不定期リアルタイム連載小説
 近緒の挑戦。推敲をしない一発勝負、エモーションのままに。

Revengers



■ リベンジャーズ ■

 
9. 師範チー

  相棒のハマーとは、違った意味で気になる男が一人いる。それはリベンジャーズ武術師範のチーだ。はっきり言って、私はチーに男ではなく「女」として憧れ、彼を尊敬をしているのだ。
 でもこの人は恋愛対象としては駄目だろう。それは私が、男とも女とも付かない存在だからじゃない。チーが愛しているものが人間以外のものだからだ、、。
 それを一言でいうなら「真理」ということになるだろう。死語となる前から一般の人々からは縁遠いライフスタイル、、「求道者」が彼だった。
 こんな風にいうと、人はチーのことを年老いた仙人じみた姿で想像するんだろうけれど彼はそんなんじゃない。
 実を言うと私も彼との訓練に入る前は、そんな思いこみがあったのだけれど、、、、そう、、彼は、、正真正銘の「哲学するマッチョ」なのだ。
 
 黒い革のロングコートの裾をはためかせ師範チーが、やや俯き気味にやってくる。背が高く肩幅の広い彼がそれをやるとなんだかアクション映画のオープニングみたいに見えるが、チーほど「気取り」からほど遠い人間はいない。その癖、チーのどの動作も格好がいい。チーはそんな男でもある。
 彼との稽古はいつもこの模擬街で行われる。私たちの闘いにはマットもコーナーも用意されていないのだから至極当たり前の事と言える。その代わり爆発音や射撃音でいちいち警察に通報されてはたまったものではない。模擬街には一般市民は入り込めない。
 リベンジャーズにはこういった施設が都市内に何カ所か用意されてあるのだ。こんな面からでもリベンジャーズの、信じられない財力と信じられない常識からの逸脱ぶりがよく判るというものだ。


 私は、チーががっちりした顎の上にある細い目をさらに細くしながら稽古の合間に話してくれる彼の思い出話が好きだった。
 私はその中でも特に「子どもは無限の可能性を秘めているんだ、だから努力の出し惜しみはするな。」と諭す実質的なチーの保護者だった祖父に対して、彼が「今、何にでもなれるということは大人になったら一つのものにしかなれないという事の裏返しなんだろう。」と言って祖父を困らせたというエピソードが大好きだった。
 私が知る限り、チーは人の揚げ足を取ったりする行為から最も無縁な男なのだ。恐らく彼の少年時代だってそうだろう。
 多分、チー少年は本気でそう考えて、大人になってから「たった一つなれるもの」を真剣に悩んでいたに違いない。
「結局、少年にとって一番わかりやすいものを選んだんだ、、そうだね、それは世界で一番強い男になる事だったんだよ。」
 こんな事を語るときに見せるチーの深い笑顔に惚れない女はいないだろうと思う。だが残念な事に、そんな一瞬の機会に恵まれる女性もほとんどいないに違いない。師範チーは普通の女性が入り込めない世界に生きている男でもあるからだ。
 
 チーがどんどんこちらに近づいてくる。こちらがアクションを起こさねば殺されてしまうのは目に見えていた。間合いを見きるためにお互いが睨み合って動かないなんて大嘘だ。私の黒のパンツの裾から見えるハーフブーツがジャンプの力を求め地面にこすり込まれて嫌な音をたてる。
 私は両手首に仕込んだシースから細身のナイフを降り出して構えた。チーとの体格差を埋めるにはこれしかない。ナイフは一番最初にチーに教えてもらったものだ。
「非力な人間は武器を使うべきだよ。違うかい。命のやり取りなんだ、メンツは関係ない。」チーの導入はそんな風にいつも素敵だった。
 やや、うつむき加減のチーの目が私を睨む。既にチーのスィッチが入っているのが判る。スィッチの入ったチーは恐怖の固まりだ。
 彼は手加減しない。勿論、最後までということではない。そんなことになれば「最強の男」であるチーのトレーニングを受けるものは必ず殺されてしまう。だがこのトレーニングで実際、私は何度でも「死んで」いる。
 チーは最後の止めを物理的にささないだけで「気」は動いているのだ。
チーの「気」が身体を貫通した時、本当に自分が殺されたのが判るのだ。

