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14:人魚心中
若い女の絶叫が枯れていく、、悲鳴や絶叫は羽蘭にとって珍しいものではなかった。
男や女に鞭を振るう時も、ヒールで蹴りつける時も本気でやる、だから相手からは「生」が、ほとばしる叫びが出る。
しかし、命の振幅が振り切れるような絶叫と、そしてそれが段々と枯れていくのを聞くのは、今が初めてだった。
有り余る「生」が暴走して、迸っているのではなく、それが無理矢理引き摺り出された挙げ句、萎びながら急速に消滅しかかっているのだ。
理恵だ。
あの子、こんな所まで入り込んだんだわ。羽蘭は走った。自分に何かが出来るとは思えなかったが、走らざるを得なかった。
見覚えのある地下研究室の外れに、洞窟の入り口のようなものがあった。以前、迷い込んだ時にもこれはあったのだろうか?、、それとも蓋のようなものがされ、隠されてあったのだろうか、、。
ほの暗いその小さな洞窟の中に、オンナの白い背中が揺れるように見えた。
誰?理恵じゃない。だったら冬子?
一つだけ確かな事は、今は呻きとなって消えかかりつつある理恵の声は、その奥から聞こえてくるという事実だった。
腰に挿していた裁ち鋏が異様に熱を持ち始めた。
その熱さにたまりかねて走りながら裁ち鋏を引き抜いた途端、一つの直感が、鋏から流れ込んできた。
『あの裸のオンナは照葉に化けた三平、、早く理恵を助けてやれ、、、そうね?、そうなのね、、タネばあちゃん!!』
羽蘭は裁ち鋏を腰ダメに構え、間近に迫った女の身体にぶつかっていった。
もしみんな自分の錯覚だったら大変な事になる、、という思いが一瞬、羽蘭の脳裏を横切ったが、それ以上に、理恵の漏らす切迫したうめき声の変化が、羽蘭をせかせていた。
間に合わないかも知れない。さらに、ここで訪れる「死」は、普通ではない。死んで全てが、終わるわけではないのだ。
羽蘭は自分の体験の中からそれが理解できていた。なんとしてでも理恵を助けなければ。
少なくともその死を三平にゆだねてはならない。
三平はふと自分の背後から、一種の「気」が放たれているのに気づいて後ろを振り返った。それは、照葉の顔を元通り被り直し、その顔で理恵をいたぶり尽くすのに夢中になっていた最中だった。
そこに羽蘭がいた。
何かを手に持っている。三平が、迫ってくる羽蘭に気が付いたのは、それが放っている異様な「気」のせいだった。
そうでなければ理恵が断末魔に示す「艶」を、蛸蜘蛛桜とともに吸い込み、それに酔っていた三平は、羽蘭の体当たりの攻撃をまともに食らっていたかもしれなかった。
矛盾した話だが、虚の側では三平の力は混乱し、普通の人間の力しかもたない羽蘭の攻撃は、その微力さ故に隙を付く形で、三平に到達した可能性があるのだ。
三平は半身になって身をよじり、羽蘭が突き出した金属の突起物を辛うじてよける事に成功した。
しかしその身体はバランスを失いたたらを踏みながら、虚の壁に縫い止められている理恵の身体に被さるように倒れ込んでいった。
自分に背中を押しつけるように倒れ込んできた三平の首筋に、理恵は最後の力を振り絞り、その首を傾け食らいついていく。
口の中に照葉の黒髪が溢れたが、それには構わず、首を必至に前に突き出し、とうとう照葉のうなじの皮を捉えた。
歯をかみ合わす。
三平の身体からは痛みを表す何の反応もない。どうやら理恵の歯は、照葉の「皮」だけを捉えたようだ。
構わなかった。ただ何も出来ずに死んでいくより、少しでも三平の邪魔が出来ればそれで良かった。
正確に言うと、理恵の頭の中では、自分が羽蘭の攻撃をより効果的なものにさせるために三平を釘付けにするのだという、明確な意志は、既に働いてはいなかった。
ただ、このまま死ねるものかという無念さだけが、理恵に残された最後の体力を燃焼させたのだ。
しかし照葉の皮のなんと甘い事か、、、理恵は薄れゆく意識の中で、ただそれだけを思った。
三平は体勢を立て直そうと足を踏み変えたのだが、それがうまく行かなかった。
