
映像の部1
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エイリアン4 |
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イベント・ホライゾン |
最近立て続けに3本のSF映画を見ました。もっとも内2本はレンタルビデオで、私は俗に言われる「映画好き」ではありません。残る1本は、エイリアン4、これは忙しさをやりくりしてでも映画館でと決めていました。 一番最初のエイリアンを映画館で見て、その閉塞感といいましょうか、窒息しそうな感覚は「広いスクリーン」だから味わえると思ったからです。恐ろしく広大で虚無を抱えた宇宙の中を漂う「恐怖の缶詰」たる宇宙船からの脱出。 そうそう、残りの2本のSF映画は、イベント・ホライゾンとコンタクトです。特にコンタクトは宇宙の「広さ」を、エイリアンやイベント・ホライゾンとは逆のベクトルで捉えていますね。特に「広さ」に神性を感じるあたりは、日本人である私にはなかなか理解しづらい部分があります。その点、イベント・ホライゾンが遙か深淵の彼方にある世界に暗黒性を設定する部分や、エイリアンの漆黒の宇宙は「舟板一枚下に地獄」を感じる日本人向けではないかと思います。 エイリアン4を先に見た私の知人は「あの映画はエグイ」と漏らしていましたが、おそらくそれはエイリアン実験体でもあるリプリーが己の腕に刻印された8の数字から、7のバージョンの存在とその実体を目撃したシーンから受ける印象だったんだと気づきました。人間とエイリアンの融合体を見て、悲痛と怒りに悶え苦しむリプリー。SFの中ではよくある設定であるし、2作目あたりから「母と子」のテーマを複線的に忍ばせてきたエイリアンシリーズの中では、出てきて当然の場面づくりなのに、必要以上に「エグく感じる」のは何故でしょうか? とにかく、密閉された薄暗い水中を優雅に泳ぐエイリアンを始め、エイリアン4は、「グロテスクなくせに美しい」世界を私に十分堪能させてくれた映画でした。 |
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「レックス」 |
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SMFティストビデオ |
レンタルビデオで「レックス」という邦題のSFものが全4巻で出ています。 非常に奇妙なテイストを持った作品です。1巻目は「この作品、凄い拾いモノなんじゃないか?」と思わせる出来です。 2巻目は見るに耐えない状態。3巻目は「ここまでやるか、、。」という感じ。 第一、超巨大な女性(本当は宇宙生物が変身したものだが、絶対そうは見えない。)が、宇宙空間を飛ぶ巨大戦艦にしがみつくなんていうイメージは滅多にお目にかかれないはず。 4巻目は、今までの巻のかなり「キレた。」テンションを一般的な娯楽作品になんとかソフトランディングさせた形でエンディング。 全般を通じて言えるのは「フェチ」テイストが充満したSFという事でしょうね。 日本のコミックで「ブラックブレイン」が好きで読める人なら、きっと気に入ると思います。 私の「アンプラグワールド」とも共通する部分が多いとも思います。 しかし決してメジャーな作品ではありませんから、その内、レンタルビデオ屋の棚から姿を消してしまうかも。 騙されたと思って是非、ご賞味あれ。
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デヴィットたらデヴィット 遅蒔きながらクローネンバーグ監督の「クラッシュ」をビデオで見ました。感想はクローネンバーグはどこまでいっても「クローネンバーグ」だなって事。映像としては、全編を通じて、オープニングのタイトルバックのまま、幻惑的というのかめまいを誘うトーンでいいんだけど、意味の部分というか、映画の「テーマ」が私には理解できないんですよね。 |
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ヴァンパイア・最後の聖戦 |
4 |
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ジョン・カーペンター |
「エスケープ・フロム・LA」「マウス・オブ・マッドネス」「パラダイム」「ゼイリブ」「スターマン」「ゴーストハンターズ」「遊星からの物体x」「ニューヨーク1997」「ハロウィン」「ザ・フォッグ」・・・・・。この章を書き起こすに当たって私がジョン・カーペンターの映画をどれぐらい見ているかを思い出してみた。ざっとこんなものである。 意外とというのか、非常に多くのカーペンター作品を、それとは意識せずに見ているのに驚かされる。実をいうと、「ヴァンパイア」は私にとってスカスカの作品だった。最低と言って良い。しかし、何故かこのコーナーに書きた思わせる作品でもあるのだ。このコーナーに載せない小説や映画は実は沢山ある。載せなかったものが面白くなっかた訳ではない。載せる基準は、それを紹介したいと思うかどうかだ。だからカーペンターは載せる。どんなに下らなくても。第一、あの服に忍ばせた吹き上げ花火で、ヴァンパイアが太陽光に当たって燃える場面に見せようという神経はいったい何なんだ。土から沸き上がって来るヴァンパイアを演じる俳優達の顔の、泥を拭き取ってあげたいと思わせるメイクはなんなんだ。 きっと、このヴィデオを見ながらドラキュラ戦記を同時に読んでいた私が馬鹿なのかも知れない。小説の方がずっとヴィジュアル面が強いなんて、、。それでも、カーペンターの映画は、後味を引く。勿論、その後味に高尚な部分は微塵もない。「くどさ」といったものなんだろうか?ある種の人間の「くどさ」だ。ついていけないと思わせると同時に、その「くどさ」が自分の中にもある。それが共振するのかも知れない。でも、みんなに言っておきたい。この映画は「面白くない」。「面白ろがらせようとして」作ったのに「面白く」ない映画は最悪だ。でも、みなさん、この映画はやっぱりカーペンターの作品だ。彼に浸りたければこの映画をみればいい。 |
