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囲碁神社の境内には「勝負占い」の看板もありました。
しかしながら囲碁は、勝負にこだわらずとも、時の経つのも忘れて夢中になってしまう程の魅力がありますね。(^^)

そのような情景を爛柯(らんか)と中国の故事に倣って云います。
さて、その故事はどんなお話しかというと…

むかし、中国は紀元前500年の頃、王質と云う、とても囲碁好きの樵が住んでいました。
ある日、いつもの様に、奥山深く樵に出掛けてみると木かげで四人の童子が碁を打っていました。碁打ちの定石とでもいいますか、ついつい傍に寄って成りゆきを眺め始めました。時の経つのを忘れて、観戦していたわけですが、一段落してさて、持っていた斧を支えに立ち上がろうとしたところ、びっくり仰天、斧は真っ赤に錆び付き、その柄はぼろぼろに朽ち果てており、ずっこけてしまいました。やむを得ず、今日の仕事は止めようと帰宅の途につきましたところ、風景がいつもと違うし、行き会う村人も誰も知らない人ばかりです。
自分の家すら見つからぬありさまです。不思議に思って聞いてみますと、なんと、今朝、家を出てから100年は経ったであろうというあり様です。

日本の浦島太郎の様なお話ですが、このように全ての事を忘れて没頭してしまう程楽しい囲碁、これを別称「爛柯」という由縁であります。

は、ただれる朽ちる。は柄のこと、つまり、斧の柄が朽ちる事を「爛柯」といい、転じて囲碁の別称となったものであります。

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