上り下りがきつい」とか何とか言って訴え続ければ1階か悪くて2階の部屋が空いた時に便宜を図ってもらえただろうにと思う。ヨット乗りは元来切り抜け上手だし、そう言ったことがもともと得意な私は結構歯がゆい。誰が考えたって85才のお年寄りが毎月新聞紙を束ねてゴミに出せるとは思えないから部屋の中には貯まった新聞紙が散乱していたそうだ。

参っている母に、裏とお隣の家からそれぞれ夕飯のおかずが届けられたそうだ。この3軒は私が幼い頃から仲が良く、今でもやれ煮豆を煮たから、頂き物があったからと食材をお裾分けし合っている。東京では珍しいかもしれないけどヘトヘトになった母には心強いだろう。

翌朝、2軒のご近所にご挨拶してから、少しずつしか運べない母に変わってありったけの洗濯したパジャマや下着、果物を持ち、途中デパートで父が欲しがっていた100%ジュースを買い込み、私がハワイに旅行する5倍くらいの荷物を担いで電車を乗り継いで母と一緒に父の見舞いに行った。父は今年の初め高齢のため車を手放しており、母は免許を持っていなかった。

2006.08.30

−病院(at the hospital)−

母と病院に着いたとき、父は前日の腸の検査で疲れているのか眠っていた。とりあえずぐるりと病院を一回りして母にコインランドリーと乾燥機が装備されているのでここでも洗濯できることを教える。来た時に洗濯機に放り込めば帰るまでに乾いてしまうと説明し、この日はそうやって母の帰りの荷物を減らした。一番困ったことは父と病院側の意思の疎通が図れていないこと。例えばその日のエコー検査は何時にやるのか誰に聞いてもわからず、「先生のご都合」と言うだけで、それまで念のため水も飲まない方が良いと言われて父は怒っていた。検査前に水を飲んでは本当にいけないのかどうかも怪しい回答だった。何を食べてはいけないのか、についてもまたしかり。看護婦に聞けば担当医に聞いてくださいと言うし、父が担当医に聞いたら「まだわからない」とのこと。確かに検査をしていてまだはっきりしないのはわかるけど、それじゃあ病人を不安にするだけだ。父の病院での食事は低ザンサ食とか言う、腸の検査などをするときに影響のない繊維質の少ない食べ物らしいのだが、鹿児島で看護主任をしている友人に聞いたところそれは通常、その検査前だけの食事だそうだ。いつどんな検査をしなければならなくなるかわからないので念のためいつも低ザンサ食なのだろうか。

父は母と違って好き嫌いはないのだけれどもその食事に辟易しているようだった。母としても差し入れはしたいが父の病気に障ってはいけないと思うので躊躇していた。悪循環である。父は「サンマの塩焼きか何かを食べたいなぁ」と無理を言った。私は何とかなだめ、それでも父の有料の小さな冷蔵庫に桃とトマト、100%ジュース、小さな容器に朝焼いてほぐした鮭の身を入れた物、少量のぬか漬け、フルーツゼリーなどをひとつずつ何とか詰め込んだ。私が去年の年末に行ったハワイの写真をベッドに並んで父と見た。一昨年は父や母とも一緒に行ったのだ。父は「ハワイは良いよなぁ」と笑顔を見せた。4時半をまわってようやくエコー検査に呼ばれた父を見送り、母と乾燥機から出した洗濯物を畳む。そのうちに父は一人で戻って来た。

そうこうして昼過ぎから夕方まで過ごした。病院から直接空港に向かい、最終便で鹿児島に戻った。空港にS氏が見送りに来てくれた。空港のJALショップで好きな讃岐うどんを見つけて買う。何とマイレージカードを見せると10%引きだった。ついでに夕飯に鹿児島では売っていない万世のトンカツサンドもゲット。病院へ行く前に母と買った崎陽軒のシュウマイは明日の弁当のおかずにしよう。今回は真空パックではない「特製シュウマイ」だ。鹿児島は雨。思いの外夜の高速は運転しにくかった。帰ったらここのところ減少を拒んでいた体重が図らずも1キロ落ちていた。

病気の本人が一番辛いのだけれども、周りの人も気が揉める。何だか胃の中にフワフワとマリモのようなものが生まれて浮遊している感じ。マリモがある分、いつもの食欲がない。何かというとそのマリモが動いて胃壁にぶつかり(そんなことはあり得ないのだけれども)、ドンヨリ不安な気持ちになる。週末、あまり気が進まなかったけど友人の誘いでテニスをして良かった。苦手な運動だけど汗をかいて幾分すっきりした。ただでさえ胃の弱い母にもちゃんと食べて寝るように電話しよう。

2006.09.04

−6キロ減!−

今のところダイエットに成功している。街を歩く誰もが振り返るほど太ってはいなくても、体重が徐々に増加していたのは本人が一番よくわかっている。それも「今時の若い子」(死語か?!)が、誰がどう見ても痩せているのに更に痩せたいと無理を言っているのではなく、確実に「肥満」だった。老若男女共通の、おおざっぱな目安であるBMIは辛うじて肥満を逃れていたものの、体脂肪率は肥満を指していた。俗に言う「隠れ肥満」。おー、何て嫌な響き。

女性の体脂肪率における標準は17〜27%。30〜34%が「やや肥満」で、35%以上が「肥満」である。朝は体重が落ちて体脂肪率が上がり、夜は昼間活動しているためか落ちる。私のタニタの体重計は「やや肥満」を通り越し、時折朝は「肥満」を指すようになっていた。だが不思議な物で人間、嫌なことは「見て見ぬ振り」をするらしい。そこだけは考えまいと目をつぶるのだ。確かに嫌なことばかりに直面していたのでは身体が参ってしまうだろうが、都合の良い生き物である。父の見舞いに東京へ行って何年かぶりに会った高校時代の友人が驚くほど太っていた。彼女曰く、「ある日突然いきなり10キロ太ったわけではなく、段々に体重が増えたはずなのに、今考えるとなぜ途中で気づいてどうにかしなかったのか不思議よね。」とのこと。長い目で見れば今もりっぱな「途中」であって、気づいた今どうにかしなければならないことに気づいていない。