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ピガール・欲望の街 |
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ピガール・欲望の街 監督・脚本 カリム・ドリディ |
フィフィは、ピガールの歓楽街を根城にするチンピラ青年。性転換者のディヴィエンヌと同棲中の彼は、覗き部屋のストリッパー、ヴェラとも、親友とも恋人ともつかない関係にある。ヴェラは、帝王が仕切るストリップ・バーのオーディションを受けるが、ギャラの安さに激怒。再び覗き部屋の仕事に戻っていった。 フィフィとふたりで故郷のスペインで暮らす夢を持つディヴィエンヌは、新興勢力のマルフェの下で麻薬の商売を始めていた。が、マルフェに裏切りを気づかれた彼女は、あっけなく殺されてしまう。 愛する人をなくし、行き場をなくしたフィフィは、ドラッグクィーンのフェルナンドのもとに転がり込んだ。フェルナンドの留守中、ヴェラを連れ込んで強引にアナルセックスを強要するフィフィ。傷ついて帰宅したヴェラを待ち受けていたのは、ヒモのイエスの切断された首だった。ディヴィエンヌとイエス――ふたりの死をめぐって、ピガールの抗争と復讐の火蓋が切って落とされる。 というのがこの映画のストーリィ、実に近緒好み。 でも、映画自体は、見終わってストレスを感じました。「作り」として中途半端なんですよね。これが、、。たとえば、フィフィが鉄砲玉に仕立て上げられてマルフェを獲りにでかけて相打ちになるシーン。普通のフランス映画だと、ここでクールなエンディングになるでしょう?本編では、フィフィが生き返っちゃうのね。最後にはダブルパンチで、元気で刑務所に入獄しているフィフィに素顔のフェルナンドが面会に来たりする。これだけだと「あったか」系の映画にも見えるけど、前半の殺しの場面なんかは奇妙に「乾いて」るし、、。(でも私たちの現実もこんなふうにアンバランスかな。とも思うけれど)でもあちらの方ってなんでセクシーなのかな。ディヴィエンヌ役のリなんかはすっごぃ男顔なんだけど、とてもチャーミング。中途半端な作品だったけど、「めっけもん」は「めっけもん」ですね。ラストでヴェラが、フィフィの弟分の少年とヴェスパでピガールの街を乗り回しているシーンは最高。 |
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8mm |
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8mm 監督: |
ニコラス・ケイジ扮する探偵は、ある富豪の未亡人から亡き夫の遺品から見つかった8mmの殺人 フィルムが本物かうかを確かめて欲しいと依頼される。彼はハリウッドに行ってポルノ界に潜入。ポルノ・ショップの店員から協力を取り付け彼と共に捜査を続け、ついにアングラ・ポルノを作っている男を容疑者として絞り込む事に成功する。そして彼らに接近し、ポルノ製作を依頼する事によってその実態を知ろうとする。ストーリーとすればまあこんな感じ。 個人的には、ポルノショップ店員がしきりと繰り返す「悪魔と踊れば悪に染まる」セリフが暗示する部分で、この探偵が、暗黒面に引き込まれていくような展開だったらゾクゾクするなと思いながら観ていた。しかし映画の終盤では小説「黒い家」の底流にあるテーマが顔を覗かせたかと思うと、「アメリカ流正義論」だったりで、映画自体はどこか落としどころを間違ったような印象を与えるものだった。でも「面白い」。これは一種の探検映画だと思う。だって人間に残された魔境は、人間社会にしかないのだから。 |
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ロスト・ハイウェイ |
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ロスト・ハイウェイ 監督:デビッド・リンチ |
「ブルーベルベット」はご覧になりましたか?「ブルーベルベット」も本作品も歌と映像の繋がりが尋常じゃないですね。タランティーノ監督も音楽に対しては思い入れたっぷりだし。「見せ方」に拘る監督の共通点じゃないかしら。 ジャズ・サックス奏者のフレッドと妻レネエの暮らす家に、差出人の名のない封筒が届きだす。中味はビデオ・テープで、彼らの生活がそこに録画されていく。カメラは日にちを追うごとにさらに彼らの生活に深入りし始め、、、。最後には妻レネエの殺害の場面まで。と、まあこの辺りまでのストーリー展開でも十分に不条理なんだけれども、この話が別のストーリーに、捻れて連結される。 まさにリンチワールド。リンチが提供してくれる「不可解さ」について、映画評論なんかを読むとそれらしい解釈が書いてあるのだけれど、私には、どれも今ひとつピンとこない。本当はリンチ自身も、それ程、明快な答えなんて用意していないんじゃないかしら?あのむずむずするようなエロスがあればそれで充分、、。 |
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マチネー |
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マチネー 監督:ジョー・ダンテ |