 ナイフは腰だめにして全身で相手にぶつかって行け。それは戦う相手が素人で、こちらもダメージを受けてもOKな場合に有効な捨て身のアプローチだ。チーを相手にそんな事をすれば自分から無防備な喉をさらけ出すようなものだ。
 私は右手に持ったナイフをチーに突き込んでフェィントをかけ、空いた左手の出番を待つ事にした。チーの受けは、変幻自在だ、先を読む事は出来ない。こちらも彼に合わせていくしかない。
 今日のチーは私が突きだしたナイフを避けず、彼の懐の中に呼び込み、私の右腕ごと確保してしまった。
 私の右半身の動きは封じられてしまったが、左腕はまだ生きている。ナイフを逆手に握りなおしてチーの背中か脇腹に、、、、パニックが私を襲った。
 さっきまでしっかり握りしめていた筈の左手のナイフが消失している。いつナイフを奪われたのか記憶にさえないのだ。コンマ何秒の世界で私はチーにアタックをかけたのに、、。
「どうかしたのか、美衣。これでは準備体操にもならないよ。」
 チーが私の腕を押さえ込んだまま耳元でそう囁いた。私は羞恥の為に赤面した。
 そしてあろう事か、私は空いた手をグーに握って子どものようにチーの身体を打ち始めたのだ。
 そんな私の態度にチーの怒りが爆発して、私は2メートル程、彼に投げ飛ばされてしまった。コンクリートの道路に猫のように着地出来たのが私のせめてもの慰めだった。
私は、総てを放棄して歩道に座り込んだ。もうどうでもいい気分だった。
 チーがやって来てそんな私の隣に座り込む。
「自殺しようとする人間は、強烈に死というものを意識する筈だ。・・じゃ逆に言うと生きてる時は生を意識してるかというとそうじゃない。人は皆、生きること事を強烈に意識しないと駄目なんだよ。それが今を生きるという事だ。」
チーは何か勘違いをしているようだった。
 でも今の私ならチーのいわんとすることがなんとなく判る、生きる事を意識しないで「生きているのか死んでいるのか判らない生」に果てしなく埋没し流された過去の私が見えるから。
 勿論それはそれで幸せな事だとは思うけれど、、。
 朝、目覚めた時に「私は生きるんだ」っていう感じで気持ちを高めないと、その日一日のリアルがどんどんなくなっていく感じは確かに、昔はあったのだ。だからと言ってリベンジャーズである今の私が充実していると思うのは危険すぎる発想だ。

 チーは私を勘違いしたままとりとめもなくそんな話を始めた。その日の稽古はそれであっさり終わってしまった。つまり私は「死ぬ」所までも行かなかったという事だ。でもこんな話が何時までも続く訳がない。
 チーはそれを私の関心事のように思っていたチーと私は人気のない模造街の街頭に座り込んで、昼とも夜とも言えぬ書き割りの空を暫く見つめていた。
「検死官をご存じですか。」
 私は思いきって切り出してみた。先程までの会話はまったく無駄ではなかったわけだ。
「・・そうか、彼が動き始めたわけだ。どうりで、、。」
「こんなことって、リベンジャーズの中では珍しい事ですか?」
「いいや、我々は戦争をやっている訳じゃないし、いわゆる犯罪者集団でもオカルトでもない。契約で結ばれた殺人行為がそう簡単に成立する訳がない。昔で言えば綱紀を粛正する為の存在が必要になってくる。」
 私は驚いてチーの顔を見た。チーはリベンジャーズ達を生きた人間凶器に仕立て上げる事を生業としている男だ。その男の口からこんな台詞が出るとは思ってもいなかった。
「師範は、、そのう、、初めての復讐以外に人を殺した事はないのですか。」
「あるよ。二十四人だ。その内、十八人は試合でお互いが了解の上だ。あとはやむなく殺した。」
「二十四人も、、。」
「勘違いするな、最初の復讐を含めれば全部で三十二人になる。」
 私はうつむいて暫く、地面の亀裂や汚れの模様を見つめていた。反応が出来なかったのだ。









「三十二人も人を殺した男は何処かおかしくみえるかね。角が生えているとか牙があるとか?」
 チーは勿論、普通の男ではない、ウチから発するものが違う。だがそれは彼が多くの人間を殺したからそうなのだとはとても思えなかった。
だから私は首を振った。
「美衣に答えはあげられないね。いや本当の所、この問題に関しては誰も答えが出せないのではないかな。・・だが人は殺されている、昨日も今日も明日もだ。」
 チーはそう言いながらレザーコートの内ポケットから、ズルリとマスクを抜き出した。私のかっての直属の上司であり友人だったハマーがこういう手のものが大好きなラバーフェチだったのでマスク自体への驚きはない。
「心配するな、私はハマーの様な趣味はない。ただしこれを違う意味で君に被って貰う。」
 私はそれを手に取った、ハマーがいつも用意するラバーよりずっと重たく硬度が強そうだった。それに開口部は、鼻の穴に差し込まれたチューブだけだった。
「裸になってこれを被り賜え。もう一度、トレーニングを行う。今度はナイフはなしだ。君は自分自身を傷つける可能性がある。」
「今日のトレーニングは、おしまいではなかったのですか。」
「今の話で気が変わった、、。それにその遮断マスクは、元から今日使う積もりで用意した物だ。」
「遮断マスク、、。」
「被ってみれば判るが、耳の部分には耳穴にピッタリ収まるプラグが内側に付いている。そいつを被ると視覚・聴覚が完全に封じられる。嗅覚もそのチューブを通すから半減するだろうな、、。それでトレーニングをするんだ。君は皮膚感覚だけで戦う事になる。」
「でも、どうして?」
「上の連中から、君が今度の相手にどうアプローチするのかを聞いている。この訓練は君の役に立つはずだ。男が一番無防備になるのはどんな時か知っているかね。」
 どうしてだか、又、顔が赤くなった。私は女の属性を失った人間だ。だがMSSのお陰で疑似男性となってこの世界に復活した。
 ジェィド・ウィルソンの性癖を利用して私は彼に接近する。今度犯されるのはアヌスだろう。この排泄器官は前の性でも今度の性でも共通してあるものだ。「たかがケツの穴」だ、私の受けた体験から考えれば、どれをとっても騒ぎ立てるような事ではない。
 第一、そこまでいくまでに任務は完了している可能性もある。それでも私は赤くなった。
「セックスの最中、、。ですか。」
「そうだ。ターゲットの周りには何人もの護衛がいる。今度の依頼は事を荒立てないでターゲットを始末する事だと聞いている。我々の復讐は個人的なものではないのだ、、それしか方法がないだろう?」
 そう、問題は「復讐が個人的なものではない」所にある。チーはその事が判っている筈なのに、それには一切触れようとしなかった。
「私には巡り合わせのない勝負のチャンスだがね。さあやろう。」
 最後にチーは話を逸らすために下らないジョークを挟み、さらにウィンクまでした。全然似合わない。
 私はラバーマスクのジッパーを引き上げて人面の開きのようになったその内部に顔を突っ込んだ。
 そしてマスクのジッパーは最後、チーがしめてくれた。それはとても珍しい事だった。


