彼女のために死ねるか?
(1997/04/21)
松本伊代のためなら死ねると思っていた頃があった。
それは高校2年生の夏で、あの頃から既に夏は暑かったような気がする。
伊代ちゃんはそんなぼくのことを少しも気づかずにきゃははと笑ったり、バッ
クにふたりの女の子を従えて踊りながら歌ったり、コマーシャルでてはしゃいだ
りしていた。
もっともそう感じていたのはぼくひとりではなく、しかるべき場所ではしかる
べき感覚が共有されていた。思えばみんな、執り憑かれように伊代ちゃんに狂っ
ていた。あるアイドル雑誌の話題の中心はもっぱら松本伊代であったし、彼女の
ための週刊の同人誌すらあった始末だ。
たとえば、そこでは彼女のベスト・アルバムは「サムシング・IYO」なのだ
という共通了解があった。ビートルズの「サージェント・ペッパーズ」みたいな
ものだ。確かにローカルではあるが、それでも共通認識は共通認識だ。そして全
曲のアレンジをしていた鷺巣詩郎のポップで不思議な、そして決して歌謡曲以外
では聞くことのできないサウンドに狂った。(今、彼は「新世紀エヴァンゲリオ
ン」のサウンド・トラックを担当しているらしい)。
誰も知らないだろうけれど、ごく限られた場所では、確かに旋風みたいなもの
が吹き荒れていた。1982年だっけ? 83年? アイドル・ポップスとYM
Oとスネークマンショー。糸井重里の「YOU」。広告批評。宮下智。そして、
土曜の夜はオールナイト・フジ。三無党とゴータマ・シッダルタ・ファン・クラ
ブ。ニューアカデミズムと『逃走論』。文庫になってわかりやすくなった『共同
幻想論』角川文庫版。エリマキトカゲ。まだまだ列挙できる。
ちなみに公表された彼女のバストのサイズは72センチだった。そんなものは、
おれは胸とは呼ばないと公言している先輩もいた。だがぼくは、それを確かな魅
力として受け取っていた。これこそがキュートなのだと。理由は分析していない
ので、わからない。
バスト72センチの、東京ディズニーランドの似合う女の子。
その後、世間が伊代ちゃんを忘れたように、ぼくも彼女を忘れていった。思春
期を乗り越えるのは、やはり並み大抵のことではないのだ。そして、恋をしたり、
失恋をしたり、教訓を得たり、その教訓のほどには成長しなかったりした。出会
いがあり、別れがあり、ある時は希望を失って酒に溺れた。ある時は長い戦争を
避けながら、幼い弟の面倒を見るためにサーカス小屋で寝泊まりし、意地悪なサ
ーカス団長の跡取り息子と卑屈で陰湿な猛獣使いに目の敵にされ、いじめられな
がらも頑張って耐え、全国各地をめぐり歩いた。どこに行っても、聖書には絶対
書かれていないような言葉で罵られた。まあ、どこにでも転がっている、よくあ
る話だ。
それから仕事を辞め、いくつかの仕事を転々とし、あるとき、ある女の子と運
命の再会を果たした。彼女は松本伊代と似ているところもある、松本伊代ではな
い女の子だった。特に耳と声と脚が似ていた。むろん、そういう理由で彼女を選
んだわけではなく、ただの偶然だった。それに、ぼくが彼女を選んだというより
は、彼女がぼくを選んだのだ。
彼女は一年ほど前に、ぼくの婚約者と呼ばれうる存在になった。今度のゴール
デン・ウィークにはぼくの奥さんとして生きはじめる予定だ。よほどのことがな
い限り、たぶん、そうなるだろう。今、ぼくは割に順調に、平凡に生きている。
大学時代、一度だけ伊代ちゃんの歌を耳にしたことがあった。後期80年代。
バブルな、バブルな時代。そのときぼくは冴えない私立大学の、冴えない大学生
だった。松本伊代を聴かなくなってから、さらに数年間の時間が過ぎていた。
冴えない色の空の下で、冴えない講堂の横にある冴えないスロープを登り、冴
えない教室で冴えない授業を聞いた。壁のクロスがまったく冴えなかった。とこ
ろどころ破れていたし、誰も修繕することなんて思いつかないようだった。冴え
ない学生食堂で、冴えないけれど飛び切り安いカレーライスを食べた。セルフ・
サービスのカウンターでそれをサーブしてくれるおばさんたちが実に冴えなかっ
た。普通のサラダに、大きなプラスチックの瓶に入った冴えないサラダ・ドレッ
シングをかけて、わざわざ冴えなくして食べた。放り込まれている化学調味料の
量が目に見えるようだった。不自然なトマトケチャップの赤と、マヨネーズのク
リームがかったオフ・ホワイト。 何て呼ぶんだったっけ、サウザン・アイラン
ド?
