地名の由来について


地名には面白い名付けの由来と、名前の変遷があります。
江戸時代から変わらない地名、消えていく地名たち。

ここでは、地名の由来と現在との対応について纏めてみました。


本所

もとは本庄といい、江東(旧・牛島)の本庄とされていた。
本所と改名されたのは元禄の時代とされる。

地名

現在地

由来
小梅

墨田区・押上付近。

近くには水戸殿下屋敷(現・墨田公園)、常泉寺(現存)などがある。

梅が多かったことから梅香原と呼ばれていた。
その後、八段梅→小梅と改名された。
柳島

墨田区・亀戸付近。

近くには龍眼寺、普門院、光明院(それぞれ現存)などがある。

柳が多かったことから柳島となった。
亀戸と隣接する。
亀戸

墨田区・亀戸付近。

近くには亀戸天満宮(現存)などがある。

昔島であり形が亀に似ていたため亀島と呼ばれていた。
やがて地続きとなり亀村と呼ばれた。
村に亀戸神社に「亀ヶ井」という井戸があったことから亀井戸→亀戸と改名された。
表記は異なるがどちらも”かめいど”と読む。
向島

墨田区・向島付近。

近くには当時から桜もちで有名な長命寺(現存)や新梅屋敷(現・向島百花園)などがある。

大川(隅田川)の向かいに位置したことから向島となった。

深川

海辺の茅野だった所を摂津の深川八郎右衛門が開拓した。
その名前から深川とされる。

地名

現在地

由来
安宅町

墨田区・千歳/新大橋付近。

船蔵は新大橋(一)、千歳(一)付近。

船蔵があり、係留されていた安宅丸の名が残った。
安宅丸には怪談の噂があり解体されて船塚がたてられた。
深川大工町

墨田区・清澄/白河付近(小名木川の清澄白河駅側の川べり)

近くには久世大和守下屋敷(現・清澄庭園)、霊厳寺(現存)などがある。

船大工が多く住んだことから深川大工町となった。
佐賀町

江東区・佐賀付近。

近くには真田信濃守下屋敷があった。

寛永6年に富商8人で埋め立てて作った所から8人の名を町名とした。
後の元禄8年に風景が佐賀の港に似ているところから佐賀町と改名した。
材木町(元木場)

江東区・福住付近。

江戸時代の木置き場は江東区・木場/平野付近。

海につながる材木問屋の木場だったところを埋め立てて町とした。
材木商の他にも多くの商家が増え、それぞれに町名をつけたが、総称として元木場とした。
矢数町

江東区・富岡付近。

三十三間堂は富岡八幡宮(現存)近く(平久川べり)にあった。

三十三間堂の所在地。
矢数を射たところから矢数町となった。

浅草

武蔵野は茅が深かったが、浅草は草の割合が少なかったのでその名前がついたとされる。

地名

現在地

由来
瓦町 台東区・浅草橋(三)付近(江戸通りの都営浅草駅付近)。 瓦職人が多く住んだことから瓦町となった。
猿屋町 台東区・浅草橋(三)付近。

舞の上手だった猿屋加賀美太夫が住んだことから猿屋町となった。

天文台の川向に位置する。

阿部川町

台東区・元浅草(三)付近。

近くには誓教寺(現存)があり、北斎の墓がある。

地主が駿河阿部川の出であったことから阿部川町となった。
三味線堀

台東区・台東(三)付近。

堀に面して佐竹右京太夫の上屋敷があった。

堀の形状が三味線に似ていたため三味線堀となった。
三筋町

台東区・三筋付近。

近くには西福寺(現存)があり、北斎の師である勝川春章の墓がある。

書院番組屋敷、大番組屋敷などがあり町を3つの通りが区分していたため三筋町となった。
蔵前

台東区・蔵前付近。

米蔵は浅草署付近。近くには八幡宮(現存)などがある。

幕府の米蔵があった鳥越橋の北から黒船町までを蔵前と呼ぶ。
並木町

台東区・雷門(二)付近。

近くには雷門(現存)、吾妻橋(現存)がある。

吾妻橋は隅田川にかかる4大橋の一つ。

元、奥州街道に接し、松並木があったことから並木町となった。
天文橋 台東区・浅草橋(三)付近。 天文台(天明2年(1782年)に幕府が創設)があったことから橋の名となった。
橋場

