アニメの夜 3

=こころやさし科学の仔=

鉄腕アトム誕生日(2003/4/07)記念企画
2ch

 引っ詰めた髪に鼈甲フレームの眼鏡をかけ、どことはなしに陰気な雰囲気を身に纏った女が、冷え切った埃っぽい廊下を歩いていた。その女の首からは身分証明カードがぶら下がっている。
 所属は警察本庁科学捜査部捜査装備開発課諜報部門とあった。氏名は神柱久美子。
 顔写真は実際の顔よりもっと野暮ったく写っている。それは縁の太い眼鏡のせいもあるが、多くは不揃いな額の生え際や、手入れされていない眉の形によるものだった。
 だがその写真を注意深くみるならば、この女性が意図的にそういった演出を自らに架している事が判るだろう。その顔の輪郭は殆ど非の打ちようがないほど美しいのだから。

 その隣に並んで歩いている銀髪の老人には身分証明カードの類が見あたらない、、、このセクションの責任者であるのか、あるいはこの場においては個人の気ままが許される相当な権威の持ち主なのだろう。

 ここは警察本庁と言っても「別館」である。本館とは総ての面でまるで様相が違う。建物からして古びた博物館のように見える。更に神柱達が訪れている場所は、この「別館」の更に外れにある別棟だった。
「ここって、まるでエリヤ51みたいね。」
 久美子は乾湖の上に陽炎のように揺らめいて見える無骨な軍事基地を想像する。
 現時刻は午後十時十五分、久美子は別棟のヒンヤリとした空気に包まれているのだが、彼女の思考は自らが置かれた時と場所に関わらず、その時々の心象に対応した映像が強く伴うのだ。だがそれは一般に言われるような夢想癖ではない。久美子はそういった「思考パターン」の持ち主なのだ。
「そのなんだね、エリヤ51ってのは、おまえさんは時々わからんことを言うな。」
 久美子の知識の一部は、彼女の父親が所有していた膨大な数の新旧取り混ぜたビデオコレクションから成り立っている。いくら相手が物知りで有名な警察機構の最古参の老人でも、アメリカ合衆国軍隊が宇宙人を保管していたと言われる幻の軍事格納庫の名前など知る由もない。
「この国の話じゃないわ。乾湖グルームレイクの西端にあるのよ。世界中の珍品奇品が揃ってる倉庫の事よ。」
 久美子はエリヤ51が今もそこにあるのものなのか、あるいはその話自体の真偽も気にはしていない。逆に自分が嘘や出鱈目を喋っているという自覚もない。
 久美子の知識はそうやって小さな時から形成されてきたのだ。それに久美子は、人が喋る「言葉」などに、真実は宿らない事を知っていた。
「確かに此処は警察本部の保管倉庫としては異例づくめだろうな。権力が手に余ったと見なしたものなら、証拠物件、遺留品に限らず何でもかんでも突っ込んである。、、、そのくせセキュリティが甘い、何故かわかるかね。」
 神覇は最近、開発課に配属されたこの奇妙な女性を気に入っていた。
保安管理課は不思議な事にこの開発課と縁が深いのだ。軍隊と違って殺傷力だけに主眼をおけない警察の装備を開発する為には、犯罪に使われた凶器を研究することが、必須事項だったからだ。
 中でも一風変わったこの女性は、潜入捜査官などが身の安全を守る為の、ごく狭い範囲の武器と防具の開発を担当していた。そう言えば尤もらしく聞こえるが、有り体に言えば暗殺兵器の開発だ。
「みんながそれを、、あった事すら忘れ去ろうとするからかしら。」
「よくわかるね。」
「私自身の存在がそうだからよ。」という言葉を久美子は飲み込んだ。もう私は鉄鋼人の設計者、茶水羽蘭ではない。
 今の私は、どこかの哀れな女性のデータを買い取り、その逃避先として、こともあろうに警察本庁の装備開発課に潜り込んだ「偽りの女」神柱久美子なのだ。
「所で問題の暗器なんだが、君の参考になるかどうかは疑問だな。私の目から見ても、ここにあるものは趣味といおうか、奇想にあふれすぎている、、。」
 「本庁別館の生き辞典」と呼ばれる保安管理課主任神覇時三郎の声は、久美子にとって、彷徨い込んだ森のどこか遠くから聞こえてくる年老いたマーリンの声のように響いた。
 昔、「竜と騎士と王国」があった時代にはマーリンは、世界に対してとても重要な役割を果たしたものだ。森の木は、スチール戸棚にぎっしりと乱雑に投げ込まれた証拠品の数々だった。久美子はこの森に住む妖精達が放つ気に酔いしれていた。
 ある戸棚には、得体の知れないハンドメイドガンが粗末なネームタグを付けられただけで、ゴミのように積み重ねてあった。形はどれも尋常ではない。傘の形をしたもの、バレル以外は有刺鉄線がぎっちりとその身に巻き込まれたライフル。男根にグリップを付けたとしか見えない拳銃、、。 ナチスドイツの鉄十字をびっしりと装飾模様として刻み込まれたライフル。しかしそのどれもがよく見れば銃床に血糊がこびりついていたし、人の頭部を殴打した為か銃身
が曲がっていたりした。
 つまりその決して美しくない奇形の銃器類は、かって何者かによって実際に「使われた」のだ。普通の銃火器で行える殺傷をわざわざ奇形じみたもので執り行おうとした、その妄執、その事実、その想念が、久美子を酔わせるのだった。

 そしてそんな久美子が「眠れる森の美女」を発見したのは、保管庫という森の半ばに達した時だった。
 廃棄、あるいは隠匿、封印された証拠物件の中には「死体」も含まれて当然だろうと思いながら久美子は、その奥まった壁際にある冷凍睡眠型カプセルに近づいていった。
 先程、自らが口にしたエリヤ51の冗談から連想されるものがあったからだ。

 ここに「宇宙人の死体」が隠されているなら是非見たい、、。

 その「死体」を見て久美子の身体は硬直してしまった。「死体」は美しく若い女性のものだった。
 不思議な事に女の股間にはペニスがついていた。暫く観察していると、この死体が女ではなく、「ペニスがある女性」を演じる職業の男だという事が判った。
 その女性の股間はペニスの存在を際だたせる為に、陰毛が綺麗に除去されていたからだ。確かに、その死体についている男根は「男」のペニスのようなグロテスクさが感じられない、むしろ綺麗な何か別の器官のように見えた。
 だが久美子が硬直してしまったのは、その身体的特徴の為ではなかった。

