見世物について


戦国時代末期に成立したとされる見世物は庶民の楽しみでした。
嘘だとわかっていても、話のネタについ入ってしまうのも見世物の一つの形です。

江戸時代に最盛期をむかえた見世物興行も、欧米文化の流入やラジオ・テレビなどの新しい娯楽によって衰退していき、現在ではお祭りなどで一部残るだけになってしまいました。

ここでは江戸の見世物について纏めてみようと思うのですが、体に障害をもって生まれた人を見世物として扱ったものや、性的な行為を見世物とした例もあります。
後に倫理面から禁止されたものですが、ここでは事実として取り上げることにしました。
 

放下(ほうか)

・インドを起源として天平時代に伝わったもの。
・散楽、田楽の中で行われていたものが分離して境内や辻で興業されるようになった。

放下師(ほうかし)

・小切子(こきりこ)とよばれる細長い竹の棒を2本もって打ち合わせ、拍子をとったり、それに合わせて歌ったりした。
・輪鼓、手鞠などを披露してまわった。

輪鼓(りゅうご)

・鼓(つつみ)の中にあるくびれた部分に似たものを、2本のサオ先に紐をつけたものであやつる。
・くびれた部分に紐を絡ませて回転を加え、投げ上げたり、二人で受け渡したりした。
(かくし芸でもやってましたね)

 
<有名人/技>
・子供をハシゴに登らせ、口にくわえた楊枝にそのハシゴを立てた。
・投げ銭を投げ上げ、右手の細い竹串で受け取った。
・漬物石ほどの大きさの石と豆でお手玉をした。

手品

・幻術/放下の流れをくむもので、江戸時代に興業されるようになった。
・手先の訓練による早業を見せるもの。

弄玉

・小石、鞠、徳利などを投げ上げて手玉にとる。
・二人、三人で連携して投げ渡す技も行った。

刀玉

・投げるものを刀にして投げ上げた。
・前後に人を立て、早業で刀を投げ渡したりする。

曲鞠(きょくまり)

・室町時代に高く張った縄の上で片足で鞠を蹴ったという記録がある。
・鞠は後に女の子が手ではずませる遊びになった。

<有名人/技>
・乱杭渡り、中づり、文字書き、梯子(はしご)登り、八ツ橋、冠付け、摘み鞠、襷(たすき)がけ、指廻し、下り藤、八重桜、足袋脱ぎ、扇子どめ、負ひ鞠、平た蜘、煙草呑み、滝流し、花生、高鞠

などが記録にある。
全ての技はわからないのですが
 冠付けは額に鞠を乗せる技
 扇子どめは閉じた扇子の先に鞠を乗せる技
であることが版画で残っています。

・菊川国丸
浅草寺観世音の開帳で興業し見物人を数千人集めた。
1日の給金5両を使って豪遊したため、盗賊の嫌疑をかけられて興業は中止となった。

枕返し

・寛永年間(1624〜1643)に京都で興業されたのが始まりとされる。
・木の枕を数多く積み重ねたり、組み替えたりした。


<有名人/技>
・若者に流行
枕返しは若者に流行したため書物などに記載されました。

幻戯(めくらまし)

・人の目を幻惑して術を行うもので、幻術の流れをくむものとされる。
・剣を呑んだり、火をつかんだりする技へと変化していったが、最初は縄たらしのような簡単なものだった。

縄たらし

・役人と盗賊役が登場し、役人が盗賊をきつく縛る。掛け声とともにその縄から抜けるというもの。

縄切り

・長い縄を束ねて刀で何度も切り、その切り口を結んで投げつけると結び目が無くなって一本の縄に戻るというもの。


<有名人/技>
・都右近
延宝8年(1680年)に江戸城二ノ丸で将軍に上覧した。
山芋を鰻にしたり、絵の雀を抜け出させたり、桶を3つ重ねて鳩や牛まで取り出したという記事が残っている。

・塩屋の長次郎
剣以外にも牛や馬を呑む術で大阪で大評判となった。

版画に残る絵をみると前足を口にくわえていて、現代でやってくれたら物凄いことになるな〜って思ってしまいます。

蜘舞(くもまい)

・支那伝来の散楽雑戯から綱渡り、傘登り、とんぼ返りなどの諸技の特徴を一体化させたもの。
・室町から江戸中期に大流行した。

<有名人/技>
・縄一本を高さ十丈の所に張って、片足で鞠を蹴りながら渡る。
・棒を立てて、その上で棒の先に腹を押し当ててうつ伏せとなり、くるくる回る。

・稀代の名人といわれた法師は、人間離れした業を演じて、天狗に習ったと噂になった。

蓮飛(れんぴ)

