HIRANO KEIICHIRO Official Website
一月物語 (springさま主催)
Studio
fish(古都魚太さま主催)
web新潮(新潮社主催)
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★ まとめ ★
丸2年ぶりですね。昨年6月に平野氏自身の公式サイトがオープンしました。また氏の新作が出ていないこともあって、批評家の方が平野氏に言及することも、作品が紹介されるようなこともめっきり減りました。ここらで一区切りかなと思ったので、リストを少し見やすくしておきました。そして今後はほとんど更新しないと思います(^^;;; ま、私のリストは1998年〜2001年までってことで。 最近の話題としては、『日蝕』が文庫になりました。また読者が増えることでしょう。単行本の約3分の1の値段ですから少し敷居が低いかな。それにあの後旧漢字を多用する人が増えたから読者の方も免疫ができているかも。 それから、ちょっとイマイチだった(^_^;)雑誌『Voice』での連載エッセイが単行本になりました。「寫眞抄」というタイトルだったものを『文明の憂鬱』なんて大仰な題に変えちゃって…。そんな傷口を広げるようなことしなくてもというカンジです。これは申し訳ないけれど金額に見合った内容になっていない気がします。もう少し修行を。もしくはこの道は諦めていただいた方が。でもエッセイ書けないと速書きできない作家は生活がきついんですよねぇ。平野氏には是非とも面白い小説を書いていただかなくてはいけないので、ちゃんと買ってあげてますが。(2002.2.11) |
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★ メールマガジンに刺激されて ★
1月17日のflower嬢改めspring嬢のメールマガジンを読んで久しぶりに色々考えました。彼女が触発されたのは「群像」2月号の阿部和重と東浩紀の対談で、私も立ち読みで平野くんに関するところだけは読みました。
私が共感したのはspring嬢の「好みの問題なので結局は何とも言えませんが、世の中には古典作品よりもマンガを読む人はたくさんいて、人々がマンガで得ているものを得ていないかもしれません。これは、作家という立場から読者へ訴える、伝えるという点で不利なのではか?と思います。」という考え方。自分もマンガが嫌いではないので余計納得してしまうのかもしれませんが、マンガと一口に言っても現在では多種多様な作品がありますし、読者としてかなりの大人や専門的知識を持った人をも対象としている作品も増えてきているので、昔の一般的な作品のように単純化されたものばかりではないですから、事実としてそういう体験は増えていると思います。また人気商売なので流行りものにみんなが飛びついて同じような作品が乱立する傾向はありますが、これは現代のマンガに限ったことではなく、例えば江戸時代の草紙や読本などでも全く同じであったと思うし、明治以降の文芸でも同じような現象はあったと思うので、この点を挙げてマンガを貶めるのを時々見かけますが的外れのような気がします。 ただ、「兎に角、自分はマンガを読まない、これまで古典作品を読んできた、という事はあまり威張って言うことではないのではないか?ということが言いたかったのです。」ということに関しては、私はちょっと違う意見かな。人が読書に費やす時間などかなり限られていますから、その時間を使って広く浅く読むか狭く深く読むか、またどの分野に集中して読むかなどは人それぞれでしょう。そういう中で自分が本当に気に入って貴重な時間を費やしたものなら、胸を張って言ってもいいんじゃないかなと思うのです。それは自分のこれまでの人生に自負心を持つことにもつながっていくでしょう。ただ、マンガは低俗だから読まない、古典は高尚だから読むという考え方での行動なら、私も「まだまだ甘いな(^ー^)ニヤリ」と思いますけどね。 それから「又、本で得られるものというのは、実際の体験で得るものには及ばないということも感じます。」という点も、実は私は別意見なのですね〜。確かに五感に受ける実際の刺激という点では読書は実体験にとうてい及ばないかもしれないけれど、五感で拾った感覚を統合する脳の中での体験という視点から考えれば、読書は実体験では一生かかっても得られないであろうものをいくつも与えてくれるものだと思っています。(2000.1.31) |
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★ バナー ★
なんと、イラストレータの古都魚太さまに作っていただきました。ありがとうございます。(^-^) 自分は特に絵画方面の才能が全くなく、HPもこれこの通り殺風景なので、バナーを作ろうなどと考えたこともありませんでした。とてもうれしいです〜。(1999.6.7)
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★ ファイル構造変えました ★
私はHPは全てネットスケープ・コミュニケータのコンポーザという奴を使っているのですが、ちょっと1枚のhtmlに書くのはストレスが大きくなってきたので、泣く泣くファイルを分けました。枚数が多くなるとアップするときとか面倒なんですよね。(^_^;)
