■ 激走!!まぼろしトラック ■

4: 鶴と亀

 鶴継君は、とても綺麗な少年だった。それに奇妙な色気がある。女装させたらとびきりの美女になってアタシの良いライバルになるだろう。その道のプロであるアタシがちょっと嫉妬したぐらいだ。
 そんな彼が、使用人の皺だらけのタネさんを従えて、アタシを出迎えに薄暗い玄関に現れた時は、いよいよ横溝正史の世界だと思ったものだ。
 でも鶴継君は、実際に話してみると普通の男の子だったし年齢も見た目とは違ってかなり高そうだった。
「兄貴は別棟にいるんだ。僕が案内役を仰せつかっている。、、多分だけど、兄貴がいない時に、この家で何かあったら他の人じゃなくて僕が取り次ぐ事になると思うんだよ。羽蘭さんはその事を色んな意味で覚えておいたほうがいいだろうな。」
 見かけに似合わず遠回しな言い方をする子だと思った。そう言えばアタシが「羽蘭」と名乗って、不思議な顔をしなかったのはこの子が初めてだった。
 延々と続く板張りの廊下を鶴継君とタネさんに挟まれてアタシは滑るように歩いている。鶴継君が運ぶと言ってくれたアタシの商売道具が詰まったキャスター付きのスーツケースも、オリンピックのカーリングみたいに廊下の表面を滑っている。こんなになるまで、この廊下を一体誰が磨くのだろうか。
 長い年月をかけて、、とは言うけれど、今はアタシの後ろからついてくるタネさんが雑巾掛けをしてるのかも知れない。
 どういうわけかタネさんの事を考えると、子どもの頃夜店で買って貰ったミドリガメの姿が浮かんでくる。一見、小さくて可愛らしく見えるけれど、触ってみるとその存在の「頑固」さがよく判るあの生き物だ。
「アタシ、この家の人達にご挨拶しなくていいのかしら、そのー、、契約は短くても一週間なんだし、、。」
 アタシは、鶴継君の素肌に付けた藤色のセーターの肩口から覗いている首の付け根の筋肉に見とれながらしおらしげに尋ねてみた。
「・・遠回しに言ってても始まらないよね、、。君はこの家じゃ歓迎されてない。兄貴の言うことなら何でも聞く大婆様でも、君を招いた事に渋い顔をした。だから君がこの家で口を利けるのは僕と兄貴だけだ、、細々とした面倒だけはタネさんがしてくれる。そういう段取りなんだよ。」
 鶴継君は歩くスピードを緩めてアタシと肩を並べながらそれだけの事を言った。タネさんがアタシと距離を開けて付いて来るのは、彼女の脚が遅いわけじゃないことにこの時気付いた。
「そうなんだ。あのー、参考までに聞いときたいんだけど、あたしってこの家じゃどういう人で通ってんのかな。」
「まっ、特殊売春婦ってとこかな、、。」
「と・く・しゅ、、。」
 思わず絶句してしまった。「長期契約」で、立派なお屋敷に招かれる事もたまにはあるが、どこでも表面上は「上京して来た友人の娘を預かる」とか、例え見え見えの嘘八百であっても、家人に対してそれらしいこじつけをしてくれるものなのだが。

「それと、これも先にいっとくけど、兄貴に会っても、驚かないように。」
 アタシは職業柄いろんな人に出会うのよ。それこそアナタが、出逢った瞬間に目のやり場に困るような人にだって、、要するに相手に性欲がある限り、そしてお金を払ってくれる限り、その人が宇宙人でもアタシにとっては大事なお客様なの。
 そう言いかけてアタシは言葉を呑んだ。頭の足りない可愛い職業女性を演じておく方が、多くの場合、得な事が圧倒的に多いのだ。
 そんな私の気配の変化を読み間違えたのか鶴継君は言葉を追加した。
「全身に酷い火傷を負ったらしくて、その・・顔なんかにマスクをつけてる。兄貴が別館に籠もっているのはそのせいだ。」
 らしくって、いい加減な、あなた弟なんでしょう?それに火傷を隠す為のマスクだなんて、ますます映画か小説の世界じゃない。
 でもあり得なくはない。特に顔への火傷跡は、周囲の人間よりも本人が一番、意識するものだし、、。プレイの時にはその辺りも計算に入れなくちゃ、、そう、この仕事は、果てしなくナースの性格に近づいていくものなのだ。
 Mちゃんの置かれている心理的な状況だとか、身体的なものについては常に気を配る必要がある。それに、本当にSMプレイって下手をすると緊急病院にお世話になりかねないケースも多いのだ。

「ここだよ。アナタの部屋だ。部屋にあるものは全部使っていいそうだ。」
 そう言いながら鶴継君は、廊下の曲がり角にある部屋のドアを開けてくれた。廊下からざっと覗き込んだ印象では、その部屋の内部は、旅館の「バストイレ付き二人部屋」みたいに見えた。
「兄貴からの連絡は、部屋にある内線電話を使うそうだ。それに5番の短縮で、タネさん達がいる部屋にかかるから、身の回りの事で何か不足があればそれを利用するといい。」
 その言葉が終わるかどうかのタイミングで、タネさんが顔を歪ませながらアタシのスーツケースを持ち上げて畳の上に乗せようとした。
「あっ、それ重いから!」
 思わずアタシはタネさんを気遣ってスーツケースに手を伸ばしかけたが、タネさんは自分の背中をこちらに向けるようにしてそれを拒絶した。
 タネさんのその刺々しい仕草には「自分の仕事だから」という責任感以外のものがあるような気がした。
 アタシは助けを求めるように鶴継君の方を見たが、鶴継君は横顔を見せてアタシの視線をはぐらかせてしまう。アタシは鶴継君の首筋が異様に綺麗な事と睫が長いことを再認識しただけだった。
 彼はそろそろアタシとの別れどころを考えているんだろう。
「、、、じゃ僕はここで失礼するよ。最後にアドバイス、、。僕なら兄貴へのサービスタイム以外は、この部屋から出ないようにするな。わざわざ出歩いて、家の者と出逢って気分の悪い思いをする必要はない。」
 鶴継君はちらりと、アタシの為に部屋の中で急須にお茶を入れているタネさんの方を見た。
「、、あのお婆ちゃんを含めて、この家じゃ本当にだれもアタシの事を歓迎してないって事ね。」
「誰もじゃない、少なくとも僕は君の事を理解しようとしてる。」 
 鶴継君の眉根が少しよじれる。そのふとした仕草が可愛くて、胸がきゅっとなるが、自分が仕事でここに来ている事を思い出す。
 偏見と好奇の目で見られてナンボの仕事じゃい!!と普段の性根が戻ってくる。
 どうやら斬馬さんの話で、必要以上にアタシはナーバスになっていたのだろう。
「アリガト。覚えておくわ。」
 アタシはそう短く応えて、部屋の中に入っていき、ワザと湯飲みと急須がおいてあるテーブルの前にドスンと座りこんだ。 
 今度は、タネさんが吃驚する番のようだった。
「ねぇ、お婆ちゃん。出て行く前に一つ教えてくんない。」
 タネさんの顔は無表情だが、その腰は、逃げ腰になって畳から半分浮かびあがりかけている。鶴継君という衝立が無くなって「金で買われて他人の家に上がり込んで来る売春婦」という恥ずべき存在に、直接対決させられるはめに陥って、内心不安なのだろう。
 