私は月1キロのペースで6キロ落とした。正確に言うと落としたのは5キロで、父の病気で食欲が落ちて何もせずにもう1キロ落ちた。(風邪とか病気とかこのような減り方は身体に良くないし、何より定着しない。)春に55キロを上回って、自分で壁に貼り日々記録していた体重表は目盛りのない欄外となり(自分ではそんなになるはずはないと思っているから増加した場合の目盛りはない)、量るのも嫌になっていた。現在は49キロあたりで推移している。体脂肪は26〜28%。なぜか28%〜29%が標準とやや肥満の間でデッドゾーンのためもう少し落とす必要がある。

体重を少し落とした方が良いな、と思っているみなさん。今日から始めましょう。勉強と同じで「明日から」ではダメです。まず100グラム単位のデジタル体重計を用意しましょう。昔ながらの針が指すものはどうも正確な体重が量れず、減ったことが実感出来ないのでやる気が起きません。大型電気店へ行けば体脂肪率も測れる体重計が6、7千円で購入出来ます。そして毎朝毎晩量り、表につけます。たいていの人はこれだけで数キロ減ります。

2リットルのペットボトル2本分も軽くなったというのに、4キロ落ちたくらいでは実感がなかった。その位の自分が普通だと思いこんでいたせいだろう。5キロを超えた時点でやっと少し変化したことに気づく。5キロ入りのお米を車から降ろしてアパートの部屋に運び込むのは大変なことなのに結構鈍感なわけだ。こんなものを抱くか背負って日々生活していたのかと思うとゾッとする。私の場合最初に気づいたのは、ぽっこり膨らんでいたお腹がすっきりしたためか服の脱ぎ着が楽になっていたこと。短パンやジーンズを履くとき、最後のお腹のところでよいしょと力を入れなくても引き上げるだけで履けて楽チン♪たぶん知らず知らずのうちに動くことがおっくうになっていたに違いないので着替えるのも立ち上がるのも快適だ。そして次に会社の制服のスカートが以前のようにパンパンではなくなった。何とかお腹を引っ込めて履いていた頃は「これは仮の姿だ」とたぶん思っていたので気づくのが遅くなったのだろう。この頃から周りのみんなが気づき出す。やれムチムチ感がなくなったとか、腕や足が細くなったとか、顔がほっそりしたとか言われる。そして何より、タンスの奥にしまい込んだお腹が空いているとき限定のスカートや、いつかは着られるだろうワンピースが問題なく着られるようになるのだ。

健康面でも、経済面でも、見栄えだけとってみても良いことづくし。心当たりの方、オススメ。秘訣は運動でももちろんダイエット食品でもなく、「摂取カロリー」。たいていの場合、そんなに食べたのではどんなに運動しても消費出来ない。ファミレスでも弁当屋でも少なく見積もって2食分のカロリーがある。毎食そのような食事だと日に6食食べていることになる。流行の高価なダイエットジュースなんて飲まなくても、お酒やお菓子を減らし、毎食家でお豆腐や野菜、納豆やみそ汁に魚と言った食事をすれば効果絶大。日常生活習慣とはよく言ったものだ。

2006.09.23

長いこと、留守にしました。m(_ _)m

−父 永眠−

9月11日、父がひと月も入院しないで亡くなった。
本人は前立腺癌が転移したと思っていたようだったが、6年前に発症したそれは放射線治療などでもうほぼ直っており、別の癌にかかったらしい。あれよあれよという間に悪化してその間ずっと検査ずくめだったものだから、母は死亡後すぐに医長から申し出があった解剖を断った。よって正確な病名はわからないのだけれど、死亡診断書には多発性骨髄腫と記載された。一般にガン細胞というものは試薬だか何かで検査すると色素が染まるものらしいが父の癌はそれがなかったそうで発見しにくかったらしい。後から英会話教室の仲間であるドクターに聞いたところそれだけまだ赤ちゃんのガン細胞らしかった。そんなガン細胞でもヒトを死に至らしめるのか。医学もまだまだだ。ちなみに胃ガン、肺ガンなど誰がどう見てもはっきり確定されているものを分化癌と言い、父のようなタイプのものを未分化の癌と言う。よくお年寄りの癌は進行が遅いと言うけれど、骨髄とか8種類もある血液の癌、白血病など未分化の癌は若者と同じように体内を回ってしまうらしい。

父は毎日欠かしたことのない散歩が出来なくなり、歩くのが辛くなり、それでも老人会のような写真クラブの撮影会やお墓参りに行ってお盆のさなか弟の車で病院に行き8月14日に入院した。当日東京ではどこかの作業員のミスでクレーンを送電線に引っかけて切ってしまい大規模な停電だった日で朝病院に着いてあちこちたらい回しとなり、やっと入院が決まったのは夜だったそうだ。前に書いたとおり、翌週お盆の混雑の間を縫って鹿児島から一泊で見舞いに行った。飛行機が遅れて東京に着いたのは夜で、たまたま10年も会っていない高校時代の親友が病院の近くに住んでいたので、駅から自転車で複雑な裏道を案内してくれた。父はわざわざ母に公衆電話をかけ、面会時間が終わるので無理しなくて良いと伝言したそうだが私がヨット乗りの特技でもある「折衝」得意なことをわかっていないようだった。病人がそんなこと心配している場合じゃない。もちろん夜間出入り口から正規に見舞い客として通された。看護婦と一緒にソロソロ歩いてきた父はソファに座るなり「検査ばかりで何の治療もしていない。死んじゃうよ。」と冗談めかして言った。本音だったかもしれない。