台東区・橋場付近。

近くには蓮窓寺(現存)があり、隅田川側に銀座があった。

むかし橋をかけたことに由来する。

源頼朝や太田道灌もこのあたりに橋をかけたとされる。

橋場の隣には銀座があり明治維新まで天保通宝が鋳造されていた。

日本堤

台東区・日本堤付近(土手通り付近)。

近くには新吉原や鷲明神(現存)、小塚原刑場がある。

鷲明神は熊手を売る酉の市で有名。

元和6年に全国の諸侯が協力して66日間で堤を作ったことから日本堤とする説と、道が2つに分かれていることから二本が日本に訛ったとする説がある。
孔雀長屋 不明。 日本堤から田町に下ったところに長屋があり、その端に住んでいた娘がたいへん美しかったため孔雀の尾になぞらえて孔雀長屋となった。

下谷

元の下谷村で上野、湯島の低地という意味とされる。

地名

現在地

由来
練塀町

千代田区・神田練塀町。

首都高1号と山手線の間にある小路。

旗本屋敷の練塀が続いていたため、練塀小路から町名となった。
御徒町

台東区・昭和通り付近。

近くには藤堂和泉守の上屋敷(現在の神田和泉町)、佐竹右京太夫(現在の竹町公園付近)などがある。

御徒組の組屋敷であったため町名となった。
箪笥町 不明。 箪笥奉行組に属する者が住んだため町名となった。
上野

台東区・上野付近。

上野公園は寛永寺の広大な跡地。
近くには幡随院(小金井に移転)などがあった。

下谷より高台にある意味の上野となった。
三橋

台東区・上野(四)付近。

寛永寺門前と下谷広小路を分ける不忍池から続く堀にかかる橋。

3つの橋が並んでかかり、その中央は将軍が渡る御橋(みはし)と言ったことから訛ったとされる。
谷中

台東区・谷中付近。

谷中、日暮里は生姜で有名。

上野と駒込の間の谷が地名となった。

本郷

湯島の本郷であったため本郷となった。

地名

現在地

由来
菊坂と梨坂

文京区・本郷(五、六)付近。

近くには長泉寺、法泉寺(いずれも現存)がある。

菊坂は菊栽培の者が多かったことから、梨坂は梨の大木があったことからその名がついた。
弓町 不明。 城の鬼門を守るため御弓組を置き、的場で訓練したことから弓町となった。
後に鬼門の守りは東叡山となる。
向ヶ丘 文京区・向丘付近。 忍ヶ岡と池を隔てて向かい合うため向ヶ丘となった。
駒込 豊島区・駒込付近。 馬の牧場があったことから駒込となった。
駒込追分

文京区・弥生(一)付近。

本郷弥生の追分(分かれ道)付近を追分元町といった。
近くには御手先組、御徒組屋敷があった。

中仙道と岩槻道の分岐であったことから駒込追分となった。
千駄木町 文京区・千駄木(二)付近、団子坂と根津権現の間。 木が多く、毎日千駄の薪(マキ)を切り出したことから千駄木町となった。
(注)駄とは馬に荷をのせて送ること。
団子坂

文京区・千駄木(二、三)付近、千駄木駅前の坂。

近くには根津権現(現存)がある。

もとは汐見坂といい、坂から品川が見えた。
団子坂は別名だったが、本来の名をしのいでこの名が残った。
根津八重垣町

文京区・根津(一)付近。

近くには根津権現(現存・根津小付近が門前町)、加賀中納言上屋敷(現・東京大学)がある。

もとは根津門前町といったが「八雲たつ出雲八重垣」の歌にちなんで根津八重垣町となった。
昌平橋

千代田区・神田淡路町の昌平橋。

近くには青山下野上屋敷(現・交通博物館、神田署)がある。

もとは一口橋または相生橋といった。
元禄4年に湯島の聖堂ができると魯の昌平卿にちなんで昌平橋となった。

小石川

巣鴨村から流れる谷端川の末。この川に小石が多かったため小石川の町名となった。

地名

現在地

由来
春日町

文京区・春日(一)付近。

近くには水戸殿上屋敷(現・小石川後楽園、東京ドーム)がある。

春日局が寛永7年に幕府の許しを得て商店を開いたことから春日町となった。
安藤坂
(綱干坂)

文京区・小石川(二)付近。

近くには伝通院(現存・家康生母の菩提寺)があり、春日通りと交差する門前の通りを安藤坂という。

近くに安藤飛騨守の屋敷があったことから安藤坂となった。
網干坂の名は昔、このあたりまで入り江だった頃、漁師が網を干したことからその名がついた。
小石川同心町

文京区・小石川(四)付近。

現在の春日通り小石川四信号付近。

大塚通りのこの辺りは昔先手組同心の屋敷だったため、小石川同心町となった。
小日向 文京区・小日向付近。 鶴高日向の領地だったが、断絶した後は「古日向ヶ跡」と呼ばれていたが、いつの頃からか「小日向」となった。
切支丹坂

