(第十一段)          



2003.08.12

−三島カップヨットレース−

「ったく、子供でもこんなに遊ばないよ」とは、昔、と言ってもほんの14年ほど前(^_^;)、神奈川の油壺と言うところで私が初めて乗ったヨットの師匠の言葉である。

本当にヨット乗りはよく遊ぶ。どこにそんなパワーがあるのだろうかと思うほどで、しばしばヨット乗りとしては体力のない私は途中で挫折しそうになる。ただし、一般的に会社などで私に体力がないなどと言う人は居ない。慣れない人にはただ半日ヨットに乗る、と言うことだけで乗る前からの緊張感とか、乗っている時に身体に力が入ってしまうとか、慣れない陽射しを浴びることだけで、ヘトヘトに疲れてしまうものだ。それが繰船し、レースに集中し、食べ、飲み、笑い、騒ぐ。もちろん、レース期間が長ければそれが毎日続く。翌日仕事だから早く寝ようなどと言う言葉は存在しない。どちらかというと翌日仕事なら、始業時間までにどうやって会社にたどり着ければ良いか、と言った思考回路なのだ。

前週の、特に第3レースは40時間も走り続けた「火山めぐりヨットレース」の疲れが癒えぬまま、「三島カップ」が開催された。
6日間かけて東京から回航してきたヨットが火山レースに出、メンバーは一度帰ったがヨットはそのまま置いてあり、私はそのヨット「第一花丸」で出場することになった。二日前に役場で行われた艇長会議に出る。スタートは土曜日早朝6時、スタート地点は錦江湾の出入り口にあたる山川である。県内のヨットは土日休みであれば何とか休暇を取らずに出場出来るので人気がある。県外の参加者は前日の金曜日に鹿児島に来、ヨットを山川に運んでおかなければならない。ヨットヤードのある谷山から山川までは約23マイル南、機走(エンジン)でおよそ3、4時間。夕方山川に到着してしまった艇はそこで宴会となる。私もオーナーから「夕飯は一緒に食べましょう」と言われ、しかも指定された時間が夕方6時だったので会社を1時間早退し、車を走らせた。メンバーは温泉に入りゴキゲンである。当然、夜中までヨット談義。

朝、といえるかどうか、まだ真っ暗な4:30に起きて出航準備。参加艇の印である「C旗」をバックステイに、ゼッケンをバウにくくりつけエンジンをかける。各種ロープや帆を準備し、荷物を格納する。この緊張感がたまらない。ビーチサンダルからデッキシューズに履き替える。早くも首にタオルを巻いたり日焼け止めを塗って日焼け対策をしている人も居る。出航してからスタートまでの間に朝食のおにぎりを頬張る。だんだん明るくなって、スタート。目指すは火山の第3レースで廻った硫黄島と竹島である。珍しく風がある。しかも追っ手。北東風だ。スタート時から追い風用のスピンを揚げ軽快に走った。数回のジャイブ(方向転換)の後、あっけなく4時間半で竹島の港前にフィニッシュした。

2003.08.16

−三島カップヨットレース パーティー−

フィニッシュした後、スピンを揚げたまま硫黄島の港に向かう。フランスパン、トマト、きゅうり、クリームチーズやピーナッツバターになんと赤ワインと言う豪華な昼食。真っ青な空に硫黄島がきれいだ。火山レースであまりに風が吹かずその前で漂い続けたため「ざけんなよ岬」とか「なめんなよ岩」などと名付けられた箇所は、「ブラボーロック」と変名された。硫黄が溶けてオレンジ色になった港に入る。暑い。

帰着申告をして、冷たい麦茶やビールを頂いた後、島の方や役場の方のご厚意で島内観光。歩いているクジャクを見、岬から港を見下ろし、波打ち際の岩場に沸く天然の露天風呂に入る。温泉はそのまま海に流れていてそのあたりの海で泳いでも暖かい。皆子供のようにはしゃぐ。ちょっと日本とは思えない島なのだ。

港近く、公民館の温泉に入り、かき氷を食べて体育館に行く。夜に寝る場所を確保するためだ。積み上げられた畳を運び、更にゴザまで敷いて準備万端。そろそろ公民館前の石舞台でパーティーが始まるようだ。

子供達の発案で作られたと言う手作りのゲートに迎えられ、パーティー会場に入る。飲み物と葉っぱにくるんだおにぎりを受け取る。石舞台の背中側は断崖絶壁、直に映像も映し出せるかという岩である。その舞台を囲むように、三島村の硫黄島、竹島、黒島の青年団や婦人会が作ってくれた模擬店が並ぶ。焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、フランクフルト、かき氷、生ビール等と言う定番から手作りパンや、聞いたこともない「びんげ」と言う魚の塩焼きや唐揚げ、飛び魚のすり身を薩摩揚げのように揚げた「大名揚げ」、クロ鯛の丸焼きまである。それぞれ金券を支払って買ってくる。食べ放題のバーベキューもある。舞台前の特等席(と言っても青いビニールシートなのだが)に陣取って乾杯。チーム紹介や表彰式が行われた。レース参加艇は47艇。ヨット乗りだけでも300人を越える。それに役場の人、島の人、フェリーで来た人が加わる。そうそう、我が「第一花丸」はレーサークラスのAクラス、4位だった。まぁこのレースは楽しめれば良いのだ。レース後の回航のために燃料や水を200Lずつも満載しているヨットとすれば上出来だろう。

あたりは日が落ちて暗くなり、舞台ではひょっとこ踊りや歌謡ショーが行われ盛り上がる。アフリカの太鼓、ジャンベ演奏の第一人者であるママディ・ケイタさんと、踊りの名手ベベ・ユーラさんが舞台に上がる頃にはパーティーは佳境に入っていた。ビニールシートにおとなしく座っている人などほとんど居なくなり、カナブンの襲撃に遭いながらも舞台の前で隣の人の肩を抱き、チームのプラカードを振って皆、歌い、踊った。

抽選会も済み、パーティーが終わってからもう一度汗だくの身体を洗い流すべく温泉に入る。今度は暑くて寝られない。みんなで外をウロウロし、芝生の中のベンチで再びヨット談義。東京から来た友人は星がきれいだと感動した。

翌朝、東京のヨットは鹿児島には寄らず、そのまま徳島へ回航するとのことなので鹿児島のヨットに乗って帰ることにした。徳島まで連れ去られては大変だ。婦人会差し入れのおにぎりをもらって7時前に出航。山川に寄港し、鰹定食を食べた。

オーストラリアのレースなどを転戦している「第一花丸」オーナーの、パーティーでの踊りと、「三島カップは日本一のレースだ」と言う言葉が目と耳に残っている。

2003.08.20

―夏ごはん―

やっとニガウリが2本で100円とまともな値段になって来て、夏ごはんを楽しんでいる。ニガウリは沖縄ではゴーヤ、鹿児島でも「ニガゴイ」と言ったりする。このニガウリを縦半分に切り、スプーンで中のタネとフワフワした夏みかんの皮の内側についているような綿を掻き出し、スライスして炒めるのだ。断然、中華鍋にごま油である。そこへ大量の白ゴマを投入し、ついでにみそ汁のダシで余ったオカカ(削り節)なぞをパラパラと振り、少量の砂糖と醤油。最後に溶いた卵を絡めると苦味もほどほどになって美味である。友人の家では豚肉と豆腐を入れるそうだ。ニガウリはビタミンも豊富で身体にも良いらしい。ただ、数日おいて周りが緑から黄緑に変わった頃に包丁を入れると「ギャーッ!」と叫んでしまうほどホントに、種が血のように真っ赤に変色してしまうのだけが許せない。

気を取り直してこれまたやっと1袋100円程度になったきゅうりを洗ってヘタを取って半分に切る。以前はヘタを切り取ってから端とぐるぐるとこすり合わせると苦味が取れると聞いたが今は初めから苦くない。そして何年か前に実家から譲り受けてきた糠床の中に入れてあるきゅうりを出して交換するわけだ。私的にはぬかみそを必ず毎日かき回さなくっちゃいけないと言う掟はなく、冷蔵庫に入れておけば何日か放置しておいても別状はなく、従って早く食べたい時には冷蔵庫から出しておき、浅漬けも古漬けもまた良しとするのだ。

そしてみそ汁。今まで私の具の好みは「油揚げと賽の目豆腐に長ネギ」か「わかめ」、せいぜい「大根の千六本」だと固く決めていたが、最近は青菜に目覚めている。もともと豚汁のような具だくさんのものは江戸っ子の私としては粋ではないと決めているので具はあくまで少量である。青菜は鹿児島では「大根葉」と呼ばれる、何だかわからない、まだやっと双葉になったくらいの葉っぱを、これでもかとビニールに詰めて100円程度で売っているヤツだ。野菜不足の折りに買ったところ、レジのおばさんから「これをみそ汁にすると美味しいのよねぇ」と夢見心地で言われ、試したのが始まり。その後小松菜などもシャクシャクとした歯触りが楽しめて美味しいと気づいた。ただしほうれん草はすぐに柔らかくなってしまって私の好みには合わない。それと味噌は間違っても鹿児島の甘い麦味噌は買わない。私は、味噌は麦ではなく大豆で作るものだと信じている。製造場所が長野県や宮城県などのものを選んで買う。たいていは信州味噌だ。それに身体とコクのために別に買ってある八丁味噌を、その信州味噌のパッケージの中に直に大さじ何杯か入れて置いて、気分でちょっと八丁味噌の混ざった部分か、全く混ざっていない部分をすくって使う。実家ではダシに煮干しを使っているので煮干しは欠かせないが、私は鰹節も入れている。更に昆布をひとかけら加えると贅沢なお味になる。ちなみに、ダシは濃いが味噌は薄味がよろしい。

