回復日記(草稿・ダイジェスト版)
00/06/02(Fri)

最初に暮らしたアパートは、6畳と4畳半、
それにダイニング、お風呂、
トイレという間取りだった。
4畳半には彼の机と本棚があって、一応彼の部屋になっていた。

しかし、そこに住んでいた1年半の間、
ただの一度も彼は自分で掃除機をかけたことは無かった。
自分の部屋だけでなく、もちろん家全体も一度も掃除をしなかった。
結局、私の方が根負けして、先に掃除をしてしまい、
狭い家の中のことだったから、

いつも彼の部屋も一緒についでにやってしまっていた。

トイレ掃除もしたことなど無かった。
私は洗濯は好きなので、それは構わなかった。
お風呂はたまには洗ってくれたかな?
食器洗うのも時々はやってくれたね。

でも、なんか「おかしい?」と心の底では感じていた。

彼は、インテリな人間で、フェミニズムも理解していたはずだった。
しかし、行動を見ると、どうにもフェミニストには見えなかった。

お互いまだ学生同士で、全く対等なはずだった。
しかし、よく見ると「家事は私」という役割分業になってしまっていた。
自発的に、何か家事をしてくれたことなど皆無だった。

彼が就職して、私もしばらく仕事をしていなかった時は、
それも仕方が無いと特になんとも思わないでいた。

でも、保育園でフルタイム働き出しても、彼の態度は全くそのままだった。

彼自身も、内科の研修医で大変な時期だったのも確かだったが、
私自身も、もともとあまり体が丈夫じゃないところに、
大勢の一歳児に振り回され、疲労し切っていた。
お互いの大変さは変らなかったと思う。

しかし、彼は全く家のことなど考えもしなかったのだろう。
そして、もちろん私の事も。

何から何まで、全て彼はノータッチだった。
何から何まで、全て私が負担していた。


離婚直前の話し合いの中で、その頃のことについても触れたら、
「あの頃は、大変な時期だったから、
自分はやらなくても許されると思っていた」
と彼は言った。

なんと言うことだろう!!

そんなことは、口に出して言わなければ、相手には伝わらない。
自分だけで、勝手に思っていたって、それは合意にはならないのだ。

しかも、そこにはどこにも「相手」や「お互い様」
そして「思いやり」というものが存在していない。

あなたが大変だったのはわかる、でも私の大変さは?
お互いにお互いの大変さを分かち合えば良いのに。

そこには、全く気持ちの交流など無かった。

彼には、私が何を考え、どんな状態であるかなんて、想像もしなかったのだ。
彼には自分自身しか見えていなかった。
そして、何も言わなくてもわかってもらえる事を期待していた。
彼はただ一方的にケアされるだけ立場で、
自分が相手に何かしてあげるなんて発想は皆無だった。


彼にはきっと、「お互いさま」という概念が無かったのだろう。



私は、孤独だった。
ネグレクト(放棄)されていた。


子供が生まれてからも、ある程度子供らが大きくなったら、
仕事をしたいと思っていた。
彼も「そろそろ、子供を保育園に預けて仕事したら?」と言っていたが、
そんな彼とでは、とてもじゃないが踏ん切りなどつかなかった。
きっと、家事も育児も全部私が負担して、
さらに仕事もなんて、絶対不可能に違いない!と思っていた。

彼は、ほんのわずかでも「自分も悪かったけど…」
という謙虚さが全く無い人だった。

自分は相手を踏みにじるくせに、自分は一方的な被害者だと主張する。


パソコン通信について、彼から文句が出た時があった。

おそらく彼は疎外感を感じていたのだろう。
同じ部屋に居る時に、私が通信するのを嫌がった。
けれども、彼と違って私には自分の部屋が無かったから、
リビングでするしかなかったのに。

