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気が付いたら斬馬は分厚い布団に寝かされていた。
「ごゆるりとなされませ。」
枕元から少し離れたところに緋色の和服の女が正座している。
生唾を飲む、という例えがあるがそういった物言いがピッタリの官能美を持った女だった。
この宿の女将だというが、姿形は二十歳後半のようにもみえる。物腰は女将と名乗るだけあって十分に成熟していた。
この女将に看取られて斬馬は再び覚醒と微睡みの狭間に落ち込んでいく。
何故自分を病院に担ぎ込まないのかとか、支払いの事だとか、、そのような事を一瞬考えたような気もしたが、、それらは長くは続かなかった。
朝、膳が部屋に運ばれて来た、、飯をかき込む斬馬がふと顔を上げると、ふすまの向こうからこちらを微笑みながら見ている女将と目線があった。
こちらが軽く頭をさげると、向こうも微笑み返す。その時、急に口の中の飯粒が味のない物に変わった。
幻視だ。目の前の女将が暗い部屋の中で何かをむさぼり食っている場面が浮かぶ。
その顔が酷く醜い。顔の造作がではない。その顔面の筋肉の動き、「欲」の気の流れといったものが酷く捻れているのだ。大人の見ては行けない行為をみてしまった子どものように、斬馬は目が眩むような思いで一瞬目を閉じた。
次に斬馬が目を開いたとき、ふすまのわずかな隙間は閉じられたあとだった。
又、眠った、、。その後、、少し起きあがって、部屋に置いてある傷だらけのプラステックカードケースに入ったワープロ文字を読む。
「その昔、地方に散った同じ流派の忍者達が隠れて傷を癒やし、情報交換の場所とした湯治場がありました。敵地に潜伏し、諜報活動を行う忍者は自分の里には帰れませんので、その湯治場が彼らの第二の里となります。 当館の草(諜報活動の為に適地に潜入した忍者の呼称)の里とはそういった歴史から名付けられたものです。当温泉旅館、草里館には当時の忍者達が身に付けた忍び装束や武器の展示も、、、」
草里館は不思議な温泉宿だった。先ず旅館の「格」というものが定義できなかった。建物自体はどんな素人が見てもその由緒正しさは一目で判るのだが、調度品に至っては、どこかのがらくた市で寄せ集めたとしか言いようがないモノばかりだった。
いかにも安っぽいケースの「案内」にあった忍者資料館は、棟続きの倉を改造したものだったが、どっしりとした甲冑があるかと思うと、どうみてもSM用の大人のおもちゃとしか思えぬような品物がその隣に置いてあったりする。
それが又、張り型や革衣装等まで、いかにも時代を感じさせるような手の込んだ作りで、、忍者であれば大昔でも「忍んだセックス」をしたものかと思わせて不思議な気分にさせるのだった。
もっとも不思議といえば斬馬がその疑惑を全て受け止めながら日々を過ごしていると言うこと自体が異常なのだが、、。
夜になると幾つかの部屋に灯りがともるし、その内側から歓談する声も聞こえる。だが廊下で人と出会う事はない。昼間などは全く人の気配が途絶える。大勢いる筈の、膳の支度や清掃などにあたる従業員の気配すらないのだ。だが斬馬が思えばそれらの支度はすべて整っている。そういった次第だ。
その奇異さで特筆すべきなのは草里館の温泉だった。何といっても治癒力が高い。女将の説明では宿で出す薬膳との相乗効果だというが、、湯に浸かったあと、その効果が実感できる湯など何処にもあるまい。
洞窟風呂だ。斬馬は和歌山にある忘帰洞を思い出す、あれ程大きくはないが、その代わりに奥行きは深く、突き当たりには海の代わりに闇を飲んだような祠がある。
岩肌はこれも忘帰洞とは違って、鍾乳洞にあるヌメッとした感じのもので、所々に設置してある黄色い照明のせいで、様々な形の影と形を生み出している。湯質は肌にまとわりつくようなまろやかさを持ち白い。
その白濁した湯から腕を抜き出して見ると、軽い打ち身や擦り傷の跡が消えている。勿論、程度の酷いモノは一瞬にしてというわけにはいかないが、、それにしても信じられない薬功だった。
例の「出会えない湯治客」たちだが、ここでも状況は同じだ。幾つかの湯船が洞窟の中にあるので、一つに入ると、2・3の湯船はこちらからは見えなくなる。そういった時に限って、その方向から数人の入浴客の気配がするのだ。
それでもたまに湯煙の中に動く影が見える事があって、思わず身構えるのだが、目を凝らすとそれが野猿の類であったりするのが判る、、。

そんな過ごし方をして、二週間ほど経ったのだろうか、、女将が部屋に尋ねてきた。