まぁ、これに納豆とか、冷や奴とか、豚肉の生姜焼きなど何かもう1品くらいで私の夕飯は完成する。
実は鹿児島の八百屋ではこの時期ニガウリの他に怪しげなものが並んでいる。「へちま」と「といもがら」だ。「へちま」はあの緑の、最終的にはお風呂で使うアレであり、「といもがら」はどう見ても何か、里芋か何かの茎の部分だとしか思えない。両手に抱えて買っていたおばさんに聞いてみたところ、「へちまは炒め物が良いわよ」と言われ、そこへ歩いてきた別のおばさんは「みそ汁だ」と言った。「といもがら」はどうやら刺身のつまにする大根の代わりに使ったりするらしい。近い内にぜひ、チャレンジしてみたい。

2003.08.24

−お盆−

いやぁ、「所変われば」で、お盆は驚くことばかりである。
まずそもそも私は都会っ子なので、お盆や正月に親戚中が集まると言う行事に遭遇したことはない。東京の友達とは、そう言う家の嫁は勤まらないねと常々話している。ただでさえ交通機関は混み、道は渋滞、旅費なども高く、出掛けるには最悪の日である。そんなに大勢で押し掛けられては迎える方も大変だとただ漠然と思っていた。だからお盆に会社を休んだこともない。

それがそんなものではなかったのだ。会社の友人はまさしくその「迎える側」で、お母さんや親戚の人と東京から来る親戚家族まるごとの旅費を負担し、来てから帰るまでの日程を立て、車を手配し、夕食を振る舞うのだそうだ。これではさぞ来る方は楽しみだろうと思ったが、これまたそんなことはないらしい。東京から来た一族で楽しみなのはおじいちゃんとおばあちゃんくらいで、息子夫婦や、特に独身の息子などは滞在中文句ばかり言っていたそうである。そりゃあ田舎で親戚とご飯を食べているより、東京で友達と遊んでいる方が楽しそうだ。

来る方も来られる方も負担ならいっそ辞めてしまえばいいのにと思うのだが、そうも出来ないらしい。その会社の友人はその他にも毎年、お歳暮やお中元の品を親戚中に配るのだと言った。しかも県内の親戚には郵送や宅配便は許されず、よくテレビのコマーシャルでやっているように暑いさなかに汗を拭き拭きカルピスやハムを持って自宅を尋ねるそうである。不在の場合はまた日を改めて出向くとのこと。おー!貴重な週末、私なら出来ればもう少し有意義に使いたいところだ。だいたいお歳暮やお中元なんて会社の上司や(私はあげたことないけど)、せいぜい特に世話になった人に差し上げる物で、親戚に配るとは知らなかった。鹿児島の別の友人にも聞いたが、そこには本家とか長男などの深〜いわけがあるそうだ。どうも理解しがたい。だからだんだんと都会っ子は「今度のお正月は香港に行きますので」なんて逃げに走るわけだ。しがない日本のサラリーマンはお盆と正月、それにGWくらいしかまとまった休みが取れないのだ。

ご先祖様には申し訳ないが、私はお墓参りと言うものもあまり行ったことがない。最多記録でお盆とお彼岸の年2回。だが鹿児島のお墓はそうはいかない。「花を枯らさない」のが自慢と言うか掟なのだ。上記の、東京から親戚を迎えた友人は会社を半日休んで6ヶ所のお墓参りに行った。だいたい親戚の墓って6ヶ所もあるものなんだろうか。しかも、しかもである。数日後、その友人の家にわざわざ電話を掛け、「お宅のお墓の花が枯れていましたよ」と忠告する人まで居るというのには仰天した。近所の銭湯のサウナで地元のおばあちゃんが話していたところに寄ると、おばあちゃん達は朝晩の1日2回、お墓参りに行くとのこと。車で3時間もかかるような都会とは違って歩いて行かれる立地条件もあるのだろうが、そもそもお墓参りは陽のある内に、と言うのは私の覚え違いだったろうか。

私の母は「私の骨は海に蒔いてちょうだい」と言っている。私の時もそれで構わない。自然に還るわけだ。友人の中には、「高いお墓を買って入れてくれたり、墓参りをしてもらうくらいなら、生きている内にごちそうしてくれた方が有り難い」と言う意見もある。それはそれで理解できる。

東京の青山墓地の抽選が行われた。30倍だかの競争率だったそうだ。「抽選でなくて入札が良い。1億出しても2億出しても入りたい。」と言う人を、私は理解できないでいる。

2003.08.28

−墓場で花火−

「所変われば」シリーズ第二段である。
お墓の話題ついでに、あまりに暑いから涼しくなる話題を、と言うわけではない。
長崎出身の課の女の子に聞いたのだ。長崎では花火はお墓でやるものらしい。
「鹿児島ではお墓で花火、やらないの?」と、友達に聞いたそうだ。聞かれた友達は「そんなことしたらご先祖様からバチが当たるよ」と答えたという。もっともな答えである。鹿児島でなくても東京でだって、子供がいたずらでもしない限り、「お墓で花火」は見たことも聞いたこともない。

それが長崎では普通に、お父さんもお母さんも、おばあちゃんや子供達も、家族揃ってお墓に花火をしに行くそうなのだ。そしてその時期になるとあちらのお墓でも、こちらのお墓でも、花火をしているらしい。その、長崎から来た22歳の女の子はだから子供の頃、「今日はお墓に行くよ、と言われると嬉しかった」そうだ。子供をお墓に連れていく口実なのかと思いきや、そうでもないらしい。亡くなった人も一緒に家族で楽しむためらしいのだ。考えてみれば正しい。何もお墓はシーンと静かで暗くなくてはダメだという決まりはないのだ。ワイワイするのも楽し気で良いかもしれない。それにしても花火が出来るような時間帯のお墓は不気味な気がしないのだろうか。

で、長崎と言えば「精霊(しょうろう)流し」である。さだまさしの「去年のあなたの思い出が、テープレコーダーから流れています・・・」と言う歌しか知らない私は、何かロウソクの周りをきれいな和紙で囲ったりして川などに流すものだと何となく思っていた。それがあっけなく、「違いますよ。それは灯籠(とうろう)流しでしょう」と一蹴された。

「精霊流し」とは、亡くなった人を思い、みんなで船を作るのだと言う。それが結構大きなもので、池の手こぎボートくらいの大きさの船を作り、故人の好きだったものや、好きだったものをかたどったものを満載し、写真などを飾り付ける。その船を、みんなで引きずりながら町中を回るのだそうだ。亡くなったのが残念なことに子供だったりすると小さな船を作るらしい。その船と一緒に、ダンボールに詰めた爆竹などを引いて火をつけ、爆発させるのだそうだ。ダンボールごと火をつけるのだと言うからすさまじい。子供達は爆発した後のダンボールから、何らかの理由で火がつかなかった爆竹を拾い集めてきてはそれで遊ぶのだそうだ。彼女はそれが楽しみだったと言った。その時期になると長崎の中華街では安い輸入品の花火や爆竹を売る店が特設され、長蛇の列になるという。人々はお墓でやる花火や、ダンボール単位の爆竹を大量に求めるのだそうだ。亡くなった人もさぞ楽しいに違いない。

日本もなかなか奥が深い。

2003.09.02

−マイブーム−

10個1パックの卵を58円、お一人様1箱限りの洗濯用洗剤をなぜか2箱買って、トイレットペーパーは12ロール200円を切らなきゃ高いから買わないと友達に言ったら、「sea-laは例え給料が今の10倍になってもそうやって買い物するでしょ」と痛いところを突かれた。たぶん、宝くじで3億円当たっても同じだろうと思ってひとりで受けた。そう言えば卵を1パック100円以上で買ったことはたぶんない。

最近のマイブームは青菜のみそ汁の他に、コーヒーに入れるスジャータと言うメーカーのミルクがある。「フレーバー」と言う、良く喫茶店や来客時にコーヒーの横につけて出される、プチッと開けて注ぎ入れるポーションタイプの液体だ。それがただのミルクではなく、香りがついている。「キャラメル&シナモン風味」と、「ヘーゼルナッツ&チョコレート風味」。どちらも美味しい。私はコーヒーをかっこよくブラックで飲むことは出来ず、お砂糖と大量のクリームを入れる。場所に寄ってはそれらのものがなくて飲めない状況になる。ヨットや会社の給湯室などでそのたびに砂糖を探したり、スプーンを洗ったりするのが大変だったりする。この「フレーバー」は一石二鳥と言うか、そんな面倒がない。この、プチッと開けた液体の中にはそのフレーバーのミルクの他に砂糖も入っているのだ。正確に言うと砂糖ではなく、カロリー50%の甘味料だ。常温で4ヶ月ほど保つらしい。

