■ 激走!!まぼろしトラック ■

2: 腐り屋

 時々、バシバシという枝がトラックの屋根あたりを引っ掻いていく音が聞こえる。トラックはまだ深い山道を走り続けているのだ。狸のような小さな生き物がヘッドライトの輪の中に浮かんで逃げ去っていく。
 男の車に乗って、何度か夜の郊外ドライブに出かけた事があるがシートに座っていて、これほど圧倒的な安心感に包まれた経験はない。このトラックに乗っていると「夜」さえ美しく見えるのだ。
「伯父さんって凄いね、尊敬しちゃう。」
「あんなもので尊敬されてもなぁ、、それに伯父さんっていうのは止めてくれないか、そんな上等な人間じゃないよ儂は。」
「だったらジンちゃんとか。」
「よしてくれよ。目下の人間にちゃん付けされて喜ぶような阿呆じゃないよ、儂。」
「じゃザンバさんしかない。」
「それでいいんじゃない。普通だよ。まっとうだよ。そう呼んで欲しいな。」
「だったらあたしの事も嬢ちゃんは止めて。」
「ウランさんか?」
可愛い皮肉だ。アタシの客の中には、プレイ中は赤ちゃん並になる癖に普段は超一流の皮肉を言う男がいる。多分、そう言う男は皮肉の練習を毎日してるのだろう。
「あたしが年下なんでしょ、ウランでいい。」
「じゃ二人でいる時はウランちゃんで行こう。アトムもそう呼んでたぞ。」
 ジン伯父さん、もとい、ザンバさんは嬉しそうに目を細める。
「お、、ザンバさん、もっとお話してくれないかな。そのう、、これからあたしが出会いそうなことに役立つような話とか、、予備知識があるのとないのでは、世の中、随分違うと思うんだ。」
「、、、確かに、、この世界、、何かの共通性というかルールがあるようだからな、、。、、それじゃ腐り屋の話でいいか。」

 

 斬馬は思わず舌打ちをした。ささいな仕草だが、この男には珍しい行為だ。こちらもドスをのんでいる、その条件なら相手が四人でも何とかなる自信があった。それが喧嘩で明け暮れた彼の半生の経験値というものだった。
 だがチャカを持ち出されてはどうしようもない。脇腹の肉を少しだけえぐり取られ、銃弾が掠めて行った時点で、斬馬は逃走を決意した。
 駐車場に残したトラックが気がかりだったが、あれで背後の山の中を逃げるワケにはいかないし、なにより田舎やくざの銃弾で愛車の車体に穴を開けられるのは耐えられなかった。
 熊笹をかき分ける度に胸に激痛が走る、、どうやら肋骨にも罅が入っているらしい。所謂、満身創痍というやつだ。向こうがチャカを出すまでに、こちらも奴らを相当痛めつけてやったが、あの影虎という男が存外にタフだったのだ。斬馬のダメージは、銃弾以外は全て影虎から受けたものだ。
「やめてよジンちゃん。いくらジンちゃんが強くても相手はやくざだよ。トラックの運転手が叶う相手じゃないよ。特に影虎は、、」泣いているさくらの顔が浮かぶ。
 昼間はドライブインのウェイトレスをしているさくらは、自分の夜の顔も、裏の顔も知っている斬馬に「気持ちだけで充分だ」と言ったが、それをのめないのが斬馬だった。
「ザンバー。このくそぎゃきゃ、戻ってきやがれ。」
 背後で怒鳴り声が聞こえる、思ったより追っ手が近い。だが斬馬の脚には力が入らない。影虎に斬りつけられた腕からの出血が効いているのだ。
 斬馬が尾根筋を諦めて、きつい山の斜面に回り込んで追っ手の目を誤魔化そうとしたとき、普通なら簡単に脚を捌ける筈の浮き石に足をかけてしまい、ついに転けた。
 そこはさらにきつい斜面で、斬馬にはもう転落を止めるだけの体力と気力が残っていなかった。崖を転げ落ちる途中で斬馬は気を失った、、。
 