文京区・小日向(一)付近。

丸の内線茗荷谷駅付近・操車場近くに切支丹屋敷跡と坂の説明の碑がある。

茗荷谷六天町から同心町へ向かう坂。
宗門奉行・井上筑後守の下屋敷があり、切支丹の牢獄があったため切支丹坂となった。
茗荷谷

文京区・小日向(三)付近。

近くには深光寺、徳雲寺(いずれも現存)がある。
茗荷谷は駅名となっている。

昔、茗荷(みょうが)の畑が多かったことから茗荷谷となった。
大塚

文京区・大塚(二)付近。

近くには安藤長門守下屋敷(現・お茶の水女子大)がある。

森川小左衛門屋敷に大きな古塚(旧一里塚とされる)があったことから大塚となった。
音羽町

文京区・音羽付近。

近くには護国寺(現存・綱吉の生母のために建立)があり、門前から江戸川橋までの通り付近が音羽町。

綱吉が大奥女中の音羽に与えた町屋。
青柳町、桜木町も同様。
巣鴨

豊島区・巣鴨付近。

近くには飛鳥山(江戸の行楽地、桜、月、紅葉の名所)、真性寺(現存・巣鴨駅近く)があり、門前の通りはおばあちゃんの原宿として人気がある。

昔、大きな沼があった頃、水鳥の中でも鴨が多かったことから巣鴨となった。
関口町

文京区・関口付近。

近くには椿の名所として知られた黒田富前守の下屋敷(現・椿山壮)がある。

神田上水の堰口(せきのくち)があったため、”せき”を”関”として町名となった。
駕籠町

文京区・本駒込(六)付近。

千石駅付近を巣鴨駕籠町といった。
近くには江戸鎮護五不動の赤目不動(現存)がある。

将軍・世継ぎの駕籠(かご)を担ぐ駕籠衆の者51人に与えられた土地。
御駕籠町から駕籠町となった。

牛込

牛の牧場があったためこの名がついた。駒込が馬の牧場であったことと同様。

地名

現在地

由来
神楽坂

新宿区・神楽坂付近。

牛込門は江戸城外堀の門の一つで現在の牛込橋にあった。

牛込門外の大通り。
穴八幡の祭礼の時、神楽を演奏したからこの名がついたとも、築土明神が牛込門内から遷座した時に神楽を演奏したためともいわれている。
牛込肴町

新宿区・岩戸町付近。

近くには安養寺(現存)がある。

もとは兵庫町といったが、魚商が多く住み幕府へも度々献上したことから牛込肴町となった。
牛込袋町

新宿区・袋町付近。

近くには光照寺(現存)がある。
現在は袋小路はなくなって通り抜け可能となっている。

肴町の横町。
袋のように行き止まりだったことから牛込袋町となった。
現在は袋小路はなくなって通過可能となっている。
牛込箪笥町

新宿区・箪笥町付近。

近くには南蔵院、大信寺(それぞれ現存)がある。

具足奉行、弓矢鎚奉行組同心の屋敷があった。また武器箪笥を作るものが多く住んだことから牛込箪笥町となった。
牛込払方町

新宿区・払方町、納戸町付近。

浄瑠璃坂を下った先にある。

元は天竜寺の境内。
幕府が納戸同心払方、元方の町屋敷とした。
そのため牛込払方町、納戸町となった。
鰻坂

新宿区・払方町付近。

払方町と市谷砂土原町の間の屈折した坂。

牛込払方町の坂。
うなぎのように屈折しているためこの名がついた。
二十騎町

新宿区・二十騎町付近。

近くには近藤勇の天然理心流・試衛館(市谷柳町)があった。

元は天竜寺の境内。
先手の与力十騎が二組あったことから二十騎町となった。
牛込矢来町

新宿区・矢来町付近。

近くには酒井家上屋敷があった。

若狭小浜藩・酒井家の宅地があった。
その酒井家の囲いが柵矢来であったため矢来、矢来下といった。
牛込改代町

新宿区・改代町付近。

近くには久伝寺、田中寺(ともに現存)がある。

雉子橋近辺の住民を牛込にいったん移し、田地を整備して改めてここに住まわせたことから牛込改代町となった。
浄瑠璃坂

新宿区・市谷砂土原町の浄瑠璃坂。

近くには愛敬稲荷社(現存)がある。

紀州家家老・水野土佐守の屋敷があり、その長屋が六段あったことから浄瑠璃の構成にならってこの名がついた。
左内坂

新宿区・市谷左内町の左内坂。

近くには市ヶ谷八幡宮(現存)、尾張家上屋敷(現・防衛庁)がある。

名主が代々島田左内と名乗ったことにちなんでこの名がついた。
山吹町 新宿区・山吹町付近。 太田道灌が狩の途中で農家に寄り蓑を借りようとした時、少女が山吹の枝を折って出したとする所。

