小山博行「参戦記」

参 戦 記 2




目 次

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戦傷(2)

戦傷(3)

戦 死

道 路

戦闘開始

花火見物

泰山鳴動鼠一匹

黄塵万丈

火 器

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参戦記地図




戦傷(2)

 入院中にいろいろの傷や傷跡を見た。傷は普通は白兵創(白兵戦で受けた傷で、功績の時は一番よいもの)、銃創(小銃弾が一方から入り一方へ抜ける貫通銃創と、身体の途中で止まる盲貫銃創とがある)、砲弾破片創及び固形物の下敷き等による怪我などである。
顔のあちこちに傷のある人の傷は、交戦中敵弾が前にあった竹垣に当り、竹の破片が顔のあちこちに食い込んだものだそうだった。

 左腕の肩の下あたりが目茶苦茶になった人の傷は、軽機関銃の射手(歩兵でも砲兵でも射手は優秀な上等兵が当たった)であったが、やはり敵弾が機関銃の脚に当り、脚の破片が食い込んで骨がバラバラになったものだそうで、金の鎹(カスガイ)で繋いで腕が使えるようになっていた。

 頭の傷は生死が紙一重で、助かった例をあげると一人は鉄兜の正面に当たった弾丸が、鉄兜の内側を一回り半して後ろから飛び出してくれたもので、本人は気絶したそうだが、丁度鉢巻をしたようにぐるっと傷が残って(禿)いた。もう一人はやはり正面から弾丸が入ったが、弾丸は頭の天辺に向い、天辺から下に方向転換して止まったため、小銃弾が半分頭の天辺に出ていた。

戦傷(3)

 弾丸の先が脳すれすれで止まったので命だけは助かったが、至って危険なので内地で手術するとのことであった。
何の気なしに帽子の上に手を置いて「俺を殺す気か!」と叱られ、平謝りに謝った。

 可哀想であったのは陰部の下側の筋に擦過傷を受けて温泉(熊岳城療養所)で療養中の者であった。
 「出そうだあー」と言って駆け出した時はもう漏れており廊下をポタポタ濡らしながら走っているのは気の毒であった。おかしかったが笑うわけにはいかなかった。

戦 死

 少し山岳がかった所を行軍中、川一つ隔てた向うの丘から攻撃された。丁度両側が丘陵で凹んだところに道があったから、その道で待機していたところ、歩兵の一ケ分隊ばかりが丘の上をのん気に歩いて来た。「そこは危ないぞー」と言ったが聞こえないらしく悠々とやって来て、案の定一斉射撃を喰らってしまった。

 周章てて凹地へ逃げ込んだが、2〜3人やられてしまった。味方がやられるのを目の当たり見たのは初めてであったので、物好きにもその場所へ近寄ってみた。そのうちの一人は重傷で見る見るうちに顔面が蒼白になり、呼吸がおかしくなり「水、水―」とかすかにつぶやいたので、戦友が水筒の水を与えると、最後の声をふりしぼり「天皇陛下万歳―、天皇陛――」と事切れた。

 もう一人の最後はこうだ。自分と一緒に羅王砦で負傷し、同じトラックで野戦病院へ後送される時のことであった。何しろ敵の20万ともいわれる大軍に包囲されていたから、最初の晩は脱出に失敗して、その後も中々機会がなく、3日目の晩になって全軍撤退の命令が出たので部隊の間隙をぬって脱出したが、道を進むわけではない。畑を突っ切ってまっしぐらに逃げたのだからたまらない。畑の畝を越えるときは車体ごと浮き上がり、落ちるとまた跳上がるといった具合で、自分は軽傷の方だから一番後尾に寝かされていたので跳上がりがひどく、車体にしがみついて振り落とされないようにしているのが精一杯だった。5〜6Km進んでやっと道路らしい所に出て、夜明け頃やっと野戦病院(病院といっても崩れ落ちた民家の土間にアンペラを敷いただけの病室だった)に着いた。