 自分について来ない久美子に気づいて保管主任が戻ってきた時、久美子は何とかそれを彼から隠すことが出来た。彼女の目には「涙」が浮かんでいたのだ。
保管主任は久美子の動揺を直感的に悟った。
「どうかしたかね。」
「この死体は?」
「妙なもんがはえとるじゃろ。」
「そんな事を聞いてるわけじゃないの。これの曰くを教えてくれない。」
「聞いて驚くぞ。この死体は、かの巨大ロボットの操縦者のなれの果てだよ。」
 久美子は「本当」に驚いていた。
 、、金田、、、あの子は男の子だった筈。
でもあの事件が起こってから7年が経つ。少年は成長し、私はもう若いとは言えない年になった。7年あれば金田君の顔も面長になるし、第一身体をこれだけいじっているのだ、顔だって整形が入っていてもおかしくない。
 見違えるのも無理はない。それにしてもあの金田君の顔がこんなに「私のママ」にそっくりになるなんて、、。、、、、
「あの少年は、行方不明になったって聞いてるわ。」
 久美子は自分の声に乱れがないか確かめながらおそるおそる言った。、、大丈夫、今の私は兵器開発課の神柱久美子よ、鉄鋼人プロジェクトの茶水羽蘭じゃない。
「まあ、いろいろあったんだろうな彼も。最初は英雄だったが、最後には極悪非道の大量殺人鬼扱いだったからね。こんな風に身体を変えてまでの逃れの人生だったんじゃないのか。この死体が発見されたのは、例のメモリアルディの
真っ最中だった。脊髄を傷つけられながら背中から心臓にめがけてナイフで一突きされた。それも娼婦姿のままだ、、。」
「、、でもどうしてこの子はここにいるの。」
「まだ使えるからさ。、、いや、そう判断された。」
「使える、、。死体になんの使い道が、、。」
「生きている、、、らしい、、な。」
「心臓、脊髄よ、、それに今はこんな原始的なコクーンに冷凍されてる。死因がでっちあげでないかぎり生き返る事はあり得ない、、。」
 久美子は自分が衛星から「救出」された時の事を覚えていない。衛星内のスリープ装置の中で眠り続けていた母親がどうなったのか、父親がそれをどうしたのか、それらの事がすっぽりと彼女の記憶から抜け落ちてしまっている。
 だがこのように冷凍された死体に出くわす時には、何かが記憶の暗い闇の中
でもぞりと動く気配を感じる時がある。
「鉄鋼人を遠隔操作する為この少年の脳髄には、精神波を増幅させる特殊なネットが埋め込まれたらしい。そのネットに、事も在ろうにあの『連鎖する夢』が焼き付けられた、、。生きているとはそういう事だ。脊髄も自己修復されていると聞いている。私には修復とは思えんがね。あの内蔵のゴッタニみたいなモンスターを思い出すよ。あんなものが動く仕掛けを考えたら、これの脊髄だって、修復とは名ばかりでまったく違うものになってるって気がするね。」
 今度こそ本当に久美子の身体に戦慄が走った。神覇が描写した「連鎖する夢」によって一体の巨大モンスターとして溶接融合させられた数千の人々のイメージに怯えた訳ではない。
 あの視覚体験は、人類全体の「ビッグトラウマ」とも言われているが、久美子にとって、それは傍観者達の身勝手な感傷にしか過ぎない。
 私の作ったネットが、、そして私の家族を崩壊させた元凶であるあれが、、、、私のネットに住み着くなんて。その事実に対するおののきだったのだ。
「この死体、、あれに汚染されているの?」
「いや汚染とはちょっと違うようだな。人から受けた説明なんで、巧く説明出来ないんだが、、誤解を恐れずにいうなら、この死体の中で休眠している意識は、連鎖する夢のワクチンというか血清みたいなものだ。そう聞いている。第一、未だに連鎖する夢の実体が解明されていないんだから、なんとも言いようがないがね。」
「、、、誰かが、この死体で安全無害な連鎖する夢を研究しようと言い出したわけね。連鎖する夢の正体が何であれ、あの力を制御応用できるなら、その利用価値は絶大な筈だし、、。それは、最初にその利権を手に入れた人間にとっても有利に働く。」
「よく判るね。」
「、、、人間の考える事は似たり寄ったりだもの。で、それを言い出した人間というか、派閥の力に何かの弾みでかげりがでてきて、そのプランはとん挫した、、、。対抗勢力の方は、あの連鎖する夢をもう一度発生させる気かって、
錦の御旗をいつでも振れるんだから、、弱った相手を潰すのは簡単よね。総てはパワーゲーム。でも、死体自体は、又いつか使えるかも知れないから、ここに押し込まれたって筋書き、、。」
 久美子は自分が喋りすぎている事に気づいていた。久美子は神覇の前では口数の少ない無愛想な女で通っている筈だ。
 このままでは神覇に何かを気取られるかも知れない。神覇老人は鋭い直感と洞察力を持つ人物なのだ。
 神柱久美子への成り代わりや、自分の正体が茶水羽蘭である事を見抜かれる恐れはないはずだったが、警察内での数少ない友人に疑惑をもたれるのはよいことではない。
 だが久美子は、この死体が自分に与えてくるショックを和らげる為に、多弁になるしかなかったのだ。
「でも主任こそ、どうしてそんなにこの死体について詳しいの。」
「前に言わなかったか、この保管倉庫は金庫みたいなものなんだよ、」
 神覇は、照明が絞ってある為、全体が暗い森のように見える倉庫の奥深くを眺め通すような目つきをしていった。
 神覇のなめし革を張ったような顔の表面に、金田が納めて在る冷凍カプセルの淡い内部照明の光が反射している。
「私は金庫番、時には銀行屋でもあるな。利子は今あんたがいった通りだ、、、、この死体、今は駄目でも風向きが代われば又、利用できる。だが他の場所では危なすぎて保管も出来ない、、、。だからここなんだ。それにそういった事情を知っている人間がここに必要になってくる。それが私だ。」
「そんな秘密を知っていて危険じゃないの、口封じだとか。」
「最初の頃はな、、、そうだったよ。だがしのぎきった。結果、今は逆だ。秘密は向こうからやってくるし、皮肉な事に私はその秘密の数に比例して安全になっている。」
 久美子はこの時、神覇という一介の保安倉庫主任がこの本庁の中で何故これほど顔が利くのか、、その理由を理解した。
「あなたに、この死体の事を喋った人ってどんな人なの。」
 もしかしたら応えてくれるかも知れないという淡い期待を込めて久美子は尋ねてみた。今、教えてくれた内容もトップシークレットに属する筈だ。 それをどういう訳か、神覇は簡単に教えてくれたのだ。
「そいつは無理だな。理由は判るだろう。それとこの死体について私が喋った事も、他言無用だ。理由は勿論わかるだろう。それと一つ覚えておくといい。世の中では秘密がバレル事だけが重要視されるが、実は逆の側面の方が大切なんだよ。つまり秘密の持つ、お互いに対する拘束力って奴だ。あるいは、秘密を共有する事によって人と人とが繋がっていく場合もあるという事だ。そしてその強度は秘密の危険度に比例するという事だな。」
「、、ご教授、ありがとう。私は今日、あなたの言う秘密の拘束力の一部を実体験させてもらったってわけね。これで私とあなたの結びつきはより強固になったってわけ、、。でもどうして私なの。」
「それは私が君を気に入っているからだろうね。それに馬鹿な女の子にはこんな事はしないよ。」
 久美子は肩をすくめて、その場を離れた。いつまでもこの死体の側にはいられない。
 そろそろ、「現在開発中の捜査用具の参考資料を見るために保管庫にやってきた技術者」の役割に復帰するタイミングだった。彼女の心の動揺はほぼ収まりかけていた、
「今度このことを思い出しそうになったら、あなたが、馬鹿な女をジョークでひっかけてやったって大笑いしながら同僚に話している場面を想像する事にするわ。」
「そうするといい、、でも、、どうしてあんな死体に興味をもったんだい。随分、真剣に見ていたようだが。」
「私にも判らないわ。そんな事って、結構あるんじゃない。人間の行動ってなんにでも説明がつくわけじゃないし。」
 実際、この時の久美子には、何故自分が金田の死体にこれほどの興味を持ったのか、本当の理由は判っていなかったのだ。
 そして彼女が、その本当の理由に思い当たったのは数日後の事だった。

4ch

 美しい顔に、均整のとれたスリムなボディ、シミ一つ無い清潔でなめらかな肌、そして長大で美しい形のファロス。それは女達が望んだ「男」の理想の形だった。
 名前はない。その時々の女達は「男」に自分専用の名前を付けたが、、逆に言えばその事自体が、この「男」に名前が無いことを証明していた。
 勿論、こういったロボットに精通している茶水は、「彼」の商品コード名がマーキュリー01である事を知っている。その程度の事が判らずこのロボットを使って「遺体」を警察の保管庫から盗み出せる筈がないのだ。
 一方、マーキュリー01の失踪という前代未聞のトラブルに遭遇した「無菌ホストクラブ」のオーナーは混乱の極みに立たされていた。
 マーキュリー01は、法基準を逸脱した製品であり、それを所持している事が明るみに出れば、今まで賄賂や鼻でお目こぼしを得ていた部分が通用しなくなる。当然、警察には届け出を出せる訳がない。
 だが、それ以上にオーナーを悩ませていたのは、「マーキュリー01」自らが店を出ていったという事実である。
 マーキュリー01は人間そっくりの精巧なロボットだ。だがそうであるために、マーキュリー01は無菌ホストクラブの限られたエリアでしか生活できない仕組みになっていた。
 マーキュリー01の人間そっくりな動きを支えているのは、無菌ホストクラブの地下に設けられた巨大で精緻なコンピュータとメモリだったからだ。
 では、盗まれたのか、、。何のために?何かの犯罪に使用する為とは考えにくかった。マーキュリー01に出来る事は人間そっくりのセックスだけだった。
セックスが目的ならマーキュリーのファンは沢山いる。だがその魅力的なセックスも、彼が無菌ホストクラブにいるからだという事実を総ての女客は知っていた筈だ。
 オーナーは、こめかみを揉みながら昨日から早送りで見続けている客達の盗み撮りビデオをもう一度点検した。
 マーキュリーの引き締まった尻が、女の身体の上で複雑な軌跡を描きピストン運動を繰り返している。それをぼんやり見つめながらオーナーは思った。
 犯人像としてはあり得ない事だったが、マーキュリーと一番接触が出来る可能性が高いのは客、つまり女達である事には違いない。それにビデオを見続ければ、怪しい客を見つけられないにしてもマーキュリーの変調ぐらいは発見出来るかも知れない。
 ただしビデオは過去2週間の記録しか残っていない、その一日前の女が犯人だったら、、。
 だが犯人が何をしたにせよ、事に及ぶまでに二週間も空白を空ける必要がどこにあるというのだ。そうオーナーは考えていた。
 だからオーナーは再び女体のあらゆる体液の臭いが漂ってくるようなビデオを観察し続けるしかなかったのである。


 開発課は自己申告のフレキシブル出勤が許される。今は夜の十一時を回ったところだ。久美子のいるボックスに限らず、開発課のいくつかのボックスには明かりがついていた。久美子は自分のデスクに座り込むと肩に掛けてきたディパックから個人端末を取り出した。
 勿論、職員には正式の端末が貸与されている、しかし開発課の人間達が仕事において個人持ちと公用を同時に使う事は珍しい事ではなかった。特に開発課のようなセクションでは仕事上の機密を守る為には共有末端のセキュリティは貧弱過ぎるからだ。
 だがこの日、久美子が個人末端から立ち上げたプログラムは彼女の仕事とはなんら関係のないものだった。
 久美子はハードの出力ジャックにプラグを差し込みイヤホンを耳に入れる。
ディスプレィに、人の視線と視野に一致はするが、奇妙に狭さを感じさせる画像が映し出される。その映像はどこかの「穴」の中からある場所を見下ろしているように見えた。
 久美子はその画像を確認し終わって別のシートを立ち上げる。それは保管庫の守衛にあたる者の勤務当番表だった。
 その覗き見行為は、ハックと呼べるほどのものではなかったが、違法であることに違いはなかった。当たりを付けて
いたとおり今夜の当番はガープだった。ガープはこの時代の悪徳警官を代表するもっとも典型的な人物で、久美子の計画遂行の為には外せない人物だった。
 後2時間でガープは次の者と交代する筈だ。久美子の指がキィボードの上を信じられないスピードで舞う。ガープの携帯電話に「ある女」の合成音の声で電話を掛ける為だ。
 勿論、所内で使えるのは官給品の携帯電話と限られておりプライベートな通話はすべてそれぞれの上部に筒抜けになってしまう。が、蛇の道はなんとやら、抜け道は何処にでもありこの官給品の携帯電話でも、あるチップを取り付ければ、いくつかの回線は個人用に確保できるようになっていた。
 久美子は、女の声でガープと今直ぐ「やりたい」と甘え声を出した。ガープは「さてはお前、いつものように銃撃戦をやって興奮してるんだな。もしこの俺が、いかないんなら警棒であそこをこすりつけて自分でやるんだろう。これだから女の警官は、、」云々といった下らない冗談を返し始める。
 久美子はイヤホンを引きちぎりたくなったが、それを我慢して「1時間でいいの。抜けてきてよ、いつもの事でしょ。」とガープに甘い声を掛ける。
 結果、、ガープは、一応、保管庫の施錠状態を確認して、いそいそと自分の持ち場を離れる事になる。
 警察本庁にしてこれだ。ガープを責めるべきか、この時代の警察機構の堕落を追求すべきか、あるいは、そこまでの安心感と油断を抱かせる、特別保管倉庫の電子警備システムを褒め称えるべきか、、。
 だが特別保管庫の電子警備システムなど、元「奇跡の天才少女茶水羽蘭」にとってなんの障害にもならない。
 久美子が問題にするのは、例え愚図でのろまな存在であっても「人間」だった。機械は騙せるが人間は結局の所騙せない、それが茶水羽蘭の短いが激動の人生で得た結論だった。
「とんだエリヤ51ね、、。」久美子はそっとつぶやくと、排気ダクトに待機させてあるマーキュリーに命令を送った。
 直径が30センチに満たないダクトだ。人間の子どもでも入り込めない。しかしマーキュリーは関節を総てはずしても作動させる事が可能だから頭蓋骨が入るだけの大きさの穴があるなら何処にでも侵入させる事が出来た。
 最も、マーキュリーが、この細長いダクトにどんな姿で潜んでいるのかは、誰も想像したくはないだろうが、、。
 ガープが持ち場を離れて2分後、保管宝庫の床に巨大な肌色の蚯蚓のようなものがドチャリと落ちてきた。
 その蚯蚓が鎌首をもたげ、直立しギリシャ彫刻かと見まごうような男の姿に変身したのは、それから更に数秒後の事だった。その間、振動と熱と物体の移動に反応するはずの保管倉庫の警報装置は一切反応しなかった。