・田楽に付属していた高足伎が独立したもの。
・連飛とも書き、高足にのった縁者が連続で飛び跳ねる様からその名がついたとも言われる。

<有名人/技>
・棒に横木を打ちつけて十字とし、横木に乗って飛び歩く芸があり、田楽刺しの由来ともなった。
・豆腐田楽やおでん(お田楽)は、棒にのった演者の姿に似ているからとも言われる。

軽業(かるわざ)

・蜘舞が江戸中期に法師から庶民によって演じられ、この名で呼ばれるようになった。

籠抜け

・八尺(240cmほど)の円柱の籠を横にし、左右に空いた穴のどちらかに飛び込んで、逆から抜け出すというもの。

人馬の術

・一人を肩車して疾走したり、肩の上に上がった人が勢いを利用して高い障害を飛び越えたりするもの。
・悪事に応用するとして後に町奉行から禁止された。

綱わたり

・はじめは2本の綱を渡っていたが、後に1本の綱を渡るようになった。

乱杭わたり

・長短様々な杭を立てて駆け抜ける。杭の上下に四角の板を打ちつけてあった。
駆け抜けながら杭を蹴倒していく。

青竹切先わたり

・竹槍の下に四角の板を打ちつけて立て、手に傘と扇子を持って渡った。

提灯わたり

・箱提灯を並べ、下駄で渡りながら下駄の歯で金具を外してたたんで行った。

障子わたり

・三尺(90cmほど)の間隔で並べた障子の上を駆け抜けながら蹴倒していく早業。

足柄山の曲

・舞台上手を山頂に模し、背景に雲を書いた。斜めにした綱が左右にゆれたり切れそうになるのをバランスをとって登っていくもの。

風車の曲

・二間(3.6cmほど)の竹ざおの上で、先を腹にあててうつ伏せになった子供がくるくる回る。それを寅吉が右の肩に乗せながら三味線を弾くという芸。

木枕わたり

・板を横にして釣り、板の上に六尺(180cmほど)に積み上げた木枕を置いて駆け抜けながら蹴倒していくもの。

蝋燭わたり

・火をつけた蝋燭を三尺(90cmほど)間隔に置き、右手に弓、左手に傘をもった幸吉が渡る。渡って消えたはずの蝋燭の火がまたつくので皆驚いた。

<有名人/技>
・琴之介と連之丞が江戸軽業師の元祖とされる。

・唐崎竜之助
大阪で初公演したとされ、菅笠をかぶって飛びぬけたという。筒と傘の差が二寸(6cmほど)だった。

・一ツ粂之助
大阪道頓堀で初めて1本綱で渡り、綱の上で居合を使った。以降2本綱が廃れていく。

・早雲小金
美貌でぽっとりとした容姿に似合わぬ力士を凌ぐ怪力と軽業で人気があった。

刀の刃渡り

・軽業のひとつ。
・山伏などが神社の境内で行い、刀難除けの守り札を出して初穂料をもらったことから見世物となっていく。

<有名人/技>
・梯子(はしご)のようにならべた刀の上を素足で渡り、足の裏に傷が無いことを見せた。種明かしとして刃に熊の油を塗ったという記述が万重宝記にあるという。

玉乗り

・支那の散楽雑技中の踏毬戯(とうしゅうぎ)と呼ばれる木毬を用いた玉乗りがあったとされるが、奈良時代以降は記録がない。
・その後、元治元年(1864年)になって横浜で外国人による玉乗りが行われたという。

<有名人/技>
・江川の玉乗り
明治初年から大地震まで浅草六区で興行した一座で、元祖の江川作蔵は幕末に軽業を演じていて、南洋に渡って興行しその時に玉乗りを習ったとされる。
少年、少女が玉に乗り橋弁慶、鞍馬天狗などの曲目を演じた。

・青木の玉乗り
曲芸や曲馬団のひとつとしてオットセイや猿の玉乗りを演じたとされる。

筏乗りと角乗り

・小型の筏(いかだ)を浮かせ、演者が筏の角を踏んで巧妙に操り評判をとった。
・江戸ではこれを角乗りと呼び、木場の若者が日常にやっており、珍しいものとは思われなかったという。