あの頃は、朝起きるとフォーラムを巡回して未読のログを落とした。
それを読んで、レスをつけたいのに仮チェック。
一通り新聞を読んでから、家族を起こす。

ちょうどすることが空いて、
まだ彼が出かける前に、ログに目を通していることもあった。
さすがにレスを書くことはしなかったけど。

それが気に入らないようだった。

日中も時々、巡回してレスを書き溜めたりしていたけど、
本格的に書き込みをするのはいつも真夜中だった。

夜に子供達を寝かしつつ、自分も一緒に一眠りしたあと、
0時過ぎに起きだして、未読ログのチェックとレス書きで、
毎晩3時くらいまで起きていた。

ちょうど私が起き出すのと入れ違いに、
彼が書斎から寝室に移動するのが常だった。


寂しかったのかも知れない。
だったら、そうと言えば良いのだ。
「一緒に寝よう」とか。

気持ちの交流が無いというのなら、話かければ良いのだ。
それを拒絶する気なんて全く無かったし。

けれども、彼は全く受け身な人間だった。
自分からは何も行動を起こさないくせに、
相手の方からばかりしてくれることを望み、

そしてその通りにならないと不満に思い、責める。
全て相手のせいにする。


椅子に座ったまま、自分からは立ち上がろうとしない「王様」。


私がちょっとの間パソコン通信するのも、
「ちょっと一服」のタバコと同じ気分転換だった。
自分は、タバコだって吸うくせに…。


リビングに一緒に居ても、本を読んでいて、全くこちら側に意識を向けずに
自分の世界に入り込んでいる時が良くあった。
自分はどれだけ、他者を疎外しているか考えもしなかったのだろう。


以下は、その頃、友人に送ったメールの引用。離婚二ヶ月前の夏。





SUB:只今、ケンカ中です!

Hさん、こんにちは。茜です。

今、私、怒ってます。
彼が謝るまで、口をきかないつもりです。

事の起こりは、お風呂でした。
今日は、めずらしく久々に、彼がお風呂を洗ってくれたんです。
いつもは、今は夏なので、シャワーで済ませてるのですが…。
(お風呂洗いは、一応彼の仕事になっています。)
うちのお風呂は、追い炊きが出来ないこともあって、
冬場は良く、家族みんなで入ってました。

ところが、いざ、お風呂だ〜!と言う時に、
彼が入らないと言ったんです。
最近は、私だけが子供を入浴させてるので、
お湯を張った時くらい、彼に入れて欲しかったのに…。

私「お風呂入らないのぉ?」
彼「入らない」
私「どうして?」
彼「嫌だから」
私「嫌って?」
彼「せまい」
私「?!」


ここで一旦彼の書斎から立ち去り、再び戻って
私「そんな事言ったら、一生子供とは入れないって事?! 入ってよ!」
彼「嫌だ!」

・・・ぶち切れました。
私「私だって、嫌だよ!! もう、知らない!」

彼の部屋から出て、居間に戻って、部屋の電気を全部消して、
寝室で布団にくるまりました。
この時に、すでに娘達は、裸でお風呂場にいて、遊んでいました。
まだフタは閉めてあるし、廊下をはさんで彼の部屋だから、
危なくはないだろうと思ってました。

ふて寝してやるつもりでした。
私が居なきゃ、彼も折れるかもしれない…。

でも、少しすると、子供達が騒ぎ始めました。
部屋にも私を探しに来ました。
「とおたんに、お風呂入ってもらいなさい!」と言って
向こうに追いやったけど、彼は入りそうな様子がないようなので、
子供達にあたっても仕方がないし、部屋から出て行きました。
(彼もいつもよりも強情だった)

しかし、彼も少しは後ろめたかったのか、
子供がお風呂から上がると、進んで手伝っていました。
でも、私は今日は全く彼に声かけはしませんでした。
自分だけで、全部やってしまうつもりでしたから。

その次の歯磨きも、次女は少なくとも彼の担当だったのに、
このところ、「たあ〜たん」と子供が言うのを良いことに、
全然やってくれてませんでした。
なのに、自分から積極的に子供を誘ってやってました。
子供も、今日は、長女でさえすんなりと、
とおたんにやって
もらってました。
(どういうこと〜?!)