会社で時々コーヒーを飲むときのために、私は小さい瓶にインスタントコーヒー、砂糖をそれぞれ用意し、他にパウダーかポーションタイプのミルクを買っていた。それがインスタントコーヒーの他にこれひとつで済むのだ。それにどこかハワイで飲んだコーヒーを彷彿とさせる香りが楽しめる。

ハワイと言えば去年留学の時に安く買ってきたウクレレである。無料ウクレレ教室の先生に、教室が終わった後リーズナブルなウクレレメーカーをこっそり教えてもらったのだ。ギターと違って弦が4本しかないし、持ち運びにも便利なのだが指がどうしてもギターのコードから離れられない。それを何とか友達と練習している。他にもウクレレを買った友達が居て今度会う時には出来ればみんなで弾けたら盛り上がるだろうと企んでいるのだ。現在課題曲を探している。誰もが知っているハワイアンミュージックと言うのは意外に少ない。

更にアイスのマイブームは「オハヨー」と言うメーカーの「黒豆あずきアイス」。聞いたときはギョッとしたが会社の友達に勧められた。1箱に7本入って定価300円と言うもので本当の、丸のまま煮た黒豆が入っており、あなどれないおいしさである。もちろん近所のスーパーが半額セールをしている時に買う。1箱150円。

そして英会話である。留学後、1文ずつ書き留めている英文が600を超えた。通勤ではMOで会話のテープを聞いている。ほとんどこれも趣味の域で、マイブームが続いている。

何とかまた、海を渡る。

2003.09.06

−ハウステンボスカップヨットレース 土曜日−

土日でハウステンボスに行って来た。鹿児島から長崎までは結構遠く、ヨットだと30時間ほどかかる。何かの目的のために、どこか目的地までヨットに乗りながら運ぶことを「回航」と呼ぶが、しがない派遣社員にはなかなか休みが取れないので回航は仲間にお任せする。

木曜日早朝に鹿児島を出たヨットは南下して錦江湾を出、その後西九州を北上するわけだが、この時期になぜか横たわっている前線を突っ切らなければならないハメになり、雷と土砂降りの大雨で結構大変だったらしい。NHKの天気予報が放送される度にメールを送ったが悪天候のために30時間のはずが36時間もかかってしまい、やっと金曜の夕方についたと連絡が来た。

陸路でも長崎は結構遠い。高速バスは福岡行きだけなので、JRで乗り換えて行くか、はたまた飛行機か、自分の車で行くことになる。自分の車でも九州は結構横幅(東西)があるので福岡へ行く方が近いくらいだ。土曜日朝8時前に家を出、ほとんどノンストップでハウステンボスについたのはお昼前だった。ちなみに高速料金は片道7,440円+400円。ガソリン代を加えても2人以上であれば自分の車で行く方が安いし快適である。一部熊本あたりのトンネルの対面通行がやっかいだが渋滞はあまりない。

ヨットレース参加者は正門側ではなく、裏のマリーナ側の駐車場に車を停める。ディズニーランドのように駐車料金がかからないのが救いである。裏口の受付で名札と前夜祭入場のカードを受け取る。大会参加費はひとり4,000円。これには参加料の他、ハウステンボスへの入場料(土日2日間出入り自由)と土曜日夜に行われる園内での前夜祭参加料が含まれる。去年までは確か参加記念Tシャツもあったが今年はこのご時世だからか割愛されてしまったらしい。

参加者は夕方のパーティーまでに三々五々集まってくる。園内のホテルやコンドミニアムにチェックインしたり、ヨットの整備に勤しんだり、レースを忘れて園内で遊んだりする。ヨット乗りとしてはめったにない家族サービスの日でもあるのだ。この日ばかりはパパがレースに出ていても子供達は園内で遊んでいられるので文句は言われない。

レースの決まりを確認する艇長会議の後、夕方6時からは前夜祭だ。マリーナの横の、囲われたヨットヤードに、ほぼ150艇分の人が集まる。1チーム5人だとしても750人。実際にはレースには乗らないパーティーだけの参加者も居るので1,000人以上のパーティーとなる。食べるとか飲むと言うよりも1年に1度しか会わない人や、あちこちから集まってきたヨット乗りと挨拶を交わし、ヨット談義をするのが楽しみなのだ。舞台では踊りや歌も披露されるが毎年何をやっていたか覚えていない。

前夜祭が終わるとそのまま横のマリーナのヨット上で二次会を楽しんだり、園内のアトラクションを見て回ったり、ホテルに戻ったりする。何年かはヨットやその辺のベンチで寝ていたが、暑かったり、明け方寒かったり、雨が降ったりするので最近は軟弱にもホテルやコンドミニアムを利用する。それも何とか安く部屋を取り、そこにみんなで転がり込む。コンドミニアムの廊下や玄関などに所狭しと人が寝ていることなんてザラで、内緒だけどホテルのツインルームに8人で、なんて話もある。ヨットのデッキや園内のベンチよりも、屋根があってシャワーを浴びることが出来、エアコンが効いているのは、たとえ床に寝るんだって天国というものなのだ。

翌朝のレース当日、大方の「たぶん雨」の予想は外れ、青空が広がっていた。

2003.09.10

−ハウステンボスカップヨットレース 日曜日−

実は、去年のハワイ留学で仲良しになった大阪のネイリストSHIZUと帰国後初めてこのハウステンボスで再会し、彼女が取ってくれたチューリップホテルに転がり込んだのだ。だからシャワーを浴び、おしゃべりして快適に目覚めた。そしてここのところ久しぶりのホテルのバイキングで、グレープフルーツジュース、ご飯にみそ汁、海苔、和風ポーチドエッグ、サラダ、それにフルーツヨーグルトとコーヒーと言う、すさまじく和洋折衷の、ぜいたくな朝食を取った。

前日も昼過ぎに土砂降りの雨が降り、何とか前夜祭のパーティーは出来たものの日曜日の天気予報は降水確率70%で、私は雨女のSHIZUを攻めていた。ここ数年、ハウステンボスカップで雨が降った記憶はないのだ。それが起きてみたら晴天だった。しかも風が吹いている!!ゴキゲンだった。レースはショートとロングの2コースあって、我々はショートコース。スタートはクラス毎に10分くらいの差が一般的なのだが、ショートコースだけで90艇ものエントリーがあるので混雑することを恐れてロングコースの1時間後、10:30と決まっていた。

ゆっくりコーヒーを飲んだ後チェックアウトしてマリーナのヨットに集まる。SHIZUも一緒にチームユニフォームに着替えて出航。さすがにクラス毎のスタート時間を変えても凄い数のヨットだ。先にスタートしたロングコースと合わせると150以上ものヨットがセイルを上げて走っている姿は感動的だった。

ヨットレースのスタートラインは、コミッティ(審判)の船と、膨らませて浮いている(もちろん両方ともちゃんと錨を降ろしている)マークの間の見通し線である。運動会の石灰みたいに海に線が引けるわけではないのでリコール(フライング)には充分注意しなければならない。自分は止まっているつもりでも潮に流されることもあるのだ。それを効率よく、もちろんゆっくりスタートしていたのでは負けちゃうので、5秒、4、3、2、1でちょうどにスタートラインを横切るように繰船しなければならない。80艇以上のヨットが同じように考えているわけだからスタートラインはひしめき合い、多くのヨットがリコールしたため、最初のスタートはゼネラルリコールとなってやり直しになった。

風は右側から吹いており、故に私達は右端のコミッティ艇の内側を狙う。上一(カミイチ)、つまり一番風上側であれば他のヨットの陰で風が遮られることもないのだ。だけど大型艇も多く、もともとのスピードが違うのでなかなか難しい。風上側であれば他の艇の後ろでも良いと言うことになる。スタート5分前のフォーンが鳴り、旗が上がる。上一の大型艇のすぐ後ろを狙う。あちこちで怒鳴り合う声がする。それが何と後ろに着こうとした大型艇がどこかのヨットとぶつかり、スタートライン直前でピタリと止まった。その大型艇とコミッティ艇の間がポッカリ空く。チャンスだ。私達はラッキーにもその間に飛び込み、素晴らしく気分の良いスタートを切った。

スタート後ずうっと風上側にあるマークを目指す。方向転換のタックを繰り返し、SHIZUもその都度左右に体重移動して、風がより強く吹いていそうな左海面を走りながらマークを探す。ロングコースのヨットの間に点のようなオレンジのマークが見えた。今回のレースではそのマークを時計回りに回る。マークを回った後、風は後ろから吹くことになるので追い風用の帆、スピンの準備をする。マークを周り、ご自慢の「虎の足跡マーク」のスピンを上げた。艇名のTiggerにちなんでみんなでデザインしたのだ。艇速は6ノット台。良い走りでそのままフィニッシュ。