 上半身を裸にして遮断マスクを付けた途端に、時間の流れが判らなくなったのが不思議だった。「時間」は、人間の視覚、聴覚、嗅覚などによる外部刺激で認識されているのだと悟った。
 だから、その痛みが私の身体を貫いた時、一旦止まった時計の秒針が再び動き出したような気がした。
 どうやら私は鞭のようなもので裸の上半身を背中からしばかれたようだ。
すぐにその方向に身体を正対させたが、チーの気配はまったく感じとれない。二回目の痛感の発生も唐突だった。今度は腹部への一撃だった。
 勿論これはチーの攻撃パターンではない。チーは相手への最大最高率の攻撃の為には、どんな卑怯な手も厭わないマシーンじみた部分があるが、相手をいたぶる事だけは決してないからだ。
 彼は私に新しい稽古を付けているのだ。三度目の攻撃でそれが判った。攻撃の際に起こるわずかな空気の揺れで、打撃が放たれる方向を私の「肌」が捉えたのだ。
 私の防衛反応にリンクしているMSSが、もの凄い勢いで適応し始めているのだ。四度目の攻撃を私はかろうじてよけた。
 だが五度目の打撃はさらに鋭く早く私を捉えた。そしてMSSは更にその感度を上げていく。
 私の中に「皮膚感覚が構成する視覚」といった奇妙なものが生まれ始める。
 そしてついに左手方向三メートル先にチーの人型が立っているのを私は認識した。
 チーは更に左手に回り込んで私に接近してくるが、わたしはそれをわざと気づかぬ振りをした。不意を付けるチャンスは一度、それを逃せば幾ら皮膚で外の世界を認識できようが、チーに勝てるチャンスなど生まれる筈はなかったのだ。
 そう思った途端、私の身体が透明になった。いや勿論それは感覚上の比喩だ。ただ比喩というならその感覚はあまりにも生々しいものだった。
 私の中を風が通りぬけ、空気中の微妙な温度差がそのままの分布で私の中にある。
 チーの動きと共にその透明度が高まり、彼が私の攻撃射程に入った時には私の身体は完全に無になっていた。

  私の顔から又、あの時のように皮膚が引き剥がされていた。だが今度は痛みも悲しみもない。それどころか感じられるのは開放感と慈しみだった。
 私の汗だらけの顔と、額に張り付いた髪の毛をチーが優しく撫でてくれる。遮断マスクはチーの手によって剥がされたのだ。
 リッパーが私の顔を剥いだのは過去の事だ。私の意識はMSSの皮膚感覚の変化について行けず混乱を起こしていたわけだ。
 私は暫くチーの膝の上に頭を預けていたかったが、男の姿となった今ではそれも未練がましい事だった。私はチーの膝から逃れるように見せながら起きあがると彼に向かい合った。
 勿論チーはそんな私の心の動揺など知るはずもなく、ただ淡々と言った。
「私の仕事は、殺人者を鍛え上げる事だ、、そして君は人を殺す、、本当にロクでもないことだ。私はその事にどんな理屈を付けようとも思ってはいない、、だろ、、。ただ、一つだけ心がけている事があるんだ。君たちには返り討ちにあって欲しくない、、そういう事だ。」
 私の目から涙が出た。泣くなんて久しぶりだった。
「これをやるよ。MSSは今日の変化を覚えている。君はこの私に不意打ちを喰らわすことが出来た。覚えてはいないだろうがな、、すべてMSSのお陰だとも言えるし、君の実力だともいえる。MSSだって所詮はただの皮にすぎないんだから。ただ、引き金がいる。君も判るだろうが、人はあんな感覚でずっといられるものではないからな。」
 私は先程まで私の顔を覆っていた黒い遮断マスクを手にとった。内側が私の汗で濡れている。
「いざという時にはこれを顔につけろという事ですか。」
「さあな、きっかけがあればいいんだ。MSSがそれを必要としてるわけじゃない。ついでに言って置くがMSSのこの効果を私に教えてくれたのは開発部のQだ。彼も君の事を気にかけているんだよ、、。」
 あのQまでが私の事を、、。涙が止まらなかった。泣きじゃくってしまわなかったのがせめてもの慰めだった。
「・・・それと、」
「、、それとなんですか?」
「ターゲットの愚行を止める事が第一だ。被害にあった者だけが事の真実を知っている。、、話して相手が判るなら自分の時はそうじゃなかったのにと悔しがらずにそうしろ。第三者のしかるべき権力がそれを実施出来るなら委託しろ。それで人を殺すことによって自分自身が卑しめられる事が防げる。だがどれもが無理で、お前にその力があるのならどうする?すべてを背負う気持ちがあるのならやれ。・・地獄に堕ちる覚悟をしろ、言い訳は考えるな、、、。と、まあ、、これは、私が過去に出した結論だ。人に勧めはしないがね。」
 私はチーに深く礼をした。
 私は、あの時すでに死んだのだ。私は新しい人間として再生を決意したをいつの間にか忘れていた。古い私の「戸惑い」こそが、第二・第三のリッパーたちを生むのだという事を知っている人間として生まれ変わった筈なのだ。
 ・・明日、阿部先生に電話をしよう。私の弟が、権力のある男色家に身体を売りたがっていると。