アタシが実は「アリアリ」だって事を教えてやったらこの人はどんな反応を示すのだろう。天から授かった身体を玩具にして!とでも言うのだろうか?


「この部屋ってなんで、外側の窓がないの。このお屋敷は回廊式になってて、中庭の大木がどの部屋からでも見れるって聞いて来たんだけど。」
「中向きの窓がないのは後から改装した角部屋だからだよ。客用で、部屋風呂やトイレが付いている部屋はここしかないんだ。それにあんなもん見る必要ねぇ。儂らはカーテン閉めて努めてあれを見んようにしてる。」 
 タネさんの声は、アタシが想像してたよりもずっとしっかりしたものだった。だがその口調は、勿論、投げやりで攻撃的だ。アタシは幼い手のひらの中で強烈な力で藻掻き続けていたミドリガメを又思い出した。
「夕食は、小一時間ほどしたら儂がここへ運ぶ。風呂へ先に入るんなら入ったらええ。水はもう張ってある。ガス釜じゃ、それくらい自分で出来るじゃろ。」
「食べてからゆっくり入る。磨き上げとかないとね。何せこの身体、商品なんだから。お客様には商品を常にベストの状態で差し上げるべきでしょ。」
 タネさんの黒くて皺だらけの顔が、少しだけ赤くなったような気がしたのはこの部屋の煤けた照明のせいだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 悔しいけれどタネさんが持ってきてくれた夕食はとても美味しかった。大根とかの煮付けも美味しかったし、刺身や焼き魚も新鮮だった。小さなお櫃に入れてあったゴハンも殆どなくなりかけていたぐらいだ。
 いくら神室がその昔、海から京都に向かって海産物を運んだ街道の途中にある村だとはいえ、こんな山奥なのに海の魚が美味しいというのも不思議な気がした。
 でも薄暗い廊下に置いてあるハンドワゴンに、お盆ごと食べ終わった食器類を乗せる頃には、夕御飯の美味しさよりも、心に蟠った惨めさの方が勝り始めていた。
 これってなんなの、表面的は下にも置かない待遇だけど、実際は隔離されているようなもんじゃない、ちょっとでもアタシと長くいるとエイズにでもかかると思っているのかしら。
 まってよ、、ひょっとしてあいつらホントにそう思っているんじゃないでしょうね。
 アタシは自分の思いつきに頭に来て、わざわざ食器を部屋の洗面所で洗った事を後悔しはじめた。あのタネさんなら、この食器を下げた後で煮沸殺菌さえやりかねない。
 その時だった。部屋の奥にある内線電話の呼び鈴が鳴ったのは。 
「今晩は。もう食事は摂ったかね。」
 電話口の向こうから無機質な声が流れ出る。よく訓練されたアナウンサーのようなしゃべり方だ。だがその底には倦怠が満ちている。それにこの声、つい最近聞いた事がある。
「えっ、あ、はい。アナタは三平さんですか?」
「そうだ。君の雇い主だ。九時に私の所に来てくれるか。」
 思い出した。口調は違うがこの声は鶴継君にそっくりなんだ。でも兄弟なら似ていて当たり前だ。
 それでも声があまりに似すぎていたので、アタシは三平と鶴継君が同一人物である可能性を考えざるを得なかった。
 ひょっとしてこの屋敷に入り込んだ時から手の込んだプレイが始まっているのかも、、。いやあり得ない、第一、鶴継君のあの容姿なら手間暇かけずともどんな快楽でも得られる筈だ。
「ええ勿論、でもどんなスタイルがお好みですか。それに場所が判らないし。」
 そう言ってみただけだ。平均的な女王様スタイルで、この屋敷の中を歩き回るつもりはなかったし、ましてやそんな姿でこの家の人間に案内を頼むなどという事は論外だった。
 普通のクライアントは、SMプレイが一つの演劇空間である事を心得ているから、自分自身が幻滅をしない為に、お膳立てには神経質なほど気を使う。だからアタシは殆どの場合、相手の用意してくれた状況にのっかるだけでいいのだが、、。
「今日は何もしない。話だけでいいんだ。私のいる場所は直ぐに判る。廊下をただまっすぐに進めば良いだけだ。ドアを少し開けておく。その灯りが目印になるだろう。じゃ、、待ってる。」
電話はかかってきた時のように一方的に切れた。
 私は時計を見た。九時までには二時間近くある。風呂に入って念入りに化粧をしようと思った。
 仕事の中で「話だけ」という体験もないではないが、多くの場合それは入り口での事だ。男には射精しない限り出口はない。