マチネーとは、ウィークデーの昼間の映画興行のこと。時代は、ケネディ政権時代のキューバ危機が背景。海軍基地のある町の映画館で上映されるB級モンスター映画を、観客が現実の核戦争と間違えて騒動を起こす。実はこれジョン・グッドマン扮するヒチコックの偽監督(ウールジー)の仕掛けた演出なのだが、、そこに若者達の初々しい恋愛が絡んで、、、。という定番のSF風味アメリカングラフティ。 いいですよコレ。古い世代の日本人にはね。また違った楽しみ方があると思う。でもある程度、年食ってないと駄目かな。今の子ってカッコ良ければ自分が黒人だって思い込める子がいる時代だものね。それとは別にして2000年という真ん中の年だからもう一度見直してもいいと思いますよ、この映画。 「あの子たちは未来の予告編を観たんだ。」というジョー・ダンテの残したメッセージは今でも有効だと思うし、、、。映画館から逃げ出した人々が、吸い込んだ日常の素晴らしい空気は何時までも本物であって欲しいしね。 |
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ワイルド・ワイルド・ウエスト |
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ワイルド・ワイルド・ウエスト 監督:バリー・ソネンフェルド |
ウィル・スミスとば「MIB」以降のお付き合い、「WWW」は、、どう言ったらいいんだろ。いかれた映画ですよね。「大金叩いてこんな映画を作るか」と言う感じで、、。身障者ギャグとか黒人ギャグとかケビン・クラインに女装させて見たり。映画自体がライトに仕上げてあるから、あまり気にならないけど、そうとういかれてる。 オリジナルが昔のTV番組で、それをリメイクして、スチームパンク風に仕上げるのはいいけど、随所に流れる毒っぽさは、何の為に必要なんだろう。わざわざ、そういう毒をまき散らしておいて、今度は、ジョークや小道具なんかで又、それを薄める。 アメリカの映画には、結構、きつい差別ネタをジョークでまき散らすのが多いんだけど「WWW」はそういうのと比べてもちょっと違うんだよね。そういうのは(本当はちゃんと判ってんだよ。笑って吹き飛ばせよドンマイン)って、仕掛けがあったりするんだけど、、。 「WWW」はわざと、そのお約束を、忘れたふりをしてるみたい。それは、映画の前半、秘密捜査官ウエスト(ウィル・スミス)が「なぁ、それって生首なんだよ。」っとしつこく秘密捜査官ゴードン(ケビン・クライン)に注意を喚起するんだけど、ケビンがそれに全然気づかないで人頭スライドを映写し続ける場面によく現れてる。 この作り方は、きっと確信犯だと思うね。私はこの確信犯ぶりで、この映画を気に入ってるんだけど、やっぱこれはフリークショーのパロディのりである事には変わりなく倫理的には0点じゃないかな。 |
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ブレイド |
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ブレイド 監督:スティーブン・ノリントン |
デイ・ウォーカー。これがどうもバンパイア達の究極の憧れみたい。バンパイアもの創作にこの設定の実に多いこと。同時にバンパイアが人の隠された憧れであるなら、この辺りに人間の欲望や怖れの仕掛けもあるに違いない。まあ、それはさておき、久しぶりに「面白い」映画を見たという感想を持てた映画でした。バットマンシリーズの第一作でバットマンが腕に仕込まれたプロテクターでチンピラの刃物をカンフーの殺陣で凌ぐ場面に惚れ惚れしたことがあったけれど、このブレイドにはあの「型」を決める(見得を切る)場面が随所にある。おそらく日本刀じみたブレイドを小道具に使ったのは、単純に東洋趣味だけじゃなくて、そのあたりを意識したのだと思う。(どういう訳かこの日本刀アクションだけは「見得を切る」のに80パーセントぐらい失敗している。)それに映像処理がとにかく(かっこよく決まる)事を目標に全力を出してる感じが、とっても好ましい。「見る楽しみ」を追求する中で映画の技術は進歩するんだろうな、、。お勧めです。 |
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オースティン・パワーズ・デラックス |
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オースティン・パワーズ・ |
オースティン・パワーズは映画全体が007シリーズのパロディ。主人公のオースティンはジェームス・ボンド、敵役のDr.イーブルはDr.ノオに置き換えたもの。60年代のサイケデリックなアートやファッション、音楽。惹かれます。この時代って一体なんだったんでしょう。 で、映画の方は徹底して「お馬鹿」路線。こういったお馬鹿を楽しむのが粋みたいに評価される方もいる様だけれど、ミニーミィの取り扱いなどを含めて私はハッキリ言って「嫌い」。きっと全部が計算された「下品さ」なんだろうけどね。こういうのは日本人の体質には合わないと思うし、この部分だけは何時までもそうあって欲しいと思ってる。 それでもこのコーナーで取り上げようと思ったのは、何なんだろう。それはこの映画から漂って来るある種の「やさしさ」だろうと思う。劇中、恋人同士のマイク・マイヤーズとエリザベス・ハーレーがデートをして街頭で踊るシーンがあるんだけどエルビス・コステロが登場してバート・バカラックと「恋よ、さようなら」を披露する。そのシーンがとても「優しく」て私の一番のお気に入り。それにこの映画、2種類の「お馬鹿」を捻り合わせてつくり出してあるんだろうけど、片方の軸である小気味よい会話のやり取り(特にDr.イーブルとその息子、スコット・イーブルの掛け合い)や「間」は、やっぱり楽しめる。不思議な魅力に溢れた映画ですよ。 |
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ブリスター! |