 斬馬が目を覚ました時、彼は山裾の川岸の外れに倒れ伏していた。日は沈みかかっており、あの逃走劇が日の高い頃から始まった事を考えると、数時間この川岸で気絶していた事になる。
 斬馬は首をもたげて周囲を観察した、奇妙に静かだった。追っ手の気配がないのは有り難いが、谷底にいるというのに木々がざわめく音や水の音がないのが不思議だった。
 斬馬は自分の耳を揉んでみるが器官の異常でない事は直ぐに判った。とりあえず斬馬は長ドスを杖代わりに立ち上がる。
 川沿いに歩いてみるつもりだった。身体の手当を早急にする必要がある。立ち上がって高くなった視線で判った事だが、川は殆ど枯れていた。水の音が聞こえない筈だ。幅の広い砂利道を歩いているのと殆ど変わらない。
 二十分程歩いた時に、その建物が姿を現した。古い木造建築の旅館である。斬馬は先月立ち寄った龍神温泉を思い出す。川側の温泉地か、、景観としては、まあどこも似たようなものだ。
 とにかく日が落ちようとする寸前に、旅館に出くわしたのは不幸中の幸いと言えた。草里屋と墨で書かれた玄関先のおおきな提灯の灯が、ことの他嬉しかった。
 掃き清められた土間を抜け上がりがまちに腰を下ろした途端、張り詰めていた神経が切れたのか斬馬は再び気を失った。



気が付いたら斬馬は分厚い布団に寝かされていた。 
「ごゆるりとなされませ。」
枕元から少し離れたところに緋色の和服の女が正座している。
 生唾を飲む、という例えがあるがそういった物言いがピッタリの官能美を持った女だった。
 この宿の女将だというが、姿形は二十歳後半のようにもみえる。物腰は女将と名乗るだけあって十分に成熟していた。
 この女将に看取られて斬馬は再び覚醒と微睡みの狭間に落ち込んでいく。
 何故自分を病院に担ぎ込まないのかとか、支払いの事だとか、、そのような事を一瞬考えたような気もしたが、、それらは長くは続かなかった。

 朝、膳が部屋に運ばれて来た、、飯をかき込む斬馬がふと顔を上げると、ふすまの向こうからこちらを微笑みながら見ている女将と目線があった。
こちらが軽く頭をさげると、向こうも微笑み返す。その時、急に口の中の飯粒が味のない物に変わった。
 幻視だ。目の前の女将が暗い部屋の中で何かをむさぼり食っている場面が浮かぶ。
 その顔が酷く醜い。顔の造作がではない。その顔面の筋肉の動き、「欲」の気の流れといったものが酷く捻れているのだ。大人の見ては行けない行為をみてしまった子どものように、斬馬は目が眩むような思いで一瞬目を閉じた。
次に斬馬が目を開いたとき、ふすまのわずかな隙間は閉じられたあとだった。

 又、眠った、、。その後、、少し起きあがって、部屋に置いてある傷だらけのプラステックカードケースに入ったワープロ文字を読む。 
「その昔、地方に散った同じ流派の忍者達が隠れて傷を癒やし、情報交換の場所とした湯治場がありました。敵地に潜伏し、諜報活動を行う忍者は自分の里には帰れませんので、その湯治場が彼らの第二の里となります。 当館の草(諜報活動の為に適地に潜入した忍者の呼称)の里とはそういった歴史から名付けられたものです。当温泉旅館、草里館には当時の忍者達が身に付けた忍び装束や武器の展示も、、、」
 
 草里館は不思議な温泉宿だった。先ず旅館の「格」というものが定義できなかった。建物自体はどんな素人が見てもその由緒正しさは一目で判るのだが、調度品に至っては、どこかのがらくた市で寄せ集めたとしか言いようがないモノばかりだった。
 いかにも安っぽいケースの「案内」にあった忍者資料館は、棟続きの倉を改造したものだったが、どっしりとした甲冑があるかと思うと、どうみてもSM用の大人のおもちゃとしか思えぬような品物がその隣に置いてあったりする。
 それが又、張り型や革衣装等まで、いかにも時代を感じさせるような手の込んだ作りで、、忍者であれば大昔でも「忍んだセックス」をしたものかと思わせて不思議な気分にさせるのだった。
 もっとも不思議といえば斬馬がその疑惑を全て受け止めながら日々を過ごしていると言うこと自体が異常なのだが、、。
 夜になると幾つかの部屋に灯りがともるし、その内側から歓談する声も聞こえる。だが廊下で人と出会う事はない。昼間などは全く人の気配が途絶える。大勢いる筈の、膳の支度や清掃などにあたる従業員の気配すらないのだ。だが斬馬が思えばそれらの支度はすべて整っている。そういった次第だ。