 久美子がマーキュリーに次のコマンドを送った途端、彼女のブースに黒い顔がにょっきりと突き出された。対銃火器防御担当のマックスだった。
「先にあがるよ。クミコ。最近夜勤が多いんじゃないか、、無理するなよ。」
 マックスは変人揃いと言われている開発課の中では、比較的外向的な性格を持った平均的人物だった。
「夜の方が頭がさえるのよ。あなたもそうでしょう。」
 久美子がマックスに顔を向けて喋っている間でも彼女の指は止まらない。
「ああ、わかるよ。でも僕は男だ。そして君は女、夜の街は物騒だ。」
「ええありがと。これからは早い目に仕事の目処が立つような事があつたら、家に帰らずに夜が明けるまでここで泊まる事にするわ、ね、ここなら安全でしょ。だって警察なんだもの。」
「だといいんだがね。」
 マックスは片目を瞑っから顔を引っ込めた。久美子は急いでディスプレィに視線を戻す。マーキュリーはまっすぐ例の棺に向かっていた。
「おねがいマーキュリー、私のママを助けて上げて。」
 マーキュリーの力強く且つ繊細な手が棺の開閉ボタンにかかる。そしてあらかじめ盗み出しておいた棺を開けるための暗証番号を、軽やかに押していく。
 その手を久美子は愛していた。久美子はこの計画の為にマーキュリーの存在を知ったのではない。久美子自身が「無菌クラブ」の客だったのだ。
 久美子が多少他の客と違うのは、多くの女達が「完璧な男の代用品」を求めてクラブに通ったが、久美子はアンドロイドそのものとのセックスが好きだったという事だ。
  久美子にとって「愛する男性」は、彼女の父親だけでよかったのだ。
 3週間前のある夜、マーキュリーの手で尻タブを摘まれ長大なペニスをアナルに挿入されながら久美子は、このプランを思いついたのだ。
 一週間後もう一度、無菌クラブに訪れた久美子は総ての準備を終えていた。
セックスの最中にマーキュリーを乗っ取る為の、久美子が作っておいたインプラントを彼に埋め込むことは実に簡単だった。
 何と言っても、久美子は、いや、茶水羽蘭はあの鉄鋼人を設計した天才なのだから。勿論、例え当時であっても総ての人間が、羽蘭の天才を賛美したわけではない。彼女のさして「知のフリークス」と陰口を叩いた者もいる。
 無理からぬ事だ。現に羽蘭は、例え限定された行動とはいえどマーキュリーをたった3センチ長のインプラントで「無菌クラブ」の巨大メモリの呪縛から解き放ったのだから。
 それから隠し撮りビデオの存在に気づいていた久美子は、更に後一日をずらせてマーキュリーを無菌クラブから脱出させたのだ。
 マーキュリーの指紋は消すことが出来る。マーキュリーの身体からは体毛一本抜け落ちる事はないし、どのような類の体液も、命令を下さぬ限り彼からこぼれ落ちる事はない。 つまり現場に一切の証拠を残さない、おまけに力が強く忍耐力がある。要するにマーキュリーは窃盗の為に生まれたような機械なのだ。彼に備わっていないのは「知恵」だけだった。
 マーキュリーは、金田の硬直した身体を恭しく抱き上げると、もう一度棺にかがみ込んで吐瀉物を吐くようなポーズをとった。
 その途端、マーキュリーの口から巨大ななまこのような物がずるりと這い出てきて棺のベッドの上にぼたりと落ちた。
 巨大ななまこは身体の表面の色を点滅させながら変化させ、やがて金田とそっくりの肌色を帯びた。続いて変化は形に及び、数秒後には金田とそっくりなダミーが出来上がり、それは本物の金田の代わりに棺に横たわる事になった。
「あとは私がやる、早く私が用意した棺に入れてあげて、いたんじゃうわ。」
 久美子は、思わず独り言をつぶやいている自分にも気づかず、数十種類のコマンドを打ち込み始めた。
 その途端、久美子のいる開発課の総ての、いや本庁の電源が死んだ。
停電だった。だがそれは久美子が作為的に作り出した停電だ。その証拠にマーキュリーの逃走路の総ての電子機器は、彼の通過のみを優先するように部分的に復旧し、彼を受け入れていったのだ。
 本庁別館ビルの停電時間は5分間だった。5分後、本庁内の総てのシステムが再チェックされたが、何処にも異常は発見されなかった。
 いや一つだけ異常が在った。それはこの時間帯に勤務に就いている筈の一人の警官が、彼がいるべき場所にいなかったという不祥事だった、、。

「魂だって蒸発するのよ。判る?そういう魂だってあるって事。」
 鋲の付いたナインテールが男の筋肉の巌を容赦なく引き裂いていく。だがその持ち手の声はあくまで冷静だ。目の前の大男に「苦痛」という名の塗り薬をつけてやっている看護婦のように。
「俺のような人間か。」
 久美子はナインテールの代わりに革袋を手に持ち替え、先程まで打ち据えていた男の頭頂にそれをかぶせようとしている。
 一方、久美子の顔はオープンフェイス型でポニーティルにした髪が出せるラバーフードで覆われている。
 手入れされていない額の生え際がラバーのくっきりしたハート型の境界線に覆われ、剃刀を入れることを止めた眉がラバーの張力でつり上げられている。
元よりアイスドールと呼ばれた久美子の美貌が野性味を帯びて壮絶に輝いている。
「あなたの魂はそうはならないわよ、革男。」
 茶水は間久部の背後に回り込み、彼の頭部を覆ったレザーマスクの編み上げひもをきつく閉めていく。それは相当な力なのだが間久部の頭部は微動だにしない。間久部の裸の首や肩の筋肉は異常なまでに太い。そして場面が変わればその筋肉が過剰な暴力を産むのだ。
「これでいい?」
「いや、もっときつくだ。まだあれになれない。」
 茶水は黒いレザーマスクの下でひしゃげきった間久部のモデルのように整った顔を想像する。
 拷問椅子に縛り付けてから、最後の仕上げとしてレザーマスクの両目と口に取り付けて在るジッパーを力任せに閉じる。
「ねぇ間久部、調べて欲しい事があるんだけど。」
 勿論、間久部は返事が出来ない。それでも久美子はこの男が自分の言葉を一
言一句、正確にそしてとてつもなく深く聞いているのを知っている。
「連鎖夢襲来事件、覚えてるよね。あのとき鉄鋼人を操縦者してた人間の死体を本庁の闇倉庫に保管した奴がいるの。そいつの名前と経緯を知りたい。それも超特急で。」
 神覇に根ほり葉ほり聞けばある程度の事は判るのだろうが、死体は既に盗み出して在る、、事が露見すれば真っ先に久美子が疑われる事になる。
 その点、間久部は裏切る心配がない上、第一級の調査能力を持っている。本庁捜査一課のマクベを知らない犯罪者は「犯罪者として」生き残れないと噂されるほどだ。そんな彼が彼女だけを裏切らないのは、久美子がドミナで間久部がスレーブであるという関係に由縁するわけではない。
 間久部には倫理も正義感も職業観もない。彼にあるのは間久部自身が決めた己のルールだけなのだ。そのルールの範疇にあるものに対して間久部は決して裏切る事をしない。
 間久部のルールは二つある。己の心の闇から沸き起こってくる声に忠実である事。二つ目は己の肉体の声に忠実である事。この二つの交点が間久部のセックスである。
 呼吸さえも浅くなり、マッチョマンの実物大プラスティック見本のようになった間久部の指先が動いた。肘掛けに革のストラップで固定された中指がコツコツと肘掛けの先端を3度小突く。注射を打ってくれという合図だ。
「さあ。あれがまだあったかしら。」
 久美子はいかにもいじわるそうな口調を演じてみる。久美子自身その加虐が男に効果があるものかどうかは判っていない。まして相手は間久部だ。
 久美子のこの反応は職業上のものと言えた。最も、個人経営の秘密SMクラブが職業と言えるかどうかは別にしてだが。
 久美子は黒いラバーにぴっちりと覆われた臀部を意識的に振りながら部屋の片隅に置かれた薬品戸棚に向かった。間久部が見ている訳でもないし、時々とっておくビデオが回っているわけでもない。
  モンローウォーク、それは様式であり儀式だ。歩く為にはまったく意味のないピンヒール。様式と儀式こそが「からっぽになりたがる」人間達の必須要素だった。
 「空っぽになりたい」勿論、この部屋を個人的に経営している久美子とて例外ではなかった。久美子は黒いラバー手袋の指先にあるガラス製の注射器の針から空気を出す。つられて押し出された液体の正体を久美子は知らない。
 間久部が何処から押収し着服した薬品だ。もしかしたら生死に関わる危険なものかも知れない。
 だがこの部屋で起こった一切の出来事は客の自己責任という約束事だった。
ここで客が死んだならば、久美子はその死体を部屋の中に用意して在る巨大ディスポーザーで処分し排水溝に流すだけの話だ。
 先週は、マッカバン放送局の副社長を、その酷い悪臭に悩まされながら処分した。勿論警察の調査がここに入ることはない、己のアリバイの完全な偽装や、警察権力に顔が効かないような人物は、元から久美子の客になれないからだ。
 久美子は注射針を巧く間久部の皮膚に潜り込ます事が出来ない。コンピュータやマニュピュレーター操作には天才的な動きを発揮する指が、こういった事にはまったく不器用になる。
「亜土、、、あんたを解放したのは間違いだったみたいね。」
 茶水羽蘭は、己の存在と過去を完全に消し去ろうとした時、引き取っていた上司の娘、天馬亜土も手放す事を決意したのだ。このクラブもそれまでは亜土と二人で経営していた。
 勿論、、亜土の役割は、羽蘭の「出来ないことをする」事だった。
 「ちっ!!」
 苛立ちを堪えきれず、久美子はとうとう針を突き立てて注射を打った。
だが間久部はびくともしない。間久部は薬を待たず既に旅立っていたのだ。
 彼自身の中にある虚無の無限回廊に、、。


