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大学教員の任期制を考える引用集
作成者より/大学教員任期制の問題が活発に論じられたのは、大学教員任期制法案が審議された時期においてであった。あれから、5年ほどが経過して、いまやその論議は全国的には下火にさえなってきている。しかし、任期制をめぐる問題は、全国多くの私立大学における経営危機が現実のものとなっている「今」こそ、本格的に検討される必要がある。
同法の審議がされていた当時から、私立大学における恣意的運用の危険性については多くの論者が指摘しており、また、その点については同法に関する付帯決議が特別の配慮を求めている。こうした議論を整理しながら、5年前に予測された以上の勢いで進んでいる私学危機をふまえて再論することが求められている。
当初、筆者は、その準備作業の一環としてノートを作成しはじめたが、問題の性格からしても協力しあいながら検討していく事が必要と思われたので、これをオープンにすることとした。(2003年6月22日)
石原剛志(長野大学教員)
学問の自由と任期制
- ……大学の自治は、学問の自[p.22]由を研究教育の主要な場としての大学において実質的に保障するという制度的な概念である。したがって学問の自由=大学の自治の意義は、大学等の外的管理権力(公権力・設置者・教員の使用者)のゆえに大学等の内部で発揮しえないところの市民的自由をその内部に貫徹させ、教員・研究者にこれを回復せしめる点にある。
このような自由=自治には、指揮監督からの自由、懲戒権からの自由とならんで身分保障が不可欠となる。なぜなら、大学教員の研究教育の自由は、設置者・使用者がかれらの研究教育に対する価値判断権者として臨み、これを否定的に評価した場合には教員の地位を奪いうる権能をもつことによって最大限に脅かされるからである。逆に、大学教員の研究教育の自由は、この脅威を取り除くことによって最も強く保障されることになる〔原文注4 高柳信一・高浜敬吉「学問の自由」(有倉遼吉・小林孝輔編『基本法コンメンタール・憲法(第三版)』日本評論社、1986年)所収、98〜104頁〕。
大学教員の身分保障法理は、このような学問の自由保障のための適法手続き(公正手続き)、すなわちアカデミック・デュー・プロセスによらなければ免職・解雇されることがないという制度を確立した〔原文注5 注4に同じ〕。また、一年とか三年・五年という短期雇用契約の制度を変更させ、定年まで教員としての地位を保持しうる終身的な雇用制度(公務員法)や在職権(テニュア)の制度を確立した。高柳信一は、この雇用制度こそは「アカデミック・フリーダムの最も重要な法的内容」〔原文注6 高柳信一「学問の自由と教育」(『日本教育法学会年報第一号』1972年)所収、36〜37頁〕であり、学問の自由保障の「核心」であると断じている。雇用と身分の「安固さ」こそ学問の自由と独立性を支える基盤である。それらの保障は、過度の特権ではなく、教育研究という専門職能が専門職能として存立しうるための「最低不可欠の必要条件」〔原文注7 注4に同じ〕であり、教員人事権の確保は大学自治の核心であると確認されてきた。[p.23]」(新村洋史「大学教員任期制は何を定めたか」、高等教育3研究所編『大学ビックバンと教員任期制』大月書店、1998年より。太字強調は引用者による)
私立大学における経営危機と任期制問題
- ……貧困な文教予算のなかで、さし迫った経済危機をのりきろうとする財界の要求にこたえて創造的な科学技術を生みだしていくためには、自由で豊かな教育研究条件を確保していく余裕はなく、研究者を業績競争にかりたてていく必要があり、そこに任期制のひとつの狙いがあることはいうまでもない。しかしそれ以外に、あるいはそれ以上に、一八歳人口の減少という状況のなかで、大学のサバイバル競争はますます激化し、一部の私大はすでに定員割れの状態におちこんでおり、あるいは大幅な経費削減を強いられて、このため、なんらかのかたちのリストラは必至となってきているが、そうなると大学運営の効率化をはかり、教職員の抵抗をおさえるために大学運営の集権化=管理体制強化をはかろうとするのは当然であろう。この傾向は特に私大において顕著である。[p.212]」(浜林正夫「大学の再生のために」、高等教育3研究所編『大学ビックバンと教員任期制』大月書店、1998年より)。