彼は、リブレットを手にいれてから、ずっと環境設定にのめり込んでました。
子供とも、あんまり向き合わないし…。
ようやく、ひと区切りついて、落着いたみたいだけど…。
その間、ずっとなんとなく、不満だったんです。

そういう前段階があったので、爆発しちゃいました。

今まで、絶対ケンカしても、自分から歩み寄ってしまっていたのだけど、
今回は向こうから謝らない限り、折れないぞ!
慣れないことをするので、気合入れて、口を閉じています。

子供を寝かしてから、明日はきものなので、留守中の食事の支度をしてたら、
彼が通りがかって、話し掛けてきたけど、何も答えませんでした。

明日は、メモに子供の取り扱い説明書を書いて、出掛けるつもりです。
うちを出る時も、彼に声を掛けないで行くぞ!
(どうせ、彼は寝ているだろうから…)


さあ、明日の我が家の空模様は!

では、また。
 
               <1998・8・23 茜>





SUB:ケンカ話(続編)

Hさん、こんにちは。茜です。

今日は、きものを休んでしまいました。

昨夜は1時過ぎに寝て、今朝は6時半頃起きるつもりでしたが、
眠くって、7時までうとうとしてました。
それから、起き出したのですが、起きた直後は平気だったのに、
少ししたら、血圧がぐっと下がってしまい、
気持ちが悪くなってしまいました。
加えて、起き掛けに飲んだアクエリアスが悪かったのか、
体も脂汗が出る時みたいに苦しくなってしまい、
起きていられませんでした。
まあ、良くこういう症状は出るんですけどね。

私は低血圧なんです。
だいたい、上が100あるかないかで、下が50くらい。
2年前に、朝日新聞の家庭欄で「低血圧症」について
連載していたのですが、それが当てはまるタイプです。

寝起きにも牛乳を飲んでも、苦しくなりますね。
水か、お茶(プアール)なら大丈夫です。
ポカリとかも、飲んだことあったのに…。
水も何も飲まないで、いきなりコップ一杯一気に飲んだからかなあ?

・・・それで、胸も苦しくって、血圧も下がり過ぎて
吐気に近い気持ち悪さだし、寝不足で眠いし…。
初めは、午前中だけ休んで、午後から行こうかとも考えましたが、
結局、全部休むことにしてしまいました。

昨夜の事で、胸が動悸を起こしやすかったせいもあるかも…。
ストレス?!

そのまま、ソファでうとうとしていたら、
9時ごろ、長女が起き出してきました。
しばらくそのまま、うとうとしてから起き出し、
10時前に欠席の電話を入れました。

その後は、ふだんの通り、私が子供を着替えさせ、食事をさせ、洗濯をし…。
でも、一通り済んだ後、またソファで横になっていましたが…。

彼は、ずっと眠っていました。
結局、目を覚ましたのは、お昼過ぎでした。

これで、私がきものに行ってたら?!
でも、そしたら子供達に起こされていたでしょうけど。
だけどさあ、もう少し、気にして目を覚ますとかすれば良いのに!
なんて、思っても、彼は眠りが深い人だから、仕方がないんでしょうけど。
わかっていても、ちょっとムカムカ。


そして、また今日もキレることがありました。

午後になって、彼はカウンターテーブルの上で、パソコンをいじってました。
それで「休みの日位、子供と1時間でいいから、つきあってあげてくれない?
大分前にも、そんな話になってなかったけ・・・?」
と私が言おうとすると、


「うるさい!」

(うるさい?! じゃあ、もう口きかなきゃいいんでしょ!!)
またまた、ブチッ。

しかし、それから大分たって、煙草がきれてしまって買いに行く時に、
子供達を誘っていました。
帰りには少し公園に寄って、遊んで来たみたいだし。
まあ、ゆるしましょう。

夕食も、この間から、
休みの日は彼にどうするか考えて欲しいと
頼んでいるのですが、
外食でもいいし、
何か作るのなら
(彼は料理は出来ない)手伝うし、
せめて献立でも良いから考えて欲しいと。