マリーナに戻り、片づけてシャワーを浴びる。とにかく暑い。みんなで園内のクーラーの効いた韓国料理店にお昼を食べに行く。冷麺やビビンバを食べ、帰りにチョコレート専門店でアイスにチョコとナッツをコーティングしてもらってかじりながら表彰式へ。

結果は82艇中8位だった。
あのヨットでシングルの記録は上出来なので皆、レース中怒鳴っていたことを忘れて上機嫌になった。

2003.09.15

−中華鍋−

ハウステンボスカップヨットレース参加賞のTシャツは経費削減のために割愛されたのではなく、各自参加料を支払った領収証をクラブハウスに持っていけば交換してくれるしくみに変わったと、鹿児島に帰ってきてから知った。だけどそこはこの私、そう言うことをお願いしたり、文を書いたりするのは大いに得意とするところなので、ゴミ箱から領収証を掘り出し、自分でもホレボレするような?文を書いてハウステンボスに送ったところすぐに宅急便が届いた。私の部屋はヨットレース参加賞のTシャツだらけなのだけれど、大阪から初めて参加してくれたSHIZUに、これで送ってあげられる。

そうそう、前から欲しかった北京鍋を買った。中華鍋の片手版だ。両手鍋だとどうしても炒め物などはやりにくく、つい揚げ物くらいにしか使わなかった。両手鍋は盛りつけもしにくい。だからと言ってテフロンは体に悪いし、傷を付けないように気を使うし、第一美味しくない。どうもペチャッとしてしまうのだ。NHKによると中華鍋で麺を茹でた場合差し水をせずとも吹きこぼれず、熱の廻り方が効率的なのでガス代も倹約できるとのことだった。それより「味」である。中華鍋で調理した時、「たまたま何かの具合で」美味しかったが、鍋のおかげとは気づかなかった。

買ったのはそのディスカウントストアの中でもちょっと高めの「魚菜誂」とか言うヤツだ。それでも1,960円。(^O^)何も料理研究家を崇拝しているわけではなく、大きすぎず、小さすぎず、29センチと言うサイズが良かった。鉄製は絶対条件だったが、他の物は妙に重過ぎたり、手に持ってその辺のタオルか何か入れてみると振りにくい物が多かった。これは私には持ちやすく、扱いやすかったのだ。

良く洗って空焼きし、この時期くず野菜は高いので変わりに煎れた後のコーヒー豆や、麦茶の出涸らしを煎ってみたりして油を引いた。

頂き物のニガウリを炒めてみる。
ごま油を引いて、5ミリくらいに薄切りしたニガウリを放り込む。放り込んだすぐは素材から水分が出るがベシャッとする間もなく、ちょうど良く蒸発した。たっぷりの白ゴマと鰹節少々を入れ、砂糖と醤油で味を付ける。最後に卵を溶いてからめて出来上がり。豆腐や豚肉を入れても美味しいけど、今日はこれで良い。炒めている時、柄の部分に布巾か何か巻かないと熱いかな、と思ったのだが直に持っていた左手はやけどすることもなく、何の不都合もなかった。

ニガウリは火が通っているか不安になるくらい緑のままで、シャクシャクしていて、しかもちゃんと味が浸みている。テフロンのフライパンで作ったときとは別の料理のようだった。おいしい。しかも残り物を翌日のお弁当に入れたのだがまったくそのままの美味しさを保っていた。

次はエビチリか、マーボー豆腐か、はたまた鶏とカシューナッツの炒め物か。イカやチンゲンサイもいいなぁ、と思いを馳せている。

2003.09.19

−皿うどん−

中華鍋で思い出した。
ご好評の、「所変わればシリーズ第三段」だ。「皿うどん」と「チャンポン」の話である。

まず、東京ではあまり「皿うどん」とは言わない。どうも、こう「うどん」と言ってしまうと、太くて白い、今流行の讃岐うどんを連想してしまう。「焼きうどん」と言うのはあるが、あれはあくまであの、本当のうどんであり、ちょっと強引に言うと縁日のソース焼きそばのそばをうどんに替えたようなものなのだ。

「じゃ、皿うどんって何よ。」と言うことになるのだが、先の「所変わればシリーズ」?で登場した、「墓場で花火」の彼女はきっぱり、「皿うどんには太麺と細麺があります。」と言った。「えっ?」

更に東京では、細い麺を油で揚げ、その上に野菜などの具にとろみをつけたあんをかけた物を「かた焼きそば」と言う。麺がパリパリとかたいからだ。東京で生まれ育った私にはいたってわかりやすい。どうもこの「かた焼きそば」を「皿うどんの細麺」と呼ぶらしい。

で、「皿うどんの太麺」は揚げた麺ではなく、チャンポンの麺のようなものを炒め、その上に同じあんがかかっているとのこと。私はこれを「かた焼きそば」や「ソース焼きそば」に対して「中華焼きそば」と呼んでいた。

別の長崎出身者は、「店に入って皿うどんを注文すると、太麺ですか?細麺ですか?って聞かれるわよ。」と付け加えた。私としては両者はまったく別の料理だと思っていたのだ。まさか同じ名前だったなんて。

しかも、しかもである。皿うどんやチャンポンには「ごく一般的に」ソースをかけるのだそうだ。あの、揚げ物にかけるソースだ。だったら最初からソース焼きそばにした方が良さそうだと言うか、どうも想像しても美味しそうではない。カレーライスにソースをかけるような物なのだろうか。私はたいてい「かた焼きそば」には酢である。

そしてまたまた驚いたことに、彼女の家では「皿うどん」はラーメンのようにふだんの昼食で食べたりはせず、親戚が集まった時などにみんなで食べる、いわゆるパーティー料理だとのこと。

もうひとつ、彼女が実家の近くを歩いていると「ちゃんぽんの美味しい店を紹介して下さい」と尋ねる観光客に会う。そして「わかりません」と答えるのだそうだ。私のように「そんな、不親切な」と思ってはいけない。彼女にはチャンポンは家で食べる物であって店で食べたりしないものなのだそうだ。

思い切り奥が深そうである。次回は是非彼女に、実家のお母さんから作り方を聞いてきてもらおう。

2003.09.23

―国際親善ヨットレース―

そもそも何で中華鍋を買ったかと言うと、やはりヨットレースだった。
私達は毎年9月に錦江湾ヨットクラブで行われる「国際親善レース」のコミッティ、つまり審判だった。隼人町の国際交流委員会が海外から鹿児島に来ている人達をゲストに呼び、各ヨットに乗ってもらって簡単なレースをし、その後バーベキューをして親睦を測ると言うものだった。そのヨットレースで出す賞品をみんなで買いに行った。スーパーや100円ショップ、ディスカウントストアを回ったのだ。その時見て以前から欲しかったのを思い出して買ったのだ。

賞品は1位がビール1ケース、2位は大売り出し中で定価1/5の夏掛け布団、3位は寝袋、そして1着のファーストフォームは缶入りのお茶1ケースに決まった。難しかったのは参加賞で、100円コーナーで布製のチェックの手提げ袋を8個買い、それにピッタリ収まるセール中の箱入り洗濯用洗剤と、円筒形の入浴剤もそれぞれ8個買って入れた。充分予算内だ。加えて今回のレースはゲストまたは女性に舵を取ってもらう決まりにしていたので、舵を取った人全員にヨット柄のペーパーナプキンと、郵便局からせしめてきた?レターセットも用意した。

当日は9月だと言うのに思いっきりの晴れで真夏のよう、風のないのが心配されるほどだった。何とゲストは63人。こんなに外国から来た人が鹿児島に居たのかと思うほどの人数だった。毎年好評で参加ゲストは倍増し、今年はヨットに乗り切れずにちょっともめた。誰かが空いているヨットを借りてきてレースには参加しないけど観覧艇として走り、私達の審判艇にも2人ほどゲストを乗せて何とかなった。

我審判艇に乗ってきたのはカナダから来た男の子と、アイルランドから来た女の子で、共に日本に来てひと月ほどだと言う。久しぶりに、本当に久しぶりにネイティブの人と話せて楽しかった。おまけに、「私もあなたの英語くらい日本語が話せるようになったら嬉しい」と言われて更にゴキゲンだった。喋っていて「あ〜、文法が違っているな」とか「きっとこう言ってはいけないんだろうな」など言う考えが頭をよぎったが、会話は受験英語のように紙に向かって考えているヒマはないのでそのまま押し切った。ほとんどまともな答えが返ってきたので何とか通じたんだと思う。まっ、同じ人間なんだから通じるわけだ。

審判は気楽なので、他のヨットがレースをしている間、ヨットから海に飛び込んで泳いだ。カナダから来た子はいつもは湖でしか泳いだことはなく、海で泳ぐのは3回目だと言った。初めて泳いだときは塩辛くて吐きそうだったそうだ。泳ぎながらでも構わず話し続けた。

レースが終わり、小島に上陸してバーベキューパーティーをする。ヨットごとにテーブルを囲む。誰かの提案で一言ずつの自己紹介をする。私と友人はこれだけは留学でしごかれているので慣れているけど、やはり日本人はシャイだったんだと思い出した。