 その時、前の方で「軍医殿を呼んでくれー、軍医殿、軍医殿―」と叫び出した。一番前に寝かされていた患者が危篤だという。すぐ軍医が駆けつけたが一目みるなり「水を飲ませろ」と言い、水を飲ませると「天皇陛下万歳を」とうながした。やはり2度天皇陛下万歳を唱えたが、3度目は声にならなかった。
 前の日までは元気であった。「腹をやられた者には水をやるな」と聞いていたのに、あまり水を飲むので大丈夫かなと思っていたが、腹部の貫通銃創であったので水が命取りになったようである。

 病院へ着いた日から隣の病室にいる一人の患者が「水を呉れ、水を呉れ」と叫んでいた。そのうちに「衛生兵さん、水をください」に変わり、しまいには「水を持って来い」「水を飲ませろ」「衛生兵の馬鹿野郎―」と一晩中騒いでいた。後で聞いたら不人情のようであったが、とうとう水をやらなかったので助かったという。他人事ながらよかったと思った。

道 路

 行動中道路を進むのは、街中や山間部は別として、見渡す限り地平線が続く平野を目的地に向って畑でも原野でも、また川があろうが進軍一直線である。野砲の1個大隊が踏み通るのであるから、我々が進む頃には立派な道路になっている。しかし車輌部隊であるから、轍(ワダチ、車輪の跡)のところは固いが、荷物の多い車は少しでも柔らかいとめり込みがひどい。まして雨が降るとひどい泥濘となり、大砲など通ったことのない道は一里行くのに半日もかかる始末であった。

 上陸後半月ほどから泥との戦いが始まった。最初のうちは泥道などと馬鹿にしていたが、間違って泥沼のような所にはまり込むとさあ大変、馬が足をとられてばたばたやるが、力が入らないので中々前へ進めない。

 後押ししてもらって浅い方へ抜け出せればよいが、後押しする者も10車輌に一人か二人しかいないから主力は自力で抜け出さなければならない。はまり込んでどうにもならない場合だけ後押ししたり、横から引き上げたり、近くにいる者が手を貸して脱出する。

 こうして泥道を進むほどに、一番最初に立ち往生していたのが軍用自動車(トラック)で、次が戦車であった。そうなれば近くで野営して引っ張って貰うのを待つか、道が乾いて抜け出せるまで我慢するかほかに道はない。あがけばあがくほどめり込むだけだ。
 だが大砲や弾薬車は、残して行くわけに行かない。隊をあげても引き出して前線へ急がねばならない。

 泥濘のひどい所では木を切って枝を敷いたり、近くの民家の戸や家具を持ってきて(戦争中は徴発という勝手な名目をつけて必需品を取上げ、泥棒ではないという屁理屈が罷り通ったものだ)車輪の下に敷き、更に馬の頭数を増やす等してでも引き出した。

 大砲等兵器類は絶対に敵に分捕らせるわけにいかない。従って泥濘との戦いも実に壮絶を極めた。
 そんなわけで車輌部隊はどんどん置き去りにされた格好になった。そこへいくと歩兵部隊は鉄砲と背嚢だけが主力だから、どんどん進撃を続け破竹の勢いで次々と敵の陣地を攻略して行った。しかし、このときである。一つの悲劇が起こった。

戦闘開始

 ある敵陣を攻撃中に、苦戦中の歩兵の隊長が野砲隊に援護射撃を要請した。しかし前述のように野砲隊はまだ泥沼の行軍を続けている最中で、敵陣が遠すぎ射程距離に入らないので、その旨を言って断った。苦戦で頭にきている歩兵の隊長が階級が上であったため、何を言っている、命令だ、撃てとやったからたまらない。(軍隊では上官の命令は天皇陛下の命令と同じで、その命令が間違っていても聞かないわけにいかなかった)

 仕方なく5〜6発撃ったが敵陣に届くはずがない。味方の真中で炸裂して多くの死傷者を出してしまった。その隊長はそれから暫くの間、自分のことは棚に上げて野砲なんか役に立たない。給与(下給品、酒・ヨーカン・キャラメルや飯の量など)も落とせと言い出す始末で、それから当分の間我々は割を喰ってしまった。

