2000年5月23日火曜日
2000年4月17日月曜日
(久しぶりに、コクヨの小さめなノートブックを買って、移動中に書いてい る) こんな風にペンを使ってノートに書き込むこと、しかも移動中にすることは 実に久しぶりだと思う。大学時代以来かもしれない。それは10年以上前という ことになるのだろう。 10年経ってもまるで変っていないということが、しみ じみと実感できる。先日大学時代の友人の文章をたまたまネット上で発見して、 随分と大人になったのだなあ、落ち着いているなあ、安定してきたんだなあと 感心した。それを読んでいるだけで、自分が場違いなガキに感じられて、居心 地の悪さを感じたほどだ。 それではこの10年分、ぼくが何をしていたかというと、機能しなくなってし まっていた自分と、それを包む環境を修復していたのだと思う。それは言って みればマイナスを埋める作業で、ぼく自身をプラスに押し上げることは残念な がらできていなかった。たとえば文体ひとつとっても、ぼくは10年前とほとん ど変っていないのだ。まったく何てことだって、自分ながら思う。 今は少しは動けるようになっている。10年間の廃人の状態に比べれば、はる かにましになっている。ただ、ある意味では、新しいことはなにも起こってい ないともいえる。 まあ、こんな場所からの脱出のための準備だけに費やした10年だったのだと は言えるだろう。 やはりキーは高校時代だったのだろうな。あの頃おぼろ気に、しかしその反 面非常にくっきり見えたものを、ぼくは受験勉強に着手する過程で手放してし まったみたいだ。大学時代を通して、どうにかそれを取り戻そうとあがき続け て、もう一息という感じが出たところで崩壊する。まあ、そういったことの折 り返しで、そのうちにぼくのことを完璧にといっていいほどぶち壊してしまっ た、あの就職活動活動が来る。 あれは本当に恐ろしいものを見たという感じだった。この日本国という共同 体の中に自分を受け入れるための場所なんてないということを、まざまざと見 せつけてくれた。全く感謝するよ。 現実を知るということ葉、確かに人生の運営上最も重要なファクターのひと つではあるが、それにしても病み上がりの人間からあんなに、何もかもばりば りと引き剥がしていかなくもいいじゃないか!、とか今でも少し思うくらいだ。 ぼくは、鮫を騙して皮を全て剥がれてしまった、神話に出てくる白い野ウサギ みたいになって、寒風のさらされ、すっかり風邪をこじらせてしまった。 今、ぼくは高校時代、地平線の上空にくっきり見えていたあのステージの上 にようやくたどり着けるんじゃないかと、本気で期待している。 しかし、ネット上で見かけた古い友人の文章は、全く素敵なものになってい た。昔はややおどおどしている傾向があり、そのことた文章を不安定で、やや 鈍いものにしていたものだが、今はクールで、インテリジェントで、しかもパ セティックで、しかも見事なほどにみずみずしいのだ。 36年間もこの国で人間をやってきて、信頼できる大人のサンプルをほとんど 見かけたことがないという、すごく嫌な体験からの傷も手伝ってか、このネッ ト上の再会はぼくを、さわやかな感動でぼくを打ちのめしたのであった(書い ていて、自分でもわからなくなってきた)。 ネット上の意外な再会というものが、実はもうひとつあったのだが
まあ、やってきました。予備校の授業。初日。
アドリブ、アドリブ、アドリブ。英文解釈でした。
予備校に決められているカリキュラムとか、結構無視しちゃったけどね。
でも、ここをカチッと押さえておかなければ、英語がいつまでもリアリティのない、
生々しくない、判断基準が自分の外側にある異物になっちまう。
やっぱり基礎は、思い切り説明してしまう。とことんね。
じゃなきゃ、上司の判断を仰がなければみたいに、参考書見なきゃわかりません、になっちまう。
悪い意味での、お役人みたい。
でも、決めるのは、キミさ。キミの体感。
勉強の奴隷になるのは止めなさい。主人になりなさい。
判断するのはキミ、キミの身体、キミの体感。
疲れた。へとへとに疲れた。死むぅ!