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ブリスター! |
「チンタラ遊んでんじゃねえぞ、おめえら。どうせ遊ぶんなら力入れて遊べ。ガキの頃よぉ。思い出してみろよ。遊んで遊んでクタクタになるまで遊びまくって、ぶっ倒れるように眠って、次の日にゃ又、ガンガン遊んだだろうが。毎日が気持ちよかっただろが。完全無欠のヘビーローテーション。あれがホントなんだよ。」です。そんな気にさせてくれる映画です。 ブリスターとはアメリカ製の「フィギュアパッケージ」、これを映画タイトルにもって来るなんて自爆ものだなぁっ思っていたけれど、見終わってみれば妙に納得するネーミング。映画自体のレビュー?詳しいコメントはここで書く必要はありませんね。「ブリスター」で検索かけてくだい。みんな気合いはいってます。ぬるいコメントは少ない筈。 近緒はハサモト(山崎裕太)の応援をしてる事と、彼が言っている事(つまり脚本と監督が言ってる事は)が正論だと明記します。【集めるってのは「学習」だろうが。それで止めてどうすんだ。その後は造るんだよ。】ごもっともで御座います。そして伝説の指を持つ韓国人クミホ(つじしんめい)の登場もいいなあ。フィギュアの主な工場が東南アジアって事で出てくるのかも知れないけど、一昔前なら、ここはアメリカやヨーロッパ、よくてインド人ってあたりの配役だったもの。やっぱ作り手側の世代、それ以上に意識交代って大きい、と思うよ。 PS 伊藤英明のユウジは、OK。『クロスファイア』のあの純朴な青年は一体なんなの?ちょっと一直線で「ヌケー」っとしてるのは伊藤英明の地だろうけど、、、。 |
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どら平太 |
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どら平太 監督:市川崑 |
いいなぁ。のっけから良いリズム。ああ、あの「時代劇」が戻って来た。そうなんだよね。結局、見せ方なんだ。次はこうなるんだろうな。観客がそう思う通りに物語が実に気持ちよく展開していく。
この「気持ちよく」って部分が大切なのだ。「意外性」だけが映画のリーダビリティじゃない。 役者の技量、映像の技量、そして監督のこだわりだけでもいい映画は出来る。(これって誉めているのかなぁ。いや誉めている。「時代劇」にはこれが誉め言葉になるんだ。) 「どら平太」、この映画、もし市川監督の名前を伏せて、「謎の若手新人監督」ってやてもいけるんじゃないかな?それぐらい、この映画には今の時代でも通用する大人の「おしゃれ」さがぷんぷん匂ってくる。大島監督もそうだけれど、両監督の年齢を考えると、今の日本でこれだけの感性をタッチアップし続けてこれた事は賞賛に値すると思う。 で、この映画の要は役所広司。今、力のある日本映画にはこの人が必ずといっていいほど登場する。彼のどら平太の演技を見てると、その事実が、偶々の流行ではない事が充分に納得出来る。(配役でいうと浅野ゆう子・片岡鶴太郎の起用は正直言って謎。まだ浅野ゆう子は宇崎竜童と同じ「ご愛敬レベル」で我慢できるけれど、鶴太郎は、いい加減「お笑いとシリアスを中途半端にブレンドした」ようなあのスタンスをやめてほしい。「痩せた二郎さん」のニーズはそれ程ないと思うよ。) 兎に角、見終わった後に思ったのは「やれば出来るじゃん。痛快時代劇。」という感想だった。特に「梟の城」なんていう映画技術とお金の超無駄遣い作品を見て「時代劇」の本当の終焉を感じた後だったもので「どら平太」には随分、救われたような気がする、、。 この分野、常に新風を入れながら積み重ねていけば、もっと大きな華が咲く筈なんだ。あの「グラディエーター」を引き合いに出さなくてもその事はこの作品で充分にわかる。なんだかんだと言っても「チャンバラ」は日本人しか作れないんだよ。廃らせてしまうのは、余りにも「惜しい」。がんばれ「時代劇」。 |
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交渉人 |
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交渉人 監督: F・ゲイリー・グレイ |
「IQ180の駆け引き。シカゴ警察No.1の人質交渉人ダニー・ローマンが事件に巻き込まれた。無実をはらすため、自ら人質犯となった彼が逆指名したのは、もう一人の“天才交渉人”クリス・セイビアンだった。」 映画はほとんど、S・Lジャクソンが人質をとって立て篭った警察ビル内部で終始する。籠城の間に少しでも時間を稼ぎ、ジャクソンが車椅子探偵よろしく居ながらにして真犯人を突き止めようとする設定はなかなかに面白い。古巣の警察の同僚を、相手取ってのローマンのしたたかさにはにやりとさせられる。結構この描写が長くて、おいおいIQ対決はどうした?と思っている間に、ようよう彼はもう一人の交渉人、 ケビン・スペイシー演ずるところのクリス・セイビアンを指名する。 ここから、互いに研ぎ澄まされた頭脳の持ち主二人が自分の名誉と誇りを懸けて向かい合うわけだが、、。「IQ180の駆け引き」というのはキャッチコピーにしてもどうかなと思う。映画を見ていて二人ともそれほど無茶苦茶に頭がいいように思えないからだ。(というか極端に高度な頭脳戦は、映画には向いていないだろうしね。設定として観客がそう思ってくれればいいという程度だろう。第一、ジャクソンは鍛え上げられてそこそこやれる男は似合うと思うけど、カミソリっていう風貌じゃないもの。)でも、映画の前半は熱い行動派ジャクソンのもので、後半はクールでソフトなケビン・スペイシーが主役って感じの作りだね。映画館での予告をみたかぎりでは、ケビン・スペイシーが交渉人で、S・L・ジャクソンは異常に頭の切れる凶悪犯みたいに思いこんでいたので、この映画の冒頭はえぇ嘘ーって感じで見てしまった。 でも公証人と公証人をダブルで組み合わせて、自分たちは動かないで犯人を追いつめるなんて(最後には動いちゃうけど)実に面白い設定を考えたもんだなと思う。警察モノも「内部汚職」や「潜入捜査パターン」で、もうその設定のバラエティは頭打ちかなと思っていたけど、、やるね。この映画、二人の間の緊張感が、もっと描き込めれば映画史に残る作品じゃないかと思う。(でもその分、娯楽性はうすまるだろうけど、、。) |