 しかし泥濘との戦いも終わり、秋晴れの日が続き道路もよくなった頃になって、前述のような場合に直面した際に、「野砲も折角来たのだからとにかく撃って見ろ」ときた。
 今度は十分射程距離内であったので、面白いように敵の城壁や城内に命中した。特に城壁の一箇所に集中攻撃を加えるのは壮観で、見る見るうちに城壁の一角が崩れ、機を見て歩兵の突撃が敢行され一時間もしないうちに完全占領が行われ、城壁に日章旗が翻った。

 目の当りに大砲の威力を見せつけられ、初めて大砲なくては戦に勝てないということがわかり、やっと我々の部隊も日の目を見ることになった。こんな笑えないできごとは到る所で起こったものだ。

 戦闘の始まりは前方で先ずパンパンと小銃の音がし出す。更に軽機関銃がタ、タ、タ、タ、タと鳴り出し、次には重機関銃のダ、ダ、ダ、ダ、ダーとくるといよいよ本物だ。歩兵の前線が交戦状態に入ったわけで、上空をピューン、ピューンと弾丸が飛び交い始め、ピューンからピュー、ピューに変わり更にはヒュール、ヒュールと迫撃砲の弾丸が飛んで来てあちこちでどかん、どかーんと炸裂し出す。そうなると野砲隊にも出撃命令が来る。われわれ大行李は安全地帯に待機命令が来て、凹地または物陰など適当な場所で次の命令を待つ。これからは野次馬的高見の見物としゃれることができる貴重な時間でもある。本隊は直ちに「弾薬車(弾列)は待機、砲手乗車、速足前へ」の号令で攻撃地点へ向って土煙を立てながら前進、適当な場所で砲列を敷く(散開)。大砲を曳いていた馬も弾薬車の待機している所まで退って待機する。砲の操作等の細かいことは省略するが、「兎にかく一発撃てー」の号令(軍隊にもこんなユニークな命令がある)で一門づつ試し射ちが行われ、3発くらい撃つと大体の照準がきまるので、そこで始めて一斉射撃ということになる。

 弾丸も城壁等を狙う時は当たってから爆発する破壊用を使い、逃げる敵に向っては頭上で爆発する空中破裂のものや、地面に落ちると直ぐ爆発するものを、その時の状況に応じて使い分ける。その時弾丸の操作は装填の際信管の切り方で決める。

花火見物

 昭和13年の秋、大名という城を攻めた時のことであった。行軍して大名の近くへ着いた頃は夕暗が迫っていたが戦いは始まっていて、遠くから小銃弾や迫撃砲弾の音が次第に激しくなっていた。

わが部隊は到着するや直ちに散開し例の通りに攻撃を開始した。そのうちにあたりがだんだん暗くなってきて夜間戦闘が始まった。まず小銃による攻撃だが、10発に1発くらい曳光弾が光の線を引いて城内へ消えて行く。ピュー、ピュー、ピューの次は照明弾が打ち上げられ、あたり一面がパァーと明るくなる。それを目当てに砲門を一斉に開き、ど、ど、ど、どーーん、と撃つ。パァーと照明弾が上がり城壁から楼門までくっきりと浮かび上がる。(城内に弾丸が落ち火が上がる時も楼門や城壁が美しく浮かび上がる。)

 城壁に弾丸が当りどかーん、どかーん、パァー、どどどんー、どかんー それは普段では到底見られない神秘な世界にいるような錯覚さえ覚える景観で、命をかけた花火見物であった。

泰山鳴動鼠一匹

 徐州が陥落して、誘導作戦で隴海線の沿線で列車砲に襲われた2〜3日後のことだったと思う。
列車砲への報復だか外に目的があったのか、われわれ下々の者には判らなかったが、とにかく大隊砲から重砲まで砲という砲を数千メートルにわたり並べて、一斉に砲門を開いて約1時間くらい撃ち込んだ。そのすさまじかったこと、ど、どん、ど、どん、(発射音)、ヒュール、ヒュール(弾丸の飛ぶ音)、どかーん、どかーん(破裂音)と、前面の敵陣では一面の土煙と弾丸の爆発の有様で、正に修羅場と化したように見受けられた。