帰りのヨットでは鋭い日本語の質問を受けたのでみんなで四苦八苦して説明し、最後まで楽しんだ。メールのアドレスを交換した。
あ〜誰か、いくらでも日本語を教えてあげるから私と英語で話して下さい。

2003.09.27

−露天風呂−

週末ごとの台風が過ぎ去るごとに、鹿児島もやっと過ごしやすくなって来た。関東では冷夏などと言われてきたけれども、鹿児島ではそんなのどこの話かと言うほど暑くて、やっと29度に設定したクーラーが夜中に作動しなくなったところだ。

そんな中、ヨット仲間と温泉に行った。
鹿児島は温泉天国で、鹿児島市内だけでも55だか56ヶ所の銭湯がすべて温泉なのだが、もっと南の、砂蒸し温泉で有名な温泉地指宿(いぶすき)の更に南の山川と言うところに出来た露天風呂に行く。薩摩半島の内側の南端だ。8月の三島カップヨットレースで来た東京チームがタクシーで行って感動して帰ってきたところだ。

4人の中で車を持っているのは3人。そのうちクーラーが作動するのは15万円で買った私の車だけなので、1300ccに4人を押し込める。クーラーBOXにジュースやおやつを入れて遠足気分である。海岸通りをゆっくり走っても1時間余りなので、薩摩富士と呼ばれる開聞岳の裾野のハーブ園を覗く。道すがらの景色や雰囲気はとても市内からこんなに近いとは思えない。東京だったら毎週人が押し寄せて渋滞が起こるだろうと考えると贅沢な気分だ。

看護婦の友人が、「夏は唐船峡の流しそうめんを食べなきゃ終わらない。」と主張するのでお昼は素麺になった。このあたりの素麺は鹿児島では有名で、つゆがスーパーで市販されているくらいなのだがどうも私は気に入らない。素麺があっちからこっちへ二つに割った竹の中を流れてくるのではなく、テーブルの機械の上でグルグル回っているのだ。何だか特許を取っているほどの装置だそうで、平たい、楕円形の水槽のようなものの中で水が電動で回っている。そこへ自分たちで適当に真ん中に置かれたザルの中の素麺を水の中に泳がせ、それをすくって食べる。真剣に見ていると目が回りそうだ。ただ、回っている水は常に新しい水が流れ込んでおり、循環しているわけではないのできれいだ。そこで素麺と虹鱒の塩焼きを食べる。

いよいよ温泉である。その、今年出来たという露天風呂は予想を上回って我がチーム御用達と決定した。
右が露天風呂、左がヘルシーランドと言う最後の分岐を右へ曲がる。露天風呂の入湯料は500円。奇数日と偶数日で男女の風呂が入れ替わるそうだ。とにかく、素晴らしい最高のロケーションなのだ。偶数日のその日私達の入った女性風呂は「西洋風呂」で、海に向かって開いた大きな扇形をしている。手前に洗い場があり、そこまでが屋内。外に出て扇形のすぼまった方から風呂に入る。手前1/3くらい屋根がある。

絶景である。山というか、がけの上に風呂がのっかっているようで、「海が見える」などとせこい物ではなく、座って風呂に浸かったまま180度くらい、自然のままの景色が堪能出来る。扇の縁まで行くとがけに草や木が生え、その真下は海である。左手に、ちょっと面白い形をした岩がそびえている。海からニョキッと突き出た岩のそばに1センチくらいに見える漁船がいる。その横をモーターボートが白い糸に見える引き波を立てて走っている。視界がよければ島々もよく見えるとのことだがお天気も良く文句はなかった。陽が射して、風が心地よい。その日男性風呂だった「和風風呂」からは開聞岳も眺められるそうだ。湯は弱い塩湯。

帰り道、なんと入湯料80円と言うひなびた銭湯を覗いた。今時80円で、しかも温泉。木造の味のある建物にタイル張りの浴槽。ちゃんと洗い場もあった。スーパーに立ち寄る。ビールとお菓子を買って、今度はビールを飲まない私が運転を交代して帰った。都会に居ては絶対に楽しめない有意義な1日となった。

2003.10.01

−ちょっと、秋−

短パンにTシャツ、ビーチサンダルと言う格好ではあるが、心地よい気候になった。Fall has come.そうそう「天気」はweather(ウェザー)だと言うことは誰でも知っているが、「気候」がclimate(クライメット)だとはつい先日知ったばかりだ。私の英語もまだまだだ。土曜日、その格好で洗濯物を干し、買い物に出掛ける。

近くのスーパーに行く途中、トンポの大群に出会った。一匹、二匹なら風情もあるがこんなに多いと不気味である。不気味と言えば毎日会社帰りにこのスーパーに行くとコウモリの群れが飛び交っている。夕方6時ごろの話だ。たぶん、都会の人だったらツバメか何か、鳥が飛び交っていると言うだろう。だがしかし、正真正銘のコウモリ。これまたものすごい数だ。ぶつかりそうな勢いである。そしてまた空を楽しめる季節となった。遮る物がほとんどないのでどこでも空が広いのだ。東京にいた頃はあまり空を見た記憶がない。入道雲だった雲が、少しだけ秋の、薄い雲に変わっていた。

だが相変わらずスーパーの野菜が高かった。1本70円のきゅうりと1個250円のキャベツを諦めて、10個で50円の卵と10匹290円の特大有頭エビ、1枚150円の国産鶏もも肉を買う。そう言えば果物も高い。先日の国際親善ヨットレースで「日本は果物が高い」と、海外から来ていた人達が嘆いていたがいつの間にこんなに高くなったんだろう。夏はともかくもう秋だというのに店先に並んだ梨やリンゴは一山ではなく、1個売りで、しかも1個100円を切らない。物価が高いと言われるハワイでも食べきれないほど大きなパパイヤがひとつ1ドル以下だった。1ポンド(約450グラム)1ドルくらいだったと思う。鹿児島でこのくらいなのだから東京は更に高いのだろう。

農業をやっている代理店の方から「大根葉」と言われる種を頂いた。何だか大根を作って食べるのではなく葉を食べるためのもので、待ってもひょろひょろの小さい大根しか出来ないそうだ。数日前種を蒔いたばかりなのにもう葉が出てきた。これと、食べてから根を植えて置いたネギ、プランターのハーブで自給自足するか。

そして秋と言えば読書である。Fall is the best season for reading.(秋は読書にもっとも良い季節です)
私は常に何か面白い本が手元にないと気に入らないタチなのだが、それでは英語を勉強しなくなるので毎日英会話のMDだけを持って通勤している。だがそろそろしびれが切れてきた。そして本屋で「まぐろ土佐船」(小学館文庫、斉藤健次著)を見つける。昼休みに読んでいたら同僚から「ずいぶんしぶい本を読んでいますね」と言われてしまった。案の定一晩で読み終わった。

こんなに海に囲まれているのに日本の本で海の上の話は少ないと、解説の椎名誠も書いていた。ヨット関係の小説もたいていがイギリスものだ。これは広告代理店、フリーライターを経た作者が憧れの高知のマグロ漁船に何とか乗り込み、足かけ4年の航海を含む6年間、漁船の中では人気のない職種のコック長として働いた実話である。私も始終ヨットに乗っているので、読んでいるだけで情景が簡単に思い浮かび、船酔いできる。それほどリアルな本は日本人作家の中では未だなかった。マグロ料理やマグロ流通のしくみなどもわかって、マグロ好きの日本人にお勧めの1冊だ。

2003.10.04

−魚釣り−

プロ野球にはまったく興味がないのだけれども、ダイエーが優勝したらしく、西鹿児島駅前店のダイエーは私が出勤する時間から長蛇の列が出来ていた。それから2日間、会社帰りのダイエーにはまった。5キロでいつもより500円ばかり安いお米、相場は200円以上するレタスが王監督の背番号と同じ89円、ついでに皿うどんの麺、特大コンニャク、ところてん二人分、生姜焼き用豚もも肉100グラム、6本入り竹輪、1L入りコーヒーのペットボトル、鮭1切れ、人参3本、タマネギ3個・・・これらもすべて89円。シャンプーや薬、衣料品も1割引で、3層構造ステンレス製ガラス蓋付き片手鍋が498円。土曜日にはこれまた近所のダイエーで肌掛け布団を784円で購入。たいていの物はふだんの値段がなぜか頭に入っているので派手な値札にはだまされない。

さて、久しぶりにと言うか、鹿児島のヨットで初めて釣りをした。
会社の人が漁船で鯛を釣ったと言うし、鰺が釣れていると新聞に出ていたし、その日はレースもなく、ゲストもおらず、天気も最高に良く、最高の釣り日よりだった。いつものヨットメンバー4人が、適当に9時過ぎに集まる。集まってから近所の釣具屋にエサを買いに行ったりして10時ごろ出航。私の目的は取りあえず「食べられる魚を釣ること」。