でも、ぼくはこの取り合わせが案外好きだった。冴えない気分のときには、か
らだが冴えないものを求めるのだ。弁解するようだが、これは決して自虐的なの
ではない。適応の問題だ。説明は難しいけれど。
窓の外では、冴えないカップルが冴えない恋を囁きあっていた。なにしろバブ
ル経済の真っ最中だ。地方から出てきて、あの快速電車の赤い色、中央線沿線に
住んでいる男女が、似合わないブランドの服を着て、あるいはそれさえも着ない
で、低予算で恋するのはやはり冴えないことなのだ。冴えた恋をするには、せめ
て慶応幼稚舎出身である必要があった。
今こういう話をすると、ただ狂っているようにしか感じられないだろう。確か
に狂っている。でも、80年代後半に大学生だった人間たちの行動原理を支配し
ていた世界観というのは、案外にこんなものだった。証拠や参考文献を上げろと
言われれば、すぐに5冊くらいの書名はリスト・アップできるだろう。江藤淳に
褒められた小説とか、文庫判まで出た、イラスト入りのあの本とか。
ぼくたちは貧乏を恐れた。それが貧乏人の証拠なのだとは、誰も気がつかなか
った。あの『ノルウェイの森』の、あの頭の悪い小林緑ですら気づいていたこと
なのに。
ぼくたちは本気で自分の出身地や、大学名を隠したがった。誰もがなるべく気
取った感じのする場所に部屋借りた。自由が丘だとか、代官山だとか。いくら家
賃が高くても、だ。それで経済が動いた。誰もがどこまでも動いていくと思った。
ぼくも、この時代がエンドレスに続くのだと、漠然と思っていた。ただこのシチ
ュエーションに積極的に適応しようともがいていた。馬鹿みたいだ。何も疑わな
かったし、疑えなかった。まったく、日本陸軍や、連合赤軍や、ナチス・ドイツ
や、オウム真理教のことは笑えない。
ぼくはよく、冴えない生協で、冴えないみすず書房の白い本や、冴えない坂本
龍一のCDや、冴えないボールペンを買った。冴えないコットンのエプロンをし
た冴えない表情の店員に、冴えない会員カードを提示して、冴えない定価の冴え
ない10パーセントを引いてもらった。そして、いったいどんな種類の人間が生
協の書籍売場の店員になるのか、いつも不思議に思った。そういう人生って、想
像できない。それは希望に満ちたものなのだろうか、それとも絶望しているのだ
ろうか? それでも本を買うのは、世界で一番好きなことのひとつだった。
そのときぼくは、本を買っていた。毎日、そればかりしていた。それがぼくを
どういう脱出口に導くのかは見当もつかなかったが、からだがそれを要求してい
た。実験で暗闇に固定された哀れな大豆の種が、遠くから微かに来る日光の感触
を求めるようにだ。そして、そのとき天井にねじで固定されたボーズのスピーカ
ーからは、いつかどこかで聞いたことのある鼻にかかった歌声が響いていた。伊
代ちゃんだった。
その歌の中では、彼女は女子大生になっていた。本物の松本伊代も戸板女子短
期大学被服科の女子大生になっているという話だった。女子大生になった彼女は
「人影のないカフェバー」で、「デュラン・デュラン」を聴いていた。これから
恋人と別れる場面らしい。
彼は「もう一度だけ遊ぼうよ」と「指を重ねて」言う。彼女は「風の街角」で
「視線をはぐらかし」、「そうね、ラスト・キッスは頬にして」と言う。彼は就
職が決まり、もう卒業らしい。「サーフ・ボード」を「後輩に譲ったよって淋し
い顔」をする。
彼女は「わざとクールに」、「心突き放すように」、もう一度「ラスト・キッ
スは頬にして」と繰り返す。そして「振り向かずに歩く」。80年代後半になら
ばいかにもありふれていた風景だ。
彼女はもう世界の真ん中にはいない。すこしもきらきらしていない。既に大人
の駆け引きも身につけ、それを凡庸に美化することだって覚えてしまった彼女。
ぼくには世界の片隅で雨の中でずぶ濡れになって、恨みがましいような人を求め
るような目でこっちを見ている仔犬のように見えた。
いつでも世界は彼女のためにあって、TVの国からぴぴぴと、ぱたぱたと電波
を送ってきた伊代ちゃん。指でピストルをぺ、ペン、ペンと撃っていた彼女。世