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海賊版=ブートレグ フィルム |
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海賊版=ブートレグ フィルム 監督・脚本:小林政広 |
この映画全然好きじゃない。でなんで好きでもない映画にレビューをかけるかというと、まあ「自戒」の為かなぁ。ホンというと近緒にもこんな映画が「良い映画」だって無理矢理思いこんでいた時期があるのよね。(だから、この映画にも、ちょっとは惹かれる要素があるんだけど、、。) まず柄本明がビールを飲みながら車を運転するのは「映画の作り上」判るけど、どうしてシートベルト付けてんだろう?タランティーノの話を持ち出したらそれっぽくなる?もうそんなレベルを越えなくちゃ。(それにしても椎名桔平ってレスリー・チャンに似てるなぁ。)いつまでこの二人に、糞面白くもない掛け合いチンタラやらせてんだよ!って切れかけた時に、柄本明が「僕は意気地なしじゃありません」で拳銃、バン!!ですよ。 それからかな、ちょっとは見られる映画になるのは、、。近緒的には柄本と椎名の二人が、北の外れの銭湯で、黴びたタイル張りの湯船に入っているシーンはちょっと好み。で、この映画、最終シーンに向かって、ようよう人間の死体も結局は冷蔵倉庫につり下げてある牛肉みたいなもんなんだろうなって思わせるぐらいまでは引っ張ってくれるんだけど? 結局、最後の死んだはずの柄本明が目を開けて叫ぶシーンで「監督やっぱし、あんたって駄目ねぇ、、。」と思ってしまうのね。「なんだかな〜」って感じで、「もうよそうよ、そんな事」って言いたくなるのね。大昔のATG映画みたい(いや、そんな事ないか、あれはあれでエネルギーがあったモンね。) そして最後の最後は、高田渡だ。情けね、、、。何で今頃、高田渡を担ぎ出すんだよ、、。下心見え見えだぞ−−−!!柄本と椎名この二人のキャストなら、同じ設定使っても、もっと面白いものが撮れる筈なんだ!!やっぱ監督が悪い!!綺麗な姉ちゃんや兄ちゃんのマスターベーションなら見てて興奮するけど、凡人の自己満足はサイテーよ。容姿に自信ないんなら、工夫するとか、そこんとこもっと考えようよ。 |
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レオナ |
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レオナ |
数あるビデオの中には「隠れたる傑作」とまではいかないが、その道のマニアの触手を擽る「佳作」が時々混じり込んでいるものだ。この「レオナ」も二重の意味でそんな作品かも知れない。「人形フェチ・人形愛」これらは濃淡の差こそあれど、結構広い範囲で人々の間に広がり、かつ、一般的な許容度も高いエリアだろう。映画「レオナ」は、そのものずばり、男達の偏愛を一身に受けながら旅をするダッチワイフの物語である。そしてこの映画の二つ目の楽しみは、掘り出し物(失礼)の女優さん、中島宏海である。 それではストーリー紹介から。 自称「女性専門カウンセラー」のハルカ(中島宏海)の事務所へ一人の若い女性ヨウコ(松山美雪)が現れ、3ヶ月前突然姿を消した婚約者ヒロアキの捜索を依頼してきた。破格の報酬につられ仕事を受けたハルカは、早速ヒロアキの捜索を開始する。前後してあるマンションの浴槽で独身男性の刺殺体が発見された。警察の捜査の結果、被害者が、マニア向けに精巧に造られたラブ・ドール「レオナ」を購入していた事実が判明した。この二つの捜査は、やがて一つの結末へと結ばれていくのだが、、、。なんてね。 話の筋自体は、余りに精巧に造られたダッチワイフが人間になってしまうという都市伝説をベースにしたものでこれといった新味はないし、肝心のレア・ボーグが、標本みたいなリアルさの為、かえって「人形」としての色気を失っているので映画へのパワーとしては還元し切れていない。 でも、だ。冒頭の夜の街を彷徨う「玩具のチャチャチャ」や、元ホステス、現:女カウンセリングとその助手等々なかなか良い設定なんですよね。レズとオカマのカップルが入り浸るレズバーだとか。元ホストの「探偵物語の工藤ちゃん」なんかも出てくるし、中でも、崩れたミポリンみたいな中島宏海が撒き散らす、臨時女探偵の色気がとてもいい。これはひょっとして人形愛に走る男や、それに裏切られる女へのアンチテーゼなのか(そんな事ないよなぁ。でもこの監督、ホントはこの女性版「探偵物語」を撮りたかったりして。)。 結局、人形愛って自己投影の世界なんだから、その辺りのフェチ心を深く追求すると、ハルカの所属する世界の面白さが上手く描けないだろうし、観客へのサービスのバランスが難しかったんだろうね。 ちなみにレオナは実際に販売されているそうです。データは「Reonaには胴体の継ぎ目手首、足首の接合部、胸まわり、手の爪には継ぎ目、接合部などは御座いません。接合部があるのは、サイドのパーテンションラインだけです。皮膚は特殊シリコーン素材。体内は発泡ポリウレタン素材、(スポンジ状)の2層構造。骨格がなく軽量なため、立たせることが可能です。」だとか、どう?ちょっとは萌えました? |
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インサイダー |