翌朝母と山ほどの洗濯物や果物を詰めたリュックを背負って見舞いに行き、そのまま病院から最終便で鹿児島に戻った。たいしたことをしていないのにヘトヘトだった。頭と身体が分離したようで、雨上がりの高速道路が妙に運転しにくかった。胃の中のマリモがふわふわと動き、胃壁にぶつかり、あれほど旺盛だった食欲がなかった。鹿児島に戻って数日後、弟から電話があった。母と一緒に主治医の話を聞いた日だった。「俺たちは覚悟しておいた方が良いらしい。」と弟は駐車場の自分の車の中から携帯で言った。"ミブンカの癌"と言われてもその頃はまだ何の事やらわからなかった。携帯電話を渡したので母からは毎日のように電話があった。痛みを和らげるため麻薬の入った強い痛み止めを使い始めたせいで意識があいまいだとのこと。母はその薬のための意識障害が納得できないらしかった。再び東京に行くことを約束。母は主治医に「話は娘にして欲しい」と言ったらしい。主治医は私が東京に行く日、空けておくとのことだった。

9月5日(火)、課長のすすめで車を使わずに空港に向かった。とりあえずその週いっぱい日曜日までの予定だったので駐車料金がかさまないようにとのアドバイスだった。前回のようにヘトヘトで運転するのは危ないと自分でも思ったのでJRと高速バスで空港に向かった。その日の東京はとてつもなく暑かった。最寄り駅から徒歩で病院へ向かう道すがら、胃の中のマリモはそんな柔らかな物ではなく、石のように堅くなっていた。その石がだんだん成長して上半身に広がり、ダイエットで軽くなったはずの身体が重くなった。歩くのも、腕を上げるのもおっくうだった。しかも主治医から聞くのはろくな話でないことがわかっていた。すでに落ちているとわかっている試験結果をわざわざ聞きに行く気分だ。逃げ出したかった。

病室の父は思ったより元気だった。点滴の管や呼吸器をつけているものの、「いつ帰るの?」と聞いた。私は「日曜日まで今週いっぱい居るからね」と答えた。

2006.09.28

−父 永眠 U−

その日若い主治医からひとつひとつの検査についてパソコンの画面を使った説明があり、終始苦虫を噛みつぶしたような医長からも補足説明がなされた。ヨット仲間である歯科医や市立病院の看護婦主任、それから英会話教室仲間のドクターなどから、説明がわからなかったら納得のいくまで質問してメモを取るように言われていたのでその通りにした。主治医からは誠意が感じられたが思わしくない状況については変わりはなかった。このような治療をしますと言われればお願いしますと言うほかない。癌の根元は確定出来ていないが本人に体力がある時に4日間抗ガン剤の投与をするとのことだった。

翌日から水・木・金と母と電車で病院通い。乗り継ぎも多く1時間以上かかるので母は一人ではないことが心強かったようだ。それだけでも行った甲斐があるかも。疲れからか病院の待合室に設置されている血圧計での母の血圧が跳ね上がっていたのだ。月が変わって病院の請求がいつ来るかわからなかったので病院に行く前に郵便局や銀行に立ち寄った。父の免許証コピーと通帳と印鑑を持って窓口で治療費が必要なのだと主張して定期預金をいくつか解約し、カードの使える口座からいくらか下ろした。主張したり説得したりするのは私の仕事だった。だから両親は私が進学するときに法科に進むことを反対しなければ今頃もっと楽だったのに、と言いたい気分。移動時間も長いし、母を慌てさせてもいけないので緊急連絡先は自宅ではなく、私の携帯にしてもらった。父は金曜の早朝に血圧が下がり、個室に移された。土日はもともと弟の車で送ってもらう予定だったが土曜の朝5時前に、再び血圧が下がって呼び出された。電話がかかって来る時、なぜか私は毎回目覚めていた。先に弟に迎えに来てもらうよう電話してから母の部屋へ呼びに行ったが母も起きていた。3人で慌てて病室に入ると、父に「どうしたの?今日は早いね。」と言われてひっくり返った。医長は認識障害があると言っていたが家族の中では一番まともだった。

父の容態が安定していれば特に家族がすることは何もない。かわいそうだが肺炎などの恐れがあるため水も飲ませてはいけないそうだ。気晴らしに母に英単語クイズを出し母がなかなか答えられずに居たところ、父は酸素吸入器をつけたまま母より先に答えた。一瞬、誰が答えたのかわからなかった。母と弟に「腹が・・・」と言ったので二人は痛いのかと思って慌てたところ父は二人が聞き取れていないことを判断し、「ハングリー」と言い換えたそうだ。トイレから戻ってきて病室の前で大笑いが聞こえてびっくりした。英語力も家族で一番だった。この期に及んで父はお腹が空いていたらしい。もっと受けたのは卵だった。「15」と「卵」しか聞き取れなかった。何度か聞き直してそれが「15分茹でたゆで卵」だとわかって驚いた。父は常々「ゆで卵は半熟だ」と言っていたのだ。15分も茹でたのでは固茹で卵になってしまう。半熟卵は消化吸収が良いから半熟と言っていただけであって本当は固茹で卵が食べたかったのではないかと私たちは勝手に判断した。そばはつゆをどっぷりつけないのが粋な食べ方だと言っていた人が、一度どっぷりとつけて食べたかったと言う落語に似ている。そもそも何も好き嫌いがない父の好物は「健康に良い物」と言うジャンルだった。

土曜日の夜、何と高校時代の仲間のお父様が急に亡くなったとのことで黒いTシャツにジーンズのままお通夜に参列した。彼は今でも私の実家と同じ区内に両親と住んでいた。親が病気になったり亡くなったりする、そんな年になったのかと何年かぶりで会った同級生同士で嘆いた。

