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掲示板 | お台場の歴史年表 +豊洲・晴海年表 東京港と臨海副都心の歴史 「豊洲とお台場」比較コーナーも 臨海副都心総計画面積は442ヘクタール。 豊洲の再開発エリアは50ヘクタールあり、東京ディズニーランドとほぼ同じ ------------------------------------ 明徳3年 1392 中世品川湊が活況 江戸時代 東京港は「江戸湊」と呼ばれていた 慶長17年 1612 徳川幕府 江戸湊の改築 1700ごろ(元禄時代) 江戸、人口100万に達し、世界一の大都市に。当時、ロンドンが70万人、パリで50万人ほど。 江戸時代の風景が描かれた絵画:
嘉永6年 1853/6 ペリー浦賀に来航。4隻の艦隊で江戸幕府に開国を要求。 翌年春に再訪へ 江川太郎左衛門は下田を警護。5/19、勘定吟味役格を命じられ、海防の会議に出席、あらためて江戸湾防衛の必要性を説き、ジョン万次郎の登用を願い出た 1853/7 品川台場(今のお台場)建設を提案 「海岸御見分ニ付見込之趣申上候書付」を江川太郎左衛門が幕府に提出
江戸防衛のため、江戸湾内に砲台設置を決める。お台場の設計者は西洋砲術・海防の第一人者・江川太郎左衛門英龍(伊豆韮山代官だったのを幕府が勘定吟味役に任命)。英龍の結論は観音岬などにも砲台をすえる広大な計画だったが、財政難の幕府に受け入れられず。「最小限の予算で最大の効果を得ようと考案されたのが、『大砲11門をジグザグに並べ、これに迎撃、横撃、追撃の3機能を持たせる』... 英龍はエンゲルツ(オランダ人)の亜塞築城書を手本に、海中を埋め立て五角形の砲台場を構築する設計を完成」(港区産業・地域振興支援部「まち探訪ガイドブック」06/11
p.38 ) 第三台場での防衛は、譜代大名の忍藩(おしはん、埼玉県行田市あたり)が担当 幕末 東京港は開港せず 明治13年 1880 松田東京府知事はじめて東京港築港論を提案 築港が隅田川口改良工事として始まる。水路の浚渫 → 浚渫土砂による月島や芝浦の埋立造成 お台場は首都防衛のため、軍が管理 1916(大正5年) 第3、第6台場が東京市に払い下げに。ごみ焼却場予定地だったが、立ち消え。 1923(大正12年) 関東大震災で陸上交通網の崩壊を経験 1924(大正13年) 第3、第6台場 史跡名勝天然記念物保存法により史跡に仮指定 →東京市が大正14,15地震復旧工事、第3台場の予算は1.9万円。休息所補強、管理人詰め所、波止場、火薬庫の隣に60mの掘りぬき井戸を設けた。 大正後期〜 埋立事業によって豊洲地区は形成された 1928(昭和3年) 第3台場(国の史跡)が歴史公園としてオープン、園内に陣屋、火薬庫跡。第6台場は現在も非公開、野鳥のサンクチュアリになっている。 1929/7 第3台場が東京市営公園に 昭和12年7月15日 「埋立地5号地」等を正式に豊洲と命名 命名の3説
昭和16年5月20日 1941 東京港開港 戦後 豊洲石炭ふ頭や晴海ふ頭などが建設 昭和26年 1951 港湾法 東京都が東京港の管理者となる このあたりの年表は、Wikipedia「お台場」に詳しい 昭和42 世界的なコンテナ輸送革命 昭和50年代 豊洲に民間マンションやスポーツ施設できる 1974 船の科学館 お台場で初の大規模施設
1979 13号埋立地が完成 1988/3 臨海部副都心開発基本計画(東京都港湾局) 1988 地下鉄有楽町線豊洲駅完成
平成元年 臨海副都心の開発始まる 1989/4 臨海副都心開発事業化計画 港区・品川区・江東区にまたがる442 ha 1991 晴海客船ターミナル 1993 レインボーブリッジ開通。芝浦地区とつながる