  三平旦那の部屋に向かう「廊下」は、アタシに宛われた部屋までの道のりの様に平坦ではなかった。
 幾つかの階段を挟んで上に昇ったり下ったりした。乏しい光量の電球が照らし出す廊下は木製の洞窟のように見えたものだ。その内、廊下の内装は純和風のものから洋風のものに変化し出したのだが、時間の感覚が狂い始めたアタシにはその区切れ目が思い出せなかった。
 一体、この屋敷はどれだけの広さがあるのだろう。アタシは思い切りタイトなミディスカートを履いてきた自分の判断の甘さを呪った。
 第一、黒のシーム入りストッキングにピンクの部屋履きスリッパが似合うはずがない。
 働く者の知恵という奴で冬場でも汗に浮かないファンデを付けた事だけが正解だった。女王様は重労働なのだ。
 でも息が乱れ始めている。息が上がった女王様はみっともない。それじゃ只のヒステリー女だ。
 そんな馬鹿な事を考え始めた頃に、ようやくアタシは三平旦那の部屋に辿り着いた。

 この家では頑丈なドアは珍しくはないが、多分三平旦那の部屋のものは最高の部類に属するんじゃないかと思う。
 半開きになっていた重たいドアを引き開けると、そこには真っ赤で小さな「王国」があった。
 ドアの真正面に位置する壁一面に張られた緋色の巨大なカーテンと、小豆色のカーペットがアタシにそんな連想を起こさせたのだ。
「こちらへ。ドアは自動的に締まるから。」
 ドアを閉めようとやっきになっているアタシの背中に、電話で聞いた声が響く。確かにドアは音も立てずにゆっくりと締まっていく。かすかなモーター音が聞こえた。
 一体なんなのここって。もし閉じこめられたら出られないかも知れない、、、。ザンバさんが言ってた紋場家の失踪三姉妹の事が脳裏をよぎる。

 でも次の瞬間、アタシは精一杯の営業スマイルを浮かべると、声の元へ歩き始めていた。
 三平旦那は細長い部屋の奥に、王様が座るような椅子にガウン姿で腰掛けていた。彼の背後の壁には左右にドアが二つあり、この部屋が彼の王国のほんの入り口でしかないことを暗示していた。
「もっと近くに。君の姿をよく見せてくれ。」
 ピンヒールの踵を絨毯に突き刺しながら歩きたかったが、実際のアタシはピンクのスリッパをぺたんペたンと引きずりながら三平旦那の元に向かった。
 三平旦那は鶴継君が言ったようなマスクなどしていなかった。その代わりにガウンからはみ出た身体は全て包帯で覆われていた。
「特に服装については指定しなかったんだが、、気がまわるようだね。」
 包帯の奥の瞳がアタシの下腹部をなめ回している。別に透視して裸を見ようとしてるわけじゃない、タイトスカートのカーブや光沢込みでアタシの身体に欲情してる感じ、フェチの視線だ。アタシのシルクのブラウスの下で鳥肌が立っている。
「、、弟からこれの事について話は聞いているな。」
 包帯を巻いた指先が、同じく包帯だらけの頬にかすかに触れる。見ているだけでも痛々しい。 
「もっと側に、・・そして、僕の包帯をほどいてくれ。君に本当の僕を見て欲しいんだ。」
「えっ!?」
思いもかけない言葉だった。
「今夜が、君との契約の第一日目だろう。」
無機質な声に楽しんでいるようなニュアンスが混じり出す。
「でも看護婦のような仕事は契約の中に含まれていません。」
 そう、最初が肝心だ。そうしないと多くの客はプレイ中にそれが契約上で行われている行為だという事を完全に忘れてしまう恐れがある。
「看護婦ではない看護士だ。それにこれは立派なプレイの一つだよ。君はサデスティンで、私は自分の醜い正体を暴かれて喜ぶ究極のマゾヒストってわけだ。さあ早く。」
 拳を握って人差し指と中指の間から親指を突き出してやりたい気分だった。こんな変態野郎は大嫌いだ。いざとなったらお前の頭の上にゲロをぶちまけてやる。
 頭部の包帯をほどいていくアタシの手が震えていた。畜生、、怯えるな、そんなのは相手の思うツボだ。アタシは女王様でMじゃない。
 包帯の下からケロイドの肌が見えたら思い切り「醜い」と言って侮辱してやれ。そしてこのアタシにつまらないブラフを仕掛けた事を後悔させてやる。
 でもアタシの口の中はからからに乾いていた。医者や看護婦達が、壊れた人体を平気で見ていられるのは「治療」という目的があるからだ。そして家族には愛情が、、今のアタシには何もない。
 包帯の層が薄くなって下に包まれているものの色が透けて見え始めて来た。
 黒い?黒いケロイド?色どころか肌の光沢が変だった。まるでゴムみたいに光っている。
 アタシはある予想のもと、怒りにまみれて、残った包帯をはぐった。
包帯の下からは、真っ黒なゴムマスクを被った三平の頭部が出現した。
「ついでに手の包帯もほどいてくれるか。」
三平はくぐもった笑いを混ぜながらそう言った。
「冗談だよ。楽しんでくれたかな。」
 三平が自分の手から包帯を剥ぎ取って、これもピッタリ手に張り付いた黒いゴムの手袋が露わになっていくのをアタシはぼんやりと見つめていた。
「それって大人の玩具なんかで売ってるようなマスクですよね。とても医療用だとは思えない。」
 辛うじてそう切り返した時には胸の動悸が少し収まりかけていた。
「どんなに精巧に出来ていてもマスクはマスクだ。人の生きた顔の代わりには、ならないんだよ。要は下の醜い顔を隠すことが出来ればいい。だったら後は趣味の問題じゃないかね。僕は色んな種類のマスクを持ってる。今日は手持ちのマスクの中で一番SMぽいものを選んだ。輸入品だよ。おもちゃじゃない、ゴムの質やフィット感が違う。要するに君と会うために、このマスクをコーディネイトしたってわけだ。」
 三平の黒いゴムマスクの唇の部分に入ったスリットがひくひくと動く。
「あそこもゴムマスクしてるんならコンドームを付ける必要がなくていいですね。」
 少しだけ余裕が出てきた。こういう相手には弱みを見せてはいけない。デリバリーでは、本当にMの客が女王様を買うのかどうかを先に確かめる術はない。
 中には女王様を「壊す」ことが目的の真正サドが、デリバリーを頼む場合だってあるのだ。アタシは、デリバリー先のレイプは犯罪行為として成り立つのだろうかとふと不安になった。
「鶴継がどう言ったのかしらんが、下腹部は無傷だよ。変な言い方だが火傷する前より、数倍強くなった。僕の場合は色んな感覚機能が変調したんだろうな。どうかね。予定を変更して今直ぐそれを試してみるか?」
 アタシはマスクの二つの穴の奥から発せられる三平の強い視線から逃れる為に、部屋の中を見回した。それに三平との会話も出来るだけ避けた方がいいような気がした。下手をすると会話を交わすだけで三平のペースに取り込まれてしまいそうだった。