日曜日も早朝に父の血圧は下がったものの昼には安定したので弟の奥さんが3人の子供達を連れてやって来た。小学6年、4年、そして1才半だ。父はお嫁さんと孫達が作ってくれた千羽鶴をとても喜び、飾るところまで指定した。ひとりひとりの孫とちゃんと握手を交わし、言葉をかけた。私はその日の飛行機をキャンセルし、もう何日か東京に居ることにした。子供達を返した後、夕方容態も安定していたので母と弟と3人で帰宅。途中スーパーで買い物をして家に着き、弟と別れて玄関を開けたところその日2度目の呼び出しがかかった。弟を呼び戻す。病院に向かう途中で大丈夫だと言う連絡が入ったが途中まで向かったことだし、その夜は病院に泊まることにした。コンビニで夕飯の調達。友人に泊まる旨を伝えると「それならもう今日は呼び出しはないね」と励ましのメールが届いた。確かに呼び出されるたびに心臓が飛び出しそうになる。母は看護婦さんの計らいで特別室に、私は父の隣に簡易ベッド、弟は父の病室にあったソファで休んだその夜、弟が懸念していた血圧上昇剤の交換時に再び血圧が下がり、あっけなく、父は3人に見守られてそのまま安らかに息を引き取った。

2006.10.02

−父 永眠 V−

見たこともない女性の当直医が駆けつけ、父が亡くなったと確認されたのは午前3時07分だった。モニターを、医者も看護婦も私たちも為すすべもなく見守り続ける中、ギザギザが段々平坦なラインになって行き、呼吸や血圧、心拍数の数字が減って0になった。私はただぼーっと、父が苦しまずに息を引き取って良かったと思った。

看護婦が点滴などの管を取り除くので病室の外の談話室で待つようにとのことだった。一面ガラス張りの窓の外は午前3時だというのに見たこともないようなオレンジ色の空で、きっと私の目か感覚がおかしくなっちゃったんだろうと思った矢先、すごい音がしてこれまた私が見たこともないほど一度に、あちこちに雷が落ちているのが見えた。私は街を見下ろしていた。何かが叫んでいた。

担当の婦長が来た。型どおりのお悔やみを述べた後、「葬儀屋はお決めですか」と来た。まだ父が亡くなって30分もたっていない。家で葬儀屋を営んでいるか、馴染みの葬儀屋?!でもない限り、この時点で葬儀屋が決まっている人が居るとは思えなかった。婦長は遠回しにでもなく、なるべく早く(遺体を)引き取って欲しいと言った。病院には毎日当番の葬儀屋が来ているので階下で(どこ?)相談すると良いとのことだった。パンフレットまで用意されていた。私はただ何となく、こんな明け方なのだから朝まで待つのかと思っていたが、葬儀屋の電話は夜中でも繋がるのだと教えられた。そして担当医長が病院へ向かっているので再び待つように言われた。待つのは嫌ではなかった。もっとぼーっとさせて欲しかったがそうはさせてはくれなかった。

医長はいつも私たちが嫌な話を聞かされる小部屋で、もう亡くなってしまった人の容態の経過を最初から説明し、「力及ばず亡くなった」と付け加えた。最後にその珍しく早く広がってしまった癌の正体を突き止めるために解剖したいと申し出たが母がすげなく断った。医長は私を見たが「母が嫌なら解剖しないでください」と答えた。医長は仕方なさそうに、死亡診断書を作成し遺体をきれいにしますので今しばらくお待ち下さい、と言った。

これから山ほどいろいろなことを決めなくちゃならないのに父が居ないのは心細かった。母は慌てていて当てにならず、従って私がどうにかしなくちゃならない。まだ普通の人が起きる時間ではなかったが二日前通夜に参列した高校時代の友人を電話でたたき起こした。彼のお父様の花に囲まれた棺が印象的だった。ただ漠然と花の好きな父にそんな葬式を出してやりたいと思ったのだ。それにすぐに葬儀屋を決めなくちゃいけないと迫られて他に頼る人もなかった。彼はそんな時間にもかかわらず快く電話口で葬儀屋の見積もりを読み上げ、フリーダイヤルを教えてくれた。父はストレッチャーに乗せられ、医者でも看護婦でもない白衣を着た男性に運ばれて地下の小部屋へ運ばれた。携帯も通じないコンクリートのその部屋には簡易の焼香台が備えられており、手際よく仮の祭壇が設けられた。とにかく父を連れて帰らなくちゃならないのでその「出入りの葬儀屋」に家まで運んでもらうことにした。私たちと担当看護婦、婦長等が焼香を済ませ、その小部屋の秘密の出入り口から見送られた。

弟の車に乗ってから母は慣れない携帯電話でお隣の家に電話をかけ、部屋に父のための布団を敷いておいてくれるように頼んだ。幸いご近所が仲良しなので鍵も預けてある。車が家に着く頃、3時から降り続いていた土砂降りの雨が奇跡的に上がって太陽がキラキラし始めた。ご近所は部屋に掃除機をかけて布団を広げ、玄関を掃き、お湯まで沸かして待っていてくれた。家の前の道路には車が入らないので葬儀屋の車から再びストレッチャーを使い、弟も手伝って庭の窓から父を運び入れて寝かせた。力仕事は弟の担当だった。

2006.10.07

−父 永眠 W−

雨上がりの東京は蒸し暑く、ドライアイスを入れてもらったけど父が心配だったので友人に教えてもらった葬儀屋にさっそく来てもらうことにした。何をどうして良いかわからず電話したのだけれど、「ご友人の家の担当者はあいにく休みですが私がすぐに伺います」と中村と言う人から電話が来たのだ。その、父を運んでくれた病院に出入りの業者はこの辺はあまり詳しくないと自分から言って、葬儀などはいかがしましょうかとも言わずそそくさと帰ったので良かったと思った。やはりテリトリーがあってその葬儀社がある界隈に詳しいものらしい。とりあえず部屋には滅多にかけないクーラーと扇風機をかけた。弟は家族を連れて来るためいったん家に帰り、次々と近所の人が来たので母には座っていてもらった。

