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ケント。私は待ってる!



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ALWAYS 三丁目の夕日

監督: 山崎貴

 けっ、日本アカデミー賞総なめだって?chikaってばそーんな映画見ないもんねぇ、とか例のへそ曲がりの虫が、お臍ピアスの裏側で騒ぎ出し、、、。って嘘々、この映画、最近レンタルしてズッポシ泣いてしまいました。
 その名も「ALWAYS 三丁目の夕日」。
  原作本の西岸良平のコミック「三丁目の夕日」は、普段漫画を読まない相方が、わざわざ自腹を切って購読したとゆー、昭和ノスタルジアほのぼの系。
 それを『リターナー』の山崎貴監督が映像化ってんだから吃驚。
  舞台は建設中の東京タワーが少しずつ空へ伸びていく昭和33年。夕日町三丁目で慎ましく貧乏ながらも、まだ笑顔の本質を忘れていなかった人々の姿を、VFXを取り入れて表現!!このVFXが味噌なのねん。
  おーっこんな使い方があったのかと吃驚(・・・実はハリウッド映画では、「昔」をVFXで再現する手法は山程あって、そんなに珍しいことじゃないんだけど、日本でそれを真正面からやったのはこの映画が初めて)。
 出演は、鈴木オートの夫婦に堤真一と薬師丸ひろ子。小説家の茶川に吉岡秀隆。青森からやってきた赤いほっぺの六子に、掘北真希。
  鈴木オート一家のてんやわんやの日常に、鈴木オートの向かいで駄菓子屋を経営する文学者志願の茶川が淡い思いを抱く飲み屋のおかみヒロミ(小雪)に押しつけられた身寄りのない少年淳之介との奇妙な子連れ狼生活を絡めながら物語は「昭和」していく。
 ひょっとしたら、かつて日本にもこんな「心の時代」があったのかもと思わせ、素直にべたに感動できる仕掛けが満載の作品。
  勿論、天の邪鬼な人は当然のごとく拒否反応を起こさざるを得ない話運びだろうけど、これは昭和初期の再現だけじゃなく、心のVFXを目指しているんだから、それを端から斜に構えて鑑賞しちゃ無粋ってもの。
 ダメ人間の典型見たいな茶川が淳之介との出会いを通じて段々大人になる。そんな茶川からプロポーズを受けたヒロミの頬に伝う涙とその表情の豊かさ。
  エンゲージリングの空箱から透明な指輪を抜き取る小雪。これ一発の為に彼女をキャスティングしたんだよね。
  淳之介の元へサンタのプレゼントが届いたのを茶川が聞き驚いたふりをする場面。まるで学芸会の演技のように見える所が吉岡秀隆の意図された演技力なのか、あるいは計算され尽くした演出か。
  これで最後の「淳之介ぇ〜っ」で観客の涙を吸い上げちゃうんだからやっぱり計算なんだよね(笑)。
 VFXに限らず、画面作りがいちいち芸が細かい。子ども達が扇風機の風に声をあててそれを震わしたり、狭い路地を通ってみたり、たらいに水をはって涼む老人とか、数え上げたらきりが無いほどだ。
  そうした細かいシーンを見せ続けることと、お涙頂戴の定石パターンを真正面から、なんの衒いもなく並べて見せること、ホント、こーゆーやり方を最近の日本映画って忘れていたんじゃないかしら。
 まあこの結果、郷愁の中で日本人の魂の原石を思い出させるってのが「三丁目の夕日」の映画の狙いだったんだから、当然の帰着とも言えるんだけどね。
 chikaみたいに、天の邪鬼でこの映画をまだ見ていない人がいたらお勧めよ。
  見なさいコレ。そしてうんと泣くがいいわ(笑)。。
「泣く」のが一番のストレス発散の方法らしくてよ。浮き世の憂さでドロドロになった頭の中がリセットされるんだってさ。



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RIZE<ライズ>

監督: デヴィッド・ラシャペル

 目にも止まらぬスピードで激しく躍動する身体。ああ昔、西川のりおが「つくつくぼーし、つくつくぼーし」とか叫びながら激しく腰を空中の女体に向かってピストンしてたっけ、、、それに手足のふりが付いた高速ダンスのドキュメント映画って言ったら身も蓋もない(笑い)。
 