「蝉丸だ。」
「誰、それ。」
「お前が言ってた今度の件の黒幕だ。それだけでいいだろう。蝉丸の本当の名前や地位を聞いても、お前は仕方がない、、だろう?そうしておけ。
 蝉丸という男は、何人かの権力者と権力そのものを動かせる位置にいる。ある時、蝉丸は鉄鋼人の操縦者の脳がまだ微かに生きている事を聞きつけた。しかもその脳は茶水羽蘭が作り出したサイコウエーブターボネットとあの連鎖夢自身で生かされていると言う。うまく、そう、巧くやれば、どれだけの権力を、、いや不死の生命さえも手に入れられる筈だ。蝉丸はそう考えた訳だ。蝉丸が失敗したのは政財界の風を読み違えたからだ。 読み違えと言っても、まあ我々にとっては朝起きて右足から床に足を下ろすか左足か程度の事なんだがな。、
、だがやつらはしぶとい。完全に死ぬことなどあり得ない。」
「だから貸金庫にお宝を一時預けした訳ね。でも、それくらい私にも。」
「ああ想像付く。、だろうな。、、なら、、金田の蘇生のさせ方はどうだ。例の手順で送っておいた。俺は素人だからよくわからんが、あんたなら金田を蘇生させられる気がするな。」
「、、、マクベ、あんた、最高だよ。今度、あんたのけつの穴に肘までツッコンであげる。」
「爪はきっとけや。」
「冗談。素手でやるなんて誰が言った。手の血管が浮いて見えるようなびちびちのラバー手袋を付けてやるんだよ。今度はご褒美にローションにヘロ、混ぜてやるよ。ヘロをまぶしたゴム手袋であんたの直腸の内壁を撫でてやる。」
「そいつは楽しみだ。所で羽蘭。」
「なに。」
「気を付けるんだ。」
「、、あんたらしくないねマクベ、、。」
「あれ、、連鎖夢が又、発生したらしい、、。」
 一瞬、久美子の息が止まる。
「、、たとえ、そうだとしても、宇宙の果てで起こってる事なんか、私には関係ないわ。」
「、、そうだったな。じゃ切るぜ。」
 連鎖する夢の発生?私があの子を見つけて復活させようとしている事と何か関係があるの?
 まさかでしょう、、。久美子の受話器を握った手の平には汗が浮かんでいた。

 警察の身元不明人の遺体置き場から、極上品の死体が無くなる事はよくある。
生身の人体を買うよりも「そのボディ」の方が品質がよい場合が往々にしてあるのだ。何よりもこの「発売元」は、どこよりもトラブルが少ない。
 そのルートを辿って、一旦、極秘保管庫から遺体置き場へ移送された金田の死体は久美子の元にやって来たのだ。
 勿論、久美子のアパートメントには嵩張る保存装置込みの金田の死体など収容は出来ない。死体が置かれたのは「秘密クラブ」のほうだった。
 金田が復活するまでは「秘密クラブ」の営業は中止されるが、久美子の顧客達は「羽蘭の鏡倶楽部」の時代から久美子の「我が儘」には慣れきっていたので問題はない。
 一時は「衛星から救出された天才少女」と呼ばれ時代の寵児であった茶水羽蘭が「秘密クラブ」を経営し始めたのは、彼女の「転落」のせいではなかった。

 単純に表現すれば、羽蘭のファザーコンプレックスと鉄鋼人プロジェクトに群がりよった年かさの権力者達の色ぼけが「鏡倶楽部」の始まりだったのだ。
 一度でも鉄鋼人プロジェクト本部に訪れた事のある権力者たちは例外なく羽蘭の発する奇妙なフェロモンの虜になっていた。そして羽蘭は彼らの肉欲に、彼女なりのやり方で、なんのためらいもなく応えた。
 羽蘭は直接的な肉体交渉を持つかわりに、自室に巨大なハーフミラーを持ち込み、その内側でみずみずしい身体をくねらせて見せ、ハーフミラーの外側の中年男や老人達の息をあらげさせたのだ。
 男達が臨界点を越えて羽蘭を強姦しなかったのは、彼らが「そういった倒錯趣味を愛する階層」にあった事も大きいのだが、最も決定的な要素として働いていたのは他ならぬ羽蘭自身のカリスマだった。
 時に羽蘭はその端正な顔をガラス面に思い切り押しつけ、醜くゆがんだ鼻や唇を、向こう側の男達に舐めさせたものだ。
 又、ある時はハーフミラーを水平に置き、なんの下着も付けぬまましゃがみこんで己の性器を一枚の強化ガラスの下にいる老人の顔にベシャリと押しつけたりもした。
 だがそれら総ての行為は羽蘭の気まぐれによって取り仕切られていた。「鏡倶楽部」の女王様は昔から我が儘なのだ。
「さあいくわよ。フランケンシュタインの怪物君、、私にママを返して。」
 久美子はかって自分自身が設計したディバイスを、その手で触ることになった。金田の冷たい頭部を少しだけ持ち上げ、柔らかな髪に覆われた後頭部にある小さなゲートを探し出すと用意しておいた極微のプラグを差し込んだ。
 久美子の頭の中では、大昔の古城で繰り広げられる白衣のマッドサイエンティストの所業と夜空で荒れ狂ういかずちが点滅していた。
 だが現代のフランケンシュタインの怪物の復活には雷のエネルギーなど必要としない。解凍システムが作動し細胞レベルの覚醒が始まり出したタイミングで、あるパルス信号をネットに送り込んでやるだけでいいのだ。
 その時、脳のニューロン発火に追随するはずのネットが、その主客を逆転させながら起動するのだという、、。
 そのプログラム名は「連鎖する夢」。
 マクベが送って来てくれた「封印」を解放する為の長大で複雑なパルス信号を見て久美子は心を震わせた。
 久美子にはそれが「連鎖する夢」の研究で見いだされたものである事が判ったからだ。「連鎖する夢」の研究はここまできていたのだ。この事を自分の父親が知ったらどう思うだろう、、。
 同じ研究者として悔しがるのだろうか、それとも連鎖夢の基本データ収集者として今の結果に誇りを覚えるのだろうか、、。
 いや、そのいずれでもあるまい。羽蘭の父親、茶水飛雄なら「何故、早く人々を助けてやらないのだ。」と言ったに違いない。
 この研究成果には露骨に「秘匿の臭い」が付きまとっていた、、。この信号を送って「連鎖する夢」を覚醒させる触媒としてなせるなら、人間は「連鎖夢」についての謎を半分以上、解明し終わってると言えるからだ。 だが世間には「連鎖する夢」は未だに解けない謎として認知されていたのだ。
 久美子はパルスを送り込みながら金田の復活を待った。亡き父親は、連鎖夢に感染した羽蘭の母親を最後まで冷凍カプセルから救い出すことが出来なかった。
 羽蘭はその事を恨んでいない。母親がレズビアンであり父親を裏切り続けていた事も知っていたし、どこか自分という存在を怖れていた事も気づいていた。

 勿論、だからといって母親の事が嫌いだった訳ではないのだ。今は、自分が大人になった今は、、母親と話を、、いや母親に似たこの身体の側にいたい、、
ただそれだけだった。
 眠る金田の横顔は、久美子が覚えている冷凍カプセルの中の母親にそっくりだった。大きな薄い瞼。つんと上を向いた鼻。やや下唇が厚い唇は清純そうにも淫乱そうにも見えた。尖って薄い顎は人形のような印象を醸し出している。

 この子、、成長してこうなったのかしら、、それともその細い顎の線はより女っぽく見せる為に手術したの、、いずれにしてもママにそっくりになって私の元に帰ってくるなんて、、。
 その金田の顔にゆっくりと血の気がさしてきた、、、。