 その奇異さで特筆すべきなのは草里館の温泉だった。何といっても治癒力が高い。女将の説明では宿で出す薬膳との相乗効果だというが、、湯に浸かったあと、その効果が実感できる湯など何処にもあるまい。
 洞窟風呂だ。斬馬は和歌山にある忘帰洞を思い出す、あれ程大きくはないが、その代わりに奥行きは深く、突き当たりには海の代わりに闇を飲んだような祠がある。
 岩肌はこれも忘帰洞とは違って、鍾乳洞にあるヌメッとした感じのもので、所々に設置してある黄色い照明のせいで、様々な形の影と形を生み出している。湯質は肌にまとわりつくようなまろやかさを持ち白い。
 その白濁した湯から腕を抜き出して見ると、軽い打ち身や擦り傷の跡が消えている。勿論、程度の酷いモノは一瞬にしてというわけにはいかないが、、それにしても信じられない薬功だった。
 例の「出会えない湯治客」たちだが、ここでも状況は同じだ。幾つかの湯船が洞窟の中にあるので、一つに入ると、2・3の湯船はこちらからは見えなくなる。そういった時に限って、その方向から数人の入浴客の気配がするのだ。
 それでもたまに湯煙の中に動く影が見える事があって、思わず身構えるのだが、目を凝らすとそれが野猿の類であったりするのが判る、、。

 そんな過ごし方をして、二週間ほど経ったのだろうか、、女将が部屋に尋ねてきた。
 二週間ほどというのは、時計やカレンダーの類は旅館の方針で、客の目に付くところには置かれていないし、、TVもあるにはあるのだが受信状況が極めて悪く映像はいつも流れたまま、つまりは日にちの流れを正確にはつかめないのだ。
 実際は三週間近く経っているような気もするが本当のところは判らない。勿論、日にち感覚が鈍磨する最大の原因は、そのこと自体に拘ることを忘れ去った斬馬のせいだったが、、。
「そろそろでは御座いませんか?」
「何がだね。」
「決着がまだでしょう?」
「、、、何の決着だ?」
 女将の切れ長の眼に灯が点る。それに呼応するように斬馬の身体が熱くなる。不思議な女だった。
「お体を治して差し上げましたのは、影虎様との決着を万全にする為、、。」
「影虎、、、。あんた、、一体。」
「それに影虎様は、とっくの昔にご準備が整って果たし合いを待つばかり、」
「、、、ひょっとして奴もここにいるのか。」
 湯と自堕落な生活で緩みきった斬馬の気がようやく回りはじめた。
「ええ、貴方様より1日遅れられて。武者傷はめっそう少のう御座いましたが、貴方様と同様に崖から転げ落ちられたようで。」
 女将の言いぐさの中には、影虎の方が斬馬より強いという当てこすりが含まれており、それに斬馬の腹はグツグツと反応し始めていた。
「何の為に敵同士を助けたりする、、、。」
「お判りでしょう。私達は闘いの精気なしでは生きられぬのです。」
 女将の言葉と同時に館自体が淫猥に蠢動したように思えた。
「、、判った。今度はサシの勝負だ。けりを付けよう。」
 斬馬は逃げるのが嫌いな男だ。だがこの時の斬馬の言葉は、斬馬以外のものが彼を突き上げるようにして出させたものだ。
 気が付けば、いつの間にか由縁なしの純粋な怒り、妬み、憎悪が塊となって、斬馬の腹の中にたまっている。そしてその感情の放水口であるかの如く、斬馬の男根が怒張していた。
 「、、、今は我慢なさいませ。、、、半時後に戦装束をお付けします。」
 そう言って含みのある笑いを見せながら女将は部屋を出ていった。 
 