大根や人参はあっちのスーパーよりこっちの八百屋が安いとか、5,000円くらいの服やラジカセだって散々悩んで購入する。ましてや当然もっと高い、例えば車などだったら(私は新車は買ったことがないけど)何日も性能や価格を比較して買うのだ。それを何にも比較するデータがないまま、たぶん7桁に及ぶだろう費用を支払うことになる葬儀屋を私がひとりで決めるのはドキドキした。ただ明け方に友人に電話口で読んでもらった見積書と、私がこの目で見たお通夜だけが頼りだった。私は電話口で友人の名を告げ、同じようにしたいと言った。

すぐに駆けつけてくれた葬儀屋の中村さんは葬儀屋に似合わず人当たりのソフトな人で、「ご友人の家の見積もりをただ名前を変えただけでそのまま持って来ました」と言った。電話口で読んでもらった通りだ。父の様子をさっとチェックし、大丈夫ですよと安心させてくれた。まずお通夜と告別式の日取りである。ただ何となく、友引などを避けたりして翌日とか翌々日にするのかと思っていたのだが甘かった。葬儀場は混んでいたのだ。こんなもの生前から予約する人もなかろうし、混んでいるなどと思ってもみなかったのでびっくりした。この日は9月11日のしかも朝。区内の葬儀場は空いて居らず、もう少し離れた所でやっと15日通夜、16日告別式が予約出来た。それでも葬式は5日後だ。それもその場で携帯から電話をかけて押さえてもらったのだ。都会は葬儀場まで不足しているらしい。とにかく数日間でいろいろなことを学ばされた。

中村さんは一度車に戻り、手際よく、だけど丁寧に父の脇に焼香台を組み立て、ロウソクを灯し線香を立てた。行き届いており、押しつけるでもなく事務的でもなかった。ロウソクは火事にならないよう水に浮いており、ライターの先はかぶせるだけで火を消すように出来ていた。基本的な葬儀のセットプラン?だけではなく、細かい棺や骨壺の色や材質もどうするかパンフレットを広げて決めなければならなかったが極力友人の家と同じものをお願いした。高校の同級生で、かつてのボーイフレンド?!が決めた物なら大丈夫だろう。この際ひとつひとつ吟味して決めている余裕がないので有り難かった。それでなくてもやらなくてはならないことがごちゃまんとあった。喪主である母の名前を教え、家族構成も似ているので参列者の人数も同じと考えて会葬御礼も印刷してもらうことにする。通夜で足らなくなったら追加印刷出来るから少な目で構わないと中村さんは言ってくれた。

棺は望み通り生花で飾られる。それが今までに聞いたことがなかったのだけれど、花を供えたいと申し出てくれた人全員分の花をまとめて棺の周りにアレンジして飾ってくれるシステムなのだ。だから会社名だけが目立つ花輪もないし、生花ひとつひとつに宣伝のような板状の名前もない。その板状の名前は会場の壁にまとめて並べられる。全体の花をどんな色のトーンにして欲しいかを決めるのは一連の作業の中では楽しいことに属した。ただ花を供えてくれる人の数をまとめるのが難しそうだった。

母は遺影の写真を決めていた。それは私のヨット仲間でもあり、陶芸の師匠でもあるはまちゃんが私の居ない間に上京して泊まり、その時父と母が案内した植物園で撮ってもらった写真だった。それを写真立てから外し、背景までそのまま引き伸ばしてもらうことにした。ざっとした数分の説明でおよそ理解出来た。花の数と色合いの他、通夜と告別式後の料理を決めるために何部かパンフレットも渡された。

2006.10.11

−父 永眠X−

とにかく、どうして私がこんな一連のことをわざわざ書いているかと言うと「人が亡くなる」と言うことは、悲しみや落胆を別にして想像を絶するほど大変なことだと言うことを知らない方にも知っておいて欲しいから。幸いにしてこのような事態に遭遇したことがない、今までの私を含めた人たちは常識的に考えて亡くなって30分も経たないうちに婦長から「早く病院から引き取ってください」なんて言われないと思っているだろうし、亡くなって7日以内に死亡届を役所に出さなければいけないことや、14日以内に年金の手続きをしなければ罰せられると言うことをご存じないと思う。私の様子を見て義妹が「国がどうにかしてくれないものなのですか」と憤慨していたけど、その国が決めたことなのだ。

病院では父が亡くなって搬送するわずかの間に「死亡届(死亡診断書)」を一通書いてもらった。婦長のアドバイスでお金もかかるし他に必要なときはまた書いてもらえばよいので1通で良いだろうとのことだった。確かに後日お願いしたところ一通8千いくらかの費用がかかった。役所に届ける他に死亡保険金の請求に必要な場合があるが、保険会社や加入している補償内容によってはコピーでも良い。死亡保険金ではなく、入院給付金をもらうような場合は保険会社独自のフォームに書いてもらわなければならない。私がたやすく理解出来たのは専門である保険関係だけだ。その死亡届を葬儀屋の中村さんに預けた。役所に届けてくれて火葬許可証をもらうとのことだった。なるほど、遺族がもたもたしていたのでは火葬出来ないから自分で行った方が早いわけだ。

