レジ'S読書メモ

読 書 メ モ

2001


目 次

(クリックすれば該当の項へ進みます。
ブラウザの「戻る」ボタンで目次に戻ります。)

  はじめに

  1.官僚の限界

  2.軍隊の本質

  3.小説の可能性

  4.斎藤史さん

  5.カール・マルクス

  6.あとがき




はじめに

本を読んでいて、自分が関心をもっている分野のことで、これはと思うことに出会ったら、気軽にメモしておくことにした。
今まで何かまとめようと思ったとき、どこに出てたっけと探すことが多かったので。

従って以下のメモには、読んだ本からの抜粋やら、それに関連した自分の体験やら考えやらが、ごちゃ混ぜになっている。
文献としての価値はないが、時の流れの中で忘れ去られようとしていることを、少しでもリフレッシュすることができれば幸いである。

1.官僚の限界

8月16日
「南洋の鉱山王」石原広一郎(石原産業創設者)のエピソード
戦争中、軍の下請けでマレーやフィリピンで鉱山開発をするが、次第に軍の統制的やり方に反発する。

石原が戦後書き留めた記録には、「木戸幸一内大臣に面会、フィリピンの軍政は全くの失敗で、一年もすれば比島人は離反し、中国人同様に日本を恨んでくる。日本軍人・官吏は東亜民族指導の資格なしだ、と訴えた」とのやりとりが生々しく記されている。
(読売新聞社「20世紀 戦争編 日本の戦争」P153)


2.軍隊の本質

9月2日
英国には陸軍(年々)法(The Army (Annual) Act)があり、この法律は毎年3月か4月の特定の日までに議会で更新されなければならない。そうでなければ法律は自動的に廃止となり、陸軍は自動的に解散される。

これは空軍が設立されたのち、1920年に「陸軍及び空軍(年々)法」となり、空軍にも適用された。
海軍の維持についてはこの種の法律はない。その理由は、海軍はもっぱら外敵に対するものであり、国内の軍事権力として国民の人権を抑圧する道具になりにくい、という考え方によると思われる。
(大江志乃夫「壁の世紀」1992年講談社)


「海軍大学校の教官のとき、私は一度、国軍の本質といふものについて考へ抜いてみたことがあります。結局、国が危急存亡の淵に立たされて、もはや凡百の政策も役に立たぬ、国家の基本となる独立保持のためギリギリ何とかせねばならぬ、その瀬戸際に立ち上がるのが軍隊の使命だ、したがって、失政の糊塗策として国軍を使ふとか、満洲事変のやうに為政者の野心やミエで国軍を動かす、これは罪悪だと考へた。

その手のいくさを始めて、国民の生命を犠牲にし財貨を捨てさせる、そんな権利が国家にあるものか。だけどね、歴代総理大臣の中に、このような戦争で国民を死なせては可哀想だと言った人は一人もをりませんよ。ただ、勝てるか、大丈夫か、その不安ばかり。」

(阿川弘之「井上成美」1986年新潮社)


3.小説の可能性

9月3日
「二十一世紀小説の可能性」
中村真一郎は「王朝物語」の序章で、一人の日本の作家として、まず日本の小説伝統の中心を成している王朝物語を読み直し、「二十一世紀小説の可能性を探る」という仕事に取り掛かると宣言している。

作家は先ず、二十世紀も終わりに近い最近の、小説という文学形式の世界的な衰退には目を覆うものがある、と書く。

戦前のジョイス、プルースト、トーマス・マン、ドス・パソス、ヘミングウェイ、マルロー、ロマン、プリニエ、モンテルラン、モーリアック、モロア、ジロードウー、グリーン、デュアメル、ドリウ=ラ・ロシェルなど、そして戦後のサルトル(「嘔吐」、「自由への道」)、カミュ(「異邦人」、「ペスト」)、ジュール・ロマン(「善意の人々」)、アラゴン(「共産主義者達」)、トーマス・マン(「ファウスト博士」)、カフカ(「審判」、「城」)、ヘルマン・ブロッホ(ウェルギリウスの死))、ムジール(「特性なき男」)、グレアム・クリーン(「事件の核心」、「情事の終わり」)、イヴリン・ウォー(「ブライズヘッド再訪」)、ローレンス・ダレル(「アレクサンドリア四重奏」)その他。
嵐の最後は南米のカルペンチエール、ガルシア=マルスケス、リョサ、コルターサル。
あとはアメリカのピンチョン、バース、フランスの「新小説派」とともに、先細りになって今日の小説不在の時代に滑り込んだ。