なぜか自分の頭部が虚の壁に縫いつけられたようになっていたからだ。
無理に動こうとすると顔の皮膚全体が後ろに引っ張られるような気がした。
一番影響が出るのは自分の「目」で、頭を大きく動かすと、瞼が引っ張られてモノが見えなくなる。
羽蘭は、自分の目の前の顔に見覚えがあった。
この地下室で見つけた紋場三姉妹の人体剥製の内の一体だった。その顔が、今、目の前で、ぐにゅうぐにゅとまるでゴムのように歪み動いている。
元の顔が綺麗なだけに、それは例えようもなくグロテスクだった。そしてうごめく照葉の顔の向こうには、もう一つの顔があった。
その顔は血走った目を見開いたまま、照葉のうなじ辺りに歯を立て、食らい付いている。
「理恵ちゃん!」
羽蘭がそう叫んだ途端、三平はその両腕を羽蘭の身体に突き出し、羽蘭の身体を後方数メートルまで吹き飛ばしていた。
羽蘭はその勢いに負けて、手に持っていた裁ち鋏を取り落とし、床に尻餅を付く形で落下した。
三平の目は素早く床に転がった裁ち鋏に注がれるのだが、次の行動が起こせないでいるようだった。
いつもなら手をふれないで遠方の物質に干渉できる力が発揮できないのだった。
どうやら攻撃を加えたい相手には直接、自分自身の身体を接触させる必要があるようだった。
つまりこの虚の壁につなぎ止められていては、何も出来ないということだった。
三平は、背後の理恵の頭部に手をかけ、自分から引き剥がそうとするのだが、なぜかそれが出来ず、仕方なく自分の照葉の口に指を突っ込んで皮を脱ごうした。
しかしその機構に損傷が起きたのか、それもうまく行かないようだった。
そして人体スーツの装着口兼、非常脱出用のうなじに隠された極小のファスナートップは、照葉の首をくわえ込んだ理恵の口のなかにある。
今や三平は理恵だけでなく、文字通り照葉にも、体中を羽交い締めにされ、その動きを制限されているのだった。
羽蘭は、三平が自分の瞼の下に、指を鈎爪の形にしてひっかけているのを、ぼんやりとした頭で見た。三平に突き飛ばされて受けたショックは、身体的なものだけではないようだった。
照葉の目の形が縦に引き延ばされていく。・・目の周りの皮膚を引きちぎっているんだ。でも、何の為、、、決まってる、身にまとった照葉の皮をそこから裂いて脱出するつもりなんだわ。
こんな間抜けな三平って初めて、、、いや違う。ここがそういう場所なんだわ。
三平本来の力を混乱させる何かが働いてる。
それにタネばあちゃんがあたしを助けてくれてるように、理恵だって、照葉だって、、このアタシを助けてくれてる。
羽蘭は突然目が覚めたように、床に転がった裁ち鋏を拾い上げると、もう一度三平めがけて体当たりを仕掛けた。
腰ダメに構えられた裁ち鋏が深々と三平の腹に突き刺さった時、三平はようやく、自分の顔を覆っていた照葉の顔を脱ぎ捨てていた。
しかし、その三平からの反撃はもうなかった。
羽蘭が、三平から身体を引き離すと、三平はその場に崩れ落ちた。
既に絶命している。
実にあっけない幕切れだった。
自分の足下で、鶴継の顔で死んだ三平を呆然と眺めている羽蘭には、この時、蛸蜘蛛桜そのものが、三平の存在を不要のものとして切り捨てたことなど知る由もなかった。

「こうして斜め上から眺め降ろしてみると三平屋敷というのは五稜郭本陣のようだな。屋根の真ん中に突き出た物見櫓がある。その横に頭を出している鮹蜘蛛桜だけは余計だがな、、。」
確かに高さの足りない丘から三平屋敷を見下ろすと、回廊構造になった屋敷の中庭、つまり鮹蜘蛛桜が植わっている空間が建物で見えにくくなり、結果、三平屋敷は一風趣の変わった和洋折衷の洋館風に見えるのだった。
「本陣?箱館奉行所のことか、爺、あんた何歳だ?明治生まれか?それとも意外に江戸時代の生まれだったりしてな。」
柊の涙は乾いていたようだ。その面は斬馬と並んで、眼下の三平屋敷に向けられている。
「・・かも知れんぞ。本陣の姿は写真で見たと言っておこうかの?それにしても五稜郭に雰囲気がよく似ておる。屋敷の周囲を囲む堀と川が混じって星形になっているしな。」