それがこのいい加減な釣りは不思議なほど山ほど釣れた。だいたい東京だったら「何を釣りに行くか」から始まり、どんな仕掛けやエサが必要で早朝に家を出て、と言うことになるだろう。それがヨットを係留しているところから何百メートルかの小島の桟橋でさえ、エサも付いていない針にでさえ魚がかかった。場所はそれも適当に2回替えた。小さな魚は海に返し、あんまりたくさん釣れる魚は捌いてエサにしてみたりした。仕掛けも天秤やサビキといろいろ試した。エサはゴカイと桜エビくらいのサイズの生のエビを小さな1パックずつ、それに冷凍されて固まっているサビキ用のコマセである。何でもよく釣れた。なぁんだ、簡単じゃん!棹だってセットで1,000円もしないものだし、釣りがうまいということももちろんなく、何より大切なのはそこにたくさんの魚が居ることだと思い知らされた。

途中おにぎりを食べたり、冷凍した缶詰のパイナップルを楽しんだり、すっかり観光気分も味わったのに、本当に、嘘のようにたくさん釣れたのでフツーの青いバケツに入りきれなくなった。まな板で蓋をしたのだがそれでも魚が跳ねて出てしまう。途中私は釣りを中断してヨットの最後尾に降り、魚を捌いた。ウロコと内臓を取り除き、何匹かはそのまま海水で洗って干物にした。

翌日から魚三昧。結構良い型の鰺は刺身となめろう(叩き)にし、鯛は塩焼き、キスは天ぷら、アラカブ(カサゴ)は唐揚げ、この辺であめと呼ばれる魚は干物で食べた。他にも大きなカワハギや60センチほどの鮫まで釣れた。さすがに鮫はたも網ですくってみんなで観察した後リリースした。

鹿児島は釣りをするにも最適である。

2003.10.09

−英語しりとりのススメ−

夕方仕事が終わってから送別会までに時間があったので、久しぶりに、本当に久しぶりにデパートへ行ってみた。その日の私は半袖シャツにスカート、素足にミュール、それにハワイで買った何の飾りもない大きめの四角いカゴのバック。

驚いた。デパートの中は冬。靴売場はブーツ売場と化し、長袖のセーターに毛皮のコート。見るだけでも暑苦しくて汗をかきそうだったが、紛れもなく鏡に映る自分が浮いていた。だけど本当に寒くない。暑がりの友人の話では東京では暖房を入れるくらいだそうだが、鹿児島では私のその格好で夜外を歩いても風が心地よい。天気予報では東京とは5度以上違うらしい。鹿児島は未だ夏から秋。ブーツとコートを身につけたらガマン大会のようである。

勉強の秋に、もちろん私の趣味的英語学習は続いている。友人にCDから落としてもらったMDは2枚しかなく、さすがに飽きてきたところで、会社で隣の席の男性が、契約して毎月1枚ずつ送られてくる英語のCDの最新版を2月分貸してくれた。生まれたばかりの赤ちゃんが退院してくるのでしばらく聞くヒマがないのだと言ってくれた。1枚はいつもの友人にMDに落としてもらい、1枚は自分で車で聞けるようにカセットテープに落とした。ただの会話テープではなく、最近の様々な話題を、音楽を交えながら録音されているもので海外でラジオが流れている感じで、楽しく聞くことが出来る。「マンスリーリスニングクラブ」と言い、中級のテープだそうだ。ついでに見開きで英語と日本語のテキストもコピーさせてもらった。こちらはまだ開いていない。とにかくBGMでも良いから聞こう。当分は楽しめそうだ。

そして友人と英語しりとりを始めた。これはもちろんしりとりなので名詞だけである。「話す」(speak)とか、「美しい」(beautiful)なんてコトバは失格。ルールはもうひとつあって日本語で答えること。例えば相手が日本語で「本」と言う。言われた私は「本」は「BOOK」だと頭の中で考え、Kで始まる単語、例えば「台所」(KITCHEN)と答えるのである。これが結構難しく、日本語のようにはなかなか思いつかない。小さい子供が日本語でしりとりをしているのと同じように充分楽しめる。一番難しいのがやはりスペル。その単語がLEで終わるのかLで終わるのか、はたまたKEで終わるのかKで終わるのか、わからない。もうひとつ難しいのが品詞である。日本語だったらすぐに区別がつくのだが英単語にはひとつの単語で名詞も形容詞も、動詞の意味まで持つものがあるのだ。「その単語って名詞なの?」と言うことになる。

「本」−「台所」と続いて、「麺」(NOODLE)と日本語で答えてから、「ん」が付くコトバを言ってしまったのでドキッとする私は、まだまだ修行が足りない。

2003.10.14

−ひと・もの・こころ・フェスタ 1−

北海道では雪が降ったと言うが、相変わらず鹿児島は暖かく会社ではクーラーをつけている。日本も広い。暑いか寒いかと聞かれたら暑いと答えるくらい。素足(すあし)などと言う色っぽい物ではなく、裸足(はだし)にミュール。半袖である。久しぶりにおでんとかクリームシチューを食べてみたい。

土日、強風に時々大雨の降る凄まじい天気の中、障害者施設「菖蒲学園」で毎年恒例のフェスティバルが開かれた。題名はそのスローガンである。ひょんなことから陶芸のページでご紹介した「櫻窯」の陶器を売り始めて4年になる。ただ一度だけ、みんな徹夜で薪をくべながら焼いた陶器をそのままにするのは勿体ないと唐津から運んで来て売り始めたのだ。どうせなら少しは人のためになった方が嬉しい。出店料が5,000円、その上売り上げの1割以上を寄付するために儲けはほとんどない。合間にあちこちの店をまわって餅を食べたり、そばをすすったりすると赤字になる。ただ、舞台での演奏や歌を歌ったり踊ったりする人達もサラリーマンの宴会のノリや学生の文化祭程度のものではなく、皆レベルが高くて安心して見たり聞いたりしていられる。出店者に至ってはほとんどがプロである。それも縁日に駄菓子を売るようなプロではなく、プロの陶芸家や、プロの木工細工、雑貨店、フランス料理店、ラーメン屋などである。青空市やフリーマーケットのような不要品や古着と言った店はない。

土曜日は昼から開始されるので11時ごろ搬入する。販売スペースは通路の左右に、建物を背にして並んでいる。各店舗はスペースが幅2メートルくらい。「櫻窯」と言う札の前に車を停める。去年残った陶器の箱、売れたときに包む古新聞やスーパーのようなナイロン袋、ちょっとは見栄えを良くするために敷く藍染めの布などを車から降ろす。「いやぁ、お久しぶり!」「1年ぶりですね。お元気でしたか?」「あら、まだ鹿児島に居たの?」などと挨拶を交わす。左隣が木工芸の「楓工房」の風間さんご夫妻。ひとつひとつ木彫りのコーヒーカップや菓子器が並ぶ。暖かい人柄そのもののぬくもりのある作品。先日偶然に空港の展示室で見たばかりだ。右隣は「TOKU窯」のトクさん。「現代工芸工房」と言うムズカシイ窯なのだ。個性的な、ただし手頃に使いやすそうな皿やカップが積まれている。ご本人は下駄履き。無論、左右の店ともプロである。

しばらくするとちょっと足の不自由な当房さんがやって来た。みんなで車から荷物を降ろすのを手伝う。この方も「窯元とうぼう」の主である。子供達に風船で人形などを作って売る「ちろりん村」の隣のスペースに、女性らしい、暖かみのある、少し厚手の器を並べる。「チロリン村」の方は簡単な器具を使えば、障害のある人にも風船を膨らませて売ることが出来るとボランティアを推進している。プロもアマもなく、売れても売れなくても気にせず、隣の出店者と話し込み、園内を見て回って楽しむ。野菜の即売コーナーで買ってきたみかんをお裾分けし、たまにはお隣に「昼食に行ってきますのでよろしく」と任せ、「今度個展を開くから来てよ」と案内を配り、頂いたみかんを陶器のディスプレイに使ったりする。

文化祭の類は「見る」ものではなく、「参加」した方がいつだって楽しい。

2003.10.19

−ひと・もの・こころ・フェスタ 2−

:携帯電話をかれこれ10年以上使ってはいるが、最近はメールが多くて留守番電話にメッセージが入っていることもなくなった。電話がかかってくること自体減った。しかも今は電話機本体に20秒以内のメッセージを入れられると言うほぼ同じ機能が無料で使えるため「留守番電話サービス」を解約した。これで毎月300円の節約になる。電車通勤や仕事中も、図書館でも迷惑なので最近平日はほとんど音も消している。バイブレーションだけだ。夜中にビクッとすることもなく快適だが、時々かかってきた電話に気づかない。ごめんなさい。

さて、菖蒲学園のフェスティバルは例年になく天気が悪い。もともと売り上げを期待するようなものではないが来てくれるお客様が少なくては話にならない。取りあえずこれ幸いとばかりに、地元信用金庫の皆さんがお揃いのハッピを着て搗いている餅を頬張り、野菜即売のコーナーへ行ってキャベツ1個100円、レタス1個50円、大根1本68円と言う破格値で買いあさる。お昼はラーメン屋さんが出張販売している300円のラーメンを食べることにしよう。

