高原記者日記
(= 身長の2倍日記A 2002/9以降)
ジャパンタイムズ報道部記者として首相官邸・外務省などを取材し、英文記事を書いてきた多感な高原記者による日本語エッセー集。06/2に経済担当になりました。
最終更新 2008/05/18 16:03
「身長の2倍 3m達成」までの日誌は「@」にあります(「やさたく」成功者です)。
以下のページにはそれ以降、取材で感じたことが書かれています。
高原加奈子記者の記事はジャパンタイムズでほぼ毎日ご覧になれます。署名記事の場合、記事冒頭に
By KANAKO TAKAHARA
Staff writer
と書いてあります。ジャパンタイムズのサイトのSearchで
Kanako Takahara で検索すると多数ヒットします。高原記者プロフィール(STサイト,
写真あり)
以下、文中の見出し、太字は伊藤による編集です。
ジャパンタイムズ紹介・バーチャルツアーページ
@(前ページ)のハイライトから: 高原さんの賞状を見る 特訓開始 一生懸命やるしか
英語の世界 英語超多読日記 英語学習 英文記者 女性ジャーナリスト 英語で取材 英語で書く 英語で報道 英語で仕事 英語のプロ 英語多読英語多読
    
(最新の日記が一番上にあります)
<非なるようでいて似ている職種?!>
06/4/27
現在子供が生まれて、育児に専念している私の姉は元証券マン。
企業に関する様々な情報を集めて、分析して、それでもって
顧客に株を勧めたり、助言をしたりする。
先日私が姉宅でご飯を食べていたときに、こう言われた。
「かなこと私がやってたことって似ているね」と。
「証券マンと私のやっていることが似ている?!」と最初は
納得できなかったが、よく考えてみるとそうかもしれないと思いはじめた。
経済担当として約2ヶ月。私は日々企業の会見に出席したり、
決算会見を聞いて記事を書いたりしている。
同時に似たような会見は、証券会社のアナリスト向けにもあるのだ。
アナリストも企業の社長に、様々な質問をして、その企業を評価する上で
の参考にする。
アウトプットの目的は全然違うけど、仕事の内容は似通っている。
最近は、姉宅でご飯を食べさせてもらうときの食事の場は、
さながら私のための「ミニ経済教室」と化する。
銀行マンである義兄と姉に、うんざりするぐらい質問を浴びせかける私。
それこそ経済担当になりたてのころは、東証で配られる企業の開示資料
でわからない経済用語が載っているものを、片っ端から持ち帰って
解説してもらっていた。
ついには、「あんたいいかげん聞いてばっかりじゃなくて、
基礎知識をたたきこんでから出直していらっしゃい!」と
怒られるぐらいに・・・
でも姉夫婦だって、私が経済担当になったことで、
共通の話題で話せることを喜んでいるのだ。
しかし、そうはいっても私もいつまでも勉強しないままではいられない。
何冊か経済本を読んで、再度挑んでいる。
最近の話題は、5月から施行される新会社法について。
話すことで、だいぶ頭の中が整理されてくるのだ。
ああ、姉妹って便利。
<歩く経済担当>06/4/25
外務省担当から経済担当になって、何が変わったか改めて考えてみた。
それは一日に歩く距離。
経済担当になったと同時に、半分内勤勤務となり、一日に一回は会社に
上がらないといけないからだ。
ジャパンタイムズの本社は、田町駅から徒歩十分強の距離にあり、
記者からの文句は絶えない。駅から遠いこともあるが、ニュースが
集まるところから遠いのだ。
霞ヶ関や国会からも行きにくいし、防衛庁や都庁も遠い。
とにかく東京で取材する上で、拠点にするのには不便なのだ。
しかし、そうはいっても本社があるから仕方がない。
基本的には、田町からの行き帰りで最低30分は歩いていることになる。
さらに、茅場町から東証までは5分ぐらい。
でも、日々の取材はそれだけではないの。
今週は企業の3月期決算の時期だ。各企業は、東証の記者クラブでも
会見をするが、それぞれの本社や都内のホテルなどでも
社長会見を開く。
公共の交通機関を乗り継いだとしても、都内だとけっこう乗換えで
歩かされることも多い。最後にまた、本社に戻ることもある。
そういってあっちこっち歩いていると、一日で確実に1時間以上は
歩いているのではないかと思う。
さて、私がまだ駆出しのころ、北陸地方に取材に行ったときのこと。
地元の人いわく、
「東京の人は、電車に乗り換えたり、駅まで歩いたり
することがあるだろうけど、私たちはドアツードアで車で移動するから、
全然歩かないんですよ。きっと東京の人に比べて、足が退化していると思います」
といってた。
さて、先日弊社の外国人エディターと話していたときのこと。
(彼らは、記者が書いた記事を校正して、見出しをつける)
「きみたちは、毎日外で取材できていいよね。僕は一日中パソコンの前に
座っているから、イヤになるよ。毎日お昼も夜も、コンビニ飯をパソコンの前で
食べてるんだから」と。
そうね、それはちょっとイヤかも。
これからは、会社を二往復することになっても、愚痴は控えよう。
今日もオフィスで晩御飯を「チン」している彼らのためにも。
<範囲外の私> 06/4/4
先日4月1日からサービスが開始した「ワンセグ放送」について取材をした。
経済担当になってから約1ヶ月。
私が特に気をつけて見なければならないのは、電機業界・自動車業界・
IT業界である。1面にいくニュースとなりやすい、日本の中心産業だからだ。
しかし取材して改めて、私はこの「メカ・機器」業界への興味が薄いことを
痛感した。
それは私のほうだけではなく、向こうさんの業界側も私を商品の
ターゲットに据えてないことがよくわかる。
液晶テレビやプラズマテレビがホットな電機業界。
各社は6月のW杯前の買換え需要を積極的に展開している。
スポーツシーンをより臨場感がある美しい画面で見るために。
これらの業界の中心ターゲットは20代・30代・40代の男性であることが多い。
しかし、私は試合が見れればブラウン管で十分だと思う。
先日、携帯電話の機種変をするため、実家近くの家電販売店にいった。
売り場の店員さんは、各社の特徴を事細かに説明してくれる。
カメラ画像がきれいな機種、着メロがきれいな機種、ラジオがきけるなどなど。
しかし、私は電話が出来て、メールとネットにつなげればいい。
「ワンセグ放送」を取材するときも、私自身恥ずかしながら、
取材するまで「ワンセグ放送」が何なのか全然知らなかったのだ。
用語は聞いたことがある、程度である。
業界のターゲットとしても、自分の興味としても範囲外なのだ。
これはでも、実はおもしろい。何せ取材しなければ、おそらく詳しくなることは
ないであろう業界・事柄を調べるわけだから。
と正当化してはみるものの、知識と興味に欠けているというハンデは依然存在する。
読者に対して薄っぺらい記事を提供するわけにはいかない。
だから、なるべく会見や懇談などに足を運ぶようにしているのだが、
とにかく数が多い。そのうえ、会見での質問では専門紙・業界紙の
記者がマニアックな質問をして、内容を理解するのに四苦八苦することも多い。
一般紙としては、そこまで専門的な内容を書き込む必要がないのだが、
「理解できない」ということ自体が辛い。
経済記者としての修行は、まだまだ始まったばかり。
<Paperless ではなく paperful> 06/2/24
今週から外務省担当ではなく、東証担当となり、民間企業などを中心に
取材するようになった。記者クラブも、外務省から茅場町の東京証券取引所
の3階に移った。
しかし、今までと何が違うって、配布資料の多いこと!
1日でごみバケツ一杯の資料が、様々な上場企業から
記者クラブ内に投げ込まれる。
先日、1日中会社で作業をしてクラブには行かなかった。
その翌日にクラブに行ったら、東証の受付の人があふれでた配布資料を
ダンボールに入れておいてくれていた・・・
しかも、目を通すことぐらいはするが、99%は即ゴミ箱いきである。
なんてかわいそう。というかもったいない。
それにしても、毎日毎日これだけ東証に報告すべき企業活動
が行われているということなのだ。
人事異動、決算短信、新株予約券の発行など数え上げたらきりがない。
世の中ネットやメールの普及で、ペーパーレス化が進んでいるはずなのだが、
この記者クラブではその流れに明らかに逆行している。
なんとも不思議な記者クラブである。
<ぜいたくな時間> 06/2/25
年明けに友達と二人で、マウイとサンフランシスコを豪遊する旅に行ってきた。
旅行というのは、もちろん現地で様々な経験をするのが楽しいのだが、
実は旅行に行くまでの時間もそれと同じぐらい楽しい。
出発する直前の週末に、私は旅行中に読む本を買いに大手町の「オアゾ」にある「丸善」にいった。
お気に入りは、4階の洋書コーナー。
最近人気のペーパーバックから、古典文学もの、洋書絵本など幅広く品揃えがある。
店員が書いたポップアップを読んだり、聞いたことがある映画のタイトルの
原作本だったりを眺める。ゆっくりと棚から棚へと移動しながら、
「マウイの浜辺で寝転がって読むのに最適な本は何かなあ」と思いを巡らせる。
灼熱の太陽に合うのは、背筋も凍るサスペンスか、どきどきする犯罪小説か。
はたまた、ピニャコラーダのように甘ったるい恋愛小説か、
まったり読めるエッセイか。
そんなことを考えていると、心はすでに日本を離れている。
なんとぜいたくな時間であるか。
結局 ``The Sea'' John Banville著を購入。やはり海辺で読むのは、海を題材にした
本ではないか、という単純な理由である。
そのほか自宅近くの本屋でも、「バッテリー」 あさのあつこ著とその続編を何冊か買って、
気分によってどちらの言葉の小説も手にできるようにする。
・・・しかし10日間の旅行中に手にしたのは、結局日本語の小説のほうだった。
なんたる落ちか。John Banvill氏の``The Sea'' はいまだに私の部屋の本棚で
読まれるのを待っている・・・
<違和感> 06/2/25
私が防衛庁の担当になったのはちょうど1年前だが、そのときに
ものすごくびっくりしたことがあった。
それは毎週定例の防衛庁幹部と防衛記者会の記者との懇談のときである。
記者部屋で座って待っているのだが、幹部が入ってくると
みんな一斉に起立をするのだ。幹部が座ると記者も座る。
最初は何が起こったのかわからなかったので、反射的に一緒に立ってしまった。
でも、なんで?