 緋色のカーテンの反対側の壁には図書館にあるような書架がしつらえてあった。その中にはジャンルの定まらぬ大量の本が乱雑に突っ込まれてある。
 アクセサリーのような全集や百科事典のような書籍は一冊もない。
 主に洋書や実用的な学術専門書や技術書が多かったが、アタシにも見覚えがある最近のベストセラーなども多数見受けられた。書籍の乱れ具合から三平がそれらの本を本当に読んでいるのがよく判った。
「乱雑に見えるだろうが、総ての本の索引はある。ここにね。」
 嫌みな三文役者の台詞を演じて見せるように、三平がゴムの指でゴムのこめかみをぴちょぴちょと突つく。
 目を反対側に移す。緋色の分厚いカーテンが庭側の壁一面に引かれている様子は、まるで大舞台の緞帳を眺めているようだった。
 あのカーテンをあけると噂の蛸蜘蛛桜が見られるのだろうか。そう思うとアタシの身体は、自然にカーテンの方に近寄って行き始めた。
「君の手では開けられないよ。布地が重すぎるんだ。そこも電動式になっている。その時が来たら見せてあげるから、今は我慢する事だ。物事にはそれにふさわしいステージってものがある。」
 三平の口調に少しだけ緩みが滲んだ。もしかしたらこの男、蛸蜘蛛桜に愛着を抱いているのかも知れなかった。
「この屋敷が、回廊式に建てられたのは家の何処にいても中央にある桜が見られるようにしたんだと聞いたんです。でも此処に来てから内側の景色は一度も見た事がない。」 
 アタシは三平との会話が蛸蜘蛛桜に向かうように誘導した。
「回廊式と言っても、完全なものじゃなかったんだよ。桜を植えた先々代当主は相当なワンマンだったらしいが、この屋敷を造った時は、周囲の親族の反対を受けて鬼門の方向だけには住居を建てられなかったと聞いている。まあ、親族達が信心深かったと言うより、そんな形でしか先々代当主への抵抗を示せなかったんだろうな。あるいは彼らのせめてもの意地と言っていいかも知れない。」
 遠くから離れて見ると、黒光りするゴムのマスクを付けた三平は異界の住人のように見えた。
「その鬼門の上に僕専用の住居を建てた。つまり此処は、鬼の通り道ってわけだ。そしてこの屋敷は完全な回廊、、つまりあの木をすっぽり包む女陰、、」
 三平は再び元の口調に戻ってアタシを見つめながら「、、いやアナルになったわけだ。」と言った。
「・・君は上出来だよ。僕の目に狂いはなかった。明日からが楽しみだ。明日は午後三時に来てくれ。服装は今日のでいい。実を言うと君に着て貰いたい服はこちらで用意してあるんだ。その時に、ここから中庭を見せてあげるよ。今日は疲れただろう、よく休むといい。」
 アタシはカーテンを背にしていたので、入り口のドアがゆっくり開いていくのが見えた。一体、この男は何処でドアのリモート操作をしているんだろう。
「ええ、疲れましたよ、あんたの変態ぶりのお陰でね。」アタシは頭の中で思い切り悪態を付きながら、にっこり笑って「ありがとうございます、それじゃお休みなさい」と挨拶をして部屋を出た。

 自分の部屋に帰ると、他人の家なのにホッとした。そして無性に斬馬さんと話がしたくなってバッグの中から携帯を抜き出した。
 別れ際にザンバさんは、この辺りで自分が定宿にしている旅館の電話番号を教えてくれていたのだ。アタシはそれを打ち込もうとして唖然となった。
 携帯が圏外になっている。神室村では三本きっちり立っていたのに、、この屋敷は、神室から数十キロ離れているってわけじゃないのに!!
 どういう事なの?ワザと電波障害か何かを起こして携帯電話を無効にしてる?、、三平の部屋の遠隔操縦の自動扉やカーテンの事を思い出した。
 そしてアタシは部屋の片隅においてある内線電話を見つめた。恐らく今のタイミングならあれを使って斬馬さんに連絡がとれる筈だ。でも二回目は無理だろうという予感がした。
 携帯の圏外の件はよく判らないが、電話の盗聴ぐらいなら三平は平気でやるだろうという確信があったからだ。
 しかし本当にいざとなれば鶴継君に頼み込んで彼経由で電話をかける事が可能かも知れない。
 要するにチャンスは2回。だとするなら今はまだそのチャンスを使うべき時じゃない。そう、何事もなくこの一週間が終わる可能性だって大いにあるのだ。

 もう一度、お風呂に入りたかったが、くたくたに疲れていた。どんな危機が自分の間近に迫っていようと、人はその表面の見てくれに誤魔化されてしまう。美人三姉妹の失踪事件などその典型だ。
 あたしの所属する業界は、暴力団と無縁とは言い難いし、結構血なまぐさい事も身近で起こる、それにアタシはお嬢ちゃんじゃない。だのに自分が凶悪犯罪の首謀者とみなされる人物の側にいながら全く危機感がなかったのだ。
 いや、本当は気付いていたのかも知れない、、。だからこんなに疲れているのだろう。
 アタシは洗顔をして化粧を落とすと、奥の間にいつの間にか引かれてあった布団に潜りこんだ。布団はタネさんが敷いたのだろう。
 そう言えばこの部屋は施錠が出来ない。入ろうと思えば誰だっていつでも入れるんだ。この家じゃプライバシーなんてないのと同じだ、と痺れたような意識の中でかすかにそう感じた。
 そしてアタシは布団の中で、今日一日の出来事を思い出しながら、もう一度それらを自分の中で整理しようともがいている内に、深い眠りに落ち込んで行った。
 