「同じ星形でも鮹蜘蛛のは、デビルスターの五芒星だ。五芒星は世界中で魔術の記号として用いられて来た。、、、扱い方一つだな、守護に用いられることもあれば、上下を逆向きにして悪魔の象徴にすることもある。あれはデビルスターの方だよ。」
「ほほう、良く知っているな。」
斬馬の口元にほほえみが浮かんでいる。
「その口ぶり、今の説明、あんたにとっては釈迦に説法と言わんばかりだな。確かにそっちは俺の専門じゃない。こんなつまらない知識が俺にあるのは必要に迫られていたからさ。」
「悪いな、そんな話じゃなくて儂は、あんたの専門的な立場から、聞いてみたいんだ、、。あの鮹蜘蛛桜の正体をな、、、あれは一体何なんだ、、。」
「科学的には説明できんよ。矛盾だらけの代物だ。だから、さっき必要に迫られてと言っただろうが、、」
「羽蘭からは、あんたが鮹蜘蛛桜の事をバイオコンピュータだと、、。」
「確かに、俺があれを弄り始めた頃は便利なラボ付きのスーパーコンピュータだった。三平にその存在を教えられていたからこそ、俺は冬子を連れてここにやって来たんだしな。」
冬子の名前を口にして、柊の表情が再び曇ったが、今度は立ち直りが早かったようだ。
「爺さん、、分かりやすく言うと、蛸蜘蛛桜っていうのは」柊はそこまで言って首を振った。言い直しを考えたようだ。
「今の出来の良いコンピュータってのは人の感情までシュミレーション出来る、見た目にはコンピュータが自分自身で意志決定しているような動作さえ可能なんだ。正に人工知能の名に恥じない所まで来ている、、。鮹蜘蛛桜もな、」
「答えてくれるつもりになったのか?」
「さあな。今度は俺からの質問だ。怒り泣きわめく感情、、そして未来を夢見る力を持った人工知能、、、さて人間との違いはどこにある?」
「同じだと言いたいのか?それは絶対に違う。人間には魂があるが、機械には魂がない。霊能のある儂には見えるんじゃよ。お返しに分かりやすく説明しよう。機械の幽霊は金輪際、存在しないってことだ。」
人の念が込められた物質は、自らが意志を持つように見える場合がある。
それは、その物質に与えられた干渉力が、物質を所持する人間の思考能力や諸々の力を一瞬にして高める結果である。
そういった順で物質が意志を持つように錯覚されるのであって、物質自体が意志を持つ筈はない。
斬馬の使っていた「縁切りの太刀」も、羽蘭に与えた「幽霊眼鏡」も、理恵に持たせた「矢」もすべてそのようなものだった。
では、その「念」とは何か?と問われれば今の斬馬にはその半分までしか説明する能力はなかったのだが。
機械(コンピュータ)の幽霊は存在しないと言ったが、それは随分、内容をはしょった答えだったのだ。
柊も、この儂に蛸蜘蛛桜を説明する時に、このもどかしさを感じているという事か、と斬馬は少し苦笑した。
「霊能者を自称するあんただ、そう言うと思ったよ、、、だがな鮹蜘蛛桜にはあんたの言う、その魂があるんだ。」
「その基は、、三平の曾婆さんか、、。」
「日本陸軍医療特殊研究班は、コンピュータに喰わせるプログラムを作る代わりに、蛸蜘蛛桜の神経網を直接、そのオンナに接続した。それが真・神軍化計画の土台だな。犬と人間のオンナが交わって八人の剣士が生まれましたってレベルの話だが、実際それが起こってしまったんだから仕方がない。鮹蜘蛛桜の原型が、元から地球上の植物からかけ離れたものだったとも考えられるしな。」
「だから鮹蜘蛛桜は、三平の曾婆さんの魂を持つ、人間と同等のコンピュータだと?」
「二つ間違ってる。同等じゃない、能力的には鮹蜘蛛桜の方が遙かに上だ。それに三平の曾婆さんの魂を引き継いでるわけでもない。そんなものはとっくの昔に干からびてる。鮹蜘蛛桜の魂は正に鮹蜘蛛桜自身が生み出したものだ。いま三平屋敷に起きている異変は、表面上は三平の母親の乱心に蛸蜘蛛桜がシンクロした動きのように見えるが、実はそうじゃない。覚醒だよ。鮹蜘蛛桜が、曾婆さんの魂の抜け殻を完全にその身から引きはがして、自分自身に目覚めつつあるんだ。俺たちは今、巨大な知的生命体の誕生に立ち会っているんだよ。」