防衛庁のように指揮命令系統がはっきりしている組織では、
上に立つもの(例えば司令官)の権威は絶対なのだ。
察するに、そういう立場の人には敬意を払うのは当然という思いから
くる慣習なのではないかと思う。敬礼と一緒だ。
しかし、なぜ指揮命令系統の中に入ってない記者が同じように
行動するのだろうか。非常に疑問だから私は立たないことにしている。
同じように思っている記者が2・3人いるので、20人ほどの懇談で
座っている私たちは非常に目立つ。明らかにマイノリティーなのだ。
私がそのような光景を目にして思い出すのは、Jane Austin の小説などに
でてくる英国貴族の紳士諸君である。彼らは、女性が席に着くまでは
立っていなければいけないという礼儀があった。だから、女性が
部屋に入ってくると立ち上がるし、女性が食卓に座ってからでないと席につかない。
そんな時代がはるか昔となってしまった今である。
記者たるもの、そこは防衛庁と一線を画すべきだと思うのだが、
みんななぜ疑問も持たずにさっと立てるのだろうか。疑問だ。
<締めのご挨拶> 06/1/5
年末年始は、忘年会や新年会の季節。
防衛庁担当記者でもある私は、
年末に各幕(統幕・陸幕・海幕・空幕)と大臣主催の懇談会兼忘年会
に招待された。計5つである。
大抵立食形式で、全てに「大臣(あるいは幕長)挨拶」「乾杯の挨拶」
「締めの挨拶」がある。この最後の挨拶は、例年そのときの幹事社
(記者会をまとめる社)の誰かがやることになっているらしい。
たまたま幹事社の一人だった私は、他社の幹事社さんから、
「忘年会のあいさつは、全部お前が担当だ」といわれた!
5つ全部だ。ムンクの叫びである。
政治担当になってから、こういった酒席で一人一言何か挨拶をしなければ
ならない場面が増えた。担当になりたてのころは、全く何を言っていいのか
わからなかった。
気の利いたことも思いつかないまま、自分の番がまわってくるのを
手のひらに汗をかきながら待っていたものだ。
さすがに今はそんなことはないが、5回とも全部違うことを言わなきゃいけないの
かと思うと、気が重くなった。懇談の相手は違うかもしれないが、記者は一緒だからだ。(最終的には、私自身取材の都合で4回しか出席できなかった)
ということで、毎回話すテーマをひねり出した。
一回目は「英字メディアからみた防衛庁・防衛政策」。
2つ目の懇談では、「女性記者として思う。女性自衛官をもっと増やすべき!」
堅いなぁ。しかしなかなかの好評だった。
私も、「やるじゃないか」と思ったほどだ。
しかし、落とし穴はその後にあった。
3回目で、立食パーティーの最中から「ああ言って、こう言おう」などと
ぶつぶつ考えながら飲んだり話したりしていた。
しかし壇上に呼ばれた途端に、頭が真っ白になってほとんど何を話しているのか
わからなくなった。長々と話していたのだろうか、会場の記者から
「何いってんのかわかんないぞ」と野次られる始末。
何とか終わらせたが、「赤っ恥をかいた」とはこのことだ。
いたく反省。挨拶はなるべく短くがよろしい。
ということで、年末最後の「締めの挨拶」のときは、本当に短かった。
「みなさん、来年もお互いにいい仕事ができるように頑張りましょう!乾杯!」
わかりやすく、簡潔だ。
はあ。最初からこうすればよかった・・・
くさり編みの赤いひも
05/12/5
今年も年末年始原稿の季節がやってきた。去年の今頃を思いおこすと、
「ホームスクーリング」といって、何らかの理由で家庭で親御さんが子供を
教育している現状について取材をした。
その時取材したのは、知的障害がある子供の家庭で、普通の小学校の授業
についていけないため、自宅で母親が家庭教師のように教えていた。
ただ詰め込みの授業ではなく、一緒に動物図鑑を読んだり、
アフリカの太鼓をたたいたり、と子供の興味にあわせたやりかただった。
日本では、まだまだ普及してはいないが、米国では宗教的な理由で
このようにホームスクーリングを取り入れる家庭は多い。
日本では、主に登校拒否や前述のように何らかの障害を持っている子供
がいる家庭で取り入れられているが、認知度はまだまだだ。
私が取材したその家庭では、二人の男の子たちが取材に来た私に、
自分の大好きな動物図鑑を一生懸命説明してくれたり、
母親がいれた紅茶をしきりに勧めたりと、とても明るかったのを覚えている。
そして、私が取材を終えて帰り道をしばらく歩いたところ、
先ほどの男の子が暗くなった道を走ってきた。
「さっきおうちにきたひとですか?」と心細げに声をかけてきたので、私がそうだと答えた。
「これ、つくったのであげます」といって、赤い毛糸で作ったくさり編みのひもをくれた。
なんだか、胸に染み入るものがあった。
今年もだんだん寒くなってきて、そろそろ厚手のコートが必要な時期になってきた。
ふと、コートのポケットに手を入れると、指先に触れるものがあった。
見なくてもわかる。去年、あの少年がくれたくさり編みのひも。
一年経って、また大きく成長しているのだろうか。
<高原、空母キティホークに乗る> 05/11/25
10月末に米国は、現在横須賀港を母港としている空母キティホークの後継艦を
原子力空母にすると発表した。防衛庁担当の私も、もちろん当日そのニュースでおおわらわとなった。
しかし記事の処理が終わり、ふと考えてみると、「空母って何なんだろう」と素朴な疑問を持った。
頭ではわかっているが、見たことがないので実感が湧かないのだ。
それが、ひょんなことで実物を見るどころか、洋上の空母に乗船する機会があった。
米軍主催のメディアツアーだ。
8時に厚木基地の最寄駅に集合して、基地から輸送機に乗って空母に着艦する。
しかし、この輸送機はかなり曲者。快適性は全くといっていいほど考えていないので、
ものすごく揺れるし、座席は後ろ向きな上に中は寒い。同行した米軍兵のお兄さん方は、
みんな平気な顔をしていたが、乗せられた記者は一様に飛行機酔いしていた。
それにしても、空母ってすごい。
海に浮かぶ巨大な滑走路。その短い滑走路から、1分に1機の割合で戦闘機や輸送機などが
飛び立っていく。あわせて15機ぐらいが離陸すると、今度は着陸態勢にすぐ切り替わる。
その着艦というのが、かなり高度な技術を必要とするらしい。
滑走路には、4本の太いワイヤーが等間隔にある。その4本のうち、1本に引っ掛けて戦闘機などが
着艦するのだ。3本目を目指すのだが、タイミングによって2本目になったり、4本目になったりする。
真横で見ていて、かなりハラハラする。
一度は、目の前でワイヤーに引っ掛けることが出来なく、着艦に失敗してタッチアンドゴーで離陸していった。
それも、ものすごい轟音だ。
耳栓をした上に、ヘルメットのようなヘッドホンをかぶらされても、その衝撃や轟音は伝わってくる。
騒音公害といわれるのはよくわかる。
空母には、約5,000人のクルーが乗っており、約75機の戦闘機などが搭載可能だ。
まるで、一つの巨大な町が洋上に浮いているようだ。
すごい化け物が横須賀を母港にしている。そう実感した。それが2008年には、より能力の高い原子力空母に
とってかわるという。
この空母が、日本の防衛を考える上で、強力な抑止力となっているのだろうことは想像に難くない。
でもオペレーションによっては、この空母は横須賀から中東方面にも派遣されている。
折りしも、米軍再編により自衛隊と米軍の一体化が指摘され、抑止力は維持というより
高まっているという声もある。
日本周辺の状況を考えた時に、どこまでが日本にとって必要な軍備なのか、
改めて考えさせられた。
<特殊なのは、永田町ではなく高原だった?!>
05/10/6
以前、この日記で「永田町用語」を英語にすることの難しさについて書いた。
つまり、「雑巾がけをする」とか「汗をかく」あるいは「〜に鈴をつける」という
言葉を政治家はよく懇談・会見で使うのだが、最初はそれを英語で書くときに
すごく迷ったという話だ。
先日、他社の記者と話しているときにそのことを話して聞かせたら、驚くべき答えが返ってきた。
「高原さん、それは永田町用語じゃないですよ。うちの社内でも使ってますよ」
えっ、そうなの?私はびっくりした。
具体的には、「新人は雑巾がけをさせろ」イコール「警察取材などの基本的な取材をやらせる」。
また、あまりその分野に詳しくない先輩がキャップになったりしたら、「あの人はもっと汗をかいたほうがいい」
などと使うそうだ。その記者いわく「いびり言葉ですよね」ということだ。
私はそういった言葉を社内で聞いたことがなかったので、てっきり永田町の政治用語だと思っていた。
どうやら違うらしい。
「(きいたことがない)高原さんが特殊なんですよ。高原さんの会社は、社風も外資系みたいだから、
そう思うんですよ」といわれて、なるほどと思った。そうか、私が特殊なのか。新鮮な驚きだった。
確かに、社内でイギリス英語やアメリカ英語に日本語が入り混じった会話が交わされていることは、
日常茶飯事だ。でも、「高原はもっと汗をかけ」などという言い回しで「がんばれ、努力しろ」といわれたことはない。
その記者が言うには、永田町でしか通用しない言葉とは、「法案をつるす」「お経読み」「しめそう」
だという。
ちなみに、それぞれ「法案を審議せず放っておく」「本会議での趣旨説明」「予算委員会の締めくくり総括質疑」
のことである。国会での専門用語だ。
<朝顔>
05/9/10
私の家には、朝顔の鉢が4つほどある。
なぜだか、8月になってから「朝顔を植えてみよう」と思いたったのだ。
しかし、いくら私に植物に関しての知識がないとはいえ、朝顔とは4月とか5月ぐらいから植え始めるらしいということは知っている。
「まあ、花が咲かなくてもいいだろう。ツルがいっぱい伸びるのを見れればいい」ぐらいに思ってた。しかし驚いたことに、種を水にふやかしたら、1日で芽が出始めた。3日ぐらいで、小さい苗の鉢に移したものの、1週間ぐらいで窮屈そうになった。
しょうがないから、もっと大きい鉢に移してあげた。
何せ、8月である。暑さ真っ盛りの時期であるため、植物がよく育つことといったらびっくりだ。
まさに、即席朝顔栽培だ。
高校のときの生物の先生が言っていたことを、おぼろげながら思い出した。
「生物を研究したかったら、暖かい国に行くべし。植物がどんどん成長するから、データがとりやすい。」
なるほど。まさにその通り。
その後、順調に朝顔は成長し続け、帰宅してから朝顔をチェックするのが私の日課になった。
1日にツルが3cmぐらい伸びるから、ちゃんと鉢につけた丸い枠に絡ませてあげなければならない。
日中も気温が高いので、水をあげなければ、葉っぱがしなびてしまうのだ。
その朝顔が、ついに昨日花開いた。
青紫色の、私が一番好きな朝顔。
「花なんて咲かないのでは」なんていう心配は、杞憂に終わった。どんどんつぼみができている。
なので、朝顔をチェックする日課が朝に変わった。
朝起きて、「今日はどれぐらい咲いているかな」と思いながらベランダを開ける日々である。
<なぜ「政治」を取材するのか>
05/9/2
記者として、取材をしたり記事を書いたりするときの喜びの一つに、読者からの反応をもらったときというのがある。
先日、戦後60周年企画の一つで「北方領土問題:元島民の思い」というテーマで記事を書いた。戦後60年経って、北方領土問題に関心が薄れている中、語り部として各地で自らの体験を語り歩いている元島民とその子孫のことについてだ。
記事が掲載された後、私は自分の記事を簡単に日本語に翻訳して、取材した元島民の方に、掲載紙とともに郵送した。
そうしたら、後日丁寧なお礼状を頂いた。
戦後60年企画は、大手邦字紙各紙は競って様々な記事を書いたが、60年前にソ連軍が終戦とともに北方領土を占領したことが発端となった領土問題については、ほとんどの新聞がとりあげなかったという。
そういう中で、英字新聞がとりあげて海外に向けて発信したことは、とても意義のあることだと思った、という趣旨のお手紙だった。