彼「夕飯どうするの?」
私「どうしようか?」
彼「どうした
い?」
私「考えてよ!食事って献立考えるだけでも、大変なんだよ!!」


で、結局、彼と話し合って、彼が「お蕎麦が食べたいなあ」ということで、
お蕎麦になりました。
今日は、昼間野菜たっぷりの食事と、おやつも西瓜だったので、
夕飯は何でも良かったし。
(しかし、彼は何も食べていなかった)

彼が茹でてくれました。
食後の食器も洗ってくれました。

夕食後の食器洗いは、原則彼の仕事です。
ところが、先日長女が面白いことを言いました。
彼が洗い物をしてたら、
「どおして、とおたんがあらってるのぉ?」
と聞くんです。
私が「たあたんが、ご飯を作った時は、とおたんが洗うのよ」と 教えると、
「じゃあ、とおたんがつくったら、たあたんがあらうの?」


良いこというでしょ?
彼は苦笑いしてました。
そのあと何日かして、また同じことを言ってました。
「とおたんが、つくったら、たあたんが、あらうんだよね」って。

早く、作ってもらいたいもんです。
このネタ、FFAMILYにアップしようかと思いましたよ。シテナイケド


さてさて、和やかそうな様子でしょ?
ところが、もう一度、キレたんですねえ、これが。

食事の後、お風呂をどうするかという話になりました。
うちの彼も、皮膚炎がひどくなってて、それで昨夜は一緒に
入らなかったみたいです。
だけどさあ、言わなきゃわからないですよね。
例えば疲れているのなら、はっきりそう言ってくれればいいし。

私も、入れるのが嫌だったので、
夕方散歩の後、昼寝の前にシャワーを浴びさせていたので、
入れなくってもいいかも…と思い、無しにすることにしました。

でも、服を脱がなくても、子供の体を洗うくらい、一人ずつなら
出来るんじゃないかと思い(いつも私はそうしてる)、
彼におずおずと切り出すと、
「まだ、そんなこと言ってるの?無しにするって決めたんでしょ!」

その時彼は、テーブルで本を読んでました。

彼はとても集中力のある人なんです。
昔から、何かをしている時に、話し掛けても返事がなかったりして、
無視してるのかと思ったら、聞こえてなかったりしました。
(厳密には、聞こえてても、耳に入っていない状態)

居間で本を読んでいる時も、自分の世界に入ってて、
こっちには全然気がむかないんです。
母親だったら、時々は子供の様子を伺ったりしますよね?

それで、また腹が立ってました。

お風呂に入らなくっても、着替えはしなくちゃいけないんだから、
自分から切り出して、やってくれたって良いじゃない!

でも、全然やりそうにないので、仕方が無いので私がやりはじめました。
時々彼の方を見たけれど、ちっともこちらを見ません。

途中で次女がトイレに行ったりして、ちょっとバタバタ騒いだら、
ようやくこっちを見ました。
その時にたまりかねて、
「ふたり居るんだから、一人くらい手伝ってくれても良いと思うんだけど…。」
「気がつかなかったんだから(仕方がない)・・・」
「気づいてよ!自分だけ悠然と本を読んでないで!」
「声掛ければ良いでしょ!」
彼が続けて「いいかげんにしてよ!!」という声と同時に
私は「もう、嫌だっ〜!!」と絶叫して、泣き出してしまいました。

長女は「なんで、ないてるのよぉ?」と側に寄ってきましたが。


ここ最近、ストレスが溜まっているみたいです。
いろいろ腹を立て易いです。

彼に対しても、一緒の部屋に居る時には、
もう少し子供達の様子とかに気にかけて欲しいんです。
体は使って、手伝いをしなくても、気に掛けてくれるだけで、
救われると思うんです。