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インサイダー 監督:マイケル・マン |
内に激しい情熱を秘めながらも、甘い哀愁を感じさせる男というのが近緒のアル・パチーノ像なのね。だから「ヒート」の時みたいに、激情をあんなに出されると、彼に身体がないだけ、ちょっと怖い感じがした。こんどはドンピシャリとはいえないまでも(だってローウェル・バーグマンをいくら演じて見せてもアルはアル、誰を演じても同じ事か、、。)、とにかく格好良かった。あんなに目の下に垂みをつくった老齢になってもまだ男の色気をだせるんだなぁ。。 ああ、いけない。もう一人の主役はラッセル・クロウ。最初見たときに、「えっこれがラッセル・クロウ?」って判らなかった。この人はアル・パチーノと逆のパターンですよね。勿論、「L・Aコンフィデンシャル」の時の、何処か不器用で傷つきやすい色気はベースにあるけれども、凄く役作りで存在感の色を変えてる。最近の「グラディエーター」を見ても、ちゃんと役作りが出来る人なんだねっとつくづく思わされた。 あと、映画のテーマのほうね、、うーん、、これは社会派ドラマっていう事なのかなぁ、、。「エリン・ブロコビッチ」の時にも書いたけれど、ちょっと今のところ日本人がこれを見てもよく判らない部分があるかなぁ。特に守秘義務と州ごとの裁判の関係とかね。正義感が縛られたり、社会不正とかは、この国でも日常茶飯事だけれど、やっぱりケリの付け方がどこか違うのかな。だからその対極にある、「信念」だとか「男の意地」だとか誇りの在り方も、日本とはちょっと違うんだよね。最後あたりの老ニュースキャスター、マイク・ワレス(クリストファー・プラマー)とアル・パチーノの対立あたりで日本じゃお涙頂戴になるか、喧嘩わかれになるんだけどこの二人、対立したまま認め合っている訳、、。こういう状況で相手を認められるのはさすがに民主主義の本家だなと思う反面、日本じゃここまでいったら二人の関係は、よかれあしかれ次のレベルにいくんだけどなぁ(二人とも腰砕けになるという話しも、、)。 「男一匹何処へ行く」っていうのが、この監督らしさと言われているけれど、アメリカ映画のヒロイズムは、大なり小なり、共通してるような感じがするんだ。 やっぱ自分の国が「世界の警察」だなんて洒落っ気抜きで思っちゃう人が沢山いる国なんだろうなと思ってしまう。その直情さに「苦悩」が花開くんだから、潔いといえば潔いんだろうけど、こんな奴、迷惑な時は、とんでもなく迷惑だろうなぁ。 まあいいや。これはこれで、アル・パチーノの最後の決め台詞もかっこいいし、。 PS 映画の中の事を心配してもしかたないけど、アル・パチーノ扮するローウェル・バーグマンの携帯電話代、馬鹿にならないだろうなぁ、、。 |
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クロスファイア |
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クロスファイア |
しっかり泣いちゃいました。特撮映画で原作付きなんだから、色んな人が色々言うんだろうけど、これは「お勧め」です。 生まれながらにして超常能力を持った主人公を中心にしたら、そこから成り立つ物語は、誰が書いても撮っても、「見通し」がつくものです。だからそれ以外の部分で「勝負」になって来るんだけど。映画の話し運びとしては凄くオーソドックスで安心して泣けました。(後半の「ガーディアン」や「意外な黒幕」のはしょり具合とか、前半の「少年犯罪にまつわる人権と法」との関係とかはあまり問わないでいいと思える程に。) それと近緒が泣けたのにはもう一つ理由があって、この映画版「クロスファィア」は、意外と原作者の宮部みゆきの視点の温もりをちゃんとキープしているように思えるからなんですよね。(私は宮部みゆきの「火車」しか読んでいないけれど、、) 例えば宮部みゆきの作品では「平凡なOL」=本当の所、平凡なOLなんて一人もいない筈で、そういう意味で(平凡なOL)という言葉はスゴイ名称だ=の殻の中にある「女」の視点と繋がった部分で犯罪や罪が描かれるんだけど、この映画ではそれをちゃんと引き継いでいる。まあ主人公(矢田亜希子)と多田(伊藤英明)とのラブストーリーは監督からのサービスなんだろうけど(消して気分の悪いサービスじゃない)、、。 主人公の、女性に対する性的暴力に対する憎しみや、逆に「彼がその少年を殺したくなる気持が痛いほど分かる。それならばいっそ証拠の残らない私の力で。」という感じで恋人の為に貢いでしまう心理だとかね。 あとビジュアル面では、炎のCGを効果的に使いこなせている。ついに日本でも見ている者の情動を揺り動かせる特撮レベルを手に入れ、使いこなせる時代に入ったんだなぁとつくづく感じさせられた。ある意味、映画「クロスファイヤー」はこれがなかったら成立しなかった映画なのかも知れない。炎のバリアの揺らめきとか、火柱となって燃える人間とか、やろうと思えばグロに徹してリアルにも出来ただろうが、それを抑えて炎の持つ美しさを前面に出したのはさすが平成ガメラの金子監督だど思う。 あと矢田亜希子って配役ですよね、確かに違和感はないと思う。暗い過去を引き摺り、愛情に飢えながらも本当は人一倍優しい心を持つ女性。綺麗で存在感が強いばかりが主役じゃないものね。CGの炎と同じぐらいフィットしている。他の「華」の強すぎる女優さんじゃ、逃亡先のアパートの拭き掃除の場面を撮っても違和感があったんじゃないかな? それになんと言っても石津刑事役の桃井かおり。原田龍二との掛け合いとかね、なかなかいい狂言回し役をやってくれる。どうしても主人公や中心人物に感情移入が出来ない人向けに、ちゃんと観客の座る位置を用意してくれているじゃないですか。 そんなこんなでこの映画は近緒の「押し」です。映画としてのレベルがなんとかって言ってないで、見ましょうよこの映画。面白いよ、泣けるし、、。問題はこの映画を先に見たら色々な意味で「原作」を読むのが怖くなる事だろうな。 |