移動の地下鉄の中で、深く、深く眠り込んだ。
遠近法の中の無限遠点みたいに、世界の視座を支えているポイントがある。
自分の意識の焦点をなんとかそこまで掘り起こしたいのだが、
デカルトが、一夜にして全部ひっくり返したみたいにね。
でも、なんというか、曖昧のまま。燃えかすがぶすぶす燃え残ったまま、
でも全然届かないで、うろうろうろうろ、門の中に入れないまま、
門の外のまま。
でもわかっているんだよ。やったことだって、何度もあるんだよ。
ああ。
今日の夜も「エヴァ」を見て、「ルパン3世」を見て、いったい何を確認しようと思っているのだろう?
でも、そこにぼくがぼくになっていってプロセスが眠っていることだけは確かなのだ。
掘り起こして、再確認して、再構成していかなければ、このまま埋まっちまう。
うずく。うずいているのだが、つながっていかない。
呼んでいる。確かに呼ばれているのだが、つながっていけないままだ。
ああ、くそう。いらつく。
2000年4月16日日曜日
出来れば毎日更新したいと思っている日記が、また更新できていない。
まいったなあ。嫌だなあ。困ったもんだ。
何でホームページなんてはじめたかって、ここのところずっと考えていたのだけれど、
結局、自分を、そして自分の境界線を確認したいんだとわかった。
だから、どの部分をどのように自己確認したらいいか、焦点が合わせせられてないのだなと
気が付く。
昔書いていたものとか、引っ張り出してきて、眺めて。
昔から好きだった本のことを思い出してみて、読み返してみて。
クローゼットの中のシャツのさまざまな色、オレンジ、軽いブルー、くっきりとした緑、
ほのかなピンク、くっきりとした赤、などを眺めなおしてみて。
たくさん行ったレストランの数々をリストアップしてみたり、
自分がどうやってここまでやってきたのか、
現在の自分がどんな出来上がりになっているのかを、再確認してみて。
つまり、今の自分は、もう一度全部、すべてを組み立てなおしてみたいと思っているのだと、
何か、すごくはっきりわかる。
今まで、本当にいろいろなことに引っ掛かってきていて、
その引っ掛かりが明確なリアリティに行き着かないまま散乱してていて、
ある部分では要素と要素の間に隙間がありすぎ、ある部分では重なり合ってごちゃごちゃに混じり、
あちらこちらに淀みが出来、渦巻き、スムーズに流れなくなってしまっている。
ソ連崩壊後のロシア連邦の物流みたいにね。
さまざまセラピーの本、NLP関係とか、気功の本、ヨガとかの身体技法の本とか
昔読んだ哲学の入門書、調理法の入門書、英文法の本、
ぺらぺらめくって眺め、読み返し、
決定的な影響をくらったビデオ、
「ルパン3世」、「ロング・バケーション」、「新世紀エヴァンゲリオン」なんかを
夜中に何度も何度も、繰り返し見返して、
これからうまく分岐点の選択肢を選べるように、
いったいどんな分岐点がありうるのか調べなおし、
自分が今までどんな分岐点で、どんな選択肢を選びながら生きてきたのかを、再確認。
何でも、とにかく思いついたことをB5のリーフに、ただ、どんどん、思いついた順番に、
何枚も何枚も書き付ける。毎晩。
上手には書けてないけれど、そんな感じ。最近の感じは。
明日は予備校デビュー、初授業です。
予備校講師ですね、明日から。すげえ!
でも、全くなんの準備もしていない。テキストすら見ていない。
だいたい、明日、なんの授業だったっけなあ。
解釈だったっけ? 文法だったっけ?
まあ、当日アドリブでやるから、どっちでもいいのさ。
うーん、なんかなあ。
その後、3時から、ひみさんの授業。
2000年4月7日金曜日 その3
髪の毛、ぼさぼさ。
今から仕事、妻と待ち合わせて、それから代官山、boyに行ってきます。
お金がなくて、行けなかったのよ。
それはまあ、それで、趣のある髪型になってきてたから許してたんだけど、
うん、だって、しばらくこの長めの線でいこうと思ったもんね。
でも、限界! もう、あじわいなんてないっ!!かけらもない。
切ります、切ります。借金してでも。ね。
神保町で待ち合わせてるから、何食おうかな?