ストレスが溜まっている原因に、
子供を預けられない、つまり助けを得られないという
孤独感、閉塞感があるような気がします。

彼も同じ親なんだから、同じように子供を気にかけて、
言われたからじゃなくって、自分から気づいて手伝って欲しい。


「いろいろ腹を立てる」という事で、
実家の親に対してもありました。

母はしばらく田舎に行ってたのですが、先日戻ったので、
久し振りに遊びに行った時のことです。

夕飯の支度を手伝っていた時に、ぽつりと母がこぼしました。
「私が居ないんだから、たまにはお父さんのご飯作りに来てあげてよ」
それを聞いて、カチンときました。

父は料理がとても上手で、大概のものは作れます。
実家が料理屋だったせいも、大きいかな。
家事も全部出来るので、母が居なくても何も困りません。

私「だって、お父さん自分で出来るじゃない?!」
母「そうだけど…。お父さん仕事して疲れて帰ってくるし、
  このごろストレス多いみたいだし」
私「私だって、子育てで大変なんだから!」
母「そうかもしれないけど…」
私「・・・だいたい、普通は実家には骨休みに帰るって位らしいのに。」
母「私はそんなの無かった気がする…」

すごく気分を害しました。
そして、悲しくなりました。

これが、父が一人で淋しいから…というのなら、話は違います。
でも弟もいるしね。
だいたい、弟にも料理をさせてるの?!
私が、子供ももっと大きくなってて、余裕があって、
父も年を取って不自由になってるなら、やらなくもないけど。

自分の家の食事を作るのさえ、とても嫌なのに!
父のチェックを受けながら、しかも、適当なものじゃ済ませられないだろうし。

私も昔から「良い子」で育ってて、
親に逆らえないところがありました。
最近は歳をとって来て、短気になったのか、
育児のストレスでキレやすのか、
それとも強くなったのか、
親に対しても、腹を立てれるようになりました。


彼とは、その後、衛星テレビでオートバイレースをやってて、
メインのレースをみんなで見ました。
一応、表面は平穏です。
話もするし。
そうそう、歯磨きもしてくれました。
今日は、次女が私にやってもらいたがったけど、
「ベランダにポイするぞ」と脅して、なんとか彼で済みました。
長女は、すんなりやってもらってた。
なんとなく、感じ取ってるのかな?


Hさんのお家も、お風呂でひともめあったんですね。
ホントに、口でちゃんと言ってもらわないとわかりませんよね。
お互い、出来ればやりたくないのは、同じだろうし…。

Yちゃんのお誕生パーティ、お疲れさまでした。
夕飯まで支度して、大変でしたね。

お義母さんも、遅刻するなら一言連絡してくれれば良いのにね。
先に始められるのに…。
しかも、詫びも無しですか。
Hさんも、ストレス溜まりますねえ。


なんと、長々と愚痴ってしまいました。
ごめんなさい。

それでは、また。


              <1998・8・23 茜>

******************************

おはようございます。今日は、8/25です。

昨日の我が家は、平和でした。
彼もちゃんと「こちら」の人で居てくれました。
自分の世界(何かに集中)してなくて、
家族に気を向けててくれれば、私もイライラしないようです。

Hさんも、
夫さんに一度、寝かしつける時にどういう行動が、
不満に感じるか、はっきりと話して見たらどうかしら?
無神経な(失礼な言い方でごめんなさい)場合、
黙ってても、気づいてもらえないと、自分だけストレス溜まるし。
ビデオも「子供を寝かしつけたら、後で一緒に見よう」って、
先に誘っちゃうとか。

