アイヌ文学の世界 (「アイヌ神謡集」について)
北海道の先住民族であるアイヌの人たちは、狩猟・採集を中心とする
生活の中で、自然を敬いおそれる独自の文化を生み育てました。
アイヌの世界観を端的に表すのが、ユーカラという口承文学です。
ユーカラには神が語る形式のものや、英雄伝の形式のものがあります。
前者に属する「アイヌ神謡集」は、19歳で亡くなったアイヌの女性・
知里幸惠が、大正11年に世界ではじめてユーカラを日本語に訳し、
文字にしたものです。
動物の姿をして神が人間のもとに現れる様々な物語からなっており、
アイヌが自然をどのようにみていたかを、よく知ることができます。
序文の切々と響く美しい文章も、実に感動的で、筆者の知性の高さを
強く感じさせられます。
ぜひ一度読まれることをおすすめします。
(2001年7月)
岩波文庫の「アイヌ神謡集」。![]() |
序(岩波文庫「アイヌ神謡集」より) その昔この北海道は、私たちの先祖の自由の天地で ありました。天真爛漫な稚児のように、美しい大自然に 抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に 自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす 寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海 には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様 な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は柔らかな 陽の光を浴びて、永久に囀る小鳥と共に歌い暮して蕗 とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、 宵まで鮭とるかがりも消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、 円かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。 平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は 急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に 開けていく。 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺 に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いず こ。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ 驚きの目をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動 宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝き は失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手 も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさまし い姿、おお亡びゆくもの・・・・それは今の私たちの名、 なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が 末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども 想像し得なかったのでありましょう。 時は絶えず流れる、世は限りなく進展していく。激しい 競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中から も、いつかは、二人三人でも強いものが出てきたら、 進みゆく世と歩みを並べる日も、やがては来ましょう。 それは本当に私たちの切なる望み、明暮祈っている 事で御座います。 けれど・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに 意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝え た多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、 亡びゆく弱いものと共に消失せてしまうのでしょうか。 おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。 アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、 雪の夜、暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じた いろいろな物語の中極小さな話の一つ二つを拙ない筆に 書連ねました。 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が 出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとう に無限の喜び、無上の幸福に存じます。 |