私はちょうど一年前に、ビザなし交流の報道枠で北方領土のうちの国後島に訪問した。そのことが発端で、北方領土問題は、私の頭の片隅に常に引っかかっていた問題であった。
しかし残念ながら、国際情勢や国内情勢を考えても、領土問題が大きく進展しそうな気配はなく、なかなか私としても記事を書くタイミングがなかった。
しかも外務省担当だと、どうしても外交政策のはなしが中心になり、なかなか元島民など、現場の人たちの苦労を記事にすることは少ない。
そういう意味でも、今回の企画で私が率先してやりたかった記事でもあった。
お手紙を頂いて、改めて元島民の方たちの切実な思いやもどかしさが伝わってきた。政治や外交によって、翻弄され続けた人たちである。
以前誰かに言われたことがある。
「今まで政治に頼る必要がなかった人は、幸せなんだ」と。
私は社会人になるまで、もっと言うと政治記者になるまで、「政治」という得体の知れない動きの意義がよくわからなかった。
たぶん、今の若い人たちもそうなのではないか。だから、選挙にいく意味がわからない。身近ではないから。
でも、地方に行くと違う。その是非は別として、公共事業を持ってきてくれる政治家を頼ったり、地方への補助金の額によって、自分の生活が変わる人たちがいる。
仕事を追われる人がいる。子供を大学にやれない人がいる。
元島民も、中央の外交交渉によって、自分の住んでいた場所が取り戻せるかもしれない。あるいは、地元の人だったら、漁場が広がるかもしれない。
そういうことを私は取材しているんだ。そう思った。
そういった苦労が報われるように、そして、少しでも事態が好転するように。
そうやって考えると、9.11の選挙ももうちょっと違う視点が見えてくるのではないか。
過去半年のアクセス ランキング発表 05/9/3
高原さんの「号外」はかなり反響があり、読者たちを励ましたようですね。
あれに掲載した、身長の二倍に積み重ねた本の画像データがあったら、「@身長の二倍日記」の方にアップしたいのでいただけないでしょうか。
伊藤
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@身長の二倍日記 http://homepage1.nifty.com/samito/read.diary_11.htm
3/2-9/2過去半年の計アクセス 4008人 7人/day
A高原日誌(02/9以降) http://homepage1.nifty.com/samito/readdiary2.htm
3/2-9/2過去半年の計アクセス
なんと 16,020人 28人/day
ランキング発表
第1位 6/12 141人
第2位 6/9 138人
以上ふたつは「ふんどし」の直後。斬新なテーマが読者の高い関心を集めたようです。
第3位 7/5 128人
第4位 6/1 126人
第5位タイ 6/11, 18 111人
このころは大きな追加はなかったため、以上三つは、高原さんの「英文記者」執筆開始前後の関心の高まりによるものと思われます。
<高原の鬼門> 05/8/16
記者である私の鬼門は、入社してから一貫している。写真。
そう。通常の邦字紙の記者は、地方勤務のときにカメラを持って取材先に行くことはよくあること。だから、みんなそれなりに鍛えられている。
しかし、私は入社して2年ほどは内勤で、司法担当などをしていたから、自分でカメラを持って取材先で写真を撮ることもあったが、政治担当になってからはとんとそんな機会もなくなった。
しかし、他社の記者を見てみると、みんな地方勤務があるせいか、あるいはただたんに写真を撮るのが好きなおかげか、わりと写真を撮るのが上手な人が多い。
私にとっては、うらやましい限りだ。
そんな私も、やむを得ず写真をとらなければならない場合がある。
カメラマンを手配できないインタビューのときか、地方に出張に行った時。
取材に行く前に、必ずカメラマンに「何がコツですか?」と聞く。
しかし、とうに私の能力を見切っていて諦めているのか、弊社のカメラマンは口をそろえるように「沢山撮ってくること。そうしたら、一枚ぐらい使えるのがあるから」というのだ。
「そうか」と思って、沢山撮ってくる。それこそ、ペン記者としてきけることを諦めるぐらいに。
先日の福井県の出張がそうだった。
講演の取材だったが、この一枚が記事に使われるかもしれないと思って、ひたすらシャッターを押した。
たぶん、舞台にのって講演者を後ろから取る私は、講演者以上に目立っていたと思う。
しかし、そんなことは気にしてられない。
最近は、デジカメだから、シャッターを押すタイミングと実際ににシャッターが切られるタイミングが違うから、さらに難しい。「これ」とおもった写真は、ことごとくいまいちな写真となっている。
もうでたらめにシャッターを押すしかない。
だから、沢山写真をとって弊社のカメラマンに見せるときが一番緊張する。
私は以前デスクに「こんな写真しかないの?」といわれた経歴の持ち主である。
何を言われても、不思議ではない。
そこで、「あ、ちゃんとこの角度からも写しているじゃない。いいよ。」といわれると、ほっとする。
しかし、未だにそのコツをつかめずじまいである。
私の同期には、写真好きが高じて、写真教室に通っていたつわものがいる。
少しは見習わなければならないのだが・・・まったくもって鬼門である。
英文記者コラムについて 05/7/20
「英文記者」コラムを継いでくれた高原さんから、「『自由英作文』という課題は、STの読者層にとっては難しすぎるのでしょうか。『大変だった』という感想が多かったので...、ちょっとへこんでます」というメールが来ました。
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高原さん、 私のときも毎回、「難しい」というコメントを数十頂いていました。
自由英作文、たとえば俳句をやると、投稿は半減しました。
私の第一回のときは、長いものを出題したら、当時の編集長が飛んできて「もっとやさしくしてくれ」と頼まれました。
私はあきらめて和文英訳式にし、たまに自由作文をするスタイルにしました。
高原さんのは自由英作文だから難しいけど、題材は身近なので心配することはないと思うですよ。
心配なら、自説を繰り返し説明し、なっとくしてもらうといいでしょう。私の場合は「やさしくたくさん」を何十回も説明しました。
それから、読者コメントをもう少し登場させ、話し合うように書くと、読者に「私たちの話も聞いてもらえる」という印象を与えると思います。
読者と二人三脚なので、話し合って最終的にはお互いに折れ合った方がいいでしょう。一行だけにして反応を見るのもいいと思います。
読者さんはまだ様子見らしいです。慣れてくると、どんどん(いい意味で)注文をつけてくると思います。本当は高原さんたちともっと話したい、というメールが私に来ました。
伊藤 05/7/30
<都市と地方の「コミュニティ」> 05/7/8
先日、仕事で福井県に出張する機会があった。1泊2日のあわただしい日程だったが、それでも地方出張はそのときそのときで様々な発見があって楽しい。
今回は、福井県連合婦人会主催の講演を取材することが目的だったのだが、私にとってはその直前の開会行事のほうが興味深かった。まず起立して、君が代斉唱したのにも驚いたが、そのあとに続いたのが福井県連合婦人会歌の斉唱だった。
私としては「婦人会に歌があるのか!」という新鮮な衝撃を覚えた。
東京に住んでいると、コミュニティの希薄さが当たり前になっていて、もう隣りに誰がすんでいるか知らないことは普通だ。人々は、近所ではなくネットだったり、趣味でのつながりで友達の輪を作っているように思う。
なので、福井県では依然として婦人会の主催する講演会に数百人規模人が集まり、会歌までもがあるというのは、私にとってとても新鮮であると同時に、ある意味違和感を覚えた。
でも、参加者を見てみると若い人も年配の人もいて、みんな和気あいあい楽しそうにしているのをみると、「婦人会」という一見堅そうな会合でも、みんなの「井戸端会議場」になっているのかな、とも思った。
<はじめての「英文記者」コラム執筆> 05/6/20
先週、7月から持ちまわりではじめる「英文記者」コラムを書いた。
伊藤さんからかわって初めての課題だから、きっと投稿者も減るんだろうな
と思ってたら、300通近く届いてびっくりしてしまった。
あらためてST読者の熱心さを感じて、嬉しいのと同時に「いいものを書かなきゃ」という
責任感のようなものがこみ上がってきた。
机の上に、はがきやFAXやメールのコピーを散らかしながら、
印象に残ったコメントや作品に付箋をつけたり、蛍光ペンで印をつけながら
どういう記事を書こうか考える。
投稿者の作品全部、少なくとも3回は読んだと思う。
自分の記事の流れを考えながら、どういう作品を使うと
うまく読者に伝わるだろう、と。
そういう意味では、英語の記事と変わりはない。
でも、私にとって「日本語で書いた記事」デビューになるため、恥ずかしながら
まるで新人の頃に、初めてデスクに自分の記事を読んでもらうときのような
気分だった。
それでも、自分のやってきたことを違う形で表現できるというのは、今までとは
違った喜びがある。
週刊STを読んで、この『高原日記』を読んでくれる人も出てくるだろうし、
この日記をきっかけに週刊STを読んでくれる人も出てくるかもしれない。
まだまだ第1回目の執筆だし、これから「何を書けばいいのかわからない」と
頭を抱えることもあるかもしれないけど、今の気持ちは忘れないでおきたい。
そう思った。
<呉儀中国副首相・ふんどし・スタートレック:ある私の一日>
05/6/8
弊社デスクからの厳命:
自分の担当がなんであろうと、面白いと思ったものは担当外だろうが
積極的に取材するように。つまり、担当以外の取材もするようにということだ。
こちらとしても、外務省ばかりに閉じこもっていては面白くない。
それはいいことだ、と嬉々として取材を始めたのが
「最近ふんどしが人気らしい」というまったくもってお気楽なネタ。
しかし、これがあとで私の首をぐいぐい絞めることになる。
週明けのある月曜に、朝から都内で呉儀副首相が講演をするというので、聞きに行った。
その講演の途中で、携帯メールに「呉儀副首相が総理との会談をキャンセルして
帰国する予定」というニュース速報がはいる。
すぐ戻って取材しなきゃならないのだが、昼過ぎから短時間だがふんどし取材のアポが入っている。
締め切りは夕方だし、まだ時間があるから、とりあえず銀座の三越に向かう。
紳士売り場で、カラフルなふんどしのディスプレイを見せてもらい、ひととおりふんどしの売り上げ状況の
説明を受ける。チェックやストライプにペーズリー柄を見せられて、私の中のふんどしイメージもちょっと変わる。
「父の日にいいかも」と思いながら、取材を終えて外務省にむかう。
そこから省内をまわって取材をした後、いっきに「中国副首相ドタキャン」の記事を書き上げる。
夜になって、やっと一息ついて帰途についたのだが、まだ一日は終わらない。
夜中の12時ごろから、次の日の早朝にインタビューする
日系人俳優のジョージ・タケイ氏が出ていた、米人気テレビ番組「スタートレック」を見始める。
取材対象には決していえないが、私はちゃんと「スタートレック」を見たことがない。
「スタートレック」は、日本でいう「ウルトラマン」とか「ガンダム」の世界のようなものだろうか。
つまり米国人にとっては、見たことがないなどありえない超人気番組だった。
やはりインタビューするにあたって、タケイ氏がどのような役柄だったのかを
ちゃんと把握しておく必要があるという指摘を受け、私はDVDを借りてきたのだ。
「なるほど、ミスタースールーはかくなる人であるか」と納得した私は、深夜、靖国神社とふんどしと
ミスタースポックの耳が頭の中をぐるぐるする中、眠りについたのだ。