四谷

農家が四軒のみだったため「四つの家の原」と呼ばれていたが、後に家が増えたことから四谷となった。

地名

現在地

由来
四谷伝馬町

新宿区・四谷(一)付近。

近くには四谷御門(現・四谷駅)があった。

伝馬町の人々が人夫、伝馬に従事した。
後に島原一揆に対応するための軍事輸送に功績があったため、四谷新大伝馬町となる。
その後”新大”が省略化され四谷伝馬町となった。
四谷仲町

新宿区・南元町付近。

近くには紀伊殿上屋敷(現・赤坂御用地)、鮫ヶ橋坂、安チン(安鎮)坂がある。

伊賀組組頭・服部仲の組屋敷だったことから四谷仲町となった。
元禄の地震による火事の後は仲殿町と御駕籠町となった。
伊賀町

新宿区・四谷(二)付近。

近くには東福院、真英寺(ともに現存)などの寺院が立ち並ぶ。

昔は原野だったが、寛永年間に伊賀組屋敷の代地となったため伊賀町となった。
四谷忍町 新宿区・左門町付近。 昔は原野だったが、家康が高木九助の従者に与えて町屋敷とした。
九助が武州忍の城代となり、その後またここに戻って住んだため四谷忍町となった。
四谷新堀江町

新宿区・四谷(二)付近。

伊賀町と隣接してあった。

堀江卯右衛門が茄子植付場とした。
そこに町家を作ったことから四谷新堀江町となった。
四谷荒木町 先手組の屋敷があり、新根の木が目立ったところから新木横町となった。
その後、新木町、荒木町と変化した。
四谷左門町

