瀏陽から




昭和19年7月武漢から瀏陽へ進出
瀏陽は洞庭湖に近い長沙市の、東方約70キロメートルのところの町です。

★上の簡易書簡は、8月末頃瀏陽から出したものと推定されます。絵は中国の北の方の風景と説明がありました。

「どんな事があっても戦に負けてはならない。国内に敵を上陸させては駄目だ。支那も住民が気の毒だ。殊に小さい子供を抱えた母親達は子供を連れて戦火をくぐりぬけて逃げ惑って居る。戦場を見る時何も内地に不平はない筈だ。
健康に注意して子供たちを元気に丈夫に育ててくれ」

★左は私の8歳の誕生日に書かれたことで、唯一日付(昭和19年11月11日)がわかる葉書です。鉛筆で急いで書いた感じのものです。
本文は現代文に直すと以下の通り

「今日はお前の誕生日 元気で勉強しているかね 運動会もえんそくもすんでこんどはお正月を待つばかりですねお父さんも毎日元気でやっています
今日は二ばんとまりであるところへ用に行って帰って来たよ 良いお天気だ 一月あまりも降った雨がやんでほんとうに気持ちのよい日だ あかとんぼもとび いなごもぴちぴちはねている
先日は二十日ほどある仕事に行っていたが かえりに帰順兵四十人あまりつれて帰ったので 柏四六三三部隊長閣下よりお酒とおさかなをいただきました では又かきましょう」

★「柏四六三三」は秘匿名称で「臣」とも略称され、部隊長(旅団長)閣下とは横山臣平中将



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