2002/06/10

 












 10. 悪を育てる男

 まるで結婚詐欺師になったような気分だった。私の混濁した女性時代の記憶をまさぐって見る、、同僚の思い出、、どうしてあんなに頭が良くてしっかりした娘が、詐欺なんかに引っかかるのかと不思議だったけれど、、。
 人の心を見抜く職業の阿部先生が、見事に私の「嘘」に填っていた。
私はテーブルの上に置かれた阿部先生の手の上に軽く手を重ねる。そして指の付け根をそっと撫で続ける。
 阿部先生だって女装ではなく男の姿で、しかも私の事を「患者」として迎え入れたなら、それなりの分析は出来るだろうし、今、私がついている「嘘」なんて全てお見通しだった筈なのだが、、、。
 まあ、こちらはそれで助かっているのだから阿部先生の事をとやかく言う筋合いもなく、逆にわざわざ女装指定で出向いて貰ったのには、こうなるだろうといった下心がこちら側にあった訳だし、、、。でもやっぱり心苦しかった。
「確かに、ウィルソン氏とはお付き合いがあったわよ。でもそれは昔の事、私、あの人の事があまり好きじゃないの、」
 今日の阿部先生は、段カットでセミロングの赤いウィッグを付けている。ちょっと崩れたけばめの女性のイメージらしい。もっとも阿部先生はどうやっても化粧目なのだが、、。ナチュラルメイクで女装が出来るような歳じゃないから仕方がない。
 私だってMSSがなければ、もうそろそろ「お肌の曲がり角」を迎えていた頃だ。
 しかし阿部先生はお化粧が巧い。マスカラたっぷりの付け睫毛が「自分で生えている」ように見えるんだから、、。
 私はそんな先生の化けっぷりに、ついつい見とれてしまう自分に警告を送った。まだ阿部先生は、「私の弟」をジェィド・ウィルソンに紹介すると約束してくれた訳ではないのだ。
「奴だって子どもじゃない。自分がやろうとしている事がどんな結果を生むかぐらいは判っているさ。」
 検死官が立てた計画通り、「私の弟」は自分の身体をウィルソンに売ってタレントになるべく彼に接近する。勿論、スターになりたい男や女達は山ほどいるから、普通の売り込みではウィルソンに近づく事すらおぼつかない筈だ。しかしここにショートカットがある。
 ウィルソンが二月に一回の割合で開く秘密パーティの常連メンバー、、。それが阿部先生だった。
「・・でしょうね。」
 少しだけ阿部先生は遠い目をした。彼が遠い昔に起こし今も引きずっている「罪と罰」についての思いをはせたのだろう。
「、、先生がうちの弟をウィルソン氏に紹介したんだという事実を、周りの人間に強くアピールしてくれないかな。それで少しは先生が心配してくれている事への牽制になるような気がするんだが。」
 少し心苦しかった。ジェィドを始末したあと当然、警察当局の犯人探しが始まるだろう。リベンジャーズは組織として自分たちの仕事の「後始末」をするが、「弟」をジェィドに紹介した阿部先生への疑惑の視線を断ち切れるかどうかはまでは判らない、、。
「そうよね。それは私も考えていた、、。でもウィルソンは自分の所のタレントだって食指が動けば強権を発動して喰っちゃうという噂もあるのよ。私の名前でどこまで守ってあげられるかしら、、。」
「喰っちゃうって、、なんだよ。噂なんだろ。それならウィルソンの周りからは可愛らしい男は全て消えてなくなるって事になる。」
 ウィルソンについての真実を知っているのは私の方だったが、勿論それは口に出せない。
「・・こっちの私でいる時や、仕事から離れた時は相手の心を読まないように努力してるの。でも相手からこちらに干渉してくる時もあるのね。そんな強すぎる人間がいる、、。ウィルソン氏がそうだわ。」
「確かにカリスマが強そうだ。」
 私が検死官と一緒にウィルソンを観察した時に一番感じたのがそれだ。
「そんなものじゃないの。うまく言えないけれど、彼は悪を自分の中で育てているような気がするのよ。まったく新しいタイプだわ。いわゆる病気ですらないのかも知れない。」
 人は心の内に「悪」を抱えるが、育てはしない。それが私の結論だ。私には阿部先生の言う意味が判らなかった。
「私は彼を人間として規定したくない、、。」
 専門家がそんな風に言うと凄みがある。物騒な話だった。だがリッパーのような男を手なずけたのだ。ウィルソンが、それなりのモンスターである事だけは確かだった。
「こんな風に感じているのは私だけじゃないのよ。彼の周りに集まる人間は二通りに別れるの、熱狂的な信者と仮面の追随者ね。追随者はみんな彼のことを恐れている。私はそのどちらにもなるつもりはなかったから彼から遠ざかることにした。彼の提供する世界は魅力的だったけどね。」 
 阿部先生は両手で自分のむき出しの二の腕をさすった。ウィルソンに関する自分の記憶が呼び起こした何かがそうさせたのだろう。