新宿区・左門町付近。

近くには四谷怪談で有名な於岩稲荷(現存)がある。

先手組組頭・諏訪左門の組屋敷があったことから左門殿町となった。
その後、”殿”がとれた。
四谷大番町

新宿区・大京町付近。

近くには内藤駿河守下屋敷(現・新宿御苑)がある。

大番組屋敷、旗本屋敷が多かったため四谷大番町となった。

赤坂

茜草が多く、茜山の名が赤坂に転じたという説と、紀伊国坂の近辺に赤土が多かったことから赤坂になったという説がある。

地名

現在地

由来
紀伊国坂

千代田区・紀尾井町の紀伊国坂。

上智大とニューオータニに間の紀伊坂は大久保利通が暗殺された場所。
近くには四谷御門(現:四谷駅付近)、赤坂御門(現:永田町駅付近)がある。

紀州邸が建築されてから紀伊国坂となった。
一木町

港区・赤坂(六)付近。

近くには氷川神社(現存)、勝海舟の屋敷(氷川神社裏)があった。

奥州街道の人馬継立であったことから人継村と呼ばれていた。
その後、一つ木村から一つ木町と発展していった。
霊南坂

港区・赤坂(一)の霊南坂。

近くには澄泉寺、陽泉寺(それぞれ現存)があった。

高輪・東禅寺があった頃、開山が嶺南であったことから嶺南坂となり、その後、霊南坂となった。
葵坂

港区・虎ノ門(二)虎ノ門病院付近。

近くには松平肥前守中屋敷(現:財務省印刷局、虎ノ門病院)があった。

坂を登った所に蜀葵花が多く植えられていたことから葵坂となった。
江戸見坂

港区・虎ノ門(二)付近。

ホテルオークラと虎ノ門パストラルの間。
近くには松平大和守上屋敷(現:ホテルオークラ)があった。

葵町と巴町の間の坂。
眺めが良く、江戸市中が見渡せたことから江戸見坂となった。
青山

港区・青山。

青山大膳亮下屋敷(現:青山霊園)などがある。

青山忠俊の屋敷があったことから青山とした説と、相州大山道の大山が青山に転じたとする説がある。
長者丸

港区・南青山(四)付近。

近くには長谷寺、大安寺(それぞれ現存)があった。

青山5丁目の辺りは昔、鹿谷(ししだに)長者の屋敷があったとの伝承があり、そこから長者丸と呼ばれている。
六道の辻

新宿区・霞岳町付近。

近くには先手組、百人組屋敷が密集していた(現:神宮外苑)。

三筋町2丁目に6本に分かれる道があったことから六道の辻となった。
渋谷宮益町

渋谷区・渋谷(一、二)付近。

近くには御獄神社(現存)、道玄坂(現存:昔は渋谷村の田んぼ道)がある。

町内に鎮守御獄神社があったことから渋谷宮益町となった。

竹芝郷と呼ばれていたが、竹が省略され、柴が芝となった。

地名

現在地

由来
露月町 港区・新橋(五)付近。

近くには遠山金四郎の屋敷(遠山の金さん)があった。
日比谷にあった老月村が移転し、その後に老月を露月とした。
宇田川町 港区・浜松町(一、二)付近。

第一京浜沿いに北から露月町、柴井町、宇田川町、神明町、浜松町と続いていた。
近くには柳生対馬守守屋敷(愛宕署の通りをはさんだ東側)がある。
上杉家の旧臣・宇田川喜兵衛が開き、代々宇田川家が名主を務めたことから宇田川町となった。
神明町 芝太神宮の前であったことから神明町となった。
浜松町 増上寺の代官・久右衛門が名主をしていたことから久右衛門町と呼ばれていたが、遠江浜松出身の権兵衛が名主となったことから浜松町となった。
三島町 港区・芝大門(一)付近。

飯倉神明宮門前の町(め組と相撲取りの大乱闘の場所)。
宇田川町とは通りを隔てて隣となる。
鍋島信濃守、久留島越後守、鍋島市之丞の三邸があったことから三島町となった。
七軒町 地主七人が土地を所有していたことから七軒町となった。
新網町 港区・浜松町(二)付近。

近くには紀伊殿下屋敷(旧芝離宮庭園)がある。
幕府に白魚を献上するようになり、漁夫の網を干す場所を賜った。それが町地となって新網町となった。
新銭座町 港区・浜松町(一)付近。

近くには将軍の狩場である浜御殿(現・浜離宮庭園)がある。
寛永年間に銭を鋳造していたことから新銭座町となった。
車町 港区・高輪(二)付近。

近くには泉岳寺(現存:赤穂浪士の菩提寺)がある。
増上寺内に東照宮を造営した際、木石運搬のために牛車を多用した。
その御者が多く住んだことから車町となった。
伊皿子町 港区・三田(四)付近。

近くには細川越中守下屋敷(大石内蔵助が切腹)がある。
伊皿子(いんべす)なる明人が住んでいたことから伊皿子町となったとする説がある。
赤羽橋 港区・東麻布(一)赤羽橋付近。

近くには増上寺(現存:徳川将軍家菩提寺)がある。
土器を作る家が多く、土が赤かったことから赤埴と呼ばれていたが、いつの頃からか赤羽となった。
三田同朋町 港区・三田(三)付近。

近くには元札の辻(刑場があり、50人の切支丹が処刑された)がある。
幕府お坊主の町屋敷となったことから三田同朋町となった。
二本榎 港区・高輪(二)付近。

上行寺は円真寺、黄梅寺、松光寺(いずれも現存)と並んであったが現在はない。
上行寺の近くに二本の榎の大木があり旅人の目印となっていた。
木が枯れた後もこの名が残った。
白金 港区・白金、白金台付近。