<有名人/技>
・角材の上に梯子(はしご)を立てて上り四方眺望の身振りをしたり、鯱(しゃちほこ)のように軽業も演じたという記録がある。

武技

・江戸時代に入ると武技も見世物化して、生業のひとつとなってきた。
・居合い、兵法(後の剣術)、捕手(後の柔術)などの見世物が盛んに興行されるようになる。

<有名人/技>
・松井一家
富山の反魂丹売りの香具師一家が三都(京都・大坂・江戸)の盛り場で膏薬を売るために人集めの居合抜きをしたのが始めとされる。

・長井兵助
代々浅草蔵前に住み、歯を抜いたり、歯磨きを売る際の余興として居合抜きを使った。将軍家に上覧したことでも有名。

座頭相撲・女相撲

・女相撲、座頭相撲、女と獣の相撲などを珍相撲と呼び、上方で興行が始まったとされる。
・名前も盲人方:月不見山常勝、一目嶋左膳など、女方:太り獅子おはな、床之海小糸のようにふざけたものになっている。

座頭相撲

・浅草や両国で興行され、座頭相撲は盲人同士がうろうろさ迷う滑稽さが喜ばれた。
・その後、女と座頭の相撲が好色家の常連を呼び寄せたため、単独での興行は廃れていった。

盲人と女の相撲

・陰部を露出させたり、男女交合の擬態を売りにしたため大いに流行ったが、後に幕府よって興行を一時禁止とされる。
・女相撲は腰巻だけから廻しを巻いたり、小さいが綺麗な化粧廻しなどをつけるようになったが、上半身は裸で色気を売りにしていた。

獣と女の相撲

・羊と女の相撲が興行され、おとなしい羊であったが評判を呼んだ。逆に熊と女の相撲は棒を振り回すだけだったので人気が無かった。
・その後、女と座頭の相撲が好色家の常連を呼び寄せたため、単独での興行は廃れていった。

力持ち

・百貫目の大石を持ち上げたり、蝋燭の火を碁盤で煽ぎ消すなどの力業。
・当初は子供の力持ちが流行ったが、後に牛や馬などを舟に乗せてそれを持ち上げる曲差しが流行した。

<有名人/技>
・女力持ち太夫柳川ともよ
大八車に5斗5俵を載せたものを頭上に持ち上げたり、碁盤を振って百目蝋燭の火を消したりしたため空前の大当たりとなった。
家の借金のため岡場所に身を落とした女であったが、見世物に出ることで年季証文の取り消しを得た。

・淀滝太夫
力業だけではなく、稀代の大女ということで評判となった。
ともよと同じく飯盛り女で、身長5尺8寸5分の大女だったが容姿がよく、それも評判となった。

曲持ち

・仰向けに寝て足で開いた傘を廻したり、石や俵、タライなどを蹴り上げて受け止めたりした。

<有名人/技>
・駒之助、辰之助一座
駒之助(10歳)、辰之助(8歳)の一座で文政11年(1828)に名古屋で興行したのが子供曲持ちの始まりとされる。

・浪速模様花曲持ち
足慣らしとして足駄を履いて桶をまわす。
二つ目の梯子(はしご)では、梯子の上にたらいを載せ、子役二人が梯子を登って、一人は途中で足首をかけてぶら下がり、一人は上のたらいに仰向けで寝て、さらに石を両足でかかげた。
三つ目の屏風では、屏風の角を左足であげ、屏風にさらに屏風を立ててくるくるまわした。
四つ目の布晒しでは、高足駄を履いて屏風を載せ、そこに梯子を筋違いに2本立ててたらいをのせる。その梯子に障子(しょうじ)を置いて子役が乗る。それがゆらゆらとくずれそうになりながら、子役が立ち上がって布晒しの曲芸をして観客の肝を冷やすというもの。

曲馬

・室町時代から行われたとされる曲乗りは、見世物ではなく、馬術にたけた者が騎馬の余興として始まったとされる。
・後に朝鮮曲馬が公演されると、武用としての馬術にも大きな影響を与えた。

朝鮮曲馬

・馬上立、馬上倒、馬上倒曳、馬上左右七歩、馬上横臥、馬殿上仰臥、馬脇隠身、雙馬の8種の業からなる朝鮮曲馬の技術は武士を驚嘆させた。
・天和2年(1682年)の朝鮮曲馬は綱吉の上覧があった。