 夕焼けの朱色の光が障子窓を突き抜け、畳の上に透明な赤を掃いていた。戦装束を持ってきたのは女将ではなかった。
 時々顔を合わす事のある女中のお民だった。肉付きが良すぎる感もあるが女将に負けぬ器量好しだ。
 女が持ってきた行李の中を見て斬馬は「それは何だ」と問いそうになる。しかしお民が今まで一度も口を利かなかったのを思いだし、斬馬は問いかけるのを止めた。口が利けぬ女もいる。
 行李の中身は、この宿ゆかりの忍び装束の類だろうと勝手に想像する。資料館を見れば判る。ここに残されている忍者達の遺品は妙に生臭い。どこぞの資料館によく見受けられるような埃臭いだけの楔帷子など何処にもない。生きて喰ろうてまぐわう人の道具だ。
 お民は、斬馬の腹にさらしを巻くごとく鞣し革の帯をきつく巻き付けていく。帯の幅は巻き付ける部位によって差が在るらしく、関節などの稼働部の動きが妨げられる事はない。
 爪先から首の付け根まで全身を革でびっしり巻き上げられた身体の上に殆ど網タイツに近い金属のメッシュ布を重ねる。最後に薄く伸ばした鉄板を仕込んだ固い革製の胸当てと手っ甲脚絆を付ける。椀を伏せたような防御用のペニスカップが滑稽といえば滑稽だった。
「さあ、行くか」
 立ち上がろうとした斬馬をお民が肩を押さえて止めた。そして自分の顔をよせ、斬馬の頬を撫でまわしたあと、思いの外長い舌をぞろりと出したかとおもうと、今度は肌の上をなめ回した。
 何故か、お民の唾液は乾かず粘り気を持っている。斬馬の顔がしとどに濡れそぼったと思いきや、お民は革袋のようなものを斬馬にかぶせ、その後頭部の後ろにある編み上げ紐で、頭巾全体を斬馬の頭部にきつく密着させてしまう。
 斬馬はおそるおそる自分の頭部を撫でまわして見る。眼の周りや鼻の穴や口には穴が空いており、頬の部分は固い仮面のようだった。いわゆる甲冑でいう頬当てだ。黒い革の坊主頭の頭部も硬度があり、良くできたヘルメットのようでもあった。
 「行ってらっしゃいまし。」
 お民は日本刀を差し出しながら初めて声を出した。ややかすれ気味の甘いその声に、つい最近聞き覚えがあった。それが誰かを思い出す前に、斬馬の腹には、出し抜けの闘争心が湧きだし彼の意識のすべてを覆い尽くした。
「表の河原で、、、皆が見ておりますゆえ、、。」
「おう。」
 左手に日本刀を鷲掴みにして斬馬は部屋を飛び出していった。

 何もない干上がった川原が夕日に染まっている。影が異様に黒々としていた。そんな中、大きな岩の上に赤鬼が刀を抱いてあぐらを組んで斬馬を見下ろしている。
 見れば斬馬が施された忍び装束と同じ仕様のものを来ている巨漢だった。ただそれは斬馬の黒に対して、真っ赤に染められた革が使われていた。
「おそいぞザンバ。この虫けらが、又、逃げ出したのかと思ったぜ。」
「ふざけるな!!」
 斬馬は鞘を払うと影虎めがけて一気に走り出す。今では、なぜ影虎と事を構えたのかさえも思い出せぬのに不思議なものだ。そのくせ、怒りと影虎に対する憎しみだけは目が眩む程湧いてくるのだ。
 影虎は、斬馬が己の間合いに入るまで待って岩の上に立ち上がると、刀を振りかぶって飛び降りた。
 上に払いのける刃と打ち下ろす刃が激しくぶつかり火花を散らした。その切り結んだ地点を軸に、再び二人の身体が入れ替わる。そして瞬時の間断なく、二人はお互いの間合いに入っていく。
 二人とも何も考えてはいない。ただお互いが、自分の相手を斬り殺したいという衝動と、どこからか送り込まれて来る莫大なエネルギーによって突き動かされているだけなのだ。
 腕はほぼ互角、凌力では影虎が少し上回っているが、斬馬はそれを俊敏性でカバーしている。どちらか一方が冷静になって少しは戦法というものを意識したなら、この闘いの均衡はすぐにでも破れたに違いない。
 だが二人は眼を血走らせ、獣のようなうなり声を上げながら剣を打ち合うばかりだ。
 その均衡は二十分ばかりも続いた。さすがに腕の振り、脚の裁きに衰えが見える。
 先にその衰えに捕まったのが斬馬だった。影虎の袈裟がけに、半身で身体を抜いたつもりが、玉砂利に脚を取られた。
 受けを流れてそれて行く斬馬の腕に、影虎の刃の切っ先が掠めた。チュリンという奇妙な音が鳴った。帷子と革を裂いて斬馬の肉を影虎の刀が割ったのだ。
 血が流れ出す。その血を見て、影虎の闘争心が再び膨れ上がり、衰退しつつある彼の体力を無視した猛攻が再び繰り出される。
 防戦一方になった斬馬は、後ろに押し出されて行き、最後にはとうとう尻餅を付く形になってしまった。
 その瞬間に乗じて影虎の必殺の一撃が振り下ろされる。斬馬は左手で倒れゆく自分の身体を支えようとしながら、右手に持った剣を横に凪払うのが精一杯だった。
 その時、奇跡が起こった。影虎の連続攻撃が一瞬止んだのだ。影虎が自分の眼を擦っている。血だった。斬馬が横に剣をないだとき、流れ出ていた血が影虎の目に飛び散ったのだ。
 斬馬はその一瞬を見逃さなかった。体勢を立て直すや否や、斬馬は持っている刀を、槍のように構えなおして、自分の身体ごと影虎の腹部に突っ込んでいった。
 斬馬が影虎の腹に刀を突き込んで、その厚みのある手応えに酔いしれた次の瞬間、彼は思いもよらぬ力で突き飛ばされる。
 影虎が自らの命綱である剣を捨て、開いた両腕でそうしたのだ。斬馬の剣は、影虎の腹をつき抜け背中を貫通していた。
 影虎が吠えた。断末魔の叫びだ。その声は人でも獣のものでもなかった。あえて言うなら鬼の咆吼だろう。
 壮絶な夕焼けを背に、その姿はほとんど影になりかけていたが、影虎の口からは、その影の「黒」よりもっと黒々したモノが竜巻のように吹き上がって行った。
 やがて、その闇は世界をどんどん真っ黒に塗り込めていくのだった。斬馬は薄れ行く意識と視界の中で、草里館が急激なスピードで、その闇と共に腐り落ちていく様を見ていた。