ご承知の通り、我が櫻窯の陶芸はホンモノの薪を使って登り窯で焼いたものだ。プロの間で売って何とか格好がつくのはこのためである。薪は高価なのだ。一度登り窯に火を入れ、夜通し炊くと何十万円と言う薪代が必要になる。従ってプロでもなかなか採算が取れない。嫌、プロだからこそ採算が取れないのかもしれない。だけどこの、薪で焼いた陶器は本当に素晴らしい。市の陶芸教室の窯はガス窯で、しかも焼く時間が限られているためにその辺の何の変哲もない器が出来上がる。そこが薪で焼くと、何というか、釉薬が溶け、灰が付着し、何とも言えない風合いが出るのだ。よーく見ると貫乳(かんにゅう)と呼ばれる細かいヒビがキラキラしてきれいだ。器に何の模様も飾りもなくても何か料理や、トマトやみかん一つ入れるだけでも映える。ちなみにガス窯より灯油窯の方が更に経費は安く上がるとのこと。薪と併用の窯もある。薪を使わないなら陶芸教室の器ももっと長い時間焼くことが出来ると良いのだが・・・。

形もまちまちでお揃いの器などなく、中には妙に重いものもあったりするが、毎年知り合いや薪の良さを認めてくれた人達がひとつふたつと買ってくれて何とか赤字にならずに寄付が出来ている。面白いのは陶芸家や窯によってまったく雰囲気が違うので、客によって何店も並んだ店のひとつにしか目がいかないこと。まっすぐに歩いてきてくれたお客様は「去年も買ったよ」とか、「とても使い勝手が良かったので」と言って下さり、リピーターまで居てくれたことに驚いた。

日曜日、舞台の上では最後の演奏が始まった。施設の人達の「OTTO」(オット)である。太鼓やボンゴ、見たこともない打楽器、シンバルやドラム、シンセサイザーなどをパン工房、織り、刺繍、園芸、木工、陶芸などを習っている生徒達に先生も何人か混じって演奏する。指揮者の福森理事長は右手に指揮棒、左手には何と300円で買ってきたと言う自転車のベルを持っている。何につけても「狙っていない表現」を大切にしている先生ならではの素晴らしい演奏だった。どうやって教え、みんなをまとめたのだろう。拍手が続き、アンコールがかかった。

片づけが終わってから、園内の建物で出店者や参加者だけのパーティーが開かれた。同じく出店していたフランス料理のシェフが腕を振るってくれるので毎年楽しみにしている参加者も多い。皆で話し、飲み、プロのバイオリニストの演奏なども聴いて満喫した。このイベントに参加すると本当に良い気分になれる。

少しずつしか売れないとは言え、一度しか焼いていない作品を唐津から運んできて4年間も出店しているので数が少なくなってしまった。選ぶほどの数がないと売ることは出来ない。さて、来年はどうしたものだろうか。

2005.10.25

−体重計−

鹿児島はここのところずっと、贅沢なほどの青空が続いている。気温は下がってきたがまだ寒いと言うほどではない。天気予報では東京の最高気温が、鹿児島の最低気温と同じだった。10度も違うらしい。

さて、お天気なので寝ちゃいられない。土曜日、洗濯をして掃除機をかけた後買い物に出掛ける。このところ増加している体重をどうにかしようと、一番良い方法と言われる「体重を測る」ために100グラム単位で測れる体重計を物色しているのだ。私が東京から持ってきたデジタル体重計は500グラム単位なので測ってもあまり違いがわからない。毎日少しの変化を測ることによって、無理せず、自然に「気をつけよう」と言う気持ちが働くらしい。金曜日会社の帰り、ベスト電気とダイエーを覗いた。友人は安売り店ビッグ・ツーを見たと言ったがスーパーは品揃えが悪く、高いとわかった。やっぱり電気屋めぐりをしよう。

まず近くのコジマ電気でリサーチする。知らなかったけど体重計はたいていが200グラム単位で、100グラム単位のものは余りなく、高い。高性能なのだろう。200グラム単位であれば体脂肪計まで付いている機種が5,000円代で見つかる。今はもう針を見つめるのではなく、たいていがデジタルになっていて、体脂肪計が付いているものもいないものもあまり値段は変わらない。裸足で体重計の上に立ち、手にも測定器を持って測る機種を試すことが出来たのでやってみる。身長、年齢、性別を入力する。「う〜ん。」実は私、体重は一般的な許容範囲に入っており、一応枠の中では標準値なのだ。体脂肪がいけない・・・。8,000円弱の体脂肪計付き体重計(TANITA)に目星をつけておいて次の店に行く。

最近出来たばかりの「deodeo」は閑散としていた。品揃えはコジマ電気と変わらなかったが少し高い。変わりに隣のコーナーにあるウォシュレットに心惹かれた。実家にはあるが私のアパートにはない。賃貸には無理なのだろうと思っていたら持ち帰ってすぐに自分で着けられると言うINAXのデモンストレーションビデオをやっていた。だけど結構高い。

deodeoから大通りを少し行ったところのヤマダ電気にも行ってみる。近くて楽チン。車で5分とかからない。ここは意外と混んでいて盛り上がっている。体重計も一番安いものが見つかった。TANITA社製、100グラム単位測定機種で体脂肪計付き。何だかわからない内蔵脂肪計もついて6,790円。これにする。ついでにウォシュレットのコーナー。先ほどのINAXのものは取り付けに必要な簡単な工具と、先ほどのデモンストレーションで流れていたビデオ付きとのこと。一番安いものは22,000円だった。そう言えば冷蔵庫の調子も悪く、テレビも叩くか(^_^;)、ビデオを通さないと見られない。まっ、どちらも貰い物なので仕方ない。一回り見て回る。

家に帰って測ってみる。おぉぉぉーっ!体重だってとても標準値とは思えない。やはり体脂肪には目も当てられない。ただし内臓脂肪は低かった。少なくともフォアグラではないようだ。寝る前と朝、1日2回ずつ測る。EXCELで作った表を壁に貼ってつける。100グラム単位だと朝と晩だけでも驚くほど違ってグラフが上下している。充分に精神的効果はあるみたいだ。

2003.11.01

−日常生活−

会社の帰りに西鹿児島駅前ダイエーの日本一セールを覗いていたので、25分に一本と言う列車は出たばかりだった。そうそう西鹿児島駅は新幹線が開通するのに合わせて「鹿児島中央駅」に改名するのだそうだ。駅前は凄い工事が始まっている。鹿児島初の地下道が出来るらしい。今日のダイエーでは480円のカットソーと、680円のフード&ポケット付きフリースベスト、5個で89円の肉まん、長崎産イサキの刺身200円、最近値が上がっているホクトのしめじ89円、ひとつ39円のもずく、100グラム58円の国産鶏もも肉などを購入。連休にはクリームシチューを作ろう。

列車(電車ではないのだ)を待つ間、スーパーの袋を抱えたまま本屋に立ち寄る。なんと「24(twenty four)」と言う文庫本が出ていた。留学していたとき、ホストマザーと一緒に毎週欠かさず見ていた番組だ。確か水曜日の午後8時からだったと思う。FBIかどこかの捜査官の家族が誘拐されて、その本人がひとりで救い出すまでのたった1日、24時間を描いた番組なのだがハラハラドキドキして目が離せず、あちらではとても流行っていた。その映画が12月20日に日本でロードショーされるらしい。映画の題名は「コール」だと本の帯に書かれていた。さて文庫本を読んでから映画を見るか、DVD発売まで待ってもう一度英語で見てから読むか、思案のしどころだ。訳がイメージと違うと何だか夢が壊れちゃう気がするので、やはり読まないで置こう。DVDが発売されてからもう一度あの感動が味わえるか見てみたい。

さて、体重を毎日測っている。朝は軽く、夜寝る前は重い。夕食を食べた後重いのはわかるとしても、寝ている間に軽くなるのはどうしてか。汗をそんなにかくとも思えない。食物は消化されると軽くなるとか、そんなこともないだろうし。今までと違って100グラム単位なので凄い差に感じるのかもしれない。とにかく測っていると「増えると嫌だから甘いカフェオレをやめて何も入れない紅茶にしてみよう」などと言う気持ちが働くわけだ。たった3ヶ月の留学で4,5キロ痩せたようにはいかず、毎日の積み重ねなのだろう。

先週、電気屋めぐりをして体重計を買った後久しぶりにCDを購入した。「ベスト・オブ・ジョンデンバー」と「サイモンとガーファンクルベスト」だ。なぜ今更こんなに古いCDかと言うには訳がある。先日、「英語でしゃぺらナイト」と言う番組でアグネス・チャンが「英語を覚えるためには歌が良い」と勧めていたし、シュワルツネッガーもそんなことを言っていた。私は相変わらずテレビはほとんど英会話番組かニュースや洋画などの英語放送しか見ず(それだけ見たら時間はないけど)、通勤には英会話MDを聞いているがなかなかレベルアップしないのであの手この手で行くしかない。そう言えばアグネスは中国人だった。彼女が日本語を覚える時も歌だったそうだ。歌は情景が浮かんでくるような、ストーリー性のあるものが良いとのこと。そのアグネスのお勧めがジョンデンバーだった。これなら私も知っているし、ギターも弾けるので楽しいかなと思ったのだ。「サイモンとガーファンクル」も実は私が学生の頃、フォークコンサートで弾いたのが「スカボローフェア」だった。そう言えば母は英語を覚える為に「カーペンターズ」を聞いていたと思い出して何を言われるかわからないのでカーペンターズは辞めた。