女曲馬

・享保から化政期にかけて女曲馬が全盛となり、名古屋を拠点とする野村柳吉、橘美和丸、渡辺金平一座の名古屋三座が江戸興行して大評判となった。

西洋曲馬

・元治元年(1864年)に横浜で初めて興行された。
・馬3匹を並べ、その上で3人立って長い棒を持ち、その上で1人が逆立ちするなどして評判をよび、錦絵にもなった。

<有名人/技>
・渡辺金平一座
見上げるような長い梯子(イメージ的には急階段)を馬上に立ちながら登り、降りるときには鯱(しゃち)立ちする。
また三間余(5.4m余)の籠を飛びぬける籠抜けが有名だった。

・橘美和丸一座
家斉が隅田に御成りの途中に曲馬を見物するという異例の興行があった。

曲独楽

・支那から伝来したとされる曲独楽は、奈良時代に朝廷で催された後に空白期間があり、子供の玩具としてのみ残った。
・江戸時代に見世物として復活したのですが、独楽のみの曲芸は少なくなり、カラクリ人形や水芸との組み合わせで残っていったのです。

<有名人/技>
・松井源水名誉
博多流に工夫を加え売薬の愛嬌として芸を見せて人を呼び寄せた。
直径1尺8寸、重さ5貫500余の大独楽回しを伝統芸とする。

・博多流
大阪の博多吉五郎、江戸の博多永蔵が明和から天明にかけての名人とされ博多曲独楽を確立された。

・博多小蝶
直径2寸5分の投げ独楽笹渡りを秘術とした女太夫。
カラクリ人形や水芸との組み合わせで大当たりをとる。

・13代松井源水
慶応2年に松井菊次郎とともにアメリカに渡り、曲独楽を初めて外国に披露した。
大独楽を軽々と操り、衣文流し、扇止め、羽子板、風車などを演じる。

八人芸

・一人で八人分の芸をする見世物を八人芸といい、万治年間の駿河・阿部川の盲者写楽が江戸に来て、鳴物八人分を一人で演じたのがはじめとされる。
・初めは座頭が演じることが多かったのですが、後に見世物小屋から寄席芸にと変化した。
・一人で八人分の声色を使ったり、一人で笛・三味線・太鼓・かねを打ったりと多彩。

<有名人/技>
・川島流
安永から寛政(1772〜1789年)に活躍した川島歌命は名人と呼ばれ、鳴物の他に風雨・雷鳴を取り入れて評判となった。
その弟子らも優れた芸を披露し、多くの門下を集めて隆盛を極めた。

・牛島流
桶屋の息子岩吉が花房夫山の弟子となり、後に牛島登山と名乗って声色を主とした芸を見せた。
スダレの影で複数人の声色を使い分け、雷鳴を入りまぜた掛け合いの最後にスダレを巻き上げるというもの。

・白面舎狸友
百人芸と称して、鳥の鳴き声や虫の音の真似を初めて取り入れた。
また長唄に合わせて口笛・舌鼓・腹太鼓をたたくなどして評判となる。

百眼(ひゃくまなこ)

・七変化、七つ目とも言われ、表情の変化と変装で客を喜ばせた寄席芸。
・現在のバラエティ番組でも、アイマスクに目を書いたものが使われているが、その元になったものといえる。

差眼鬘(さしめかつら)

・表情の変化を表現するため、厚紙の目隠しのうえに眼の表情を書き加えるという工夫をしたもの。

百眼歯磨

・歯磨き売りの客寄せとして、目鬘をつけて鳶に油揚げをさらわれた間抜けを演じた。歯磨きを入れる箱に目髭の絵が入っているのが特徴。

<有名人/技>
・目吉
天明の頃の吉原の幇間で、七変化を酒宴の座興に初めて演じたとされる人物。

・三笑亭可上
三笑亭可楽の門人。差眼鬘の工夫を考案し、落語の中に取り入れた。
差眼鬘を何枚か重ね、富士登山の様子を面白おかしく演じて人気となる。

・米吉
下谷・大音寺前で歯磨きの梅勢散を売った。
いなせな格好をして目鬘をつけ、鳶に油揚げをさらわれた間抜けを演じて百眼米吉と評判をとったため、梅勢散は百眼歯磨と呼ばれるようになる。

・百面相(ひゃくめんそう)
明治の頃、松柳鶴枝が百眼を百面相と名付けて高座に復活させた。

曲吹き、曲搗き(きょくづき)