 アタシは巨大でグロテスクな樹木に抱かれている。あまりにきつく抱きしめられたせいで、アタシの身体の大部分は樹木の中に埋もれてしまっている。
 樹木はアタシを抱きしめながら、アタシの身体から栄養分も同時に吸い取っているようだった。
 樹木のあちこちにある枝の先に、人間の頭部のような黒いゴムボールの実が生る。多分、アタシの栄養分のお陰でそのボールはどんどん大きくなる事が出来るのだ。
 三平のゴムで出来た顔がどんどん膨れ上がっていって、パチンと弾けた。中から鶴継君の頭が飛び出して、フワフワと中空に浮かんでどこかに飛んでいってしまう。見る間に今度は、黒い実が三つ同時に膨らみ始めた。
 中から何が飛び出してくるのか、アタシには予想が出来た。
 駄目だよ。そんな夢みちゃ、、夢の中のアタシが、アタシに注意してくれている。
 そう、、、ちゃんと眠るんだ。
 
 女王様はタフでなきゃ、、、。

 

2003/02/08

5: レズリー・ローとお呼び。

 明け方に目が覚めた。頭の回りに一匹のしつこい蠅が飛んでいて、その羽音で目が覚めたのだ。
 意識に薄膜がかかっているようで、とても気分が悪い。もう一度、顔の上にかざした腕時計の文字盤を見つめる。
(あたしは寝る時も腕時計を外さない、友人にはやめなよと言われるのだが、時計を外して寝ると何故だか「心配」がムクムクと湧いて出て、本当に眠るどころじゃなくなってしまう。)
 七時頃に起きるとして、今すぐもう一度眠ったら、後何時間ぐらい眠れるのだろう。そんな風に頭を働かせ始めたら、オマケみたいな感じで、ある事に気が付いた。
 蠅なんかいやしないんだ。さっきから聞こえているブーンと唸るような低い音は、部屋の片隅に置いてある、記念館に飾ってあってもおかしくないような白黒テレビから流れ出しているのだ。
 テレビは何かを受像していた。そのテレビが投げかける点滅する光と音があたしを目覚めさせたのだ。
 あたしはのろのろと白黒テレビにいざり寄って、その前にぺたんと座り込んだ。
 外国映画?
古くさい髪型をしたブルネットの女がいる部屋に、グレゴリーペックみたいな長身の男が入ってくる。相当、古い映画である事は、画面の片隅に映し出されている馬鹿みたいに大きくて丸みを帯びた冷蔵庫や、その他の電化製品を見れば判る。
 二人は若夫婦なのだろうか、男が上着を脱ぐなり、女が待ちかねた様に男に抱きつく。
 男は一頻りキスをしてから彼女を抱きかかえソファに下ろした後、「今すぐ一発」って感じでズボンを脱ぎ出す。
 ワイシャツにネクタイがぶら下がったまま、そして下半身は靴下一つという真抜けた格好で、男は女の座っているソファの前にひざまずく。
 女は何かを察したように、自分の脚を男の眼前に突き出した。女の脚はシームの入った肌色のストッキングで包まれ、その先は部屋の中で履くには不自然な真っ赤なエナメルのピンヒールに覆われていた。
 男は目の前に突き出された靴に頬ずりをしてから、丁寧にそれを脱がしにかかった。若い女が一日中履いていた靴の中だ。汗や油できっとそれなりの匂いがするに違いなかったが、夫にはそれがかえって良いらしい。
 男はひとしきり女の脚の裏で自分の顔を擦り付けた後、ストッキングで覆われた指先を舐め始めた。
 女は身体をソファーに預け。やや上向きになって、しばし夢心地に酔っていたが、やがて男が求めている本当の事を思い出したというような表情で、その唾液にまみれた爪先を男の股間に伸ばした。
 脚とストッキングの複合フェチって訳だ。TVの音声は雑音が酷いが注意深く聞いていると、二人の会話やうめき声が微かに聞こえた。
 昨日は、スイッチを入れてもブラウン管には雨しか振っていなかったのに、こんな夜中といっていい朝方にテレビが生き返るなんて、、。
 そう思い始めて、あたしは自分に腹が立ち始めた。幽霊屋敷じゃあるまいし、、この現象はリモート操作かタイマーに決まってる。
 第一、本物の幽霊ならこんな変態ビデオなんか流す筈がない。きっと三平の仕業だ。
 あたしは乱暴にテレビの電源スィッチを切った。思った通り画面は消えなかった。そう言えばこの古色蒼然としたテレビにはコンセントさえ見あたらないのだ。
 仕方がないのでアタシは自分のコートをテレビの上に覆い代わりにひっかけて、もう一度布団の中に潜り込んだ。


 次に部屋に朝食をもって訪れたタネさんに起こされる間で、わたしは、延々と、闇の中で並んでいる幽鬼達に足コキをしてやっている夢を見ていた。
「近頃の若いおなごは、朝の身支度もせんで飯をくうのかの?まるで犬のようじゃ、、。」
 タネさんの強烈な嫌みを聞きながら、あたしはどこかほっとした気分で頭を枕から引き剥がした。
 そして二度寝の為にぼんやりした意識で、今日のコスチュームはレザーパンツにしようと思った。確か三平は昨日の別れ間際に、服装は変えなくていいと言ったような気がしたが、今日は自分の脚より細いレザーパンツをビチビチに肌に張り付かせたい気分だった。 靴は錨飾りが付いたアンクルブーツを履いていこう。 

 

 