リストだけ別ファイルにしたので、ブックマークを付けるならあちらに付けた方が建設的ではないかな。そのままhtmlで保存するのもよいしね。どれが追加されたのがわかりにくくて申し訳ないですね。1つ1つNEWマークを付けようかと思いましたが、更新が定期的じゃないからタイミングよく見れなかった人には意味ないしね。いつかはACCESSのデータにでもしてアップしたいなぁと思ってるのですが、当分無理でしょう。まずはDB構造から検討せねばならぬし。(1999.5.22) |
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★ BS 週間ブックレビュー(3/?)を見て ★
ビデオをたまたま録画していたという知人が居て、貸していただきました。(ここでマメ知識。確かインターネットなどの公式な場所で「ダビングして下さい」というの著作権法違反だったと思います。まず「貸して下さい」と言い、後でこっそりメールでダビングを頼みましょう。(笑) もちろんそれで商売などせず個人的に楽しむだけにしましょう。) んで、早速見たのですが、まず私が初めて見た平野くんのテレビ出演は先日の『トップランナー』だったのですが、あれは見たときから既に、あの2人はまったく理解してなくて、ただ台本に従って話を振ってるだけだなぁ…と思っていたのですが、これを見た後ではもう「けっ」って感じですね。(^^;;; いや、個人的には2人ともキライではないのですが。司会者の許容範囲を考えなかったスタッフが悪いのかもしれないし。
インタビュアーの如月小春は名前だけしか知らなくてどういう経歴か知らないのですが、ちゃんと理解し、尚かつ周辺の知識もちゃんと自分のものになってますね。スタッフから仕入れただけかもしれないし、平野くん本人がどういう印象だったのかわかりませんが、見ている方としてはすごく面白いインタビューでした。1つだけ残念だったのは、しきりに次回作を楽しみにしていて4月になれば読めるんですねっとか言ってたんだけど、収録時点で既に雑誌に掲載されているのをよもや知らないわけではあるまいな、おぬし。とツッコミを入れたくなったところで〜す。 あ、どなたかこれの放送日ご存知の方教えて下さい。m(_ _)m (1999.5.22) |
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★ 物語〜メディアによる差異 ★
「物語」というものに子供の頃からとても興味がありました。記憶に残っている、自分で読んだ本の一番古いものは『かぐやひめ』です。小学生の頃は国内外を問わず民話のようなものばかり読んでいました。もちろんルパンやホームズやちょっと手を伸ばしてクイーンを数冊とか、現代作家のものも読んでいましたが、とにかく「お話」的なものが好きでした。小学生の時、何かのプロフィールに「嫌いな本は図鑑と伝記」と書いたことがあります。(笑) 図鑑は今では好きになりましたが伝記はいまだにその面白さがよくわからないままです。
本だけでなく漫画も子供の頃から好きでした。私の世代では漫画をよく読む人は本もよく読む人でした。最近はそうでもないみたいだけど。漫画原作のアニメが多かった頃からアニメも結構見るようになりました。それから中学生の後半頃から映画も好きになりました。最近ではゲームをロールプレイングだけやります。そんなこんなでやってくると、メディアによる表現の差異というものに自然と眼が向くようになるんですね。例えば漫画なら絵と文字が使えるけど音はない。映像(実写)は絵と音が使えるけど基本的に字は使えない。アニメは絵と音と字も少し使える。小説は字だけ。映像は撮影した人が意図しないものが映り込むことはありますが、それ以外のメディアでは基本的に作者が意図しないものが描かれることはないですよね。それからよく小説を映画化ってのがありますが、あのシーンは絶対映像で見せたらつまんないだろうな〜とかありますよね。漫画→アニメにもある。漫画は動きの途中が省略されたものだから、途中を描いちゃうとタイミングというか間合いのようなものがおかしくなっちゃう時があるし。 小説は字の見せるイメージとか頭の中で読んだときの音とかの影響力が大きいですよね。平野くんは読んだときの音はちゃんと考えて漢字を使っているとどこかで言ってましたが、私は読んだときはこれは見た目で意味が分かれば音は気にしないで使ってるな、と思ってました。なんかこれ音ヘンって思うのがいくつかあったからかな。ちなみに上にも少し書いてありますが漢字は私は全然平気でした。もちろんわかんないのもいくつかありましたが辞書を引いたりはしませんでした。まぁ通勤電車の中とかで読んでるから引ける訳ないんだけど。(笑) でもこれは昔取った杵柄って奴で、ひとえに大津山先生ありがとうという感じなのです。と、余計な話はおいといて、とにかくこんな風に世の中に色々な表現方法があると分かると、字だけを使って音も映像も表現し物語を紡ぐ小説というものが一番好きかなぁと考えるようになりました。言葉を介さなければ成立しないというところが好き。平野くんはよく頭の中にはすぐに映画化できるくらい映像がはっきりあると言うけど、もしお金をかければ自分の思い通りの映像が作れるとしたら小説家にならずに監督になってたかなぁ。私は映像で思いついたことでも字で表現するところが好きなんだけど。あまりに映像にこだわりすぎると文字にしたとき伝わりにくいことが出てくるので、ちょっと心配です。『日蝕』で杖の描写がすごく細かかったんだけど、自分にはすぐに飲み込めずなかなか映像として浮かばなかったから、そんなことを考えるのかもしれません。(1999.5.22) |