帰って開けてみると期待していた英語の歌詞の他、どちらのCDとも日本語の対訳もついていて至れり尽くせり。こちらも私の苦手な毎日の積み重ねがものを言う訳で、当分、音楽はこれを聞こう。

2003.11.05

−少しずつ大掃除−

とにかく、11月になっちゃったので、ドタバタせずに年末を迎えようと心に決めている。我ながら良い考えだ。とは言っても休みは週末だけだし、すでに何日かヨットレースなどの予定が入っている。日曜日しか休みのない人や、夜勤責めの看護婦をしている友人からすれば毎土日のお休みは恵まれているのだろうが、それでも考えてみると年末まで2ヶ月間の休日は数えるほどしかない。みなさん、お気づきでしょうか。気づかないフリをしても年末は来てしまうわけです。

そんなわけで先週から「少しずつ大掃除」をしている。今から始めていると言うこの「余裕」の感じがイイ。片づけは小さい頃から苦手で、更に苦手なホコリっぽさがたまらない。何しろ「料理を作って美味しいものを食べる」とか、「セーターを編む」とか、「土をこねて器を焼く」と言ったことなら手間がかかっても何かを作り上げると言う喜びが味わえるが片づけは生産性がない。何しろケチな性分でつい「勿体ない」と思ってしまうので捨てるのが苦手な為に更に片づかない。捨てられないとモノが増え、収納しきれない。そうすると掃除機ひとつかけるにもそのモノをどけなくちゃならなくて更におっくうになる。悪循環である。

テーマは「ふだんの掃除しやすさ」。掃除機をかけるだけでサッと終わる掃除と言うのを夢見ている。頂いた絵はがきを壁に貼ったり、拾ってきた貝殻を棚に飾ったり、覚えておきたい料理レシピのメモを留めたり、壁に貼った海図や、ドライフラワーを挿してあったり、・・・と言う状態が大好きなのがいけないのだ。私の場合、しまい込むとろくな事はなく、活用しないで忘れ去ってしまうのでなるべくガラス戸のついた本棚や、透明な引き出しに収納しているのだがそれでも収まり切れていない。棚の上がモノであふれ、スクラップしたい機内誌が床に積まれ、英会話の参考書やメモが散乱するハメになる。だからなるべく収納しきれるようにモノを捨ててスッキリする。(^_^;)

キャスターが付いていてもたまにしか動かさないベッドを移動して3回も掃除機をかけ、ぞうきんで拭いた後扇風機で乾燥させる。ここのところずっとお天気で乾燥注意報が出ているほどなので具合が良い。ただこう書くときれい好きみたいだけど、ベッドを動かしたとたん、下からホコリまみれのソックスが、しかも片方見つかったりするのだ。「ぎょえっ!」と言う感じ。そして半年に一度くらい洗濯すると決めているカーテンをこの日3回目の洗濯機に放り込む。ガラスを磨いてサッシのレールにたまったゴミを取り除く。ベッドサイドのテーブル下に押し込められていた園芸用品をひとつの箱に納める。テーブルの上のホコリも払い、ホコリの付いた耳栓は洗って干した。更にステレオのホコリを払い、上に積んであったCDやテープを空き箱に納める。壁に飾ってあったヨットクラブのフラッグや、ステレオの上にかけてあった布を4回目の洗濯機に入れる。ここまでで丸2日かかった。ふだんのゴミの他に大きなゴミのビニールを3つくらい捨てた。案の定凄いホコリで、窓を全開にした上に台所の換気扇をかけっぱなしにして、終わるやいなやシャワーを浴びた。

服の入れ替えもしなきゃならない。この際、洋服ダンスと押入の上段に収納してあったものを全部出し、着られるものと着られないもの、クリーニングに出すものなどを仕訳し、こちらもビニール袋3つ。サンタクロースのようなゴミである。フリーマーケットなどがあったらぜひ参加したい。ここまでで更に1.5日。だけどまだ1部屋とちょっと(押入半分)しか終わっていない。あともう1部屋と難関の台所がある。

本当に久しぶりの雨の休日、選挙カーの声に熟睡から強引に引き剥がされたので諦めて起きる。郵便局に勤めている友人から「今年も年賀状をお願いします」と連絡が来ていたので、パソコンを前に今年の初めに頂いた年賀状の整理。住所録ソフトを立ち上げ、頂いた人にチェックを入れ、住所や勤務先、苗字が変わった人を訂正する。メールアドレスはもうパソコンのメールソフトと住所録ソフトがリンクしない限りあまりに手間がかかって管理しきれない。丸3時間かかって今年年賀状を出すべき人をソートして数えた。インクジェット140枚の注文をする。

出来ればハワイにクリスマスカードを出したいけどなかなかそこまで手が回らない。大掃除と年賀状だけでも本当に終わるのか疑問である。みなさん、大掃除でも年賀状の準備でも、とにかく「今」から始めることをおススメします。

2003.11.10

−プリンタ−

私と一緒に電気屋へ行った友人はその翌日、町を走るバスに羽が生えてジェット機として飛ぶと言う夢を見たそうだ。「それがね、規制が緩和されて飛べることになったんだよ。客は吊革に捕まって立っていても良いんだ。あんまり高いところは飛べないから国内だけだけどね。」と絵本のような説明をした。

たぶんそれは前日行った電気屋でのショックのせいだろう。あまりに変化していてついていけない。デジカメの小さいことと言ったら名刺入れか携帯電話みたいだし、その携帯電話も今はデジカメ並の画像や動画も撮れるそうだ。パソコンのスペックは今やノート型でさえハードディスクが40ギガとなり(友人のデスクトップは3ギガだ)、ノートにもCDドライブどころかDVD搭載が当たり前。小型テレビは1万円を切り、一時はテレビとビデオが一体化されたものが手軽だともてはやされたものだが、3万円も出せばDVD付きのテレビまであった。全自動洗濯機はもはや1万円代で、高いものは乾燥機付きだった。友人はパソコンの画面のきれいさに立ち止まり、私はプリンターコーナーで絶句した。

私の持っているプリンターはEPSON−PM600Cと言うもので、たぶん5年ほど前に買ったときには最新機種で、3万円くらいだったと思う。その後600の数字が700となり、760、800、860、900・・・と毎年バージョンアップしていた。私のプリンタの使用頻度はたぶんメーカーが望んでいるベストに近いはずだ。年に1度の年賀状印刷だけではインク詰まりを起こしやすいそうだし、個人事務所に勤めていた時、一度に1,000枚ほど印刷したら大量すぎて調子が悪くなった。私は年賀状の他、携帯するための住所録、EXCELで作った単語帳、どこかへ旅行する時のしおり、時々名刺や旅行記なども印刷する。最近ちょっと不調になったし、出来れば14ミリも余白を取らず、端まで印刷出来たらいいなぁと思ったのだ。それに最近のプリンターはインクが色によって別々に独立しているので、なくなった色だけ購入できて安く済むと聞いた。そもそも新しい機種がどんどん出て、私のプリンターのインクは市販されているものの中で一番古い。買えなくなったらマズイ。

それが上位機種だと思っていたPM−960Cさえなくなりかけており、フルモデルチェンジされていた。希望の「端まで印刷出来る」と言う機能はすべての機種に付いて当たり前になっており、しかもすべてCDやDVDをそのままプリンターに入れて表に印刷出来るのだそうだ。独立型のインクではなく私のもののように一体型のインクを使用する機種もあったが、それは4色ではなく、なんと6色だった。中には7色や8色インクなどと言うものもあった。私のプリンタだって大きな写真を印刷しない限り、充分きれいだと思っていたのになぁ。フルモデルチェンジのワケはインクの色あせ防止だそうだ。今度のタイプは違うインクを使うため何十年も色あせしないと言う。耐オゾン性と耐光性と言うのだそうだ。そんな、80年も先には生きていないだろうし、そもそもデジタルの写真はパソコン本体やCDに保存するので欲しいときにまた印刷すれば良いかなと思っていた。

更に驚いたのは値段。その、色あせしないと言う今年発売されたばかりの新機種が19,700円だった。そして私が心惹かれたのは最近のプリンタはなんと、小さい、名刺のような用紙でも印刷できると言うことだった。専用の名刺用紙や、名刺サイズの写真印刷用の光沢紙が発売されており、好きな写真を印刷して定期入れに入れて持ち歩くなんてことも出来るそうだ。何も私は印刷した写真を持ち歩きたい訳ではなく、常々名刺をA4用紙に印刷した後、ミシン目に沿って切り取った跡が汚いと思っていた。最初から名刺の用紙に印刷出来れば切り取らずに済み問題解消だ。それに以前から料理のレシピを印刷して保存したいと思っていたのだ。システム手帳のレフィルに直に印刷出来れば最高である。

何とか年賀状印刷前にプリンタを購入したい。それにしても冷蔵庫だけがほとんど昔と変わらない機能でも高いのはどうしてだろうか。



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