曲吹き

・飴細工をさらに工夫したもので、膨らませたり、膨らませたものをくっつけて様々な形(瓢箪など)を作った。

曲搗き

・寛政の頃に始まったとされ、餅のつき手とこね手が軽妙なやりとりをしたり、杵(きね)や餅を空中に舞わせるなどして魅了した。

<有名人/技>
・吉本林平
道頓堀で曲吹きをした名人。江戸でも興業して人気となる。

・生玉屋正六
滑稽な口上と、小さくちぎった餅を早業で木鉢に投げ入れて、胡麻などをまぶして売った。

舞踊

神事舞

・神事の主要部分とされ、祭礼で行われていた踊りの部分のみが残ったもの。

伊勢音頭

・名古屋広小路柳薬師境内で演じられた川崎音頭が後に伊勢音頭と呼ばれるようになった。

住吉踊

・摂津・住吉神社の田植え踊りが始まりとされる。後に京・大坂の各地を回って勧進の手段としたため、諸国で踊られるようになった。

看々踊り(かんかんおどり)

・別名唐人踊りとも言われ、長崎・和蘭(おらんだ)館(唐人屋敷)で踊られていたもの。
・長崎人が大阪で唐人の名を名乗り、支那の服装を着て踊ったのが大評判となる。
・看々踊りの歌詞は
かんかんのう(みよみよ)きうのれんす(久しく恋しく思う)、きうはきうれんす(きうのれんすと同意)、きうはきうれんれん(きうのれんすと同意)、さんちよならえ(叔父さんのこと)、さぁいぃほう(蕃方役人)、にいくわんさん(二男のこと)、いんぴいたいたい(指輪)、やんあぁろ(送る)、めんこんほほうで(顔はよくない)にくわんさん(色黒)、もえもんとは(男根のこと)、いい(良い)、ぴいはうはう(妙陰のこと)。
で、その意味は
見よ見よ我久しく恋いおもう三叔とあがめて恋いする人は、蕃方役人の二男なり、その人を恋慕うて指かねを度々おくりしなり、男はよき男にあらず、顔はまづく色黒けれど、茂右衛門(男根のこと)が素晴らしくて妙接なり。
となり、外国の言葉と長崎遊里の隠語が混じったもの。
・替え歌が流行ったり、踊り歩い市中が騒がしくなったため町奉行所で禁止令を出した。

四ッ竹

・30cmほどの扁平な竹を四つに割って片手に二枚持ち、カチカチと丸みを帯びた背の部分で拍子をとった。
・江戸では唄比丘尼(夜鷹よりやや高級な私娼)が四ッ竹を鳴らしつつ、哀れな唄を歌って銭をもらった。
・その後、読売りや猿回しなどでも四ッ竹が用いられるようになる。

<有名人/技>
・一平次
長崎の男で、京阪の小芝居に登場して四ッ竹を鳴らした。

影人形

・現在の影絵のことで手首や指先で人物や動物の形を作り、明かりを当てた影でそれを表現したもの。

手影絵き

・人差し指と小指を立て、他の指の先を合わせて丸くすると”狐”になるなど、手を用いて形を表現したもの。
・鳴き声を加えたり、紙を切ったものを添えるなどして複雑な影を作って興業を行った。

切り抜きの影絵

・厚紙で形を作って竹串で支えとしたもの。
・複数の接合部分を糸で動かせるようになり、操る人が見えないなとの工夫がなされていった。

謎解き

・遊びとしては古くからあったが謎解きを生業とした者が現れたのは明和(1763年)になってからとされる。

なぞなぞ

・文章の中にある意味を隠して問いかけ、それを当てさせる遊び。
 ”くらがりで、そっとひとつとったというてよろこぶものなあに ほたる”といったもの。
・はじまりは京阪とされ、後に江戸に伝わって皮肉やうがちが加わった。
・”何々とかけて、何々と解く、その心は”といった2重謎、つまり現在の落語の”なぞかけ”の形に複雑化したのは宝暦(1751年)頃とされる。

<有名人/技>
・弥太坊主
謎解きを生業にした初の大道芸人とされる。木魚を叩きながら人々にお題を出させ即座に解いて評判となった。

・春雪坊
”頓知謎都春雪”の看板を揚げて即席謎解きをした盲人。如何なる難題も即座に解いたことから評判となった。”春雪”の名は”たやすく解ける”という意味。

・三笑亭可楽
文化12年(1815年)寄席でなぞなぞをやり大評判となる。