恩田(もみあげ)教聖典  
「局の書」 
(電脳版)
 
   翻訳 畦倉充隆*(1)(1981.11/11)

 第1章 1 宇宙が未だ混沌としていて天も地も星もなかった頃、唯一「もみあげ」
があった。2 「もみあげ」は先ず、己の姿をかたどって恩田耕自*(2)を造った。3
はじめの頃、恩田耕自は顔も身体もなく、唯もみあげだけであった。第一日目であ
る。
 4 恩田耕自がもみあげだけなのを「もみあげ」はよしとせず、もみあげの一本
を抜いて、それで顔を造った。5 そのとき、恩田耕自は言った。
 「これこそわたしの、もみあげのもみあげ、
 ひげのひげ、
 もみあげからとったものだから、
 これを顔と名付けよう」
 6 そのときこぼれてしずくが切れず、そのまま顔となった。第2日目である。
 7 第3日目、唐突に印刷機が現れた。8 恩田耕自はそれを使い印刷を行った。最
初の印刷である。9 すると、3台のギターと、ドラムセットと、ダーツの矢が生ま
れた。10「もみあげ」は最初の印刷が行われた場所を「局」と名付け、第3日目を
祝して聖なる日とした。(訳注・現在の水曜日に当たると思われる。今(1981
年当時)でも月に一度、 この「聖なる水曜日」を祭る習慣がローズタウン*(3)4
階に残っている。最近の調査によると、初期には毎週祭りが行われていたが、時の
たつに連れ2度となり、遂には今の形になったということである)
 11「局」は次々と触手を伸ばした。その先々に落研、新聞部、軽音、JRC、理
科部等が生まれた。 12 それらが集まって、旧館をかたちづくった。第4日目であ
る。
 13「もみあげ」は恩田耕自に活動の場として旧生徒会室を、休息の場として、生
徒会倉庫を与えた。 14 恩田耕自が生徒会倉庫でバスドラムを24回踏むと24人
の全校委員*(4)が生まれた。 15 また、スネアドラムを11回叩くと、11人の執
行委員が生まれた。16 そして、ハイハットを7回叩くと、4人の総務*(5)と、議
長と、2人の会計が生まれた。第5日目である。
 17 恩田耕自がドラムを一小節叩くたびに旧館は分裂を繰り返し、
やがて全世界となった。第6日目である。

 第2章 1 こうして恩田耕自は世界を完成し、7日目にボンベイ*(6) でカシミ
ールを食した。世界で最初の昼食である。2 こうしてボンベイは、聖なるカレー屋

となった。3 その後、恩田耕自は9人の弟子とともにWG(訳注・ホワイト餃子の
ことか?)で宴を催した。4 9人の弟子とは、スケ・ムー、シメギ、モリヤ、アゼ、
オスギ、ギチ*(7)、ヨーダ、ライオンマル、ナベである。
 5 この宴において、恩田耕自は常盤平第2小学校*(8)の校歌と緑葉歌*(9)を歌っ
た。 6 こうして、この二つの歌は聖なる歌となった。7 恩田耕自は、場所代*(10)
と餃子代を払い、WGを聖なる餃子屋として祝福した(訳注・おごりの発祥である
ことはいうまでもない)。