「・・自我に目覚めた鮹蜘蛛桜は、一体これから何をするつもりなんだ。」
斬馬のその問いかけに答えるように、三平屋敷の中央に生えた巨大な植物がぶるりとその全身を震わせたように見えた。
「・・全ての生き物には共通項がある。たとえ、その出自が地球外でも同じだろう。それは子孫を残すことさ。ましてや鮹蜘蛛桜は植物に近い存在のはずだ。種だよ。鮹蜘蛛桜としての種を蒔くんだ。それが俺の出した結論さ。」
柊は自分の右側に置かれたスーツケースの表面を撫でた。その中には、柊の専門分野の研究データだけではなく、意外にも鮹蜘蛛桜の秘密が隠されているのかも知れなかった。
「柊さん、あんた先ほどは植物は専門じゃないと言っとったが、随分詳しいじゃないか?」
「必要に迫れてと言っただろう、、冬子が鮹蜘蛛桜のことを知りたがっていたんだ。」
足下に倒れている三平、蛸蜘蛛桜の奇怪な根に、その全身を絡め取られ立ったまま息絶えている理恵、その両方の死体を見ながら羽蘭は自分がなすべき事を暫く考えていた。
三平の死体はまだしも、理恵はしかるべき処置を取ってやれねばならない、そう思ったが、自分が三平屋敷において残された時間と、先ほどから急激に膨らみ始め、普通の人間でさえ感じ取れるほどの悪しき波動の高まりを考えると、やはり鶴継を捜し出すことを優先させなければと決めなおした。
せめてと思って、羽蘭は理恵の瞼を閉じてやると、今度はその場で、ぐるりと虚の内部を見回した。
ここ数日間の滞在と、三平や柊との対決の中で、羽蘭は三平屋敷の大体を理解したつもりでいたが、こんな風に隠された虚を新たに発見したのだ。
この屋敷には、まだ羽蘭が知らない秘密の場所があり、そこにこそ鶴継がいる可能性があると羽蘭は思い至ったのだ。
・・自分がまだ出会っていない重要人物がこの屋敷に残っている。それは三平の母親だ。鶴継はその側にいる。
そう気づいた時、羽蘭の頭上から微かな風が吹いてきた。
見上げた羽蘭の視線の先に、複雑に絡み合った根が形作った縦穴があった。
その縦穴の入り口へは、目の前にある理恵の死体を包み込んだ根の集合体を遡っていけば容易に到着しそうに見えた。
理恵が導いてくれているのだ、、羽蘭は何の根拠もなくそう思った。
自分が果たし得なかった「思い人との再会」、、理恵は羽蘭を鶴継に引き合わそうとしている、、。
果たしてそんなことが、と思い返す前に、羽蘭は既に蛸蜘蛛桜の根が形成する壁にロッククライミングよろしく取り付いていた。
「で、その種とやらはどんなものになるのかな、、」
「蛸蜘蛛桜は雌雄同体であり、動物と植物のハイブリットでもある。その種の性質も、そこから押して知るべしだろうな。蛸蜘蛛桜の繁殖力は恐ろしく強い筈だ。そして今の所、この地球上では文字通りの唯一の一個体なんだから、大量の種を撒き散らそうとする筈だ。」
「、、、、。大昔のSF映画にそういうものがあった。宇宙から侵入した植物に人間を含めた地上が侵略されていくんだ。」
「あたらずとも遠からず、って奴だな。何しろ蛸蜘蛛桜にも、その種にも、ものを考えられる頭があって、しかも、こんな言葉は使いたくはないが、魔法が使える筈なんだからな。」
柊は「魔法」という言葉をいかにも自分にはそぐわないと言わんばかりに吐き出した。
「魔法というより呪術という方が似合っているな。儂は今の今まで神室一族の人間が、蛸蜘蛛桜が発生する一種の力場を操作変形する事によって、それをおのが呪術として来たものだと思っていたが。」
「たぶんにそういう面はあっただろうな、蛸蜘蛛桜が目覚めるまでは。言い方を変えれば、三平達のそんな関わりが、蛸蜘蛛桜をここまで成長させたのかも知れない。」
「種がばらまかれて、どんどん成長したら、映画のように人間は滅んでしまうのか?」