「とにかく、今の状態じゃどうにもならない。弟にチャンスをやる事、それが最善なんだ。このままじゃ奴は悪くなるばかりだし、、。俺だって考えられる事は全てやって見たんだよ。」
「、、でしょうね。わかった。やってみるわ。」
「ありがとう。弟も喜ぶ。で、弟に会っておくかい?」
「会わなくていい。ウィルソンに引き合わせる時に会っても十分、間に合うでしょう。」
「・・でも。」
「弟さんのベストショットを一枚、メールで送ってくれればいい。」
 私はわざと顔を曇らせてみせる。本当は阿部先生が弟に会いたいと言い出せば難しい事になっていたのだが。
 私の「変身」はまだ用意がなされていなかったし、もし変身してしまえば兄弟揃って阿部先生の前には立てない事になる。
「誤解しないで。あなたの弟だもの会ってしまえば情が移るに決まっているでしょ。そういう意味よ。本当にもしもの事があったら、後が余計につらくなる。」
 阿部先生が暗い顔を振り払うように顔を大きく上げる。どうやら決心してくれたようだ。こんな時の阿部先生は本当に綺麗だと思う。本当のおんなでもこんな表情は作れない。
「それにお兄さんの血を引いてるんでしょ、ルックスは保証付き。たぶんあっちの方も、、。」
 今夜は感謝のしるしにたっぷりサービスをする積もりでいた。今の私には阿部先生に対してそれぐらいの事しか出来ない、、。