作家には、明治にはじまった、あるいは広くヨーロッパ各国で、十九世紀初頭にローマン主義とともに興った近代の小説形式が、その可能性をほぼ出しきったのではないかと感じられるのである。
それは丁度、平安朝とともに起こった「物語」という文学形式が平家滅亡とともに生命力を失い、遂に室町時代にお伽草子という幼稚なジャンルのなかに埋没して行った時期を連想させるという。

では、小説形式とは一体何なのか、それはどういう精神の働きをするものなのか、人類の生活にとってどういう役割を演じるものなのか、ということを考え直してみる時期が来た、ということになる。
近代において小説と呼ばれ、一般に承認されているものは、「作り話」である。実話、またはそれの組織化された「歴史」ではない。

源氏物語」の作者は、その長篇がまるで宮廷の歴史を読むようだというので、時の帝に「日本紀の局」日本歴史の貴婦人と渾名された。その時に、名誉のことと嬉しがる代わりに「日本紀なぞは片そばおかし」、歴史などというものは、部分的真理を語るに過ぎないとうそぶいて、まわりの紳士淑女を驚かせた。
さすがに紫式部はわが国最大の小説家の貫禄を示して、歴史に対して小説の独立を宣言しただけでなく、事実だけを語る歴史に対して、フィクションによって語る小説の方が人生の全体的真理を語るものだと、バルザックやトルストイの千年ちかくも昔に、既に自覚していたのだった。

作家は、紫式部が光源氏の口を借りて語る「小説の定義」を紹介する前に、「素人」の読者のため、次のような注意を与える。

十九世紀のフランスで小説の極世紀に、そのジャンルの理想として、小説は「純粋客観主義」で書かなくてはいけない、ということになった。
その代表だったフローベルが「感情教育」の冒頭で、主人公の田舎青年が川蒸気でセーヌ川を遡る光景を描いているところなど、作者の姿はすっかり小説の表面から掻き消えて、作者が汽船そのものに変貌してしまったとまで言われている。
このフローベルのやりかたが、自然主義の方法となって世界中を風靡し、日本の文壇も明治以後長くその影響のもとにあったのである。

それが今世紀のはじめに、「二十世紀小説」という新しい小説の方法が英仏に起こって、その先頭に立ったのがプルーストだった。彼は好んであの膨大な小説「失われた時を求めて」七巻のなかで、自分の哲学やら小説論、芸術論やら社会観を堂々と語ってみせたのである。
丁度プルーストの大冊が次々と刊行されている最中に、イギリスで「源氏物語」がアーサー・ウェイリーの名訳によって紹介された。紫式部が盛んに小説のなかで、芸術論や女性論を語ってみせたこともあって、プルーストと紫式部は同一の文学流派であるとして、ヨーロッパの文学界に迎えられるに至ったのである。

では、紫式部による小説の定義であるが、作家の言葉に言い直すと、およそ次のようなものとなる。 「小説は歴史のように、あった事実をそのまま描くのではなく、フィクション(作り話)として語るものである。勿論それは荒唐無稽のでたらめではなく、作者の体験に即したものなのではあるが、その体験を善悪いずれにせよ事実よりも極限まで追求して、典型的なところまで高めて表現する。事実というものは、大概中途半端なものであるから。