 久美子の脳裏に一つの映像が何度も繰り返されて映し出される。金田が「女」になって逃亡を続けた時代に撮られたビデオテープ。
 それは久美子が、本庁別館の極秘倉庫で彼の死体と出逢ってから一週間後に、彼女のコネクションと能力をフルに活用して手に入れたものだった。
 テープの冒頭は、金田の一見きらびやかに見える私生活のショットが映し出され、次に扇情的な衣装を身につけたストリップテーズが数分。
 勿論、そんなものは只の体裁だ。全裸の金田が自らのペニスをしごき上げて自慰をするシーンから「からみ」が始まり、そこからありとあらゆるバリエーションをもった「男根のついた女体」のセックスが繰り広げられる筈だった。
だが久美子はそこから先を見ていない。
 テープの仕上がりを見た時点で久美子には、これが一般市場に出回るモノではないのと同時に、かなり浅い階層のアンダーグラウンドで制作されたものだという事が判った。
  久美子が時々、顧客達の為に流してやるテープと比べるとそれはソフトドリンク程度の刺激しかないものだった。
 だが久美子は、そのテープを最後まで見ることが出来なかった。
 そこに現れる金田はあまりにも久美子の「母親」に似ていたからだ。
母親の茶水京子は、羽蘭とともにあの衛星から救出され地上の何処かで生き返っているのではないか、、。このテープに映っているのは実は人造ペニスを付けた自分の母親ではないか、、、。そんな毒々しいファンタジーさえ久美子は感じたほどだ。
 だが、そんなことはあり得ない。テープに登場する母親はあまりにも若すぎたからだ。

『後悔などするな、総ては己がやった事』ブルージィなメロディと共にそんな歌詞がかすれた声で、金田の裸体に絡まっている。
 形が綺麗で強度のあるペニスが、やや誇張され気味の女体の中央で起立している。そして金田は、こういったテープの定番で、唇を出して自分の唇をなめている。
 形のよい眉が寄せられ、眉間の中央にしわができる。薄くて大きな瞼は固く閉じられているのだが微かに痙攣が起きている。つんと上を向いた鼻の穴が少し開く。
 母親そっくりの顔と表情、、、でも、、私はこの顔の表情を何処で見たんだろう、、、。

 そして久美子の「夢の母親」が目を開けると同時に、現実の金田も覚醒を果たしたのだった。


6ch


 連鎖夢による、人間に向けての放送は、あらゆる手順をすっぽかして唐突に、そして地球全域に向けて放たれた。それが過去の「連鎖夢襲来事件」との大きな違いだった。
 第一波の襲来については、国家政府が曲がりなりにもそれを予測し事後の収集まで組み込んだ対抗策を展開しえた。
 それはとりもなおさず連鎖夢自身には、己を拡大していくという行動原理しかないという事実の査証だった。
 つまり今度の連鎖夢はより高度な意図を人間に示したのだ。

 放送の内容は実に単純だった「地球と人間の意識を我々に明け渡せ。」ただそれだけだった。どうやってとも、条件提示もなかった。ただ明け渡せと放送があり、巨大軍事衛星マチュピチュの砲門が地球に標準を合わせた場面を映し出したかと思うと、次の瞬間にはオーストラリア大陸の10分の1が破壊されていたのだ。
 次に巨大軍事衛星内の光景、そこにはまだ肉体的には融合されていない連鎖夢患者達がいた。
「たいへんな事になったな、、。」
 開発課の人間達は部屋の片隅に置かれた大型ディスプレィに集まっている。
 勿論、個人末端機器でそれは見ることができるが、こんな緊急時には人は一所に集まるのが性だ。むろん久美子もその中にいる。今は日中の勤務シフトだ。
夜は金田の為にあけてある。
「迎撃してしまえば済むことだ。」
「あのクラスの衛星のシールドは強固だよ。地上から総攻撃しても丸一日は持つと言われている。その間に地上は半壊するだろう。それに第一波の攻撃を受けながら、こちらからの反撃が始まらない所がみそなんだよ。」
「何故、反撃しないのよ。まさか相手が連鎖夢患者だからというんじゃないでしょうね。罹病したら人間じゃなくなっちゃうのよ。そんな事、前の襲来で証明済みじゃない。」
「、、だが、まだ彼らは人間の姿を保っている。眠ってもいない。それに噂話じゃ連鎖夢のワクチンが存在してるという話があるんだ。」
 久美子の心臓が跳ね上がる。ワクチンなんか出来ていない。その培養体は私が盗み出したのだから、、それとも、別枠でワクチンができあがっているのだろうか、、。
「今、反撃したら大虐殺になると言うわけだ、マチュピチュの第一波攻撃は砂漠を蒸発させただけだからな。被害者の数だって比べ物にならないだろうし、、。絶滅一歩手前のカンガルーと人の命じゃな。」
「それよ、それ。今度の襲来の違うところは、、、奴らそのあたり、判った上で、さっきの電波ジャック放送してるんじゃないか。」
 ありうる事だった。マクベが掴んだのは軍事衛星に連鎖夢が発生したという情報だったのだろう。前のケースならその時点で政治的な操作が行われていた。
しかし今度はそれが出来ていない。電波ジャックの意図はそれらを先回りしている感さえある。
 だが久美子の知る連鎖夢は明確な意志を持たない、まさに自己繁殖を目的としたウィルスだった筈なのだが、、。
 連鎖夢は進化しているのか、、。


 その夜も、テレビは何時までも連鎖無関係のニュースを流し続けていた。それをベッドの上で無表情な顔をして眺めている金田。金田に着せてあるピンクのベビードールは、昔、面倒を見ていた亜土が着ていたものだ。
 後ろから見ていると金田の首筋から肩に掛けてのなだらかな三角形が久美子の欲情を誘った。その形は女のようでもあり少年のようでもある。
 久美子が、今夜は金田とどんなバリエーションで楽しもうかと考え始めたとき、電話の呼び出し音が鳴った。
「昨日、不思議な夢を見たんだ。聞いてくれるか、、、。」
 間久部からだった。
「お前が全身ラバーのスーツを着込んでローションを体中に塗りたくって俺のアナルに頭から突っ込んで来るんだ。俺は聞いてやった。久美子、おまえそのゴムの服継ぎ目が全然ないし、穴が開いてるのは目と鼻の穴だけだろう。窒息
しちまうぜってな。」
「で私はなんて?」
「お前の腸壁や胃袋や食道を私がくぐり抜けるときに傷つけない為にこんなのを着てるんだ。感謝しろと言ったよ。」
「ふん。私らしいね。で」
「お前は俺の身体の中に、どんどん潜り込んできた。そして丸ごとの俺の身体の内側にぴったりと入り込んでしまった。俺はその時激しく勃起した。俺は勃起しながらお前になりたいと思ったんだ。でおれは胸の境目に両手の指先を突っ込んだ。そのまま俺は胸を左右に観音開きに引き裂いていったのさ。俺の血塗れの胸の筋肉の下からは骨が見えるんじゃなくて、お前のゴムで覆われた丸い乳房が出てきた。俺はうれしくなって、自分の身体の皮をどんどん引き裂いていった。最後に俺はお前のゴムを着た身体になって顔だけが俺の状態になったんだ。俺は本当にうれしい気持ちで顎の下の肉に指をかけた。お前の顔を覆っている俺の顔をマスクみたいにすっぽりはいじまえば最後の仕上げだってな。」
「で、その時、夢から覚めた。よくある展開じゃない。夢精して汚れたあんたのパンツのクリーニング代を私に請求したいわけ。」
「、、、、気を付けろ。捜査が始まっている。金田の死体の事だ。しばらくは俺が押さえてやる。だが長くは無理だ。その間になんとかしろ。一番いいのは、金田を手放す事だ。奴らには今のところ誰が金田を盗み出したかなんて事は、重要な問題じゃないんだ。この非常事態の状況下においてはな。」
「マクべ、お節介なんてあんたらしくないよ。」
「いいか良く聞け。生き返った金田は、連鎖夢そのものである可能性だってあるんだぞ。そうなら、あんたの手に負えるものかどうか考えてみた事があるのか?」
 久美子はそこまで聞いて一方的に電話を切った。私は絶対に金田を手放さない、、、。

 最初の放送があって、後、つまり間久部からの最後の電話があってから一週間、世の中にも久美子自身にもこれと言った動きはなかった。
 その間、久美子の心の一部は、開発課の大型ディスプレィの壁にピンで止められ、間久部の忠告は冷蔵庫のフリーザーに放り込まれたまま、金田と彼女の蜜月が続いていた。

 今まで何度も見てきた、自室のブラインドを上げた窓から差し込む朝日の美しさに息をのみ、久美子はフローリングの上で日課としてきた太極拳をゆっくりと舞った。太極拳がダイエットの手段ではなく、それを通して自らの血と肉
が意志の語りかけに呼応する事を知った。
 光も空気もその中に舞う塵さえも総てが生きている事を久美子は知った。
 出勤前の慌ただしい時間帯にも久美子は、金田の髪をといてやり、紅をさしてやる。久美子は金田のうなじと癖のある柔らかな髪の感触を楽しんでいた。
時間のある時には、少し「男の身体」のラインが戻りつつある金田の為に、念入りなメイクを施してやることもあった。
 なかでも羽蘭は、金田の長いまつげにこってりマスカラを塗ってカールさせてやり、薄い瞼に暗いシャドウを入れるのが好きだった。そうしてやると金田の虚ろな菫色の瞳が、かろうじて人形程度の表情を帯びるからだ。
 そう、結局の所、蘇生した金田は、久美子にとって、母親によく似た動く人形にすぎなかったのだ。
 金田は意志というものをまったく欠いていたのだ。
 それが蘇生時における脳内の何かのトラブルが引き起こした結果なのか、元より蘇生した金田自体が、ネットのエコーによる幽霊のような存在なのか。そのどちらの存在であるのかは、久美子には判断がつかなかった。
 だが意外なことに、その事実は久美子に「落胆」を与えなかった。考えてみれば、もし金田の内面が、羽蘭の母親に似たもので在ったのなら、彼女は今まで出逢った事のない「肉親との葛藤」を疑似体験する事になった筈だ。
 そうなれば、相手をこっぴどく傷付けるしかない自分を羽蘭は自覚していた。
羽蘭の中で「幻想でもいい、ママに会えるなら」と、あれほど焦がれた母親への思いは熱病のように去っていった。
 だが、そうなさしめたのは羽蘭の心の移ろいではなく、「金田」そのものの存在にあった事を、まだ羽蘭は気づいていない。