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五条霊戦記 |
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五条霊戦記//GOJOE 監督: 石井聰亙 |
この映画、芥子丸役の細山田隆人君が可愛くてレビューに挙げたんだよぅ。「御法度」の松田龍平とタメをはるかなぁ、、。でも「見た目」は、芥子丸、富田靖子似の新人の女の子にしか見えないから、隆人君の圧勝だろうね。 ホントに映画の最後辺りになってこの子の顔が真正面向きに撮られ、以外と低い叫び声が聞こえた時に、ようやく「男の子」だって納得いったぐらいだから、、、。松田龍平に比べると体つきがより丸い(特にこの子の場合、肩の丸みなんかが着物に妙に優しく収まる)事も大きいかなぁ。 遮那王役の浅野忠信の「影武者」が芥子丸だと判って「無茶やなぁ。」と一瞬思った後「そう言えば、京の五条の牛若丸は、女の子と間違えられる可愛い少年だった筈」と思い出して、細山田の芥子丸の可愛さは、映画の展開上、後になってこの子が史実側で牛若丸になるのかしらんと思ってしまった。 で、この感想は図らずも、一番最後の結末に結びついていくのだけれど、これは一応ネタばれになってしまうのでここでは詳しく書かないことにして置こう。 細山田君以外のこの映画の見所、、、。殺陣かなぁ、、。ダンスと剣舞の中間のような感じ、、。座頭市っていう映画の殺陣が「逆手切り」というもので「あれじゃ本当にモノは切れない」って言われたらしいけれど、それなりに勝新太郎の役者のアクも手伝って「空想上の良く切れる」世界は実現していた。五条霊戦記の殺陣も、座頭市の逆手切りにかなり近い線までいってるけど「こんなんで本当に人が切れるのかしらん。」という興ざめの覚醒の瞬間は何度かあった。 浅野忠信ファンには申し訳ないけど、彼が義経をやるのも日本刀を優雅に振り回すのも似合ってないと近緒は断定しちゃう。確かにあの不思議な「透明感」だけは、浅野忠信にしか出せないのだろうけどね。 二つ目は、平安という闇の時代の演出、、結構、森・河原が神聖や妖気を帯びた存在であったり、政治や力そのものも、人智を越えた部分で作用した時代であることを、意識して描けていた感じがする。 後はねぇ、、、水準かな、、、扱っているテーマも凡庸だし、、でも、こんな風に新しい作風の娯楽歴史映画を作ろうとした舵取り意識だけは、素直に「偉い」って認めていいんじゃないかな。それに意外と気づかないけれど、日本の映画って「こんな舵取り」をした作品に限って、映画としての水準を割り込んでしまう悪い癖があるのに、この作品では結構良い線いってるんだから。 |
細山田隆人君 |
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バトルフィールド・アース |
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バトルフィールド・アース 監督: ロジャー・クリスチャン |
これは「最低映画」だそうだ(第21回ワースト映画ラジー賞受賞)。こんな映画が好きだと言ったら、私は余程の気取り屋か映画音痴ということになる。映画音痴はいいけれど気取り屋と言われるのはちょっとつらい。、、、それでも私はこの映画が好きだといっちゃう。だってトラボルタとフォレスト・ウィットテーカーの悪人ぶりが、もうたまらなく可愛くて仕方がないからだ。サイクロ人達が集まって行う「悪」の見本市会議も、いかにもっていうライティングとメイクで嘲笑・恫喝・陰謀・裏切りの表情を盛り上げまくっているしねぇ。これぐらい漫画ぽい描写になるとかえって楽しく観れるわけ。サイクロ人の、竹馬を履いたようなボディメイクも、変形ラスタマンヘヤーも、みそっ歯も、、クリンゴン変調メイクも、とってもお笑いでキュートなんだよ。(特に、竹馬で嵩を付けた上から履いた軍人長靴姿は、もう絶品) 勿論、悪党には彼らにジャラジャラとつきまとう「スケ」が必須だけど、これが又、ビザールビッチ。うーん、いいわねぇ。サイクロ人女性の舌がにょろにょろって伸びるのも、爪の長い指が黒エナメル手袋に包まれているビザールファッションも定番。それに最後の決め手は、バッチシ「お水メイク」顔の上の「そりこみ禿」。(近緒は何故か「禿げ鬘」を被った女性に興奮するのだ。)という事で、『バトルフィールド・アース』は近緒好みのアイテムが満載の映画なんだよ〜。 で、こんなに楽しい『バトルフィールド・アース』の問題点は、サイクロ人に対抗する「絶滅寸前の人類」なのね。完全に「インデペンデンス・デイ」のりで設定無理むりの独立蜂起劇、、ブラックユーモアがメインで「人間の蜂起」は、話の展開上の刺身のつまだったら「傑作」になったかも知れないのにね。その辺りがこの「最低映画」の最低部分なんだけど、、。 例えばここに出てくる人間は、どうみても「原始的なお猿さん」をイメージして演出かけてるのよね。だから繋げ方によればこの映画「マーズアタック」に比肩する、徹底した「悪」賛美、もしくはブラックコメディで、しかも主演がトラボルタ!!っていうゴージャス映画になった筈なのに。、、でもやっぱり、この映画、最後は人間(アメリカ)賛美な訳。「ムー」ですね。「サイエントロジー」という、宗教?組織のプロパガンダ映画という枠組みが、こんな歪みを生み出した原因なんだろうけれど、そういう意味でもこの映画、一見の価値ありなのかな、、。 PS ああ、そうそう。この映画の原作を書いたSF作家L・ロン・ハバードとその信奉者達を徹底的に揶揄したSFを最近読んだ記憶があるのよね。その作品では、このSF作家(らしき)を中心としたインチキ宗教集団が、かなりの影響力をもった未来世界を設定してたんだけど、トラボルタみたいな有名人が、新興宗教にいかれているような現実をみると、この未来史、あながち笑っていられないなぁ、、と。 何一つとして信じるモノがない生き方も、ヘビィだけれど、こういう「何かに全てを捧げる生き方」もなぁ、、。と妙に考え込まされる映画でもありました。 |
