大団円・はっぴいえんど 98/12/31 
(とある大手掲示板における報告と新年に向けての挨拶)




 今年も最後となりました。
 本当はもっと早く、このことを書きたかったんだけれど……。
 
 この間、原宿にある某カウンセリングルームに行ってまいりました。ちょっと間
をあけてのことでした。まあ、この夏、秋より、とてつもない激変で、行かなけれ
ばならないのは重々わかってはいたのですが、どうにもゆとりが見つけられなかっ
た。

 治療室にて。
 「前回、パソコン通信で知り合って、仲良くなりかけた女の子がいるっていった
でしょ?」
 「ええ」
 「彼女、離婚も決まって、2人の子供を連れて、もうぼくのところに来てますよ」
 「ええええええ!!!!!」
 彼は、両腕を曲げて頭の上で交差させ、速度のある表情の変化と同時進行で、小
さいモーションで頭を低く、グレイの事務机の方に持っていきました。よくいう、
頭を抱えるというやつです。
 「何でひとこと、いってくれないのぉ!!」
 半分鳴き声みたいな声を出して、それから3秒間くらい、彼は机の上で小さく頭
を抱えたまま絶句していました。ぼくにはその3秒間が奇妙に長く感じられました。
 長い長い3秒間を越えて、彼は軽く上半身を左右に揺さぶりながら態勢を調え、
改めてこちらを向き直して、努力して、またにっこり微笑みました。
 「大丈夫です。もう立ち直りました。続きの話をしましょう」
 そうして、ぼくは結構得意気に、続きの話を続けたのでした。そのぼくの長い、
長い話が終わったところで、彼はいったのでした。
 「ところで、じゃあ一体、ぼくはこれ以上何を治したらいいのでしょうね?」
 彼は微笑みました。
 一瞬、ぼくはうまく意味を見つけ損ねました。あまりきちんとは覚えてはいませ
んが、喉から、とにかく理解出来なかったことを示す怪訝そうな音を出しました。
 彼はもう一度微笑んで、ゆっくりと、一文字一文字に強調のための点が打ってあ
るか、あるいは太ゴシックで印字されているようなスローモーションの音声で、そ
してまたスローモーションの映像で、同じ科白を繰り返しました。
 「治療は終了です」、彼はまたにっこり笑い、手を伸ばし、ぼくたちは握手をし
ました。


 振り返れば、随分と長い時間が経っていました。
 

 精神科医には、ちょっとしたものを含めたら、合計9人に診察されているし、3
ヶ月以上の入院もしていました。セラピストだって、数えたら4人目でした。
 放送大学の講師もしていてテキストも書いている業界の重鎮もいました。吉本隆
明と対談集を2冊も出している、その他の本も山ほど書いている、善人とボーダー
ラインの研究、臨床をを売り物にしている超有名精神科医もいました。東大を1番
で出たらしい、現象学的精神医学で訳書もある、裁判所での精神鑑定の権威でもあ
るらしい、でもまるで無名の70近いじいさんもいました。村上春樹の本に出てき
た開業医もいました。それからもちろん、別にそんなに有名じゃない、数々の人が
いました。
 でも、ほとんどがくずでした。違うのかもしれないけれど、悔しくて血が滲んで
しまうほどに、ぼくの中にはそんな印象しか残っていないのです。真面目な話、あ
の業界どうかしてるんじゃないかっていう露骨な不信感が、ぶすぶすと不完全燃焼
のまま、ぼくの身体の中に名残っていました。
 具体的に数字を書くならば、いい出会いといえるのが2件、まあまともではあっ
たのが1件。残りは、冷静になった今思い出してみても、あれはやっぱりくずだっ
たとしか思えないよ。ほとんど全員が、患者のこと、露骨に好きじゃなかったし、
どっかできちんと馬鹿にしていたし。そしてぼくも、すごくきつかった。

 というわけで、今回世話になったセラピストは、はじめて普通にしゃべったら普
通に話が通じる人で、はじめて心の耳を塞がないで人の話の内容を聞いている人で、
はじめて「当り」だと思える人でした。この人目当てで、この相談室にいったわけ
ではなかったのだけれど、あってみたら、いかがわしげな雰囲気も漂うが、頭のい
い若き才人(ぼくより若い)の室長で、まあ良かった、良かった。
 記録を調べてみたところ、ここに通いだしてちょうど1年。最初彼は、1年くら
いで決着がつくかなあと見当をつけていました。途中でとてもそれでは片づかない
と判断するようになり、少なくとも前回の面談のときにはさらにもっと長い時間を
覚悟していたそうです。それが、ふいに、短い時間のうちに、信じられないくらい
の猛スピードで病状が改善していて、結果としては、当初の予定通りになってしま
ったとのことです。
 まあ、絶句していましたね。ここには書けなかった細かい事情まで含めて、「お
れ、本、書けるな、これは」と、2・3度つぶやいていました。