「インストール?」
「元になる男性の情報をMSSにインストールする、半日もあれば済む。後は不二子がそれをフィッテングしてくれればいい。」
 Qは自分の後退した額を撫で上げながら、どこか私に媚びるように言った。面長のキュウピー人形のような顔がだらしなく緩んでいる。
 おまけに言葉の終わりに、右手に目に見えない注射器の針から薬剤を噴出させるマネをして見せた。ここがQの研究室でなく私が普通の若い女性なら心の中できっと「変態」と嘲っていたに違いない。
 開発部部長のQに初めて出会った時には、もっと取っ付きが悪く、それなりの権威を感じさせる男だったのだが、、、。
「もう少し、そのインストールを詳しく説明してくれないかな。それに俺の事を美衣と呼ぶのはかまわないけど、不二子は不味いんじゃない。」
 Qは少し不満げな表情を見せる。私が質問したからではない。Qは「説明」をするのが大好きだから。問題は私の事を不二子と呼べなくしている外圧に苛立っているのだ。
 不二子の命名者はこのQであり、私の呼称に男性名の制限をかけたのは検死官だった。この組織に入って数ヶ月経つというのに、私にはいまだに組織のヒエラルキーが把握できない。
 Qは飛び抜けた能力を持っていても単なる技官の筈だ。「殺人」の数で人間の値打ちを計るような組織の中ではそれほど力があるとは思えない。 だが目の前のQは、ちょっと刺激するだけでも検死官への不満を爆発させかねないでいる。
 一方、検死官は口には出さないがハマーの事をライバル視しているのはあきらかだ。だがハマーは検死官に対して常にへりくだっている。
 チーは組織の中でも孤高の人のように思えるが、いざとなれば組織ごと巻き込んで自爆してしまいそうな凄みを持っている。
 結局、Qだけが大人になりきれないオタクという事なのだろうか、、。
「情報があればMSSは被着用者の皮膚を再現出来る。元は医療用なんだから当たり前だな。重度の火傷でも、ほんの少しリアルで無傷な皮膚さえ残っていればそれをMSSがコピーする。その情報を与えてやる事をインストールと呼んでいる訳だ。」
「じゃ、今着ている僕のこの皮膚もインストールの元となった人物がいる訳だね。」
「いや、いない。不二、、美衣の場合は、元となる皮膚が全部剥ぎ取られていたから復元が出来なかった訳だ。そこで他人の皮膚の情報をインストールする必要があった、、、良識的に見れば、以前の君に一番よく似た女性の皮膚の情報をインストールしてやれば、MSSの着用者である君のフィッテングと相まって、かなり元の姿に近くなって、、。」
 あの時の事は余り思い出したくはなかった。それに要所を誘導してやらないとQの話は際限なく続く。
「それは最初にハマーに聞かされたよ。リベンジャーズに入る前なら普通の女にだって戻れるんだとね。今ならよく判る。あんな目に遭わされた後で普通の女に戻りたがる人間はいない。ましてや切り刻まれたオンナにはね。」
 私の口調は露骨に苛立たしさを含んでいたに違いない。Qの顔が困惑気味になる。Qはこういった人間の心理の動きに追随する能力に乏しい。
「君にインストールされたのは、ある固有の人間の情報ではない。あの頃私が開発していたカメレオンスーツそのものなんだよ。そして私は男性タイプを基本に考えていた。まあそれが組織にとっては好都合だった訳だ。何にでも変身できる新しいスタッフが一人増える訳だからね。」
 カメレオンスーツだって?男性タイプだって?天才オタク天は二物を与えず、、。おまけに殺人組織のスタッフと来た。Qに、自分の作り出した兵器が人殺しに使われているのだという自覚は本当にあるのだろうか、、。こんなQにリアルな女性タイプMSSが設計出来る筈がない。
 私の視線に何かを感じ取ったのかQは取り繕うように言った。
「だから、、そのなんだ美男の今の君が、凄くハンサムなのは、女性であった頃の君がとっても綺麗な美女だったという証明なんだな。フィッテングとはそういう事なんだ。」
「なあQ。綺麗じゃない美女はいないんだよ。ハンサムじゃない美男もいないしね。でもいいか、、。インストールの意味もフィッテイングの意味も何となく判ったよ。」 
「ああ、、そりゃ良かった。」
 Qの顔色が悪い。恐らく今頃になって自分自身が、美衣不二子という人間に対して配慮に欠けた言動を取った事に気付き始めたのだろう。
「所でQ。師範から聞いたよ。私の事、心配してくれてたんだって?」
「、、、ああ。」
 Qの声がぶっきらぼうになっていく。私はQとの会話を切り上げる事にした、、、ここら辺りが限界というものだろう。
 Qのいう「インストール」で手に入れた新しい身体の名前は賢治にした。検死官が思いつきで私に銘々したのがジョウジだから「ジョウジと賢治」。
お手軽な語呂合わせだが、いかにも兄弟という感じで気に入っている。
 つまり、この仮想の兄弟の「両親」は物事を深く突っ込んで考えないタイプの人間だということだ。
 トレーニングルーム控え室の姿見にかけてある覆いをはらって、全裸の全身をチェックする。組織のトレーニングルームはいつ利用しても空いている。ほとんど一人用の状態だ。
 リベンジャーズの活動内容は暗殺だから、メンバーの多くはある程度の技量を身につけると、体技そのものの鍛錬よりも、最新兵器の習熟などに関心が移っていくのだと師範チーが淋しげに語っていたのを思い出す。
 でもトレーニングルームには男達の汗の匂いがこびり付いていて、この設備がまったく見捨てられたものではないことを語っていた。そして私はその匂いに囲まれているのが好きだった。
 控え室の大きな姿見に映った私の新しい姿はなかなかキュートだった。筋肉が在るようなないような。男の中に女が内在しているような、、ジョウジあるいは不二子としての私もそんな存在なのだが、賢治の場合はその内に秘められているのは「女」というより「少女」に近い。
 それは「少女」が好きな男にとってはこたえられない味わいだろう。もっとも元少女であった私にとってはややうんざり気味の演出だったが。

 私のMSSには「ブラックパール」がインストールされている。ブラックパールはジェィドが過去に愛した「お稚児さん」らしい。
 勿論本名じゃない。黒真珠と名付けられた少年、、ジェィドが香港で買ってきた掘り出し物だったらしいのだが、彼の溺愛にも関わらずその命は短かったとか、、。
 「ブラックパール」もジェィドの生け贄の犠牲者の一人ではなかったのかと聞くとQはそれは違うだろうと答えた。
 Qはそう言った情報にほとんど執着しない男なので当てにはならないのだが「インストールする為の生体情報が我々の手にある事がなによりの証拠だろう?」という彼の説明には珍しく説得力があった。
 もしブラックパールがジェッドの暗い欲望の対象になったのなら、例えほんの少しでも「無傷な部分」など残る筈がないのだ。
 両腕を頭の後ろで組んで脇の下を写してみる。無毛だ。私はそった覚えはないし、MSSが情報を再現できなかったとも思えない。腕にも脚にも産毛程度の体毛しかない。なめらかで艶のある肌。
「なるほどね。これで黒真珠ってわけ、、。」
 鏡に映った自分の顔を角度を変えて検分してみる。睫が長い。私の前の顔より丸顔で幼い、、が、、目が猫のように見える。前の私の顔が女性に好かれる顔だとするとこんどのブラックパール君は嫌われる顔なのではないかと思う。
 嫉妬されるというのか「男のくせにそんな顔、必要ないでしょ」という感じだろうか、、つまり、ブラックパールの顔には何処か男を誘惑する為のパーツが揃いすぎているのだ。
 そうこうしている内にペニスが勃起しはじめた。鏡の中の自分を見て感じているのだ。元来のオンナである私の意識が引き金になったのか、美衣になった男の私がブラックパールに情欲を感じたのか、、それは定かではない。
 美衣のペニス造形は工芸品にしたいほど素晴らしいが、どこか作り物めいていた。今度のブラックパールのペニスは確かに自然のものらしく、右に反って中ぶとりだった。 とにかくその顔に似合わず太くて大きい。
 そのペニスを見ている内に私はあの忌まわしいインストール作業を思い出してしまった。リッパーによる想像を超える恥辱と暴力を受けたこの私でさえ、あの恥ずかしさに慣れる事ができない、、。
 まあいい。忘れる事だ。元の美衣には放っておいても三週間後には復元するらしいから、アンイストールにあたる行為は受けなくて良いということになる。
 ペニスに伸びそうになる手を我慢して、私は鏡にお尻を突き出し肛門を広げてMSSのフィッテンッグの様子をみる。完璧だった。
 私は私自身の為にご褒美をあげる事にした。埋め立てられたウィメンズホールと人造ペニスと無傷のアナルを同時に刺激するという、私だけにしか許されない究極のオナニーを、、。
 ・・・そう実をいうと私はこのオナニーをあのインストール中に覚えたのだ。もしこんな事を私の部屋でやればコニーが、興奮してさかりの付いた「オオカミ女」のように興奮して私を喰い殺してしまうだろう。