ところで、日本の小説でも外国の小説でも、人間性の真実を表現しているという点では変わりはない。また一方、小説の内容は時代による変化というものもある。それから作者の素質によって、現実をどの層で切るかという問題がある。つまり社交的層で捉えるとか、より深く人間の実存的かかわりの面で捉えるとか、更に底に降って孤独の闇のなかで捉えるとか、いろいろあって、そのどの面を描いたからと言って、軽妙さから深刻さまでのどの小説が、嘘というわけではなく、それぞれに真実なのである。」

(中村真一郎「王朝物語」講談社)


4.斎藤史さん

10月6日
神田神保町の岩波ブックサービスで、「斎藤史歌文集」を入手した。
史さんの父、斎藤瀏陸軍少将は軍人としては恵まれない将軍だったようである。済南事変で熊本第十一旅団長として出陣、福田師団長をよく補佐しながら帰還後ともに責任を取らされて予備役編入、2・26事件では黒幕と目され、真崎大将などをさしおいて将軍としてはただ一人刑(禁錮5年)に処された。位階勲章・年金など全て剥奪、一家は苦しい生活を強いられる。

長野の高校で私共と同期だった章子(あやこ)さんは、このとき史さんのお腹の中にいて、5月に早産で生まれたとのことである。

ここで、8月16日の項に出た石原広一郎が再登場する。
彼は政治的な意図や、見返りの利益などには無関心に、若い人々の心情を汲んで資金援助をした。その仲介をしたのが斎藤少将だったが、裁判では一切語らなかったので、石原は無事に放免された。そして密かに斎藤夫人、すなわち史さんの母の生活を助けてくれたそうである。

2・26事件は結果として軍部の支配力を強め、その後のわが国の行く手を誤らせることになった悲劇である。
ここではこの事件について、もっともっとよく調べ、考える必要がある、ということだけ銘記しておくことにしよう。
(斎藤史「斎藤史歌文集」講談社文芸文庫、2001年9月刊)


5.カール・マルクス

10月28日
20世紀を、良くも悪くも震撼させたカール・マルクスの思想について知りたいと思った。
いきなり「資本論」などを読んでもわかるはずがない。いつものように、周りから攻めて行くことにする。

現代思想の冒険者たち」(全31巻)というシリーズが講談社から出ている。1996年ころから発刊されたものらしい。
このシリーズの序論とも言うべき"第0巻"の「現代思想の源流」を探していたが、最近神保町の書店で入手することができた。
この巻では、マルクスニーチェフロイトおよびフッサールを扱っている。
マルクスの章は今村仁司(東京経済大学教授)という人が書いている。よくまとめていると思うのでメモすることにした。

批判と抵抗の精神
20世紀の支配的イデオロギーであった「革命主義」思想がすべて解体したとしても、それは批判と抵抗の精神が崩壊したことを意味しない。
国家イデオロギーは批判精神を抑圧してきたし、いまもしているが、まさにそうであるがゆえに、批判と抵抗の精神はかつて以上に蘇生させなくてはならない。
ソ連的イデオロギーの解体は、マルクスの思想にとって幸運である。ソ連のイデオロギーはマルクスの思想を歪曲し、社会の変革ではなくて、現存国家の正当化論へと変質させたのであるから、そうした足枷から、マルクスの思想は、いわば自動的に解放されたとも言えるからだ。

しかし同時に、マルクスの思想が20世紀において国家社会主義のほうへ捻じ曲げられてきた事実のなかには、単なる誤解とか、政治家や御用学者の恣意的な歪曲とかですますわけにはいかない要素が、マルクスの思想というよりも、マルクスのときどきの歴史的状況に限定された言説のなかにあるのではないかと、疑う精神も必要である。

次の世代に向けて批判と抵抗の精神を開拓してときに、われわれの思想的実情では、まだマルクスにとって代わる巨匠はいない。マルクスは、幾多の試練を経ながら、いまもなお批判精神と抵抗精神の巨大なモデルであり続けている。
それを救い出すためには、マルクスを読む土台または観点を変更していかなくてはならない。続く
(「現代思想の源流」講談社 1996年)


6.あとがき

編集中
おわり



編集:大野令治