松平讃岐守下屋敷(現・国立自然教育園)などがある。
白金長者という豪族がいたという伝説があることから白金となった。

麻布

麻が多く植えられ、布を織ったことから麻布となった。浅生、阿左布とも書いた。

地名

現在地

由来
飯倉

港区・麻布台(二)付近。

飯倉の名前は首都高速の出入り口名にも残っている。

伊勢太神宮御厨の地で、米を納めた倉があった。
狸穴町

港区・麻布狸穴町付近。

近くには狸穴坂(現存)がある。

林が深く狸の穴が多くあったことから狸穴町となった。
一本松

港区・麻布十番(一、二)付近。

近くには南部美濃守下屋敷(現・有栖川宮記念公園)がある。

源氏の祖(六孫王経基)が衣冠をかけた一本松。

京橋

日本橋を起点とした京への道(現・中央通り)にある最初の橋であったためこの名がついた。
日本橋前には河岸、青物市場があった。

地名

現在地

由来
八丁堀

中央区・八丁堀付近。

近くには山王御旅所(現存)、町御組屋敷(現・茅場町駅付近)があった。

長さ八町(約900m)の堀があったことからこの近辺の通称となった。
町方の屋敷があったことから同心、与力の代名詞ともなった。
岡崎町

中央区・八丁堀(一、二)付近。

近くには松平越中守上屋敷(現・首都高・室町出入り口付近)があった。

家康に従い入国した岡崎十左衛門が地主となったことから岡崎町となった。
霊厳島

中央区・新川(一)付近。

近くには大神宮(現存)、永代橋(現存)があった。

寛永元年に僧の霊厳が、八丁堀近くの海を埋め立てて霊厳寺(その後、本所(江東区)移転され、現存する)を建立した。
以降この近辺の通称となった。
蒟蒻島の名は、作られた島がゆらゆらと揺らいだことによる。
深川とを結ぶ永代橋は、文化4年の深川八幡祭礼で崩壊して多数の死者を出した。
大川端

中央区・新川(一)付近。

大川(隅田川)縁。

北新堀町から分離し、お船手の組屋敷を中心とした北新堀町大川端となった。
その後大川端と改ためられた。
銀座

中央区・銀座付近。

近くには白魚屋敷(江戸城に魚を収める者の屋敷)があった。

慶長に銀座が開かれ銀貨を鋳造した。
享保年間に銀座そのものは蠣殻町に移転したが、地名は残った。
八官町

中央区・銀座(八)付近。

近くには新橋(現・新橋駅付近)があった。

幕府がオランダ人のハチクワンにこの地を与えたことから、八官町となった。
木挽町

中央区・銀座(二)付近。

山村座があったが絵島事件で廃止となる。

江戸城改築のための木挽職人が多く住んだことから木挽町となった。
采女町

中央区・銀座(五)付近。

近くには采女ヶ原馬場があった。

以前、松平采女正の邸宅であったことから采女町となった。
鉄砲洲

中央区・湊付近。

近くには鉄砲洲ヨケイイナリ(現存)がある。

本湊町には船着場がある。
鉄砲洲の名は、築地の海岸で大砲の試射が行われたことに起因する。
築地

中央区・築地付近。

近くには西本願寺(現存)、松平土佐守中屋敷(現・中央区役所、築地警察署など)がある。

明暦の大火の後、木挽町の海岸を埋め立てた土地であることから築地となった。
西本願寺を囲む堀内が築地(一〜四)。
佃島

中央区・佃付近。

近くには住吉神社(現存)、渡し場(現・佃大橋で結ぶ)がある。

以前は向島といった。
正保元年に佃村の漁家(34件)が移り住んでから佃島となった。
石川町 中央区・佃付近。 旗本・石川某の受領地であったことから石川町となった。
寛政年間に長谷川平蔵が人足寄場を設置する。
尾張町 中央区・銀座(六)付近。 尾張家によって埋め立てられて作られたことから尾張町となった。
出雲町、因幡町、山城町も同様の由来による。

日本橋

朝日が海から上がるのが見えたため、日のいずる所という意味からこの名がついた。また異説では、諸侯が分担して埋め立てた土地に架かる橋であるため、日本中の者が作り上げたとするものがある。

地名

現在地

由来
一石橋

中央区・日本橋本石町、一石橋。

近くには金座(現・日本銀行本店)がある。

金座の後藤庄三郎と、呉服師の後藤縫殿助の家が南北にあったことから、洒落で五斗(後藤)と五斗で一石橋となった。
安針町

中央区・日本橋室町(一)付近。

近くには福徳稲荷(現存)があった。

イギリス人のアンジンが帰化して三浦安針と改名して住んだことから安針町となった。
大伝馬町 中央区・日本橋大伝馬町付近。 宿継伝馬の生業に関わる者が多く住んだことから大伝馬町となった。
小伝馬町

中央区・日本橋小伝馬町付近。

近くには囚獄(牢奉行・石出帯刀屋敷。現・小伝馬町の公園)

町内に幕府の牢屋敷が置かれていた。
照降町 中央区・日本橋小舟町付近。 小舟町3丁目の別名。
日傘、雨傘、下駄、雪駄屋が軒を連ねていたことを洒落て照降町と呼んだ。
馬喰町

中央区・日本橋馬喰町付近。

近くには郡代屋敷(関東八州の天領を管理する。現・馬喰町(二)付近)があった。

博労頭の富田半七、高木源兵衛等がいたため博労町としていたが、後に馬喰町に改めた。
両国橋

中央区・東日本橋(二)、両国橋。

橋の横には両国稲荷(現存)がある。

初めは大橋と呼ばれていたが、下流に新大橋が架かってからは、武蔵と下総を結ぶ両国橋の名となった(長さは九十六間)。
橘町 中央区・東日本橋(三)付近。 本願寺が築地に移転する以前は門前で立花を売る家が多かった。
そのため立花町としていたが、後に橘町に改めた。
浜町