 身体の中に先程の淫行の余韻を残したまま私は街に出た。賢治らしい服装を買い整える為だ。ジョウジのスーツは不思議な事に大きくなっていて、似合っているという状態から大きくかけ離れてしまっている。
 身長そのものは変わらないのに 、、MSSの威力は大したものだった。この素材で女性下着を作れば大ヒット間違いなしなのにリベンジャーズは、MSSを殺しの道具にしておくためにそのテクノロジーを封印し続けるのだろう。
 それともMSSには、商品化出来ない何か決定的な欠陥があるのだろうか。それを考えると少し怖くなったが、、どうせ一度は死んだ身だ。それも下らない感情の揺らぎに過ぎない。
 ショーウィンドウに映し出されたスポーツウェア姿の自分を確認する。ウェアはロッカーにあったものだ。それらしい重ね着をして来たから今風の若者に見える。
 賢治は、元の私だったら幾ら可愛いくても拒絶反応を起こしてしまうタイプの男の子だった。色々な意味でジョウジとは正反対の存在だった。
 周りの人間達の反応も違う。ジョウジが街を歩いて集める感情の多くは男からも女からも「羨望」と「憧れ」だった。
 だが賢治の場合は驚くべき事にその殆どが賢治に対する「欲望」だった。しかも、それはまだ性に目覚めぬ年齢の子ども達以外の全ての人間達から放たれていたのだ。
 恐らくブラックパールは自分に向けられた「欲望」と渡り合いながら、その短い人生を送ってきたに違いない。
 そして私はこの日、ブラックパールの凄惨な生き様を直接体験する事になった。

 
 新しい身体を飾るためのワードローブがなかなか見つからず、休憩がてらに、カフェのテラス席でシェイクを啜っていたら一人の中年親父がつかつかとまっすぐ私の方にやってきて、なんの断りもなくドッカと目の前の席に座った。
「ぼくなんぼや?」
 人種の「三段重ね」と言われるこの都市では、大阪弁を操る人間は少なくなっている。大阪弁を使うのは、そういった生活史を持つ人間、、あるいは大阪弁のアクの強さを意識的に利用しようとする人間のどちらかだ。 中年男の肥満体をはち切れそうに包むスーツは灰色、ループタイをぶら下げたワイシャツの首元はだらしなく開いている。
「はあ。」
 私は本当に面食らって、そう言った。
「とぼけなや。わしらみたいな人間はお互いが匂いで判る。」
 困ったのは、私には「わしらみたいな人間」がまったく理解できないというのに、私の外見は恐らくわしらそのものなのだろうと言う事だ。
 私はとりあえず自分の想像力を働かせて「中年のホモ男に金で買われようとする少年男娼」を演じてみることにした。
 どのみちウィルソンに対しても似たような演技をしなくてはならないのだ。練習がてらに丁度いい。