界に辛さや苦しみが存在しているなんてことを思いつきさえしていなかった、魔
女の国では普通の子。自信に満ちた、世界で一番普通の女の子。すさんだな。
でも何の関心も感慨も起こらなかった。ぼくはただ、自分の抱えている問題に
対処するために、とぼとぼと自分の抱えている世界に歩いて戻っていった。ぼく
はぼくのことをやる。彼女だって自分の問題をすればいい。
涙落ちてもキラキラ 思い出になるキラキラ
街の景色もキラキラ 輝いてる
彼の微笑みキラキラ まぶしいくらいキラキラ
わたしの瞳キラキラ もう もどれない
(松本伊代「TVの国からキラキラ」作詞糸井重里 1982年)
1996年、32歳のぼくはニフティ・サーブの電子掲示板、「売ります、買
います」のコーナーで、長い間絶版だった松本伊代のCDが売りに出されている
のを発見する。何かがぼくを打ちのめし、すぐに発注の手続きを取っていた。
届けられた料金着払いの宅急便のダンボール包装を破り、急いで銀盤をCDラ
ジカセに乗せると、彼女は14年前と同じ鼻にかかったキュートな声できゅんき
ゅん歌った。これだよ、ぼくは思った。彼女は相変わらず、大人でなければ子供
でもない、魔女の国の普通の子だった。きっとこの瞬間のためにだけ、彼女はぼ
くの三角印のプレイ・ボタンを待って、14年間眠り続けていたのだ。ぼくには
わかる。わがスリーピング・ビューティ。
涙は出なかったけれども、それに近い感情は溢れた。たぶん、そのときぼくを
満たした感情は、いわゆる「熱き想い」なのだろう。もっとまともな呼び名で呼
んであげたいのだけれど。
ただ、14年前と違って、松本伊代を共有してくれる誰かがどこかにいるとは
思えなかった。ボブ・ディランが予言したように、時代はまったく変わっていた。
コム・デ・ギャルソンの黒に群がる人はあまりいなくなっていた。
ぼくたちの世代はフェレやアルマーニなどよりリッチな海外ブランドに、若い
子たちはもっと汚くて、もっとタイトで渋谷的な、アメリカンでストリートなカ
ジュアルに流れていた。ナイキのスニーカーとプリント・クラブと小室哲哉。そ
う、どの世代も自分たちのヒーローをヒット・チャートに送り込む。そして、ぼ
くが比較的好きな小沢健二は決してベストテンには入らなかった。
ねえ、君たちもいつか、ぼくのように疲れるんだよ。ぼくも、君たちもそのう
ち64歳になるんだよ。何十年も過ぎたら、日比谷公園のベンチでブック・エン
ドのように座って日光を浴び、飛び立つ鳩を眺め、静かに時間を潰しているかも
しれないんだ。想像できるかい?
彼女に再会したある明るい日の午後、ぼくはひとりぼっちだった。ただ、その
孤独は妙に心地好かった。たぶん、ぼくだって変化していたのだ。色々なことに
慣れたのだ。
それから明るいクリスマスが過ぎ、一年が終わり、ストップ・ウォッチで計る
ように新年が訪れた。毎年のバレンタインの馬鹿騒ぎをスロー・モーションで見
るように通過し、ホワイト・デーを黙殺し、去年と同じ日に誕生日が来て、また
ひとつ歳を取った。1997年、33歳。そして、もう2週間もしたら、ぼくら
の2世帯住宅の増築工事も、ぼくらの結婚式も披露宴も、引っ越しも終わってい
るだろう。
さまざまなことが、空いた道をタクシーですいすい帰るときみたいに、順調に
流れている。未来が明るく感じられる。こういう感触は本当に久しぶりだ。こう
いうのってお前の高校受験以来だなと父親が言ったけれど、確かにその通りだと
思う。これからが大変だよと忠告してくれた人もいたけれど、なに、これまでに
比べたらどうということもない。
ぼくは今、楽観している。非常に確信犯的に、楽観している。だって、ほかに
何ができる。辛く苦しいことだってお決まりのようにやってくるだろうけれど、
なんとかするさ。だって、今まで生きて来たんだもの。
それでもあるとき、ある疑問が頭をかすめる。
ぼくは今でも松本伊代のために死ねるだろうか?
わからないな。
でも、もしも本当にそれができたならば、ぼくはとても幸せだと思う。
本当にそう思う。