葬儀までの数日間、母を連れて弟の車で役所や銀行を回った。母は運転免許を持っていないので身分証明がなく、パスポートを取りに家に帰らねばならないなんてことはザラだった。初めての場所で、初めての用紙に、細かい字で書かれている書類をとっさに読んで記入しなければならない役所は年輩の人にはまだまだ優しくない。私でさえ、何階のどこに行って並べばよいのかまごついた。しかも中村さんが死亡届をすぐに提出したにもかかわらず、役所のコンピュータに反映されるのは2週間後だそうで、父の健康保健証を返納しに行ったところ突っ返された。そうそう、実家のある区では亡くなった人の健康保険証を返納すると7万円だかの火葬費用がもらえるとのことだった。どうにかして、私が東京に居るわずかの間に済ませなければならないことが山積していた。年金は、亡くなった父の年金の6割だったかと母が現在もらっている年金の額のどちらか高い方を選ぶことが出来るらしい。その手続きには印鑑証明や年金手帳など、何と15もの書類が必要だった。とても電話で済むものではない。あとは2週間後に父が除籍された戸籍を取って申請すれば良いだけのように封筒をいくつか作り、メモをクリップ留めして提出書類を揃えたが後日、それでも母から何度も確認の電話が来た。

印鑑証明からしてやっかいだった。母は父と別の印鑑証明を持っているのか、母独自のものなのか、そもそも母が持っている印鑑証明のカードは家族カードなのか、何もわかっちゃいなかった。従って持っている公的証明を全部と見あたるだけの印鑑を持ち歩くことになる。ふーっ。母は持っているだけで殆ど使ったことがなかったので母の印鑑証明のカードを自動券売機状の機械でも使えるように交換してもらうところから始めなければならなかった。東京では窓口で受け取ると1通300円の印鑑証明が、自動券売機だと200円になる。

銀行も名義人が亡くなったと聞きつけると凍結される。つまり本人ではない人が勝手に下ろすことを阻止するためだ。鹿児島では死亡広告ですぐにわかってしまうようだが東京では一般市民全員が死亡広告なんて出さないし、その死亡届が役所のコンピュータに反映されるまで多少の時差があった。とにかく、8月からの入院費の請求が未だ1通も届いていないし、抗ガン剤などの保険が効きそうもない治療や容態が悪化して個室に移された差額ベッド代もあるので、私たちはいくら請求が来るか恐れていた。カードも印鑑も暗証番号さえわかっていたので引き出すのは簡単に思えたが用意周到な父は引出限度額を10万円に設定していたり、指紋認証までしなければならなかったりで何もかもスムーズには行かなかった。ご承知の通り、一般に現在ではカードでの引出限度額は50万円である。

2006.10.17

−父 永眠Y−

手続きはもちろん役所だけではなかった。父は母とふたりで住んでいた。従って家の火災保険の契約者も父で、水道料金も、電気代も、ガス代も、電話代も、NHKの受信料だって父の口座から引き落としされている。それらをすべて母の名義に替え、母の口座に設定し直さなくてはならない。ただ、父はトシだと言うことで今年の初めに車を手放し自動車保険も自賠責も解約していたのが救いだった。母は一件一件電話をかける私を見て感情的に「もう良い」と言ったけど良いはずはなかった。誰かがいつか、それも近日中にやらなくてはならなかった。名義や契約者はそのままでも良いけど、口座から引き落としされなければ支払いが滞り、やっかいなことになる。請求ハガキの番号を確かめながらの電話は平日のしかも昼間でなければならず、そもそも何十年も登録されている住所が間違っていたりして一筋縄ではいかなかった。名義はたいてい電話で変更出来たが、口座は届出印が必要なため、郵送されて来た書類にいちいち書いて送らなければならなかった。

火災保険は名義を替えるだけで良い。かつての同僚に電話をかけ、契約者変更の承認請求書を送ってもらって母の名前を書き、押印し、返送するだけだ。次はガン保険と生命保険。この際、頂ける物は請求する。証券は見つからなかったが何通かのお知らせDMが届いていたため加入が確認できたのだ。とにかくみなさん、自分が加入している保険などの一覧表を日頃から作っておきましょう。お父様を亡くした友人は自分のパソコンのデスクトップに誰が見てもわかるように加入保険と取引銀行の一覧を書いておくようにしたそうだ。几帳面な父も手帳に手書きの一覧表をあちこち書いていたがあまりにいくつもありすぎてどれが最新版か、わからなかった。いつ倒れても良いように?病歴やアレルギーを書いた紙片や小銭もあちこちに入ってはいたが遺書らしきものは見あたらなかった。通常、自動車保険や火災保険などの請求に証券は要らないのだけれど、満期金がある傷害保険や生命保険の請求時には証券が必要。ただし見あたらなければ正直にないと言えばどうにかなる。たいていは紛失欄に押印するだけだ。生命保険はたいてい40〜50才代に亡くなった場合の死亡保険金が高く、それ以降は下がっていく契約が多い。保険証がないから確かめられなかったけれど父の契約もそうだったようで、金額が低かったため死亡保険金の請求は死亡届のコピーで良かった。20日以上入院した場合1日5,000円おりる入院保障は予め入院中に私が電話しておいたので請求用紙が郵送されて来ていた。こちらは病院に必要事項を記入してもらわなければならない。

父は普通の生命保険の他、アメリカンファミリーのガン保険にも加入していたが6年前の前立腺ガンで一度保険金を受け取っているのでもう請求出来ないと思っていたようだ。母も同じようなことを言っていた。だが初めてガンだと告知された時の一時金は下りなくても何度でも入院給付金は請求できるはずだ。もちろん死亡保険金もある。証券がないからとりあえず電話して尋ねたがやはり死亡保険金と入院給付金はおりるとのことだった。こちらは専用の死亡診断書と入院証明が必要だったため郵送されてきた書類を生命保険のものと併せて3通、今度は病院に電話をかけてわざわざ行かずとも郵送で対応して欲しいとごねた。文書課は「先に支払いをして頂きませんと」とブツブツ言っていたが「未だ届いていない病院の治療費に載せて請求してください」と押し通した。世の中には請求できるのにしていない人とか、どうやってしたら良いかわからずそのままになっている人達がたくさん居るだろうと確信した。その上、父の入っていたガン保険は家族契約として母の保障も付いていたためそのまま解約しないで母に契約者を変更するという手続きも必要だった。