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★ 週刊読書人(5/21)インタビューを読んで ★
まずインタビュアーの方の態度がかなり好感持てました。平野くん本人や評論からの言葉を引き合いに出すときはちゃんと出典を明記しています。すぐ横の石川九楊さんという方によるミニコラムではしっかり『一月物語』けなされてるし。(笑) よく知らないのですが、同じ雑誌なら誉めるかけなすか方針を決めてそれに沿わせるとかしないのかな。隣でインタビューしてるのにこんなの載せちゃうなんて太っ腹です。
『一月物語』で何を描いたかという話で、「現実に起こった出来事が神話の世界に退いていく過程みたいなもの」というのは納得ですね〜。しかし「仏教的な『縁起の空性』」ってのはどっちに解釈すればいいのかな? 仏教の問題意識の中に「縁起の空性」というものがあるのか、仏教的な縁起という考え方の「空性」なのか? こういうのって別にここで括弧くくるって、話してるときにいう訳じゃないから、もしかしたら原稿に起こした人の解釈しれないとも思う。でも単に私が知らないだけって可能性が一番高いけどさ。「テクストが終わった後に感動の焦点を持って来ている。」ってのもふむふむという感じですね。 ある種の批評のことをかなりけなしてます。まぁまぁそう言わずに、批評家の立場も考えてあげなよ〜と言いたくなります。(笑) 基本的に作品を読んで何を感じようとその人の勝手だし、それを発表するのも勝手。批評も芸術とまでは行きませんが一種のパフォーマンスと考えています。それで同意してる人が居るんなら、それなりの意見なんでしょう。まぁ勘違いする人が多い、ということかもしれませんが。(^_^;) 批評に正しいも間違ってるもないと思います。それにあんなこと言ってて褒めちぎる批評ばっかりになったらつまんないし。作家が気に入らない批評に対して文句を言うのも自由なんだけど、そういうときは無視してあげた方がいいという考え方です。私は。別にお互い様だからいいんだけど、争い事が好きではないのでついつい仲立ちしてしまう…。かといって争いが全くない世界というのもとてもヘンだと思ってしまう矛盾した気持ちなのですが。(^^;;; (1999.5.22) |
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★ 宗教のこと ★
平野くんは『婦人公論』のインタビューで宗教には「絶対的な体験」と「戒律」の2つの面があるけれども戒律はあくまで付随的なものにすぎなくて体験が宗教の本質だと思う、と話してます。これがちょっと自分が今までに感じていた宗教観とかぶるところがあって面白かったです。他に似たようなこと言ってる人に会ったことがなかったから。私は近代以降の日本の宗教には「戒律」の部分しかないと感じています。言ってみれば法律のようなもの。ただ、人間の集団を円滑に運行していくためのもの。もし法律を「信仰」してますって人が居たら変な人って思いません? まぁ人間というのはいろんなものを信仰する生き物なのですが。
だから私は「神」的なものの存在は別に否定しないけど、ある特定の宗派を信仰するって人がどうもいまいち理解できないです。でも、この平野くんの考え方を聞いてなるほどねぇ、そう言われればそうかなぁと思ったです。現代で「絶対的な体験」ってのがちょっと難しそうだけど、信仰する人たちは私が気がつかなかっただけでそれを得ていたのかもしれないねぇ。しかし、例えば古代なら薬物を使って神憑りになっても全然オッケーだったけど、今の人だったらなーんだってことになっちゃいませんか? 染みついた考え方の相違は今のところ私にとっては如何ともしがたいです。他人事なら別に実状がなんであれ自分がそう感じたならそれでいいじゃん、って気もするけど、自分事となったらそうもゆかないでしょうね。だからこそ平野くんの言うように芸術を通して「絶対的な体験」をできたらちょっと素敵かなぁと思ってしまった。(1999.5.12) |
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★ 初読時の感想(HP日記コーナーより抜粋) ★
生まれて初めて自分からしかもリアルタイムで芥川賞受賞作を読んだ。平野啓一郎『日蝕』。まずどこでも必ず言及される表記について。てっきり旧漢字旧仮名遣いで書いてあるのかと思ったら違った。ただ単に、常用漢字に入ってない漢字を多く使っていたり、時々旧漢字や旧仮名遣いになってる部分が出てきたりという程度だった。漢字に関しては昔取った杵柄と言うか、多少人よりは知識があるので、それほど苦にはならなかった。「〜む」というのを多用している割には小さい「っ」はそのまま使っていたりして、最初のうちは慣れなくて気持ち悪かったが。修飾語が多く、しかもそれを硬い表現にしているので、三島っぽいと言われるのはまぁ納得できるが、鴎外はちょっと違うのではないだろうか? あの程度でも擬古文と言えるのか?