「、、というわけだ。ウランちゃん。草里館ならぬ腐り屋の話、どうだ、少しは参考になったかね。」
「、、で、ザンバさんはその後どうなったの。」
 あたしは礼儀上そんな質問をしたけれど、さっきから心の中では腐り屋の話で問題なのは、人間の「業」なのか、それともその「業」が強烈に刷り込まれた時空間の方なのかを、知恵熱が出るぐらい考えていた。
 これから訪れる神室村の事もあったし、あたし自身の仕事とも大いに関係があったからだ。
  あたしはまだ本気のSMをやった事はないけれど、SMの世界から、腐り屋での出来事をのぞき見る事は不可能ではない。
「川原で倒れているのを、たまたま通りかかったイノシシ刈りの猟師に見つけてもらった。」
「崖から落っこちちゃった後、気を失ってた間に見ていた夢っておちじゃないの。」
「いや、そうだといいんだが、、前の傷は確かに治っていたんだよ。その治り具合から見て、崖から落ちてからゆうに二週間以上は過ぎていた筈だ。」
「その影虎って人は。」
「又、会ったよ、一年後に街角でね。お互い何も言わずにすれちがった。奴も儂と同じ体験をしたのかもしれん。あの腐れ屋でな。」
「あたしが、これから行くところは、その腐れ屋に良く似てるのかな、、。」
「さあどうだかな、、良くない場所であるのは確かだが、、。」
 そう言ったザンバさんの横顔がメーター類の明かりで薄く見える。

まぼろしトラックはひた走る。
夜の闇は一層深い、、。

 

 

2002/10/12

   