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パラサイト |
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パラサイト 原題は |
邦題が「パラサイト」、確かにそうなんだけど、パラサイト○○にあやかろうってのがみえみえで、。まあいいか、この監督さんも、この映画もそんな事気にしないだろうから。従ってストーリー紹介もなし。「学園青春もの+ボディスナッチャー」で全ての説明の片が付く。でもここに出てくる若手の俳優さん達は紹介しておく値打ちがあるかも。私の一押しは長身のクールな不良少年ジーク役の(ジョシュ・ハートネット)。SF好きのパンク少女ストークリー(クレア・デュバル)かな。特にジョシュ・ハートネットの憂いを含んだ瞳や表情はなんとも言えない魅力がある。この人、ちゃんと伸びればきっと凄い俳優さんになると思う。クレア・デュバルは、本当に個人的好みです。学校新聞編集長のデライラ役のジョダナ・ブリュースターなんかは、放って置いても人気がでるんだろうけどね。 お後はSFXの出来なんだけど、水槽の中のクリーチャーの造形は秀逸。それにクレア・デュバルをプールの中に引きずり込んだ巨大寄生虫(エイリアン)が、泳ぐ少女の姿に変身していくシーンはとても綺麗。この映画のクリーチャーが単純にグロいだけじゃなくて、どこか綺麗さを感じるのは、「水」を意識的にとりいれているからだろう。 |
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ラブ・アンド・デス |
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ラブ・アンド・デス |
人はいつ恋におちるのだろう。「ヴェニスに死す」と、どうしても比較してしまうこの映画。 でも「ラブ・アンド・デス」が「ヴェニス」と決定的に違うのは、主人公デアス(ジョン・ハート)が完全に恋の相手に接触してしまう事なんだよね。そうすると話の筋として、ゲイ同士が出逢うならまだしも、ヘテロとゲイが出逢って旨く行くはずがないから、物語の結末は、悲劇的なものなっていかざるを得ないわけ。、、それでも「恋」は、時も場所も相手も選ばないもの、、。 と、いう感じでこの映画見ていくと「?」って感じになっていくんだなぁこれが、、。 デアスが、映画館のスクリーンの上で一目惚れした若手俳優ロニーを演じるジェーソン・プリーストリーは、「ビバリーヒルズ」でも、とてもキュートな俳優さんだと思っていたけれど、いざこんな配役になってしまうと、思っていた程「座らない」のが不思議なのね。 「ゴッドandモンスター」のブレンダンのほうが、よほど色気が在るわけで、、多分そう見えるのは演出とか、ジョン・ハートとの絡みのせいなのかな、、。ジョン・ハートは、なんだか制御が利き過ぎているみたいだし。 もっとも、そう評価するのは、この映画をゲイムービーの範疇に入れるからなのであって「ラブ・アンド・デス」の本筋は、もっと別の所にあるようなのね。この映画、国と国との文化摩擦(アメリカ・イギリス)や、旧世代の言語文化と、映像文化の摩擦あたりが、ものすごく旨く描かれた映画でもあるわけ。 その物差しになっていくのはデアス自身で、最初の「恋する少女」よろしくロニーのスクラップに明け暮れるデアスの描写から始まって、アメリカに渡ってからの結構アクティブな探偵振りとかを旨く描き込んで行く中で、文化論諸々を随所散りばめていく構成になっているのね。 特に、最後のFAXの場面なんかは秀逸で、「言語文化」にどっぷり填った人間なら、デアスのFAXは一種の呪縛的効果があると思う。(勿論、映画の中でロニーはそのFAXを直ぐに破いてしまうのだけれど、。)私なら、あの時点で、デアスに絡め取られる可能性があると思う(お年寄りは趣味じゃないけど)。 でも、ミステリーでもないしねこの映画、、。紹介が難しい映画だよね。でも巷の誤解を解くためにこれだけは言っておきたいと思うのね。一つ「ラブ・アンド・デス」はゲイムービーじゃない。二つ「ラブ・アンド・デス」は、ハーツフルラブストーリじゃない。三つ「ラブ・アンド・デス」の主人公は断じてジェーソン・プリーストリーなんかじゃない。 |
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風雲ストームライダーズ |
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風雲ストームライダーズ |
覇王伝説。「運命の子」達を略奪し、王はそれを糧におのが権勢を拡大しながら、世界を制覇するが、やがて自らがその子等と戦う事に、、。 覇王伝説には、やたらこの手の物語が多いんですよね。戦国時代と言いましょうか、群雄闊歩する時代には東西を問わず、いずこも同じ定番でしょうか。あ、西と東ではちょっと違うか?「恩」だとか「義」だとかの分量がね。それに同じ「東」でも香港ストーリーは、これもちょっと違いますよね。人間関係に糸を引くような所があって、それで「残酷さ」が増すみたいな。 あは、でもこの映画はそんな事、関係ないですよね。この映画でそんな事を考えてるようじゃ観客として「お間抜け」という事で、、、。 |
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