 第3章 1 9人の弟子のうちのひとりが次のように説いた。2「我々は印刷をし
ながら一週間、ギターを弾きながら一週間修業をし、ついに「知恵」を完成し、悟
りを得た。それは次のようなものである。3 宇宙に存在するものの全ての実体は、
結局3つでしかない。すなわち、原紙と、ざら紙と、印刷機である」
 4 次の一人が言った。5 「しかもその3つの構成要素は、たった一つでしかない。
それは、「印刷」である。6 万物の根源は「印刷」なのである。
7 また、次の一人が言った。 「では印刷とは何か、それは事務局である。では事
務局とは何か、恩田耕自である。では恩田耕自とは何か、それはもみあげである。
すなわち、宇宙の実体はもみあげなのだ」
 8 次の一人が続けた。 9「原紙はもみあげに異ならず、もみあげは原紙に異なら
ない。 10 原紙は即ちもみあげであり、もみあげは即ち原紙である。
11 ざら紙も、印刷機も同様に、ことごとくもみあげなのだ」
 12 さらに、次の一人が説いた。 13「この世の存在はすべてもみあげであり、そ
れ以上でもそれ以下でもありえない。 14 こうして我々ははじめて、宇宙のあり方
を正しく理解できる。15 生きることも、老いることも、病むことも、死ぬことも、
すべてはもみあげである」
 16「もみあげの理解だけが、人々を救う道である。
17 もみあげに達すればこそ
心のくもりがなくなり、くもりがなくなるから恐怖がなくなる。そして一切の錯覚
から離れることができる」
 18 6人目の弟子がいい終わると同時に、次の一人が言った。
19「そのためには
委員会や生徒総会で発言を重ねなければならないし、クラブにも5つや6つは入ら
なければならない。 20 そして、なによりも印刷ができなければならない。原紙の
かけ方から、ひとつひとつ学んでいかなければならない。
 21 8人目の弟子が言った。 22「我々はすぐにでも事務局誌を完成し、もみあげ
を伝えなければならない。 23 3無主義も、2次会問題*(11)も、意義討論の形骸
化*(12) も、文化祭のマンネリ化も、すべてもみあげに到達していないところから
起こる」。
 24 最後の一人が言った。 「さあ、緑葉歌を歌おう。もみあげに行こうではない
か」。
 25 こうして恩田耕自と弟子たちによって緑葉歌が歌われた。 26 すると、大
空に7色に輝く旧館が現れ、無数のもみあげに分かれた。
 27 その中から大いなる「もみあげ」が現れ、みなを祝福した。

 旧版 訳者あとがき

 これが世界三大宗教の一つに数えられている恩田(もみあげ)教の聖典、「局の
書」の全訳である。
 なぜ、恩田教にはあれだけの根強い信者がいるのだろうか? この「局の書」の
どこにあれだけの力があるのだろうか? これが私の長年抱いてきた疑問であった。
だが、本書を訳しおえた今、それがふっと氷解したような気持ちがした。
 恩田教が言っていることは、みな、ごくあたり前のことばかりである。あたりま
えすぎてつい見過ごしてしまうような、そんなことばかりである。こういう日常に
潜む価値を一つ一つ説いていく恩田教が、民衆の心をとらえて離さなかったのは、
やはりあたりまえのことではないだろうか。恩田教の深さを見せられた思いである。
 恩田教には、まだ沢山の謎が残されている。第2の聖地はどこにあったのか、世
界で最初の印刷機の機種はなんであったのか等々、恩田教に関する話題は尽きそう
もない。
 もちろん、こういったことがらは研究が進むにつれて次第に明らかにされていく
だろう。例えば手賀沼の底から発見された「手賀沼文書」*(13)----弟子の一人、
ギチの書と思われている。有名な「太陽の上の恩田さん」、「ON打算」、「恩田
のオは、ロリータのロ」等*(14) の言葉が見受けられて興味深い----の発見、ある
いは、旧正門遺跡の発掘調査など、この分野の最近の発展には目を見張るものがあ
る。
 私の杞憂かもしれないが、最近どうも恩田教の学術的側面ばかりがもてはやされ
て、初期の素朴な心が見失われているような気がして仕方がない。これではいけな
い。民衆とともに育ってきた宗教なのだから、研究者はその心を大切にして欲しい
と願う。
 本書が、あなたのもみあげの世界に入る一つのきっかけになってくれれば、訳者
としてこれ以上の喜びはない。