<意外な団体・意外な専門家> 05/6/8
この仕事をしていると、「○○の専門家」を見つけ出して、その「○○」について語ってもらうことが多い。
最近「へえ〜」と思った中に、「日本修学旅行協会」という団体があった。
海外から日本への修学旅行と、日本から海外への修学旅行について取材をしていたときのこと。
『「修学旅行」という名目だけひとつの団体ができるのか』とややいぶかしげに取材に行ったのだが、
さすがに詳しい。今後の課題なども含めて、かなり記事の骨格を決めそうなコメントをいくつかもらった。
奥が深い。
最近では、やはりふんどし専門家でしょうか。
先日のふんどし記事で、ただ売れていますという記事は面白くないので、だれかふんどしを語ってくれる
アナリストなりをつかまえなければならなかった。
しかし、もちろんふんどしについてコメントしてくれるアナリストや大学の教授は見つからず、途方にくれていたら
いたのですね。ふんどしについての著作がある人が。
その名も「褌ものがたり 」。
いわく、ふんどしの柄などには地方の風俗文化が反映されるという。
その歴史的背景から、ふんどしの締め方などなどふんどしにまつわるさまざまなエピソードが詰まっていた。
記者をやっていて面白いと思うのは、こういう何でもないものにすごい情熱をかけて
うんちくを語ってくれる人に出会うことである。
南氏というその方も、喫茶店でコーヒーを飲みながら、小一時間ふんどしについて語ってくれた。
私はずいぶんふんどしについて詳しくなったと思う。
で、こういうトリビアが人生を豊かにしてくれるのではないかとも思う。
来週は、どんなうんちく博士に出会うだろうか・・・
<女性専用車両>
05/5/12
今週から、東京の私鉄・地下鉄などで「女性専用車両」が登場した。
ニュースでは聞いていたが、今日初めて半蔵門線の専用車両に乗った。
朝のラッシュ時に、最後尾車両が女性専用になっており、
駅員が、「ここから女性専用です」という看板を持って、男性が入らないように
見張っている。
ちょっとした特権のような気分を感じながら乗ってみたら、当然のことながら
女性ばかり。どこを見ても女性なのだ。
ある新聞で、女性専用車両が導入された当日に、女性記者が体験ルポを書いていた。
おもしろかったのは、その中で「違和感がした」と書いてあった。
そう、私も同じように違和感を感じたのだ。
こんなに女性ばかりなんて、女子高か更衣室やトイレでなければないだろう。
そこに、日頃経験しない「非日常」を感じたのだろうか。
そうはいっても、半蔵門線に乗りかえる前に、ぎゅうぎゅうづめのラッシュ電車に乗っていたせいか、
女性のみの車両は男性との接触がない分、気を使わなくてすむという気楽さはある。
永田町で降りたときに、反対に駅の階段をかけおりて電車に乗ろうとしていた数人の男性陣は、
駅員さんに「女性専用です」と止められて、ちょっとかわいそう。
なかには、勢いあまって乗ってしまったが、ばつが悪そうに慌てて降りる若い男性もいて、
殿方にとっては不愉快なのかもしれない・・・
<続・「ヴィクトリア皇太子」について考える>
05/4/28
前回、「女性の次期王位継承者の名称を考えるべきだ」という内容を書いたところ、
とある他社の記者さんから、「弊紙もヴィクトリア皇太子と書いている」というメールを
頂いた。
各社、いろいろ悩んでいるのだ。
さて、弊紙はどうしているのかと調べてみたところ、
Swedish Crown Princess Victoria となっている。
NUS
そういえば、雅子妃のことは Crown Princess Masako という。
もしかしたら、弊紙も皇太子妃の名称、つまり「皇太子の妻」という意味で
ごまかしているのではないかと思った。
ところが、辞書を引いてみると違った。
研究社の英和辞典では「1)皇太子妃 2)王位継承資格のある女性」
となっている。へえ〜。
念の為、 Cobuild の英英辞書を引いてみると、
Crown Princess is a princess who is the wife of a Crown Prince, or will be
queen of her country when the present king or queen dies.
となっているではないか!
なんだ、英語にはちゃんと「女性の次期王位継承者」に対応する単語があるのか。
日本も英語が第一言語のイギリスも、天皇制や王制は何世紀も続いてきたのに、
英語にはあって日本語にはないというのは、ちょっと悲しい。
こういうところからも、「日本ってやっぱり男尊女卑なのかしら」と思ってしまう。
頑張れ、日本。
<「ヴィクトリア皇太子」について考える>
05/4/15
先日某全国紙に掲載された、スウェーデン皇太子のインタビューを見てびっくりしてしまった。
「スウェーデン皇太子」と肩書きがなっているので、てっきり男性かと思いきや、
インタビューについてる写真は女性だったのだ。
「まさか大手全国紙ともあろうものが、インタビューした人の写真を載せ間違えたか」と目を疑った。
Sweden.se
Monarchy in Sweden
しかしよく読み進めてみると、スウェーデンでは1979年の法改正で、長子相続を決めてビクトリア王女が
王位継承することになったという。なので、「ヴィクトリア皇太子」となっている。
皇太子というと、男性を想像するのは私だけの偏見なのだろうか。
広辞苑でひいてみると、皇太子というのは「次代の天皇・国王になるべき皇子・王子」となっている。
さらに引いてみると、王子は「王の息子」であり、皇子は「天皇の息子」なので、やはり皇太子は男性と決まっているらしい。
そうなのだ。
現在、皇室典範の改正が政府内で議論されていて、女性が天皇になれるようするかどうかが最大の焦点となっている。
つまり今の日本の制度では、「女性の皇太子(?!)」はありえないのだ。だから、言葉自体がない。
ということで、私自身非常に違和感を覚えた「ヴィクトリア皇太子」というキャプションになった。
でも、これからはそうでないかもしれない。
欧州では、スウェーデンのように法改正で、一番最初に産まれた子供が王位を継承する傾向が増えてきている。
日本も、これにあわせて「次に王位・皇位を継ぐ女性」を意味する言葉を考えるべきである。
日本の大手全国紙こそが、そういった役割を担っているように思うのだが。
<SPの黒いサングラス> 05/4/5
ライス米国務長官が来日した時に、もう一つ気になることがあった。
それは、長官のSP(セキュリティー担当者)についてだった。
上智大学での長官の講演の直後、記者も含めて聴講者は、長官の車列が移動するまで
およそ5分ほど講堂内を出ることができなかった。
その間、ひまだった私はまじまじと長官のSPを観察してしまった。
まさに映画に出てくるような黒人のSPが数人にて、すごい迫力だった。
胸板の厚さは、本当にピストルの弾を10発ぐらいくらったとしても、びくともしないのではないかと
思わせるぐらいだった。
その上、黒いスーツに黒いサングラス。できすぎなぐらいである。
ん?そういえば、日本のSPはサングラスはかけないなあ。どうしてだろう。
総理のSPも、外相のSPもしかり。何が違うのだろう。
という話を後日、外務省と米国大使館関係者と話していたら、こういう答えが返ってきた。
曰く、
日本のSPは、目の前から敵が来ることしか想定してないから、サングラスはしない。
米国は、建物の中から狙うなど、色んなところからの襲撃を想定して、SPはどこをみているか
悟られないためにサングラスをしているのだ、とか。
それって、日本のSPはいまいちってことなのかしら・・・
話の真偽の程はよくわからないが、日本のSPもサングラスしたら強そうには見えるかも?!
<日本語で知らないことは、英語では書けん!>
05/3/22
当たり前のことなのよね。でも、それを噛み締めるように感じたのが、先週のこと。
www.whitehouse.gov
ライス米国務省長官が来日するにあたり、牛肉の輸入再開問題が焦点になるということで、
インタビュー記事を書くことになった。
輸入再開賛成派と反対派の、両方に聞くのである。
北朝鮮やイラク問題と違って、普段あまり取材しない事柄を、しかも専門的な内容を真正面から書こうとすると、やはりそれ相応の勉強が必要になる。
まず、取材予定者の最新の著作を読み、最近の記事の切りぬきを、日本語と英語とを目を通す。
いよいよ、インタビューだ。話を聞くのはなんとかなる。つぼだけを押さえて、あとはしゃべってもらえばいい。しかし、それを実際記事にまとめるのは、普段の記事の3倍ぐらい時間がかかった。 まず、話の内容で何をリードにするかを決めて書き始める。しかし、3行ぐらい進むと筆が止まる。BSE問題の専門的内容に関することは、書き方があるから、それを英語と日本語の資料の中から探し当てる。で、また書き進める。またすぐ壁にぶち当たる。それの繰り返しだ。
話している内容を分かりやすくするため、説明をつけたり数字をつけたりする。それもまた、資料の中から探して探して。日本語で見つかっても、英語では見つからないこともある。
気持ち悪くなるぐらい、あっちこっち資料を読み漁っているうちに、だんだんスムースに書けるようになってくる。
BSE問題への理解度が進むからだ。
やっぱり、分からないことは書けないのよね。記者は、専門家である必要はない。でも、専門家でない読者にわかりやすく書くには、記者もちゃんと内容を咀嚼してないとだめなのだ。
よく「記者は10知っていて、1を書く」というけど、その通りね。1を書くには、10知らなければならない。
はあ。世の中、わからないことだらけだわ。
Japan rebuffs Rice on lifting beef ban
<取材機会が多いって辛い、と思う辛さ>
05/3/22
今日、ダウナー豪外相が来日して、小泉総理、大野防衛庁長官、町村外相と相次いで会談した。
しかも、一日で。これは日程をこなすほうも、さぞかしハードスケジュールだろうけど、
取材するほうも役人の事後ブリーフィングや共同会見やらで忙しい。
総理とは午前中に会談を終わらせたので、お昼過ぎのブリーフィング。大野長官との会談のブリーフィングは3時。
その後、外相会談の共同会見は7時。ワーキングディナーのブリーフィングは9時。
それも、大野長官のブリーフィングの部分は、もちろん防衛庁で行うため、市ヶ谷まで移動せねばならない。
お昼過ぎのブリを聞いた後、防衛庁に向かう途中の四谷駅でお昼ご飯をかっこみ、防衛庁へ。
記事のアウトラインを考えつつ、「もしかして玄関でぶら下がりインタビューが行われるかも」
と思い、玄関をチェック。
官邸や外務省と違い、(あるいはそんなに関心がないのか?!)ぶら下がりは発生しないらしいので、
記者クラブでブリ待ち。
そのあと、急いで原稿をまとめ、外務省に戻り、パソコンで記事のチェックをする。
そんなことをしているうちに、飯倉公館での共同会見に行かねば。
会見を聞いたら、早版の内容を差し替えたほうがいいということになり、クラブに戻って作業をする。
で、またブリ。
はっきりいって、気が狂いそうになる。「どうせなら、取材機会をコンパクトにまとめてほしい!」と思うが、
「それをいったら記者はおしまいよ」とも思う。
でも一人でカバーする身にとっては、辛い限りである。
こんなに時間を費やしても、40cmも50cmも書くわけではないではないしね。
葛藤は続く。
Dutch-Aussie troop switch to be smooth, Downer says
<「懇談」という名の会見>
05/3/22
先日、福生市にある横田基地にいく機会があった。新しく赴任した在日米軍司令官との懇談という話だった。「懇談というからには、きっとざっくばらんにフリートーキングをするのだろう」と思っていた私は、