 「L.A.サウスセントラル地区。暴動が絶えず起こり、暴力と犯罪が日常にあるこの場所。」、、って行ったことがないのでホントのとこ、どうも判らないんだけど、chikaもご幼少のみぎりには、巷でスラムと呼ばれる街の隣接区域で生活をしていたので、実際にそこで生活しているものの感覚と、遠くから観察している人間の見え方が随分違うってことだけは判る。
  そんな街は確かにやばいことも多いんだけど、そこに住んでいる限り普通の皮膚感覚でトラブルはなんとか凌げるものなのだ。でもこの映画、ライズのキャッチコピーは「踊ってるんじゃない。闘ってるんだ。」(汗)。
 ギャングかダンスか?それがサウスセントラルの若者たちに与えられた唯一の選択肢(ってホント?)。
 この地で暮らす若者たちは、家族といえば、麻薬中毒者かマフィアのメンバーで、道を歩いているだけで、銃で撃たれる。・・・確かに濃いか薄いかは別にして、犯罪の温床としか言いようがない苛酷な環境って、日本にだって生まれ出る。
  けれど、その過酷さ故に、人々が逃げ出して街がゴーストタウンになることは決してない。なんの問題も起きないけれど高齢化が進む地方都市が日々寂れていくのとは対照的だ。
 何が違うのか、、この映画を見ると一つの答えが浮かび上がってくる。ただしそれは、本作で映画監督デビューを果たした世界的ファッションフォトグラファーのデヴィッド・ラシャペルがこの映画で提供しようとしたモノではないだろう。
 彼はパワフルではあるが、芸術的でスマートな何かを取りたかったに違いない。けれど黒人が持つパワーが、彼の用意したファッション的なフィルターを突き破ってしまったのだろう。ダンス・クランプの成り立ちを記録する過程で、監督がアフリカ原住民の土着ダンスとの共通点をことさらにオーバーラップさせる辺りからその綻びが伺える。

 でもあらゆることを超えて綺麗なものは綺麗なのだ。人を魅せて止まぬ要素が確かにクランプにはある。例えば和太鼓を激しく打ち鳴らす日本男性の背中の筋肉、、これも美しい。筋肉の量が問題ならボディビルダーが打てば良いのだが、彼らが和太鼓を打ってもその姿に魅せられるという事はないだろう。
 この映画のラストシーンだけは、監督が思い描いたモノとクランプの内実がクロスしていて実に美しい。庶民派救世主トミー・ザ・クラウンのエピソードは、この映画にとってあまり必要なかったのかも、、。