 そう、振り返れば、随分と長い時間が経っていました。
 

 はじめてその手の業界の人に会ったのは、高校時代、17歳のとき。担任に呼び
出されて、ちょっとした言い合いとなり、このことで親が呼び出されて、私の手に
は負えないから医者に診てもらってくれといわれたのがきっかけです。
 その後、二浪し、毎日飲み狂いながらぐてんぐてんでの受験勉強。なんとか大学
には入ったものの、離人的反応と対人恐怖で、なかなか教室にも行けなかったり、
ドアまでいって、どうしてもそこから先に行けず帰ってきてしまったり、突然数ヶ
月も休んだり。
 バブル経済の真っ最中、空前の売り手市場といわれ、会社訪問に行くだけでどん
どん内定が出てしまう無気味な時代の、無気味な就職戦線で、ありとあらゆる就職
試験に落ちていました。ペーパーが1次試験の会社ではペーパーで、面接が1次試
験の会社では面接で全部落ちました。
 2年かけてやっと入った会社では、どうしても朝のおはようございますが言えず、
どの仕事にも混ぜてもらえず、史上最低の新入社員と何度もいわれ、半年で事実上
のクビとなりました。それから2つの会社をクビになり、本格的な治療をはじめた
ものの、ますます精神的に追い詰められ、ラーメンショップで皿を洗い、建築用の
青焼きを焼いたり、自転車で配ったり。入院したのはこの頃ですね。
 プロの家庭教師の道を見つけ、結構これは天職で、高校時代の後輩と再会し、恋
人同士になり、でも婚約のときの指輪は10万円程度、しかも親から借りたもので、
でも月収3万数千円の3ヶ月分だから、実はこれで相場かなあと笑いあったり。
 やっとした結婚も(よくこんな状態でしたよね)、うまくいっていると信じては
いたものの、今から思い出せばトラブル続きで。結婚して2ヶ月で彼女の弟が酔っ
払い運転いはねられ、死亡し、1年2ヶ月目には、何の予兆もなく(少なくともぼ
くには何の予兆も感じられなかった)、突然振られ、とてつもなく暗くなり、やけ
くそになって、ここの会議室に書き込みをしまくっていましたっけ。

 この会議室でさらなる運命の出会いをし、前回の面談があったのはこの頃で、そ
れから疾風怒涛の、まだうまく説明出来ない嵐と炎の時期を過ごし、ある朝突然に
電話で呼び出され、迎えにいくことになりました。すでにこじれていた諸事情に重
ね、前の夜、怪しむ元夫にハードディスクのログを読まれたらしいのね。
 「これから人の奥さんを奪いに行くから、授業は延期でいい?」と事情を説明し
て午前中の授業をキャンセルし、その生徒に「もちろんですとも、頑張ってくださ
い」と励まされました。
 服の色を合わせ、ちょうどいいジャケットを選び、なるべくかっこいい、女の子
をさらうのにふさわしいと思われる服装に着替え、車に乗りこみ、それから花屋に
よって小薔薇の花束を買い、おかげで時間にかなり遅れてしまいました。
 それから、彼女・旧夫・ぼくの三者面談に突入し、旧夫を口先でなぎ倒し、1時
間程度、荷作りまで含めると2時間強で略奪完了、前にも書いた、「卒業」と「イ
ンディージョーンズ」を足したみたいな、凱旋パレードのドライブ、その足で2人
の子供と彼女を柏に連れ帰りました。
 その後、血縁関係の絡む激しくも哀しい、奇妙にドラマティックな場面をやり過
ごし(なぐられそうだったり、また実際になぐられた人が出た)、今回書いた面談
があって、今日に至る、と。
 

 考えてみたら、17年。人生の半分はトラブルの中にいて、まあまともじゃなか
ったわけです。疲れるわけだよね。


 しあわせかって? 聞くだけ、野暮。
 もう、精神的トラブルも、波乱万丈も、打ち止めにしたいね。
 これは本当に大団円、ハッピーエンドだと思うし、そろそろ自信もあるし、意地
でもそうしてやろうと思ってます。

 後は収入の問題が残っているんだけれど、まだ食べられてないです。本当は、ぼ
くはまだ、自分を自分できちんと食べさせたこともないです。
 1人でもぎりぎり、やっと生き延びてきたんだもの。それだって、ぼくにとって
は奇跡的で、すごいことだったんだもの。で、突如4人になってしまったわけだけ
だからね。

 来年は、本格的になんとかして、子供を保育園にやって、ノートパソコンと、デ
ジタルカメラと、念願だったローバーのミニを買ってやろうかと思ってます。

 以上、超長文失礼。しかも乱文、御容赦!
 来年もよろしくお願いいたします。

 みなさまもよい年を、お迎えください。               1998年12月31日

                      Love & Peach あぜ