 その黒いシリコン製のリアルに怒張したディルドーの表面には、肉壁への挿入跡も生々しい白濁のカケラが乾燥してこびり付き、根元にはカスレてはいるが何色もの口紅の輪郭が首輪のように残っていた。
 全頭型ラバーマスクを被ったまま羽蘭は、金田の股間の前にしゃがみ込み顔を突き出す。
 金田がおずおずとゴムで艶光りする羽蘭の坊主頭を撫でてやる。羽蘭がもっと撫でて欲しいと、せがむ犬のように顔を突き出す。
 マスクの楕円形の黒い穴から、鬱血し卑わいに膨れ上がった唇が半開きになり、何かを求める形になる。金田の指が頭頂から頬のラインを撫で下り、羽蘭の唇にかかる。

「やさしくしなくていい。お母さんのチンポで私の頭をぶって、、。」

「久美子。久美子。」
 、。。。金田いけないコネ、久美子じゃない羽蘭って呼びなさいっていってあるでしょ。
「久美子」
 次の瞬間、久美子は自分が開発課のデスクの上で眠りこけているのを知った。
久美子に声を掛けていたのは同僚のマックスだった。
 マックスも軍事衛星の標準が地球に向けられて以来、ずっと昼間の勤務にシフトしている。
 家族のある人間なら、都合が効く限りそうするのが当たり前だろう。夜のセックスの為に昼勤に変えたり、激しすぎるセックス故に、居眠りをしている久美子は例外だった。
「ごめん、、最近あまり眠れなくて」
「いいさ、不安なのはみな同じだよ。それに僕は君のボスじゃない。それよりみんなの所にこないか。」
「また、、同じニュースの繰り返しでしょ。」
「今さっき、、、2度目の攻撃があったんだ。オーストラリアだよ。前の位置
から内陸部に向けてきっちり攻撃座標が十分の一移動している。」
「、、行くわ。起こしてくれてありがとう。」
 久美子は髪の乱れを直しながら立ち上がる。そんな様子を見てマックスは笑いながら言った。
「最近の久美子は変だぞ。アイスドールの氷が溶け掛けてる。アイスランドにも太陽が昇ったのか。」
 久美子はその言葉を平然と無視した積もりだが、自分の顔が赤くなっている事だけは隠せなかった。

 開発課の人間は総て大型ディスプレィの周りに集まってその画面に映し出される映像に釘付けになっていた。
「洋燈将軍がコメンテーターに出てくるとはな、、。」
その声にはどこか蔑みのニュアンスが含まれていた。
 キャスターの、みすずマクスウェルの隣の席に尊大な姿勢で座っているのは退役軍人である洋燈軍治だった。先の連鎖夢襲来事件で待避する群衆の一部が起こし掛けた暴動を、自らの陣頭指揮で持って短時間の内に収拾させた事で有名になった人物だ。
「政府が黙りを決め込んでいるし、マスコミはこの爺さんを担ぎ出すしか手がないんだろう。」
「今までにない箝口令が引かれてるって話だぜ。俺達のような軍部と遠い親戚の業界にだって、これぽっちのガセネタすら流れてこないんだ。」
『、、、どう思われます。』
 みすずマクスウェルの知的だが、その裏に匂い立つような色気を秘めた面がアップで画面に写る。
 久美子も、一度彼女をパートナーにしたいと思った事がある。勿論、久美子がまだ奇跡の天才ロボット工学博士であり得た頃の話だ。その頃の久美子は、茶水羽蘭博士としてみすずに数回のインタビューを受けていた。
 みすずが問いかけている相手は、洋燈将軍だが、画面ではまるで彼女は視聴者一人一人に喋りかけているように映し出されている。そういった演出の似合う女だった。
『、、偶然じゃないぞ、と。我々は意図的に人口密度の極端に低いオーストラリアの一部を破壊した。さらにその破壊は宇宙の彼方から仕掛けたものであるに関わらず、地上では誤差1メートルの範囲の中で納められる精緻なものだ。と、まあ彼らはそういう事を言いたいわけだろう。』
 みすずマクスウェルが髪を耳に掻き上げる。視聴者はそれが「私が聞きたいのはそんな事ではない」という彼女の意志のジェスチャーである事を知っている。
 多くのゲストはこれをやられるだけで狼狽するのだが、洋燈はびくともしなかった。洋燈は筋金入りのタカ派だが、頑迷なだけの間抜けな人間ではない。
彼が有能な軍人であることには間違いはなかった。
『謎を掛けられて困っているんだよ。特にマチュピチュを打ち上げた十一国家連合のものは等しくな。地上の人間は脅威にさらされている。たとえ連鎖夢の感染のせいだとしてもこの期に及んでは、地上の人間で軍事衛星への総攻撃を非難する者はいまい。、、だが戦端が開かれた時、この地上がどれほどの被害を被るのかそれを想像できる人間は少ないのではないかな。宇宙に浮かんでいる豆粒ほどの衛星だ。一ひねりで潰せると思っているようだが、それは地上に住む者の奢りだよ。十一連合の軍部はそれをよく知っている。』
『将軍はマチュピチュの謎かけの内容をどんなものだと推察されておられるのですか。』
『軍事的には先手必勝という言葉が彼らにも有効だったはずだ。オーストラリアなど攻撃せずに、有力な政府中枢が存在する地点を速射すれば、奴らは地球相手に五分以上の戦いが挑めたはずだ。だが奴らそれをしなかった。意図在ってのことなのか、知恵が回らなかったのか、、。しかし忘れてはならんのは、衛星には第一級の戦術コンピュータが搭載して在り、連鎖夢はコンピュータプログラムを己の巣としていることだよ。つまり、衛星がそういった攻撃をしてこなかった事自体が謎かけなのだよ。』
『でもこのままお互いが動かずにいれば千日手でしょう。』
『それも一つだ。時が経てば衛星内で融合が起こる。こちらは無傷だ。融合してしまった跡、彼らが人間らしい思考をするとはおもえん。』
『では十一連合は相手が自滅するのを待っていると、、。』
『かもしれんな。だが儂ならそうはせん。十一連合のみとはいわん。地球の総力を挙げて一気に攻め込む。奴らに反撃の猶予を与えないために宇宙空母のバリアーを一気に打ち崩すのだ。いいかね。本当の事を言えばたった三つの国が保有するミサイルを総て放出すれば、あれは短時間の内に打ち落とせるんだよ。この期に及んで国家間のパワーバランスを考えておること自体が間違いなのだよ。』
「、、、ほう、、この爺さん。言うことは言うんだ。」と誰かが感心したように言った。
『でも将軍、あなたはさっきマチュピチュは謎をかけたのだとおっしゃったのではないですか。更に分析もされた。それが私達が考えも付かないようなとんでもない裏があるとすれば、、。』
『いいかね。お嬢さん。さっき儂が言ったのはあくまで軍部の手の内を推測して見せたにすぎん。儂から言わせれば、相手は連鎖夢なんだ。謎なんぞありゃせん。あの最初の電波ジャックにしたって衛星内にいるどこかのうつけの夢な
んだよ。我々の意識を明け渡せだと。条件提示も、その為の方法も言って来ない。つまりあれはただの人間の意識のエコーにしか過ぎんのだ、意図などない。
我々は生きている。それが総てだ。幽霊の言うことを聞いて自殺する人間は無能だよ。あの時の奴らの姿をみたんじゃろう、お嬢さんも、、な。』
 大型ディスプレィの前に集っていた人々のささやき声が凍り付いた。おそらくこの瞬間、この番組を見ている総ての視聴者は「連鎖夢襲来」時に見たあの巨大でグロテスクすぎる数千という数の人間の混合物を思い出した筈だ、、、。

 人は後日それを人類の「ビッグトラウマ」と呼んでいた。


8ch

「もう一度、鉄鋼人を動かせませんか。」

 きっと花びらが顎から離れる時は、こんな音を立てるのだろうと羽蘭は思った。密やかでいて、とても自然だった。それは来るべき時にやって来るのだ。
その神秘のタイミングに居合わせた人間は、幸せとも不幸とも言えた。
「、、えっ。今なんて、なんて言ったの。」
 「あなた何故喋れるの」と尋ね返さない自分を羽蘭は知った。それは密かに彼女が待ちこがれた奇跡の一つだったからだ。壊れやすい奇跡は大切に扱わなければならない。
「茶水博士、鉄鋼人をもう一度動かしたいんです。あれはまだ完全に死んではいないのでしょう。」
「金田君、あなた記憶が戻ったの!?」
「記憶を失った事など一度もありません。ただ自分を小さく押し込んでいただけです。」
 小さく自分を押し込んで来たって。じゃあ、あんた、私のあの破廉恥なセックスの総てを、あんたの心の奥底からじっと見つめてたってわけね。私はあんたのチンポをママの乳首に見立てた事まであるっていうのに、、。
 羽蘭は生まれて初めて身の置き所がないような羞恥に狼狽した。己の固形の排泄物まで男達に食べさせ、逆に相手の小水を頭から被っても平気な女がだ、、、。
「たとえあれがあった所で、どうやって衛星空母までいくの。前とは状況が違うのよ。国家のバックアップはない。あなたと私だけなのよ。」
 当時、ボリュームが大きすぎる力士型の鉄鋼人のデザインは、批判の対象だった。しかし「連鎖する夢」がどういう経路で電子ディバイスに侵入するのかが確定できない限りあらゆる部位をシールドで保護し内部のシステムを覆っておく必要があったのだ。
 そしてその中には半永久的ともいえる動力源が、体内奥深く埋め込まれていたのだ。寿命の長い巨大な鋼鉄のフランケンシュタインの怪物、それが鉄鋼人だった。
 「鉄鋼人を使って連鎖夢患者を救出する。」その台詞を違う人間が言ったのなら大笑いをしていた筈だ。だがこの子は正真正銘の正義の味方だ。
 この子は、かっての輝ける頃の自分を取り戻そうとしている。そして誰が何といおうとこの子にはその資格がある。