防衛庁担当になったばかりだし、勉強させてもらおうと2時間近くかけて福生に出向いた。 しかし、いざ横田基地についてみると、なんだかおもむきが違う。顔見知りの記者さんに聞くところによると、小人数による会見だという。
「え、そうなんだ!」とにわかにあせってしまう自分が情けない。
しかしノートを取り出して、さも当たり前であるかのように準備をする自分にも、ちょっと成長を感じる。
その懇談である会見には、政治部や外信部の記者が多数きていた。おもしろいのは、外信部で(特にワシントンなどで)特派員経験がある記者は、雰囲気が似ている。椅子に反り返るように座り、流暢な英語で身振り手振りで質問をする。
ちょっとエラそうなのである。
かたや、政治部は英語で質問するとあって、かなり緊張している。一生懸命なのだ。 「では、自由に質問をどうぞ」と言った途端、一番司令官に近い人が質問をした。その隣りの人が次にきいた。その隣りに座っている私は、どきどきしながら「次は、私なんだよな。何を質問しよう」と焦っていた。
と思っているうちに、反対から質問が出たので、その間に懸命に考える。みんな、どんどん質問をしているから、
早く私もしなければ、と思いながら。
結局、普天間基地について滞りなく質問は終わった。それにしても、こういう形での取材に慣れてないから、かなり焦ってしまった。あとで、政治部の記者と一緒に帰ったときに、「どきどきしたね」と笑いあってしまった。
私だけではなかったのね。
Downsized I Corps HQ may be shifted to Zama
<自衛官がいっぱい> 05/3/8
3月から、外務省のほかに防衛庁も兼務となったことで、先日防衛庁内を
探索してみた。敷地内はかなり広く、コンビニやスターバックスもあって、
外務省よりは快適そうだ。
防衛庁
そう思って歩き回りながら、ふっと何か違和感を覚えた。
記者クラブにいると気付かなかったが、本当に至るところに自衛官がいる。
自衛官がいることよりも、自衛隊の制服を着ている人をこんなに沢山目にしたことに
驚いた。
よく考えると、私は今までの人生の中で自衛官という人を目にすることは、
皆無といってもよかった。6歳まで住んでいた千葉県の自宅のそばには、
自衛隊の駐屯地があったが、自衛官をみた記憶はない。
その後、千葉や東京に住んでいたが、自衛隊の制服を着ている人を
たまたまみかけたときには、珍しがったものだ。
その私がいま防衛庁担当となり、庁内のコンビニで陸自・海自・空自の
制服を着た自衛官が、ずらっと並んで立ち読みしているのを
不思議な光景を見る思いでみている。
何か、一生分の自衛官を1日で見ているようだ。
こういった光景にも、しばらくすれば慣れるのだろうか。
そのときは、私もいっぱしの防衛担当記者になっているかなあ。
<在日朝鮮人サポーターから話を聞く>
05/2/15
先週、サッカーW杯最終予選の日本対北朝鮮の試合の取材に行ってきた。
外務省記者クラブで、取材に行った人は私ぐらいだった。が、やはりこれだけ注目されている
試合の現場に取材にいけるのは、ちょっと嬉しかった。
霞ヶ関から電車で40分、徒歩20分で埼玉スタジアムに着いた。午後3:30。
しかし、駅にはもうすでに沢山の人が防寒具や食べ物を持ってきていた。
駅前では、出店や日本代表応援グッズのお店が賑わいを見せている。
今日の私の仕事は、いかに在日朝鮮人サポーターから話を聞くかということにほとんど
しぼられている。弊紙としては、「日朝関係が緊迫している中の試合開催について、
どう思うか」を取材しなければならない。
しかし事前の取材では、どうやら北朝鮮側のサポーターにはまったく接触できない
可能性もあるとわかり、頭を悩ませていたのだ。
よって、日本側のメディアなどは、北朝鮮側サポーターが入場する別の入り口付近で
待ちぶせして、彼らの声を拾うべく努力していた。そして、私も。
まったく彼らの声を拾えなかったときのために、あらかじめ数人の在日朝鮮人の
携帯番号を用意して。
日本側のサポーターも北朝鮮側も、異口同音に「政治とスポーツは別だ」といってたが、
一人だけ「実際はそうではないと感じる」といってた人がいて、印象的だった。
「別々であることが理想だけど、実際報道を見ているとそうではない」ということだった。
2002年9月の総理訪朝で、金正日総書記が拉致を認めて以来、日本中が反北朝鮮一色
になったといっても過言ではないだろう。生まれも育ちも日本だけど、祖国は北朝鮮という
在日朝鮮人はこの2年をどのような思いで過ごして来たのだろうか、と思うといたたまれなくなった。
何か針のむしろに置かれたような感じで過ごしてきた人も、いるのではないか。
そういう人達にとって、こんなときだけ「政治とスポーツは別だよ」といわれても、納得できないの
かもしれない。
<「備忘録」について>
05/1/31
先週、北朝鮮が拉致問題の再調査に関する日本政府の抗議に対して、「備忘録」という
タイトルの文書でもって回答してきた。
「備忘録、備忘録・・・」。北朝鮮の回答が来てから、にわかにこの単語が脚光を浴びることとなった。
私は、今回の一件ではじめて「備忘録」という単語を耳にした。
なので、最初はてっきり朝鮮語だと思っていた。そうでないとわかったのは、パソコンでメモを打っているときに
「びぼうろく」を変換したら、一発で「備忘録」とでたのでびっくりした。
ためしに、広辞苑で「備忘録」を引いたところ、「忘れたときの用心に書きとめておくノート」となっている。
つまり、メモ帳やスケジュール帳のようなものだという。知らなかった。
「この衝撃を誰かと分かち合いたい」、と思って周りの記者に聞いたところ、4人中3人は知っていた。
衝撃。そうか、常識がないのは私だけか・・・と落ち込んでしまった。
知り合いの記者によると、この単語は「多用はしないが、ちょっと上の世代は普通に使っている。
取材をしてたら普通に出てくる単語だ」という。
しかし、本当にそうだろうか?本当にみんな「備忘録」という単語を、知って使っているのだろうか。
そう思って、マスコミではない私の30代40代の知り合い6人に聞いてみた。
「備忘録」って知ってますか?と。その結果、2人は知っていたが4人は「初めて聞いた」という答えだった。
ということで、私の中では「備忘録」なる単語は、知っている人もいるが知らない人もいる。特に若い世代
になると知っている率は低いだろう。なので、「中学生でも読める」ということを標榜する新聞での使用は、
慎重であるべき、というのが私の答えだ。
ということで、自分の無知を正当化してしまおう。
<ぜひおすすめ!真冬に行く東京近郊の酒蔵!> 05/1/25
また今年も、年末年始の原稿に自分の担当と関係のない記事を書かせてもらった。
その一つが、「東京近郊で外国人でも楽しめる日本酒酒蔵ルポ」である。
これは楽しかった。
もともとは、最近が日本酒の輸出量が増えていて、海外では和食ブームと共に
日本酒が人気だということを聞いたことからあった。
「それなら、日本にいる外国人の間でも人気に違いない!」
そう思ったことがきっかけだ。
そうなら、日本情緒も味わえ、日帰りで行けて、しかも英語である程度対応してくれる
酒蔵を紹介したら、きっと喜ばれるに違いないと思ったのだ。
しかも、私も行ってみたい!(これが一番大きかったのだが)
私はもともと、ビールや焼酎が苦手で、もっぱらお酒といえば日本酒かワインなのだ。
行って驚いたのは、酒蔵とは思っていたよりもっと日本情緒を楽しめるところだったということ。
とにかく建物が古くて、趣がある。だから、全体としてとても落ちついた雰囲気がある。
それと、一歩酒蔵を入ったときに香る日本酒の香りに、思わず胸がときめいてしまう。
最後に、利き酒。同じ酒蔵で作られても、こんなにも味が違うものかとびっくりしてしまう。
口にいれてしばらくしてからふわっと香る大吟醸から、クセがあってちょっとアルコール高めの
原酒。それから、できたばかりの新酒はさらに華やかな味がする。
先週の土曜に掲載されたその原稿は、同じ政治担当が書いた「今国会の焦点」の原稿のとなりに
組まれ、「外務省担当なのになあ・・・」とデスクに苦笑されてしまった。まあ、いいよね。
<悩める女性記者たち>
05/1/21
最近親しい女性記者数人と、年始からの毎日新聞の少子化についての連載が話題になっている。
みんな一様に身につまされる思いになったのは、女性は出産と仕事をどう両立させるか、
できるのか、ということについての記事だった。
出産したらリストラの対象になったケースや、行政や会社の支援体制が整ってないので、
なかなか産む気にならないといった例も。しかし一方で、年齢が上がっていくことで、
出産へのタイムリミットを感じる女性たちがリアルに描かれていた。
また、実際に「産みたい」と思ってもなかなか子供ができない不妊症のケースも。
おもしろかったのは、男性側からの視点だった。終身雇用制が崩れ、年収も減っていくなかで
一家の「大黒柱」といいきれず、子供を作ることをためらう男性も増えているという。
記者の間では、「今日の記事読みました?」と真剣に話し合ってしまう。
「だんなさんに読ませなきゃ」という人もいた。
うむ。考え出すときりがないし、突き抜けちゃうとそんなに大変なことでない気もする。
要は、どういう人生を歩みたいかという取捨選択なんだろうから。
せっかく自分の好きな仕事をやっているのに、そのキャリアが中断されてしまうという考えもあるだろう。
かたや、子育てというまったく新たな世界が開けるのだという考え方もある。
私は、まだどちらなのか考えがまとまってない。
まあ、それよりも結婚が先なのだが・・・
<おすすめ絵本>
04/12/24
クリスマスイブに恋人や家族と過ごした人も、そうでなかった人も
同じように心温まる英語の絵本を紹介したい。
一冊は、``The Night Before Christmas
'' というポップアップ絵本だ。
3500円ぐらいしたと思うが、とても夢があって、ページをめくりながら
ポップアップのすばらしさに素直に感動してしまいます。
ねずみも寝静まる夜に、サンタのおじさんが7匹(8匹だったかな)の
トナカイを引き連れやってくる。
トナカイを引いている様子や、そっと煙突をおりるところのポップアップが
美しい。読むととても幸せな気持ちになる、大人向けの上質の絵本である。
もう一つは、クリスマスとは関係ないが
``The Missing Piece
'' という絵本。とても有名だから、知っている人も多いかもしれない。
Shel Silverstein著で、絵本の作者なのにみてくれは結構恐くて笑ってしまう。
この絵本は、自分の Missing piece を探しに旅に出るおはなし。
とても落ちこんでいるときに読んで、涙を流した記憶がある。
最近、洋書を求めて丸の内の「オアゾ」の中にある紀伊国屋に行った。
そこで、``The Missing
Piece Meets the Big O'' という続編を立ち読みした。
これもとてもよい。私の同僚は、こちらのほうがお気に入りだといっていた。
誰か大切な人にあげるのに、よい一冊かもしれない。
すべての人に、メリークリスマス。
<宝塚男役転じてセサミ>
04/12/3
先日仕事で、セサミストリートの撮影現場を取材した。
10月からテレビ東京系列で、日曜の朝9時から放映されている。
セットもパペットも原色だらけで、見ているだけで楽しくなる。
しかし、「パペティア」と呼ばれる人形遣いさんたちは大変。
朝早くから、深夜までぶっ通しの撮影を4日間連続続けるのだ。
しかも、パペットを操るため、不自然な体勢でずっといなければならない。
画面で見るより、かなり収録が大変であることが分かった。
セサミストリート・オフィシャルホームページ
その中で、私が注目したのが新しく日本版セサミストリートに登場する
ティーナ役の水城レナさん。
彼女は宝塚歌劇団出身の声優さん。