「鮹蜘蛛桜は、頭の足りない怪獣じゃないからな、、そして恐ろしく強力だ。自分の子ども達が育っていくための環境を作るために、、、つまり食物ピラミッドの事実上の頂点にいる人間を排斥する為に、色んなことを仕掛けてくるだろう。最初は、その個体数の少なさを、寿命の長さでカバーしながらな。だが生き物である限り、本当の意味での不老不死の存在などあり得ないんだ。総ての生き物は、やがて死ぬ、だから今生きているとも言える。どの生き物も必ず、死に至る因子を自分の内部に持っていて、自分自身ではそれを排除できないんだ。そこを突けばいい。鮹蜘蛛桜の個体数が増えないうちにな。」
「、、、なんだか誰かさんの為に、用意したような答えだな。」
「その通りだよ。斬馬さん、、。」
「冬子さんか、、。儂はあんたの妹さんに初めて会った時、なんだかほっとしたのを覚えている。」
「冬子が俺のキメラからの攻撃の壁になってくれると、直感したのか?」
「見損なわないでくれるかの、そうじゃない。除霊師としての仲間意識じゃよ。」
「除霊師?」
「儂は、トラックの運転の傍らで除霊もやっておる。その繋がりで何人か除霊師の知り合いがいてな。まあ偽物もおれば、本物もおる。本物であっても金を積まなければ動こうとしない者も、人の難儀を見てほっておけぬという者もな。冬子さんはそれじゃ、そういった人間が持つ特有の気を持っていた。」
「・・・お人好し同士ってわけだ。」
「単純なお人好しではないぞ。儂も最初は霊に憑かれた人間をほっておけずに手助けをしてやっていたが、その内、こりゃとりつかれる方の人間が悪いんじゃないかと思うケースが多くなった。それでも除霊は続けておる。なぜだか判るか。それは霊の方が哀れだからだ。哀れでたまらんから成仏させてやる。ただ霊と言っても、先ほどからの人工知能の話ではないが、そこに人格や意志がある訳じゃない。霊を成仏させてやったところで、その霊が穏やかな霊に生まれ変わるわけでも、感謝されるわけでもない。ただ歪んだ力場が消えてなくなるだけの話だ。それでも除霊をする。さっき言ったが、呪われて当然の人間の為にもだ。つまり、言い方を変えれば自分の為なんだよ。人の無念をそのままに出来ない。それは、、、自分自身の中に納めようがない無念が既にあるからだ。だからそうする。」
そこまで斬馬は一気に喋った。
「あんたの言ってること、、、なんだか判るような気がするよ。それで妹は今、あの屋敷で除霊をしようとしてるんだな。」
タネの裁ち鋏を、ジャングルをかき分ける時の鉈のように扱いながら、羽蘭は5分ほど、闇の筒の中を這い上って行った。
所々で自ら発光する苔が根の表面に張り付いていたので、羽蘭は真の闇の恐怖にさらされる事はなかったが、代わりに黄泉の国に続く洞窟とはこんなものかという妄想が嫌というほど膨らんでいた。生者の世界と死者の世界をつなぐ長い道、、。
ただその妄想は、第二の虚と呼んで良い、球形の空間に羽蘭がまろびでた時に立ち消える事になる。
そこは光苔の量が多いのか、かなり周囲の状況がはっきり見て取れた。ドーム型の天井にあたる部分に人が通れそうな穴が数個開いていた。
ここに来て羽蘭は自分の迂闊さを呪った。
なぜか羽蘭は、理恵達がいた虚の天井から伸びる縦穴は、どこまで行っても一本きりで、それは間違いなく次のステージに自分を運んでくれる通路だと思いこんでいたのだ。
その思いこみがあるからこそ、羽蘭は殆ど光の届かない窮屈なトンネルの中を、さしたるパニックに陥ることもなく進んでこれたのだ。
これから先は、進路の選び方によっては、蛸蜘蛛桜が形成するトンネルの中でのたれ死にする可能性もあるのだ。
そう気づくと、羽蘭は今までの自分の道行きに震えを感じ、暫く動けなくなっていた。
どうしよう、、、目を閉じると羽蘭の瞼の裏に、斬馬の日に焼けた皺だらけの精悍な顔が浮かんできた。
その顔は「大丈夫だよ、嬢ちゃん、儂がついてる」と言っている。
儂がついてるって斬馬さん、深い手傷を負って今にも死にそうなくせに、、、、羽蘭は懐かしさと切なさで、泣き笑いの表情を浮かべ始めた。
その時、羽蘭はある事を思いだした。
幽霊眼鏡だ。
あの無限回廊から斬馬と羽蘭を救ったのは幽霊眼鏡だった。その幽霊眼鏡が今、自分の胸ポケットの中にある。
見たくないものも見えてしまう眼鏡だったが、それは世界に隠されたものを総て暴き立てる幽霊眼鏡、故のこと。