口に出して、それでも駄目なら、困っちゃうけど…。
やっぱり、伝えなきゃわかってもらえない事って、多そうだし。

お風呂の件も、理由を口にしてくれたら、
そんなには腹を立てずに済んだかもしれないしねえ。お互いに。

それでは、また。






振り返れば、彼とは長い長い年月を一緒に過ごしていたはずなのに、
ほとんどコミュニケーションが無かったように思われる。

あぜさんと、親密な会話をするようになって、わずか一ヶ月で柏に飛び込んだ。
けれでも、その間のコミュニケーションの量は、彼との10年分よりも多かった。

それくらい、彼とは希薄な関係だったのだ。

確かに、どの場面を思い出しても、いつも私は孤独だった。
本当にしんどい時にでも、彼は助けてくれなかった。

むしろ、いつも私を突き放した。


大学二年の時、高校の時のクラブのOB会の幹事の役が回ってきた。
これは歴代の委員長が、卒業した翌々年に担当する慣わしになっていた。

その頃、副委員長だった友人は京都の大学に入っていて不在だった。
先輩達が引継で、店選びやら幹事のノウハウを教えてくれたが、
私には頼れる相方が居なかった。
同期の他の友人達も、精神的には頼れなかった。

結局、私は実務を全てたった独りで、切り盛りすることになってしまった。

初めての慣れない幹事の仕事は大変だった。
でも、なんとか一人で頑張っていた。

当然、一番身近な存在であるはずの彼が支えてくれるものと思っていた。
けれども、そうじゃなかった。

一次会が終わって、二次会に移る時に、
彼は私を残してそのまま帰ってしまったのだ。

私は、いきなり梯子を外されてしまったような、衝撃を受けた。

確かに、あの頃、お互いの関係はギクシャクしていた。

けれども、本当に私が助けを求めていた時に、
彼は支えてはくれなかったのだ。



保育園を辞めるときもそうだった。

大学を卒業して、最初は大学院の進学を考えていた。24歳。
志望校の過去問題を集めたリ、語学の予備校の講座を申し込んだりしていた。
でも、やはりゴールデンウィーク明けの鬱状態に負けてしまい、ドロップアウト。
かなりお金払い込んでたんだけどなあ。もったいない。

卒業して半年後、彼の勤務先の院内保育室の保母パートの仕事についた。
そこは、看護婦と女医の2歳未満までの赤ん坊を預かっていた。
少数でのんびりとしていて、そんなに大変でなかったこともあって、
もう少しこの仕事を続けたいと思った。
このままここに残りたいと思ったが、春になると1歳児クラスの子供達が
保育園に入園して人数が減るため、それはかなわなかった。
かわりにそこの主任の人が、昔勤めていた私立の保育園に紹介で就職した。
とりあえず「産休育休代替要員」としての、一年間の契約だった。25歳。

初日から、体が拒否反応を起こしていた。

そこの園は、かなり特色があり、研究熱心に保育を行っているところだった。
園長は、年配の独身女性だったが、
「家父長的」な絶対者的な雰囲気のある人だった。


おそらく、自分の父親の投影があったのだと思う。

父は、高圧的で理不尽なところがあった。
相手の言うことを聞き入れなそうな感じが父と似ていた。

それでも一年だけだから…と、頑張ろうと思った。
年季が明けたら、さっさとやめてしまうつもりだった。

私が配属されたのは、1歳児クラスだった。

2歳前後というのは、自己主張が始まる頃。
しかも、まだ「人間」になっていないから、
こちらの言うことがなかなか伝わらない年齢。
“怪獣”だった。

もともと、あまり体力があるほうではなかった。
保母は体も、しかも神経も使う仕事だ。
まだ目が離せない年齢の集団を扱い、
ほんの一瞬でも気を抜けない状態だった。


私は遅番だったので、夕方4時を過ぎると一人きりで
残っている子供達を見なければならなかった。
大概の子のお迎えは5時過ぎ。
私は、たった一人で10人以上の怪獣達の世話をしなければならなかった。