中央区・日本橋浜町付近。

近くには一ツ橋殿中屋敷、細川越中守中屋敷(現・浜町公園付近)など大名家の屋敷が並んでいた。

以前は大川の浜辺であったことから浜町となった。
箱崎町

中央区・日本橋箱崎町付近。

近くには田安殿中屋敷があった。

筑前箱崎の縁から箱崎町となった。
竜閑橋

千代田区・内神田(二)付近。

近くには江戸城の石材、材木を扱った鎌倉河岸があった。

寛永年間に建立された竜閑寺の名前に由来する。
鎧橋

中央区・日本橋箱崎町、箱崎出入口付近。

近くには鎧の渡し(現・日本橋小網町の鎧橋)があった。

源頼義が渡しの嵐を鎮めるために鎧を沈めたことに由来する。
渡し場は鎧の渡しと呼ばれるようになった。
茅場町

中央区・日本橋茅場町付近。

近くには山王御旅所(現存)がある。

神田の茅売をここに移したことから茅場町となった。
茅場町は後に本所へと移転する。
小網町

中央区・日本橋小舟町付近。

近くには、吉原へ向かうが帰ろうか考えたとされる”思案橋”があった。

佃島の漁師が小網を干した場所であったことから小網町となった。
駿河町

中央区・日本橋室町(一)付近。

近くには十軒店(雛人形、武者人形市で有名)があった。

富士山を正面に見ることから駿河町となった。
海賊橋

中央区・日本橋兜町付近。

近くには松平和泉守上屋敷(現・東京証券取引所)、活鯛屋敷(幕府向けの活魚を扱っていた)があった。

海賊奉行の屋敷があったことから海賊橋となった。
後に海運橋に改められた。
親父橋

中央区・日本橋人形町(三)付近。

近くには甚右衛門が住んでいた甚右衛門町があった。

日本橋に吉原遊郭を開いた庄司甚右衛門を同業者が”親父”と呼んでいた。
その甚右衛門が遊郭のために架けた橋であることから親父橋となった。
富沢町

中央区・日本橋富沢町。

近くには明暦の大火で浅草に移転した吉原の跡地である高砂町があった。

鳶沢甚内が古物市を開いたことから鳶沢町となったが、名を富沢と改めたことから富沢町となった。

神田

伊勢神宮へ稲を奉納する田んぼを神田といい、全国にあった。
神田もその地の一つであったことからこの名がついた。

地名

現在地

由来
今川小路 千代田区・神田神保町(三)付近。

近くには急な坂で後押しをする人足がいた九段坂がある。
高家今川氏の屋敷があったことから今川小路となった。
美土代町 千代田区・神田美土代町。

近くには勘定奉行所(現・神田橋出口付近)があった。
神田(みとしろ)の訓読みを町名とした。
多町 中央区・神田多田(二)付近。

近くには千葉周作の北辰一刀流道場(神田東松下町)があった。
田を埋めて作ったことから田町としたが、後に多町に改めた。
今川橋 中央区・鍛治町(一)付近。

近くには人形市で有名な十軒店(日本橋室町(三))があった。
今川善右衛門が作った橋。その名をとって今川橋とした。
柳原 神田川の千代田区側川沿い。

神田川にそって多くの柳が植えられていた。
川の土手に柳を多く植えたことから柳原となった。
松枝町 千代田区・岩本町(二)付近。

弁慶橋がかかっていた。
大奥の老女・松ヶ枝の受領地であったことから松枝町となった。
お玉ヶ池 千代田区・岩本町(二)付近。

お玉ヶ池と玉イナリ(現存)がある。
近くの桜が池に茶店があり、お玉という女がいたが、二人の男に求愛されて板ばさみになったことから投身自殺したとされる。
その名をとってお玉ヶ池とした。
弁慶橋 千代田区・岩本町(二)付近。 幕府の大工棟梁の弁慶小左衛門が作った橋。その名をとって弁慶橋とした。
お茶の水 文京区・水道橋付近。

近くには水戸殿上屋敷(現・小石川後楽園)があった。
将軍がお茶の水を汲んだとされる名水の井戸があり、その井戸の名であるお茶の水を地名とした。
井戸は、享保の大洪水で神田川の川幅を広げた時に川に没したとされる。
同朋町 千代田区・外神田(二)付近。