                  1981 11/11  訳者しるす


 電脳版のあとがき

 電脳版「局の書」の脱稿を終えて*(15)、素直に嬉しく思う。
 旧版より17年もの年月が経ってしまったことには唖然とするほかないが、その
長い時間の間に媒体は、手書き原稿、ワードプロセッサ、ペーパーレスな電子メ
ディアと進歩発展していったにもかかわらず、恩田教を取り巻く状況自体はほとん
ど何も変わらなかった。これにはさらに唖然とするほかないのかもしれない。
 80年代の初頭には70年代はなかったとささやかれ、90年代の初頭には80
年代はなかったというのが一種の常識となっていた。このままでは2000年代に
90年代はなかったと言われるのは目に見えているといったのは、旧版が掲載され
た1982年度の千葉県立東葛飾高等学校生徒会誌「柏葉」の編集長の木村立哉だ
った*(16)。きっとそうなるとぼくも思う。存在したのは60年代だけだったのだ。
 いまだにみんなの大好きな音楽はビートルズで、いまだにアンディ・ウォーホ
ルは巨匠だ。ヒットチャートをにぎわす曲は全部ロックで、高校生はいまだにリー
ヴァイスをはいている。
 歴史的に大きな区切りは60年代だけだ。その「60年代」という大きなフォル
ダのなかに、個別の「60年代」と「70年代」と「80年代」と「90年代」
いうファイルが分類され、並んでいるのだろう。書類棚の段が変わったわけでない。
 この、インターネットと電脳の時代に恩田教がどう生き延びるかというと、はじ
めに書いてしまったように、本当に、まるで何もかわらないだろうと思う。この
予想はきっと的中するだろう。興味深いような気もするし、やはりなんの興味もわ
かないような気もする。

 電脳版「局の書」の発行のきっかけをつくってくれた、広島市立大学の情報工学
科の越智裕之君*(17)に感謝する。

                1998年6月22日月曜日
                           畦倉充隆




【校正者註】


(1) 翻訳 畦倉充隆: アゼさん(1964〜)である。じぶんで書いといて「翻訳」と
は、山本七平の影響。
(2) 恩田耕自: 中学高校の先輩。1963年7月4日に生まれて。ハゲ。
(3) ローズタウン: 1979年に開店した柏高島屋SC。現存せず。初日はわが校の生
徒で充満し、すべての授業が成立しなかった。
(4) 全校委員: 3 学年8 クラスから選出される生徒会代議員。
(5) 総務: 生徒会総務。生徒会長、副会長 2名、事務局長を指す。
(6) ボンベイ: わが校 O.B.鈴木忠夫(1935〜)の店。妻ケイコ、娘も同校O.G.。
サンプラザ中野御用達。
(7) ギチ: 木村立哉のこと。2 期議長を務めたためついた愛称。その後星占いで、
「役職に由来するニックネームは、幸運を呼ぶ」とあり、嫉妬され、廃止。
(8) 常盤平第2小学校: 恩田耕自母校。常2。ショムニでなく。
(9) 緑葉歌: わが校の裏校歌。旧制中学寮歌風。
(10) 場所代: ホワイト餃子柏店 2 階の畳個室席は有料だが、1時間 300円が 18
年間据え置き。
(11) 2次会問題: 合唱祭、スポーツ祭、東葛祭(学祭)の後、自主的に開かれる。
1年生の親が「うちの子が帰らないんですが」と電話したことを発端とする1981
年の騒動。生徒会が自主規制ガイドラインをさだめたが、当日、わたしたち生徒会
役員は一升瓶を下げて神社へ逃走。
(12) 意義討論の形骸化: 合唱祭、 スポーツ祭、東葛祭のさいに、いちいち各クラ
スで討議される民主主義の夢の一形態。当然形骸化する。
(13)「手賀沼文書」: 死海文書の千葉版。
(14)「太陽の上の恩田さん」、「ON打算」、「恩田のオは、ロリータのロ」等:
すべて恩田さんをめぐる 1980〜81年当時の木村立哉の冗談。
(15) 脱稿を終えて: これでは、馬から落馬、頭痛が痛いの類い。
(16) 木村立哉だった: その発言じたいは、1990年代以降のもの。
(17) 広島市立大学の情報工学科の越智裕之君:助教授。 松戸市立根木内小学校2
年1組いらい小中高と、木村の同級生。

つかれたぞ。


(註・木村立哉)