それなら尚更、幽霊眼鏡は三平の母親の居場所に繋がる穴を選んで見せてくれる筈だった。
「見ろよ始まったな、、。予想通りだ。それにしてもおぞましい。あれを見ると俺が作ってきたキメラなんて可愛らしい子犬みたいなもんだ。」
柊が、まるで蛸蜘蛛桜に自分の声が届くのをおそれるように、そっと小声で呟いた。
三平屋敷の中央部分の屋根の縁から、棘がびっしり密集した黒い蜘蛛の脚の先端が覗いて見えた。
その棘だらけの皮膚の表面に幾筋かの蔦仕様の植物がからみついている。
遠くから見下ろして、これだけの大きさだ。実物は心臓が止まるほど大きく太いモノに違いない。
そこまで斬馬は思って、次にある事に気が付いた。
今、自分はこの光景を霊視しているのか?それとも隣にいる霊視の効かない柊と同じ光景をみているのか。
柊が見ているモノが、自分と同じなら、これは「現実」に起こっていることになる。だとしたら大変な事だ。
「蛸の脚は8本、蜘蛛の脚も8本、これは偶然かな。でもなんで8本なんだ?一体この数は誰が決めたんだ、え、どう思う斬馬さん。」
怪獣映画を思わせる巨大な蜘蛛の脚に続いて姿を現し始めたのは、ぬめぬめと光りのたうつ吸盤の付いた軟体生物の脚だった。
こちらの方は蜘蛛の脚のように一旦、天には伸びず、そのまま三平屋敷の屋根の上を這いずり回っている。
この二種類の生き物の脚をまとめている胴体は一体どんな形をしているのか・・・斬馬は喉がカラカラに乾いてきた。
「あんたにも、もしかしてあれが見えているのか?」
幽霊眼鏡をかけるたびに羽蘭は思う。
斬馬さんはこのみたくもない世界をいつも見ているのだと、、。最初の内は、そのグロテスクさに身をすくめるばかりだが、そのうちに気が付く。
幽霊眼鏡が見せるのは、魔物達が跳梁する世界ではなく、どうしようもないほどの、人の世の悲しさなのだと。
その幽霊眼鏡に導かれ、羽蘭はとうとう巨大な蛸蜘蛛桜内部の導管をくぐり抜けた。
くぐり抜けた先は、小さな板張り物置のような場所の中で、それ自体もっと大きな部屋に備わった設備の一つのように思えた。
直径1メートルほどの縦穴の出口は、この物置の床面積の三分の二以上を占めている。
今立っている場所から、少し後退するだけでその穴に逆戻りしてしまいそうである。
「そうか、今アタシがいる場所は、井戸の周りに立てられた囲いの中、、それかエレベーターの出入り口みたいなもんなんだわ。」
だったらこの外に、この縦穴を利用する人間がいる空間があるんだ。
羽蘭がそう気づいて、目の前の板戸を探ると、ちょうど腰の高さあたりに木の取っ手が見つかった。
薄く開いた板戸の向こうに、妖かしの世界が広がっていた。
総桧造りの大広間の壁の真正面は、一面、蛸蜘蛛桜の樹皮でありその一部は奥にくりぬかれ、底にあたる部分には水が張ってあるようだ。
旅館の大広間の壁がぶち抜かれ、そこに無理矢理接合された洞窟風呂みたい、、羽蘭の体験では、思い浮かべる事の出来る光景の近似値はそれぐらいだった。
蛸蜘蛛桜の幹を抉り込んで作られた大きな湯船には、二つの人影があった。
羽蘭がその内の一人を認めると、彼女の手は、知らぬ内に板戸を全開にし、その身を前に進めていた。
「、、、鶴継君、、。」
羽蘭の足は、樹皮のない反対側の壁にある大きな窓が取り入れ、床に投げ落とした光の膜の上を、滑るように移動していく。
空には雲が流れているのだろうか、床に湛えられた光は斑をえがく。
ここは三平屋敷で最も高い位置にある物見櫓の中だった。
つまり三平の母・鬼姫の居間でもある。
湯船の中で横座りの姿勢のまま、羽蘭がまだ見知らぬ美しい女性を抱いているのは、紛れもなく鶴継だった。
こちらを見つめる鶴継の視線に吸い込まれるように、彼女たちに近付いて行った羽蘭だったが、鶴継の表情が克明に読みとれる位置まで来ると、糸が切れた操り人形のようにその場にぺたんと座り込んだ。鶴継は微笑んでいるのに、その瞳は笑っておらず、何かを厳しく拒絶している。その拒否の対象はアタシなの?羽蘭は混乱していた。じゃさっきアタシを誘ったのは誰?