1996 臨海線 1996 臨海副都心開発の基本方針 1998 自由の女神像 2001 豊洲1〜3丁目地区まちづくり方針発表 2002 豊洲2・3丁目地区再開発地区計画整備方針都市計画 電線の地中埋設、水辺はプロムナードとして開放、四季の街路樹 2003〜7 基盤整備工事 = 道路・公園 2005 豊洲3丁目公園 2006 晴海通り延伸 2007 豊洲北小学校 2007 乃村工藝社本社ビル、台場ガーデンシティビル =港区台場(最狭義の台場)の開発は完了、もう開発予定地はなし 2008 パークシティ豊洲完成 2008/10 都が商業施設「パレットタウン」用地(約7.9ヘクタール)を売却 森ビルとトヨタ自動車に 2009 The Toyosu Tower完成 2010 「the SOHO - Tokyo Bay Work Style」オフィスビル 2011/3/11 東日本大震災 →別ページの年表 2011 江東区立有明小・中学校 2012/2/12 東京ゲートブリッジ 開通
レインボーブリッジの三倍の長さ。二匹の恐竜が対峙するかのような外見。下は航路、近くに羽田空港ということで、鉄骨を三角形につなぐ「トラス橋」に。
大田区城南島と江東区若洲を結ぶ、東京港臨海道路の橋 2012/4/19 「ダイバーシティ東京」 =「やっと、お台場が完成する」(H&Mチラシより) 2012/4/19 お台場レインボーバス 2012 武蔵野大学・有明キャンパス 2014 築地市場が豊洲移転予定 汚染土壌を除く工事 〜2015 臨海地区の都市基盤整備が完了
2015/1 有明ガーデンシティオープン 有明北3-1地区 住宅、大型ショッピングセンター等 ARIAKE Garden City(仮称) 2016 東京オリンピック招致計画(2016用)では、江東区有明の空き地が選手村の建設予定地だった →2020用計画では変更 2016以降 すべての臨海地区でまちが完成へ 2020 東京オリンピック招致計画(2020用)では、中央区晴海(花火見物用の空き地)に選手村を建設し、その半径8キロ圏内でほとんどの競技。晴海は2016招致計画ではメーンスタジアム予定地だったが、新宿区の国立競技場に変更された。有明には、お台場寄りに「有明体操競技場」(仮設)、東雲寄りに「有明アリーナ」(新設、バレーボール会場)を予定していた
参考資料 東京都港湾局 東京港の歴史 豊洲2丁目・3丁目開発計画 東京みなと館 東京のみなととうみ 港区産業・地域振興支援部「まち探訪ガイドブック」06/11 りんかいBreeze(臨海副都心新聞販売株式会社)07/8/10p3〜(連載「ぐるっとお台場」)、09/1/9特集など Wikipedia「お台場」 国土数値情報ダウンロードサービス(国土交通省) 内国土情報ウェブマッピングシステム(航空写真) FAQ ■晴海年表
1887〜埋め立て工事(東京湾での大型船航行可能にするため掘り下げ、発生した土砂で佃島南側埋め立て)。さらに月島、勝どき、1962豊海 1931 晴海が完成 1955 晴海ふ頭が完成。「陸の玄関」東京駅と並ぶ「海の玄関」。羽田空港は「空の玄関」 1984 8社が「晴海をよくする会」 会長:江間洋介さん(江間忠ホールデイングス) 2001/4 トリトンスクエア 2006/3 晴海大橋が開通 晴海と豊洲を結ぶ 2006/11 大型オフィス(晴海センタービル) ホテル浦島の跡地 2008 豊洲大橋 開通 環状二号線延伸 2013 大規模構想住宅群 朝潮運河を望む超高層タワー4棟などUR都市機構が開発 2016 の東京オリンピック誘致案で、晴海5丁目(東京国際見本市会場跡)はオリンピックスタジアム候補地 2031 トリトンのノーストリトンパークにあるIDタワーに埋められているタイムカプセルを開ける ■豊洲 と お台場 比較 よく似ていますが違う点も どちらも海に面している。高層階からは東京湾が絶景。 どちらもショッピングセンターがある。 どちらも公園がある。 どちらも電車が2系統。 どちらも埋立地:お台場の歴史はペリー来襲への備え。豊洲は造船所 IHI(石川島播磨重工) どちらも計画的な大規模開発地。ビルとビルの間がゆったり、道路も広い。 どちらからもレインボーブリッジが見える。 どちらも屋敷船(屋形船)が見える。 どちらもキッズ施設がある。 どちらもドックカフェが数ヶ所ある。 台場
豊洲
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本ページは「豊洲ガイド」ページより独立2011/9/7 |
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