二週間ほどというのは、時計やカレンダーの類は旅館の方針で、客の目に付くところには置かれていないし、、TVもあるにはあるのだが受信状況が極めて悪く映像はいつも流れたまま、つまりは日にちの流れを正確にはつかめないのだ。
実際は三週間近く経っているような気もするが本当のところは判らない。勿論、日にち感覚が鈍磨する最大の原因は、そのこと自体に拘ることを忘れ去った斬馬のせいだったが、、。
「そろそろでは御座いませんか?」
「何がだね。」
「決着がまだでしょう?」
「、、、何の決着だ?」
女将の切れ長の眼に灯が点る。それに呼応するように斬馬の身体が熱くなる。不思議な女だった。
「お体を治して差し上げましたのは、影虎様との決着を万全にする為、、。」
「影虎、、、。あんた、、一体。」
「それに影虎様は、とっくの昔にご準備が整って果たし合いを待つばかり、」
「、、、ひょっとして奴もここにいるのか。」
湯と自堕落な生活で緩みきった斬馬の気がようやく回りはじめた。
「ええ、貴方様より1日遅れられて。武者傷はめっそう少のう御座いましたが、貴方様と同様に崖から転げ落ちられたようで。」
女将の言いぐさの中には、影虎の方が斬馬より強いという当てこすりが含まれており、それに斬馬の腹はグツグツと反応し始めていた。
「何の為に敵同士を助けたりする、、、。」
「お判りでしょう。私達は闘いの精気なしでは生きられぬのです。」
女将の言葉と同時に館自体が淫猥に蠢動したように思えた。
「、、判った。今度はサシの勝負だ。けりを付けよう。」
斬馬は逃げるのが嫌いな男だ。だがこの時の斬馬の言葉は、斬馬以外のものが彼を突き上げるようにして出させたものだ。
気が付けば、いつの間にか由縁なしの純粋な怒り、妬み、憎悪が塊となって、斬馬の腹の中にたまっている。そしてその感情の放水口であるかの如く、斬馬の男根が怒張していた。
「、、、今は我慢なさいませ。、、、半時後に戦装束をお付けします。」
そう言って含みのある笑いを見せながら女将は部屋を出ていった。
夕焼けの朱色の光が障子窓を突き抜け、畳の上に透明な赤を掃いていた。戦装束を持ってきたのは女将ではなかった。
時々顔を合わす事のある女中のお民だった。肉付きが良すぎる感もあるが女将に負けぬ器量好しだ。
女が持ってきた行李の中を見て斬馬は「それは何だ」と問いそうになる。しかしお民が今まで一度も口を利かなかったのを思いだし、斬馬は問いかけるのを止めた。口が利けぬ女もいる。
行李の中身は、この宿ゆかりの忍び装束の類だろうと勝手に想像する。資料館を見れば判る。ここに残されている忍者達の遺品は妙に生臭い。どこぞの資料館によく見受けられるような埃臭いだけの楔帷子など何処にもない。生きて喰ろうてまぐわう人の道具だ。
お民は、斬馬の腹にさらしを巻くごとく鞣し革の帯をきつく巻き付けていく。帯の幅は巻き付ける部位によって差が在るらしく、関節などの稼働部の動きが妨げられる事はない。
爪先から首の付け根まで全身を革でびっしり巻き上げられた身体の上に殆ど網タイツに近い金属のメッシュ布を重ねる。最後に薄く伸ばした鉄板を仕込んだ固い革製の胸当てと手っ甲脚絆を付ける。椀を伏せたような防御用のペニスカップが滑稽といえば滑稽だった。
「さあ、行くか」
立ち上がろうとした斬馬をお民が肩を押さえて止めた。そして自分の顔をよせ、斬馬の頬を撫でまわしたあと、思いの外長い舌をぞろりと出したかとおもうと、今度は肌の上をなめ回した。
何故か、お民の唾液は乾かず粘り気を持っている。斬馬の顔がしとどに濡れそぼったと思いきや、お民は革袋のようなものを斬馬にかぶせ、その後頭部の後ろにある編み上げ紐で、頭巾全体を斬馬の頭部にきつく密着させてしまう。
斬馬はおそるおそる自分の頭部を撫でまわして見る。眼の周りや鼻の穴や口には穴が空いており、頬の部分は固い仮面のようだった。いわゆる甲冑でいう頬当てだ。黒い革の坊主頭の頭部も硬度があり、良くできたヘルメットのようでもあった。
「行ってらっしゃいまし。」
お民は日本刀を差し出しながら初めて声を出した。ややかすれ気味の甘いその声に、つい最近聞き覚えがあった。それが誰かを思い出す前に、斬馬の腹には、出し抜けの闘争心が湧きだし彼の意識のすべてを覆い尽くした。
「表の河原で、、、皆が見ておりますゆえ、、。」
「おう。」
左手に日本刀を鷲掴みにして斬馬は部屋を飛び出していった。
何もない干上がった川原が夕日に染まっている。影が異様に黒々としていた。そんな中、大きな岩の上に赤鬼が刀を抱いてあぐらを組んで斬馬を見下ろしている。
見れば斬馬が施された忍び装束と同じ仕様のものを来ている巨漢だった。ただそれは斬馬の黒に対して、真っ赤に染められた革が使われていた。