「カットアンドペーストします。」
「カットアンドペースト?物質移動の事?」
「、、、もっと簡単です。ええ。今の僕にはそれが出来ます。」
「嘘でしょう。」
 技術者としての羽蘭は、決して錬金術を信じない。羽蘭の感性は大昔の映画やビデオで形成されてはいるが、彼女の科学的思考自体は、別の所に格納して在りそれが揺るぐ事はないのだ。
 永久動力など金輪際存在しないし、タイムトラベルも人類の歴史が続く限りは発明されない。巨大な転送装置を持たない物質移動も同様だ。
「あれを見て下さい。」
 さっきまで金田が見ていたテレビが消えた。そしてベッドの右手上空の空間に、突如テレビが出現したかと思った途端に、今度はそれがドスンと落下した。

 その様子は、まさに物質移動というよりカットアンドペーストという表現がぴったりだった。テレビの電源コードがコンセント付きで移動しているのが判った。空間座標を決めて物質移動しているなら、そんな事にはならないはずだ。

 金田の能力は物理法則ではなく形而上で働くものなのだろう。だから移動対象の質量やエネルギー量・特質などは何一つ、彼のいうカットアンドペーストの制限事項にならないのだ。
 並の人間なら、この瞬間にでも自分自身が今見た事実の論証を行おうとするだろう。しかもそれはあくまで「否定」の為だ。
 だが茶水はそうは考えない。茶水にとって目の前で起こり得た事は総て真実なのだ。彼女の「技術」は真実の上に成立する。真実への素直さ、それこそが、彼女が天才と言われた本当の理由なのだ。同時にそれは羽蘭の天才が「知のフリークス」である事を裏付けてもいるのだが、、。

 、、第一この子が私を騙さなければいけない理由は何処にもない。これなら金田は、確かに宇宙空母マチュピチュのバリアーを飛び越えて、その内側に鉄鋼人を送り込めるだろう。
 だがそれなら核爆弾の一つでも転送すればいい事だ。核爆弾なら材料の調達を含んで明日の午前中に作って見せる自信があった。
「駄目ですよ。ミサイルじゃ。」
 人の心を読んでいる。だが読心ごときは、あのカットアンドペーストを見たあとでは何ほどの驚異でもなかった。
「茶水博士は、何故、人型の鉄鋼人をつくる必要があったのか忘れてしまったのですか。」
 勿論、茶水はその理由を覚えていた。だがその理由とは金田が思いこんでいるようなものではない。
 政府は「最後の最後まで連鎖夢に取り込まれた国民を見捨てなかった。」というポーズのために人型が必要だったに過ぎない。融合してしまった数千の人体を、無傷で眠りにつかせることも、解体することも誰にも出来はしないのだ。

 又、連鎖夢の融合体にはコアがあってそれを摘出すれば救出の望みがあるとされた仮定は、当時から半分以上信じられてはいなかったのだ。
 第一、宇宙衛星オルティカワンは、あの時、既に地球によって見捨てられていたのだ。事情が変わったのは、連鎖夢が地上に降りて来る意志を見せたからに過ぎない。
 偉大なる救出劇か大惨劇か、いずれにしても政府は鉄鋼人と金田というエスケープゴードが必要だったのだ。
 だが久美子はこう言った。
「、、判った。やってみる。」
 久美子は自分の心の動きに再び驚いていた。
 先程の羞恥心もそうだったが、これほど激しく物事を「決意」したのは此処数年来、なかった事だったからだ。


「なあ茶水君、最近になって儂はつくづく思うんじゃが、実際、神様ってのは何でもお出来になって、その実、何にも出来ない人の事じゃないのかな。」
 羽蘭は親字老人が入れてくれた茶色い「日本茶」という液体の入ったコップに唇を近づける。羽蘭は、ちびで禿でひょっとしたらポラメリアンに見えてしまうこの老人が苦手だった。
 今、彼女が神柱久美子として生きていけるのも、鉄鋼人プロジェクト時代の上司でもあるこの老人の手助けのおかげだったが、彼の説教臭いところが嫌だったのだ。ファーザーコンプレックスのある羽蘭にとって男性の容姿は嫌悪感に繋がらない。
 「説教」が嫌いというよりも、この老人が話すほんとんどの説教は映像化出来ない種類のものだった事がネックになっていたのだ。

 神様って一体なんなの、、、。

「儂は心なんてもんは、そいつの外見に合わせて形作られるもんだと思っちょったけれど、、あんたは違うな。儂らの世代の人間はオタクとかナードとかいう人種を知っておるが、あんたはそれだ。あんたはオタクという中身がぎっちり詰まった超美人なんだよ。」
 だったらあなたはどうなのかしら。親字飛夏。何処からどう見ても田舎臭い爺の癖に政財界に強い影響力を持っている。
「お褒めの言葉、有り難う、と言うべきかしら。」
「礼などいいよ。君はあの状況の中で天馬の娘を引き取ってくれた。今度も君のおねだりを叶えてあげるのはそのお返しだ。儂にはあの時それをするだけの勇気がなかった。、、、結果はこれだ。今となっては後悔だけが残る、、。」
 、、、結果?、、確かにあの連鎖夢襲来事件の後、親字飛夏は政府の要職から退かざるを得なかった、、しかし羽蘭の目には親字飛夏の権勢にさほどの陰りが生じたとは思えなかった。
 この老人は明らかに、自分が唯一人、心を許した友人を裏切ってしまった事実にダメージを受けているのだ。 どんな化け物にも心を許す相手が一人や二人は存在するものだ。そうでなければ人は生きていけない。羽蘭は身に染みてその事実を知っていた。
 久美子は、天馬の娘を引き取った理由が彼女自身の肉欲にあった事をこの老人に打ち明けるべきかと一瞬迷った。しかし久美子は「親友」という概念を未だに胸に抱え、それに苛まれている老人を救ってやるより、老人に恩義を着せたまま、便宜を図って貰う方が得策だと判断した。
「、、で私のコンバーターのレプリカは何処にあるんです。」
「ここじゃよ。」
 親字老人は、ゆっくりと腰を上げ壁に掛けてある一枚の油絵の前にたった。
久美子も老人についていく。その絵には死蝋状態になった死体が納められている棺の光景が描かれてあった。
 死体の顔には鉄仮面がかぶせられておりその表情は見えない。だが死体の腰の周りに敷き詰められたツタ状の植物の隙間から萎びた陽物が描き込まれて在るのでそれが男性であることが判る。
「あまり気持ちのよい絵じゃありませんね。」
 老人がその絵を扉のように引き上げて、壁に埋め込まれた隠し金庫を空けるのを眺めながら久美子は言った。
「、、知らなんだか、これは天馬の絵じゃよ。」
 長い間、羽蘭は生きた「男」のモデルを自分の父親からしか与えられないでいた。地球に連れ戻された時に一番ショックを受けたのは自分が培ってきた「男」像と地上の男達の落差だった。
 地上の男達はあらゆる意味で父親よりも「劣っている」か、「違い」過ぎていた。中でも、もっとも大きな違いは、男達の正義感と自己犠牲を伴う勇気の「量」だった。
 初めて鉄鋼人プロジェクトの総責任者である天馬と出逢った時、羽蘭は彼に自分の父親の影を見たものだ。そのせいで天馬に対して微かな恋愛感情さえ抱いたほどだった。
  だがその実相は全く違っていた。今ではもう天馬の事など思い出したくもなかった。特に、あの羽蘭の秘所を優しく嗅いだ天馬の鷲鼻などは、、。
 しかし、先程見た絵は、羽蘭がまだ知らない天馬がいる事を暗示していた。
あの「仮面」は一体、何の象徴なのだろう、、、。
「そら、あんたのもんじゃ、、。」
 空想の世界に入り込もうとする羽蘭に、二本の太いアンテナが生えた金属の函が突き出された。
 丸太を縦に四等分したような形、、それは確かに羽蘭が設計した鉄鋼人の操縦装置、、いやサイコウエーブコンバータだった。
「レプリカといっても、本物と同じだ。今でも動く。」
 羽蘭は操縦装置を胸元に抱き寄せた。それは自分自身でも驚くような愛着の動作だった。どうしてこんなものを愛おしく思うのか、、。
「だがどうするね。それだけあっても仕方がないじゃろう。」
「鉄鋼人、今は何処にあるんです?」
 老人は暫く驚いたようにこの美しい女性の顔を見つめた。鉄鋼人の在処など誰でも知っている事だ。
 襲来を受けたあの都市にも再開発が始まり、最初鉄鋼人が置かれてあったメモリアルパークは縮小され、鉄鋼人も又、海岸縁の公園に移動されている。
 鉄鋼人の受け入れ先の拒否が続き、その当時の状況は随分、時事ネタとして扱われたものだった。人々にとって、解体できず巨大すぎ、まがまがしいイメージを持った鉄鋼人は核廃棄物と同質だったのだ。
 それを当の鉄鋼人設計者自身が知らないのだという。おそらく本人は無意識の内に、連鎖夢襲来の事件から遠ざかってきたのだろう。
 茶水羽蘭、、見た目ほど強い女では無いのかも知れない。無理もないと言えば無理もない話だった。彼女も天馬やあの少年と同じく、英雄の座から一夜にして極悪人のレッテルを貼られた人間の内の一人だったのだから。
「K2の第二臨海公園だよ。あそこで身体半分をコンクリートに埋められて、鉄鋼人はいつも海を眺めている。最近じゃ掃除をする者もいないから鳥達の糞で真っ白だというな。」
「、、、ありがとう、、。」
「おい、どこへいくんじゃ、、もう少しゆっくり、、。」
 茶水羽蘭には老人と過去を懐かしんでいる時間は無かった。