父のクレジットカードの解約もあった。電話して死亡の事実を告げれば電話で解約できるものが多かったのでその都度カードにハサミを入れて、確認のため捨てずに封筒に入れた。母が使えそうなデパートの優待券付きカードなどは母に名義変更して欲しいと伝え、書類を送ってもらった。

2006.10.27

−父 永眠Z−

通夜と葬儀は滞りなく行われた。
葬儀屋の中村さんは父が亡くなってから何だかんだと毎日顔を出してくれた。始め、「段取りは決まっているのに明日はどんな用事があって来るのだろう」と思っていたけど昨日来てもらってから1日経たない内に次々に不明なことが現れて聞くことが出来た。中村さんは会社のフリーダイアルの他に携帯も教えてくれてどんなことでも電話してくださいと言ってくれた。出来た遺影を持ってきてくれ、通夜の前日には忘れるといけないからと引き取りに来てくれた。私と弟が用事で出かけている時には母の話し相手もしてくれていた。思った通りの葬儀を出すためには家族とのコミュニケーションや信頼してもらうことも大切なのだと後から教わった。ちなみに中村さんの葬儀社は東洋博善株式会社、フリーダイヤル0120−140−747。お金をかけるばかりが良い葬儀ではないと中村さんは言っていたから、社内での成績は良くないかもしれない(^_^;)けど、母を含めた近所のおばさま達は中村さんに予約すると言っている。

父の棺の周りは思った以上にきれいな生花で飾られていた。私が小学生の姪と決めたように、白を基調にブルーや薄いピンクがちりばめられていた。欄やトルコキキョウで辛気くさい菊などはなかった。私はどうも菊が好きになれないので嬉しかった。胡蝶蘭が手に入ったのだと中村さんは自慢気に教えてくれた。父が好きな花のひとつだった。通夜には、びっくりするほどの行列が出来た。私に喪服を速達で送ってくれた友人も鹿児島から駆けつけて受け付けを手伝ってくれた。親族席にいる私たちにはあまりに多くて誰が誰だかわからなかった。2階席にしつらえた「精進落とし」と呼ばれる寿司などの料理は足りなそうであれば中村さんが追加してくれることになっていた。「志」と呼ばれるチップ?!を誰にどのタイミングで渡すかが難しかったが、それも予め渡す人と金額のリスト通りの合計金額22,000円を中村さんに預けておいて名前を入れた小さな封筒に入れて必要なタイミングで渡してもらったので助かった。

告別式の日は嘘のように晴れ上がり、気持ちの良い秋晴れだった。初めて秋なのだと気づいた。1才半の姪をあやしながら到着が遅れているお坊さんに気を揉んでいた中村さんがやっと到着した僧侶を迎えお経を読んでもらった後、みんなで棺に花を入れた。すでに家から父を運び出す際に姪達が作った千羽鶴や手紙が入れてあった。母と私と弟に最後に胡蝶蘭が手渡され、棺に納めた。喪主である母に代わって弟が出棺の挨拶をした。

火葬場は同じ葬儀場内にあるので、ストレッチャーでみんなで運んだ。火葬が終わって骨を拾う時、初めてその由来であるのど仏がちゃんと仏様が座禅を組んでいておまけに袈裟までかけている姿を見た。たいていはボロボロに砕けてしまうらしいのだがさすが健康に気をつけていた父らしかった。親類と親しい人たちで会食をした後、棺に入りきれなかった生花はみんなに配られ、家に帰ってから大きな花束とバケツが届けられた。小学生の甥が再び、線香を絶やさないように火をつけてくれた。父を棺に入れる時も近所の人達も手伝ってくれ、絶妙のタイミングで父が好きだった柿や栗を届けてくれた。よく葬儀などのやり方で揉めたりすると言うけれど何一つ揉め事はなかった。誰もが優しくて暖かだった。

2006.11.08

−父 永眠[−

9月11日に父が亡くなって、葬儀場が混んでいたため15日に通夜そして16日母の誕生日に告別式を行った。告別式の夜、近所の人から母の為に「こんな時になんですが元気を出してもらおうと思って」とバースデーケーキが届けられた。有り難い。甥や姪は大喜びだった。2年前の誕生日はハワイで、ヨットクラブの二階のレストランで父からレイをかけてもらった母だった。

16日から18日、世間は3連休だったので週明けから出社しようとバタバタと鹿児島に戻った。翌朝「今日から出社します」と課長にメールを出したところすぐさま電話が来た。「助かった!」と言われた。何と課長のお母さんが突然、父の通夜だった土曜日に亡くなったと言うのだ。前の週は一緒に買い物に行ったが歩くのが大儀そうだった為奥さんが木曜日に顔を出したところ、布団から起きあがれなくなっていたらしい。通りで父が危篤だった時から毎日のようにメールをくれ、会社の人たちの香典までまとめて送ってくれた課長からここ数日間連絡がなかった。「わかりました、お任せ下さい。」課長は葬式が済んだかりの私に「いつ戻るか」とは聞かないでくれたらしい。仕事で忙しいのはかえって気が紛れたが、母から覚え立ての携帯メールがしょっちゅう届くのには閉口した。父宛のダイレクトメールが気になるらしかった。

鹿児島へ帰ってきたわけだし、私は別に大丈夫だと、何の問題もないと思ってはいるのだが調子が出なかった。春から少しずつ体重を落として体調を整えておいて本当に良かった。なぜかすんなりと月に1キロずつ落とせたので身体が軽くなって東京へ発つ前の体調は絶好調だったのだ。それが葬儀を終えて鹿児島に戻ってから、明け方4時なんて時間に目が覚めちゃったり寝付けなかったりした。数年前お父様を亡くされた保険会社の担当者からは「時間が薬だ」と言われたけど、体調を戻そうと久しぶりにスポーツクラブでエアロビクスのクラスに出た時、飛んだり跳ねたりしていて急に涙が出た。だけど悲しんでいる場合じゃなかった。