 午後三時、思いっきり濃い化粧をして訪れた、三平の部屋では昨日とは違う事が二つあった。部屋の四方には、三脚に据えられたビデオカメラが一台ずつ、、、そして三平の姿が見えず、代わりに奇妙で大きな赤黒い生き物が一匹いた。
 ぬめぬめと体表を光らせた巨大なヤモリが真っ赤な絨毯の上を這っていた。
 巨大ヤモリは怪獣の類の生き物なのだが、その異常なまでの巨大さを割り引けば、どこかこちらに奇妙な親近感を覚えさせる存在でもあった。
 ヤモリが見せる見覚えのある形、、それは背中だった。あたしが何度も見たことがある愛しい男達の背中。
 そのヤモリがこちらを向く。口が半分開いているのが見えた。その暗赤色の空洞の中に、間違いなく人間の二つの瞳の輝きが見える。
「どうだい。このラテックス製のコスチュームは、なかなかだろう。今日は趣向を変えて、私が君の忠実な番犬にならぬ爬虫類ペットになるつもりだ。テーブルの上に首輪とチェーンがある。それを私の首に付けてくれないか。」
 アタシは注意深く周りを見渡した。三平の声は床の上で這い蹲っている人型の巨大なヤモリの口から漏れているのではなかったからだ。
 部屋のどこかにしつらえてあるスピーカーからの声だ。それに三平のあの強烈な視線は、目の前のヤモリ男からではなくどこか別の所から私に注がれていた。
「どうした。、、ああ、君は自分の目の前にいる着ぐるみの中身について疑っているんだね。、、そうかも知れないな。今、君が見てるそいつの中身は、弟の鶴継かも知れないぞ。」
 あたしは美少年の鶴継君がこのヤモリスーツを着ているのを想像して思わず生唾を飲んでしまった。
 確かに長い尻尾が生えたお尻の部分は、鶴継君と始めて会った時に見せてくれたジーンズの下のあの形の良いお尻そのままだったし、脚が女の子みたいに随分長いのだ。
「、、あるいは君を迎えにいった当家の運転手かも知れない。」
 あの差別者?冗談じゃない。
「、、まためくらましですか。あなたがこのヤモリが自分だと言うのなら、私はそう思います。仕事ですから。」
「、、結構、さすがはプロだ。早く私に首輪を付けてくれ。」

「馬乗りになって、、下さいませ。」
 肩幅のある、それでいてどこか繊細で綺麗な背中だった。この中にいるのは、あの三平ではない。そんな思いこみがますます強くなる。
 だがその思いこみには根拠などまったくない。昨夜はガウンと包帯姿の三平しか見ていないのだから。邪悪な男が美しい背中をしていないとは誰も言い切れまい。
 でもあたしは自分が乗っかっている男の背中の魅力に、抗しがたくなって、ついに抱きついてしまった。
 そして四つ這いになったヤモリ男の股間に手を伸ばす。ぴったりしたラテックスの肌の下でペニスが勃起しかけている。
 ノートルダムのせむし男のヒロインのように、しばらく自然な気持ちでペニスを愛撫してやったが、あたしは自分の職業を思い出してそれをやめた。
 背筋を伸ばしてヤモリ男の背中にまたがり直すと、馬に鞭をくれてやるつもりで、真ん中から太いしっぽが生えている尻を平手でパシンと叩いてやった。
「ヤモリ男、昨日の約束を忘れているんじゃないだろうね。」
「、、、、。」
 返事がなかったので、あたしは目の下にあるヤモリの頭頂部を意地悪気にこずいてやる。
「蛸蜘蛛桜のことでございますか。」
 どうやら三平らしきこの人物は、あたしの仕掛けたSMプレイに合わせるつもりになったようだった。
「そうだよ、この爬虫類の合いの子が、お前は脳味噌まで半分になったのかい。」


 ヤモリ男はあたしを背中に乗せて、昨夜、三平が座っていた椅子の背後にあるドアを潜った。
 やはり昨晩感じた通り、三平の欲望の王国は一部屋で収まるようなものではなかったのだ。
 ドアの奥には深い闇が広がっていた。そして部屋一杯に充満している甘い匂い。
 背後でドアが自動的に閉まった時、あたしは一瞬、三平に閉じこめられたと思った。
 完全な闇と、頭の奥が痺れるような匂い。
 通常の世界の連続から突如、途絶えてしまった空間認識の中で、あたしの腰はヤモリ男の体と融合してしまったように感じた。
 ケンタウロスのように下半身が、ヤモリのあたしを想像してみる。
 あたしは、どうやら下半身をのたくらせながら細長い部屋の中を縦に移動しているらしい。
 この闇は永劫に続くと思われたが、突然、目の前の闇が、縦に割れた。
 思わず目を庇うためにかざした手の下に、広がる光の渦が徐々に形を整え始める。
 色覚検査に使われるような緑の斑点のなかにピンクが入り交じっている。
 ジャングル?
 流れ落ちて来そうな毒々しい緑に覆われたジャングルに見えたものは、巨大な一本の巨木だった。
 巨木が持つ異常なまでの枝の数と、そのねじくれが、一本の樹木をしてジャングルの様を思わせるのだ。
「これが蛸蜘蛛桜でございます。」
 このヤモリ男は目の前の怪物樹木から逃げ出して来たんだ。このヤモリ男が、蛸蜘蛛桜の樹皮の上をはい回っていても何の違和感もない。目の前に出現したものはそれほど大きく、又、醜さと美しさを同時に兼ね備えた巨木だった。
 あたしはそれを温室の外から熱帯樹を眺めるように、この部屋の全面に展開されたガラス窓越しに見つめているのだった。
「これが桜、、。」  
「約束を果たしました。ご褒美をくださいませ。」
 (見なければ良かったと後悔しているだろう?)どこか裏に嘲りの笑いを含んだような奴隷の声が聞こえる。
 こんな時、女王様の役割としては奴隷の慢心を粉々に打ち砕かなければならないのだが、あたしは何故か、この時、男の体が欲しくてたまらなくなっていた。
「この臭いはなに、それを教えたらキスぐらいはしてやるよ。」
「蛸蜘蛛桜の花の臭いです。真夏の夜には、小さな人の首の実を結びます。」
 気がつくといつの間にか、馬乗りになっていた筈のヤモリ男がこちらに対して仰向けに寝そべっていた。
 あたしの下腹部がやけに熱い。目を落とすと、ヤモリ男のぬめぬめとした腕が、あたしを絡め取り抱きしめていたが、実はヤモリ男を抱いたのはこちら側かも知れない。
 こんな事態に陥った原因は、頭の片隅ながらにもはっきり解っていた。
 この部屋に充満する蛸蜘蛛桜の花の臭いが主な原因なのだ。