湯船の水面が重たくぴちゃりと跳ねる。見ればそこに大きな魚の尾鰭の先端のようなものが一瞬姿を現しすぐに消えた。
鶴継君の首に濡れて張り付いた黒髪は、随分重そうだった。
湯船に張られた水が普通のものではないのかも知れない。
時より身じろぎする二人の身体の動きについていく波紋もまたゆっくりとして、その水の重さを表していた。
「きっとこの水は蛸蜘蛛桜の樹液なんだわ」と羽蘭は、先ほどから霧がかかったような思考の中でそう考えた。
太陽ががかなり傾いてきたのか大広間を満たしている光の斑麩は、この奥まった湯船の縁まで届き始めている。
その光は最初、不思議な笑みを浮かべたままの鶴継を照らし、次に瞼を閉じてまるで深い眠りに落ちているような美女の顔を照らした。
「あああ・・この人は多分、三平のお母様、、こんなに綺麗でお若いなんて」と羽蘭はその美貌に酔った。
勿論、この時点では、羽蘭は鬼姫の若さが、理恵から奪い取ったものであることも、その美貌をより磨いたものが鶴継の血液であったことを知るよしもない。
これほどの美貌が手に入れられるなら自分は何を引き替えにしても構わない、、自分が女になったのは、どこにも理由などはなく、ただ綺麗になりたかったからなのだと、、そう思った時に、、羽蘭に衝撃が走った。
窓から斜めに差し込む日の光が、ついに湯船に満たされた樹液を照らし出したからだ。
湯船の底は漏斗状になっていって、二人が横たわっている場所はそうでもないが、その中心部分は漏斗の先の穴の深さを反映してか青黒く見えた。
そして鶴継と鬼姫の周囲の水は赤く濁っていた、その赤の濃度が一番濃いところが鶴継の体側部分だったのだ。
羽蘭の動揺に気づいたかのように鶴継が首を振った。
「何、、なんなの鶴継君?」
鶴継は、無言で水の中から自分の左手を引き抜いて羽蘭に掲げてみせる。
その左手の指は、しっかり鬼姫の指に絡んでいて、鬼姫の左手も同時に引き上げていた。
そして二人の手首には横一文字の切り口があり、それが絶えず赤い血を規則正しく垂れ流していた。
「わかったでしょ、羽蘭、だからもう行って。」
鶴継が初めて口を開いた。
「わかるって何を、何にもわからないよ鶴継。」
「お願い、羽蘭、お義母様は満足して今眠ってらっしゃるの、このまま静かに逝かせて」
「だったらほっとけばいい、鶴継まで一緒に行く必要ない。」
「・・・僕はいいけど、今、羽蘭の顔みたら、羽蘭の為に一緒にここを出ようかって、、、ウィルスも送り込めたし、正直ちょっと迷っちゃった。けど、もう遅いみたい。それに鮹蜘蛛桜には、お母様の血だけじゃ足りないのよ。だからね。」
羽蘭は涙を目にいっぱい貯めて激しく首を振った。
こんな泣き方をしたのは、あの時だけだと羽蘭は昔を思いだし、その切なさが、又、今の状況に重なって余計にないた。
「羽蘭、泣いてちゃダメ。僕が君を巻き込んでしまったら、僕がやろうとしてる事の意味がなくなっちゃう。早く逃げて、この屋敷は蛸蜘蛛桜と一緒にもうぐ崩壊するんだから。」
鶴継の、いや柊冬子の、その言葉を聞き、その言葉を蛸蜘蛛桜が理解したのか、大広間の樹壁が揺れ、床が大きく跳ねた。
「羽蘭、さあ早く!!」
今や湯船を満たしている樹液も波立ち始めている。そして鬼姫が目を覚ました。
自分の左手を鶴継の手からふりほどき、自分の手首からも血が流れ出しているのを見た時に、鬼姫は総てを察したようだった。
その顔はまさに夜叉のものに変貌し始めていた。
「おのれ、たばかったな、鶴継!!」
鶴継につかみかかろうとする鬼姫だったが、それを予め予期していたように鶴継は鬼姫の両腕を絡め取った上に、更にその首を腕で締め上げている。
だが、その下半身を強靱な巨大魚の尾鰭と化した鬼姫の身体全体の動きは封じきれず、二人は、もがきながら漏斗状の中心に向かって水の中に沈んでいった。
羽蘭が沈んでいく鶴継の腕を掴まえようとした瞬間、床が大きく傾き、羽蘭の身体は湯船からこぼれた大量の樹液と共に、床の上を、窓がある壁の方向に押し流されていった。