近くには神田明神、聖堂(いずれも現存)がある。
同朋役が宅地を幕府から受けたことから同朋町となった。
後に町屋を建て、明神下同朋町とした。
旅籠町 千代田区・外神田(三)付近。 中仙道、陸羽街道の裏通りで旅籠が多かったことから旅籠町となった。
鈴木町 不明。 鈴木姓の人が多く住んていたことから鈴木町となった。
目鏡橋 千代田区・万世橋。 橋台が2つの半円となっていて、目鐘に見えたことから目鏡橋となった。
台所町 千代田区・外神田(二)付近。

同朋町は隣町。
御台所役人の屋敷があったことから台所町となった。

麹町

数件の麹屋があったことからこの名がついた。
また異説では、府中への道筋であったことから国府路(府中の旧名が国府であった)”こふじ”が訛ったものとするものがある。

地名

現在地

由来
牛ヶ淵 千代田区・北の丸公園 牛ヶ淵。

近くには清水御門、田安御門(いずれも現存)がある。
銭を積んだ牛車が落ちた事件があったことから牛ヶ淵となった。
半蔵門 千代田区・麹町(一)半蔵門。

門前(現・新宿通り)には、四谷御門(現・四ツ谷駅)まで麹町が10丁目まであった。
伊賀者の束ねである服部半蔵の屋敷があったことから半蔵門となった。
雉子橋 千代田区・一ツ橋(一)雉子橋。

近くには一ツ橋、神田橋(いずれも現存)がある。
朝鮮人をもてなすために雉(きじ)が飼われていたことによる。
一ツ橋 千代田区・一ツ橋(一)一ツ橋。

近くには御三家・一ツ橋殿の屋敷(現・気象庁付近)があった。
家康入国の時は丸木橋であったことから一ツ橋となった。
常盤橋 中央区・日本橋本石町(二)付近。

近くには勘定奉行所(現・日本ビル付近)があった。
旧名は大橋であったが、江戸城の大手にあたることから佳名として常盤橋と改めた。
竜の口 千代田区・丸の内(一)付近。 江戸城の堀の水を排水する口であったことから竜の口となった。
道三町 千代田区・大手町(一)付近。 幕府の医師・今大路道三の屋敷があったことから道三町となった。
道三橋、道三堀も同様の由来による。
銭瓶橋 千代田区・大手町(二)付近。

呉服橋と常盤橋の間、丸の内側にあった。
銭が沢山詰った瓶が橋のたもとから出たことから銭瓶橋となった。
八重洲町 中央区・八重洲付近。 和蘭人(おらんだじん)のヤンヨースという人物が慶長のころに住んでいたことから八重洲町となった。
呉服橋 中央区・八重洲(一)呉服橋。

近くには北町奉行所(現・朝日東海ビル付近)があった。
後藤縫殿助の屋敷があり、呉服師であったことから呉服橋となった。
大名小路 千代田区・丸の内(一)付近。

近くには細川越中守上屋敷(現・みずほ銀行付近)など、大名屋敷が連なっていた。
諸侯の屋敷が多く集まっていることから大名小路となった。この名は各地に多くある。
数寄屋橋 中央区・銀座(五)付近。

近くには南町奉行所(現・マリオン)があった。
数奇の道に通じた織田有楽斎入道長益の屋敷があり、茶道家の多くが橋を渡ったことから数寄屋橋となった。
日比谷 千代田区・日比谷公園付近。

近くには桜田御門(現存)、日比谷御門(現・日比谷駅付近)がある。
粗朶(ひび)を使って魚を取る漁師町が入江にあったことから日比谷となった。
霞ヶ関 千代田区・霞ヶ関付近。 奥州街道の関。坂からの眺めが絶景で、景勝の地として知られていた。
三年坂 千代田区・霞ヶ関(三)三年坂。

近くには松平美濃守・下屋敷(現・外務省付近)があった。
この坂で転ぶと三年以内に死ぬという噂があったことから三年坂となった。
虎の門 港区・虎ノ門(一)付近。

近くには金毘羅神社(現存)がある。
朝鮮人が虎を持ち込んだ際、門が小さくて通れなかったことから檻に合わせて作りなおしたとされ、そこから虎の門となった。
紀尾井町 千代田区・紀尾井町付近。

近くには紀尾井坂(上智大、ニューオータニの間)がある。
紀州、尾州、井伊の三家の屋敷があったことから紀尾井町となった。
番町 千代田区・一〜六番町。 一番から六番までの大番組諸士の宅地があったことから番町となった。
水道橋 文京区・後楽(一)水道橋。

近くには御三家・水戸殿の屋敷(現・小石川後楽園)があった。
神田上水の大樋(おおとい)があったことから水道橋となった。