 ヤモリ男の巨大な口の中に頭ごと飲み込まれてあたしは、その中にある本当の口にキスをした。唇や鼻の周りには、三平にある筈のケロイドらしき感覚はなかった。
 、、いや、こんな密封された闇の中では、それさえもよく解らないのかも知れない。
 ずっと前にふざけて女友達とディープキスをしたことがあったが、その感覚によく似ていた。
 ある時、舌はペニスになり、口蓋はヴァギナになる、そしてやがて舌が溶けてしまいそうになる。
 舌の次に唇が溶解し、次に頬が溶けだし、、やがてあたしの頭はヤモリ男の口の中で完全にぐちゃぐちゃに溶けてしまった。
 あたしはヤモリ男の口から自分の首を引き抜いた途端、首を失って絶命してしまうような気がしたので、ずっと溶けた頭でヤモリ男の口の中にいる事にした。あたしの頭はヤモリ男の口の中で反芻されているゲロに過ぎない。
 真っ暗なヤモリ男の口の中で、あたしはいつの間にか眠ってしまったようだ。

 首から上がやけに熱ぽい。やっぱりあたしの頭はヤモリ男の口の中で溶けて無くなったんだ。・・でもどうして無くなった頭でものが考えられるの?
 変なのは、首から上じゃ無くて、反対側の首から下だ。つまり身体が変に冷たいんだ。
 そう気がついた頃には、物事が反転する奇妙な思考の混乱が収まりかけていた。
体全体が、何かに締め付けられる圧迫感と血流の悪さで冷えているのだった。
 それにあたしは自分がイエスキリストみたいに磔にされているのを知った。
 あのイエスと違うところは、あたしの両足は恥ずかしいくらいに開らかされている事だ。
 そして首を曲げて自分の体を見下ろすと、身体の各部分が奇妙な事になっているのに気づいた。まず乳房が一回り大きくなっている。
 それに恥ずかしいけれど、処理しようかどうか迷ったまま、そのまま居座り続けている、あたしのアレがこれもひとまわり大きくなって股間にぶら下がっていた。
 逆にあたしの腰回りは異様なほどくびれている。惚れ惚れするほど綺麗なピンク色の自分の乳首を観ながら、この体は偽物だとようやく気づいた。
 あたしは、精巧な肉襦袢のようなモノを眠っている間に着せられたのだ。腰回りの細さはその肉襦袢の裏側に仕込まれたコルセットのせいだろう。
「お目覚めのようだね、」
 一面の蛸蜘蛛桜が見えるガラス壁にヤモリ男がへばりついており、その下には車椅子に座ったガウン姿の包帯男がいた。
「二人、同時にいる?やっぱりヤモリ男は三平じゃなかったんだ。」
 自分の中に閃いた一瞬の思いに、あたしは喜びを感じたが、暫くして、それも又、混乱した思考の産物に過ぎない事に気づいた。
 どんな細工をしたって、六十キロ前後の体重を持つ一人の男があんな風にガラスに張り付くことは出来ない。
 おそらく今、床から二メートルぐらいの上の位置でガラスに張り付いているのはヤモリ男の抜け殻だろう。
 だとすれば、その中身の三平は車椅子に座ってこちらを観ている包帯男でも不思議ではない。
「私の契約にM女は、入っていません。」
あたしは右手首を括っている革製の手枷をガチャリとやってアピールして見せた。
「それは判っている、、こちらも済まないと思ってはいるんだがね、、。昨日の夜、君には着てもらいたいコスチュームがあると言ったろう。まあそれを身に付ける為の儀式だと思ってくれ。君にずっとMを演じてもらうつもりは毛頭ない。」
 三平が車椅子ごとあたしの側までやって来る。どうやら車椅子は電動式の様だ。
 三平の膝の上には、人間の頭部の抜け殻というか、顔面の開きに髪の毛を付けたようなモノがのっかっているのが見えた。
「良く仕上がっている。」
 三平はあたしの股間にある長大なものを掴んでその質感を確かめながら言った。
 もちろん血の通っていないそれを触られてもあたしは何も感じない筈なのだが、、、この上げ底は、ペニスサックのようになっているのかも知れない。 
「私が何故、君のような人間を買ったか判るかね。」
 三平はあたしの上げ底をなで回した後、その手をアナルのある方向に差し込んで来た。
 あたしのお尻の割れ目一体は、どうやら肉襦袢に覆われていない様だった。そして万の悪いことにあたしの性感帯の一つはアナル周辺だった。
 あたしの本物が三平の愛撫に少し反応すると、驚いた事に、上げ底もその鎌首をもたげるのだった。
「性を閉じこめるのが好きなんだよ。男であればそれを女に閉じこめる。けして性転換じゃない。SMというかボンデージの一つのありようだな。その実物というか、肉体的な実践者を見たくなってな。」