私は過去に宝塚関連の取材をしているため、「宝塚」というだけで
なぜか反応してしまう。ティーナは女の子役で、水城さんを取材したときも
普通にしゃべる声はとても高い。アニメ向きな声だ。
しかし、実は彼女は宝塚では男役だったというからびっくり。
私は彼女の現役時代を知らないが、どんな感じだったのだろうか・・・
彼女に声優の魅力を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「宝塚では、男役だったから男としてしか演技ができない。
声優だと、男の子・女の子・お年よりや若い人まで色んな役ができる。
自分の姿形にとらわれず、いろんな役ができる。」
・・・そうか。そうだよね。
宝塚は、きらびやかでファンも多いが、上下関係やしきたりなど厳しい部分も多い。
彼女の最後のセリフが、ただ単に「男役しかできない」という規制だけでなく、
そういった雰囲気から自由になれたことへの解放感も感じ取れる気がしたのは、私だけかしら。
<イラクや大統領選のことは知ってても・・・>
04/11/16
仕事が忙しいとだんだん心ががさがさしていく気がするが、ちょっとしたことで
癒されることもある。
日朝協議で週初めからばたばたして、一夜明けてもそんな状態が続いていた。
そんななか拉致議連や家族会が、午後に憲政記念館で会見をやるというので、取材に行った。
外務省からいくには、ちょっと遠い。かといって、タクシーでいくには近い。
地下鉄でいくにも不都合なところで、どうしようかなと思っていたところ、
たまたますれ違った外務省幹部が「今日は外は気持ちいいよ」と声をかけてくれた。
「それなら」と、憲政記念会館まで歩いていくことにした。10分強の道のりだが、
11月中旬にしては暖かく、太陽の光が心地よい。
国会議事堂の正面の道には、若緑から薄い黄色に色づいている銀杏並木がすがすがしい。
議事堂前の道を右に曲がると、こちらのイチョウはまだ青々としていて、まだ見頃になるには
時間がかかるよう。
そんな事に気付いたことも嬉しくて、「あ、やっぱり歩いていって正解!」。
先日、知り合いの記者とはなしをしていたときのこと。イラクの人質事件や米国の大統領選で
てんてこ舞いのときだった。
「私達って、イラクや大統領選のことはわかってても、いつ頃紅葉が見頃なのか全然知らないね」と
いうはなしをしていて、思わず噴き出してしまった。本当にその通り。
でも、それじゃあちょっとさびしい。やっぱり、季節の移り変わりに敏感でありたいし、
そういう感性は失いたくないと思うから。でも、ちょっと工夫すれば、それも可能なのね。
<政治を身近なところで実感したとき> 03/11/3
中学生の頃、社会科の時間で必ず習うのが「三権分立、それは司法・立法・行政だ」ということ。
しかし今思うと、それがどういう意味を持っていたかは、ほとんど全然わかってなかった。
つまり、政治・政(まつりごと)というものが、何を意味するのかがよくわからなかった。
でも、意外に身近なところで実感する機会があった。
私の自宅の最寄駅の駅前は、放置自転車が多くて有名だった。歩道には、自転車が無造作に置かれていて、
歩行者の邪魔になっていたし、雑然としていた。
しかし、ある日いきなり放置自転車が消えたのだ。それもいとも簡単に。
なんと、今まで放置されていた区域に区が白い線を引き、正式に「駐輪場」にしてしまったのだ。
結構衝撃だった。昨日までの放置自転車が、「駐輪場に止めている自転車」に早変わりしたのだから。
つまり政治とは、そういった何もないところに線を引き、「ここはとめてもいいところです」と決めることなのだ。
それにより、区民は年間の駐輪場利用費を払い、利用許可シールを貼ってない自転車は撤去される。
そのかわり、人を雇って駐輪場の自転車を整然と並べる。
そうした決まりごとを設けるのが政治なのだ。
私がたまたま買い物するために、自転車をとめていたら、戻ったら撤去されていた。
自転車を取り戻すために指定されたところにいくと、数千円の罰金を払わされた。
それも行政=区役所という政治が決めたことなのだ。むむ。
<「働く女性」>
04/11/4
先日、某全国紙の夕刊に「働く女性」についての記事が掲載されていた。つまり、「働く女性」を
ターゲットに様々なビジネスが起こっているという趣旨の内容だった。
しかし、なんか違和感がある。「働く女性」ってことさら強調することがおかしいのだ。
それってなんだか死語になっている感じがするのに、そう連発されると背中がむずむずするのである。
同じことを外務省の中でも思った。省内に「働く女性のための休憩室」なるものがあるのだ。
おそらく、体調を崩したりした女性や、妊産婦のための休憩室なんだろうが、単に「女性休憩室」とせず、
あえて「働く・・・」とつけるところにさまざまな意図をかんじる。
おそらく「外務省としても、きちんと女性に配慮した制度を作ってますよ」とアピールしているのだろう。
女性が働くことがしごく普通である時代になったと思っているのは、私だけなのかしら。
男性社会の中で働く女性は、やはりまだまだ「特別な配慮」が必要な存在ということらしい。
弊社の場合で考えると、英字新聞という媒体のせいか編集部における女性の割合はとても高い。
上司には男性もいるが、女性も普通にいる。だから、あまり自分の立場を「女性だから」とか「男性だから」
で考えたことがなかっただけに、違和感を感じたのかもしれない。
性差を認めながらも、それをことさら強調しなくなったときが、「女性が普通に働く時代」といえるのかもしれない。
<官僚とは闘うべし>
04/10/22
外務省で取材をしていると「なんでこんな情報を隠すの??」って思うことがとても多い。
政策的なことではなく、もっと基本的なことをなぜか隠したがる。これはしみついている体質なのかもしれない。
先週のイラク支援国ドナー会合でのこと。
2日間の日程がおわって、それで新たに資金拠出をした国とその額について当然プレスステートメントに
載っていると思ったらそうではない。
おかしいと思って、担当課に聞いたら「いえません」と。?????なぜだ。
信託基金のドナー会合なんだから、新たな拠出国があるかどうか、あったらその額について
当然メディアの興味は向く。会合の成果を表すものでもあるからだ。
だめならからめ手で、と思って報道課にプレッシャーをかけてもらうなど、何度も押し問答をして
ようやく額をきいた。あまりに新規拠出が少なかったから、いいたくなかったというのが
正直なところなのだろうか。それだとしたら、あまりにも国民の税金をつかっている省庁として、
説明責任に対する自覚がない。
同じようなことが、今日の日米のBSE協議が継続協議になったときにもあった。
明日の会合開始時間をきいても「いえません」。??????なぜいえない。
というか、なぜ隠す必要があるのか。取材側から言えば、役人が会合入りにぶら下がることは
当然のことなので、開始時間は聞いておく必要がある。
しかし、「会議室が決まってないから」とよくわからない理由で「いえません」の一点張り。
思うに、あまりに風通しが悪すぎる。いっていい情報と悪い情報をきちんと判断して、言える情報はできるだけ
表に出すのがあるべき姿だと思う。でも、外務省は「外交交渉は表にできないことが多い」ということを
変に曲解して、どうでもいい情報までかくす傾向がある。
でも、そういうのってきちんと闘わなければならないのだと思う。ちゃんといわないと変わらないんだなって思うから。
「おかしい」って声高に叫ばないと、彼らは「これでいいんだ」って思ってしまう。
だから今日も私は「ちゃんと説明してください!!!!!!」と叫んでしまう。
<着ぐるみですか?> 04/10/22
外務省担当をしていると、様々な外国政府の要人を取材する機会が多い。
その中でも、ひときわ色んな意味でインパクトが強いのは、先日訪日したアーミテージ米国務副長官。
クリントン政権の頃はシンクタンクを作って「アーミテージレポート」をまとめた知日派でも有名。
日米同盟をより対等にもっていくことを提言し、現在副長官として着々とその理念を実行に移している。
日本が対テロ戦争でインド洋に自衛隊艦を派遣したのも、イラクに自衛隊を派遣したのも
そういった彼の考え方が大きく影響したのはまちがいない。
http://www.state.gov/
そんな豪腕ともいえる副長官だが、彼の見た目にはさらに圧倒させられる。
初めて見たときは、おもわず「これはきぐるみだろうか」と思ってしまうぐらい胸板が厚い。
軍人出身なので当然なのだろうが、けっこうびっくりする。
まるで「ゴーストバスターズ」という映画に出てくる『マシュマロマン』みたい。
ものすごく胸板が厚いうえに、スキンヘッドで首がない。
ゆえに、ものすごくスーツが似合わない。ぱつんぱつんで、とても苦しそうに見える。
他社の記者さんと、「彼は毎日ボディビルディングをしているのだろうか」とうわさしていたところに、
そうらしいという情報が入ってきた。
毎日4時に起きて、エクササイズをして6時には仕事を始めるという。なるほど、やっぱりそうか。
「ローマは一日にしてならず」だが、マシュマロマン並みの筋肉もまたしかり、か。
<慣れ親しむべし!> 04/10/5
「折り入ってご相談が・・・」
他社のある記者があらたまって私に話しかけてきたのは、数日前のこと。
彼は、学生時代に留学経験もあり、英語には多少の自信があり、弊紙の記事も
読む分にはあまり問題はないという。
しかし、先日米国大使館の人と懇談をする機会があったのだが、時事問題を話したくても
ほとんどちゃんと話せなかったという。
折りしも内閣改造の直後。新幹事長人事や新たに任命された二人の補佐官の話をしたくても、
「幹事長」や「補佐官」の単語が分からなく、言葉に窮したらしい。
「どうしたらいいんですかね」
うううんん。わかりません。
私も政治記者をやっているからわかるものの、もし経済の話をしてくれといわれたら
途方にくれるところだろう。つまり慣れ親しむしかないのだ。近道はない。
しかも新聞を読んでいるだけでは、なかなか話すときに単語はでてこない。
そう思ったが、あまり真正面から答えても・・・と思って、つい「どうなんでしょうね」
といいつつ、週刊STとジャパンタイムズウィークリーの最新号を渡した。(宣伝)
千里の道も一歩から・・・なんだよね。大変だけど。
<高原、国後に渡る@> 04/9/20
〜ロシアへの玄関口・根室〜
北方領土への出張第1日目。それは、根室にたどりついたところから始まった。
AM5:30に起きて、7:55の羽田行き。9:30には釧路空港についたものの、そこからが長い。
空港から釧路駅まで、バスで40分。11:05の根室行き「快速ノサップ号」まで30分待ち。
ふう。
しかも、この「快速ノサップ」にびっくりした。「快速」というからには、早いのだろう、立派なのだろうと思ってホームにむかった。しかし、待っていたのは一両編成のワンマンバスのような電車。
「おおおおっ、すごい」
しかし実際乗ってみると、台風一過の北海道の雄大な景色を眺めながらの2時間の旅は優雅だった。
本州とは、全く違った景色・木や草の種類が実に新鮮にうつった。
根室駅に降り立ったら、駅の端に「最東端の町」との看板がかかっている。13:10。ほぼ6時間の旅だ。釧路でも思ったが、とにかく領土返還を掲げる看板が多い。「返せ!北方領土」などの字がおどる看板が市内のいたるところにある。東京では、北方領土対策室が入っている内閣府の前でしかみることはない。あらためて、意識の違いを感じた。
また、駅前や市役所にはロシア語で案内が出ている。ここはロシアへの玄関口だ。北海道、特に道東にとって、一番身近な外国人は韓国人でも中国人でもなく、ロシア人なのだ。
さらに衝撃だったのは、その日取材した人の名刺の裏をみたときだった。
習慣として、つい名刺を裏返して名前の読みを確認するのだが、読めない!