「なあ。わしもう我慢でけへん。そこで先にちょっとやさせてなぁ」
 中年男は脂ぎった手で突然私の手を握ると、ビルとビルの隙間に私を連れ込んだ。その空間は入り口は狭いのに一旦中に入り込んでしまうと、ゴミを集積するためのコンテナがあったり結構広かった。ひょっとするとこの中年男、この界隈の地理に通じているのかも知れなかった。
「ちょっとまってよ、、。ホテルでやるって約束じゃん。」
 私は怯えた表情を作ってみせた。ウィルソンと出逢う前に出来るだけ色々な「役回り」の練習をしておいた方がいい。中年男は私の手首を掴んだママで、それを自分の股間に引っ張っていった。
 脂肪の塊のような身体からは信じられないような力だ。中年男はこの怪力と強引さで、今までかなり阿漕な所行を働いて来たに違いない。
「な、、ぶっといやろ。わしのはええで、ケツマンコしてから、金いらん、その代わり付きおうてて泣いて頼んだん何人もおるんや。」
「けっ。冗談。おっさん破滅させたるよ。まだまだ世の中、ホモへの風当たり厳しいねんでや。」
 私もついつられて中年男の口調を真似しながら、周囲に轟き渡らせるべく悲鳴を上げる準備をした。中年男は直感的に、私がなにをしでかすかが判ったみたいで空いた手で私の口を塞ごうとし始める。
 私たち二人は、揉み合いになったが、最終的に私の腕が捻り上げられた時点でケリがついた。
 わざと腕を捻り上げられてやったのだ。ついでに唇を嫌らしく歪めて見せてもやった。サディストに対するサービスショットと言うわけだ。
 相手を逆上せ上がらせて置いてから突き落としてやる方が与えるダメージが大きい。何故か目の前の中年男はそうされるのにふさわしい人物のように思えたのだ。それにブラックパールの被虐の表情がどれほど男達に媚薬的な効果をあげるのかを見届けておく必要もあった。
 ゴミコンテナと中年男の腰に挟まれ腕をねじり上げられる。おまけに私の口には中年男の分厚い手でふさがれている。
 私の耳元に熱い息が吹きかけられる。
「なっ、その可愛らしい顔でここから出ていきたかったら言うことききや。」
 私のお尻に密着している中年男の股間のものが膨れ上がってくるのが判る。私は首を横に振る。
 中年男は、さらに私の腕をねじ上げようとしたが、その動きが突然止まった。MSSの外骨格機能が働きだしたのだ。

 MSSは関節の可動範囲を超える力が外部から働いた時、内側の肉体を守るためにその皮膚を外骨格化する。
 中年男は自らがからめ取ったひ弱な肉体が反逆し始めるを感じていた。
 中年男の判断が遅れた。単純な事だったのだ。獲物を手放せばそうはならなかった筈だ。逆関節に決めた筈の相手の身体を中心にして、中年男の身体は、風車のように一回転し、地面に叩き付けられた。
 私は皮下脂肪で緩んだ胸を鷲掴みにして男を地面から引き起こすと、そのまま手近な壁に押しつけた。男の脚は数センチ地面から浮いている。もっと吊し上げてやりたかったが、男との身長差を考えるとこれがいっぱいだった。 
「おっさんが買えるようなボクじゃないんだけど。気が付かなかったかなぁ、、、。」
 中年男の顔は苦痛のあまり出た鼻水や涙でぐじゃぐじゃだった。
そんな顔の中から「・・反省してます。」という哀れっぽい声が押し出されてくる。
 だがそれは偽装だった。
 いつか師範チーが「ゲス人間の攻撃パターンは読みやすい」と言っていたが、まさにその通りだった。男の手は自分の背中に回り込み、何かをまさぐっている様子だった。私の視野の中で男が引きずりだして来た獲物の一端が見えた。護身用のスタンガンだった。出来る限り細身に作られてある所とその色使いから見てそのスタンガンは女性用のものだろう。
 (おまえみたいな男から身を守る為にそれがあるのよ。なのにお前は。)私の中で得たいの知れない怒りが爆発した。
 私の左手がスタンガンを握りしめた男の右手を迎え撃つ。いつもならそれを手早く払い落として次の攻撃に転じる所だ。だが私はスタンガンを持った男の手を丸ごと包み込んだ後、それを思いっきりねじり上げた。
ボギッという鈍い音と、再びの悲鳴が男の口から迸った。
 私は左手の中指の山が飛び出すような形で握り拳を作ると、それを男の喉に付き込んだ。MSSのお陰でバックスイングなどしなくても私の全ての打突の威力は常人の数倍はある。
 中年男の悲鳴はひゅーひゅーという音に変わった、、。これで中年男は騒げなくなる。助けも呼べないわけだ、、だが、そろそろケリをつけても言い頃だった。私の買い物はまだ終わっていない。こんな男の為に丸一日を潰すのはやりきれなかった。
 私は周りを見回した。狭い路地の中に先程私が押しつけられていたゴミコンテナがもう一度目に飛び込んでくる。コンテナからは折れたモップの杖が飛び出して見えた。
 私はコンテナまで中年男の胸を掴んだまま彼を引きずって行き、さっきまで私が取らされていた屈辱的なポーズを彼に強いた。
「おっさんよう。やられるのも好きそうだよね。今日は初めての出会いなんだ。サービスしてあげるよ。金はいらない。」
 私は中年男の腕をねじりあげたまま彼のズボンを片手で脱がそうとした。あまり旨くいかない。どうしって男って奴はこんな格好の悪いベルトなんてものをするんだろう。むかついて来たので最後はズボンを引きちぎってしまった。私がMSSの力の制御を失うのは珍しい事だった。
 中年男の目の前にモップの折れた杖があった。それを私が引き抜いた時、中年男はすべてを理解したのだろう。
 中年男は最後の抵抗と助けを求める悲鳴を上げようとしたが、そのどれもが無駄に終わった。

 私は身繕いをして路地から大通りに出た。なんだか空気の味が違う。
私は見たこともないブラックパールの気持ちを少しだけ理解したような気がした。

2002/06/29