 三平の愛撫が執拗に続く。今や上げ底は完全に勃起している。
「このペニスは白人男性のものをモデルにしてる。ボディは誇張されているがもちろん白人女性だ。特注だよ。私がデザインした。名前はレズリー・ローだ。」
「レズリー・ロー?」
「そう、留学先でね。向こうの変態漫画でいたく気に入ったのがあったのさ。ああ言うのはちょっと日本人じゃ発想が届かないんじゃないか。私は本当に興奮したよ。」
 三平の手はあたしの上げ底をこすり始めている。あたしは目を固く閉じた。三平が与えてくる快楽に負ける訳にはいかない。
「スーパーマンの人間の姿がクラーク・ケントで、彼が新聞記者だって事は知っているな。彼が勤めている新聞社はデイリー・プラネットだ。そこにジミー・オルセンっていう下っ端カメラマンがいるんだが。このジミー、女装壁があってな。ケントの恋人のロイス・レーンと女を張り合うわけさ。ジミーが女になった時の名前がレズリー・ローってわけなんだよ。男の時のジミーは小柄でそばかす顔の頼りない奴なんだが、女になるとそりゃきつい目のぐっと色気の濃い良い女になる訳だ。このレズリー・ローがとてもチャーミングでね。」
 三平は上げ底から手を離すと、膝の上に置いてあった顔の抜け殻を立体的に見えるようにあたしに突き出して見せた。
「この頭部で君は完全にレズリー・ローになる。」
 たしかにそのマスクは人間の顔に精巧に似せられていたが、唇の形や眉はどこかコミックじみた強い誇張があった。
 それがよりエロチックでもある。平面でもそんな印象を受けるのに、そんなものが立体化して表情を持ったら一体どんな事になるのだろう。
「無理よ。それって小さ過ぎる、とてもかぶれない。」
「わかってないな君は、こういうのはきついからいいんだよ。そのスーツだってそうだろ。君はその気があるよ。私にはわかる。あの子たちとはずいぶん違う。」
「あの子たち?」
 思わず声を出してしまう。三姉妹の事?と続けなかったのがまだ救いだ。あたしの胸の鼓動が一気に早くなった。
「ラブローションを使う。」
 三平は思わず漏らした私の言葉を聞き咎めなかった。でも私の声が聞こえなかった筈はないのだ。おそらく三平はあたしが三姉妹失踪の噂を知らないと思っているのだろう。
 三人姉妹の失踪など、村に呼び寄せたばかりのデリバリーSM嬢が知りえる情報ではないと。実際、あたし自身、斬馬さんがいなければ失踪事件など知らなかったはずだ。
 三平は両手に巻いてある包帯をほどいている。そこから手術用のゴム手袋に似た真っ黒なラバーが現れても、今のあたしにはもう違和感がなかった。
 次に三平は電動車椅子のサイドにある物入れにほどけた包帯をほりこむと、代わりにそこから見覚えのある水筒ほどの大きさのプラボトルを取り出した。
 業務用だ。あたしはなんだかおかしくなって来た。
 あたしが着せられている特別製の肉襦袢といい、ヤモリ男のスーツといい、この電動車椅子といい、、まるでやっている事が子供だ。
 第一、三平は動けるのに何故、車椅子に乗っている必要があるのだろう。
 でも、あたしが知っている包帯姿の三平の時はずっと座ったままだった。ヤモリ男は三平かどうかは解らないんだし、、。一体、この人の精神構造はどうなっているんだろう。
 いや誤魔化されちゃだめ。こいつの本質は、お金持ちのお宅な変態野郎なんかじゃなくて、人間の精神を弄んで喜ぶいけすかないサドなんだから。
 ウーンというモーター音が聞こえたかと思うと三平の体がせり上がって来た。
 シートが上下に稼働するのだ。もしかして彼は本当に動けないのか、、。そんな事を考えている内に、あたしは頭のてっぺんにドロリとした感触を感じだ。
「ひっ!!」
 冗談じゃない。ラブローションを髪の毛の上から掛けられている。
「やめろ」と怒鳴りつけたくなったが我慢した。そんな事で萎縮するような相手ではないし、第一そんな反応は三平の嗜虐性を高めるだけだ。三平はローションでべとついたゴム手袋であたしの顔を撫で回し始める。
 あたしは鼻を曲げていじられたり、唇をゴムの指で揉まれたりしながら、世の中には顔責めという分野があるのを思い出し、この被虐に感じているふりをしてやった。
 ゴムの指に少し舌を絡めてやったら、三平の息づかいが荒くなったのが解った。そのタイミングを見計らって出来るだけ冷たい声になるようにして、あたしはこう言ってやった。
「ふん、この変態野郎。営業用の演技なんだよ。」
 三平の手の動きが一瞬、氷付いたように動かなくなった。だがそれは本当にほんの一瞬だった。
 三平はあたしの頭部をローションまみれにすると今度はレズリー・ローの全頭マスクの内側にローションを塗り込み始めた。
 今度は近くから観察出来るのでそのマスクの精巧さと、小ささがよくわかった。それにしてもマスクの首周りの肉が分厚い。
 マスクの材質がゴムだとしたら、その小さな口径をあたしの頭の大きさが潜り抜ける時には相当な圧迫感がある筈だった。
 それにこんな小さなものが被れたとしても、脱ぐときは一人では無理かも知れない。
 あたしはなんの脈絡もなく初めてアナルにものを入れた時の事を思い出した。ひょっとしてあたしはこのシチュエーションに興奮しているのだろうか。
 三平がレズリーの頭部を持ち上げて、その開口部をあたしの頭の天辺に当てるのが解った。
 あたしは思わず本能的に首を曲げてそれから逃れようとした。三平が力一杯それをかぶせて来ると、あたしの頭は一瞬のうちにツルっと勢いよくレズリーの空洞の中に入ってしまった。
 物凄い圧迫感と閉鎖感覚。思い切り小さな独房に閉じこめられたような気がした。
「素晴らしい、、思っていた以上だ。完璧なレズリー・ローだ。」三平は感激したような声を上げた。
「ねえ、動いているレズリーを見たくない?」
 マスクを形づくているゴムの伸縮力のせいで、顎がうまく動かせない。それに首周りもきつくて声がうまく出なかったが、ともかく、あたしは一刻も早くこの場の主導権を握る必要があった。
「ああ、、だがもう少しこシチュエーションを楽しませてくれ。例のコミックには敵の手に落ちたレズリーが磔にされて性的拷問を受けるシーンがあってね。」
 三平はシートの位置をおろし始める。三平の頭の位置があたしの股間に来ると三平はモーターを止め、あたしの股間の上げ底をしゃぶり始めた。
 三平のゴムの腕があたしの腰に巻き付き愛撫をはじめ、その手がアナルをいじり出す頃には、鞘の中の本物もいきり立っていた。
 三平の口の中に出たり入ったりしている上げ底は、なんだか白い肉太のウナギのように見えた。
 あたしは快感を味わい尽くす為に腰を使い始めた。ペニスバンドのペニスを奴隷に舐めさせるのはあたしの十八番だ。
 多くの奴隷達は、あたしの腰使いを目でみるだけで逝ってしまうのだ。
 でも今あたしが腰を使っているのは、残念ながら半分以上演技じゃなかった。
 本気で快楽が欲しくてたまらなかったのだ。
 ガラス壁の外に見える蛸蜘蛛桜が、こちらからは感じる事の出来ない「風」に、その枝葉をざわめかせていた。
 あたしにはその様子が、三平の罠にかかったあたしに対する蛸蜘蛛桜の嘲笑のように見えた。


 
2003/05/24
   
 

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つぎのぺぇじ!!