寺の都合で少し早めの四十九日の法事が決まった。役所などへ行くため平日が必要だったので1日だけお休みを頂いて土日月と帰ることにした。一方、鹿児島は田舎でいろいろしきたりが違うらしく、お母様を亡くした課長は毎週ふた七日、み七日と法事をやらねばならず、しかも合間に私のように役所や税務署、銀行に出向かなければならず忙しそうだった。ところが今度は以前から危篤状態を繰り返していた課長の義父さまが再び危篤となり、亡くなった。課長はどうしても出なければと親友のお母様の通夜に参列した翌朝、奥様の実家である大阪へ飛んだ。そしてわずか数日後電話が来た。今度は鹿児島の叔父様が亡くなって大阪から鹿児島へ戻ってきたと言うのだ。叔父様は夜寝ていてそのまま亡くなったそうだ。課長か、私か、少なくともどちらかが必ず出社しなければならない。課長は私が四十九日に東京へ帰る予定の週に出社した。「もうこのへんでお払いでもして不幸な話は終わりにしよう。」と飲みにでも行く算段をしていた矢先だった。

夜、弟から義妹のお父さんが倒れて運ばれたらしいとメールが届いた。弟は連絡を受け電車で自分の家に戻る途中らしかった。義妹に電話した。夜、帰ってこないお父さんを実家のお母さんが心配して探していた時、現場で倒れているお父さんが発見されたそうだ。お父さんは大工さんだった。たったひとりで現場で作業中、何かが起こって落ちたらしい。近所の人が毎日暗くなると灯るはずの電灯がつかず、車はあるのに作業の音も聞こえないと連絡してくれた、とだいぶ後からわかった。何と発見されたときはすでに亡くなっており、救急車で運ばれた先は警察の霊安室だった。電車を降りて家まで歩いている弟からの電話で話すと弟は絶句した。奥さんとバトンタッチして子供達の面倒を見ている弟と私はメールでやりとりしながらその夜遅くまで義妹が最終電車で実家に帰った連絡を待っていた。

2006.11.18

−父 永眠\−

数日後の父の四十九日はまたもや快晴だった。予定通り朝一番の飛行機で鹿児島から羽田に飛び、そのまま千葉のお寺に向かう。母と弟と、弟のふたりの子供達が駅まで迎えに来てくれた。カーナビで検索して近所の不二家レストランでお茶する。便利な世の中。義妹と赤ちゃんだけが亡くなってしまったお父さんの通夜の準備で実家に残ったとのこと。約束の1時前に寺に着くと父のお姉さんが息子(つまり私の従兄弟)に連れられてちょうど到着したところだった。叔母さんはただでさえ足腰が弱って具合の悪いところにたったひとり残った弟まで亡くして余計細くなったみたい。法要に集まる親族はこれで全部。少ないけど何の揉め事もなくて平和。

お経を聞いて墓に父のお骨を納め、花と線香を供えた。子供の頃の記憶通り、お墓は巨大なイチョウの木の根本にあった。青空にイチョウの木が映えていた。父はついこの間のお盆にもここを尋ねたそうだ。その時お墓の中のおばあちゃんと何を話したのだろう。法事が終わってから父と母がお墓参りの帰りによく立ち寄ったと言う寿司屋に寄る。ファミリーレストランのような雰囲気の、きれいな店でみんなは食べたいものを注文してワイワイ食べた。父さんも喜んでいるかも。

それから再び車に乗って今夜の通夜に参列するため義妹の実家、厚木に向かう。何とも忙しい日だ。喪主である義妹のお母さんは母と抱き合い「一瞬先は闇だ」と嘆いた。朝お弁当を作って夫を送り出し、夜には警察の霊安室で会うハメになったのだ。義妹は長女で妹しか居ないため、夫である私の弟は翌日の葬儀の後に再び出棺の挨拶をしなければならないと苦笑いした。誰だって1ヶ月のうちに二度もそんなことはしたくない。そう言えば数週間のうちにお母様とお義父様を亡くした課長も同じような目に遭ったに違いない。

その夜、母と弟と3人で10時ごろやっと実家にたどり着いた。それから夜中までかかって書類の整理をした。翌日、亡くなった父の確定申告や相続の相談に乗ってくださるために父が中学時代共に疎開したと言う弁護士さんが来てくださるのだ。弟と私は山のようなダイレクトメールや書類と格闘しながらリストを作り、一方母は私が渡す郵便で届いていた名義変更や口座引き落とし書類に次々とサインした。長い長い土曜日だった。日曜日の朝、弟は葬儀に参列するため出掛けた。私はもう一度書類を探し、整理し、今度はお香典を頂いた方へのお返しリストを作成した。弟がパソコンで作ってくれた住所録に付け加える。

夕方、弟が戻ってくる時間に弁護士さんが到着。亡くなって4ヶ月以内にやらなければならない故人の確定申告をするためには去年の控えがあった方が良いと言うことになったのだけれども母は父に任せきりにしていたため確定申告がどんなものなのかすら知らなかった。もう一度必要書類を集めるてから、今度は税理士を連れてきたいとのことだった。もう何度か、鹿児島から飛行機に乗らなければならないらしい。夜は香典返しリストの品物決め。父のパソコンの前に座った弟に、カタログから商品を決めて番号を言うだけなのだが母は決めかねて何度も投げ出しそうになった。私と弟にとっては作業の中では楽しい部類に入った。

翌月曜日、平日しか出来ない手続きの電話を何本かかけ、母と二人でデパートの外商部へ行ってお返しリストを手渡す。挨拶文の打ち合わせをして完了。母の好きな中華料理店で昼食を取り、やっと解放された。S氏の見送りを受け、夕飯に鹿児島にはない崎陽軒のシュウマイ弁当を買って飛行機に乗った。



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