合計16本の脚が総て、回廊式になった三平屋敷の外側に出たと見えた瞬間、今度はその中庭から何か巨大でけむくじゃらの小山のような物体が盛り上がってきた。
それは巨大な蜘蛛の尻と言うか腹部だった。
その腹部が一度大きく痙攣すると、天に突き上げられた尻の先端から黒い霧のようなものが吹き上げられた。
霧は上昇気流に乗るかのように少し高度を増すと、その内部に、きらきらと光る糸のようなモノを数百本表した。
霧は拡散し、その黒さは無色透明なものとなり、代わりに光る糸が四方へ飛び散っていく。
「とうとう種を吹き出しやがった。もうすぐ第二波が来るぞ。」
三平屋敷の劇的な異変を目の前に、思わず立ち上がった柊が押し殺したような声で呟いた。
「・・・いや少し様子が、おかしいぞ。」
同じくその隣に立ち上がった斬馬が指摘したとおり、蛸蜘蛛桜の陣痛とも言うべき腹の痙攣は唐突に止まり、今度はその腹自体が空気が抜けた風船のように三平屋敷の中庭に萎んでいく。
同時に、三平屋敷の壁際で派手にのたうち回っていた16本の脚が見る見るやせ細っていくのだ。
それらの蛸蜘蛛桜の収縮に合わせるように、三平屋敷の各部分が、その内側へ内側へとゆっくり倒壊していった。
「・・たいした女性じゃないか、あんたの妹は!どうやったか想像もつかんが、あんな巨大な怨念の固まりを成仏させたんだ!」
その様子を目の前にして思わず斬馬は、興奮の声を上げた。
「いや、まだだ!!」
そう叫んだ柊は、血を流したような夕焼けの空を見つめていた。
そこには、自分自身が吹き出した細長い蜘蛛の糸を気流に乗せながら飛来してきた種が無数に浮いていた。
その種は八本の長い脚を持っており、それを使って飛行の舵取りをしているようだった。
「ここまで飛んでこれるのか、、」
そう言った力のない柊の呟きを、嘲るように、けたけたと笑う声が小さな声がどこからか流れて来る。
斬馬は見た。
屋敷から吹き上げられた種の群れの、その一部が今まさにこちらに降りて来ようとしている、そしてそれらの頭部には、人の小さな顔が付いていることを。
「うんむ、この斬馬を舐めるなよ。」
斬馬は直立の姿勢のまま手印を結んで九字を切る。退魔の早九字だった。「臨」と唱え、空中で横線を引く。
「兵」と唱え、空中で縦線を下ろす。
「闘」と唱え、「臨」のときの下に横線を引く。
「者」と唱え、「兵」のときの右で縦線を下ろす。
九字の謂われなどどうでもよい。
とにかく気を束ねる儀式が執り行われればそれでよいのだ。それで斬馬は三平と同じように目の前の空間に影響を与える事が出来る。
蛸蜘蛛桜の影響力は、今、確実に弱まっている筈だ。ならば儂の霊能なら、この身一つで蛸蜘蛛桜の種ぐらい吹き飛ばしてみせることが出来る。
斬馬が最後の印を結び終わって、その手を種の群に突き出した途端、今まさに斬馬に襲いかかろうとしていた種の群が燃え尽きるように消滅していった。
「柊さん、あんたも、、」
自分の隣にいる筈の柊の姿がなかった。
柊は数メートル後ろで倒れていた。斬馬が九字を切っている間に、その場から駆け出したのだ。
「儂が守ると、一言声をかけていれば、、」
駆け寄って見た、。
柊の身体は悲惨な様相を示していた。
数匹の種が、俯せに倒れた柊の身体に取り付いている。
衣服がある部分では種が取り付いた部分が焼けこげたようになっている。酸か熱を発して皮膚に取り付いているのだろう。
現に柊の後頭部からは細い煙が上がっていた。その横顔の頬の肉に、しっかり食い込んだ種は、柊の肉体から何かを吸い上げているようで、柊の顔は見る間に、黒ずみひからびていく。
「鮹蜘蛛桜の子らよ、成仏せい、、、、柊さん、あんたもだ。」
斬馬は再び九字を切り始めた。
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