ロシア語で書いてあるのだ。
「すっすごいですね」と思わず声をあげてしまった。
やっぱり北方領土は、英語が通じないのかな・・・よぎる不安。
明日からは、いよいよ北方領土の向けて出航だ。
<高原、国後に渡るA>
〜快適!ムネオハウス〜
正午すぎに64名の訪問団を乗せて「コーラルホワイト」が出港した。
4・5時間ぐらいで国後島に着く予定。天気も穏やかで、船はほとんど揺れなかった。
みんな、甲板に出て「4島はまだ見えないか」とデジカメやビデオを構えているが、なかなか見えてこない。そうこうしているうちに、酔い止めの薬が効いてきたのか、眠くなって船で横になる。
がやがやした音に目が覚めた。外に出たら、目の前に島が見えている。これが国後島か。
やっと着いたような、あっという間だったような・・・
小雨の中、艀(はしけ)に移動して港に着くと、沢山の日本製乗用車が待機していて、みんなに乗りこむように言っている。
・・・そしてついたところが・・・「友好の家」。そう、私が国会院内担当のときに毎日記事で書いていたが、1度も本物を見たことがない「ムネオハウス」。
「ここがムネオハウスかあ」と思いながら入っていったら、かなりきれい。華美ではないが、こざっぱりとしていて、ユースホステルのような雰囲気。
名物の管理人の女性は健在で、次々と入ってくる日本人にロシア語で言葉をかけている。何を言っているかはわからないが、たぶん「よくきたよくきた」といっているのだろう。
私が泊まった部屋は、一室4つの2段ベッドがあり、8人が寝泊りできるようになっている。
シャワー室は共同だが、一人一人別のしきりになっており、お湯も普通に出るため快適。
もっと劣悪な環境を想定していたので、とりあえずほっとした。
シャワーを浴びてすっきりしたところ、早速玄関にいる管理人らしきおじさんにきいてみた。
「ここは、ムネオハウスって呼ばれていたんですか?」と。
そうしたら、待っていましたとばかりに答えが返ってきた。
「ここがムネオハウスと呼ばれていたことはない。鈴木さんは、情熱的で本当にいい人だ。
ロシア政府もやってくれなかったことを、やってくれた」。
そう。北方領土の人にとっては、かれは天から降ってきた救世主なのだ。
誰も目を向けない4島の援助に尽力し、さまざまなインフラ整備を試みた。
それが、必ずしもニーズとあっていなかったり、供与物が現地でうまく活用されなかったりは
したのだが。
<高原、国後に渡るB>
〜ガーリャとの出会い〜
2日目の朝。A班とB班にわかれて、島内施設の視察を行う。
各自ムネオハウスの前にとまっている20台ほどの乗用車に乗りこむ。
そう、このビザなし交流のために、アルバイトで一般の国後島民が自家用車をだしているのだ。
全部根室やサハリン経由で北海道あたりから買ったものばかり。
また、道路はほとんど舗装されておらず、ダート状態なのでランドクルーザーなど4WDが多かった。
ここで、私はこの3日間で仲良しになる運転手のガーリャと出会う。
ガーリャは57歳の年金受給者だが、年金だけでは生活できないので、行政府で清掃員も勤めている。2人の息子の1人はウラジオで働いており、もう1人は漁師をしているという。
おそらく、3日間一緒にいてガーリャに関する情報を手に入れたのは、これぐらいだろう。
なにせ、英語が通じない。私はロシア語がわからない。ロシア語会話集を手にしつつ、「息子」と「漁師」の単語を探すのに時間がかかっているうちに、会話のモーメンタムは失われる。まさに、中学生のホームステイ状態である。
笑顔をつくり友好をアピールするのみである。
そのうち、同行の通訳の人に間に入ってもらい、ちょっとは会話らしき会話をする。
それでも、私は必死で会話集で「あなたの息子は漁師?」と問いかけ、彼女もほどなくして
「ああ」といい身振り手振りで、1人はウラジオストックにおり1人は漁師だといった。
意味が伝わったときは、思わず2人で抱きあってしまった。
やはり、あきらめず根気よく伝えようという気持ちが大事だと思った。
ガーリャはその後も私やもう1人の女性記者の世話をなにかと焼いてくれ、最後のお別れの日には、自家製のパンをおみやげに持たせてくれた。
港から船が出港したときは、2人ともウルウルしていた。
「またいつか来なさい」といってくれたガーリャ。
その日は、いつかくるのだろうか。遠ざかる島を見つめながら、感傷的になってしまった。
<高原、国後に渡るC>
〜手が届きそうなのに・・・〜
3日目は、前日の強行な視察スケジュールとはうってかわり、
島内観光がメインだった。
「国後の自然を満喫しよう」という趣旨なのだろう。ムネオハウスから車で1時間ぐらいは
走っただろうか。透明で美しい湖に到着した。
湖岸を散歩する人がちらほらいる程度で、とても静か。
こんな湖は見たことがない。何が不思議かって、静かなことでも透明度が高いことでもない。
こんなにきれいなのに、湖岸にホテルやお店が一軒もない湖ははじめてみた。
まったく開発の手が入ってなく、ほぼ自然そのままの状態なのだろう。
日本では考えられない。日本が人工的すぎるのか、国後が開発されなさすぎなのか・・・
そこからさらに海に向かって走った。車が止まって、おのおのがハマナスが生い茂っている小高い丘をかけ上がる。
そこからみえたのだ。大きく。知床半島が。日本だ。
こんなに近くに見えるのか。手が届きそうな距離だ。なのに、すごく遠い。
となりにいた中標津支局の女性記者が「私、こっち側から知床半島を見るのが夢だったの」
と感慨深げに話す。いつも、知床半島から国後を見ていたという。
父親が北方領土に住んでいたという参加者の先生は、「ちかいなあ」とつぶやいた。
領土問題とはこういうことか。そこに見えるのに届かない土地。足を簡単には踏み入れられない土地。見えるだけに、郷愁は募る。日頃から4島の島々を目にしている元島民の方々は、どのような思いで60年間北方領土を見つめていたのだろうか。
<高原、国後に渡るD>
〜コーワリさん、待って!〜
今回のビザなし交流同行記者は4社だった。だが、初めて北方領土に記者を送る社はもちろん弊社のみ。各社、記者個人としては初めての渡航でも、社としては何度も記者を送っている。
自ずと力の入れ方が違ってくる。
この出張で、行く前から私は少なくとも3本は記事を出すことが決まっていた。
帰ってみて、結局4本になった。
だから、出張中はなるべく多くの資料(人の話、統計など記事の材料)を集めることが
必要不可欠だった。でも、ビザなし交流では単独行動は厳禁で、しかもかなり過密なスケジュールだから、十分に人に話を聞く時間がない。
毎朝集合場所に早くきて、地元の人に領土問題について話を聞いたり、総理の領土視察についてはなしをきいた。移動中やご飯中も機会があればきいた。
それでも、記事を書くのに十分な情報があるのか不安だった。
なんせ、ここを離れたらもう取材はできない。言葉は通じないから、電話取材もかなわない。
3泊4日の一発勝負なのだ。
そんな中、ずっと顔を見せてなかった地区政府の要人である議会議長のコーワリさんが、
最終日の最後の晩餐にムネオハウスにきた。
「この訪問中に会えるであろう一番偉い人がきた!」と私ともう1人の女性記者は色めき立った。
晩餐前に、通訳さんを拝み倒してコーワリさんに話しかけたが、「忙しい」と一蹴された。
しかし、出港までのタイムリミットは刻々と近づいている。
ご飯を食べ終わったら、10分後には荷物をまとめて車に乗りこまねばならない。
その間にコーワリさんに、総理視察の感想と領土問題について話を聞かねばならない。
締めの挨拶ももどかしく、ダッシュで部屋に戻り荷物を適当に積めこみ、急いで玄関へ。
コーワリさんがいる。通訳さん、通訳さん。と隣にいるではないか。
「コ、コーワリさんに質問が!」
私達の勢いに気おされたのか、コーワリさんも今回は観念したように答えてくれた。
5分ほど、私達の質問に答えてもらい、私達もあわてて車に乗りこみ港に向かった。
安堵感と虚脱感。とりあえず、コーワリさんのコメントはとれた。
こうして国後を出るぎりぎりまで、ドキドキハラハラの取材旅行はおわった。
<先見の明??> 04/9/8
出張で、北方領土にいくことになった。明日根室に入り、金曜に出発。
内閣府が募集していて、根室まで自費ではいれば、それ以降は政府が渡航費を
もってくれるというもの。
プーチン大統領も2期目に入り、小泉さんも北朝鮮関連が閉塞状況にある中、
北方領土に目を向けるのでは?と思って、デスクを説得した。
「格安航空券だったら、こんなに安くいけるから、いかせてください!」とね。
そうしたら、以外にも簡単にOKがでた。
以前北方領土に取材でいったことがある記者から、「自腹を切ってもいく価値があると思うよ」
といってたので、「だめといわれたら、休みをとっていくのもいいかも」と思っていただけに、
嬉しかった。
それにしても、北方領土っていける人が限られてるって知っている人は少ないのでは。
領土問題があるということもあり、政府は北方領土への渡航を自粛するようにいっている。
しかし、@元島民、あるいはその関係者A返還運動関係者B学者C報道関係者
は、ビザなし交流などの枠組みで、定期的に訪問団という形で渡航できる。
逆に、その枠組みに限られているのだ。
ということで、粛々とその準備を進めていたら、なんというタイミングか。
総理が北方領土視察にいくというではないか!