 大砲の一斉射撃はこのときが、自分が体験したものでは最高の激射で迫力があった。しかし射撃が終わりまた行軍が始まって、その部落を通ったが、敵の戦死者はあまり見当たらなかった。(普通戦闘した後を通ると死体がごろごろしていたもんだ。)
 だがこの一斉射撃で弾丸を相当使ってしまい、敵中に孤立した後は弾丸の補給がなく、敵の攻撃に対し申し訳程度に30分に一発くらいしか撃てない羽目になったのだ。

黄塵万丈

 やはり隴海線の沿線で誘導作戦をしていた時のことである。丁度5月の下旬であったので、梅雨前の乾燥時期で「麦と兵隊」の舞台である麦又麦の畑を行軍していた。
たまたま黄河の昔の流れの跡らしい黄砂の中だった。車輌部隊だからたまったものではない、馬のひづめで黄砂を跳ね上げながら進むから、砂埃がもうもうと立ちこめて1.5メートルくらいしか視界が効かない。とにかく前の車輌や馬の後を離れずに進むより方法がなかった。

 薄目を開いて進むだけだ。あらかじめ支給されていた防塵マスクを掛けてみたが、汗で眼鏡が曇り、更にガラスは埃をかぶるので、かえって前方が見えない。
マスクを取り薄目で必死に歩いていたが、一度顔を拭くために隊列を離れて驚いた。自分達を中心に左右にも隊列が続いていたので、「埃の列」が3列連なり、「埃の柱」が数十メートルに達していた。黄塵万丈そのものだった。

 列に入ろうと思ったが、埃だらけでどこだか判らない。戦友の声をたよりに、やっと列にもどった。
 この時の3列の部隊は実に長かった。大休止になり、われわれが再び出発する頃になって、後尾がやっと到着したのだから、その長さも推して知るべしである。

火 器


 小銃  (歩兵銃)
 拳銃  (将校・下士官、その他特殊部隊の兵士)
 機関銃 (軽機・重機)
 擲弾筒 (手榴弾を発射するもの)
 迫撃砲 (弾丸に羽根がついていて、音を立てて飛び城壁の蔭なども
            攻撃できる)
 対戦車砲(ほとんど直線に弾丸が飛び、1000mで弾道の高さが1m位)
 大隊砲 (馬一頭で曳ける小型のもので、歩兵の大隊に配置、
            口径7.5cm)
 連隊砲 (大隊砲より少し大型で、歩兵隊に配置、口径7.5cm)
 山砲  (山岳戦用で、分解して駄馬で運ぶこともできるが、山岳では
            兵が担ぐ。口径7.5cm)
 野砲  (輓馬6頭曳きで、口径7.5cm〜12cm)
 野戦重砲(牽引車曳き 12cm 加野砲)
     (輓馬8頭曳き 15cm 榴弾砲)
 列車砲 (汽車に積載した口径25cm以上もある砲、砲台を汽車に載せて
            いると思えばよい)
 手榴弾 (肉薄戦に使う小型爆弾)
弾丸の種類
        
品名 使用方法 日本軍シナ軍
小銃弾 歩兵銃、騎兵銃、機関銃に共通して使用できる 38式歩兵銃専用
日本人は外人に比べて身体が小さいので銃、弾丸が小型
外国製の銃を使用していたので、弾丸も一回り大きい。従って当たれば傷も大きくなる
手榴弾 白兵戦(肉薄戦)用 擲弾筒で発射
近距離では、栓を抜いて4秒ほどしてから投げると、丁度落ちる頃爆発する
取っ手がついており、その栓を開けると中に丸い輪の金具があり、それを人差し指に通して投げると、丁度落ちる頃爆発する
対戦車砲弾 戦車攻撃専用
戦車に当たって、中に入ってから爆発する
昔ながらの坊主頭のものを使っていたので、直角に当たらないと跳弾になり易かった 外国製の弾丸で、頭にヤスリがかけてあり、斜めに当たっても中に食い込むようにできていた

