西南戦争は明治維新によって生じた問題が、武力蜂起によって吹き出した最大の出来事であり、以後の日本に大きな影響を与えた歴史の転換点です。
 この戦争は日本最大の内戦ともいわれ、日本で近代戦が確立した出来事でもありました。しかし簡単に士族の反乱とまとめられ、あまりかえりみられない向きもあります。

 戦争原因は一般に、「西郷隆盛が征韓論争(明治6年の政変)に敗れ、不平士族と共に反旗を翻した・・・・」と簡単に云われます。しかしその詳細について語られることはあまりありません。
 それでも西郷=征韓論者〜西南戦争と単純に結び付ける説・記述は数多くあります。通史の鵜呑み。西郷が軍人でもあった事から推測を先行させるなど、都合良く語られています。

 戦争責任については鹿児島士族(薩軍)にあるとの見方も強くあります。確かに政府の改革に従わず戦いに踏み切ったのは鹿児島士族です。しかし各地の反乱に呼応せず、自嘲していた彼らを挑発したのは明治政府ともいえ、一方だけに原因があるとは言い切れません。
 さらに薩軍を“保守反動集団”とまとめる傾向もあります。しかし薩軍には超保守派もいれば自由民権派もいる多彩な組織でした。それでも一括りにまとめられがちなのは「御上(政府)の改革は正しい」という見方から、時代錯誤な反動保守でなければならないのでしょう。

 戦いについては、熊本城・田原坂の戦闘ばかり注目されます。しかし戦いは約7ヶ月間、九州4県(当時は3県)にも及ぶ大規模なものであった事は、あまり知られていません。錦絵で鎧甲姿があった事から薩軍は“刀・弓・槍・火縄銃の旧式軍隊”との誤解もあります。このため西南戦争は近代戦争のイメージが少ないようです。
 確かに薩軍は抜刀戦を多用しましたが、それは物資不足を補う為と、政府軍の弱点(当時の火器の弱点)を巧み突いた戦法であり、両軍とも主装備は近代火器を主とするものでした。世界的に希にみる武器弾薬を消費し、最先端の武器・技術を駆使。維新から僅か10年で欧米列強と比べても遜色ない戦闘を繰り広げていますが、あまり語られません(戦争ですから決して誇れる訳ではありませが・・・・)。

 いろいろな事が語られないまま、西南戦争は一括りにされています。

 管理人は独自の観点・資料・文献がある訳ではありません。特定思想・史観で批判や肯定を示す事より、戦争の経過を追い、戦跡を尋ねながら、固定イメージの再考材料になってくれればと思っています。

 その割にはお寒い内容なんですけどね・・・・!?ぼちぼち更新していきます。(^_^;)