- 現在、学生数の減少によって多くの私立大学が直面している経営危機は、法人が任期制を悪用して不明朗な支配介入をはかろうとする動機となりうる。すなわち、リストラの手段として活用しようという[p.183]ことである。しかし、私学経営を冷静に分析すれば、教員の身分を不安定化させ、失職の不安を挺子に隷属を迫るようなあり方は、教員・職員の教育改革への意欲を失わせ、学生の満足度をますます低下させて、破滅を促進させるだけである。危機の打開は、教員・職員が協力し、創造性を発揮して、大学ごとに特色ある教育実践を展開し、学生の意欲を引き出し、学習による満足度を高め、それを基礎として、就職活動でも良好な結果を築き、積み重ねていく以外にない。そのためには、法人経営の立場からみても、教員.職員の自発性を引き出す自由な雰囲気を制度的に保障すること、すなわち、教学の自治を最大限に認め、励ますことが大切である。したがって、教学の側からみて、法人の支配介入のおそれが強まっている場合でも、それが純粋に大学経営上の利害に根ざしている限りは、非和解的なものではない。教育改革を基礎として経営改善に真剣に取り組む姿勢をとり続ければ、法人側との接点を必ず見いだすことができる。すなわち、私学危機は、法人が経営意欲を失っていない限り、法人と教学の関係を前進させる好機でもある。私たちが、悲観論に陥ることなく、ねばり強い努力を重ねるなら、必ず展望は開けるだろう。
しかし、法人、あるいは端的には理事長が、大学経営には意欲がなく、大学経営にかかわる利権をむさぼるために、反対者を押さえ込み排除する手段として任期制を悪用しようとしている場合には、残念ながら、法人と教学に接点はない。先頃、ある専門学校のケースで明らかになったように、校舎、施設の見積もりを不当に引き上げて補助金を詐取しようとしたり、学生の研修に絡んで、旅行会社と結託して研修費用のキック・バックを受ける、あるいは、大学とは無関係の出張を公務出張のようにみせかけて、出張費を詐取するなど、不正行為の道具に大学を利用しようという立場なら、大学として高い評価を得る必要は[p.184]まったくない。単に大学が存在してさえいればそれでよいということになる。もし、そのようなケースに該当するときには、一方では教育改革への独自の努力を続けながらも、利権の根を絶つための闘いが必要となる。不正行為を暴き、法的手段を活用してでも、不正をはたらく法人幹部を排除する以外にない。決定的な対決をも覚悟しなければならないのである。
現実のケースでは、上記のいずれかの場合に明確に峻別できるような場面はまれであろう。したがって、より慎重な戦略判断が必要となる。しかし、私たちが直面しようとしている私学危機は、こうした冷徹でリアルな戦略判断を必要とするほどに、重大なものだと思うのである。[p.185](遠州尋美「私立大学における学内規程の制定をめぐる課題」、高等教育3研究所編『大学ビックバンと教員任期制』大月書店、1998年より)。
任期制と恣意的運用の問題−−放送大学の事例から−−
- 〔放送大学では〕一九八四年に開学準備のための教授が一三人採用された。定年になって来学された教授はともかく、現職の教授は、当然のことながら、任期制の導入にこだわった。無理に任期制のある大学に移る必要がないからである。
当時の理事長は『この制度は裁判官の採用と同じように形式的なもので、発動することはないから、安心してほしい。先生たちはチューターのような役割で各領域の中心となり、いろいろな先生をお呼びしてよい教材をつくってほしい。任期制にこだわらず、放送大学に骨を埋めるつもりで頑張っていただきたい』とわれわれを説得した。
公式の場での理事長の説明で納得できる内容なので、任期制についての不安は解消した。それに、筆者は、他の大学はともあれ、放送大学では大学の性質上、緩やかな形での[p.19]任期制の導入はやむを得ないだろうと思っていた。……