まだ社会性が未発達な子供達は、すぐにトラブルを起こす。
目を離した隙に、かみつかれたり、つきとばされたり…。
つねに怪我の危険があった。

私は暑さに弱い。
しかし、保育園にはクーラーも無かったし、外遊びもあった。

ゴールデンウィーク明けのだんだん暑さが増す頃から、
胸が苦しくなり、心身ともにしんどくなっていった。
朝起きると、いつも体がだるく、疲れが取れない状態だった。

心臓の検査も受けた。
24時間心電図もつけた。
しかし、どこにも異常は見つからなかった。

しかも子供達に振り回され、どんどん神経衰弱になっていった。

昔から、ストレスでよく胃が痛くなっていた。
嫌な事を考えるとシクシクと痛みが走った。
でも、その頃は、なんでも無い時でも、胃がシクシク痛むようになっていた。

毎日が辛くて辛くて、たまらなかった。
早く、一年が経たないかと、ただそれだけを祈って過ごしていた。
「一日千秋」とはこのことかと、身に染みながら…。

6月の例年の鬱の時期を耐え、勤めてから三ヶ月が過ぎた頃、
「ようやく、三ヶ月だ!」と思うと同時に
「まだ一年の四分の一なんだ」
と思ったら、力が尽きてしまった・・・。

ある朝、どうにも胃が痛くて欠勤した。
もう限界だと思い、彼の勤める病院の神経(精神)科を自分から受診した。

診察室に入るなり、突然張り詰めていた糸が切れるかのように、
涙があふれ出し、
私は泣き崩れてしまった。


本当は、ずっと「やめたい」と思っていた。
でも、人数的に余裕がなく、
ぎりぎりの体制でまかなっているのが分かっているのに、

そんな事は出来ないと思いこんでいた。

その頃、仕事帰りによく義母の所に寄っていた。
いつも辛さを愚痴ってやめたいと言っていた。
義母は「やめたら?」と言ってくれたが、
私は「年季が明けるまで…」と歯をくしばって毎日を耐えていた。


「自律神経失調症ですね。しばらく休養した方が良いですね。」
神経科の担当医はそう言って、
『一ヶ月間の療養休暇を要す』の診断書を書いてくれた。


医局に戻ったその担当医から話を聞かされ、
その時になって初めて、彼は私の状態に気づき、
その夜、家に帰ってきてから、ようやく心配してくれた。


もう、体も心もボロボロだった。
なのに、彼は私が受診するまで、全く気にもとめていなかったのだ。

やめたい気持ちしかなかったが、なかなか踏ん切りはつかず迷っていた。
保育園では、園長も動員して、なんとか体制を作っていたようだ。

私は彼に「やめてもいいよ」と背中を押して欲しかった。
けれども、彼は決してそうは言ってはくれなかった。
彼自身はやめさせたくない気持ちだったのだ。

例え、自分はやめないほうが良いと思ったにしろ、
私の辛い気持ちをいったんは受容して欲しかった。
その上で、自分の意見を与えて欲しかった。
彼には全く私の気持ちに対する、共感も受容のかけらも無かった。
あんなに辛い思いをしていたのに。

このときも、私が心底辛かったのに、彼は全く支えてくれなかったのだ。
むしろ、仕事を続けることを勧め、私を追い込もうとした。

私は、周りの人に対する迷惑や、
自分自身にとっての仕事を続ける上での
自己成長のメリットと、
心身の辛さのデメリットを秤にかけ、

ついに退職する決意をした。

結局、私は自分自身で決定を下したのだ。


これが、私が初めて他人の事を優先するのではなく
自分を大切にして生きるという自己決定をし、
今日につながる「脱AC」への道のりへ歩き出した第一歩だったと思う。


そして、彼の三度目の裏切り。

離婚した年の梅雨時、また酷い鬱状態になっていた。30歳。

最低限の食事の世話とおむつ替え、掃除と洗濯以外の時は、
子供たちを足下で勝手に遊ばせて、自分はずっとベットで寝て過ごしていた。

子育てがしんどくてしんどくて堪らなかった。

そもそも、自らは全く望んでなどいない事態だった。

ほんのちょっとでも、自分から子供を欲しいと思ったならば、
「自分で望んだことだから」と自分を励まして頑張ることが出来ただろう。

しかし、私は全くの無実の罪で、
無理矢理、刑に服させられている囚人と同じだった。


年子の世話で神経が参っていた。
次女は1歳になっていた。
保育園に勤めていた頃と同じ、怪獣の仲間だった。

子供を可愛い・愛しいと思えなくなっていた。
特に、次女に対して、そうだった。
長女と違って、次女とは気持ちがチューニング出来なかった。
動物相手に意志の疎通が出来ないかのように。