あそこは、いくらでも行きたいところがある。
小学生の頃から出入りしてるから、まあ、庭みたいなもんだもんね。
最初に入った会社でも、用事のついでにいつもそこでサボってた。
遅いって怒られたけど、でも、会社より神田の方が好きだったもんね。
その会社はクビ同然で、半年で辞めました。
すごく雰囲気のいい会社だったのに…
2000年4月7日金曜日 その2
悲鳴をきちんと叫びたい。
それなりに近い線は、まあ、何か、出てないわけではないけれど。
でも、こんなもん、ぼくの悲鳴じゃ、ないじゃん。
2000年4月7日金曜日
停滞していたからなあ。
動かない。なんか、止まってしまう。
まあ、なんていうかねえ。
結構あちこちから、日記更新のリクエストが来ました。
嬉しいといえば、さすがに嬉しい。嘘ではなくて。
でも、若干のプレッシャー。
というか、多分、もっと、少しだけ違ったもの。
ぼく自身のぎりぎりじゃなくては、何もしたくないのよ。
何も出来ない。
ほんと、ほんと、ほんと、ほんと、でも絶対違うんだよ。
とにかくさあ。
殺してやりたい! 誰を? 何を? 全然わからない。
でも、本気だよな。実感はリアルだ。本気でうんざりしてるんだと思う。
本当に殺してやりたい。潰してやりたい。
何もかも、かけらも許す気はない。
こんな気持ちの行き先は、どこにも見つからない。
でも、世界全体を道連れにして、
どんな核兵器よりも鮮やかに、世界全体をすり潰したい。
何を書いたら良いの?
誰に何を伝えるつもりなの?
2000年3月25日土曜日 明け方、5時半過ぎ、少し寒い
昨日はほのかに雨が降って、麻布十番の街は古い漢字みたいに鬱蒼としていた。
いつものように靴屋は安売りをし、干物は売られ、鯛焼きや人形焼も売られ、
スターバックス・コーヒーの店先では
アイスコーヒーや、フロートが複数の外国人女性によってつつかれていた。
妻は食後のデザートにりんごをひとつ買って齧ったが、その部屋は、本当は飲食禁止だったらしい。
今日の夕食はカレーうどんだった。
先週の木曜日に、ぼくは英語の授業中にビーフシチューの準備をしていた。
赤ワインと、セロリとたまねぎと、にんじんとニンニクにつけていたバーゲンの牛肉は
たとえチルド・ルームに放り込まれているからといって、いくらなんでも限界だったのだ。
ざるで赤ワインを漉し取り表面をペーパタオルでぬぐって、フライパンで焼き色をつけ、圧力鍋に移す。ワインも移す。
さっきの野菜群を肉を炒めたフライパンで炒め投入、トマト缶も投入。鶏がらのストックも入れる。加圧。放置。
ここまでやったところで生徒さんが登場、授業時間となってしまった。
このままでは晩御飯に間に合わない。彼女の了承を取り付け、
シチューつくりの続行と並行しながら、英語の授業をした。
英文を読んでもらい、滑らかさの度合いをチェックしつつ、
圧力鍋の中身を漉し、肉を別皿に取り分ける。
訳してもらい、滑らかさの不足している個所を逐一原因込みで指摘しつつ、
残った漬け込み用の野菜を汁に入れ、バーミックスをかけ、シノワで漉す。
ほぼ仕上がった英文を、身体レベルで滑らかに定着させるために何度か音読してもらっている間に、
できたものに肉を再投入、にんじん、じゃがいも投入、とろみをつけるためにじゃがいもを2個すりおろして入れる。
そういえば、前、いつもこんな風だったなあ。
とある社会人の女の子が、3ヶ月で中1から高2までの英語を集中して仕上げるために、
週5日、一日5時間の特別レッスンを受けに来ていた。
この時間割は、向こうにもこちらにも結構きつく、
結局ぼくは、彼女がやってくる時間にはいつも朝食の準備をしているという風になってしまっていた。
彼女も最初は遠慮していたけれども、結局、朝食も昼食もぼくの作ったものをみんなで食べるのが習慣となり、
3ヵ月後には彼女は、英語の他に、いくつかのレシピとコツをおぼえて帰ることになった。
彼女は殊に、ぼくの作った炒飯がお気に入りだった。
味の秘密は、中華なべとその大きな中華おたまなのじゃないかと、いかにもありそうで、
やはり間違っているであろう推測をしてた。
「英語が身に着いただけでも、本当はすごいんですよねえ」と、