3: 蛸蜘蛛桜

「蛞蝓三平のことかと言われたよ。」
 情報収集に行って来ると出かけたザンバさんが渋い顔をして戻ってきた。アタシはザンバさんを待っている間に買い過ぎてしまった鯛焼きの一匹を勧めてみる。案の定、ザンバさんは鯛焼きを何か酸っぱいものを見るような感じで断った。
「ナメクジサンペー?」
「林家三平じゃないぞ。」
「はぁ?」
「、、神室三平の渾名だよ。儂もこんな直接的な渾名聞くのはひさしぶりだよ。しかも相手は村一番の大地主だ。普通はそこまで言わんわな。で、どうするの?」
「どうするのってなにが?」
 アタシはそう言いながら、さっき差し出しかけた鯛焼きの頭をかじった。まったく、鯛焼きの尻尾から食べる人の気が知れない。せっかくのお頭付きなんだから。
「嬢ちゃんの仕事内容わかんないんだけど、止めるなら今の内じゃないかと思ってな。儂の霊感が未だに信じられんなら仕方がないが、、。そうじゃないなら、事情が出来たので申し訳ありませんがとか、、誰か親戚に一人死んでもらうとか。」
「又、嬢ちゃんって言った!」
 ザンバさんの提案は、アタシの職業人としてのプライドにかけて論外の事だったから、そう話をそらせた。霊感については未だに半信半疑だがザンバさん自体は信用してる。その事は判ってくれていると思うのだが、、。
 ザンバさんは、アタシが鯛焼きを買ったここから道向こうの夢屋米穀店の古びた木製レリーフの看板を見て、次に神社の駐車場に止めてある自分のトラックのペインティングに視線を流し、そして最後にアタシの大きなスーツケースに視線を落とした。
「・・まあそうだろうな。」
 勿論、ザンバさんが渋りながら認めたのは、アタシの名前の呼び方の事じゃない。
「それなら出向く前に儂が聞き込んだ話を聞いて行くんだ。まだ時間はあるんだろう?」
 クライアントとの打ち合わせでは、神室のバス停についた時点でこちらから連絡を入れる事になっている。迎えは向こうが寄越してくれる筈だ。
 ザンバさんのお陰で神室村には昼過ぎについたから、時間があると言えばある。それにアタシの様なのが、招かれて似合う舞台設定は夕暮れか、夜半だろう。
 ザンバさんは革ジャンの両方のポケットから缶コーヒーを2本取り出して、一本私に勧めてくれる。暖かかった。ついこの間まで、自販機の冷たい缶コーヒーの売り切れランプが良く点灯しているのを見ていたのに。もうそんな季節なんだ。
「座ろうか。」
 神社の駐車場と境内とは隣接している。日当たりが良くて座り心地のよさそうな場所は、そこら中に一杯あった。これが田舎の良いところだ。アタシは意味もなくどこでもへたり込む今時の若者とは少し出来が違う。「お坐り」グルメなのだ。
 アタシ達は直ぐ側に柿木の植えてある石段に腰を下ろした。秋の日差しはまだ人に優しい。
 缶コーヒーは鯛焼きを食べた後だったから、やけに甘くて胸に支えたけれど、ザンバさんの好意を無にしてはいけないから、いかにも美味しそうに、しかも少女ぽっく飲んでみた。コクンという音を狙ったけれど、これはゴクンになってしまった。
「ここの土地のもんが、神室家の事をどう呼んでいるか想像つくかな、、。」
 ザンバさんは缶コーヒーを両手の間で挟むようにしてゴロゴロ回してから、秋空の下銀色に輝いている愛車のペインティングを見た。
 まるでそこに描かれてあるまぼろし探偵と、この話をしていいかどうかを相談してるみたいに見えた。
「ナメクジサンペーから想像するとあんまり、、素敵な呼び方じゃなさそうね。でもアタシ、そういうの想像するの苦手って言うか、イライラしちゃうのね。」
「あっ、ウランちゃんってそうなんだぁ、、、。じゃ、答えね。蛸蜘蛛桜屋敷。」
 ザンバさんは、半分ふざけているのか、それとも「渋い」のか判らない奇妙な間とイントネーションでそう言った。恐らく「土地のもん」ともこんなやり取りの会話で色々な情報を聞き出してきたのだろう。
「タコグモザクラヤシキ?」
 又、判らなかった。
「海の蛸に、女の子が嫌いな蜘蛛に、桜散るの桜。それにお屋敷のヤシキ。」
 今度は訳の分からないジョークを混ぜずにザンバさんが真顔で説明した。それでもザンバさんが言った三つの単語はどうしてもアタシの頭の中では手を繋ごうとしなかった。だって蛸と蜘蛛と桜だよ。
「明治時代の神室家の当主が相当な奇人だったらしい。その人物が三十代の時に洋行してだな。帰国するなり自分の屋敷を回廊式のものに改築した上で、その中央に桜のまがい物の巨木を植えたらしい。」
「桜のまがい物?偽物の桜?」
「そうだ、、それを見る機会のあった土地のものは、それを蛸蜘蛛桜と呼んだらしい。儂は熱帯樹の一種なんじゃないかと思うんだが、、。あるいは挿し木やら何やら無茶をして作り上げた造木かもしれん。まあみんな想像なんだがな。」
 熱帯樹という言葉でなんとなくアタシの頭の中の蛸蜘蛛桜の姿にピントが合いそうになったが、それは直ぐにもやもやと消えてしまった。
 勿論、その方が有り難いし、もしその話が本当なら、嫌でもアタシは蛸蜘蛛桜を見ることになるのだ。 