「おそいぞザンバ。この虫けらが、又、逃げ出したのかと思ったぜ。」
「ふざけるな!!」
斬馬は鞘を払うと影虎めがけて一気に走り出す。今では、なぜ影虎と事を構えたのかさえも思い出せぬのに不思議なものだ。そのくせ、怒りと影虎に対する憎しみだけは目が眩む程湧いてくるのだ。
影虎は、斬馬が己の間合いに入るまで待って岩の上に立ち上がると、刀を振りかぶって飛び降りた。
上に払いのける刃と打ち下ろす刃が激しくぶつかり火花を散らした。その切り結んだ地点を軸に、再び二人の身体が入れ替わる。そして瞬時の間断なく、二人はお互いの間合いに入っていく。
二人とも何も考えてはいない。ただお互いが、自分の相手を斬り殺したいという衝動と、どこからか送り込まれて来る莫大なエネルギーによって突き動かされているだけなのだ。
腕はほぼ互角、凌力では影虎が少し上回っているが、斬馬はそれを俊敏性でカバーしている。どちらか一方が冷静になって少しは戦法というものを意識したなら、この闘いの均衡はすぐにでも破れたに違いない。
だが二人は眼を血走らせ、獣のようなうなり声を上げながら剣を打ち合うばかりだ。
その均衡は二十分ばかりも続いた。さすがに腕の振り、脚の裁きに衰えが見える。
先にその衰えに捕まったのが斬馬だった。影虎の袈裟がけに、半身で身体を抜いたつもりが、玉砂利に脚を取られた。
受けを流れてそれて行く斬馬の腕に、影虎の刃の切っ先が掠めた。チュリンという奇妙な音が鳴った。帷子と革を裂いて斬馬の肉を影虎の刀が割ったのだ。
血が流れ出す。その血を見て、影虎の闘争心が再び膨れ上がり、衰退しつつある彼の体力を無視した猛攻が再び繰り出される。
防戦一方になった斬馬は、後ろに押し出されて行き、最後にはとうとう尻餅を付く形になってしまった。
その瞬間に乗じて影虎の必殺の一撃が振り下ろされる。斬馬は左手で倒れゆく自分の身体を支えようとしながら、右手に持った剣を横に凪払うのが精一杯だった。
その時、奇跡が起こった。影虎の連続攻撃が一瞬止んだのだ。影虎が自分の眼を擦っている。血だった。斬馬が横に剣をないだとき、流れ出ていた血が影虎の目に飛び散ったのだ。
斬馬はその一瞬を見逃さなかった。体勢を立て直すや否や、斬馬は持っている刀を、槍のように構えなおして、自分の身体ごと影虎の腹部に突っ込んでいった。
斬馬が影虎の腹に刀を突き込んで、その厚みのある手応えに酔いしれた次の瞬間、彼は思いもよらぬ力で突き飛ばされる。
影虎が自らの命綱である剣を捨て、開いた両腕でそうしたのだ。斬馬の剣は、影虎の腹をつき抜け背中を貫通していた。
影虎が吠えた。断末魔の叫びだ。その声は人でも獣のものでもなかった。あえて言うなら鬼の咆吼だろう。
壮絶な夕焼けを背に、その姿はほとんど影になりかけていたが、影虎の口からは、その影の「黒」よりもっと黒々したモノが竜巻のように吹き上がって行った。
やがて、その闇は世界をどんどん真っ黒に塗り込めていくのだった。斬馬は薄れ行く意識と視界の中で、草里館が急激なスピードで、その闇と共に腐り落ちていく様を見ていた。
「、、というわけだ。ウランちゃん。草里館ならぬ腐り屋の話、どうだ、少しは参考になったかね。」
「、、で、ザンバさんはその後どうなったの。」
あたしは礼儀上そんな質問をしたけれど、さっきから心の中では腐り屋の話で問題なのは、人間の「業」なのか、それともその「業」が強烈に刷り込まれた時空間の方なのかを、知恵熱が出るぐらい考えていた。
これから訪れる神室村の事もあったし、あたし自身の仕事とも大いに関係があったからだ。
あたしはまだ本気のSMをやった事はないけれど、SMの世界から、腐り屋での出来事をのぞき見る事は不可能ではない。
「川原で倒れているのを、たまたま通りかかったイノシシ刈りの猟師に見つけてもらった。」
「崖から落っこちちゃった後、気を失ってた間に見ていた夢っておちじゃないの。」
「いや、そうだといいんだが、、前の傷は確かに治っていたんだよ。その治り具合から見て、崖から落ちてからゆうに二週間以上は過ぎていた筈だ。」
「その影虎って人は。」
「又、会ったよ、一年後に街角でね。お互い何も言わずにすれちがった。奴も儂と同じ体験をしたのかもしれん。あの腐れ屋でな。」
「あたしが、これから行くところは、その腐れ屋に良く似てるのかな、、。」
「さあどうだかな、、良くない場所であるのは確かだが、、。」
そう言ったザンバさんの横顔がメーター類の明かりで薄く見える。
まぼろしトラックはひた走る。
夜の闇は一層深い、、。
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