離れた場所から私を見つけて、次女が至福の笑みを浮かべ、
私の所へ這ってこようとする姿を見て、身の毛がよだつ思いがした。
ゾッとした。

笑顔が彼とそっくりなところも嫌だった。

抱っこして欲しがっても、義務とお義理からほんのちょっだけ膝に抱き、
すぐに離れてしまっていた。
子供と手をつなぐのも、「危険だから」という責務からでしかなかった。
手をつないで「嬉しい」とか「気持ちがいい」などとは感じられなかった。

子育てが嫌で嫌で仕方が無かった。

毎日、子供達を置いて、どこかへ蒸発してしまいたいと思っていた。
果てには「死んでしまいたい」と・・・。
そこまでに追いつめられた心境で暮らしていた。



私は、真剣に彼にその気持ちを打ち明けて、相談した。
なんとか気持ちを変化させたいと、泣きじゃくりながら彼にすがったのだ。

しかし、話を聞き終わって、彼がくれた言葉はたった一言だった。

「いいかげんにしてよ。(辛いのは)あんただけだと思ってるの?!」

それだけを言うと、彼はその場から立ち去ってしまった。
私はただ独り、絶望と共にその場に残された。

確かに彼自身もその頃、仕事上で役職につかされ、
大変で辛い状況だったとは思う。
でも家に戻ってしまえば、職場での緊張感からは解放される。
周りには協力してくれるスタッフだっていただろう。
でも、私は家の中でたった独りで、しかも24時間、
子育てという仕事に拘束されていたのだ。
ましてや、子供が可愛く思えなくて子育てが辛いなんて話、
他の誰にも相談なんて出来はしない。

あなたと私の子供なのに!
しかも、子供が出来たのは、あなたのせいなのに!!



同じ頃、毎年の鬱状態をなんとかしたいと思い、
真剣に薬の服用についても、彼に相談した。
しかし、彼は薬を使うのはあまり好きではなかったようで、
真面目に相手にしてくれなかった。
精神科医だというのに、薬を嫌がってどうするというのだ。

保育園を勤める前に神経科で診てもらった、彼の同僚の先生(女)が、
独立してメンタルクリニックを開いていた。
彼は「K先生の所に相談に行ったらぁ〜?」と言い、
そして、薬の教科書を私に貸してくれた。
でも結局、彼は自分自身では、直接何もしてはくれなかった。

教科書を読むと、薬の副作用に「眠気」があった。
眠くなるならば、「どうせ梅雨の間寝て暮らすならば同じだ」
と薬の服用はあきらめた。

梅雨が明けるまでのしばらくの辛抱だし…と。


ネットで知り合った、若い友人達を見ているとうらやましいと思う。

15・6歳や20歳で、すでに救いの道を手にしているから。
セラピストや理解共感してくれる仲間達の存在も。

私は、この歳になるまで、全く救いのない場所に閉じ込めらていた。


そもそも、彼に惹かれた理由には、
「自分のメンタルな問題を理解できる人」という期待もあった。

しかし、長い年月一緒に居ても、彼は私を救ってはくれなかった。
むしろ、ネグレクトして私を追いつめ、酷い状態にした。

もし、彼と一緒にいなければ、おそらく外に救いの道を求めて、
カウンセリングの門もたたいていただろう。
しかし、隣に専門家が居たら、
しかも一番頼れる存在であるはずの夫が精神科医なら、
誰が他を頼ろうと思うだろうか?

私は飼い殺されていたのだ。

あぜさんが言った。
「“19歳監禁少女”と変らないよ」と。

離婚するまで、私には回復の道は閉ざされたままだった。
そして、人生の半分を彼によって潰されていたのかもしれない。