 

「でも住んでる所がお化け屋敷みたいだからって、アタシが用心しなけりゃならない理由にはならないわ。」
 昨日の夜の幽霊眼鏡の事だって、こんな麗らかで透明な秋の光の中では何かの熱病が見せたまぼろしのように思える。
「・・この村じゃもう一つ、紋場という旧家があるそうなんだがね。つい最近その紋場の三姉妹が神隠しに会ったって話なんだが、どうもそれにナメクジサンペーがかんでいるらしい。」
「神隠しって、今はヘイセーだよ。失踪事件なら警察が動くでしょうが。」
「まあそう言うことなんだがな。その三姉妹が時々、村の中を彷徨いているのを目撃されてて、事件としては扱いにくくなっているらしい。それに神室家の無言の圧力とかね。現に紋場家からの捜索願は取り下げられている。」
「よくわかんないな。それにその三姉妹とナメクジサンペーの関係ってなんなの?」
「三平若旦那の一目惚れだ。それも欲張りな奴で一辺に三人とも好きになったらしい。村じゃ有名な話だ。」
「でもザンバさん。さっき、紋場も神室も旧家だって言ったじゃない。ナメクジサンペーとは幼なじみの筈で、一目惚れってのはおかしいよ。」
「三平旦那は、小学校の半ばで海外にいる親戚に引き取られているんだ。旦那がこの村に帰ってきたのは成人してからだ。」
「留学って事?」
「旦那を巡って何かどえらいことが神室家で起こったらしい。つまり体の良い放逐だな。それを一人反対してたのが長命で有名な神室の化け物婆さんのトキらしい。婆さんは神室家じゃ実力者なんだが、その時はまだ爺さんが生きていて溺愛する孫を守りきれなかったらしいんだが、、。今は爺さんも息子も死んで、愛する孫と二人天下ってわけだ。」
「ふーん、いよいよ横溝正史の世界だね。でもザンバさんは何を心配してくれてるの。」
 アタシは横溝正史なんて好きじゃない。たまたま映画でやってた金田一っていう探偵の風貌が、好意を持っていた親戚の伯父さんに良く似ていたからその弾みで文庫本を一冊買っただけだ。「田舎」に対する差別と偏見を煽っているという批判があるそうだが、読んでみてなんとなくその批判が判るような気がする。
「最初、儂がウランちゃんを見つけてトラックを止めたのは、心霊的な直感が働いたからだ。それもかなり濃い奴だね。それは言ったよな。だが心霊的なトラブルってのは上手く因果関係が整理出来ないケースが多いんだ。 例えばウランちゃんが神室の屋敷に行って仕事を済ませる。元の生活に戻って暫くしたら重病を患う。霊的な視力があればそれが神室で結ばれてしまった因果かどうかが判る。だがそれが見えないものにとっては神室は病気とは何の関係もない事になる。」
「しかも、病気した後じゃそれが判ったって何の意味もない。」
「そう、その通り。心霊現象なんてのはその程度のものだ。だが今度のは違うようだ。紋場の三姉妹の失踪だよ、、。これは世の中で言う所の犯罪だ。力が犯罪を引き込んでる。わかるかね、、。」
「今度はアタシがターゲットなわけ?でもアタシは浚われたような美人三姉妹じゃないよ。」
 お店では、アタシの「売り」をはっきり明示してある。勘違いしたクライアントが逆上しないようにという配慮と共に、世の中にはアタシのようなタイプが好きな人も多いからだ。神室だってそれは判って契約してる筈だ。
 ・・いや待って、それが逆なのか、、普通のは食べ飽きたって事?アタシは一瞬、嫌な予感を覚えた。でも一旦受けた仕事は、どうあっても断れない、それがアタシらのプロの証なんだから。
「でも、いざとなったらザンバさんが助けてくれるんでしょ。携帯のばんごー教えてくれる。」
「どうだかな、儂も歳じゃけん。」
 その言葉とは逆に、ザンバさんからは、なに平気だよ、まかせておけよっていう強い意志が伝わって来るから不思議だ。そうさせるのは強固な年輪、、頼もしい人なんだ。
「それに残念だが、儂しゃ携帯もっとらん。」
 このジジイ、、、、。