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ミュンヘン

監督: スティーヴン・スピルバーグ

 「ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記」の町田氏が、かなり誉めていたのでそうとうな期待を持って見たのがこの映画「ミュンヘン」。一方でジェフリー・ディーヴァーの「獣たちの庭園」を読み始めていて、これとよく似た筋立ての「ミュンヘン」のイメージが交錯してる部分もある。
 対テロ行為の裏バージョンというかテロに対する報復劇を扱っているわけで、映画としてはそんなに難解なものではないんだけど、正直に言ってどうもchikaには荷が重すぎた映画だった。どうしてもchikaの頭じゃ「中東問題」が理解出来ないからだ。
 イラク戦争が始まる前にジャーナリストの鳥越俊太郎氏がしきりと「このままでは異文化戦争になる、、つまりアメリカが自国の民主主義をイラクに移植しようともそれは決して実らず収集が付かなくなるだけだ」と警告を発していたが、仏教徒ですらないchikaが聖地と国家を巡る戦いを理解できる筈がないのだ。
 劇中、主人公のアブナー(エリック・バナ)とパレスチナILOのメンバーが激しく言い争うシーンが挿入されて「我々は何をおいても帰るべき祖国が欲しいんだ」というパレスチナ側の言い切りと、イスラエル人たるアブナーのアイデンティティの衝突をぎりぎり理解するのが精一杯だった。
 ただ、自らが信じるべき使命に反してその情け容赦ない任務の内容に疑問を抱いていく工作員チームの姿を通してスピルバーグ監督の「私たちは今、我々が置かれている悲劇的孤立について何か学ぶことがある」と言うメッセージは汲み取れる。
 1972年、ミュンヘン・オリンピックの選手村に「黒い9月」を名乗るパレスチナ・ゲリラが銃で武装して侵入。イスラエルの選手11人を人質にとる。犯人はイスラエルの刑務所に囚われたパレスチナ人の釈放を求めたがイスラエル側はこれを拒否。
 犯人側はドイツ政府と交渉して旅客機を用意させたが、ドイツ側は軍の滑走路で犯人たちを狙撃。犯人側はヘリコプター2台の座席に縛られた人質を手榴弾とライフルで皆殺しにした。
 映画はその後日談としてイスラエル政府がとった報復活動を中心として進められる。この報復のため、イスラエル政府は殺された人質11人と同じ数のパレスチナの指導者を暗殺する計画を立て、5人のイスラエル人が選ばれる。
 この暗殺チームのリーダーとしてアブナー(エリック・バナ)は、もうすぐ父親になる身でありながら祖国への忠誠心故にこの任務を引き受ける。標的の11人は、パリやローマなどヨーロッパの非共産圏に住んでいるパレスチナ人が選ばれていた。だがこの映画では殺されるパレスチナの指導者も、あの「ランボー」みたいに、一人として悪党として描き出される事はない。彼ら総てが理知的であり家族を愛する普通の人間として映し出される。
 ある報復殺人のケースでは、標的を電話に仕掛けた爆弾で殺そうとして、その娘が電話を取ってしまってアブナー達が大慌てするシーンがあり、見ているこちらも胃が痛くなる程だ。でも実際には、この後、厳然と行われる報復殺人をスピルバーグ監督は撮って見せるのだが、、。
 復讐は復讐を呼び果てしない殺し合いは、アブナーの思いも無視をして女性や子供を容赦なく巻き込んでいく。そしてアブナーも仲間を次々に失ってトコトン精神的に追い詰められていく。
 アブナーを戦闘に長けた超人にせず、どちらかと言えば木訥で実直、更に妊娠中の妻がいる設定にした所がこの作品の肝なのだろう。
 実際、テロまがいの報復殺人にボロボロになったアブナーが電話越しに自分の娘の声を聞いて涙を堪えるシーンにはぐっとこざるを得ない。
 この映画の最後に、アブナーに暗殺任務を与えた上官(ジェフリー・ラッシュ)と、報復から逃れる為にアメリカに逃げ込んだアブナーとの印象的な会話がある。
 「俺が殺した人々の死には意味があるのか」とのアブナーの問いに「テロと断固戦わなければならない。これも中東の平和のためだ」と言い続けてきた上官が「忘れてはならないのは、お前がどこまで行ってもイスラエル人だということだ。」と答え、最後の最後に「食事を一緒にどうか。同じテーブルに付けば何かが始まるのではないか」というアブナーの誘いに背を向ける。
 そしてこの映画は、お互いに背中を向けて別れていく二人のロングショットで幕を閉じるのである。ヴィム・ヴェンダース監督の「ランド・オブ・プレンティ」の幕切れにどこか似た苦い結末、、ただしこの苦さは私たちの国「日本」で味わえないものではないと思うのだが、、。



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イーオン・フラックス

監督: カリン・クサマ

 イーオン・フラックス(シャーリーズ・セロン)を見た。chikaの大好きなピタピタ系コスチュームを、たぷり鑑賞できるかなって期待してたんだけど、なんだかケイト・ベッキンセールの「アンダーワールド」との見分けがつかない映画でしたね。
 2作品ともともコスチュームがピタピタ系で、主役男が結構「力」のある男性に描かれてるんだけど、男としては頼りがいのないなーんとなくだらしない所が共通項。
 エイリアンのリプリーが強いヒロイン像を確立してからSFアクションものはずーっとこの流れなんだけど、たまには違うパターンのもみたいなぁ。

 あっと、コスチュームの方は期待した程でもなかったかな。シャーリーズ・セロンが口元を破った網タイツを顔に被って登場した時は「おっ!やるのか変態ファッション!!」って一瞬期待したけど、、。
 第一、雑魚級の兵士達のコスチュームに、今さら日本趣味のヘルメットやら忍者モードなんかを出すぐらいだから、そんな演出の中で飛び抜けたファッションを期待するのは無理ってことかな。