 人々は外出を控えている。宇宙空母の砲門が地上を狙っているのだ。何処にいても同じ事なのだが、死ぬときは自宅でと思っているのかも知れない。あるいは遠くで打ち上げられる花火をよく見ようと一歩前に進んでしまうような心理なのか、、。
 おかげで久美子が、在る目的の為に着込んで来たラバーキャットスーツと、その上に誤魔化しの為に付けた白いロングコートにブーツという服装は誰の注意もひかなかった。
 電車の中でたまたま近くに乗り合わせた人生を投げたような老人だけが、久美子の身体からかすかに聞こえてくるねちねちとしたラバーがこすれる音を聞いたくらいのものだろう。
 人っ子一人いない海浜公園は、沈みゆく夕日と天空に張り巡らされた電磁バリアのせいで文字通り真っ赤に染まっていた。久美子は自分が血管の中を漂っているイメージを重ねてみる。
 だがそれは誰の血潮だというのか。
鉄鋼人は夕日を見えない目で睨んでいた。
 モヒカン刈りのようなたてがみと一本に繋がった太い眉毛、大きな目と拘束具を思わせるようなマスク。 自分自身があるオマージュの為に設計したデザインだったが、こうやって見るとそれはとても不吉なもののように思えた。
 愚鈍なる殺戮の巨大戦士、、違う、、少なくとも私はそんなものを設計した覚えはない。
 久美子は程なくして自分を満たしている感情が怒りと屈辱である事に気づいた。
「起きなさい。そして金田の元に帰るのよ。」
 久美子はゴルゴダの丘のあの人のような姿で巨大なコンクリートの十字架に半分埋め込まれている鉄鋼人の足下に近寄った。
 今まで肩から掛けていた旅行鞄を地面におろし、中身を確かめてみる。サイココンバーターとガスマスクが入っているのが見える。キャットスーツもこのガスマスクも秘密クラブに転がっていたものだが、久美子は高級でデザインのよい物しか買わないのでそれらは十分、実用に耐える。
 久美子はかがみ込んだまま、コートの襟元に託し込んでいたキャットスーツのフード部分を引き出し、それをかぶり始めた。
 次にガスマスクを顔に張り付ける。髪の毛のたくし込みがまずかったのかも知れない。ラバーフードとガスマスクの圧着ベルトが重なった額の上あたりが引き連れたように痛む。
 30秒以内に作業を完了させる、、。その30秒が長いのか短いのか天馬と論議したことを久美子は思いだした。
 一旦閉じられてしまった鉄鋼人のレセプターを再起動させる。その時30秒間だけ鉄鋼人は揮発性の毒ガスをまき散らす。猛毒だ。
 だが防げない物でもないし30秒を過ぎると毒ガスは完全に無害となる。しかし再起動させる為にはこの毒ガスの有効範囲に入らねば電波はトドかない。
 つまり仕掛けがある事を知っていて作業を迅速に行える人間だけが鉄鋼人を再起動させられる。子どものいたずらに近い単純な仕掛けだった。
 天馬と羽蘭はこの最後のセキュリティを設定するために二本の高級ワインを空にしていた。天馬と羽蘭が出逢った初期の頃でもあったし、その頃の鉄鋼人は彼らにとって「破壊される」筈のない巨大ロボットだったのだ。
 羽蘭は操縦桿の下にあるダイヤルを金庫の解錠する時のように左右にある一定位置に回した。この程度の番号など忘れる筈がなかった。
 否、それは嘘だ。
 久美子は自分自身がこの方法で鉄鋼人を再起動させられる数少ない人間である事自体を、親字老人に会うまで忘れていたのだから。
 しかし今の久美子は「逃げていた弱い自分」に対する感傷に浸っている暇はなかった。
 金田が待っているのだ。それがすべての答えであり彼女の行動原理だった。
鉄鋼人のレセプターをリセットするための疑似脳波が操縦桿から送られる。
 久美子が立っている地面が揺れた。
 同時に目の前が真っ暗になる。毒ガスだ。久美子の身体に、毒ガスの噴出から逃げそびれた大量の鴉の死体がドタドタと降り注ぎ始める。
 久美子は走り出した。操縦桿をひかなければ鉄鋼人は作動しない。だからコンクリートの下敷きになることはない。
 でも、もしかしたら落ちてくる鴉の死体のどこかの部分が、私を毒ガスから守ってくれているラバースーツを傷つけるかも知れない。
 久美子はそう思ったのだ。だが彼女が鉄鋼人からの距離をとったその時には、30秒という時間はとっくの昔に経過していた。

 久美子は、海を背にして今は巨大な十字架のシルエットになりつつある鉄鋼人の全身がみえる位置まで退去した。そして操縦桿を手前に押し込みながら倒す。
 鉄鋼人の巨大な金属製の咆哮が轟くと共に、鉄鋼人を取り囲んでいたコンクリートが一気に崩壊した。同時に再び鉄鋼人の所に舞い戻り彼の肩に止まっていた無数の鴉達が、羽音も高く一斉に飛び立っていく。
 総ての束縛から解き放たれ、ゆっくりと一歩前に踏み出した鉄鋼人は、もう一度、沈みゆく今にも溶け崩れてしまいそうな落陽に、両腕を上げながら、鋭くほえた。
 その巨大な残響は、真っ赤な残照の世界にとてもよく似合っていた。


10ch そして

 金田と羽蘭の間に濃密な時間か流れていく。普通のセックスがこれ程、人の心を安定させるものだと羽蘭は今まで知らずにいた。
 日曜日の静かな朝だった。羽蘭はベッドのうえで半身を起こして座っている金田のやわらかな唇を味わっている。
 だが金田は反応を見せない。仕方がないので羽蘭は、金田の消して形が崩れない釣り鐘型の乳房のてっぺんについている綺麗なピンクの乳房を吸い始めた。

 一方、金田の視線はベッドの向こうに見えるTVセットに釘付けになっていた。
「、、どうやらその時が来たようです。」
金田のかすれたような声が羽蘭の頭上からこぼれ落ちる。
 羽蘭は、そこに敵でも潜んでいるといった視線を飛ばしてTVセットを睨んだ。TVには疲れ切ったみすずマクスウェルの蒼白な顔のアップが映し出されていた。
 ボリュームが絞りきって在るので羽蘭には、彼女がなにを喋っているのかは判らない。だが金田は違う方法でTVを見ているのだ。金田には常人とは違う形で情報が流れ込むのだ。
「マチュピチュの砲門がこの国に標準を合わせたそうです。、、彼らには鉄鋼人、、いや僕が目覚めたのが感知できたのかも知れない。」
 その時、枕元に放おり出してあった羽蘭の携帯電話が赤く発光しながら奇妙にくぐもった着信音を鳴らした。
 羽蘭はそれを無視できなかった。それは間久部と取り交わした非常緊急時の合図だったからだ。
 羽蘭は乱暴に携帯を耳に押し当てると相手に怒鳴りつけたい衝動を抑えながら息を凝らした。
「軍警察に、お前の事がばれた。今直ぐ金田を処分して逃げるんだ。俺にはもう押さえきれない。それともう一つある。今度の連鎖夢は自分の意志を持っている。これは確かな情報だ。奴らとの戦争が始まるんだよ。気をつけるんだ。」
 間久部からの電話は掛かってきた時と同じように唐突に切れた。
羽蘭の頭脳が間久部の言葉の価値を探る為に高速に回り始める。
 だがいつもとは違って、羽蘭は自分の心がどんどん落ち着いていくのを感じていた。
 簡単な事だ。金田が私を裏切らないように私も金田を決して裏切らない。

「、、なぜ行くの。あなた今度だってみんなから裏切られるよ。」
 金田は応えない。金田の瞳は「その答えはあなたが知っている」と語っているようだった。
 羽蘭の心の奥深くから悲しみがわき上がってくる。それは遠い日に、遙か天空の彼方の真空の闇の中で封印した感情でもあった。
 羽蘭はその封印行為を後悔したことなど一度もない。だが悲しみはそんな事はお構いなしに、羽蘭に「泣けよ」とばかりに突き上がってくる。
 この子は私が何を言おうともきっとでかけるだろう。

「ねえ、最後に教えて。私は人間じゃないみたい?心のない奇妙なアイスドール?馬鹿げた世界に生きている馬鹿げたアニメのキャラクターみたいに見える?」
 それは羽蘭が衛星から引きずり出された時から、ずっと考え続けてきた、秘められた自己分析と苦悩だった。
「そんな事はありませんよ茶水博士、、あなたは何時だって人間だった。正真正銘のね。」

 羽蘭の腕の中の金田少年が消えた。おそらく昨日、羽蘭が海の中に沈めておいた鉄鋼人の巨体も消えている頃だろう。
 羽蘭は所在なさげに自分のつま先のペデキュアのライトブルーを見つめた。
それは昨日、金田とお揃いで塗ったものだ。

「さよなら、、。こころ、、やさし、、科学の仔、、。」

 羽蘭は、知らずの内に、少女の頃、宇宙衛星内で覚えた歌を、歌い始めている。その声はかすれ、途切れ途切れだった。
「空を、、超えてラララ、、」


END


1: 冬の首塚

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