その前年の一九八八年、初年度に採用された一三人の教授の任期が切れることになった。もっとも、一三人のうち、一〇人は七〇歳の定年を越えていたので、該当する教授は三人だった。そして、それぞれに学内外で活躍していたので、再契約はスムースに進むも[p.20]のと思われていた。三人のうちのひとりはドイツ文化の専門家で、ドイツとの交流を重ねながら、語学教育の中心として活躍していた。もうひとりは理学畑の人で、学習センター長を務めながら、文系に傾斜しがちな大学の中で理工学を支える貴重な教授だった。
筆者は一三人の中でもっとも若い五〇代前半で、しかも、教育学関係の唯一の教授なので、責任を痛感していた。それだけに、可能なかぎり、研究に打ち込みたいと、専門にしていた児童生徒の意識調査を国際的な規模に拡大して展開した。六年の在職期間の間に、五冊の単行本のほか、学会誌などに数多くの論文を執筆した。……[p.21]
放送大学では教員を再任する手続きとして、専攻ごとに該当する教員の業績などを審査して、再雇用が適当かどうかを決め、その結果を学長に報告し、学長は評議会に再任の可否を問う形をとることになっていた。そして、該当する三人について、それぞれの専攻ごとに審査が行われ、『適』の結論が得られた。そして、三人を含めて、学内では再雇用の問題はクリアした雰囲気だった。
一九八八年五月に学長から呼び出しを受けた。評議会で筆者の業績を説明するのに不明のところでもあるのかと出向いてみると、『理事会の中に先生の再雇用に反対する動きがある。研究者としてのキャリアに傷がつくといけないから、再雇用を辞退してはどうか。その代わり、私立A大学にポストを用意した』という内容だった。
文字どおり寝耳に水だった。評議会に反対があるという話は聞いていなかったし、放送大学教授として、やることはきちんとしてきた自信がある。それだけに、再任拒否は理解できなかった。話のあったA大学に不満があるわけではないが、そ[p.22]れこそ筋がちがう。そう考えて、再任を評議会にかけてほしいと頼んだ。
筆者とは別の二人も、学長から呼び出しを受け、それぞれに別の理由をつけて、再任拒否を告げられたらしい。そして、ひとりの教授は斡旋された大学に移り、他のひとりは浪人の道を選んだ。[p.23](深谷昌志「任期制導入の問題点は何か」川成洋『だけど教授は辞めたくない』ジャパンタイムズ、1996年より)
学内の自由・民主主義と任期制
- 任期制についての議論がはじまったころは、「教育研究をしっかりやっていれば任期制は恐れることはない」とか、「無能な、あるいは怠けものの教員の対策として任期制大歓迎」とかというような声がかなりあったけれども、任期制という制度はそういう個人レベルの問題ではない。任期制は全体として教員を沈黙させるシステムである。岐阜薬科大学の任期制についての新聞記事を読んで、私がいちばんショックをうけたのは、全教員が同意書を提出させられたという点である。詳しい実情はわからないが、おそらく、一人あるいは少数で、これを拒否することの難しい雰囲気がつくられていたのではなかろうか。もしそういう雰囲気があったとすれば、問題は任期制だけにとどまらず、つぎつぎとうちだされる管理体制強化そ[p.212]の他のしめつけ(たとえば教授会権限の縮小、労働強化、予算カットなど)に抵抗することはできなくなるであろう。任期制は大学の民主主義のリトマス試験紙であり、学内民主主義をつきくずしていく突破口である。[p.213](浜林正夫「大学の再生のために」、高等教育3研究所編『大学ビックバンと教員任期制』大月書店、1998年より)
- 正直に言って、任期制が導入されると、研究者たちは審査が気になり、落ちついて研究ができなくなる。また、審査権を持つ教員にさりげなく近づくなど、変な形でのコネづくりが始まろう。また、大学の管理者のなかには、教員を管理する手段として、任意制を使う者も増加する。そう考えると、任意制の導入により、大学の雰囲気が暗さを増し、研究も停滞する。それだけに、任期制が導入されないように、大学人が自戒して研究や教育に[p.30]全力を傾けると同時に、白分たちの大学を守るために、大学としてのきちんとした制度づくりをしておくことも重要であろう。[p.31](深谷昌志「任期制導入の問題点は何か」川成洋『だけど教授は辞めたくない』ジャパンタイムズ、1996年より)。
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