 この感じ、なんとなく、期待されて紅白に登場した倖田來未のエロカワファッションの「それほどでもない」度に裏切られた感じに似てる(笑)。

 それにしてもイーオンの弟子のシサンドラが、お堀の水の中に筒をくわえてずーっと潜んでいたけど、忍者の「水遁の術」なんか、今の日本映画とかには全然登場しないんだけど、どこでどう知ったのか見事にぱくってましたね。(監督が日系だから?)
 あの足が「手」になってるシサンドラ造形も「ジャポネ」に影響されているのかしらん。小さい子どもがあれ見たら、ちょっとトラウマになるんじゃないかな。(それになんだか差別的な感じ、キャストが白人女性だったらシサンドラにあの造形を与えたのかしらん?)
 なんやかんやと色々書きましたがこの映画、シャーリーズ・セロンの完成された「美」の賜。彼女、見てるだけで充分なんだけどchika的には「サイダーハウス・ルール」で主人公ホーマーとの恋におちるキャンディ役のシャーリーズ・セロンが、在りよう自体が色っぽくて大好きだったけどなぁ。
 さて冒頭で触れた「アンダーワールド」との比較なんだけど「イーオン・フラックス」とは美女度において互角。アクションは元バレエダンサーのシャーリーズ・セロンの圧勝。コスチュームはビザール度において「アンダーワールド」の勝利(アンダーワールド2 エボリューションはイマイチだったけど)。
 映画としての完成度は、どっちもオモチャ。ってことで互角かな。でも同じピタピタ系でもハル・ベリーの「キャットウーマン」よりずーっと良かったよ。



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サイレントヒル

監督: クリストフ・ガンズ

 夢遊病で悪夢にうなされる娘・シャロンがつぶやく「サイレントヒル……」。その言葉の謎を解くため母ローズ(ラダ・ミッチェル)は、ウェストバージニア州の「サイレントヒル」を訪れる。
 だがシャロンはサイレントヒルに入った途端に交通事故を起こしたローズの車から突如として失踪してしまう。ローズは娘を捜し出すために、女性パトロール警官シビル(ローリー・ホールデン)と共にサイレントヒルに分け入っていくのだが、、。
 この映画は同名ゲーム「サイレントヒル」を完全に映画化したものなのだそうだ。
 ゲームが余り好きじゃないchikaには、「映画化」とゆー辺りで、この映画どう評価されているのかピンと来ないのだけれど、なんとなく「バイオハザード」や「トゥームレイダー」とかとは、ちょっと違うような気がする、、。
 鳴った時点から恐怖の世界が広がるサイレンの音響としての怖さとか、闇の中にフラッシュして確たる姿を見せないモンスター達だとか、最近のホラー映画の動向が味わえたり、雪のような灰が降りしきる静寂の街の美しさが鑑賞できたりと、なかなかの趣向が詰まった映画だが、それだけではないのだ。
 クローネンバーグ作品での常連セットデザイナーのキャロル・スピアーがこのゴーストタウンを創りこんだのならセットの美しさはそれで説明出来るし、クリーチャーが出現するのにあたり、ちゃんとサイレンが鳴って周りが暗転してから出るという仕掛けが音響の恐怖感をより盛り上げているのだろう。
 だがそれらは表面的なこと、この映画の怖さとエロスは、実は登場人物が総て女性だということの上に成り立っているのではないだろうか。
 勿論、ローズの夫として渋めのショーン・ビーンなどが起用されているが彼は物語の外郭で右往左往しているのに過ぎない。
 この映画の後半にたたみかけるような謎解きが展開され最後には棘付きワイヤーが生き物のようにうねうねと動き殺戮を繰り返す血と肉の大競演になるのだが、そこに至るまでの骨子は「母と子」「姉と妹」「母性と信仰」の血みどろ関係であり男力学など入る余地もないのだ。魔女狩りの首謀者、クリスタベラ役のアリス・クリーグの怖さを見よ。
 あくまでこの映画はゲームの映画化作品でありクリストフ・ガンズ監督が意識的に「女」を中心にテーマを掘り下げたとは思えないのだが、結果としては女性の「怨念祭り」のような作りになっていて面白い。
 そういう意味で視聴者にとっては「見つけモノ」の映画なのかも知れない。

PS この映画のもう一つの見所は「気持ち悪さ」である。棘付きワイヤーでグルグル巻きにされ死蝋状態になった死体の口から紙切れを抜き取るシーンとか、磔になり火炙りにかけられる女性パトロール警官シビルの顔が高熱のために黒く変色してはぜるシーンだとか、、、さり気なく、堂々と撮っている所が凄い。
 しかし一番気持ち悪いのが、最後の最後になって、ローズが霧に閉ざされた世界から逃れられずに、同じ場所にいるはずの夫に会えないまま終ってしまうエンディングだろう。こういうのはJホラーの得意分野なんだけど、あちらの人にこれをやられると「本当に」やりきれない怖さがある。
 