これで、私の出張の重要性が増す!(それと正当化できる)
がぜんやる気が出てきた。
しかし、前回も「知らないって辛い」って書いたが、北方領土問題を一から勉強するのも
大変。それも、総理が視察に行ったから、外交の記事だけ先に出せといわれて、
出張準備に追いこまれつつも出した。(9日に掲載されてます)
さてさて、これから行ってきます。
きっとこの高原日記にも、随時北方領土出張のことが更新されることでしょう。
<わからないって大変・・・> 04/8/26
先日、鈴木宗男元衆議院議員を取材した。
「地方から見た小泉政権」をテーマに、小泉構造改革が地方にどういう影響を
与えているかについて、語ってもらった。
そこまではいいのだが、いざ書く段階になると、これがかなり悪戦苦闘。
普段は縁遠いので、知識がきわめて薄い「三位一体改革」について、もちろん言及があったためだ。
「三位一体改革」。それは、国から地方への税源移譲のはなしなんだろうな、と
おぼろげに知ってはいるものの、それ以上の知識はない。
いざ書く段階になってから、「英語では、どういういい方をしているのかしら?」から始まり、
「そもそも三位一体改革って何?」ということにいきついてしまう。
片っ端から、資料やここ半年の過去記事を検索して、読み漁った。
また、そこから派生する合併特例法改正についても、分かってなければいけない。
インタビューでたかだか5パラを書くのに、かなりの量の新聞記事を読んだ。
う〜ん、知らないって辛い・・・
しかし、知らないものはどうひねっても書けない。日本語でもわからないものを、英語で書くなんてなおさら無理。
ということで、いつもはてこずることがないインタビュー記事に、悪戦苦闘したのでした。
しかし、おかげさまで「三位一体改革」について、かなりわかってきたので、
いまは新聞ででていると、「おっ、どうなってるかな?」と目がいくようになった。
やっぱり、知らないより知ってるほうがいいよね。
英語ができない私をせめないで! 04/8/26
昨日、たまたま買った本で「英語をしゃべれない私を責めないで」
(だと思う)というのがありました。
小栗さおりさんという人が著者で、漫画家でもあるのです。
「 ダーリンは外国人 」という本で、一躍人気になった人です。
けっこう、本屋さんにいくと平積みしてます。
そのなかで、英語がしゃべれない彼女が、一念発起して英語を勉強するというのが、
私の読んだ本です。
その中で、週刊STやSTのサイトにも言及してあって、「かなり使える」と評価しています。
(課金制にしてないことをかなり心配してましたが)
実は、彼女STでコラムを持っているトニー(オピニオンかしら)の奥さんらしいのです。
なかなか、おもしろい人なので、もし取材しできたらおもしろい記事になるのでは?
と思って参考までにお知らせします。
伊藤さんも、本屋さんで立ち読みしてください。おもしろいから。
ではでは。
高原
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情報ありがとうございます。 STでも評判になっています。 伊藤
<ある日の東京の病院前> 04/8/6
連日、ジェンキンスさんの問題でしか記事を書いていない。そして、今日もまたしかりだった。
ジェンキンスさんが独立法務官と面会するという。
いつなのか、ということでメディアは大騒ぎになった。
特にテレビとしては、法務官が病院に入ったところと出たところの映像を撮ることは至上命題。
大勢の報道陣が、東京のとある病院に連日張って、その瞬間を待っている。
外務省付きの私としても、記事は書かねばならないのだが、外務省にいても情報が入ってこない。
ということで、現場にいくことにした。
デスクからは、「どうせ入りと出のの映像しかないのだから、いくことはないよ」といわれていた。
それは、確かにそうなのだ。
でも、たまに現場でしかわからないこともある。例えば、「現場にも情報は少ない」ということが現認できる。
しかし、それだけ報道陣がいると何か動きがあった場合に、すぐわかるということがある。
あるいは、知り合いの記者がいれば、状況を聞くことができる。
たとえば、曽我さんがぶら下がりをするらしい、など。正式発表があるより早く、現場の記者は見通しをもっている。あるいは、(ないかもしれないが)独立法務官自身がぶら下がりをする、ということもあるかもしれない。
今回の場合、予想通り何もなかった。
でも、あらためて現場のすごさを見た。
朝から張り番をしている記者は、半そでに帽子姿。半そでから見える腕は、半日分の日焼けで真っ赤になっている。対照的に、年季の入ったカメラマンは、黒人かと見間違えるほど腕が真っ黒に日焼けしている。
こんな風に、ベタバリしている取材の良し悪しには議論があると思うが、みんなニュースでの5秒やそこらの
映像のために、ものすごい労力を費やしているのだ。
それに加えて、何事かと見にくる近所の人達や、同じく何事ごとかと窓から見下ろす病院関係者。
とにかくすごい人なのだ。
この連日の猛暑。倒れた人もいただろうな・・・
<バーゲン売り場より恐い会見場>
04/7/23
昨日の日米BSE協議での出来事。
本来は、17:30から始まるブリーフィングが、協議が長引いたため全然始まらない。
二時間・・・三時間と刻々と時間はすぎていく。
私は、ことあるごとに報道課に「まだですか。メドはいつですか」ときいて、(たぶん)いやがられていた。
「しめきりが、せまってきたなあ」となんとなくイヤな汗をかいてしまう。
時計の針も11時に押し迫ってきた頃、ブリーフィング開始の放送が流れる。
会見場にはいろうとすると、みんな入り口のところでたまって待っているので、びっくりしてしまった。
そう、会議で出るはずの報告書の紙を待っているのだ。しかも、みんなしめきりをかかえている。
殺気立った空気が漂っている。
そこへ、報道課の担当者が報告書のコピーを持って入ってきた。
飛んで火に入る夏の虫。
あちこちから、我先にとコピーを手に入れようと大混乱だ。
「ちょっ、ちょっと待ってください」という報道課の人の叫びも空しく、
会見場は夏のバーゲン売り場よりも激しい戦場と化していた。
しまいには、報告書が入っていた封筒を破る人も出てきた。
こわいですねえ。
そういうときは、机の下に落ちてしまった紙をそっと取るのが一番いいかも。私のように。
<記者の息抜き方法> 04/7/16
記者というのは、とかく(何もニュースがなくても)拘束時間が長い仕事である。
それは、ひとえに締め切り時間が深夜にまで及ぶからだ。
必然的に、遊ぶ時間が制限されている。
でも、みんな結構ちゃんと時間を見つけて遊んでいる。
必死で時間を作って遊んでいる人もいる。
多いのは、夜、夜回りが終わってからサウナにいく。パチンコをする。
これは男性。女性はマッサージもあり。
あとは、午前1時、締めきりが終わってから集合して、朝まで飲んでカラオケにいく。
こういうのをきくと、記者って体力がないとできないって思う。
おもしろいのは、サッカーの日本代表の試合。あまり忙しくないときにいくらしいが、
デスクから電話がかかってきても、出れないのだそうだ。(それはそうだろう)
あと、「政治家と懇談だ」と偽ってコンサートもあるらしい。
かくいう私も、先日の参院選の投開票日に友達20人ぐらいと海に行ってきた。
朝5:30起きで、午前中に泳いで、BBQを食べた後、2時の電車に飛び乗って帰った。
1時間仮眠をして、7時に自民党本部に出勤。そこから、ひたすら自民党幹部のにわか番記者をやっていた。
さすがに1時をすぎた頃には、疲労がピークになってきて手足がしびれてきた。
そんなこんなで、3時過ぎにようやく帰宅。
他社の記者さんに「参院選の投開票日に海に行く政治記者は、あとにも先にもきみだけでしょう」と。
<外国プレス会見なるもの> 04/7/9
外務省には、その性質上普通の日本語での会見のほかに、海外プレスに対応すべく
英語でやりとりすることができる会見がある。基本的には、週2回報道官が執り行う。
しかし、悲しいかな出席者がとても少ない。
私も出ないことのほうが多いが、出ても私と某通信社英語担当記者だけということもままある。
確かに自分の企画記事をやっていて、外務省としての公式コメントがほしいときは便利である。
特に英語であるから、引用しやすい。
でも、そこで何かニュースになることが少ない。
日本語で発表したことのやきなおしであることも多い。
また、他の報道で出たことを確認しようと思っても、「その通り、いま検討中です」
といわれたことはほとんどない。
結局、何かのニュースの真偽を確認しようとした場合、一番原始的な方法が役に立つ。
廊下で担当官を捕まえる。トイレに出たとき、外務省の玄関口で外出からかえってきた時などなど。
待ってる待ってる待ってる。
これじゃ、国会と同じだなあ。でも、国会よりせまいからまだましかしら。
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<高原、北朝鮮にいく!@>04/5/26 →Gで完結
総理の訪朝の同行取材で、私が北朝鮮にいくことになってドキドキだ。
何しろ準備が大変。
ロジ関係の準備のため、数日前に本社に上がった。
PCのセッティングのために技術部に寄った後、出張費の請求のため総務担当者と打ち合わせをする。
カメラを借りるため、写真部へ。
前回、訪朝した前任者に必要な心構えを聞く。
そんなことを考えながら、本社にあがる。
そうしたら、同僚からいっせいに励ましの声がかけられてびっくりした。
「めったにないから、行けてよかったね」「がんばってね」
などなど。
JTは、普段は総理同行はほとんどしない。
だけど、こうした歴史的にすごい(??)外遊には同行が許される。
なので、みんなの期待値も高い。
総務部門やJTトラベルエージェンシーの方にも「記事を期待してます」
という言葉を頂いて、思わず照れてしまった。
翻って、2年前。総理がはじめて訪朝した2002年9月。
同行した当時の外務省担当者を「うらやましいなあ」と思っていたことを思い出した。
やっぱり、記者であるからには、ニュースがおこっている現場で実際に取材できてなんぼという世界だ。
絶対にその場に行きたいと思うのが、人情だ。
改めて、たまたま担当だったことが「ラッキーだな」と思った。
<高原、北朝鮮にいくA>
22日朝、3:30起床。
5時までに羽田空港に着こうと思ったら、それぐらいに起きることになる。
外はもちろん真っ暗。
前日は、無理やり11:30ぐらいに寝た。
1泊2日とは思えない荷物を抱え、あらかじめ呼んでおいたタクシーに乗り込む。
「総理の特別機ですか」とタクシーの運転手さん。
こんな時間に羽田にいく人は、北朝鮮にいく人しかいないということだ。
「そうなんです」
「家族帰ってくるといいですね」と運転手さん。
「本当に・・・」と答えたものの、私もまったくどうなるかはわからない。
飛行機は、無事6:30に離陸した。
初めての政府専用機。
機中で総理と懇談ができるように、特別の会見席がある。
座席のカバーシートには、JASDFの文字が刻印されている。
あらためて、航空自衛隊の管轄なんだなと思う。
フライトアテンダントは、もちろん紺色の制服を着た若い自衛官。
前方のスクリーンには、「ピョンヤンまで1311km」と。
近いようで、なんて遠いのだろう。
「拉致被害者家族は、今日この距離を埋めて再会できるのだろうか」
と感傷的な気分に浸ってしまう。
3時間弱で、ピョンヤンのスナン空港着。
急いで降りたら、前のほうのタラップからもうすぐ総理が降り立つところ。
遠目で総 |