ややバランスを見失った、でも結構ぼくを嬉しい気持ちにさせる間違ったコメントを残して、彼女は全過程を終了させた。
何年前のことだろう? まだ、離婚も、再婚もしていなかったころだ。
それ以来、うちの英語教室では、
運がよければ先生の手料理が出て来るというのが、伝統みたいになってしまっている。
そのビーフシチューの残りが、数日後には欧風カレーに化けた。
鍋にオリーブオイルを温め、クミンシード、マスタードシード、カルダモン、シナモンスティックを
投入しスパイスオイルをつくる。
クミンが弾けた時点で、ブレンダーで細かくしたたまねぎを2、3個入れ色づくまで炒める。
にんにく、しょうがをおろして入れ、トマトはシチューにしこたま入っているからパス、
C&W社のカレーパウダーを入れると気持ちの良いグレービーが仕上がっている。
そこに残りのビーフシチューを入れ、煮込み、マサラで仕上げて、できあがり。
美味しかったけれど、予想よりもスパイシーなものになってしまっていた。でも、こどもも二人とも食べた。
さといも、にんじん、ごぼう、干ししいたけ、鶏肉を煮込んだときのだし汁の残りと、
おでんの汁の残りが取ってあった。半分はひじきを煮るのに使ったっけ。
それをカレーソースの残りと混ぜ、無添加そばつゆ、しょうゆ、酒、みりんを足し、
ねぎを入れたのが、今日食べたカレーうどんの汁でした。
まあ、それだけのこと。
麻布の街から打ってきた、妻の連作のショートメールが
うまくいえないけれど、あまりにもじわっと、しみじみと染みてきて、何度も何度も読み返してしまった。
回復してきてるよなあ。
この文は、半分はぼくの陰謀で、めいどさんの掲示板にアップしてあります。
2000年3月24日金曜日 曇りとか雨とか。風と、寒さ。
こどもたち(註:3歳、4歳。女の子。血がつながっていない)とままごとをする。
上の子が「自転車のお母さん」、下の子が「自転車の赤ちゃん」、ぼくが「自転車のお父さん」の役だった。
「自転車のお母さん」は、むずかる「自転車の赤ちゃん」にミルクをやっていた。
この間は、柏の百貨店の入り口のところで別のままごとをした。
上の子が「鬼のお母さん」、下の子が「鬼の赤ちゃん」、ぼくが担当させられた役は、「鬼のお父さん」だった。
ままごとではいつも、ぼくは「お父さん」をあてがわれる。
上の子も、下の子も両手の人差し指を立てて、鬼を表現していた。
ミニチュアみたいなてのひら!
じゃんけんのチョキから一本指を抜いた形のカーブが額の両サイドにちょこんと並んでいた。
そもそもが鬼ごっこから派生した遊びだったから、百貨店の大きな柱に身を隠し合いながら、
30分以上、ぼくも走り、彼女たちも走り、バスが来るまで、ぜいぜいいうまで3人で走り続けた。
35歳にはきついとも思ったけれど、運動不足解消には確かにいいかもしれない。ジョギングよりははるかにましだ。
ドパーミンやエンドルフィンの出がいい。
その直前にはデパートのカバン売り場や、階段や、洋服売り場で鬼ごっこをし続けていた。
人が込み合い、適切な障害物が並んでおり、視線は遮られ、子供と鬼ごっこをするには、かなり理想的な環境だった。
ディナータイムに子供たちが仕掛けてきた遊びは、ルパン3世ごっこだった。
ぼくがルパンで、妻が不二子ちゃんで、子供たちは次元だの、五右衛門だのを代わりばんこにやっていた。
上の子が、なぜか銭形警部を気に入って、いつまでもそれをやりつづけた。
下の子は五右衛門が好きで、いろいろなものを切って見せるのだけど、
その度に口から出てくる効果音は「じょきじょき、じょきじょき」、斬鉄剣というよりは明らかにはさみの音だった。
指を見ると、じゃんけんのちょきが開いたり、閉じたりしていた。
「じょきじょき」じゃなくて、五右衛門は「しゃきーん」でしょ、と指摘してやると、彼女は「しゃきーん、しゃきーん」と
おおはしゃぎで様々なものを切り続けた。「しゃきーん、しゃきーん、しゃきーん」。
「そういえば借金がたまって来たね」といったら、妻の顔が暗くなった。
五右衛門の指先は、ちょきのままだった。
ぼくは何度も何度も、「こぉーんばーんわぁ、ふーじこちゃん」と、山田康雄の真似をさせられ続けた。
こういうのが好きなのは、上の子だ。