 



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水の女

監督: 杉森秀則

 銭湯映画ってこの一本だけかなぁ、、面白い分野だと思うんだけど、アニメじゃクレシンで「温泉わくわく大決戦」ってのもあるなぁ。温泉好き風呂好きのchikaからすれば「水の女」はお宝ものの映画です。
 ・・・って違うか。このままこのレビューを鵜呑みにして読まれたら「水の女」を本当に「銭湯」をテーマにした映画だと思いこんでしまう人がでそうなので訂正しときます。
 「水の女」は日本映画が小津監督の昔から得意とする私小説映画の佳作です。
 人生の大切な日には必ず雨が降るという雨女・涼(UA)。しかも家業が銭湯という念の入りよう。
 それに涼はどうやら雨女以上に運が悪い女でもあるらしい。ある雨の日、涼は父と婚約者を同時に亡くしてしまう。 そして傷心旅行にでた涼が実家の銭湯に帰って来るとそこにはた謎の男・優作(浅野忠信)が住み着いていた。映画はボイラーマンとして雇い入れた勇作の正体が判明するころからサスペンスラブストーリー風に雰囲気が変わっていくんですが、それまではやっぱり一風変わった「銭湯映画」なんですね、これが。
 銭湯甚句のフルコーラスが流れるワンシーン見たってそれは間違いない。巨乳のおばちゃんがお乳を持ち上げてその下を洗うシーンだとか、泡だらけの背中にざばぁーとお湯をかけるとその下からド派手なもんもんが現れたり、懐かしい。
 第一、舞台の中心になる銭湯そのものがいいと言うか拘りすぎ。高い煙突としっかりした瓦屋根を持つ家屋、木材を燃料にする釜場、歴史そのものの脱衣場に古めかしい体重計や扇風機。正方形のタイルが一面に敷き詰められた浴場、当然、壁には富士山のペンキ絵。まさに絵に描いたような「昔の銭湯」、いったい何処で探し出してきたんでしょうね。
 さらに涼と、涼が傷心旅行先の富士山の樹海であったユキノと再開した時の会話。
「アンタ、風呂屋やったんか……」
「うん」
「ええ仕事やなぁ」
「そうか?」
「何も生み出さへんし、何も残さへん。ただ、人の垢落とすだけ。全部流され、捨てられる。ゼロや!そやのに毎日人に喜ばれる。感謝される。スゴイことやん、サイコーやん!」
 風呂好きマインドのハァトを擽るこのやりとり、やっぱり「銭湯映画」。

・・とまた本筋からそれてしまうので正調レビュー路線で「水の女」を語ると、冒頭でもちらりと書きましたが、この映画、久しぶりの「純日本映画」です。ハリウッド路線を巧みに取り入れた韓国映画の興隆ぶりは既成事実ですが、その韓国映画がどうしても真似が出来ない「分野」が「私小説映画」ですね。何処かワビサビスピリッツを感じさせる凝ったカメラワークに些細な心理描写がわざとらしく淡々と進む感じ、、日本映画の独壇場でしょ。「水の女」にも随所にそれが現れる。
湖面の波、排水の渦、木の葉を散らす雨、「火の男」優作の存在が大きくならない限り画面は徹底した青のトーンで統一されます。拘りまくりの映像美ですね。それに粋としか言いようがない場面転換。CMディレクター出身の杉森秀則氏の特質と言えばそれまでだけれど、これはまさしく日本人感覚。
 残念なのはある程度のドラマ性が打ち出されてくる終盤近くの展開と前半の持ち味があまり巧くかみ合っていないこと。
 自分の家に無断で入り込んでいた不審男を、なんとなく野良猫を飼うみたいな感じで世話をして、その内、深い仲になってしまう涼という「水の女」に対して「実は俺、自分の中に狂気をため込んでんだ」みたいな「火の男」が俗っぽ過ぎるというのかな、、まあそんな感じです。ハイ。

PS この映画、ちょこっと出てくる人々が異様に面白いです。涼の銭湯にやって来て、優作の指名手配写真を貼っていく人の良いお巡りさんの江夏豊。はじめ誰かと思った。
それと優作が浜辺でであうボンチのオサムちゃんね。見事にシュールです。UAは、、、他のレビューじゃ結構、彼女のこと結構ポイント高いんだけどchikaは、、、でしたね。大阪弁とあのだるいハスキーボイスがあったから救われてるけど。





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