砲弾

進発信管(字が違うかも知れないが、シンパツシンカンというもの)
 弾丸の先が何かに当たればすぐ爆発するもの
曳火信管(エイカシンカン)
 花火の口火のようなもので、一定距離に行った所で爆発するようにセットして、敵の頭上から破片をばら撒くようにする。
耐久式信管(タイキュウシキシンカン)
 弾丸が目標物に当たって一定時間経って爆発するようにセットするもので、城壁の破壊等に使う。
零距離
 発射直後50メートル先で爆発するようにセットするもので、肉薄戦になった時使う。いたって危険でセットを間違えば砲身とも木っ端微塵となる怖れがあり、滅多にこの射撃は行わない。

弾丸の音

小銃・機関銃
・はるか遠方(200m以上)ピューン
・少し近く(100m以内)ピユー
・より近く(20m以内)ピー、バン、バンー
・近い(5m以内)バ、バシャ、ガシャ
この音が判るようになれば歴戦の勇士だ。

迫撃砲
 ヒューン、ヒューン(遠い)―→シュル、シュル、シュル(近い)―→シュー、シューン(更に近い)―→途切れる(危ない、伏せろ)―→ドカン
伏せていれば5m以内に落ちなければまあ大丈夫、真上に来て止まってから落下するので、爆発も上に強く横は近くでなければ滅多に当たらない。
また、手前に落ちたものは危ないが、後方へ落ちたものは伏せていれば大丈夫だ。



大砲
 敵もそうだったろうが、やっぱり大砲の弾丸は恐ろしかった。
大砲の場合は花火の時のように、発射音がずどーん(小さいものはどーん)とすると、続いてヒューン、ヒューン、シュール、シュール、シュル、シュルと風を切って飛んで来る音が近づき、大きい弾丸になると黒点がだんだん大きくなってくるのが判る。

 その飛んで来る方向が問題だ。手前に落ちるか、後方か、左か右か、それを確かめなければならない。それが判らないようだと、まず頭上に落下するものと思わなければならない。少しでも低い所へ転がり込んで、べたっと地面に伏すより方法はない、桑原々々だ。

 徐州戦で徐州が陥落(13.5.19)して、松本連隊の3大隊の掩護で隴海線沿いに済寧(済南の次の駅)から開封に向けて誘導作戦に参加した。
 昨日は北へ、今日は南へ、次の日は西へ又東へと、ジグザグ行軍を続けて後方撹乱を狙って行動していた時、敵の列車砲のお見舞いを受けた。
 前々からドラム缶ほどの弾丸が飛んで来るから気をつけろと聞いてはいたが、口径25cmと言うだけあって実に凄かった。

 どか〜〜ん―、ヒュ―、ウォ―ン、ウォ―ン―、バリ、バリー、ゴォ――という音とともに黒い固まりが近づいてきた。
 その黒い固まりも見たか、見なかったか未だにはっきりしないが、その時は見たように思われた。
 その弾丸が目前300mぐらいの所にどか〜〜んと破裂し、土煙を高さ50m、幅50m、長さ100m位舞い上がり、どどどど〜〜んとあたりの空気を震わせ、更にいま一発どか〜〜ん、ゴォ―、ゴォ―、ウォ―ン、ウォ―ン、バリ、バリ〜〜、ど、ど、ど、ど、ど〜〜んと左300mの所に落ちたからたまらない。

 野砲隊の常識では今度は丁度現在地へ向けて発射することになる。「逃げろー」誰云うとなく叫び合って我先に前方の部落の土壁に向って一目散に突進した。
 恐らく顔色もなかったことであろうが、幸いにも二発だけで三発目は来なかった。この時の恐ろしさは今も目に焼き付いている。

続く

編集:大野 令治

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