 

 

 黒塗りのベンツが村の目抜き通りにやって来た。ここまで周囲の状況に馴染まないといっそベンツの重厚さは爽快に見えたが、その中にいる運転手は、悪い意味での「田舎」そのもので、全然、爽快じゃなかった。
 それにどうやらザンバさんと同年輩らしいこの運転手は、アタシの職業に完全な軽蔑を抱いているようだった。
 アタシの目の前に止まって後部ドアを、内側の操作で開いただけでその後は、一切なにもしてくれない。ほとんどない顎をしゃくって、アタシに乗れと無言で合図したままだ。
 もしアタシがどこかの尊いお方の血筋でもあれば、この運転手、車外に出てそのずんぐりとした身体を腰深く折って、お辞儀をし、ドアを開けアタシを迎え入れただろうに。そしてその後、アタシの商売道具が詰まったスーツケースを、壊れ物のように扱いながらトランクに入れてもくれただろう、、、どうせアタシは「欲望の女王様」よ。
 ・・と思いながら後部座席のレザーシートにスーツケースを置こうとすると、前の方から塩辛い声がかかった。
「そんなものは普通、足元に置くものじゃないかね?革が痛むだろう。」
 確かに、このスーツケースの中には浣腸道具やベルト・縄、各種の拘束具にラバー・レザーのボンデージスーツにペニスバンド、果ては軽い女装セットまで詰まっている。
 この「そんなもの」の中身を見たら運転手、あんた卒倒するよ。ついでにアタシは、この運転手のアナルにローションも付けず極太のディルドーをねじ込んでいる自分の姿を想像して、急いで脳内消しゴムでそれを消した。SM嬢たるものそんな風にイマジネーションを使うものではない。
「あんたの稼ぎで弁償出来ると思ってるのかい?」
 変な風に首をねじ曲げて運転手はこちらを振り返るものだから、ごま塩頭から透けて見える地肌に皺が寄っているのが見えた。
『・・そうなったら倍返しで弁償してやるよ。』と心の中で呟きながら、スーツケースを縦に入れ替えて隣の座席の足元に置いた。アタシは喧嘩をする値打ちのない人間とは関わらない事にしてるのだ。
 残った荷物を膝の上に置いたアタシを見てやっと満足したのか、運転手はようやく車を出発させた。

 磨き抜かれたベンツの窓は、そこにまるで何もないように見えた。その窓の形の向こうに、これ又、見事すぎる谷間の紅葉が続いていた。四季のある国に生まれて良かったと思える瞬間だ。
 手の平と顔をべったりガラス窓に付けて外の景色を見ているアタシの姿を想像し心配しているのか、運転手の上目使いの目がルームミラーに時々映し出される。
「綺麗な窓ですね。外の紅葉も凄いけど、こうやって磨き抜かれたガラス越しに眺めるとまるで、写真か映画を見てるみたい。」
「、、、。」
 愛想で言ってみたのだが予想通り、運転手は何も答えない。ベンツの中は、外界の音もエンジン音も何も聞こえないから、余計に沈黙がこたえる。ザンバさんのトラックとはえらい違いだ。
 そんなうんざりする静寂を十分程味わった所で、山間の川向こうに突如開けた土地が見えた。その土地に手入れの行き届いた林を背にした大きな屋敷が見える。
 アタシは、ここに来るまでに、頭の中でその大きさを何度か想像していたのだが、実物の神室屋敷はそのどのれより大きかった。
 ザンバさんの情報だとあの黒々とした屋敷の中心に巨大な蛸蜘蛛桜が一本植えられている事になるのだが、、。
 ベンツは川に架けられた幅の狭い木橋を渡って、神室屋敷に近づいて行く。橋を渡っている間、ベンツがホンの少しだけ縦に揺れるのが判った。
 アタシは、ふとこの橋を渡れずに立ち往生しているまぼろし号とザンバさんの姿を思い浮かべてしまった。
 そしてアタシの手は、無意識の内にザンバさんが貸してくれた幽霊眼鏡の入ったヴィトンのポーチのザラザラをなぞっているのだった。
 
2002/11/16

1  Qという男

 

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つぎのぺぇじ!!