内容は…何故内容について触れられることが少ないかよく分かった。受賞時の新聞の評では哲学的とのことであったが、これは哲学的な用語を散りばめただけ、という気がしないではない。テーマがはっきり打ち出されていなくて、もしくは1本に統一されていなくて、全体が曖昧模糊としている。主人公に迷いがあったとしても、もう少しどうにかできたのでは。前半部分が全体にあまり貢献していないのも気になる。もっと短くできたはず。主人公「私」の一人称語りという点は私小説的で純文学と見なされやすいとは思うが、問題はそれで何を表現したかったのかということだ。仮にも「新潮」という雑誌に送りつけたからにはエンターテイメントを志向しているわけではないと思うのだが、芸術と呼ぶには深みが足りないかなぁ。かといって古い文体の上に何か新しいものをプラスしたという感じでもなし。キリスト教の問題もただ飾りに使っただけという感じで、全く宗教的な思索の跡を感じないし。とりあえず先月新作が雑誌に掲載されたらしいので、できたらそれを読んでみたい。まだ僕の中で彼の印象が固まらないから。今朝の新聞の文化面で取り上げられててたから、評価してる人の言葉を読んでみてたけどピンとこなかったなぁ。(1999.2.27) 平野啓一郎『一月物語』を読んだ。前作『日蝕』はヨーロッパの方が舞台だったが、今作は明治30年の日本、しかも熊野の辺りが舞台だ。もろ僕の守備範囲ということもあり、前作より文章が練られているというか洗練されているということもあり、非常に読みやすく、また読後感も良い作品だった。相変わらず難解な漢字を多用しているので漢字の苦手な方にはお薦めできないが、泉鏡花などがお好きな方には是非読んでいただきたい。物語の粗筋自体は目新しいものではないがそこに流れている思想に新しさを感じさせてくれるところが、ただのレトロな作品とは違って嬉しいのだ。(1999.4.24) |
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★ chrono-topos 開設にあたって ★
自分が、一覧ないのかなと思って検索をかけてみたところ、ないようだったので作ってみました。と言っても、基本的に人からもらった情報を補足してまとめているだけです。それだけだと自分がつまらないのでここは自己満足のコーナー。
平野くんとの出会い。忘れもしない、98年7月。上のリストにも載せた朝日新聞の記事です。それじゃ出会ったって言えないって?(^_^;) でも最初に存在を認識したのがこの新聞記事だったのです。それを読んだときは「ふーん」としか思わなかったけど、ちょっと心惹かれたので切り取ってとっておいた。基本的に本は小説しか読まない。それも9割方死んでる作家のものしか読まない。ので、生きてる作家で、しかも今まで読んだことなくて(デビュー作だから当たり前だ)しかも雑誌掲載なんて、絶対読まなかったと思う。実際読まなかったわけだし。文体が古くさいというのはなかなか面白そうだけど、問題は中身だと思った。読みたいと思ったのは芥川賞受賞の報道がきっかけで、「ああ、あれが」と思って記事を読んでみると私の好みにあってそうだったから。です。 周辺記事を集め始めたのはごく最近です。『一月物語』がとても良かったから。作者について知りたいと思った。つまり私にとって平野啓一郎は単に『日蝕』1作の作者であるということではなく、私好みの作品を書いてくれそうな作家の一人として認識されるようになったということでしょう。 もう少し見やすくしたいのですが、上手い方法が思いつきません。あきらめて表形式にするべきでしょうか…。図書館などを利用すれば後からでも見ることができるものがあると思います。今後平野くんのことを知りたいと思った方が少しでも利用価値があるようになっていればと思います。誰か一人がやればいいんだけど、なかなかやる人がいないことかなぁと思うのですが。(1999.4.22) |